『死印』前日譚小説“花彦くん遭遇編”【2】 第2話 暗闇に浮かぶ瞳

エクスペリエンスが贈る新機軸のホラー『死印(しいん)』。前日譚小説“花彦くん遭遇編”その2をお届けする。
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エクスペリエンスから2017年6日1日発売予定のプレイステーション Vita用ソフト『死印(しいん)』。新機軸のホラーの前日譚を描く小説を、ファミ通ドットコム限定でお届けする(全15回・毎日掲載)。



“花彦くん遭遇編”【2】 第2話 暗闇に浮かぶ瞳

 「は、はっ……」
 恵は現実から目を背けようと、ハンドルを抱きかかえるようにうつむいていた。そして、激しい動悸に合わせて、何度も何度も吐息をこぼした。
 車は交差点のほぼ中央で停止していた。そして、交差点の奥――ライトの先に、小学生のような人影があった。
 まさか、轢いてしまった? 私が悪い? 信号の色は……まずい、きちんと確認していなかった。いや、でもこんな時間に出歩いている小学生なんて、そもそもろくな子供じゃ……いや、そんなことは重要じゃない。一瞬、恵の思考は激しく混乱した。
 恵は恐る恐る顔を上げ、フロントガラスの向こうを注視した。なにかが車に衝突した感触はなかった。大丈夫、轢いてはいないはず――願うように、視界の先を確認する。
 「……な、なによ、もう……」
 よく見れば、小学生だと思った影は交通マナーをうながすための立て看板だった。やけに写実的な小学生児童の等身大イラストが、『交通マナーを守りましょう』という文字とともに描かれている。
 恵は、肺のなかにため込んでいた息をゆっくりと吐いた。そして気を取り直すと、再びアクセルを踏み込んだ。
 「もう、びっくりさせないでよ……」
 そうして看板の中の児童のイラストに悪態をつきながら、交差点を通り過ぎた。

 恵の運転する赤い車が、学校の敷地内をゆっくりと進んでいた。つい先ほどから降り出した大粒の雨が、フロントガラスをばたばたと叩く。
 深い暗闇と雨粒で一寸先すら見えない。恵は少しでも視界を確保しようと、ぎこちない手つきでワイパーのレバーを操作した。ワイパーブレードがガラスを滑る不快な音が、恵の耳朶を打つ。
 ひとまず恵は、職員用の通用口に一番近い駐車場を目指した。そこに駐車できれば校舎にすぐに入ることができ、雨に濡れるのを防げると思ったからだ。
 校庭の脇を通っている小道を慎重に走らせ、乗用車二台分程度のスペースがある駐車場に着くと、恵は車を停止させた。車のエンジン音が止まると、雨と強風が車を激しく叩く音だけが耳に飛び込んできた。ばたばた、ばちばち、ごぉごぉ……そんな音がひたすら不規則に恵を威圧した。
 恵は再びハーフコートの内ポケットに手を入れ、手鏡に触れた。
 気を落ち着かせた恵は、次に校舎の鍵束をバッグから取り出した。それをコートのポケットに忍ばせ、戸締まりを担当する際に持たされる懐中電灯を握りしめる。
 持ち物を確認して、一度大きく深呼吸をした。車を叩く音は激しくなるばかりで、一向に止む気配はない。
 「……よし!」
 意を決し、恵は車のドアに手をかけた。そして一気に押し開け、風雨の中に身をさらす。そのまま通用口へと向かって、一目散に駆けた。できるだけ雨に濡れないよう、身を屈めながら足を動かす。
 「あぁ、もう!」
 しかし、通用口の鍵を開ける際に手間取ってしまい、結局ずぶ濡れになってしまった。八つ当たり気味に、扉を乱暴に開け放ち、倒れ込みながら室内に入る。
 「なんで、私ばっかり……どうしてこうも、ついてないの……」
 膝をつくようにリノリウムの床に転がり、恵は情けなさにまたも心が折れそうになった。顔から足先まで、全身が雨に濡れているせいで、自分が泣いているのかどうかもよくわからなかった。
 どれもこれも、答案用紙を忘れた自分がいけない。けれど、だからこそ腹が立つ。先輩教師の優しさに甘えて身体を簡単に許し……本当に大切な人に、嘘をつき続けることになったのも、すべて自分が悪いのだ。
 怒りとも悲しみともつかない感情を抱えたまま、恵は早く用事を済ませようと、膝に力を込めて立ち上がろうとした。
 だが、その拍子に――
 「ひっ!」
 開け放たれていた通用口の扉が、ガンと大きな音を立てて閉まった。その音に驚いた恵は、思わずまた床にへたり込んでしまう。
 「なんなのよ……なんなのよ、もうっ!」
 恵は、手に持った懐中電灯で廊下の床を叩いた。誰もいるはずのない校舎に、耳障りな衝突音が何度もこだました。
 「こんなこと……これっきりにしてやるんだから」
 突如沸き上がった激しい怒りで恐怖が抑え込まれたらしく、恵はある意味吹っ切れた。暗闇なんて怖くもなんともない、幽霊が出ようが何が起ころうが、もう私の知ったことじゃない。そんな境地になっていた。
 早く答案用紙を回収して、車に戻ろう――そう考えた恵は、握りしめた懐中電灯の電源を入れた。小さな円形の明かりが、無機質な廊下の床を明るく照らし出す。
 通用口から続く廊下は当然ながら誰もおらず、日中の鬱陶しいほどの喧噪とは正反対の様相を見せていた。その中で、窓を叩く雨と強風が織りなす不規則な音だけが、取り残された子供のような叫びを繰り返していた。
 心許ない光を眺めながら、恵は思考を巡らせる。答案用紙を、どこに置き忘れたのか――今日あった仕事の内容を思い出しながら、訪れた場所をざっと思い出していく。
 「やっぱり、職員室かな……」
 ひとまず恵は、通用口からほど近い職員室を目指すことにした。答案用紙を置き忘れている可能性があるのは、自分の行動を考えれば、職員室か担当クラスのどちらかだと思えたのだ。
 懐中電灯の明かりを頼りに、恵は職員室を目指して進み始めた。
 一度気持ちが吹っ切れた恵は、校舎全体を包み込むような暗闇に物怖じすることもなく、堂々とした足取りで進んだ。そして、そのまますぐに職員室にたどり着いた。
 職員室の扉は、個人情報の保護と防犯上の理由から、施錠できるものとなっているのが通例であった。もちろん恵の勤める学校も同様で、その扉に鍵をかけて帰ることが、教師たちには義務づけられている。恵は職員室の扉を開けるために、ポケットにしまい込んでいた鍵の束を取り出した。次に、手元を見るために懐中電灯で扉を照らし出した。
 「え……開いてる?」
 照らした扉は、なぜか少しだけ開いていた。
 うまく吹っ切れていたはずの恵の心に、得体の知れない不気味さが再び忍び寄ってきた。
 様々な憶測や恐ろしい想像が、恵の脳裏をかすめた。だが彼女はかぶりを振ってそのすべてを打ち消し、自分が閉め忘れていただけ、と強引に結論づけることにした。
 まったく、なんて自分はドジなんだ――そんな風に心の中でおどけて、恵は無理矢理に恐怖から目を背ける。
 そして、扉に手をかけた。恵の喉が一度、ごくりと鳴った。
 ガラ、と扉を一気に開け、室内を見渡す。

 「……誰も、いない……はは、当たり前よね」
 自嘲気味に苦笑をこぼしてから、恵は職員室へと足を踏み入れた。真っ先に自分の席に向かった彼女は、懐中電灯をかざしながら、机の上に置いたままになっている書類を確認していく。いくつかある引き出しもすべて引っ張り出し、次々と明かりを当てていった。
 「あれ……これって……」
 そうして恵は、一つの小箱を発見する。それは、少し前に聡から渡されたプレゼントだった。バッグに入れたままにしていたのだが、落とすのも心配だからと数日前からここに保管していたのだ。
 聡から、中身は自分の次の誕生日まで見ないでほしいと言われていた。だが、そもそも教師生活の多忙さと一度浮気をしてしまったという後ろめたさで、聡に言われずとも恵には開ける勇気がなかった。
 でも、今夜会えたなら――恵の手は、自然とその小箱へと伸びていた。そして、それをもう一方の上着のポケットへと忍ばせ、再び答案用紙を探しはじめる。恵は、心の中にほんの少しの期待が芽吹いたのを自覚した。そうして、さらに手早く書類をあさっていく。
 しかし、答案用紙は見当たらなかった。
 「ここにないってことは教室かな……ん?」
 机から目を離した瞬間、恵は、真っ暗な視界の端でなにかが動いたような気がした。外では変わらず強風と雨が、窓を小刻みに震わせながら、不協和音を出している。
 恵は乱暴な手つきで、職員室中に懐中電灯の明かりを向けた。
 天井、壁、同僚たちの机、今し方入ってきたばかりの出入り口にまで、恵は万遍なく光を走らせていく。だがその光線の先には、独りでに動き出すようなものは何一つ見当たらなかった。
 気のせい――恵がそう結論づけようとしたとき。

 ギィ、ギィ、ギィ。

 そんな音が、自分の足下から不規則に鳴っていることに気がついた。机の下から、錆び付いた金属が擦れ合わされる音が聞こえてくるのだ。
 恵は、懐中電灯の光線を探るような手つきで椅子の周辺に当てた。だが、光は机の下まで届かず、ただのっぺりとした闇が広がるばかりだった。
 彼女は喉を鳴らして生唾を飲み込んだあと、膝をつき、四つん這いのような格好になった。そうして、机の下を、自分の目で確かめようとした。
 懐中電灯を床に転がし、恵は力を込めて思い切り、椅子を横にどかした。
 がしゃりと、どかされた椅子が音を立てた。
 「い、いるの?」
 恵は大きめの声で叫んだ。しかし、視界の先には黒々とした闇が広がるばかりで、気配の正体を見ることはできなかった。
 やはり、気のせいだったんだ――恵がほっと胸をなで下ろした、そのときだった。

 目の前の暗闇が不気味にうごめいた。
 恵の身体が反射的に強張った瞬間、うごめく暗闇の中心に二つの瞳が浮かびあがった。
 そして――じろりと彼女を見据えた。


“花彦くん遭遇編”【2】第3話に続く(3月4日更新)

★バックナンバー★

“花彦くん遭遇編”【1】
第1話 底なしの最悪
第2話 ナニカの気配
第3話 ニアミス
第4話 赤いのちょうだい?
第5話 赤い真実

“花彦くん遭遇編”【2】
第1話 わすれもの
第3話 明滅
第4話 なくしもの
第5話 赤い幕引き

“花彦くん誕生編”
第1話 鳥籠
第2話 オワリ、そして……
第3話 赤いハジマリ
第4話 這い寄る気配
第5話 制裁