『死印』前日譚小説“花彦くん遭遇編”【1】 第2話 ナニカの気配

エクスペリエンスが贈る新機軸のホラー『死印(しいん)』。同作の前日譚小説をお届けする。

エクスペリエンスから2017年6日1日発売予定のプレイステーション Vita用ソフト『死印(しいん)』。新機軸のホラーの前日譚を描く小説を、ファミ通ドットコム限定でお届けする(全15回・毎日掲載)。


“花彦くん遭遇編”【1】 第2話 ナニカの気配

 心臓が早鐘のように鼓動していた。それに合わせて呼吸も荒くなっている。喉の奥から出る、ひゅーひゅーという音が止まらず、僕はそれを必死に抑え込もうとした。
 まさに息も絶え絶えといった状態だったが、僕は校舎内への侵入に成功していた。今は水を打ったような静けさのなか、壁を背にして、一階の廊下のすみに立っている。
 まさか島田がいるとは思わなかった。しかも追ってくるなんて……。
 僕は息を整えながら、廊下の後ろ――自分がやって来た方向を凝視した。薄闇で奥までは見えなかったが、島田が近づいて来る気配は感じ取れない。
「よかった、振り切れた……」
 そう安堵した僕は、リノリウム製の冷たい床に腰を下ろした。
 座った拍子で床に手が触れたが、その床はあまりに冷たくて、僕は反射的に手を放した。突如、体中に悪寒が走り、ひどく全身が震えだす。
 ようやく僕は、自分がどこにいるのかを思いだした。予想外の展開で中に入れたけど、そうだ、ここはもう……。

 外から見上げただけで恐怖に呑み込まれそうになった学校……その校舎の中に足を踏み入れてしまったという現実に、体中の血の気が一斉に引いていくような気がした。
 ここまで来たら、目的を達成するまで戻れない。僕は手の平を合わせて何度かこすった。冷たさが少し和らぐ。僕は手の中に生まれた暖かさにすがり、まだ震えの残る体をむりやり起き上がらせた。
「怖くない……怖くない……」
 一歩、また一歩と歩きながら、僕はかすれた声でささやき続けた。自分に言い聞かす意味もあったが、それ以上に自分の声には不思議と安心感があった。
 当然のことながら、校舎内のいたるところはまったくの暗闇だった。窓から射し込む月明かりもなく、まるで死の気配が充満しているようだ。闇だけが満ちている――そんな光景が、先へと進もうとする僕の気持ちをためらわせた。
 それに、校舎内に漂う静寂も不気味だった。外とは違って完全な無音がその場を支配しているため、普段は気にも留めない小さな物音すら、驚くほど反響するのだ。歩くたびにかすかな摩擦音をもらす床、少しの振動でガタガタと大袈裟に揺れる窓ガラス――。今の僕にとっては、それらの音は怖さしか生みださない。
 「くそ……。アイツのせいで、どうして僕がこんな目に……」
 僕は悪態をつきながら廊下を進んでいった。そうでもして、むりやりにでも気持ちを高めていないと、恐怖に呑まれてしまいそうになる。
 それでも僕は、先へ先へと歩き続けた。睡眠薬を手に入れるという目的もあるが、僕の本能は、ここに長居することだけはやめるべきだと伝えてきている。できるだけ急いで目的を果たそうと、僕の気はこれ以上ないほど急いていた。
 気がつけば、僕の手は汗でびっしょりになっていた。校舎に入って、たかだか数分歩いただけなのに息切れが激しく、体も鉛のように重い。そしてなぜだか、生きた心地がしなかった。心はかろうじて均衡を保っているが、今にでもぷつんと切れてしまいそうで……。

 ようやく廊下の突きあたりに差しかかり、一息ついた瞬間、僕の耳にかすかな音が飛び込んできた。
 「――うぅ……う……」
 誰かがすすり泣いているような声。それは、廊下の突き当たりの角を曲がった、その先から聞こえてくるようだ。僕はその場で足を止め、息を殺して声のした方向を注視したが、いくら目を凝らしても何も見えなかった。しかし、依然としてすすり泣くような声は聞こえてくる。どうやら、この先に誰かが、もしくは何かがいるのは間違いないようだった。
 なんだよ……何がいるっていうんだよ……?
 僕は廊下の先に向かって、頼むからどこかに消えてくれと懸命に念じた。それでもすすり泣く声は消えず、廊下の壁や床に反響して僕の耳に飛び込んでくる。
 問題は、保健室がこの廊下の先にあるということだった。遠回りすることもできなくはないが、この先を進むのに比べると何倍もの距離になってしまう。
 いよいよ決断しなければならないと、僕は感じていた。ここで逃げたら母さんを助けられないし、アイツを止められないのだ。校舎を前にして新たにした決意は嘘だったのか? ここで尻尾を巻いて逃げる程度だったのか?
 僕は手の平に爪が食い込むほど、きつく拳を握りしめた。そして覚悟を決めると、一度だけ深く息を吸ってから廊下の先に向かって歩みだした。
 足を前に出すたびに、心臓が激しく脈打つ。緊張、恐怖、不安といった負の感情が混ざり……それらの全てが心臓の鼓動に紐づいて、体中を駆け巡っているようだった。
 そして僕は、ついに人影を見つけた。それは、薄闇の廊下の床にうずくまっているようだった。僕は自分の中の勢いを殺さずに、その人影に向かって一気に言葉を浴びせかけた。
「そこにいるんだろ! 僕を怖がらせようとしたって――」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
 狼狽した高い声が、僕の言葉を途切れさせた。意外な反応に、こちらも一瞬呆然としてしまう。
 よく見れば、廊下にうずくまっていたのは一人の女の子だった。彼女は、窓際の壁に背中をもたれながら、怯えた様子で膝を抱え込んでいる。相当に怯えているのか、膝に顔を押し当てて何も見ないように俯いていた。そして、泣きながら「も、もうしない……しないから……」と謝り続けている。
 「あ……お、驚かせてごめんね? 何もしないから、えっと、怖がらないで?」
 泣き続ける姿にうろたえてしまったが、できるだけ怖がらせないように意識して話しかけてみた。さすがに泣かれ続けても困るし、このまま放っておくわけにもいかない。
 何度か話しかけると、女の子はようやく顔を上げた。怯えを滲ませた表情は青ざめていたが、恐怖と必死に戦っているような印象も受けた。そして僕は、その顔に見覚えがあった。
 「……佐智子、ちゃん?」
 そこにいたのは小塚佐智子――同じクラスの女の子だった。あまり会話したことはないが、物静かでいつも本を読んでいた姿を覚えている。
 だけど佐智子は、僕の言葉に無反応だった。呆然とした様子で僕の顔を見上げ、何かを観察するように見つめてきた。混乱しているのか、瞳がわずかに泳いでいる。
 「僕、同じクラスの健だよ。冴島健」
 「……健くんも、私と、同じ……?」
 「僕も?」
 意味がわからず、僕は反射的に聞き返した。ただ、佐智子が絞りだした言葉は必死で、何かを訴えているようだった。
 今のって、どういう意味? 僕と佐智子ちゃんが一緒って?
 考えてみても思い当たることはなかった。そもそも、クラスでもほとんど関わりがない。もし接点があるとしたら夜の学校にいるということで――。
 僕はそこまで考えて、ある可能性に思い至った。
 もしかして……ウワサの幽霊がいる? 遭遇して、だから佐智子ちゃんは怯えて……?

 そこまで考えを巡らせたとき、僕の体を這うような寒気が襲った。記憶の底に眠っていた幽霊の――花彦くんに関するウワサが、一気に思いだされたのだ。
 もし彼女の怯える理由が花彦くんだとしたら、佐智子がとった行動次第では、彼女はすでに幽霊に魅入られてしまったことになる。でも、あれはただのウワサだ。作り話のはずじゃないか。そんなことあるはずが……。
 僕の表情を見て察したのか、佐智子の雰囲気が一気に沈み込んだ。何かを諦め、全てを投げだしたかのような、そんな空気がヒシヒシと伝わって来る。
 その空気があまりにも異様で、僕の背筋は寒くなった。
 ウワサなんかじゃない。本当に実在する? 花彦くんは、今もこの校舎の中で僕らのことを……。
 そう思った瞬間、僕の背筋に寒気が走った。今にも襲ってくるのではないか――そんな不安が生まれ、いてもたってもいられなくなった。アイツに暴力を振るわれていたときですら感じたことのない、黒々とした感覚。それは、すでに校舎内のあちこちに触手を伸ばしていて、きっともう逃げられない……。そんな考えが、僕の中で急速にふくれあがっていき、あと少しで悲鳴となって口からほとばしりそうになる。
 そのときだった。
 ――ひた、ひた、ひた。
 僕の背後から、小さな足音が聞こえてきた。それは徐々に大きく変化していき、一歩ずつ、確実に近づいてくる。
 そんな……本当に、きた……?
 ごくり。自分自身の唾を飲み込む音があたりに響いた。僕は、頬をつたう冷や汗を拭うこともできず、ジッと身を潜めて気配を殺した。先ほどまで泣いていた佐智子でさえ、いきなりやって来た異常な雰囲気に、言葉をなくして血の気を失っている。
 やめろ……くるな……お願いだから、どこかに消えてくれ……!
 僕はその場で目をつむり、消えろ、消えろと、心の中で叫び続けた。
 それが功を奏したのか、近づいてくる足音は唐突に止んだ。祈りが通じたと思い、僕は大きく安堵のため息をもらした。
 しかし、そうして一瞬気を緩ませたとき――何かが僕の肩をつかんだ。

第3話に続く(2月27日更新)

★バックナンバー★

“花彦くん遭遇編”【1】
第1話 底なしの最悪
第3話 ニアミス
第4話 赤いのちょうだい?
第5話 赤い真実

“花彦くん遭遇編”【2】
第1話 わすれもの
第2話 暗闇に浮かぶ瞳
第3話 明滅
第4話 なくしもの
第5話 赤い幕引き

“花彦くん誕生編”
第1話 鳥籠
第2話 オワリ、そして……
第3話 赤いハジマリ
第4話 這い寄る気配
第5話 制裁