中村彰憲のゲーム産業研究ノート グローバル編

立命館大学映像学部 中村彰憲教授による、その見識と取材などを元に、海外ゲーム情報を中心としたブログ連載!

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【ブログ】『スター・ウォーズ』をテーマにした最初のアーケードゲームはこうして生まれた!

2015-12-15 20:30:00

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『スター・ウォーズ フォースの覚醒』の上映も間近。ということで、ストロング・ミュージアム所蔵のATARI版アーケードゲーム『スター・ウォーズ』に関する関連資料から開発秘話を公開!

基礎研究からはじまったアーケードゲーム版『スター・ウォーズ』

 アメリカ、ニューヨーク州ロチェスターにあるストロング・ミュージアム・オブ・プレイには、ゲーム業界黎明期から現在までに活躍した様々なアーケードゲームやコンソール機、携帯ゲーム機などが所蔵されている。だがこのミュージアムの強みは、資料館に所蔵されている企業または企業の元役員や創業者などによって寄贈された、様々な資料だ。もちろん、任天堂の前に栄えていたATARIの資料も、数多く所蔵されている。

 そこで今回は、『スター・ウォーズ フォースの覚醒』公開を記念し、ATARIがアーケード向けに開発した『スター・ウォーズ』の逸話について紹介したい。

 ATARIのアーケード版『スター・ウォーズ』が全米のアーケードでリリースされたのは1983年5月ごろだが、実際に開発が始まったのは1979年12月から。名作『バトルゾーン』の基礎技術となったVector Graphics で3D描画を実行するのに必要な計算をおこなうMath Boxを基幹技術に、スペースコンバットを再現するというもの。ゲーム内容の項目には「First Person Space War」と記述されていた。ただプレイヤーが操る予定だったのは戦闘機などではなくタンク。もともとロボットが操縦する戦闘機と対戦する予定だった。プロジェクトが正式にスタートした1980年5月1日には、『Warp Speed』という正式名称に。『スター・トレック』でよく使われる用語が採用されたのは皮肉か? 家庭用ゲーム機向けには『レイダース』や『E.T.』のゲーム版がATARIからリリースされていたが、アーケードゲームとしてライセンスモノを扱うのはATARIとしてはこれが初。

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元々は『バトルゾーン』の開発者がリーダー、しかし開発は難航を極めた

 『Warp Speed』としてスタートしたプロジェクトは当初はなんと『バトルゾーン』のメインデザイナーEd Rotbergをプロジェクト・リーダーとしてスタート。しかし米国軍訓練用のために開発された特殊仕様の『バトルゾーン』開発のため1981年1月23日ごろからこの研究開発にあまり携われなくなりフェードアウト。その後プロジェクトはリーダー無しでしばらく進められるが、12月末にMike Kellyがプロジェクトリーダーとして参加してから1982年1月11日に再起動。つまり基礎研究的な開発が2年も続いたことになる。

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『スター・ウォーズ』のライセンスを使用することによって一気に進んだゲーム開発

 ゲームが正式に『スター・ウォーズ』となったのは1982年の7月あたりから。『スター・ウォーズ ジェダイの帰還』の上映が翌年に控えていたこともあり、チームは一気にハイテンションに。

 Lucas Filmからの承認を得るためにわざわざゲームプレイのストーリーボードまで作ってプレゼンテーションに備えた。開発は一気に進めつつ、劇中のセリフを挿入したり、Vector Graphicによる3D描画は当時としては最先端をいっていた。結果は大成功。『スター・ウォーズ』は、アーケードゲームのクラシックとしていまだに語り継がれている。気になる続編だが、『帝国の逆襲』、『ジェダイの帰還』それぞれ開発されたが、『スター・ウォーズ』の人気に迫ることはなかった。

 だがコンセプトとしては、アーケード版『スター・ウォーズ』に迫りうるゲームが構想された。その名も『Speeder Bike』。そう、ATARIの開発者は『スター・ウォーズ ジェダイの帰還』の中でも、とりわけ人気のあった『スピーダーバイク』のシーンをアーケードゲーム化しようと構想を練っていたのだ。

 しかも実際の映画のシーンを使うVideo Diskという技術を駆使した(レーザーディスクでゲームシーンに取り入れる技術。セガの『アストロン・ベルト』などが用いている)、フルカラーのファースト・パーソンビューのゲームといったもの。このためのコンセプトアートも考案されたが、まさにスピーダーバイクを模した操縦席に飛び乗りプレイするといったもの。

 もしこれが実際にリリースされていたとしたら、もうひとつの伝説になっていたかもしれない……。