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『レッド・デッド・リデンプション』~情無用の無頼平野

Text by マスク・ド・UH

公開日時:2018-08-23 12:00:00

 『レッド・デッド・リデンプション』(以下、『RDR』)とは、どういうゲームだったのか? ひと言で説明するならば、それは“革命”だった。オープンワールドというゲームジャンルにおいても、ガンアクションというゲーム性においても、そのグラフィックもストーリーも、既存のゲーム作品とは完全に一線を画していた。ロックスター・ゲームスが取り組んだのは、単に“100年前のアメリカ合衆国の世界”を再現することではなく、最新のテクノロジーによって不可能とされていたことを可能にする、大いなる挑戦だったのだ。だが、具体的にどのような部分が革命であり、挑戦だったのか? リリースから8年が経過し、正統な続編となる『レッド・デッド・リデンプション2』の発売を目前に控えたいまだからこそ、改めて検証してみたい。

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西部劇のゲームは売れない

 大前提として押さえておきたいのは、『RDR』の登場以前までは「西部劇のゲームは売れない」というジンクスがゲーム業界にはあったということだ。ガンアクションだけならば、近代の戦争や未来を舞台にした内容のほうが売れるという理屈であり、実際にそうだった。そのジンクスは日本でも海外でも共通しており、山ほどあるゲームタイトルの中でも西部劇をテーマにした作品は非常に少ないし、マニアックな評価でカルト的な人気を博した作品はあっても、ヒット作は皆無に等しい。それゆえに、「西部劇のゲームなんか作るのは予算の無駄」というポジションに置かれても仕方がなかったのだが、そこに敢えて挑戦したのだ。フタを開ける(=リリースされる)までは、成功も失敗もわからない。市場リサーチなんて何の役にも立たない世界である。外野の言うことには耳を貸さずに、ただひたすらに自分たちのゲームの素晴らしさを信じて開発を続けたロックスター・ゲームスの姿勢は、嘲笑されながらも箱舟を作り続けたノアのような心境だったのではないだろうか?

 しかし、リリースされた『RDR』は、西部劇のゲームとしては異例のメガヒットとなり、人々の西部劇というジャンルに対する関心も大きく変わったと思う。ゲームのみならず、ハリウッド映画市場ですら、『RDR』以降は西部劇が増えたと感じるほどだし、実際に増えていた。そこまでのムーブメントを生み出した『RDR』には、開発に秘められた歴史とゲームの細部にまで宿った魂があると、筆者は考える。

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 そもそも、『RDR』には母体となる作品があった。2004年にリリースされた『レッド・デッド・リボルバー』(以下、『リボルバー』)だ。もともとはカプコンが企画したPS2初のウエスタン・アクションだったが、諸事情により頓挫し、ロックスター・ゲームスが開発を引き継いだタイトルである。オープンワールドではなくステージクリアー型で、難度もけっこう高く、マシンスペックの限界からマップを自由に行き来することもできなかったが、おなじみの“デッドアイ”システムや立体的なステージデザインなどは、後の『RDR』に活かされている。また、サントラやダイナミック・スコアにも、西部劇映画の名手エンニオ・モリコーネやブルーノ・ニコライによる、実際に映画で使用された音楽を数多く収録しており、当時プレイしていた筆者はその豪華さに震えたものである。

 『リボルバー』は150万本という、当時としては好セールスを記録したが、ロックスター・ゲームスとしては、その仕上がりに完全に満足していたわけではなかった。テクノロジーやマシンスペックから見ても、自分たちの理想を具現化するのは、当時の技術力では難しかったのだ。しかし、あきらめたわけではない。『リボルバー』のリリースから6年後に、その思いは結実する。

ついに実現した究極のゲームデザイン

 2004年から2010年のあいだに、ロックスター・ゲームスは『グランド・セフト・オート:サンアンドレアス』や『グランド・セフト・オートIV』(以下、『GTAIV』)といった、超メガヒットタイトルを連発。プラットフォームもPS2からPS3に移り変わり、オンラインの状況も整備され、現在の標準となっているビデオゲームシーンの礎が築かれつつあった時代である。マシンスペックはPS2時代と比較しても爆発的に向上し、もはや開発不可能なものはないとまで言えるほどに可能性が拡大したとき、満を持して『RDR』は解き放たれたのだ。

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 『RDR』は、その時点で送り出されたロックスター・ゲームス作品におけるデザインや技術力のすべてが集約されたタイトルだったと、筆者は考える。『GTAIV』においては、初のHDコンソールということもあり、開発は手探りの部分も多かったのだが、その『GTAIV』を経由することで、開発はマシンスペックのすべてを『RDR』に注ぎ込むことができた。とくに、プレイヤーとNPCとの関係性や、オンラインのシステムに関しては、『GTAIV』で構築されたデザインを基本にしつつ、大きく進化させていた。無論、それだけで終わるはずもなく、さらに新しい表現にも果敢に挑んでいる。そのハイライトが、マップにおける情景表現と“馬”である。これは、以前に『RDR』のインプレッションで書いたことのくり返しになるが、重要なポイントなので再び指摘しておきたい。

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 『RDR』のマップは、現代社会が舞台となる『GTA』シリーズとはまったく違い、100年近く前の北米大陸である。ビルや家屋が密集する『GTA』のマップは、建造物やさまざまなオブジェクトを配置することで、ある程度は形が作りやすいのだが、100年前となると話は違ってくる。

 とにかく何もない荒野が広がり、地平線まで見渡せる世界だ。だからといって、平坦な原野だけではゲームにならない。山あり谷あり河あり湖あり森林あり、崖もあれば雪に閉ざされた高地もあるし、農家もあれば、汽車が停まる中規模な市街地もある。これらの世界を作り上げることは、近代的な都市を作り上げるよりもはるかに難しい。

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 さらに、雄大な大自然の環境下においては、人間以外にもいろいろな生物がいる。『RDR』の世界に生息する生物は、熊やバッファローに始まり、うさぎ、コウモリ、狼、ハゲワシ、狐や犬まで、じつに多種多彩だ(果ては雪男やユニコーン、ゾンビまで登場する)。人間同士のドラマの中に、これらの野生動物たちをスンナリと同居させ、有機的に連動させるには、それまでのオープンワールドのゲームデザインにおけるレイヤー構造をいちから見直さなければならなかった。結果は皆さんのご存知の通り、敵となるのは人間だけではなく、100年前の荒野らしいスペクタクル感溢れる世界が作り上げられたが、そんな動物たちの中でも、もっとも苦労したのが“馬”だった。

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 馬は単なる移動手段ではなく、心を通わせられる相棒でもある。その時点で、『GTA』におけるクルマとはまったく意味合いが違う。野生馬も存在し、捕獲することで愛馬に育てることもできるが、競馬ゲームのような交配による血統ではなく、本気でロデオを乗りこなして飼い慣らし、なおかつ頻繁に乗りこなすことで成長するという、いわば一種のペット育成ゲームのような側面を持っている。しかも、その馬の挙動のリアルさ、毛並みと質感、立ち振る舞いの美しさも尋常ではない。モーションキャプチャーのスタジオに本物の馬を連れ込み、長い時間をかけて研究した成果が、あの馬のヒップラインに集約されているのである。

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 市街地あり、荒野あり、そして動物あり。これらの要素がひとつなって、初めて真の意味でのオープンワールド、究極の仮想世界が完成した。そして、『RDR』で実現したゲームデザインと世界観は『GTAV』に引き継がれ、トレバーの暮らすブレイン郡でさらに進化を遂げて、その実力が発揮されている。まさに「ロックスターは1日してならず」だ。すべては研鑽の積み重ねによる結果なのである。

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男泣きの物語

 ゲームデザインについても革命的だった『RDR』だが、その物語も熱い。主人公であるジョン・マーストンはかつて、悪名高き集団“ダッチギャング”の主要メンバーだったが、すでに若くないマーストンはギャング稼業から足を洗っていた。しかし、ギャング壊滅を狙う連邦警察に、その過去に目を付けられ、愛する家族を人質にされたマーストンは、ギャング討伐のために力を貸すことを強要される。かつて苦楽を共にし合った仲間たちを殺すか? それとも、家族を取るのか? マーストンは家族を選んだ。その結果に待ち受けるマーストンの運命を目の当たりにした筆者は、コントローラを握りながら泣いた。

 これまでに、手に汗握る展開やエンディングの壮大なムービーを観て感動したゲームは数多くあったが、プレイしながら泣いたのは初めてだった。映画を観て感動のあまり涙するのと同じ感情を、ゲームで味わえる日が来るとは思わなかった。グラフィックも含め、どこかコミックっぽさが残され、現代社会への皮肉が込められた『GTA』シリーズとは違い、『RDR』はシリアスな人間ドラマと徹底的なリアリズムがある。これは100年前の世界だから成立するリアリティーであり、産業革命による新世界の到来と、時代の変化から取り残された荒野の無頼漢だからこそ表現できた物語といえるだろう。

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 西部劇映画も同じで、その初期こそは正義の保安官が悪党のガンマンを倒す勧善懲悪のストーリーが多かったが、時代が移り変わるにつれて設定もリアルになり、単純に正義や悪というだけでは括れない複雑なドラマが増えていった。

 セルジオ・コルブッチ監督によるマカロニ・ウエスタンの傑作『殺しが静かにやって来る』(1968年)は、悪党に喉を切り裂かれて声が出ない主人公ガンマンと、悪逆の限りを尽くす賞金稼ぎ集団との対決の物語だが、クライマックスに勝つのは悪党側だ。そのどちらにも正義があり、理由があり、勧善懲悪の思想とは次元が違う徹底的に現実の非情さ、リアリズムを追った西部劇がたどり着いたひとつの結論だった。

 『RDR』にもその片鱗があると筆者は感じる。正義とは何か? 秩序とは何か? 生きる理由とは何か? 『RDR』の物語には、そんなことを考えてしまう圧倒的な深さがあるのだ。そして、リリースが迫る『RDR2』においても、その物語に注目せずにいられない。新たなシステム、進化したゲームデザイン、美麗なグラフィックも当たり前にすごいのだが、やはり物語こそ『RDR』の骨子なのだ。

 筆者はまだプレイしてもいないのに、もう泣きそうなのであった。ハンカチではなくバンダナ100枚用意して、早く『RDR2』に挑みたい所存であります!

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