中村彰憲のゲーム産業研究ノート グローバル編

立命館大学映像学部 中村彰憲教授による、その見識と取材などを元に、海外ゲーム情報を中心としたブログ連載!

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【ブログ】トランスメディア・ストーリーテリング:ジ・オリジン(その1)

2020-11-26 21:01:00

ハリウッドで、トランスメディア・ストーリーテリングという概念を普及させ、トランスメディアプロデューサー」というクレジットをアメリカ・プロデューサー協会に働きかけ、認めさせた張本人でもあるStarlight Runner Entertainment CEOのジェフ・ゴメス氏(Jeff Gomez)に立命館大学映像学部教授の中村彰憲が直撃。その起源について直接聞いた。

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▲Starlight Runner Entertainment CEO
ジェフ・ゴメス氏


 2015年以来、筆者は、欧米を中心に熱烈な支持を受けているIPの展開方法であるトランスメディアストーリーテリング(Transmedia Storytelling、以下、TMS)を追ってきた。TMSとは、あるIPを世界観に矛盾することなく且つ整合性がある形で、複数のメディアへと物語を進める展開手法を指す。現在、欧米で多くのコアファンを持つIPである。マーベルシネマティックユニバースや、スター・ウォーズユニバース、魔法ワールド(「ハリーポッター」及び「ファンタスティックビースト」シリーズ)などはこの手法を取り入れて展開が進んでおり、現在隆盛を極めるOTTサービス(Netflix、Amazonプライムビデオ、Disney+ (ディズニープラス)における戦略的コンテンツとなりつつある。ではこのようなIP展開は如何に発展してきたのか? 

 このような疑問を抱く中、筆者にとって転機が訪れた。記事を自身のSNSにて紹介したところ、ハリウッドにおいて、長年TMSのエヴァンゲリスとして活躍してきた、Starlight Runner Entertainment CEOのジェフ・ゴメス氏(Jeff Gomez)からコメントをいただいたのだ。そこで、同氏にアプローチし、ついに、ゴメス氏自らから如何にTMSをハリウッドへと展開していったかについて伺うことに成功した!そこで本稿はこれから3回にわたり、ジェフ・ゴメス氏の生い立ちから、テーブルトークRPG界においてゲームマスターとそして名を馳せた経緯とそこから発展したキャリア、さらにこれらで得たノウハウを如何にハリウッドへ進出していったかまで時系列で追っていきたい。

複雑なメディア体験がゴメス氏独自な発想にむすびつく

 ゴメス氏がトランスメディア・ストーリーテリングといったIP展開を推進するのに密接に関係してきたのが同氏の幼年期からのメディア体験だ。ゴメス氏はニューヨークで生まれ育ち、幼年期を体験したが、強く印象を与えたのが当時、アメリカで放映されていた『ジャングル大帝』だったという。

「1960年代~70年代、アメリカのカートゥーンはテレビ向けに安価につくられていたんだ。だから質も悪かった。あとボクはわりとまじめな性格だったので、ギャグとかバカバカしい内容が好きじゃなかった。そんな中で4歳ごろ体験した『ジャングル大帝』や『海底少年マリン』はアニメの質も物語も素晴らしかったんだよ!あと、『鉄人28号』や『エイトマン』、『マッハGoGoGo 』もね。当時、アメリカにおける地方のテレビ局は安価に番組を用意する必要があり、こういった日本のアニメがたくさん放送されていたんだ。」とゴメス氏。 さらに同氏は、これらの作品が欧米製のカートゥーンと際立って違っていた特徴として

1.ドラマの存在
2.想像力の豊かさ
3.連続劇であること

を指摘した。ゴメス氏の印象では、アニメは当時のカートゥーンと比較してシリアスで、サスペンスやドラマ的展開に満ちており、状況によっては主要キャラクターの生死にかかわりうる事件が起きるものであると同時に、連続劇であることから、一度行った事柄を登場人物は覚えておりそれをもとにさらに成長するストーリーが描かれる程、ストーリーが良く練られていると実感していたとのこと。

 また、多くのキャラクターが好んで暴力を用いていなかったという点にも驚かされたという。

「暴力は用いたくないのに暴力を使わなければならない状況に追い込まれるのさ」とゴメス氏。

「(『ジャングル大帝』の)キンバは肉食動物と草食動物が友達になってもらいたいと願っていたのだ。だからいまだに自分の記憶に強烈に残っているよ」とゴメス氏は当時を述懐する。

プエルトリコで遭遇した日本製特撮の衝撃

 さらに、ゴメス氏のメディア体験をよりユニークにしたものが幼少期から小中学生の時代といった短期間でプエルトリコ、そしてハワイに移り住んだ経験だ。家族関係の状況がその主な理由だが、結果的に、ゴメス氏の日本製メディア体験はさらに多様なものとなる。

 1970年~1974年の間、6月~8月までの夏季期間は父親の故郷であるプエルトリコ滞在時することになった。その期間中、体験したのが『ウルトラマン(初代)』や『マグマ天使』などだ。最初、テレビスクリーンで「ゴジラ」のような番組が放送されていたのが気になって視聴するようになったという。プエルトリコは、アメリカと比較しより多くの日本製コンテンツが放送されていたので見る機会に恵まれたのだ。

わずか1年のハワイ滞在中に洪水の如く受け止めた ジャパニーズメディアミックス

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▲幼年期のゴメス氏と母親及び妹



 その後、1975年、1年間、ハワイに移り住んだ。わずか1年の間だが、ゴメス氏は、現在のキャリアに直結する経験をする。日本から「輸入」されていた大量のメディアミックス的コンテンツを大量に且つ短期間で体験したからだ。「ハワイはすごい場所だった。」とゴメス氏は言う。当時、ハワイは、日本から来た移民出身者が多く、学校も生徒の半分以上がジャパニーズアメリカンで占められていたとのこと。従って、日本のメディア作品が大量にハワイで流通されていたのも不思議ではなかった。

 『人造人間キカイダー』、『仮面ライダー』、『イナズマン』、『レインボーマン』、そしてしばらく後にはアニメ『マジンガーZ』等が次々と放送されていたという。また、『ウルトラセブン』も当時、大ヒットだったのだ。「ここで徐々に日本のポップカルチャーやメディアミックスというものを理解するようになったんだ。如何に一つのコンテンツを特定のメディアから別のメディアへと接続するかについてもね」とゴメス氏は述懐する。

 この中で、最もゴメス氏に影響を与えたのが『人造人間キカイダー』の続編、『キカイダー01』だったという。さらに、その理由に同シリーズのヴィラン「ハカイダー」の存在を挙げた。ハカイダーがとてつもなく邪悪でヒーローが太刀打ち出来ないように見えるほど、過激な暴力表現だと感じたからなのだ。これに対し、「01」は善良であったこと、「アンドロイドとしての葛藤が描かれいた点」、そして前シリーズの「キカイダー」に頼り、共闘してハカイダーと闘ったという点、これら、全ての物語体験において感銘を受けたという。さらに当時、ハワイに「01」ショーがやってきて、キカイダー、01に加え仮面ライダーV3が登場しての一大クロスオーバー型ライブショーが繰り広げられたのだ。これにくわえ、同時期に『飛び出す人造人間キカイダー』も封切られた。これら、「キカイダー」シリーズの様々なコンテンツが同時平行で展開されたのだ。

 当時、ハワイでは、「キカイダー」が大人気で、壁にはキカイダーの落書きが描かれ、学校でも大はやりだったという。さらにゴメス氏魅了したのがキカイダー玩具の存在。「当時は本当に素晴らしい日々だった」と、幼少期に最も影響を受けたメディア体験を改めて語った。

 だがこの夢のような1年間はあっという間に過ぎ、ニューヨークに戻ったが、ハワイで体験したようなメディアミックス体験は得られなかったとゴメス氏。「もっとも近かったのは「Scooby's All-Star Laff-A Lympics」で、同作ではHanna-Barbera社プロデュースの複数作品からキャラクターがクロスオーバーしていたけど、出来がいいわけではなかった」とゴメス氏。

 これらの経験は、日本のメディアミックスとは程遠かったという。日本のメディアミックス体験の場合、ストーリー自体はメディアごとに矛盾はあったものの、登場人物の設定はしっかりと整合性がとれていたという印象を持っているいう。「それに比べて当時のアメリカのライセンス商品はひどかったよ。そこで、なぜハリウッドやアメリカのエンターテインメント業界が日本のようなメディアミックスが出来ないのか疑問に感じ、ニューヨークにもどってからは、ファンコンベンションなどに行って、日本の漫画ビジネスについて独自に研究をしたんだ。」とゴメス氏は述べ「マンガ家にすらなりたいと思ったこともあるよ!」と続けた。

 これは、ハリウッドを中心としたビジネスエコシステムとも関係があったとゴメス氏は分析する。このような状況は「Primacy of Feature Film(劇場用映画至上主義)」と呼ばれ、ハリウッドのプロデューサーにとって、映画以外のビジネスは眼中になかったのだ。たとえ、小説や、コミックがリリースされたとしても、オリジナルIPに悪影響が無い限り、ライセンス費用さえ回収出来ればそこまでこだわらないという姿勢が普通だったのだ。ただこのような状況に1ファンとしてゴメス氏は不満をつのらせていたという。

日本的メディアミックス体験が、ゴメス氏を名物ダンジョンマスターへと変貌させる

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▲TRPG専門誌「Gateways Magazine」
1980年代のTRPGブームにのって販売された
ゴメス氏が発行したTRPG専門誌『The ateways』


 このような中でゴメス氏が関心を寄せたのがテーブルトップロールプレイングゲーム(以下、TRPG)、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』だった。ゴメス氏は1979年ごろからプレイをはじめたが、ダンジョンマスターとしてのゴメス氏が口コミで評判となり84年から85年までには地元で人気のダンジョンマスターになったという。「プレイしているときは1セッションに20名~25名位が参加し、中には、僕のダンジョンマスターとしてのやりかを見学するためだけに来たひともいたほどだよ」と嬉しいそうに語った。

 「実はここで、ハワイでのメディアミックス体験が活きたんだ」とゴメス氏。「物語の継続性や壮大な世界観、哀愁や失望に対する落胆といったものを取り込んだことが他のダンジョンマスターでは経験できない何かをプレイヤーに提供することが出来たんだよ。アニメで経験したドラマ体験を取り入れたんだ。」(ゴメス氏)

 当時、アメリカにいるほとんどのTRPGプレイヤーやアニメ体験がなかった。従って、アニメ作品が提供するような感情の起伏や、パーソナルなストーリーテリングは多くのプレイヤーを魅了したという。

 結果的に大学生時代、TRPGに関する同人誌を作り出すのも自然な流れだった。1986年の発行間もない時期はニューヨーク周辺のコミックショップで販売する程度だったが、母親が勤務していた法律事務所の知人が記事の質は高いのだから、雑誌として体裁をよくして販売してはとの提案を得たことから、本格的には販売していくことにしたのだ。このようにして誕生したのが、Gateway Magazinesである。

 1987年~1989年までの間、米国大手書店などにも配架される本格的な雑誌にと成長した。同雑誌はTRPGに関する記事に加え関連したアニメやコミック、映画などについての論考も掲載した。たとえば、アニメ『超時空要塞マクロス』と同作を中心とした欧米翻案版である『Robo-Tech』のTRPG版との比較検証に関する論考といった記事である。

 このようなひとつシリーズに対しメディアの垣根を超えた論考を加えていったことが、欧米で、ジェフゴメス氏がトランスメディア・ストーリーテリングの第一人者となるうえでのとなる下地を生み出していく。

※インタビュー実施日 2020年10月30日