『NG』前日譚小説 “殺人桃” 【第3話】

エクスペリエンスによる“心霊ホラー”シリーズ第2弾『NG』の前日譚小説。その“殺人桃(さつじんとう)”を全5話で紹介する。

 ジャパニーズホラーの静かな恐怖をコンセプトに、エクスペリエンスが贈る“心霊ホラー”シリーズ第2弾『NG』。プレイステーション Vita向けに2018 年9月13日に発売予定の同作の前日譚小説をお届けする。その“殺人桃(さつじんとう)”の3回目。

著者:保坂 歩

「先生、先生。一度、旦那様ときちんとお話しされたほうがよろしいのでは……?」

 翌朝、移動中の車内で秘書が言った。
 この世で智子の夢の内容を知るのは、運転手と彼女だけだ。寡黙な運転手と違って、なんでも自分の言葉で反応してくれる彼女は、智子にとって貴重な友人であり、カウンセラーでもあった。
 今も近すぎる距離に座り勢い余って智子の手を握ってしまっているのだが、慣れている智子は彼女の指を払わない。
 人との距離を間違う彼女は、どうやら他人の体温を感じながら話すことでようやく相手の気持ちに共感できるらしい。老若男女問わずその方法でコミュニケーションを取られると立場的に困ってしまうが、悲しいかな議員秘書という職業は他人に共感などできないほうが気楽にこなせるらしく、彼女がコミュニケーションを取りたい相手も限られているそうだ。
 いつもは智子の夢を冷静に読み取りアドバイスをしてくれる彼女も、今回ばかりは困惑したらしい。一瞬、言葉に詰まりながら、ひと呼吸置いて最も健やかなリアクションを返してくれた。智子はそのアドバイスに頷き、

「やっぱりそうよね。こんな夢を見るようでは、社会人として健全とは言えないわ」

 嘆息する。
 だが秘書は、ダダをこねる子どものように勢いよく首を横に振った。

「どんな夢を見たって、どんな妄想をしたって、不健全ということはありません。むしろ、不健全な夢を見られる心こそが健全な心と言えるのではないでしょうか?」

「そうかしら。人を殺してしまう夢が健全だとは思えないわ。こんな夢に悩まされている場合じゃないのに……」

「先生。先生のような特殊なお立場の場合、夢の内容を見たまま解釈すべきではありません」

「……というと?」

「先生が本当の意味で健康にしたいのは、この社会でしょう」

 強い口調で彼女は言う。

「もちろんそのつもりよ」

 同じ語調で智子も返す。
 理由は複数あるが、智子が治癒したいのはこの社会に潜む病根だ。

 空気を健やかに。

 道路を健やかに。

 男性を健やかに。

 女性を健やかに。

 ――全ては、子どもが健やかであるために。

 それが智子の夢であり、願いであった。

「先生は世の中を正しくするために、世の不健康を誰よりも深く考えていらっしゃいます。夢で起こることは、先生が戦おうとしている相手とどれだけ真剣に向き合っているかを示しているんです」

「どういうこと……?」

「それは、尺度なんです。本気の尺度が、夢の中で形になって現れるんです」

「人殺し――なんていう形で? やっぱりそんなの不健全じゃないかしら」

「人を殺してしまうほど、です。夢で人を殺すことが不健全なら、世の中は犯罪者だらけになってしまいますよ?」

 貴方もそんな夢を見たことがあるの、と智子が聞くと、彼女はもちろんです先生と答えた。

「自分がいる環境を整理したい、正したいと願うことは普通のことですよ。そんな真っ直ぐな意識を持つときは、なにかを壊したい願望も一緒に生まれてくるものです」

「確かに――ね。硬直した状況を壊していかないと、望んだ変革も起こり得ない。当然すぎることだわ」
 
 男性原理の社会を解体して、女性が――母親が社会に出ていくためには、どこかで過激な破壊を行なわなければならない。それは事実だ。

「極端に思われるかもしれませんが、先生。先生は、夢で殺してしまう対象ほど、深く愛しているのではないでしょうか。無意識かもしれませんが、これまでの夢の中に出てきた相手にことも……」

「記憶の中にいない子どもの姿もあったわ。老人だって、男性だって」

「誰でもない子どもは、先生にとって守るべき子ども全体を指すのでしょう。子どもを守る社会は、老人だって守ることができる安全な社会でなければいけない。それに先生は――」

 ――先生は、男性を見捨てるつもりもないはずです。

 秘書はなぜか恥ずかしそうにそう言った。

 その通りだと智子は思った。
 男性が有利すぎる社会を壊すことと、男性を憎むことは同義ではない。
 智子は男性と女性の権利を同等にしたいだけであって、男性を社会的弱者に追い込みたいわけではなかった。
 古い思想の男性相手に言葉を強くしてしまうことはあるし、売り言葉に買い言葉で答えてしまうことは多々あったが、それは智子の真意ではない。
 父と母が、互いを殺し合わない社会であること。
 言葉にするとこんなにも簡単そうなのに、それが実現したことは歴史上一度もない。

「誰にも死んでほしくないから、私は夢の中であえて殺すのかしら。そして現実で、それは絶対行ってはいけないことだと胸に刻むのかしら」

 愛しすぎている者を殺す。殺されてほしくなさすぎて、殺される状況を想定し、絶対にその状況を防がねばと考える。
 そう言われると確かに、あの異様な夢も不健全でない気がしてくる。

「私の解釈ですが、先生なら無意識でそのように思われても不思議ではありません。先生の旦那様も息子さんも、本当に素敵なかたですし」

「過大評価よ」
 
 身内贔屓の激しい彼女の言い分に、智子は苦笑する。
 秘書は夫とも息子とも面識があり、家族旅行に誘ったこともある。息子も彼女に懐いており、実のお姉ちゃんのように懐いていた。夫も妹のように思っているし、ときどき智子よりも彼女の将来を心配しているのでは、と感じることもある。もちろん夫に邪念などはない。彼女が智子を支えてくれることを承知で、健康でいてくれることを望んでいる。
 そんな家族のような彼女が、智子が夫を殺す夢をできる限りポジティブに解体し、希望ある形に再構成してくれたのだ。
 そう思うと、不健全でよくないように思えた夢も、前向きに捉えられるように感じられた。

「ありがとう。ようやく納得がいったわ。今夜にでも、夢のことを夫に話してみる。抱えているのも気持ち悪いし、受け止めてほしいから」

「受け止めてくれますよ、必ず。そして明日も健やかに、社会の病と戦いましょう!」
 
 頷く秘書の顔が朗らかで、智子はなんだか癒されてしまった。自分の手を握る指にも、痛いぐらいに力が入ってくる。
 歩き出すための戦意が満ちてきて、智子は彼女の細い指を強く握り返す。
 彼女の指を流れる赤い鼓動が、智子の鼓動を刺激した。

◆   ◆   ◆

 夕食を終えたら少し時間を取ってほしい、と智子は言った。
 鬼気迫る表情だったらしい智子の言葉に、夫は「わかった」とだけ呟いて食器を洗いにいった。
 智子はわずかに残った時間で浴槽を掃除し、次回の区議会で扱う資料に目を通す。
 その間息子は、テレビのコント番組に夢中になっていた。昼は保育園に預けているため、今の時間は特に両親が恋しいはずだ。
 静かでいてくれることはありがたい。甘えてこられたら焦ってしまっただろう。
 仕事は正義であり、家族は正義だ。正義を肯定し、証明するためには息子の手を払い除けてはいけない。だから、甘えられたら抱き締めなければならない。
 智子のような議員にとって、大規模な汚職と個人の育児は、同列に扱うべき重要な社会問題なのである。

 正義は――。
 ――人の倫<みち>は。

 踏み外してはならない。この生き方を選んだ以上、他の道はないのだ、と智子は今日改めて悟った。
 人を殺すほどの覚悟を抱えてでも、戦うべき道がある。
 それを、夫にも理解してもらわなければならなかった。

 智子が心を研ぎ澄ませてダイニングにやってくると、夫はすでに二人分のコーヒーをカップに注いで座っていた。
 椅子に腰を下ろした智子が話を切り出そうとしたときに、夫が発したひとことで智子は腰を抜かしそうになった。

「夢の話かい」

 夫は平然とそう言った。

「どうしてわかったの!?」

 智子は唖然とする。自分の声が震えているのがわかる。

「ふたりで話したいっていうなら、そのことかと思った。区議会のことを愚痴りたいなら、もっとざっくばらんに話すだろ」

 夫は笑ってカップに唇をつける。

「……いつから知ってたの」

「ごく最近だよ。夢でうなされてるのは気づいてたけど、どんなに強く揺すっても起きないから諦めてた。苦しそうで可哀そうだったけど、いくら夫だからって夢の中まで踏み込みのはどうかと思った」

 ――そうだった。夫は、こういう人だ。

 智子は思い出す。
 ジャーナリストとして他人や組織の内部に踏み込まなければいけない機会が多い故に、踏み込まれる痛みを誰よりも知っている。
 だから交際をはじめた最初のころは智子のほうがリードしなければならず、しかし仲が深まったころには誰よりも智子を大事にしてくれた。
 家族の中にあっても礼儀を忘れず、それを壊さないことで家族を保つ。それが夫の美学だった。

「あんなに苦しそうなのに、目が覚めても相談しない。理由があるんだろうって思ってた。だから君から話し出して待ってたんだ。もちろん、あまりにも苦しそうだったら多少嫌われてもいいから強引に起こそうって思ってたけどね」

「……心配かけてたのね」

 夫はこんなにも心配してくれていたのに、長い間、なぜひとりで抱え込んでしまっていたのか。安心と虚脱感が智子の体を襲う。

「これでも夫なんだから、心配ぐらいさせてくれよ。子どものことだって、一緒に悩むって約束しただろ?」

 夫はテレビを見る息子の後ろ姿を見やる。耳の形が君に似ている、と夫はよく言っていた。
 目じりは夫に似ている、と智子は思っていた。

「あいつも君のことは気にしてた。もっと甘えたいだろうに、君が疲れてることを察して自分からひとり遊びを選んでる」
 
「あの子が……」

 突然息子の背中が、自分より成長した大人のように広く見えた。こちらの視線に気づいたのか、息子が振り返る。
 淀んだ智子の顔を見て、息子はニッコリと口の端を広げて笑い、手を振った。
 その瞬間、智子の中から全ての曖昧な鬱屈が消えた。

 ――なにも苦しむことはなかった。

 この夫とこの息子がいて、懊悩しながら生きていく必要などない。
 まっすぐに、感じるままに、歪んだ社会と立ち向かえばいい。
 この狭い原理の上にあるものがガラスの天井であるなら、智子と、智子を信じる者達が拳を振り上げればよいのだ。
 智子の胸はすっかり晴れやかだった。

「なんだかもうスッキリした顔しちゃってるけど……せっかくこうして向き合ったんだから、話してくれないか?」

 夫の言葉に智子は力を込めて頷き、まずは冷めきったコーヒーに口をつける。 
 
「とても――とてもひどい、夢だったの」

 遠い過去に通り過ぎた青春を思い返すように、智子は話しはじめた。
 殺伐な言葉は息子に聞こえないよう気を遣い、ひとつひとつの悪夢を語る。
 夫は全く話を遮らず、長い時間をかけて智子の話を聞いた。その途中で息子の睡魔が船をこぎ、一緒にベッドへ運んでから、夫を夢の中で殺した話をした。
 陰惨な話をしているはずなのに、智子はあらゆる邪悪な妄想から解放されていく気分を味わい、彼女の人生を受け止めてくれる夫の愛に感謝した。
 そして、今日こそは人を殺さない、と自分の意識に言い聞かせた。
 
 ――もうあの地獄のような夢は、見ない。絶対に。

 夢のことでその日は少し夜更かしをして、とっておきのワインを嗜みながら二人で夫の好きな時代劇を一緒に見た。
 往生際の悪い悪代官の申し開きを、面を被った浪人が聞いている。

「ならば、申せ」
 
 と問いかけながら、許されざるその悪行を断罪する。
 
 物語の中であれば、やはり勧善懲悪は気持ちいい。あの夢もきっと、この時代劇のようなシンプルな断罪を望みすぎた智子の理想だったのだろう。
 酒の力もあってか、朝まで智子は熟睡した。

 翌日。
 智子は夫と息子が、新しいおもちゃを求めてデパートに向かうのを見送った。

 二人の死を知ったのはその日の夕方だった。

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