2023年10月4日より、アニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』が放送開始された。マイクロソフトのOS“Windows95”が発売される以前、おもにNECのパソコンPC-9801シリーズをプラットフォームに花開いた美少女ゲーム文化をフィーチャーしたこの作品には、1990年代に発売されていたパソコンやゲームソフトがあれこれ登場する。

 この記事は、家庭用ゲーム機に比べればややマニア度が高いこうした文化やガジェットを取り上げる連動企画。書き手は、パソコンゲームの歴史に詳しく、美少女ゲーム雑誌『メガストア』の元ライターでもあり、『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』にも設定考証として参画しているライター・翻訳家の森瀬繚(もりせ・りょう)氏。

アニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』(Amazon Prime Video)

1980年代のPCアダルトゲームの世界

 前回に引き、続き美少女ゲームのアーリー・ヒストリーを追いかけていこう。よもや、まるまる1回ぶんを使ってようやく『ソフトポルノ・アドベンチャー』にたどりつくような大ボリュームに膨らむとは思わなかったが、どうかもう少しお付き合いいただきたい。

 なにぶん、六田守という愛すべき厄介なPC-98マニアは、ひたすらPC-9800シリーズのハードとソフトをぶん回すことにしか興味がなく、美少女ゲームにはもちろんゲーム好きなのかどうかすら怪しいキャラクターなので、『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』第8話でせっかく1985年にタイムリープしたにもかかわらず、目が行くのはPC-98の周辺機器や雑誌のバックナンバーばかり。

 まさにその時期に花開きつつあった美少女ゲーム文化を完全にスルーしてしまうのである。担当シナリオライターとしては、視聴者に対していささか申し訳ないという気持ちもあったので、この記事をもって補完させていただければと思う。

1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】

 ちなみに、マモルがタイムリープしたのは1985年の5月ないしは6月(不定)。

 店頭展示品の8bitパソコン3台でデモっていたのは、以下の組み合わせになる。

  • NEC PC-8801mkIISR &『テグザー』(ゲームアーツ、1985年4月)
  • SHARP X1Ck &『倉庫番2』(シンキングラビット、X1版は1984年前期)
  • 富士通 FM-77L2 &『ハイドライド』(T&Eソフト、FM版は1985年4月)

 まさにこのころ、千葉県某市の大型家電量販店のPCコーナーに足繁く通っていた筆者が、実際に店頭デモないしは試遊機を目にしたことのあるソフトでありつつ、2023年現在における権利の所在がはっきりしていて、なおかつ実際に許諾の取れた作品であるという、けっこうシビアな条件のもとに選り抜かれた3本なのである。

 このうち『テグザー』と『ハイドライド』については、筆者も立ち上げにかかわったレトロゲームのダウンロード販売サービス ProjectEGG において、Windows系OSで遊べるソフトがダウンロード販売されているので、興味のある方はプレイしてみてほしい。

『テグザー』(PC-8801mkIISR) (Project EGG公式サイト) 『ハイドライド』(FM-7) (Project EGG公式サイト)

 さて、前回紹介した『ソフトポルノ・アドベンチャー』発売の翌年、1982年までいったん時間を巻き戻すことにしよう。

 1982年の4月、後に日本の安土桃山時代や中国の三国時代を題材とする歴史シミュレーションで一躍人気メーカーとなってゆく光栄マイコンシステム(社名は“光栄”、“コーエー”を経て、現・コーエーテクモゲームス)から、『ナイトライフ』というソフトが発売された。

 オギノ式に基づく安全日計算機能や、性行為の時間に基づくお勧め体位の表示機能を持った、ゲームというよりも克・亜樹氏の長寿コミック『ふたりエッチ』の主人公夫婦あたりがおっかなびっくり活用しそうな、その名の通りのナイトライフ・シミュレータである。

 このソフトに続いて、光栄からは“ストロベリーポルノ”なるシリーズ名を冠したアドベンチャーゲーム2作品、『団地妻の誘惑』(1983年6月)と『オランダ妻は電気ウナギの夢を見るか』(1984年11月)が、富士通FM-7シリーズやNEC PC-9801シリーズなど、複数機種向けに発売された。

 後者は映画『ブレードランナー』の原作とされるフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』のパロディーで、人間になりすました逃亡レプリカントならぬ逃亡ダッチワイフを追跡するという内容。あるいは、『イミテーションシティ』(データウエスト、1986年)や『スナッチャー』(KONAMI、1988年)に先立つ国産初のサイバーパンク・アドベンチャーゲームと言えるのかもしれない。

1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】

 しかしその後、日本のゲーム業界屈指の大企業に成長したコーエーは、いつのころからかこれらのタイトルを会社の販売実績に載せないようになった。少なくとも、表向きは……(とはいえ、21世紀に入ってからシブサワ・コウ氏がビジネス誌のインタビューなどでこれらの作品についてコメントしたことがあるので、完全に抹消されたわけではないらしい)。

 ほかのメーカーでも、同じようなことが起きていた。

 たとえば、大手パソコンショップである九十九電機は、マンガ家の槙村ただし氏(当時は、永井豪氏率いるダイナミック・プロの社員でもあった)の開発した『野球拳』を、『ナイトライフ』と同じ1982年に製品化した。槇村氏はこれに続いて、エニックス(当時)の第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストに入賞した『マリちゃん危機一髪』(1983年)を皮切りに、『女子寮パニック』(1985年)、『エルドラド伝奇』(1985年)などのエロ要素のある作品を、同社から次々と製品化した。

1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】
『マリちゃん危機一髪』は、エニックスの第1回ホビープログラムコンテストの入賞作だ(所蔵:RetroPC Foudnation)。
1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】
このころにはすでにゲームクリエイターとして名前が知られていた槙村ただし氏の『エルドラド伝奇』。ストレートな性描写はないが肌色度は高く、ダイナミックプロの血筋が感じられる(所蔵:RetroPC Foudnation)。

 当時のエニックスは、パソコン雑誌との協力のもと“ゲーム・ホビープログラムコンテスト”を開催し優秀な作品をパッケージ販売するというやりかたで、大手パブリッシャーへの道を歩み始めていた。

 やはりマンガ家の望月かつみ氏が、同社の第2回ゲーム・ホビープログラムコンテストに入賞した、やや猟奇的な内容を含む『ロリータ・シンドローム』を発売するなど初期のエニックス作品にはそういった“お色気PCゲーム”が多かったのは歴史的な事実である。

 いまやJRPGの顔のひとつとなった『軌跡』シリーズの人気に後押しされ、国内屈指の人気パソコンゲームメーカーからコンシューマメーカーへの転身に成功した日本ファルコムも、『女子大生プライベート』と題するパズルゲームを1983年11月に発売していた。

 パズルを揃えてセクシーなCGを表示させるゲームで、持ち込み作品を製品化したものである。当時の日本ファルコムはPCショップで(なんとAppleの公認代理店だった)、常連客の開発したゲームを販売するうちにソフトメーカーの体裁を整えていったのだ。

 ちなみに、『レリクス』やパソコンゲーム版『銀河英雄伝説』シリーズで有名なボーステックもまた、『ピーピングスキャンダル』(1984年12月)という絵合わせタイプのパズルゲームを製品化しているのだが、これは『女子大生プライベート』と同じ開発者の手になるソフトである。

1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】
第2回ホビープログラムコンテストの入賞作『ロリータ・シンドローム』。マンガ家の槙村ただし氏、望月かつみ氏といい、当時は雑誌ライターだった堀井雄二氏といい、すでになにがしかの業界で働いている“プロ”の応募者が目立つコンテストだった(所蔵:RetroPC Foudnation)。

 『ハイドライド』シリーズや『ディーヴァ』で知られるT&Eソフトも、『プレイボーイ』と題する、ちょっとだけアダルト要素のある持ち込み作品を1983年7月に発売した。

 女性とデートするタイプの恋愛シミュレーションゲームである同作は、コンピュータグラフィックスで描かれた女性キャラクターの“目パチ・口パク”のアニメーションを表示する、日本国内では最初のPCゲームだと言われている。

 このアダルトゲームの黎明期において、ビックリするような経緯で発売された作品もあった。光栄から発売された『マイ・ロリータ』(1984年)は、当初は『ロリータ・シンドローム』の続編として開発された作品だった。

 しかし、前作に勝る過激な内容に、エニックスでは発売できないということでお蔵入りになりかけたところを、光栄が拾う形で発売された。このとき、“COMIX”というブランド名が掲げられたのだが、望月かつみ氏によると、これは要するにエニックスと光栄の合同ブランド名 だったということである。

1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】
T&Eソフトの『プレイボーイ』。『Oh!PC』(日本ソフトバンク)にソースコードが掲載されたことがあった(所蔵:RetroPC Foudnation)。
1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】
イワクつきの『マイロリータ』。“COMIX”の文字に注目(所蔵:RetroPC Foudnation)。

 ここまでに紹介したのは、この時期に発売されたアダルトゲームのごく一部に過ぎないが、いずれも一般向けのゲームソフトの販売元として有名なメーカーばかりである。

 PCゲームの市場が生まれて間もなかったこともあり、後に株式上場して大企業に成長するようなソフトハウスもまだまだ若く冒険的で、こうしたアダルト向けのゲームソフトに手を出したメーカーが多かったのだ。

 しかしその多くは、1990年代を迎えるころには会社の製品履歴から消し去られることが多かった。“おおらかな時代”とも形容される規制前の時代――それは、歴史の闇に封印された黒歴史の時代なのである。

 それにしても、1980年代の前期に、どうしてこのようなゲームソフトがつぎつぎと登場することになったのか。その背景には当時、同時多発的に各メディアで花開いていた“ロリコン・ブーム”と呼ばれる面妖なムーブメントがあった。

1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】

 たとえばアダルト向け写真雑誌の世界では、『少女アリス』(アリス出版)や『プチトマト』(KKダイナミックセラーズ)、『ロリコンHOUSE』(三和出版)といった、未成年の女性を被写体とする雑誌(自動販売機専売のいわゆる“ビニ本”も含まれる)がつぎつぎと登場した。

 古くは劇画調の絵柄とストーリーが中心だったアダルトコミックの世界にも、アニメ調にデフォルメされた“かわいい系”の絵柄の作品が登場し、『レモンピープル』(あまとりあ社、1982年創刊)や『漫画ブリッコ』(白夜書房、1982年創刊)などの雑誌上で盛んに発表され始めた。

 この時期、俗な言いかたになるが二次元と三次元の雑誌は、少なくとも作り手の側はまだまだ混然としていて、読者も含めて完全に分化するのはもう少し後のことだった。このことは当時活躍していた内山亜紀氏をはじめとする“かわいい系”の漫画家が、そうした写真雑誌にもしばしば寄稿していたことからも窺える。

 当時活躍していたマンガ家の中でも、SF専門誌『奇想天外』(盛光社→奇想天外社、1974年創刊)の別冊に発表した『不条理日記』で数多くのSFファンを熱狂させ、限定的なジャンルの中ではあったものの一時代を築いた吾妻ひでお氏の登場は、“神”の降臨に近いものがあった。ちなみに同氏は前述の『少女アリス』誌にも1979年から80年にかけて『AZUMA HIDEOの純文学シリーズ』と題する連載をもっていたということである。

 彼の『やけくそ天使』、『ななこSOS』などの作品を通して彼の影響を受けたクリエイターは数知れず、その中にはテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』などでカルト的な人気を集めたガイナックスの前身、ゼネラルプロダクツのメンバーも含まれている。

 その吾妻氏を「神とあがめている」と公言するクリエイターの中に、武市好浩氏という人物がいた。

 PCショップ高知(PSK)というショップブランドから製品化された、『ロリータ 野球拳』(1982年)、『ロリータII 下校チェイス』(1983年)、『ファイナルロリータ』(1986年)の3部作の開発者である。

 PCショップ高知は、その名の示す通り高知県内に店舗を構えていたPCショップ。武市氏はそのショップの店頭でプログラムを打ち込んでいた常連客のひとりだった。『ロリータ 野球拳』は、そんなプログラムのひとつに店長が注目し、パッケージソフトとして発売したもの。

 吾妻ひでお作品から強い影響を受けた特徴的な絵柄と、『ロリータII 下校チェイス』以降のアドベンチャーゲームで展開されるシュールなシナリオは、『ロリータ・シンドローム』の過激っぷりにはちょっとついていけなかったPCユーザからも好評をもって受け入れられたのである。

 ちなみに、PSKのアダルトゲーム作品の開発者たちや、前述の槙村ただし氏、望月かつみ氏は、描画速度の速さから、富士通のFMシリーズを使用していた。

 しかし、FMシリーズがアダルトゲームの中心的なプラットフォームだったのはわずか数年で、ザイログ社のZ80ないしはその互換CPUを採用していたNECのPC-8801シリーズやSHARPのX1シリーズに徐々に追いやられ、衰退していくことになる。(注:筆者は当時、筋金入りのFMユーザだった)

1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】

 最初期のアダルトゲーム・ジャンルは、たとえばゲーム中の登場人物の年齢などについての明確な規制が存在していなかっただけでなく、試行錯誤に満ち満ちた、あらゆる意味で何でもありのジャンルだった。アダルトゲーム・ジャンルとはいうものの、要は裸の女の子と性行為を示唆するグラフィックスなりテキストなりが登場するゲームであれば何であれ“アダルトゲーム”と呼ばれるのであり、内容としてはアクションゲームやシミュレーションゲームを含む、あらゆるジャンルのゲームソフトが存在していた。

 ごく一部の例外を除き、アダルトゲームといえば即アドベンチャーゲームのことを指すようになるのはPC-88シリーズの最盛期、それも後期に入ってからの話である。

 そうした方向性を決定付け、PSKのロリータ3部作に続いてジャンルを象徴する作品となったのが、1985年の5月もしくは6月に発売された『天使たちの午後』だ。

 メーカーとしては、開発会社である“ジャスト”の社名をブランドとして掲げていたのだが、発売当初はエヌ・エス・アイが販売元となっていた。ちなみに、時折勘違いされているようなのだが(嘘みたいだけれど本当の話)、ワープロソフト『一太郎』の販売元である“ジャストシステム”とは何の関係もない、まったく別のソフトハウスである。

 ところで、どうして上記のごとく『天使たちの午後』の発売月が曖昧なのかというと、この作品の正確な発売月はじつのところはっきりしておらず、複数の雑誌記事や広告などを突き合わせた結果、おそらく5月か6月に発売されたのだろうというところまで何とか絞り込めたのである(はっきりした情報をお持ちの方は、ぜひともエビデンスとともにご教示いただきたいのです)。

 最初は別の会社から発売されていたこともあるのかもしれないが、メーカー側でもこのあたり曖昧だったようで、1991年に辰巳出版から刊行されたムック『JAST美少女わんだぁらんど』には、1985年11月という、さすがにこれはありえない発売月が記載されていた(自社販売に切り替えたタイミングが、この月だったのかもしれない)。

1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】
たぶん最初の学園恋愛もの? 『天使たちの午後』の新旧パッケージ(所蔵:RetroPC Foundation)。

 なんとも意外なことに、アダルト向けと一般向けの区別とは関係なく、1985年に『天使たちの午後』が発売されるまでの間、学園ラブコメを題材とするアドベンチャーゲームは存在しなかったように思われる。

 女子寮に忍び込む『女子寮パニック』(前述)は学園ラブコメものとは言いがたく、後半は学校が舞台の『ファイナルロリータ』にいたっては、主人公は学校関係者でも何でもない、少女を狙う変質者なのだから。

 コミックやアニメ、そしてゲームの重要な分岐点となった1980年代ロリコンブームとときをほぼ同じくして、『週刊少年サンデー』(小学館)などの少年マンガ雑誌を中心に全国的に展開された、もうひとつのムーブメントがあった。それがラブコメブームである。

 中でも、あだち充氏のマンガ『タッチ』や原秀則氏の『さよなら三角』、細野不二彦氏の『さすがの猿飛』といった作品に代表される1980年代前期の『週刊少年サンデー』及びその関連誌に掲載されていた作品は、どれをとっても学園ラブコメマンガの金字塔と呼べる良作揃いであり、現在それらの作品を手に取ってもその輝きと、当時抱いたドキドキ感は失われていない。

 このブームのピークと言われているのが1985年。アダルトゲーム業界において『天使たちの午後』が発売された、まさにその年なのだった。

 ところで、『天使たちの午後』は、JASTが開発・販売していた専用のハードウェアであるJAST SOUNDが別途必要ではあったが、ヒロインの音声が再生された最初のアダルトゲームでもあった。どのような仕組みだったかというと、要するにサンプリング周波数の低いPCMデータをプリンタインターフェイスなどを利用して外部スピーカーに出力し、音声として再生するというじつにシンプルな仕組みだった。

 『天使たちの午後』についていえば、性行為のシーンにおいて短めの喘ぎ声を再生する程度で、これを聞いたプレイヤーがお値段相応の興奮を味わえたかどうかは甚だ疑問ではある。

貴重なパッケージ展覧会

1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】
1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】
会話を重ねて女性を口説く、いわゆる“人工無脳”方式の『EmmyII』。発売元はアスキーだが開発は工画堂スタジオ(所蔵:RetroPC Foundation)。
1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】
『おーい!かぐや姫』は1983年発売。ポニーキャニオンにも、アダルトゲームを販売していた時期があったのだ(所蔵:RetroPC Foundation)。
1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】
Fシミュレーションゲーム『レジオナルパワー』シリーズなどが知られるコスモスコンピュータも、アダルトゲームを出していた(所蔵:RetroPC Foundation)。
1980年代、PC(マイコン)向けにさまざまなメーカーが展開していた“お色気ゲーム”黎明期を解説(中編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第10回】
日本ファルコム唯一のアダルトゲーム。劇画調の絵柄から、当時の空気感を窺える(写真撮影:藍恋)。

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