中村彰憲のゲーム産業研究ノート グローバル編

立命館大学映像学部 中村彰憲教授による、その見識と取材などを元に、海外ゲーム情報を中心としたブログ連載!

  1. ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com>
  2. 企画・連載>
  3. 中村彰憲のゲーム産業研究ノート グローバル編>
  4. 【ブログ】akinakiのNow Playing:『ELDEN RING』に見る 何度倒されてもなおも続けたいと思わせるゲームデザイン

【ブログ】akinakiのNow Playing:『ELDEN RING』に見る 何度倒されてもなおも続けたいと思わせるゲームデザイン

2022-06-17 13:00:00

完全新規IPでありながら全世界で1340万本を突破した『ELDEN RING』に見る何度倒されてもなおも続けたいと思わせるゲームデザイン

 ようやく……クリアした。1980年代に生まれた数多くのゲーム体験で、そこそこ理不尽なゲームデザインには耐性があると思い込んでいた。だが、その期待値すら飛び越えてきたのが『ELDEN RING(以下、『エルデンリング』)』だ。

 もちろん、フロム・ソフトウェアのゲーム(以下、フロム、ゲームを指す場合はフロムゲー)が初見というわけではない。もともと筆者は「指輪物語」シリーズなどをはじめ、ファンタジージャンルが大好物であり、上映当時は決して人気だったと言えなかった『ウィロー』(1988年)がDisney+でテレビシリーズとして今秋リリースされるとの報には歓喜した側だし、ジブリの前身とも言える『風の谷のナウシカ』を制作したトップクラフトの『LAST UNICORN』もアニメ作品の傑作のひとつだと感じている。

 なので、フロムが『デモンズソウル』(以下、『デモンズ』)をリリースした際は、かなり難しいとの報を受けつつも、すぐに購入した。また『Bloodborne(ブラッドボーン)』や『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE | 隻狼』もリリース時に購入している。もちろんプレイもしている、だが、あまりステージを進めることなく「投げ出して」しまっていた、むしろ進めることが不可能だった。世界観に魅力を感じはするものの40代~50代となってくるとアクションゲームには体が追いつかないものなのだなと改めて実感させられた。「ダークソウルシリーズ」に手を出せなかったのは『デモンズ』体験を前に尻込みしてしまったからだ。

 今回はそういう訳にはいかなかった。それは、自身もファンである「ゲーム・オブ・スローンズ」シリーズの原作ファンタジー小説シリーズ「氷と炎の歌」を生み出したジョージ・R・R・マーティンが「神話」や「世界観構築」に携わっていることを事前に耳にしていたからだ。そのようなこともあり、筆者は多くのPlayStation 5(以下、PS5)オーナーにとってはおなじみとなったクロカードを事前に入手し(もちろん抽選販売も5~6回程トライしたが全部落選していた)、『エルデンリング』の発売週にPS5とともに購入したのだ。トレイラーなどで表現されていた広大なフィールドは最新ハードでないと満喫できないのではとの思いからだ。


 そこから、本稿を執筆するまで、連日の寝落ち、そして、ルーン稼ぎのための放置プレイによるチクチクとしたレベル上げの日々が始まった……。そしてようやくメインプロットにおける最終ボス『エルデの獣』を撃破したのが5月25日。それまでに費やした時間は767時間(前述の寝落ちや放置ゲー時間をあわせてだが)、237レベルに到達、ステイタスの振り直し(自分の能力値を任意に入れ替える、以下、ステ振り)3回を経ていた。つまり、アクションゲームが苦手な一般社会人がプレイしてもしっかりと最後まで到達できることを示したことになる。

 ただ、メインストーリー攻略を優先するために一端、マレニア攻略を断念せざるを得なかった……まさに伝説級の強さ。初期トレイラー時から登場しているこのキャラクターを敢えてメインストーリーからはずしたのはフロムの一般ユーザー(とりわけ筆者のような本作からの「新規参入者」)への情けだったのかもしれない。

蘇る世界に生きる褪せ人たちとして強敵撃破の突破口を死んで見いだす

 骨太で難易度の高さに定評があるフロムゲーだが『エルデンリング』も例外ではない。多くのフロムゲーファンにとっては『エルデンリング』は他のタイトルと比較してかなり「ライトユーザー」にもやさしいとの評価だが(実際、筆者ですらマレニアまで倒すことが出来たのだからそれは間違い無いだろう)、それでも昨今のゲームでは比にならない程の難しさだ。アーケードゲーム時代の「ゲームオーバーとなった瞬間」理由が分かるという「死にゲー」とは違い、死んだ瞬間は敵のあまりの強さに理不尽さを感じることだろう。

 しかし、数回プレイすることで突破口が「なぜか」見えるようになり、最後はクリアが出来るようになっていくというのが『エルデンリング』における「死んで覚える」の真意のようだ。この、ヒントが徐々に見えてくるゲームデザインはまさに「匠の技」と言える。RPGはもちろん、FPS/TPSや、格闘ゲームなどとは違った絶妙な難易度バランスがフロムゲーの伝統として蓄積されており、このバランスのメカニズム自体、ゲームにおける難易度バランスに関する理解を深めるための研究価値があるように感じられる。

 さらに重要なのは「死んでも蘇り、その工程を繰り返す」というのが世界観に内包されている点だろう。例えば、「何度も蘇る」ことが出来る特性は、褪せ人という存在における「死」や「不死」と密接に関係している設定となっている。

 こればかりではない。本作は各ボスキャラクターの特性が際立っており、弱点をつくには、ステ振りをしないと攻略が難しい(とりわけ初心者にとって)。この、ステ振りについても「変態生物の核で生物と物質の中間にある存在」とされる「雫の幼生」を満月の女王レナラに渡すことで「産まれ直し」が可能になるという設定となっており、これすら物語世界の一部となっている。つまり、初心者プレイヤーにとってゲームメカニクス的に必要であるものの、それをおこなうと現実世界へと引き戻されてしまうようなメカニクスも丁寧に物語要素へ組み込むことで、プレイヤーとしてこれらの行為をしても、物語に破綻を感じることなく自らの物語を紡いでいくことが出来るのだ。これはアクション好きでないひとでもプレイするRPGにとっては非常に重要な役割を果たしている。これについては、マルチプレイにおけるPvPや、COOPプレイによるボス戦でも同様のデザインがおこなわれている。メニュー画面のインベントリの各アイテムに表示されるフレーバーテキストから解釈出来るようになっているのだ。

環境ストーリーテリングは没入感をもたらす

 このフレーバーテキストが狭間の地における宗教(政治)、経済(ルーン)、技術、社会からキャラクター同志の関係性を解釈するうえで重要や役割を果たしており、このような「テキスト」に加え「ゲームプレイ」、「短編動画」、ならびに「イメージ画像」を紡ぐことで宇宙の創生から精神界までがまるでエコシステムのように一体となった壮大なドラマを見出していくことも本作の醍醐味となっている。これは宮崎監督の提唱する「環境ストーリーテリング」が際立って効果を発揮していると言えよう。

 多くのRPGよろしく褪せ人として狭間の地に降り立ったプレイヤーキャラクターは自分の存在自体なにをするべきか分からない状態で出現するという設定になっているが、敵キャラクターやNPCと接していくことで徐々にこの世界を「解釈」していくというデザインになっている。最初に降り立つ地であるリムグレイブや黄金樹だけをみても壮観だが、最初の関門であるストームヴィル城で挫折し、裏道からたどりついたリエーニエの幽玄さや美しさにしばし見入ってしまうという具合に常に新たなフィールドに足を踏み入れるときにはそのフィールド独自の感動体験が待っている。

 また、リムグレイブ内でひっそりと佇む竜に焼かれた廃墟で罠にかかり、腐敗に侵食された赤黒い大地で犬の魔物と半狂乱になって戦うケイリッド軍を「目撃」(その後、はかなくとも「You Died」を見ることになるが)することで体感した禍々しさにラダーンとマレニアとの最終決戦が如何に熾烈だったかを感じることが出来る。これらはまさに「環境が物語る」瞬間を垣間見たと言えよう。

中盤ではルーンかせぎの絶好の場所になるも、いつも失敗と隣あわせ。油断できないのが『エルデンリング』だ。



 一見、ここまで重厚な物語体験が紡がれるのであれば、攻略情報や実況動画はゲームにとってデメリットになりそうなのだが、実はそうではない。実際、ファミ通本誌の特集記事や攻略本のようないわゆる「公式」情報は初期段階では使い倒すのは当たり前だが、筆者のような弱小プレイヤーはそれでもどうして先に進めなくなってしまう。そのような際に重宝したのが、解説動画やウェブサイトに掲載される数々の攻略情報だった。むしろとりわけ、アクションゲームが苦手なプレイヤーや、筆者のようなフロムゲー初心者にとってはこういったCGM(消費者生成メディア)はゲームを続けるうえで不可欠だったと言っていい。というのも敵の弱点パターンが見えるようになっても、ボタン操作のスキル不足で撃退にまで至らないプレイヤーも多いが、実際には「戦技(戦灰)」、「祈祷」、「魔法」、「遺灰」(プレイヤーが使役出来る兵やクリーチャーの霊体)、「タリスマン」などを戦略的に組み合わせて使用することで遠距離から攻撃したり、アクションゲームに対するスキルが無くとも致命を与えたりすることが可能だ。

 そのような意味で、本作はおそらく現行機のシェア機能が最大限活かされたゲームであったと言い切ることが出来る。実際、2022年の1月~3月におけるゲームプレイ動画の視聴者数で『エルデンリング』は2億2600万回の視聴数で6位にランクインした(※)。並みいるeスポーツゲームタイトルの中でランクインされたのは多くの人がおそらくゲーム攻略を目的に視聴していたからだろう。実際、筆者もその1人だ。

中盤から終盤で愛用した屍山血河獲得シーン、戦技に「猟犬のステップ」をつけているにも関わらず、ローリングを多用するなど、アクションゲーム的センスの無さが垣間見える。結局、刀剣を使わず、忌み王の追憶から入手した「王家の忌み水子」で決着



 攻略本を片手に持って(いやiPad片手にというべきか)プレイしても、最初に遭遇するボスの忌み鬼、マルギットで幾度となく撃退され、すんでのところで積みゲーにするところだったが、攻略情報として「ストームヴィル城よりも先にモーンの城」を目指したほうが楽、その旅路で比較的簡単(筆者にとってはまったく簡単とは言い難かったが!)に入手できる猟犬の長牙が初心者にとっては使いやすいとの情報を得てこちらも完備。モーンの城で獅子の混種を撃退してからは、攻略サイトや攻略情報の動画を参照しつつ、次のステージを目指すというプレイスタイルに完全に切り替えていった。というのもストーリーの行方やキャラクターデザインそのものを事前に知ることが本作に関してはネタバレにならないことに気づいたからだ。これも環境ストーリーテリングが有効に機能したところだろう。つまり、これらは物語そのものを直接的に語るというよりは、プレイヤーが「ストーリーを解釈し自ら語る」ことを手助けする要素でしかないからだ。つまり、「物語」はプレイヤーが環境やゲームプレイそのものを解釈することではじめて進行する。粉砕戦争での決着が哀愁に満ちているものというのは実際にケイリッドの赤獅子城に足を踏み入れないと分からないのが良い例だろう。

 また、後半戦で愛用していた「冒涜の聖剣」や「遺跡の大剣」などは実際に使ってみるまでその凄まじさは実感出来ない。つまり、本作にとっては映像や、文字情報ではなく「プレイフィール」が本質的なネタばれということも出来る。「遺跡の大剣」を使用するためには、その前の筋力のステイタスが全く足りず、そのためにルーン稼ぎによるレベル上げを進めたが実際に使ってみた際の「プレイフィール」でそれまでの労力がまさに「報われた」と筆者は実感した。

ゲームクリア後にようやく入手したラスボスの追憶「神の遺剣」をつかって、モーグウィン王朝のルーン狩場でプレイしたときそのプレイフィールの違いに改めて驚かされた



 画像だけではネタバレにならないのは登場キャラクターも同様だ。実際、ステージの切り替え時に表示される画像の多くがボスとの闘いが行われるステージや、ボスそのものが描かれている。だが、武具同様にボスキャラクター自体、実際に対峙して得られるプレイフィールがこれらの存在の本質なのだ。本誌で宮崎ディレクターが言及している「しっかりとした圧力と殺意」を具現化しているモーションや形態変化の特徴がボスごとに明確に違っており、これらはプレイしない限り実感することが出来ない(また説明も難しい)。ゴドリックの執念、ライカードの強欲、レナラの母性、ゴッドフレイの孤高、マレニアの哀愁やラダゴンの禍々しさと気高さの二面性など、デミゴッドやゴッド級キャラクターのカリスマ性(特にラダーン!)やその真価は実際に対峙して初めて感じることが出来る。このようなゴッド級ボスとの新たな「邂逅」を求める思いが、ネタバレを意識することなくあらゆる映像資料、ウェブサービス、そしてファミ通による公式攻略本などをつぶさに調べ上げようという動機へとつながったのだ。

 つまり、アクションゲームのキャラクターや武器は動いてその真価を示すという当たり前の事実を改めて実感したことになる。なので、むしろ、攻略情報を参照してゲームステージを進めてもネタバレでモチベーションが下がることは全くなかったのだ。

 このように、完全に『エルデンリング』にハマってしまった筆者。現在2周目にはいっている最中だ。だが、ファンにとってはこの程度の経験はフロムゲー沼のまだほとりに立った程度なのだろう。次は一旦、放置してしまった『Bloodborne(ブラッドボーン)』を進め、環境ストーリーテリングの可能性をさらに考察していきたい。



(※)Stream Hatchet VIDEO GAME LIVE STREAMING TRENDS Q1 2022 REPORTによる