『死印』前日譚小説“花彦くん遭遇編”【2】 第4話 なくしもの

エクスペリエンスが贈る新機軸のホラー『死印(しいん)』。前日譚小説“花彦くん遭遇編”その2をお届けする。
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エクスペリエンスから2017年6日1日発売予定のプレイステーション Vita用ソフト『死印(しいん)』。新機軸のホラーの前日譚を描く小説を、ファミ通ドットコム限定でお届けする(全15回・毎日掲載)。



“花彦くん遭遇編”【2】 第4話 なくしもの

 恵は、教卓を蹴り飛ばすように後ずさり、腰を抜かした。背後の黒板に背中をぶつけ、大きな音を立ててしまう。その拍子に、チョークや黒板消し、机の上に置いてあった懐中電灯までもが床に落下した。
 光源だった懐中電灯は再び消えてしまい、物言わぬ闇だけが室内に満ちた。
 「な、なに! なんなのよっ!」
 そんな中で、恵は金切り声をあげて叫んだ。
 恵は息を切らせたまま、首を回して忙しなくあたりを見渡した。
 誰もいない。なにもいない。
 しかし、確かに自分はなにかを見た。
 「誰かいるの? いるんでしょう! 出てきなさいよ! こ、こんなイタズラで私をバカにして……ふざけないでよ!」
 廊下にまで響き渡るような大声で、恵は叫んだ。
 だが、恵の大音声に対する反応はどこからもなく、ただ雨と風が教室の窓ガラスを揺らす音だけが、残響をはらんで耳に届くばかりだった。
 違う、違うの。私は、確かに見た――誰に責められたわけでもないのに、恵は心の中で勝手に弁解を始めた。確かに、なにかが私の背後に――その証拠に、恵の全身には不自然なほどの鳥肌が立っていた。そうして、恵の全身へと震えが伝播していった。
 「……へ、平気よ! 私は平気!」
 そう言いながら恵は、震える膝にありったけの力を込めて、なんとか立ち上がった。なけなしの理性を働かせて、机の上の答案用紙を乱暴に引っ掴む。
 「あー……あー、あーッ!」
 無意味に大声を響かせながら、恵は腰砕けのまま教室を脱出しようと動き出した。懐中電灯がないまま、頼りない夜目だけで出口へと駆け出す。
 出口、とにかく出口へ――たった一つの考えに染まった恵の思考は、平時であれば考えるまでもなく自然とできる行為を、次々に困難なものへと変えていく。自分は今どこにいて、どうすれば出口へたどり着けるのか。通い慣れた学校の中にも関わらず、恵はどうすれば自分がここから出られるのか、すぐには理解ができなかった。あげく、正常な二足歩行すらもままならなくなる。
 そのまま壁伝いに、とにかく大声をあげながら恵は進む。腰砕けのまま、奇声を発しながら恵は出口を求めた。
 「階段、階段だわ!」
 ようやく人並みの思考が戻ったとき、恵は自分が二階に上がってきていた事実にやっとのことで思い至る。階段を下りなければ、目的の出口には到底たどり着けない。
 焦点の定まらない視界の中で、恵はなんとか階段までたどり着いた。必死に腕を伸ばして、設えられた手すりにもたれかかる。そのまま、全力を振り絞って一段一段下りていく。
 だが、今の恵の足腰に、下り階段をおりるような力はなかった。
 案の定足を滑らせて、転がるように階段下へと落ちていく。その拍子に、なんとか抱えていた答案用紙までもが散乱してしまった。
 「あぁ……ああああ!」
 恵の口から、言葉にならない悲鳴のような音が漏れ出た。
 ぶつけたお尻が痛い、喉も痛い、節々が痛い、足首を捻挫したかもしれない、どうして、どうして私がこんな目に!
 もう、いや――床の答案用紙の束に、涙の粒がこぼれ落ちた。
 あらゆる感情の大波が、恵の人間性を奪い去ろうとした。それでも必死に理性を抱き留め、恵はすがりつくようにポケットの手鏡へと手を伸ばした。
 「聡……聡……聡っ!」
 恵は、繰り返し繰り返し、恋人の名前をつぶやき続けた。そうして取り出した手鏡を、震える両手で握りしめてから、開く。
 「さとしぃ……」
 これがあれば、必ず幸せな私たちに戻れる。そうだよね、そうだよね、聡……。
 恵は、鏡面にすがるように目を走らせた。だが、そこに映っていたのは――

 ――ねえ…… ぼく、きれい……?

 「ひ、い、いやぁぁぁぁっ!」
 再び恵は鏡の中になにかを見た。そして、その声を確かに聞いた。
 咄嗟に両手で持っていた手鏡を放り投げ、尻餅をついたまま、その場を離れようともがいた。
 廊下に転がった手鏡は、何らかの意思が働いたかのように、恵の方へとその鏡面を向けている。
 そして、その中には――
 「はっ……は、花……彦……く……」
 恵の視線は、固定されたかのように鏡の中をとらえていた。鏡の中には、頭や顔から植物のようなものを生やし、深い洞のように目の落ちくぼんだ少年の姿が、確かに映り込んでいた。

 ――ぼく、きれい?

 頭の中に響くような声が、恵の耳に届く。髪が乱れることも考えず、恵は頭を上下左右に振るった。彼女の精神を、その声だけが埋め尽くしていくようだった。

 ――ぼく、きれい?

 声が、止まることはない。何度も何度もその言葉は耳に入り込んできて、真綿で首を絞めるように恵の意識を圧迫していく。
 「き、きれい、きれいだからっ! お願い、お願いよ、もう許して……」
 恵は廊下に転がる手鏡に向かって、震えた声でそう吐き捨てた。
 先ほどまで唯一の救いとなっていた手鏡までも、恐怖に押しつぶされる寸前の恵にとっては無価値だった。

 ――じゃあ約束の赤いの、ちょうだい。

 はじめて、今までと異なる言葉が聞こえた。恵はその声を聞き届けた瞬間、髪の一本一本までが総毛立つ感覚に襲われた。背筋を悪寒が、繰り返し走っていく。無意味に後ずさり続けた恵は、すでに廊下の壁に背を預けていた。
 「あぁ……あぁぁ!」
 そして。
 恵の目の前に――『花彦くん』がその姿を現した。

 ――赤いの、ちょうだい。


“花彦くん遭遇編”【2】第5話に続く(3月6日更新)

★バックナンバー★

“花彦くん遭遇編”【1】
第1話 底なしの最悪
第2話 ナニカの気配
第3話 ニアミス
第4話 赤いのちょうだい?
第5話 赤い真実

“花彦くん遭遇編”【2】
第1話 わすれもの
第2話 暗闇に浮かぶ瞳
第3話 明滅
第5話 赤い幕引き

“花彦くん誕生編”
第1話 鳥籠
第2話 オワリ、そして……
第3話 赤いハジマリ
第4話 這い寄る気配
第5話 制裁