『死印』前日譚小説“花彦くん誕生編” 第5話 制裁(最終回)_01

エクスペリエンスから2017年6日1日発売予定のプレイステーション Vita用ソフト『死印(しいん)』。新機軸のホラーの前日譚を描く小説を、ファミ通ドットコム限定でお届けする(全15回・毎日掲載)。


“花彦くん遭遇編”1 第5話 赤い真実

 「――し、知らない……! あ、赤いのなんて、私!」
 僕の後ろで、佐智子が悲鳴を上げて激しく取り乱していた。腰を抜かしているらしく、リノリウム製の床の上で手足をジタバタと動かしている。立ち上がろうとして肩から床に転び、背中から扉にぶつかってパニックを起こしている。保健室から必死に逃げだそうとしているが、焦りと恐怖の感情が空回りして、体が言うことを聞いていない。
 目の前に実体化した花彦くんは、口元に笑みを浮かべて僕達の前に立っている。その笑みが、佐智子の錯乱する姿を見て愉しんでいるように思えた僕は、背中に寒気を覚えた。
 こ、殺される……!
 僕の脳裏に、図工室での凄惨な光景が浮かんだ。
 死にたくない……! こんな所で、僕は……!
 僕は急いで佐智子の側に駆け寄り、腕をつかんで強引に立ち上がらせた。
 「逃げるよ、佐智子ちゃん!」
 「あ、あぁ……! い、いや……いやぁ!」
 「何してるんだよ! 早く!」
 佐智子は、完全に恐怖に呑まれていた。錯乱して、激しく癇癪をおこしている――。
 そう思った僕は佐智子の手を握りしめ、半ば強引に引っ張りながら、保健室の扉から廊下へと飛びだした。そして脇目も振らず、佐智子と一緒にその場から逃げだした。

 しかしどこに逃げようが、花彦くんの気配は消えなかった。全身にまとわりついた死の匂い、背中をにらむ仄暗い深淵のような瞳、体の芯を凍えさせる恐ろしい感覚――。それらを、恐怖によって研ぎ澄まされてしまった神経が常に感じていた。
 少し走っただけで、僕の心臓はたちまち早鐘のような鼓動を繰り返した。呼吸が不規則に乱れ、肺が新たな酸素を求めて悲鳴をあげる。視界はぐにゃりと歪んで、このままだとすぐに倒れてしまうと思った。
 それでも僕は、校舎の中に入ったときの扉を目指し、廊下を走り続けた。
 しかし、肩で荒い息をしながら突き当たりを曲がり、奥に出口の扉が見える廊下に差しかかったとき――。
 『ねぇ、約束の赤いのちょうだい?
 目の前の廊下に、スカートをはいた奇怪な少年が立っていた。彼は、植物の生えた額から、ぽた、ぽた、と血を滴らせ、静かに僕らの方を見つめている。
 「な……そ、そんな、だってまだ!」
 保健室にいた花彦くんが、どうして……僕らの先にいるんだ!
 早くここを出なければという焦燥感が、一気に絶望で塗り替えられていく。足掻いたところで、無残な死だけが待ちうけているような気がして、頭の中が黒々としたものでいっぱいになった。
 こんなの、死ぬまで続く鬼ごっこじゃないか――。
 そう思った僕は、突然めまいに襲われた。血溜まりだけを残して消えた島田と同じ結末を迎えると思ってしまい、膝から下が再び震え始める。
 もうダメだ。僕は、ここで死ぬ……。
 「……は、ははは、はは」
 逃げる気力もなくなった僕の口から、力のない笑いがこぼれ始めた。もう諦めよう。全てを投げだそう。そんな考えが頭の中を浮かんでは消えていく。恐怖に呑まれてしまえば、死んでしまえば、もうこんな怖い思いをすることなんて……。けれど偶然、ポケットの中に入れていた錠剤のシートが手に触れ、そのおかげで僕はハッと我に返った。
 いやだ、死にたくない……。母さんに会えなくなるのは、絶対にいやだ!
 恐怖を追い払えたわけではなかった。吐き気だってするし、足の震えも止まらない。それでも僕は――死にたくなんてない!
 『ねぇ、約束の赤いの――
 「そんなの……知らないんだよ! だから邪魔するな! 僕らは、君に用なんてないんだ!」
 僕は花彦くんの質問を途中でさえぎって、気力を奮い立たせながら叫んだ。そして怖い気持ちを必死に抑え込み、佐智子を側に引き寄せ、彼女の肩を抱いて花彦くんの胸元目がけて思いっきり突っ込んでいった。
 花彦くんに当たる! と思った瞬間、僕達は一切の衝撃もなく、奇怪な幽霊の背後に出てしまった。どうやら、花彦くんの体を通り抜けてしまったようだ。
 出口……出口はどこに……!
 後はもう、がむしゃらに走るだけだった。僕と佐智子は、焦る気持ちと恐怖を抑え込みながら全速力で駆けた。何度も転びかけながら、そのたびに互いをかばい合いながら、僕と佐智子はようやく扉へと辿り着き、そしてそのまま校舎の外に飛びだした。
 僕の体はその勢いを保ったまま、頭から校庭に倒れ込んだ。受け身も取れずに地面を転がり、痛みが全身を襲う。その痛みを我慢して目を開けた僕は、地面にうつ伏せで倒れている佐智子を見た。彼女は右手で身体を起こそうとしているところで、どこかを痛めたのか、顔には苦しげな表情が浮かんでいる。怪我でもしたのかもしれない。でも、生きているようだった。
 僕は地面に転がったままの状態で、あたりを急いで見渡した。そこに花彦くんの姿はなく、夜の校庭にいるのは僕と佐智子の二人だけだった。
 「――や、やった……? やったよ、僕ら、助かったんだ!」
 突然、すさまじい恐怖から解放された安心感からか、僕は大きな声を上げた。しかしその瞬間、背後にねっとりとした視線を感じて、僕は慌てて振り向いた。
 視線の先にうつったのは、開け放たれた扉から見える、校舎内へと続く長い廊下。そこには誰の姿も見えなかったが、長い廊下の先――暗闇で見えなくなっている校舎の中には、確かに何者かの気配が感じられた。そしてそいつは、確実にこちらをうかがっているのだろうと、僕には確信できた。
 僕はその視線から逃れるように急いで立ち上がると、佐智子の手を取って、夜の校庭を駆けだした。

 ――それから一週間後。僕は、小学校のホームルームに出席していた。
 担任の先生が一人一人の名前を呼び、出欠の確認を行っている。すでに名前を呼ばれていた僕は、ぼうっと窓の外を見ながら、ふとあの夜のことを思いだしていた。
 とにかく異常な出来事だった。体育教師の島田が断末魔にあげた悲鳴は、今でも鮮明に思いだせるし、まぶたを閉じれば花彦くんの姿も細部まで浮かび上がってくる。
 あの後、島田の遺体は男子トイレの個室から見つかった。発見したのは清掃のおばちゃんで、遺体は全身の血が抜き取られていたという。その猟奇的ともいえる殺され方がたちまち話題となり、異常な殺人事件として世間を騒がした。
 深夜の学校で教師が凄惨な方法で殺され、その遺体は驚くほど血液が少なく、どのような方法で殺されたのかはまったくの不明――。
 そんな報道が一週間経った今でもテレビで繰り返し報道されている。その後しばらく学校は休校となり、今日ようやく登校が始まったのだ。午前中の全校集会で、校長から島田のことが生徒達に伝えられたが、その中に僕と佐智子の名前が出ることはなかった。あの場に僕と佐智子がいたということは、誰にも知られていなかったのだ。
 あんなことさえなければ、よかったのに……。
 僕は心の中でつぶやいて、自分の右頬を手で触った。そこはふっくらと腫れていて、触った手からはほんの少しだけ熱が伝わってくる。この頬は、アイツに殴られた痕だった。
 睡眠薬を飲ませて、アイツを止める――。
 それ自体は成功したのだが、後々アイツにばれて滅多打ちにされてしまった。とはいえ、その一件で暴力被害に遭っていることが認められ、正式に児童相談所が動いてくれた。おかげでアイツと縁を切ることが叶い、今では母さんと二人暮らしになっている。
 この結果は、一人では決して得られなかっただろうと僕は考えている。佐智子がいなければ、僕は最後まで踏ん張れなかったはずだ。
 そのことをなんとか彼女に伝えたかったが、あれから佐智子と連絡を取る方法が見つからなかった。今日会えるかとも思っていたが、どうやら彼女は学校を休んでしまっているらしい。考えてみれば、あの夜の恐怖で学校に来るのも怖いだろうから、それも当然かなと思っていた。
 そんなことを考えていたとき、クラスの女子達の話す声が聞こえてきた。
 「――ねえ、やっぱりダメだった?」
 「――うん。佐智子ちゃん、出てきてくれなかった」
 それは佐智子の話だった。聞き耳を立てていると、どうやら自分の部屋に引きこもっているという。
 引きこもってる? 佐智子ちゃんが?
 僕の頭の中に、形にならない疑問が浮かんでいった。父親から逃げて家出した彼女が、部屋から出ないことに違和感があったのだ。
 すると、一人の女子が小声でつぶやくのが聞こえた。それは、佐智子が「赤いのとられる……」とだけ繰り返し、怯えているという話だった。
 その話を聞いたとき――脳裏に、島田が断末魔の悲鳴をあげた瞬間が蘇った。あのとき僕は、液体をすすり上げるような音を耳にしていた。そして、発見された島田の遺体には、ほとんど血液が残されていなかったという話も……。
 続いて、花彦くんの言葉が脳裏にこだまし始めた。『約束の赤いのちょうだい?』……。
 この言葉が、もし佐智子が怯えている「赤いの」と同じだとしたら――。
 僕はごくりと唾を飲み込んだ。そして声を震わせてつぶやく。
 「まさか、あの赤いのって、人の……」

“花彦くん遭遇編”2に続く(3月2日更新)

★バックナンバー★

“花彦くん遭遇編”【1】
第1話 底なしの最悪
第2話 ナニカの気配
第3話 ニアミス
第4話 赤いのちょうだい?

“花彦くん遭遇編”【2】
第1話 わすれもの
第2話 暗闇に浮かぶ瞳
第3話 明滅
第4話 なくしもの
第5話 赤い幕引き

“花彦くん誕生編”
第1話 鳥籠
第2話 オワリ、そして……
第3話 赤いハジマリ
第4話 這い寄る気配
第5話 制裁