『NG』前日譚小説 “殺人桃” 【第5話】

エクスペリエンスによる“心霊ホラー”シリーズ第2弾『NG』の前日譚小説。その“殺人桃(さつじんとう)”を全5話で紹介する。

 ジャパニーズホラーの静かな恐怖をコンセプトに、エクスペリエンスが贈る“心霊ホラー”シリーズ第2弾『NG』。プレイステーション Vita向けに2018 年9月13日に発売予定の同作の前日譚小説をお届けする。その“殺人桃(さつじんとう)”の最終話。

著者:保坂 歩

5

 意識が未だに途切れない。
 果たして死の向こうに在ったのは常世ではなく、出口のない胡乱な夢だった。
 悪夢の中で智子は、自分の過去と因果を思い出そうとしていた。
 記憶が定かではない――というよりも、記憶が少しずつ薄れていく。
 自分がなにを愛していたのかも思い出せないし、自分の性格や名前すらも曖昧で、言葉の発し方もわからない。

 あの鷹揚な背中の男性は、誰だったか。
 あの小さな猿のような、自分ではなにもできない喚くカタマリを抱き、『桃太郎』なる本を読ませていた幻は。

 あの男性は、どうして自分の隣にいるのか。
 どうして自分の手を引くのか。
 どうして自分を守ろうとするのか。

 あの小さな猿は、どうして自分にすがるのか。
 どうして自分の胸に抱きついてくるのか。
 どうしてあんなに可愛いのか。

 感情の残滓はあっても因果を思い出せず、思い出そうとすれば悪臭を放つ黒炭が浮かんでくる。 
 かつて彼女を大切にしていた誰かが、好んで見ていた勧善懲悪の物語の断片だけがなぜか思い出される。
 歩いていると、目の前に脅え切った会社員の男が現れた。
 知らない男だ。
 よれた安物のスーツに身を包み、残業に続く残業に生きがいを奪われた、憎むべき哀れな男だ。

「た、たた、助けてくれ……!」

「ぬぁらば……申せぇ……」

 命ごいをする男に、智子は古めかしい言葉遣いで懺悔の時間を許す。

 許すだけで――生かしはしない。

「お、俺が、なにをしたっていうんだぁ……!」

 目を見開いた男の口腔に、智子は刀を突き立てて真横に薙ぎ払った。男の頬はピリピリと紙のように裂け、舌と奥歯が丸見えになる。
 絶叫する男の、狙いやすくなった喉に智子は刀を飲みこませる。こぽっ、と吹き出した血液を泡立てながら、男は絶命した。
 智子は満足げに刀を引き抜き血を払うと、ぺたぺたと歩き出す。

 このムーンタワーで働く男は、全て智子――『殺人桃』に捧げられる供儀であった。

 『殺人桃』が思い出せる唯一の行動原理は、『正義』。
 正義を遂行すればするほど、存在が安定する。
 その安定が人ならざる者としての泥沼に他ならず、安らぐほどにかつて求めていた幸福の記憶が失われていくことに、彼女は気づいていない。
 その正義が、人間のものとは異なっていることにも気づいていない。
 たとえ気づいても――『殺人桃』は正義の執行を止められないだろう。
 夢の内容を容易にコントロールできないように、夢の中の自分の行動は、本人にも止められない。
 『殺人桃』には何度も彼女が見ていた夢と、現実に起こっていることの区別がつかない。
 現実を認識しようにも現実の体がないから。

 現実を見つめる目が――顔が、いくつもあるから。

 『殺人桃』の頭部は三つある。
 崩れた彼女の頭部と心は、その末期を強調するかのような姿をしていた。
 それぞれの頭がなぜ別々の動物の姿をしているのか、それも本人にもわからなかった。
 人を殺す人でないものに、明確なルールなどなくてよい。怪異の定義は、人には図れない。
 わずかに残った彼女の中の客観性が、そう判断しながら無数の思考を我が身に宿す。

 ――私は鬼である。

 ――私は正義である。

 ――私は殺す。

 ――男ヲ殺す。

 ――殺すコトは正義であル。

 ――男は正義デハない。

 ――鬼ハ正義でアる。

 ――正義とハ。

 ――セイギトハ。

 ――セイGトハ正ギデアル。

 ――コロ息スコト#デセイ%ギトナ&ル?

 ――オニハMワタ?シデコロ|スノハオ#トコデコ好ロセバセBイギガセAイギデコロスノハオ∀ニノオト桃コロス?

 思考が、概念が、目的が、自分が、ぐにゃぐにゃと撹拌されて入り混じる。
 存在理由は模糊としているが、ただひとつ。『殺人桃』は進んで女を襲うことはしなかった。
 この身に宿る複雑な怒りが、女に向けられることは恐らくない。
 だから誰一人女のことは思い出せないし、女への恨みは発せない。
 邪魔さえされなければ、女は憎まない。
 曖昧な行動原理だが――憎悪は曖昧でいい。
 これは夜の鬼が跋扈する夢の体験なのだから、それでいいのだ。
 『殺人桃』は自分を納得させながら、次の目標を探す。
 闇をさ迷っていると、住井建設の作業服を着た男をまた見つけた。
 どんな理由でこのムーンタワーに彼がいるのかは知らなかったが、『殺人桃』は勇んで憎み、

 ――ああ、首を切断しよう。

 と、思いながら刀の束に手をかけた。

◆  ◆  ◆

 OLのA子は、目撃した全ての事実をムーンタワーの同僚に伝えた。
 しかし『殺人桃』の情報は外に出ず、どこかの時点でもみ消されたようだった。
 上層部――それがどれほど強い権力を持っているのかもA子は知っているのだが、彼らは『殺人桃』の噂によってムーンタワーに宿る権威が失墜することを、異常なまでに恐れているようだった。

 ――そんな風に過去に蓋をしても、意味がないのに。

 A子はそう思いながら、ムーンタワーに関わる男達を嘲笑した。
 それでは自分達が殺した女に復讐されている、と自白しているようなものではないか。
 しかも彼らでは、その女ひとり抑えつけることができないのだ。
 
 ――実に、滑稽だ。

 少なくとも、A子は知っている。

 女の正体は、議員の岡山智子。夫と息子を殺され、自らも暗殺さながらに殺されたカリスマ政治家。

 A子は、知っている。

 岡山の生活リズムを把握し、智子が石丸のオフィスを訪れようとしているという情報を石丸に流し、殺害の準備をさせた者がいたことを。

 それが当時、岡山智子の議員秘書を務めていた自分である、ということを。

 A子と、石丸昇だけが知っている。

 智子は自分の秘書が、自分を殺そうとしていたことを知らなかった。
 正義の人である智子は、病根たる男性社会に怒りをぶつけるあまり、身近な女性を疑うことができなかった。
 疑わない、ということは信頼の証であると同時に、相手の心を深く考えないということでもある。だから智子は、A子の本心を読めなかった。

 A子は、智子が思っているよりも、ずっとずっと――愛していたのだ。
 
 智子とその夫が結ばれたとき、どれだけ一人で悶え苦しんだか。
 心から愛した相手の、自分とは関わらない幸福の結晶が、どれだけA子を苦しめたか。
 それでも献身的な態度で家族に尽くしたA子が、どれだけ自らを追いつめたか。
 
 ――私だって、正しいことがしたくて生きてきたのに。
 
 どうして貴方達は、こんなに苦しんでいる私に見せつけてくるのか。なぜ貴方達は、これほど狂おしい恋をした私に正義を強いるのか。

 自分の感情が見当違いの憎悪であることぐらい、A子は知っている。
 だが、見当違いを認めたからといって憎悪がなくなるわけではない。正しさで蓋をしようとするから、余計に苦痛が増して希望が失われるのだ。
 その孤独の果てに――。

 ――失意の果てに。

 A子は鬼になることを決めた。
 この身近な悪意にすら気づけない人達が、社会の上に立つことが許せない。

 ――愛を語ることが、許せない。

 だから、最も大切なモノを奪った。

 絶望させてから、絶望させた。
 心を殺してから、魂を殺した。

 智子の情報を流したA子は、石丸の口添えによってムーンタワー内の企業に転職した。
 石丸にとっては、秘密を知るA子を監視する目的もあったのだろうが、どのみち、A子は断らなかっただろう。

 ――自分は智子達を殺すことで、人ならぬ夜の鬼になったのだ。

 ならば鬼の根城で鬼達と共に生きることに、なんの衒いがあるものか。
 まさか智子が、今になってこうして人ならざる怪異となり、男達を殺しはじめるとは思ってもみなかったが。
 『殺人桃』などという奇異な名前を与えられてなお、智子はA子の存在に気づかず、男だけを殺し続けている。
 最初は呆れたものだと思っていたが、今のA子はなぜかその姿に、愛しささえ感じていた。
 愚かな男達を言論で一刀両断する憧れのカリスマ女性議員が成長した果てとして見れば、純粋に悪を斬るあの姿は、美しいと言ってもいい。
 今の智子こそ、真の正義の化身だ。

 A子も焦がれた智子の夫であれば、あの姿を見ても彼女の人生を庇い、支えようとするだろう。
 あの可愛くてたまらない智子の息子も、凶悪な連続殺人を犯す母の正体を知っても、その胸に飛び込むことだろう。
 そこまでしてくれるのであれば、A子だって納得する。
 
あの家族は、完璧だ。そして家族とは、他人から見れば異常で、しかしなによりも美しいものなのだ。

 そこに入る隙がなかったというのなら、これはもう仕方ない。A子も改めて前向きに生きられるだろう。
 あの不穏な夢も、なんとか自分の中で整理をつけられる。

 ――そう。
 A子もまた、智子と同じような夢を見ていた。

 議員になってから夢がはじまったという智子とは違い、A子の夢は十代のころからだから、もう十年以上の付き合いになる。A子の夢もまた人殺しの夢であって、殺す相手は見知らぬ女性であったり、自分を捨てた男であったりした。
 智子を殺したこともあるし、智子の夫を殺したこともあった。息子も殺した。
 実際に現実で人を殺せば悪夢の日々も終わるかと思ったが、智子亡き今、むしろ夢見は悪くなっている。自分で直接手を下さなかったからかもしれないが、他にも原因があるのかもしれない。
 A子はもう、夢と現実を区別することを諦めていた。
 智子がなぜA子と同じような夢を見ていたのかも、A子にはわからなかった。A子から智子に詳しい夢の内容を話したことはなかったのだが、人を殺すという状況も、大切な相手を殺してしまうという結果も同じだった。
 あるいはあの夢は、流行り病のように感染するのだろうか。
 あるいはあの夢は、夢自体が意思を持つ、人知を超えたなんらかの現象であって、人の心に取り着くナニカなのか。

 ならば、A子に罪はない。
 A子も智子も、『夢見人』に過ぎない。
 A子が悪夢を見たのではなく、悪夢がA子を見ていたのだ。

 書類の整理が終わり、A子は終電に乗り込む。
 心地よい振動に揺られながらいつものように夢を見て、深い眠りの門に入る。
 そこは闇より暗い黒煙に包まれ、激しい炎に身を焼かれながら、『殺人桃』が誰かに日本刀を振り下ろそうとしている。
 A子はうっとりと、彼女の背中に語りかける。

 先生、先生。
 世の中の正義と悪には気づいても、私の気持ちには一切気づいてくれなかった、岡山先生。
 正義と家族にしか興味がなかった、岡山先生。
 もう私からは触れられない、岡山先生。

 私がどれだけ貴方達を好きだったか知らないでしょう。
 私がどれだけ貴方達の家の匂いが好きだったか知らないでしょう。
 私がどれだけ――。

 ―――本当にどれだけ。
 
 貴方達を殺す夢を見たか、知らないでしょう。
 貴方は私を殺す夢を見てくれませんでしたね。
 
 貴方が本当に憎いこともあったけれど、今はそんな気持ちも消えました。
 今の貴方は、あのころよりも、誰よりも。
 
「綺麗です、先生」

 夢の中でひとりごとを呟いて、A子は明日も仕事を頑張ろうと思った。

        

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