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歴史の目撃者に聞く! 『KOF』対戦史その1(2000年代以前~2000年代中盤編)
公開日時:2022-02-02 18:45:00
初代『KOF ’94』の登場から、四半世紀以上もの間、多くの格ゲーマーを対戦でアツくさせた『THE KING OF FIGHTERS』(以下、『KOF』)シリーズ。この間には多くのシリーズ作がリリースされたと同時に、対戦ムーブメントの広がりや成熟があった。本稿では”歴史の目撃者に聞く『KOF』対戦史”というテーマで、日本の対戦コミュニティーにおける『KOF』有識者に聞いた対戦事情を紹介する。
今回は、2000年代中ころより始まった国内個人主催では最大規模となる『KOF』大会の主催者であり、国内コミュニティーの中心人物の一人であるづねさんと、長年『KOF』界では強豪プレイヤーとして知られ、2003年の全国大会"闘劇”『KOF 2002』部門覇者でもあるごしょさんに、みずから見聞きして来た2000年~2010年代の『KOF』対戦事情をうかがってみた。
※歴史の目撃者に聞く! 『KOF』対戦史その1(2000年代以前~2000年代中盤編)
※歴史の目撃者に聞く!『KOF』対戦史その2(2010年代前半〜後半編)
<プロフィール>
づね:もともと『KOF ’98』の強豪プレイヤーであり、2004年から始まる個人主催の『KOF』全国大会”Duelling the KOF”の発起人としても知られる国内『KOF』コミュニティーの中心人物。
※Twitter:@Dune_KOF
※YouTubeチャンネル
ごしょ:『KOF』シリーズの強豪プレイヤー。第1回闘劇『KOF 2002』部門優勝をはじめ、全国大会で多くの上位戦績を残す。投げキャラクターを得意とし、投げの神の名を持つ。
※Twitter:@gosyo_kof2
『KOF ’98』~『KOF 2001』期†
1990年代は、いわゆる格ゲーブームと言われた時期に相当する。全国のゲームセンターでは対戦格闘ゲームの対戦台が店舗の中心に設置され、腕に覚えのあるプレイヤー同士による火花バチバチの対戦が、当たり前のようにあらゆる格闘ゲームのタイトルで行われていた。
今回ここで取り上げるのは、この格ゲーブームの後期~一段落した収束期に相当する2000年代以降。熱心な格ゲーファンたちはブームによらず、本当に戦いたいプレイヤーが新たな対戦の場を渇望していたと言える時代だ。
――闘劇(※)以前、1990年代後半~2000年代初期くらいの『KOF』の対戦シーンはどんな感じだったのでしょうか?
※闘劇:複数タイトルを扱った格闘ゲームの大規模大会。第1回は2003年3月に決勝大会が行われた。
づね ピーク時より減ったとはいえ、当時はまだまだ対戦人口自体が多く、しっかりと対戦が根づいていた地域も多かったように思えます。具体的に言うと『KOF ’98』のころは全国どこに行っても対戦ができました。
『KOF 2001』になると、ゲーム性が大きく変わったということもあって、少しずつ対戦する人が減っていったし、それ以前に進学や就職で世代交代が進行していた時期だったように思えます。
2002年に闘劇が突然"アルカディア(※)”誌上で発表されて、大きな刺激を受けた人とそうでない人の温度差があったというのは否めませんが、闘劇が現れたことによって、本来なら辞めていったはずの人たちが繋ぎ止められた感じはあります。
※アーケードゲーム専門誌
――闘劇がコアなファンをつなぎ止めていた面もあったんですね。
づね あまり一般的に言われていることではないのですが、個人的に『KOF』の対戦シーンにとって闘劇の出現で大きい影響があったなと思うことは、闘劇の運営側にはそういう意図はなかったのかもしれませんが、"なんでもあり"、つまりゲーム内でできることはバグ以外基本的に全部やっていいというルールだったことだと思います。昔は、各ゲーセンで"待ち禁止"とか"アッパー対空禁止"とかがあって、そういうローカルルールで派閥みたいなものができていました。極端な例を挙げると「あいつ、このゲーセンよく来るけど、スカし下段をやるから対戦しない」みたいなのですね(笑)。
でも、のちに闘劇の雰囲気が浸透していくにつれ、ゲーム内でできることは全部OK、逆に対応できないほうがダメという空気を少しずつ作っていったのではないでしょうか。まあこれは『KOF』とは直接関係ない、イチプレイヤーとして当時感じたことなんですが。
ごしょ 2000年初期のころは「ケズりで倒すのはやめてください」とふつうに言われたことがあります(笑)。
――当時のづねさんはどのあたりで対戦をしていたんですか?
づね 僕はずっと地元の大船ですね。でも2000年過ぎたあたりに『KOF』の対戦相手が全然いなくなってしまったんです。これはのちに自分で大会を開く経緯とつながるんですが(後述)、2001年に個人主催の『KOF ’98』の全国大会が開かれたんです。
当時、僕は『KOF ’98』みたいな過去タイトルをやり込む発想があることに驚きました。シリーズの新作が出ているのに、わざわざ過去作をプレイすることがメインストリームになることはまずないと思いますし、そもそも、自分にやるという発想がなかった。この気づきが大きくモチベーションを上げてくれるものでした。
でも、ただでさえ対戦相手の減った地元で、当時の3年前のゲームを「よし、がんばるぞ」といっても、対戦相手がいるハズはないんですよ(笑)。過去タイトルを盛り上げるためには自分で無理やり場を作るしかないと思いました。大会を主催するとか、遠征勢にきてもらうとか、同級生に声をかけまくって、とにかく対戦相手を増やすアクションをしました。これが後に"Duelling the KOF"につながります。
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――都心から外れると絶対的なプレイヤー人口が少ないから、だんだん対戦が困難になっていった時代ということですかね。
づね はい。2000年を超えたあたりから、首都圏でも対戦できる場所とできない場所にけっこう分かれてきた時期でしたね
――ごしょさんのほうはいかがです?
ごしょ 私はそもそも『KOF』を始めたのが『KOF ’98』のころと遅めだったんですよ。それまで『KOF』というとゲームスピードが速いとか、コンボが難しそうというイメージがあったのですが、『KOF ’98』がとてもかっこよく見えたんです。
地元の柏には多くのプレイヤーが集まっており、彼らは当時の時代とは逆行するように"なんでもあり"のスタイルで対戦していて、強い人たちだった。自分もその集まりに招かれていっしょに対戦するようになったんですね。そんな場所で対戦できた経験は大きかったと思います。強くなれたのは、こういった環境のおかげだったのかなと。
『KOF』はゲームシステムが3on3のチーム戦なので、友だち同士でひとり1キャラを担当してプレイする遊びかたもやっていました。ときには20人以上の仲間が集まって、その遊びかたで小さな大会を開いたりして盛り上がっていましたね。
――そのころは他の地域に遠征するということはしていたんですか?
ごしょ 近郊の他地域には行ったりしていました。地域ごとにプレイスタイルの差、盛り上がりかたの違いはありましたね。
千葉の津田沼では、『KOF ’98』の場合、最初のころは時代もあって、ガードキャンセルの反撃でトドメを刺すプレイに否定的だったんですけど、でも「なんでもありの柏の人たちと遊んでいると、それが寒いことじゃないんだ」と変わっていきました。文化の違う他地域に道場破りみたいなことをくり返していくと、お互いの文化や考えかたに影響し合う部分があったのかと思います。さきほど、づねさんも話した、闘劇の「なんでもあり」のルールは自分にとってはよかったことでした。
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――当時、ごしょさんの周辺で強くて有名だった人っていますか?
ごしょ その当時だとポポリンさんかな。『KOF 2002』くらいまでプレイされていて、けっこう大会にもでている方でした。自分はその地域では勝てるほうだったのですが、その方にだけは負け越していました。あと、『KOF ’99』でいろんな知識を教えてくれたフィンガーさんですかね。
ほかには、地元のゲーセンではないんですけど、いまはプロゲーマーになっているスコアさん。じつは付き合い自体はかなり昔からあって、とあるゲームのインターネット対戦を通じて知り合ったんです。それで、「僕も『KOF』やってるから、一度大阪に遊びにきてや」と誘ってくれて現地に行ったんです。柏では野試合でも勝てていたから自信持って挑んだのですが、大阪で対戦したスコアさんの強さにカルチャーショックを受けたのを覚えています。
韓国勢との戦い――日韓戦†
『KOF』対戦史の大きなトピックのひとつに、韓国勢との戦いがある。ここで国内『KOF』プレイヤーは未知の韓国勢の強さを初めて知ることになる。
――2001年に日韓戦があったと聞きました。その当時の状況はどんなだったのでしょうか?
づね その当時、韓国には『KOF』プレイヤーがたくさんいるらしいという断片的な情報が日本にも入っていました。テレビ番組でも『KOF』の対戦が流れているほどの盛り上がりがあると聞いて「本当に?」という感じで。私自身『KOF 2001』は深くプレイしていなかったのもあって、対戦シーンとはちょっと距離があり、雑誌記事で知ることも多かった時期です。
このイベントで用いられているタイトル『KOF 2001』は、韓国のゲーム会社との関わりがあるため、韓国側も盛り上げていきたい機運があって、その流れで実現した企画じゃないかなと思います。
日本勢はこのイベントの前に"GCN"という大会が東西であって、その上位プレイヤーを中心に日本代表として4人くらいで参加したんですが、そこで初めて韓国勢の強さを目の当たりすることになったのです。
ごしょ 僕はそのGCNで上位に残れなかったんですが、づねさんが言うように、私も以前から韓国の盛り上がりは断片的に聞いていました。それを聞いて、「韓国勢はどれだけの強さなんだろう」とワクワクしていた記憶があります。
『KOF 2001』では日本でフォクシーが禁止級の強キャラとして扱われていました。ガード不能技を持ってましたから。しかし、韓国では強キャラと言われていたのがメイ・リーらしいんですよ。実際、韓国勢の使うメイ・リーは強すぎたと、イベントに参加した山ちゃんさんから聞いた覚えがあります。
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――韓国は“なんでもあり”的なプレイスタイルだったのでしょうか?
ごしょ そうでもなかったです。というのも、テレビ放映があるから、ひたすら待つようなスタイルは見栄え的によろしくないという空気があったようです。
づね 強さのタイプにもよるのでしょう。メイ・リーは、とにかく攻めまくってガードクラッシュを誘発して倒すみたいな強さなので、"映える"タイプなんですよ。アッパー対空は、テレビ受けしないから当時は禁止でした。落とすなら鬼焼きで落としなさいという感じで。なんでそうなっているか見た目にわからないもの、たとえば飛び道具をガード不能にするテクニックも禁止。その中で許された数少ない強いキャラがメイ・リーだった。という認識です。
――テレビを意識したプレイスタイルってすごいですね。
づね 僕も2006年に現地のテレビ番組で対戦したことがあるんですが、格闘ゲームのテレビ放映が文化としても出来上がっていてすごかったですよ。
ごしょ 後に闘劇の決勝で韓国のエースであるバッシュさんと対戦したんですが、このときもとにかくガン攻めでした。しかも、使っていたキャラも露骨な強キャラではなく、ヴァネッサのようなコンボの見栄えのいいキャラで戦っていました。
――そのころから韓国勢との交流も深まっていったんですね。
ごしょ 韓国のプレイヤーとは、対戦が終わったあとに焼肉屋に連れて行ってもらって、プレイのことを通訳の方を挟んで聞いたりしていました。日韓戦は10対10のガチンコ勝負ですが、「来てくれてありがとう」みたいな感じでもてなしを受けながら交流を深めました。
闘劇開催期†
2003年、アーケードゲーム専門誌"月刊アルカディア"主催によるアーケード対戦格闘ゲームの総合全国大会"闘劇"が開催。『KOF』シリーズも『KOF 2002』が種目に選ばれ、プレイヤーたちの対戦モチベーションにも変化が表れた。
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――2003年に闘劇が始まります。最初はプレイヤーはどういうスタンスだったのですか?
ごしょ 柏の人たちは外に出るのを面倒臭がる人が多かったんですが、それでも闘劇は「参加してみようぜ」と、彼らをやる気にさせるほどの影響力がありました。
闘劇には韓国のプレイヤーも出場したのですが、先の日韓戦でその強さは知っていました。初めて開かれる全国規模大会の場というプレッシャーもありましたし、彼らの存在は脅威でした。ですが、大会直前の野試合で韓国のエースであるバッシュさんと対戦をして、一発勝負ならもしかしたら勝てるかもしれないというのはありました。
づね これまで、闘劇のような各タイトルを集めた全国大会はありそうでなかったんですよね。しかも最新作だけではなく、少し古いタイトルも種目にある。個人的にはこれは名作と呼ばれるゲームも今後種目になるのかな、と期待していました。
ただ、僕の地元は対戦人口が多くない地域だったので、闘劇開催が決まってもあまり変化はありませんでした。個人的には積極的に参加したいと思ったのですが、いかんせん地元では対戦相手がいない。よくも悪くもみんな社会人になる時期でしたし、温度差が感じられましたね。のちに闘劇が定着していくと、意識は変わっていってみんな予選に出るようになるのですが、しばらくは苦しい状況が続いていました。
ごしょ 第1回のときの種目『KOF 2002』はすごく盛り上がったんですよ。自分が優勝したんですけど、まわりの熱量がとにかく高かったですね。第2回(闘劇’04)の『KOF 2003』のときはゲーム性がかなり変わったので、プレイヤーの総数は少し減ってしまった印象があります。それでも柏では"なんでもあり派"の人が残っていて、闘劇を目指して対戦する人は多かったです。当時はづねさんも柏まで遠征していたくらいです。
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づね 自分の中ではモチベーションが超高かったのだけど、地元はさきに話したような状況でした。ですので、毎日CPU戦でコンボ練習しつつ、週に1回柏まで遠征して何時間も対戦する日々を送っていました。地元から柏は片道2時間かかりましたけど(笑)。
闘劇’05の『KOF NEOWAVE』のころになると、プレイヤーの間にも闘劇が定着したような印象を受けました。このときはプレイヤーがかなり戻ってきて、プレイヤーのモチベーションとゲームのおもしろさがうまい具合に噛み合った時期だったと思います。
個人主催全国大会"Dueling the KOF"開催†
前述したように、づねさんは『KOF ’98』、『KOF 2002』による全国大会"Dueling the KOF"(以下、Duel)の主催者として、国内『KOF』プレイヤーのコミュニティーでは名が知られた存在だ。個人にもかかわらず、2000年代中盤という時期に大規模大会を開催することになった経緯、当時のプレイヤーの反響はどうだったのか?
――Duelの第1回はいつ行われたのでしょうか?
づね 第1回の本選は2004年8月でした。先程お話したように、過去タイトルである『KOF ’98』をまだプレイしていいんだと気付いたのが、2001年3月ごろ。当時は受験勉強をほっぽりだして『KOF ’98』を始めるのですが、その後もこのタイトルが自分の中でのホームというか、帰るべき場所みたいなポジションになっていました。
同時に、並行して闘劇を目指すために最新タイトルをプレイしていたのですが、ホームである『KOF ’98』の灯火が消えてしまっては困るので、自分で『KOF ’98』を盛り上げようと仲間を募ったり、大会を開いたりしていました。闘劇は闘劇で新作を扱うのは当たり前と思っていたので、『KOF ’98』を盛り上げようとなったら自分で全国大会を開くしかないな、と思ったのです。誰もやらないなら自分でやるしかないじゃん、と。
――当たり前のように聞こえますが、その発想に至ったのは驚きです。
づね 『KOF』は3キャタクター1チームで闘うゲームだから闘劇で団体戦になることはないだろうと。でも、他タイトルで3on3などのチーム戦が行われているのを見て、うらやましいなと思っていました。「それじゃあ、いっそ自分がおもしろいと思うルールでやってみよう」と、2on2の全国大会を開催してみることにしたんです。
ちょうどそのころは、インターネットが格ゲープレイヤーの中にも一般化しつつある時代でした。その恩恵で日本中に知り合いがどんどん増えていたので、みんなの力を借りれば全国で予選が可能だと考えました。そこで主催の主要メンバーを含めて組織化し、各地に責任者を立てて、予選の運営をお願いすることにしたんです。全国の予選を通過したプレイヤーに京都の名門ゲームセンターa-choへ集まってもらって、本選を実施しました。
――個人でしっかり組織化して、全国規模の大会を実施するのはすごいですね。
づね まあ、いま思えば、20歳くらいの若造なのによくぶっ放したなあという感じなのですが(笑)。他タイトルと比べても結構早い時期に始まった個人主催の全国規模の大会だと思います。いまはコロナで中断していますが、一応歴史のある大会になっています。
――主催者から見た当時のプレイヤーやコミュニティーの反響はいかがでしたか?
づね 自分は大会の運営として、参加者とは必要以上に距離感を縮めないという考えがあり「どうだった?」と、直接感想を聞くことはあまりしませんでした。ですので、反響は当日の雰囲気や参加人数で判断するしかないかなと。
当時はすでに闘劇が存在していましたし、新作も継続的に出ていた時期。その中で突然、旧作で「個人主催の全国大会をやります、しかも2on2で」と始めたときに、みんなが付いてきてくれるかは不安がありました。ダメだったらこれっきりで終わりにしようという気持ちでしたね。でも、フタを開けてみれば、じつは『KOF ’98』や『KOF 2002』が好きだけど、「新作があるから続けられない」と感じてる人たちが思いのほか多くいたことがわかったんです。
――具体的にどのくらい参加者がいたのでしょうか?
づね たとえば九州の予選で100人以上の参加者が来てくれました。会場には行けなかったのですが、現地の責任者からのレポートを読むと「すごいなぁ」と感心しました。また、個人的にありがたいと思ったのは当日予選のこと。予選を通過できなかった人が本選の会場に来て参加するものなのですが、その参加者が『KOF 2002』(2on2)の部門で64チームもエントリーしてくれたことです。それって、本選の出場チームと同じ数なんです。運営はうれしい悲鳴をあげましたよ。
――参加者の本気度を感じますね。
づね 大会終了後に勢いで「これで第1回を終わります!(来年も開催します!)」と宣言してしまったんですが、開いたらみんなまた参加してくれそうだという手応えを感じました。個人的にも大きな思い出ですし、インパクトのあることができたのかなあと思います。
――選手として出場したごしょさんから見て、どんな印象がありましたか?
ごしょ それまで大会は個人戦ばかりだったのですが、2on2で初めてほかのプレイヤーと組んで、チーム戦のアツさを知りました(笑)。強い人と組むより仲のいい人と勝ちたいという自分のコダワリもありました。これまで自分が対戦したことのない地域のプレイヤーに決勝で負けて、やっぱり全国には強い人がたくさんいると、すごく刺激を受けたのを覚えています。
――他地域のプレイヤーとの交流だったり、ひいてはコミニュティー全体の結束が高まる大きな機会と感じますね。
ごしょ そうですね。関東VS関西といった対抗心も強くなります。Duelの後は関東と関西のプレイヤーで各10人のメンバーを決めて、ガチンコの東西対抗戦もやったのですが。この試合のプレッシャーはスゴくて。それがまたおもしろかった思い出があります(笑)。自分も含めて、いい年齢の大人たちが対抗心をバチバチとむき出しにして戦うのですから。
――それぞれのプレイヤーにとって『KOF ’98』、『KOF 2002』という作品を続けるモチベになったということでしょうか?
づね 名作と言われていても「あのゲーム、いいゲームだったよね」と一言で終わらせるのではなく、大会があることで「またプレイしてみない?」というきっかけになったと思うんですよ。新作を売りたいメーカーさんには迷惑だったかもしれないけれど、旧作のライフサイクルをよくも悪くも延ばした形になったと思います。事実、ゲーム基板屋で『KOF ’98』の中古価格が上昇したこともありましたし(笑)。まあ、新作が出ることがプレイヤー増に直結しにくくなった時代背景もそれなりに影響してた気もします。それよりも、対戦したい人が集まる場があることは、コミュニティーの維持に大切な要素だと思いますからね。
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中国勢の発見†
日本の『KOF』プレイヤーと韓国のプレイヤーの交流はその後も続く。その中、あるきっかけによって中国の『KOF』プレイヤーの存在を知ることになる。広大な国土をもつ中国のプレイヤーはどんな実力の持ち主なのか? そこで知った強豪プレイヤーはまさに"発見"だった。
――2000年代中頃には中国の大会にも出たとお聞きしました。そのあたりの事情をお聞かせいただけますか?
づね 2006年のことですが、中国で『KOF』コミュニティーに通じている方が仕事で来日していました。その方が「上海で『KOF』の大会があるから来ないか?」と、僕とごしょさんに声を掛けてくれたのがきっかけです。ほかのプレイヤーも誘って4人で上海の大会"TGB"(The Great Battle)の『KOF ’98』部門 に参加しました。ここで僕たちは、初めて中国プレイヤーの水準の高さを知りました。
――彼らはそんなに強かったんですか?
づね 現地での上海や北京などの方々との野試合を通して思ったことは、確かに彼らは強いのですが、それでも我々がなんとか対抗できる強さでした。しかし、中国の田舎から、片道30時間くらい掛けて会場に来た黒皮(へイピー)というプレイヤーがズバ抜けて強かったんです。彼は、2本先取の128人トーナメントを無敗で優勝したんですよ。
ごしょ じつはその決勝で戦ったのは私だったんですが、もう1勝もできず……完敗でした。
――彼だけ異質の強さだったと。
ごしょ ええ。とても細かいところまで突き詰めていると感じさせるプレイで、衝撃を受けました。
づね それまで僕らは「日本と韓国どっちが世界最強か?」とか、言ってたのに、この出来事以降「あれ!? もしかして中国も強い?」と認識が一変しました。
――知られざる中国プレイヤーの実態が徐々に見えてきたという感じですね。
づね 彼に詳しい話を聞いたら「いや、他の地域にはオレも勝てないヤツがいるから」と言うんです(笑)。そのときは「またまたご冗談を〜」って感じで終わりました。しかし、その翌年の2007年、ふたたび上海に行ってTGBに出たときに、その言葉が嘘ではないことを知ったのです。黒皮が勝てないプレイヤーこそ、のちに『KOF』のトッププレイヤーとして知られることになる小孩(シャオハイ)と大口(ダーコー)だったのです。彼らが現地にいました。
――ここでこのふたりの名が!
づね 2006年時点では中国コミュニティーの中ですら自国プレイヤーの全貌がよくわかっていなかったようなんです。なにせ国土が広いですし、強い人の名前がインターネットで簡単にわかる時代ではなかったので。存在したとしても都市伝説の扱いになっていたみたいなんです。
――広い国ならではの話です。
づね 黒皮の出現には上海や北京といった都市部のプレイヤーはみんな驚いていたみたいでした。その出来事を受けて、翌2007年のTGBでは中国中からうまいプレイヤーを招待しようという動きになって、小孩や大口が参加したという次第なんです。
――2007年もTGBに参加されたとのことですが、そのときのメンバーは?
づね ごしょさんは所用で参加できなかったのですが、前年同様のメンバープラス数名でした。この年の大会は、自分の『KOF』人生の中でもっとも印象に残った大会になりました。
――どんな大会だったのですか?
づね 日本、中国、韓国、台湾、香港という5つの国と地域の代表プレイヤーによる5on5を開いたんです。各コミュニティーの代表が集うドリームマッチみたいなものですよ。主催者はどんだけ金を使ったんだろうと思うんですが(笑)。
――対戦格闘ゲームの世界戦がいまほどなかった当時としては、画期的な企画ですね。
づね 中国チームは、黒皮が勝てないという小孩、大口が参加していました。韓国チームも日本チームも、ともに最強クラスの布陣で挑んだのですが、結果は当時高校生だった小孩に圧倒されてもう涙目でした。俺たちがいままでやっていたものは何だったんだろうと(笑)。
――中国という新たな勢力が日韓のプレイヤーに認識されたと?
づね 中国のプレイヤーは我々よりもっとレベルが高いという共通認識が生まれました。
ごしょ 当時は日本に戻って中国勢の強さを、いくらまわりに語ってもなかなか信じてもらえませんでした。
づね 他ゲームの人たちからは、「中国のプレイヤーが強いのではなくて、お前らが弱いんじゃないの?」みたいなことを言われていましたし(笑)。
ごしょ それが、いまや小孩はプロゲーマーとして世界で名を轟かせる存在ですからね。
づね 小孩は闘劇で2007年8月に来日しているんですよ。彼は片手でのプレイや、ランダムセレクトのキャラクターで戦っても強いと言われていましたが、実際にそうなんですよ(笑)。
当時の彼は高校生くらい。でも日本の上位勢ですらそんなプレイをする彼を黙らせることができませんでした。何回か勝てる人はいたけど、勝ち越せる人は皆無でした。他ゲーム勢には長い間、中国勢の強さはなかなか理解されませんでしたが、闘劇などの機会を通じてやっとわかってもらえることに。
――実際に世界で活躍する姿を見るようになりましたもんね。
づね 考えてみると、対戦シーンとして他の地域が強くて日本勢が挑戦者として挑む構図のほうが絶対楽しいんですよね。そういう意味で『KOF』シーンは得していたんじゃないかと思います。EVOなどの海外大会で決勝戦が日本人同士になったら世界大会という感じはしませんし。こういう国や地域をまたぐライバルがいる構図になったのも、ネオジオの海外展開を積極的に進めた1990年代にSNKさんの営業活動が実ったものだと思いますよ。
(次回に続く)
取材・編集:豊泉/とよまん
協力:大瀬子ヤエ、づね、ごしょ、タクマの鬼
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- ライバルチーム(イスラ、ハイデルン、ドロレス)
- K´チーム(K´、マキシマ、ウィップ)
- 三種の神器チーム(草薙 京、八神 庵、神楽ちづる)
- ヒーローチーム(シュンエイ、明天君、二階堂 紅丸)