2023年10月4日より、アニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』が放送開始された。マイクロソフトのOS“Windows95”が発売される以前、おもにNECのパソコンPC-9801シリーズをプラットフォームに花開いた美少女ゲーム文化をフィーチャーしたこの作品には、1990年代に発売されていたパソコンやゲームソフトがあれこれ登場する。

 この記事は、家庭用ゲーム機に比べればややマニア度が高いこうした文化やガジェットを取り上げる連動企画。書き手は、パソコンゲームの歴史に詳しく、美少女ゲーム雑誌『メガストア』の元ライターでもあり、『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』にも設定考証として参画しているライター・翻訳家の森瀬繚(もりせ・りょう)氏。

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アニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』(Amazon Prime Video)

1980年以前のコンピューター×お色気 ニューヨークタイムスに掲載された“画像”

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 16bitセンセーション』第8話、1985年にタイムリープする六田守だが、作中でくり返し伝えられている通り、彼自身は美少女ゲームにとくに興味がないこともあって、このエピソード内でこのジャンルのアーリー・ヒストリーに踏み込んでいないもそのためだ。

 よって、第8話の担当シナリオライターとして補遺の意味合いもこめて、1980年代以前のアダルト向けソフトウェアの歴史についてお話をさせていただきたい。

 19世紀に普及した英文タイプライターが、すでにして数え切れぬほどの官能小説を生み出していたことに鑑みると、コンピューターとポルノの結びつきは、計算処理と文字列処理の機能がそなわったノイマン型コンピューターの登場の瞬間に、その登場が約束されたものと言ってしまっても過言ではないかもしれない。職場や研究室に導入されたばかりのコンピューターを使って、ちょっとしたいたずら心を形にした人間はいくらでもいたはずだ。

 そうした中のひとりに、1963年からベル研究所の研究者となったケネス(ケン)・チャールズ・ノールトンがいた。コンピューターグラフィックス研究の先駆者である彼は、1966年にコンピューターの文字列でハーフトーンを表現することで写真をデジタル化するプログラムを開発し、その過程のちょっとした茶目っ気として、横たわる女性(モデルはマンハッタン在住の振付師だったデボラ・ヘイ)のヌード写真を電子化&プリントアウトし、休暇で不在だった上司の執務室の壁に貼り付けた。

 この“画像”はコンピューター業界で大いに話題となり、ついには1967年10月11日付のニューヨーク・タイムス紙において、「アートとサイエンスがアヴァンギャルドなロフトで提携を宣言」というアオリとともに大々的に紹介されることになった。この画像こそが記録されている限り歴史上最初の、かつ衆目に晒された最初の“エロ画像”であり、1851年の創刊以来ニューヨーク・タイムスに初めて掲載された正面フルヌードでもあったということである。

 また、このヌードCGは1968年に1969年にかけてニューヨーク近代美術館で開催された特別展“メカニカル・エイジの終焉に見られるマシーン”にも、“Computer Nude(Studies in Perception I)”なるタイトルで展示されたとか。

想像力が必要なコンピューター黎明期の“お色気ゲーム”。それはPCの誕生・発展とともにあった【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第9回】
1967年10月11日付ニューヨーク・タイムス紙

 ちなみに、コンピューターの半角英数文字でドットの濃淡を表現する技法は、文字列しか出力できなかった初期のドットインパクトプリンターで、コンピューターグラフィックスをプリントアウトする際にも使用されたので、1970~80年代にマイコン/パソコンに触れていた人間ならばどこかしらで触れたこともあるのではないだろうか。「/」「)」といった文字に含まれるラインや点も活用して“絵”を表現する今日的なアスキーアート文化とは似て非なるものではあるが、発想は近いものである。

想像力が必要なコンピューター黎明期の“お色気ゲーム”。それはPCの誕生・発展とともにあった【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第9回】

 ともあれ、この試みによってコンピューターで絵を描けることが周知され、同様の試みに手を染めるプログラマが一気に増えたようだ。米国のジャーナリストであるスティーヴン・レヴィは、草創期のコンピューター業界を支えた“ハッカー”(注:当初は、コンピューターに侵入して情報を盗み取るなどのイリーガルな行為に手を染める技術者ではなく、凄腕のプログラマを指す言葉だった)たちの生態を赤裸々に描いた著作『HACKERS』(邦訳は工学社)の中で、つぎのように書いている。発想の源は似通っていると言えなくもない。

 「どこの計算機センターにもたいてい、セックスと関係のある独自の特製プログラムやら何やらがあった。わいせつなジョークを並べ立てるプログラムもあれば、女性のヌードをディスプレイに映し出すプログラムもあった」(森瀬繚・訳)

 さて、プログラムが“著作物”であるという概念がまだなく、商業市場で製品として販売されるソフトウェアが存在しなかった時代、ポルノ要素を備えたソフトが誕生した瞬間を特定するのは、なかなか難しい。大学や企業のコンピューターで無数に生み出されては管理者から消されていった、文字通り泡沫のごとき娯楽用途のソフトウェアのうち、記録されているものはごく一部で、性的なものとなるとなおさらだ。

 数少ない具体的な証言として、ドイツのソフトメーカーであるゴールデン・ゲームズ社(1986~88年)の創設者のひとりであるディーター・エックハルトが、1970年代後期にデュッセルドルフ近郊の天文台にあったタンディ・コーポレーション社の8ビットコンピューター TRS-80(1977年発売)上で動くストリップ・ポーカーのゲームを作ったというものがある。

 ゴールデン・ゲームズ社の代表作は、ポーカーのゲームで勝利するとモノクロCGで描かれた女性が衣服を脱いでいくという『ハリウッド・ポーカー』(1987年に Commodore 64、Amiga、Atari ST版が発売)で、エックハルトは子供のころにその原型となるゲームを開発したと主張したわけだ。この話は、ポーカーの歴史を扱う英語圏の書籍でもしばしば紹介されているのだが、『ハリウッド・ポーカー』を含む同社の製品の多くは共同創設者であるホルガー・ゲールマンが開発したもので、彼とエックハルトが1987年にたもとを分かっていることもあり、この証言を疑わしいものと見る向きもあるようだ。

 セックスをテーマとする米国最初の商業ソフトウェアは、ニューヨークのシントニック・ソフトウェア社(詳細不明)が1980年に発売したTRS-80用の『インタールード:窮極の体験』(Interlude The Ultimate Experience)だと言われている。近年、下着姿の扇情的な女性の写真をベースにした当時の広告が発見され、インターネット上で話題になった作品だ。

 このソフトは一応ゲームという体裁をとっていて、基本的には男女のカップルの性生活をサポートするべく、両者の趣味や性的嗜好、そのときのムードを入力していき、それに対してコンピューターが助言をするという対話形式で進行する、今世紀の頭ごろまで日本最古のアダルトソフトだと考えられていた光栄マイコンシステム(当時)の『ナイトライフ』(1982年4月)と同系統のソフトだった。なお、付属のマニュアルの方がより優れた性生活の指南書になっていたので、ソフト本体はおまけのようなものだったとの、リアルタイムでプレイされた方(アメリカ人と思われる)によるレビューを目にしたことがある。

 より突っ込んだ内容の性的なゲームソフトが、同じ1980年末にアドベンチャー・インターナショナル社(1979~86年)から発売された『ストリップ・コンセントレーション&ダイス』(Strip Concentration & Dice)で、プラットフォームは同じくTRS-80だ。

 『ストリップ・コンセントレーション(神経衰弱)』と『ストリップ・ダイス』という別個のゲームソフトの2本立てで、ゲームそれ自体に性的な内容は含まれておらず、男女ふたり組で神経衰弱(トランプではなく同じ衣服を選ぶという方式)およびサイコロを用いたギャンブルで勝負し、その勝敗によってプレイヤーが実際に身に着けている衣服を脱いでいくとうルールが設けられていた。

 なお、コンピューターゲームの有料データベースサイトであるMobyGamesには、アドベンチャー・インターナショナル社から発売される以前に、TRS-80用のゲームソフトを開発したPhase-80というメーカーから、おそらく同一のものと思しいソフトが『アダルト・ゲームズ』(Adult Games)のタイトルで1979年に発売されたとの情報が登録されているのだが、事実関係の確認ができていないため保留する。

日本製お色気ゲーム黎明期

想像力が必要なコンピューター黎明期の“お色気ゲーム”。それはPCの誕生・発展とともにあった【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第9回】

 と、ここまで海外の話をしてきたわけであるが、じつは前述の『インタールード』『ストリップ・コンセントレーション&ダイス』よりも早い1979年夏の時点で、日本ではすでに女性の衣服を脱がせるゲームソフトが発売されていたようだ。

 2012年にKONAMIに吸収された、ハドソン(当時)の『野球拳』(1979年)だ。

 “野球拳”というのは、香川県高松市で1924年に開催された実業団系野球大会の懇親会に始まるという宴会芸の呼称で、三味線の演奏に合わせて「野球するならこういう具合にしやしゃんせ。ソラ、しやしゃんせ。投げたらこう打って、打ったならこう受けて、ランナーになったらエッサッサ。アウト! セーフ! よよいのよい!」と歌い踊りながら、当初は狐拳(じゃんけんに似た拳遊び)で勝負するというゲームである。

 勝負方法がじゃんけんに変化した上で、宴会芸として全国的に広まった後に、1950年代から1960年代にかけて負け側が1枚ずつ衣服を脱いでいくというローカルルールが加わったようだ。決定的だったのは、1969年に日本テレビのコント番組『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』の中で演じられたことで、子どもたちのあいだにも一気に広まったらしい。ちなみに筆者は、1970年代初頭に小学生だった親類から、「学校で男女混ざって野球拳で遊んでいた」という体験談を聞いたことがある(さすがに女子はタオルを巻いていたという話ではあった)。

 と、前置きが長くなったが、この野球拳を題材にした初期のソフトメーカーはいくつもあって、ハドソンはそうした中のひとつだった。野球拳が題材のソフトは複数社から発売されていたので、本稿ではとくに“ハドソン版『野球拳』”と呼ぶことにするが、こちらのプラットフォームはSHARP MZ-80KとMZ-700で、1982年に九十九電機やPSK(パソコンショップ高知)などから発売されたグラフィカルな作品に比べると、アスキーアートで描かれたロングヘアの“めぐみちゃん”(19歳、北海道出身)の姿は、ちょっとこれで興奮するためにはかなり高レベルの妄想力が必要なものではあった。

 この時代のゲームソフトにありがちなことに、先行して発売されたMZ-80Kシリーズ向けのハドソン版『野球拳』の正確な発売年月はわかっていない。電波新聞社のコンピューター雑誌『月刊マイコン』1979年7月号(1979年6月売り)掲載のハドソンの通販広告に“野球拳 Z-1036 2,800(円)”という記載があるので、この時期に発売されたようである。

 ただし、岩崎啓眞氏をはじめゲーム史家の調査によると、どうやら同じ型番のソフトでもグラフィックス(?)などの異なる別ヴァージョンが存在するらしく、現在も追跡調査が進んでいる。前後の事情がある程度絞り込めたところで、岩崎氏の発行する同人誌『ハドソン伝説ゼロ』で調査結果が発表される予定とのことだ。

想像力が必要なコンピューター黎明期の“お色気ゲーム”。それはPCの誕生・発展とともにあった【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第9回】
想像力が必要なコンピューター黎明期の“お色気ゲーム”。それはPCの誕生・発展とともにあった【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第9回】
ハドソン発売のSHARP MZ-80シリーズ用『野球拳』。ただし、ひょっとするとヴァージョン違いかも……?(写真撮影:こーたろー)

 ここまで挙げてきたストリップ・ポーカーや野球拳がそうであったように、これは間違いなく“ゲーム”だと言えるタイプのポルノ要素アリのソフトは当初、勝利をおさめた場合のご褒美として、女性の脱衣ないしはヌード画像が表示されるものばかりだった。

 ちなみに、キャラクター(文字)をそれらしく組み合わせたものではなく、カラーグラフィックスのご褒美画像が表示される最初の国産ゲームは、1981年に稼働した日本物産のアーケードゲーム『*フリスキー・トム*』のようだ。ネズミの妨害をかいくぐって水道管を修理し、浴槽をいっぱいにすることが目的のゲームで、ステージクリアすると金髪の女性の入浴姿を楽しめるという趣向だった。本作のセクシー要素はごくマイルドなものだったが、何かしら問題が発生したのか、当初は裸だったのが後期バージョンから水着が描きたされた。

 この方面のアーケードゲームというと、いわゆる脱衣麻雀を思い浮かべる人が多いことだろう。最初の脱衣麻雀もののビデオゲームは同じく日本物産の『ジャンゴウナイト』(1983年)で、アルファ電子の『ジャンピューター』(1981年)に始まるコンピューター麻雀ゲームに、『フリスキー・トム』でお試ししたセクシー要素を加えてみたという流れのようだ。これに続く『ナイトギャル』(1984年)をはじめ、日本物産は以後、数多くの脱衣麻雀をリリースし、20世紀におけるこのジャンルの中心的なメーカーとなった。

想像力が必要なコンピューター黎明期の“お色気ゲーム”。それはPCの誕生・発展とともにあった【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第9回】
想像力が必要なコンピューター黎明期の“お色気ゲーム”。それはPCの誕生・発展とともにあった【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第9回】
『ジャンゴウナイト』チラシ(左)、『フリスキー・トム』チラシ(右)

 では、物語要素のある最初の商業アダルトゲームが何だったのかというと、こちらはどうやら日本製ではなく米国製のゲームソフトで、1981年に米シエラ・オンライン社から発売された、AppleII用のテキストアドベンチャーゲーム『ソフトポルノ・アドベンチャー』(Softporn Adventure)であるようだ。

 シエラ・オンライン社は、AppleIIが登場したばかりの1980年にケン&ロバータ・ウィリアムズ夫妻が設立したソフトメーカーで(当初の社名はオンライン・システムズ)、『ミステリーハウス』(マイクロキャビン社の同名のアドベンチャーゲームとは別)に代表される、“ハイレゾアドベンチャーゲーム”シリーズで成功を収めた後、Apple社やCommodore社の各パソコン機種やIBM PCとその互換機と、じつに20年にわたって米国のPCゲーム業界の顔であり続けた企業である。

 Apple II用では最初のアダルト向け商業ゲームソフトであるらしい『ソフトポルノ・アドベンチャー』は、1981年に発売された。システムは、グラフィックスが表示されず、文章だけで情景を描写するテキストアドベンチャーゲーム。プレイヤーキャラクターをコマンドで操作し、バーで知り合った3人の女性のいずれかとあのあのテこのテで恋愛関係を育み、しっかり避妊も行った上でベッドインするのがゲームの目的だ。開発者はフリープログラマのチャック・ベントン。Applesoft BASIC(AppleII向けの開発原語)の習作としてプログラムしたもので、このゲームを気に入った友人たちの勧めで製品化を考えていた矢先に、パソコンソフトの展示会でケン・ウィリアムズと知り合ったのである。

 完全にテキストベースでグラフィックスは1枚もなく、それ以前に発売されていたアドベンチャーゲームとの違いは、悪意たっぷりの空き家の中でダイヤモンドを探すかわりに、女性の心と体の秘密の場所を探し当ててくださいというくらいのものなのだが、ともあれ大統領就任時の宣誓を聖書に手を置いて行うような敬虔なる国家にあっては、いささか冒険的な製品ではあった。ウィリアムズ夫妻は『ソフトポルノ・アドベンチャー』の発売にあたり、批判、非難が殺到することを間違いないのだが、そうした悪評はむしろ販売を促進してくれるに違いないと確信し、あえて挑発的な広告を打ち出した。

 奥のテーブルに置かれたAppleII一式を背景に、トップレス姿の3人の女性が屋外で浴槽に浸かり(肝心なところは隠していた)、ウェイター姿の男性がやはり下半身をお湯に浸してお酒のボトルとグラスを盆に捧げ持っているという写真をあしらった広告で、ロバータ・ウィリアムズをはじめオンライン社の女性スタッフが自ら出演した。ちなみに、ウェイター役を務めたのは、夫妻が贔屓にしていた地元レストランのウェイター、リック・チップマンである。

 結果、このソフトは『タイム』誌の1981年10月号に大々的に取り上げられた。『ソフトポルノ・アドベンチャー』は、最終的に50000本の売上を記録したと言われていて、これは当時市場に流通していたAppleIIの台数を考慮すると、驚異的な数である。

 ただし、現存する数はそれほど多くないようで、いまこの瞬間、オークションサイトのebayには2本の箱説入り製品が出品されているが、いずれもかなりの高額出品となっている(2023年12月3日現在)。

想像力が必要なコンピューター黎明期の“お色気ゲーム”。それはPCの誕生・発展とともにあった【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第9回】

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