『死印』前日譚小説“花彦くん誕生編” 第4話 這い寄る気配

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“花彦くん誕生編” 第4話 這い寄る気配

 時刻は深夜の零時を迎えたというのに、小学校の会議室で行われている教職員の定例会議は、一向に終わる気配が見えなかった。ある議題がまとまらず、会議室の中では今も教師たちの言葉が飛び交っている。
 その会議に出席していた坂井は、落としどころのない会話を聞きながら、どうしたものかと頭を悩ませていた。
 その議題とは――今後の夜間宿直を、教師たちにどう割り振るかというものであった。すでに四人もの教師が宿直中に怪我をしており、足を複雑骨折するという重症者も出ている。さらに少年の幽霊が出るという話が教職員中に広まっていることもあって、宿直を進んでやりたがる者などいるはずもなかった。また、二人一組で夜間宿直を行うという案も出ていたが、教職員の人数の問題で現実的とは言い難い。会議はすでに数時間以上も平行線をたどり、、一向に教職員たちの意見はまとまらなかった。
 「――一旦休憩にしよう。今の状況で建設的な議論ができるとは思えん。十分後に再開、いいな?」
 このままでは埒があかない。そう考えた坂井は、乱暴に議論を断ち切った。長丁場で疲れたこともあるが、同じ場所に留まり続けていることが気持ち悪かった。ソワソワとして、何やら気持ちが落ち着かない。
 坂井が会議室を出ると、静寂と冷気、そして薄闇に包まれた廊下が出迎えた。いくつかの蛍光灯の明かりは灯っていたが、それは非常灯程度の明かりにすぎない。何より、パッ、パッと明滅を繰り返す様は不気味で、彼の心にぼんやりとした不安を芽生えさせた。
 「まったく無駄な議論だ。原因も究明できていない問題に防ぐ手段などあるものか……!」
 坂井は感情的に言葉を吐き捨てた。口調が乱暴になったのは不安を消し去るためか、それとも……。
 どうしたんだ、私は。何に焦っている?
 自分の中で渦巻く感情がうまく理解できず、坂井は目に見えて苛々していた。動悸が早くなり、息苦しさで心臓が痛みを伴っている。ダメだ、気分を落ち着けよう……そうすれば、きっと治まるはずだ……。
 強引にそう考えた坂井は、一服するために校舎の中央にある中庭へと向かっていく。自然と速足になっていたが、気にする余裕などはなかった。しかしある教室の前に差しかかったとき、彼の脳裏にあのウワサがよぎった。小学生くらいの女の子みたいな姿の男の子のことが。その教室は、生前にあの少年がいたクラスだった。
 馬鹿馬鹿しい、あり得るわけがないだろう。幽霊なんて非科学的だ。迷信のようなもので、言ってみればただのオカルトじゃないか!
 坂井はそう思ったものの、今こそがウワサの幽霊が出没する時刻でもあることに気が付いている。そしてもし……もし幽霊があの少年だというなら……その場合に狙われるのは、きっと……。
 信じているわけじゃない。それでも、自分の中にある本能のようなものが警戒を募らせていた。根拠のない不安だと一蹴したいのに、彼にはそれができなかった。
 中庭に着いたころには、坂井は肩で息をしていた。手の平は汗で湿っていて、夜気に冷えた空気に触れたせいか、異様に冷たかった。寒いわけでもないのに、体の芯が凍えてしまったようで、背中から怖気が這い上がってきた。
 「なんだっていうんだ、くそ!」
 坂井は思わず、地面に向けて苛立ちをぶつけた。すると、目の前から驚くような声が聞こえてきた。慌てて顔をあげて正面を見ると、そこには一人の教師がいた。それは会議に出席していた教師の一人で、外の空気を吸って一息ついている様子だった。しまった、見られた……。坂井はすぐに愛想笑いを浮かべたが、教師は軽く会釈すると逃げるように中庭を後にした。
 それだけで、苛立ちは限界となった。見えない幽霊に感じている不安、肌で理解している言い知れない恐怖……それらが感情を爆発させた。
 くそったれ! 死んでまで私に干渉してくるな!
 八つ当たり以外の何物でもないが、坂井は理不尽な激情に身を焦がされていた。やがて彼は、自分を落ち着けようとして、とある少女のことを考えた。それは少年の次に見繕った人形で、彼は今すぐにでもその少女に怒りをぶつけたい衝動に駆られた。しかし、唐突に坂井の背中を悪寒が走り抜けた。それは何かの視線には違いない。それも、粘着質な瞳で凝視されているような気配だ。
 ……誰か、いる? いや、今は私しかいないはずだ。……しかし、まさか……。
 恐怖と緊張のせいで、坂井は金縛りにあったように硬直した。ごくりと唾を飲み込む音が、やけに耳元で反響する。いつの間にか額にたまっていた汗が、ツー、と頬を伝っていく。坂井は呼吸を整えてから、意を決して後ろを振り返った。だが、そこには誰の姿も見つけられなかった。
 何を怯えてるんだ……。過敏になりすぎだ。落ち着け。
 早鐘のように鳴る心臓の動悸を抑えようと、坂井は必死に冷静さを保とうとした。一人でいるから余計なことを考えるのだ。もういい、会議室に戻ろう。そう決めて校舎の中に戻ろうとした、そのとき――。

 「――や、やめろ……やめてくれ!」

 戻ろうとした校舎内から悲鳴が聞こえてきた。それは恐怖に引きつったような叫び声で、坂井の背筋が一瞬にして凍りついた。だがそれもすぐにやみ、後には不気味な静寂だけが残った。
 この先に行くのはダメだ。会議なんてどうでもいい……逃げろ、逃げろ……!
 本能が警鐘を鳴らして訴えかけてくるが、坂井の足は自然と校舎内へと向かっていた。それは得体の知れない引力のような力で、立ち止まることなどできなかった。
 坂井は確かな足取りで廊下を進んでいった。その途中で蛍光灯の明かりが唐突に消え、視界が一気に暗闇に支配された。カタカタと風で揺れる窓ガラスの音、リノリウム製の床を歩く際に響く足音……そのすべてが、坂井の心に恐怖となって襲いかかる。どこまで進もうとも、誰もいない空間はとにかく不気味で、自分しか存在しないという孤独感が坂井の全身を包み込んでいった。
 やがて坂井が、昇降口側にある階段――その踊り場付近に足を踏み入れたときだった。
 ピチャ……。
 足元から奇妙な音がする。ぬるぬると滑るような感覚があり、坂井は水だと判断した。しかし、水だとしたら説明できない『生臭い匂い』が鼻をつく。なんだ、この臭さは……? 下水……まさか、水漏れ? いや、中庭に向かうときにはなかったはずだ。なら、一体……?
 やがて、窓から差し込んだ月明かりが、かすかに踊り場を照らした。そして坂井が目にしたものは――大量の血だまりであった。
 「な……!」
 声にならない悲鳴をあげて、坂井はその場から慌てて後ずさりした。血は階段から滴るように流れていて、ポタ……ポタ……と、床に落ちるたび静かに音を木霊させていた。正確な血の量はわからない。だがこれは、まるで人間の……。

 「――僕ってきれい?」

 そのとき、階段の上から無機質な声が響きわたった。それは坂井の心臓を縮み上がらせ、血の気を失くさせるのに十分な声音であった。階段の上からは、冷気をまとった異様な雰囲気が伝わってくる。見てはいけないと思うのに、坂井は操られるように顔を上げてしまった。
 顔を上げた坂井の真正面に見えたのは、階段の踊り場に設置された姿見鏡。そして鏡の中に映ったのは――赤いランドセルを背負い、スカートを履いた少年だった。
 坂井は、その少年を覚えていた。目の前にいるあれは、間違いなく自分の手で樹海に埋めた少年だった。
 「わた、私を……殺しに……? ふ、ふざけるな……ふざけるなよ、お前……!」
 人のものに思える血だまり、鏡の中の不気味な少年――錯乱状態に陥った坂井は、全体重を乗せて乱暴に鏡を殴りつけた。パリンという甲高い音とともに鏡が砕け散る。それと同時に、割れた鏡の破片が手に突き刺さり、激しく血が流れ始めた。だが、そんな傷はどうでもよかった。殺される前に逃げなければ!

 「――僕ってきれい?」

 しかし、飛び散った大きな鏡の破片から、またあの声が聞こえてきた。何度も何度も、一本調子の質問が淡々と繰り返されていく。
 「僕って――」
 「ああ、きれいだよ! また殺したいくらいにな!」
 終わりのない質問が恐ろしくなり、坂井は吐き捨てるように言葉をぶつけた。そうすれば消えると思っての返答だったが、それは逆効果だった。少年の姿が鏡の中で徐々に巨大化していったかと思うと――いきなり目の前に実体化していったのだ。
 気配もなく現れた少年の姿に、坂井は腰を抜かした。立ち上がろうとしてもうまく力が伝わらず、無様に倒れるだけだ。
 そんな坂井に向けて、感情のない表情を浮かべた少年が、そっと告げた。
 「――じゃあ、約束の赤いのちょうだい?」

“花彦くん誕生編” 第5話に続く(3月12日更新)

★バックナンバー★

“花彦くん遭遇編”【1】
第1話 底なしの最悪
第2話 ナニカの気配
第3話 ニアミス
第4話 赤いのちょうだい?
第5話 赤い真実

“花彦くん遭遇編”【2】
第1話 わすれもの
第2話 暗闇に浮かぶ瞳
第3話 明滅
第4話 なくしもの
第5話 赤い幕引き

“花彦くん誕生編”
第1話 鳥籠
第2話 オワリ、そして……
第3話 赤いハジマリ
第5話 制裁