『死印』前日譚小説“花彦くん遭遇編”【1】 第3話 ニアミス

エクスペリエンスが贈る新機軸のホラー『死印(しいん)』。同作の前日譚小説をお届けする。
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エクスペリエンスから2017年6日1日発売予定のプレイステーション Vita用ソフト『死印(しいん)』。新機軸のホラーの前日譚を描く小説を、ファミ通ドットコム限定でお届けする(全15回・毎日掲載)。



“花彦くん遭遇編”【1】 第3話 ニアミス

 背後から伸びてきた手が、僕の右肩を強引につかんだ。あまりの強さに右肩に痛みが走る。僕は力の限り肩を左右に振って、その手を振り払った。
 慌てて体を反転させた僕は、手が伸びてきた方を見た。花彦くんがそこにいると思っていた僕は、実際に背後に立っていた者の姿を見て、その意外さに面食らってしまう。
 「はぁ、はぁ……。待て、いいから落ち着け。私だよ、私」
 「島田、先生……?」
 そこにいたのは、先ほど校庭で遭遇した体育教師――島田だった。呼吸が乱れているところを見ると、ずっと僕を探していたのだろうか。さっきは懐中電灯を手にしていたのに、どこかに置いてきてしまったのか、今は持っていないようだ。まさかこの暗闇の中で僕を追ってきたのか?
 責任感が強い教師だとは思っていたが、夜中の校舎内まで追ってくるとは意外だった。僕は幽霊じゃなかった事実に安堵しながらも、困惑の色を隠せなかった。
 やばい……こいつに捕まってしまったら、今夜の計画は台無しだ。全てが水の泡になる前に、ここから逃げないと……。
 僕は一歩ずつ後ずさり、島田との距離を開けた。ふと佐智子の姿が視界に入り、一瞬だけ彼女をオトリにして逃げようかと思った。でも、良心がそれを許さなかった。
 僕は佐智子の手をつかみ、腕を引っ張って立ち上がらせた。そして彼女の耳元に口を近づけると、一言「逃げるよ」とささやいてから、佐智子の手をとったまま反対方向へと走りだした。突然の出来事で佐智子は目を丸くしていたが、説明する余裕などなかった。
 「お、おい、待ってくれ!」
 島田の叫びを背中で聞きながら、僕と佐智子は廊下を逃げ続けた。背後から聞こえる島田の声が、妙に焦燥感のある切羽詰まった声だったのが少し不思議だった。

 「一旦ここに隠れよう。ほら、早く!」
 僕はそう言って、まだうまく事情を理解していない佐智子を連れ、教室の中に入った。
 僕達が辿りついたのは図工室だった。大半の教室は施錠されていたが、唯一この教室だけは、扉の鍵が開いていたのだ。ただ、それでも島田がここに来ればあっという間に見つかってしまう。僕は、図工室のすみにあった掃除用具入れの中に身を潜めることにした。
 「わ、わたし、でも……?」
 「いいから! 島田に捕まったら終わりだよ!」
 それは自分自身のことだったが、佐智子にも通じる何かがあったらしい。彼女は、不満をもらすこともなく掃除用具入れの中に身を滑り込ませた。僕も、彼女の横にわずかに空いた空間に入り込み、音をたてないように注意して、内側からそっと扉を閉めた。
 掃除用具入れの中は想像以上に狭く、自然と体を密着させた状態となった。緊迫した状態だというのに、僕はソワソワしてどうも落ち着かない気分になった。佐智子も同じなのか、目線を下に向けてずっと俯いている。
 「あ、あのさ? どうして一人で?」
 理由も聞かずに巻き込んでしまったことを申し訳なく思いながら、僕は聞いた。間が持たないというのもあったが、静寂のなかに居続けると、また恐怖が忍び寄ってくるような気がしたからだ。
 「逃げてきたの」
 儚く消え入りそうな声で佐智子が言った。短い言葉だったが、それを聞いて僕の脳裏に一つの疑問が浮かんだ。
 逃げてきた? 何から? 彼女をあんなに怯えさせる存在って……一体?
 真っ先に思いつくのは、やはりあの幽霊だった。いつもは感じることのない異常な雰囲気に支配されたこの学校でなら、もはやいないと考える方が不自然だ。
 「どうしよう。パパ、絶対怒ってる……。私、パパの人形だから……」
 やがて、佐智子がポツリとつぶやいた。何かを想像して恐怖が湧いたのか、小刻みに体を震わせている。顔からは血の気が引いていて、精神的にかなり参っている様子だった。
 僕は、人形という言葉が気になった。しかも彼女は、パパの人形と言ったのだ。僕は彼女に話をうながし、なぜ深夜の学校に来てしまったのか、事情を聞いてみることにした。
 結論から言えば、佐智子は親からの虐待に苦しんでいた。彼女の父親は異常なまでに独占欲が強く、佐智子は生活のほとんど全てを束縛され、まるで人形のような扱いを受けているという。しかもそれに逆らえば、容赦のない暴力に晒されるというのだ。
 「……どこも同じじゃん」
 「健くん……?」
 ――アイツも、佐智子の父親も……大人なんてクソくらえだ。
 くすぶっていた怒りが、一挙に爆発した。僕の中で、絶対に目的を達成してやるという気持ちがふつふつと湧いてくる。島田だろうが幽霊だろうが、邪魔されてたまるものか。
 そのとき、突如叫ぶような声があたりに響いた。

 僕と佐智子は目を見合わせた。間違いない。島田が僕らを見つけようと躍起になっているのだ。そう思った僕らは、できるだけ息を殺してあたりの気配に集中した。
 「はぁ、はぁ……! ふざけ――なん――アイツ……ば、化け物……!」
 興奮したように声を震わせながら、島田が大きな足音を響かせながら図工室の中に入ってきた。用具入れの中にいるので姿は見えないが、声の断片だけを聞くと錯乱状態に陥っているようにも思える。呼吸は荒く不規則で、言葉も呂律が回っていない。そして何より恐怖で怯えているような感じだ。それに――彼が口にした化け物というのも気になる。
 『――赤――ちょうだい?』
 島田の足音が止まった瞬間、子供みたいな声が聞こえてきた。囁き声で聞き取りにくかったが、その声を聞いた瞬間、僕は全身の毛穴から汗が吹き出てくるのを感じた。続いて、まるで背中に鋭利な刃物を突き立てられたような、少しでも動けば殺されるような緊張感が伝わってきた。僕の本能が声高に危険を訴え始める――ここにいては危ない!
「く、来るな……! わ、私が何をした……? こ、答えろ……なんとか言ってくれ!」
 島田は声を上擦らせ、まるで子供が駄々をこねるような言葉をぶつけていた。ときおり、派手に転倒したり床を這うような音も聞こえてくる。
 やがて、島田の出している音が過激さを増していった。椅子が地面にぶつかる音、机が盛大に倒れて物が散乱する音――続いて、硝子が砕けるような音もした。
 図工室の中では、一体どんなことが起きているのか――。僕には想像しかできないが、島田は切羽詰まった極限状態になっているようだった。彼が窮地に追いやられているのは確実で、憐れみさえ感じさせる言葉を発していた。
 「た、助け……! 死にたくない……! お願いします……! わ、私は、まだ――」
 その言葉を最後に、島田は断末魔のような悲鳴をあげた。それは聞くに堪えない悲鳴で、まるで喉の奥から絞りだすような不気味な声だった。僕はそれを聞きたくなくて思わず耳を塞ぎたくなったが、恐怖で金縛りのようになっていたためか、まったく身動きができなかった。
 だめだ……もうこれ以上聞いていたくない……逃げだしたい!
 僕は、いつの間にか佐智子の手を握っていた。いや、もしかしたら彼女の方から握ってきたのかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。今は、彼女の手の温もりが何よりもありがたかった。この感触だけで、なんとか正気を保てているようなものだったから。
 僕は、さらに彼女の手をぎゅっと握った。しかしその直後、鋭利な刃物で肉を引き裂くような音と、何か液体のようなものをすすり上げる音が聞こえてきた。そして鼻につくような血の匂いが、用具入れの扉越しに漂ってきた。それらの音は静かな図工室の中によく響き、そして匂いはもはや耐えきれないほど濃厚に漂っている。外を見なくてもわかる。用具入れの扉の向こう側には、死が充満しているのだ。
 僕と佐智子は、それらの音が完全に消えるまで、互いの手を握りしめて息を潜めていた。

 「う……!」
 用具入れから出た僕は、目の前の惨状に言葉を失った。
 そこには大きな血溜まりだけが残り、あたりには鉄のようなツンと鼻につく匂いがまだ漂っていた。そして血の海の周囲には、植物の断片のようなものが散らばっている。しかし、不思議なことに島田の姿はどこにも見当たらなかった。
 僕は、床に広がった尋常ではない量の血溜まりを見つめた。人一人が持っている血をすべてぶちまければ、ちょうどこんな光景になるかもしれないと思った。
 「に、逃げよう! ねぇ、健くん! 逃げなきゃだよ、ねぇ……」
 僕のすぐ後ろに隠れていた佐智子が、狼狽した様子で僕の肩を何度も揺すってくる。得体の知れない光景に体を硬直させていた僕は、すぐには反応できなかった。
 やがて硬直がとけた僕は、佐智子の方へと振り返った。そのとき見た彼女の顔からは血の気が引いていて、恐怖で限界を超えている様子だった。だけど、それは僕も同じだ。
 目の前に広がる血の海は、どう考えても人ができることではない。これは――花彦くんの仕業だ。
 僕より力が強い大人でも太刀打ちできない。そんな花彦くんに出会ったら、僕も佐智子も、この血溜まりみたいに……。
 逃げなきゃ……今すぐに、こんな場所から逃げなきゃ……。
 だけど、僕に逃げる場所なんてあるのか? 家に帰ったところでアイツがいる。母さんにひどいことをする、最低なアイツが。
 花彦くんは怖い。けれど、それでも僕は……!
 「……ごめん。薬だけ……あの薬だけは、取らなきゃダメなんだ」


第4話に続く(2月28日更新)

★バックナンバー★

“花彦くん遭遇編”【1】
第1話 底なしの最悪
第2話 ナニカの気配
第4話 赤いのちょうだい?
第5話 赤い真実

“花彦くん遭遇編”【2】
第1話 わすれもの
第2話 暗闇に浮かぶ瞳
第3話 明滅
第4話 なくしもの
第5話 赤い幕引き

“花彦くん誕生編”
第1話 鳥籠
第2話 オワリ、そして……
第3話 赤いハジマリ
第4話 這い寄る気配
第5話 制裁