2023年10月より、アニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』が放送開始された。マイクロソフトのOS“Windows95”が発売される以前、おもにNECのパソコンPC-9801シリーズをプラットフォームに花開いた美少女ゲーム文化をフィーチャーしたこの作品には、1990年代に発売されていたパソコンやゲームソフトがあれこれ登場する。

 この記事は、家庭用ゲーム機に比べればややマニア度が高いこうした文化やガジェットを取り上げる連動企画。書き手は、パソコンゲームの歴史に詳しく、美少女ゲーム雑誌『メガストア』の元ライターでもあり、『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』にも設定考証として参画しているライター・翻訳家の森瀬繚(もりせ・りょう)氏。

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アニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』(Amazon Prime Video)

“国民機”と呼ばれるようになるマイコン(PC)PC98シリーズの誕生

Win95登場前夜、「国民機」と呼ばれていた“PC-98”シリーズを紹介(前編)【アニメ『16bitセンセーションANOTHER LAYER』連動コラム第3回】

 『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』に登場するPCゲームメーカーのアルコールソフトでは、おもにPC-9801DAが使用されている。

Win95登場前夜、「国民機」と呼ばれていた“PC-98”シリーズを紹介(前編)【アニメ『16bitセンセーションANOTHER LAYER』連動コラム第3回】
Win95登場前夜、「国民機」と呼ばれていた“PC-98”シリーズを紹介(前編)【アニメ『16bitセンセーションANOTHER LAYER』連動コラム第3回】
※写真は1988年発売のPC-9801VM11(キーボードは別モデルのもの)

 このPC(当時は“マイコン”とも呼ばれた)は、NECによる“PC-9800シリーズ”(キューハチ、キュッパチ)の中の1台。PC-9800シリーズは1980年代末~1990年代前半に大きなシェアを獲得していたPCシリーズのひとつだ。

 本連載の第2回にも書いた通り1991年1月に発売されたホビーユースを意識したモデルなのだが、このような状況に到るまでにはじつに長い紆余曲折があったのだ。

 今回は、1990年代のPCゲームシーンを語るにおいては欠かせない、往年の名機シリーズである98シリーズの歴史を前後編に分けて紹介していこう(後編は数回間をおいて掲載予定)。

 20世紀末期の日本パソコン市場に“国民機”として君臨したNECのPC-9800シリーズは、1982年10月に発売されたPC-9801(無印)に始まった。

 厳密に言えば、“国民機”というのは1987年に発売された セイコーエプソン(以下、エプソン)の98互換機 PC-286が掲げたキャッチフレーズなのだが、この時点ですでに市場全体でトップシェアを誇っていた98シリーズに、いわば“乗っかった”売り文句であって(何しろPC-286自体は発売されたばかりなのだ)、“国民機”という言葉それ自体は98シリーズに向けられたものと認識していいだろう。

Win95登場前夜、「国民機」と呼ばれていた“PC-98”シリーズを紹介(前編)【アニメ『16bitセンセーションANOTHER LAYER』連動コラム第3回】

 ちなみに、テレビ東京系のPC情報番組『パソコンサンデー』にレギュラー出演されていた“Dr.パソコン”こと宮永好道氏も、著書『誰も書けなかったパソコンの裏事情』(並木書房・刊)においてPC-9801シリーズが「国民機の異名」を取ったと書いている。

 “PC-9801”という機種名だけを見ると、NECがすでに発売していた

  • PC-8001(1979年9月)
  • PC-8801(1982年12月)

 といった8bitパソコンの系譜に連なる機体だと考えてしまいそうになるが、じつのところPC-9801とこれらの機種とのあいだには、ソフトウェア面はともかくハードウェア面での連続性はない。

 任天堂のファミリーコンピュータをアーケードゲーム部門の開発第二部が、ゲームボーイをゲーム&ウォッチシリーズを開発した開発第一部がそれぞれ手掛けたように、NECという同じ会社内でもまったく異なる部門、異なる技術者たちが設計に携わったのだった。

 NECがコンピュータや半導体の開発を始めたのは1950年代に遡るが、同社は基本的にB to B(法人間取引)の大企業であり、消費者市場は眼中になかった。NECのブランドで家電製品を展開していた新日本電気(1987年にPCエンジンを開発・発売する日本電気ホームエレクトロニクスの前身)は、本体ではなく子会社である。

 しかし、NECの半導体部門である半導体・集積回路販売事業部のマイクロコンピュータ販売部が、同社が販売していたIntel 8080互換の8bitプロセッサμCOM-80(μPD8080A)を売り込むための販促トレーニングキットとして、1976年8月にワンボードマイコン“TK-80”を発売。これが大学生や電子工作好きの一般人も含む予想外の人気を集め、マイコン(マイクロコンピュータ)のブームの引き金となった。

Win95登場前夜、「国民機」と呼ばれていた“PC-98”シリーズを紹介(前編)【アニメ『16bitセンセーションANOTHER LAYER』連動コラム第3回】
 写真はTK-80の後継機である1980年5月発売のTK-85(所蔵:RetroPC Foundation)

 日本において個人がコンピュータを所有するという概念がまだ根付いていなかった時代に、販売台数が1年間で17000台に達したというから相当なものである。

成長していくNECマイコン部門

 思わぬ市場を見出した電子デバイス販売事業部(TK-80発売の翌月となる1976年9月に、半導体・集積回路販売事業部から改組)は、どうにかこの市場を大きく広げようと試行錯誤をくり返し、ついにはマイクロソフトと共同開発したN-BASICを標準搭載したPC-8001を発売した。

 1979年9月のことで、初代PC-8001は最終的に25万台に達するヒット製品となった。この系譜は後継機であるPC-8801(1981年12月)のシリーズへと続き、1981年の時点で日本のパソコン市場における実に40%をNECの機種が占めるほどになる。

 このようにひょうたんから駒のような形で立ち上がったNECのパソコン事業だったが、NEC社内のコンピュータ事業の中心は、あくまでも情報処理部門である情報処理小型システム事業部だった。

 16bitプロセッサの登場などによって、ネットワークに接続されていないパソコンであってもオフィスでの実用に堪えるようになったこともあり、1981年、NECは本格的にパソコン市場に参入することを決める。

 ちなみに、1981年7月に同社の情報処理部門が発売したオフィス向けのパーソナルターミナル N5200のハードウェア構造は、98シリーズときわめて似通っていた。というよりも、このN5200シリーズをMS-DOSやCP/M-86などのOSが動作するスタンドアロンのパーソナルコンピューターとして再設計するという、情報処理小型システム事業部で1982年2月に立ち上がったN-10プロジェクトの産物が、PC-9801だったのである。

 つまり、ハードウェアとしてのPC-9801の系譜は、TK-80やPC-8001ではなく、NECのオフコン直系なのだ。

Win95登場前夜、「国民機」と呼ばれていた“PC-98”シリーズを紹介(前編)【アニメ『16bitセンセーションANOTHER LAYER』連動コラム第3回】

 新機種の開発にあたり、ふたつの大きな壁があった。

 ひとつは時間の壁。1982年10月のデータショウ(電子工業振興協会主催の見本市)を外すと企業向けのアピールのタイミングを失ってしまうというスケジュールの問題があった。しかし、幸い、前年に事務処理用の16bitオフコンであるNEC システム20/15(1982年4月発表)を開発した経験が生き、半年と経たない1982年8月には試作機が完成した。

 もうひとつは基本ソフトの壁で、すでにNECがイニシアチブを握っているパソコン市場をすんなり引き継ぐためには、PC-8001/PC-8801とのBASICレベルでの互換性を持たせなけれならなかった。

 そこでNECは当初、PC-8001搭載のN-BASIC、PC-8801搭載のN88-BASICを共同開発したマイクロソフトに、16bitプロセッサで動作するN88-BASICの開発を打診したのだが、断られてしまう。

 当時、ヴァリエーション豊かな機種向けに乱立するBASIC言語の“方言”に辟易していたマイクロソフトは、16bitパソコン向けの標準的な新BASICとしてGW-BASICを推奨していたのである。そこでNECは仕方なく、N88-BASICをリバースエンジニアリングして、独自にN88-BASIC(86)を開発せねばならなかった。

 ともあれ、1982年10月、初代のPC-9801(無印)が発売された。

 本体価格は29万8000円で、現在の感覚からすると高めに見えるかもしれないが、同時期に他社から発売された16bitパソコンに比べると比較的安価だった。

 なお、ROM搭載のBASICについては、シリーズが進んでいくとじょじょにディスク版BASICへと比重が移り、ソフトウェアからコールされる機能を保持するためにROM自体は搭載され続けるものの、一部機能が省略されたりBASICプロンプトが単体起動しなくなったりしていくのだが、本稿のテーマからは外れるので詳しい経緯については割愛する。

 前述の従来機との互換性もさることながら、NECはハードウェア/ソフトウェア・メーカーへの開発用マシンの貸し出しを含む手厚いサポートを行い、アスキーから刊行された解説書『PC-9800シリーズ テクニカル・データブック』シリーズという形で積極的に技術情報を開示し、さらにはユーザの要望に耳を傾けた。

 その後、市場の要請を受けて1983年10月に改めて発売されたのが、5インチFDDと第1水準漢字ROMを標準搭載したPC-9801Fで、これに合わせて日本語MS-DOS Ver2.0(PS98-121-H2W)も発表された。以後、NECが全社をあげて取り組んだ98シリーズはビジネス向けパソコンとしてじわじわと売れ行きを伸ばし始めた。

 Intel 8086の上位互換CPUであるV30や、アナログRGB出力(16色同時発色にはオプションボードのPC-9801-24が必要)を搭載した、1985年7月発売の傑作機PC-9801VM2は、発売後の1年間で20万台以上を出荷したベストセラー機となる。このモデルは98時代前期の標準機となり、以後の多くのソフトに“PC-9801VM以降対応”の表記が見られることになるので、参考にスペック表を掲げておこう。

PC-9801VM2 スペック

  • CPU(クロック):V30(8M/10MHz切り替え)
  • ROM:N88-BASIC(86)、モニタ
  • RAM(最大):384KB(640KB)
  • グラフィック:640×400
  • 色数:4096色中8色2画面(オプションで4096色中16色)
  • 拡張スロット数:4
  • FDドライブ:5インチFDD(2DD/2HD自動切り替え)
  • 漢字ROM:第一水準(標準)、第二水準(オプション)

サウンド機能について

 残念ながらサウンドについてはオプションで、PC-9801VM2と同時発売の純正FM音源ボードPC-9801-26(FM3音、PSG3音)か、対応ソフトはそれほど多くない(マイコンソフト『ギャラガ』、dB-SOFT『フラッピー』などの初期の98向けゲーム)ものの1983年に発売されたミュージックジェネレーターボード PC-9801-14(8重和音)、さもなくば他社製のサウンドボードが別途必要だった。

 ただし、『XANADU』(ザナドゥ)など一部のゲームソフトのように、BEEPというON/OFFしかない内蔵のブザー音を駆使して、強引にBGMを鳴らすものもあった。

 前述の通り1980年代の頭にすでに40%を確保していたNECのシェアは、1987年には50%近くに成長している(矢野経済研究所『日本マーケットシェア事典』に基づく)。むろん、出荷台数の大部分はビジネス用途なのだろうが、ここで、連載第2回に掲載した98用ゲームソフトの販売タイトルの推移グラフを見ていただきたい。1988年ごろから、98シリーズのゲームソフトの数が目に見えて急増しているのがわかるはずだ。

Win95登場前夜、「国民機」と呼ばれていた“PC-98”シリーズを紹介(前編)【アニメ『16bitセンセーションANOTHER LAYER』連動コラム第3回】
(制作:森瀬繚)

 ファミコンからスーパーファミコンのようなわかりやすい世代交代とはわけが違う。PC-9801シリーズは、8bitパソコンの全盛期である1980年代初頭にはすでに存在し、毎年のように新機種が発売されていたのだから。

 1987年ごろになると、特定プラットフォーム末期特有の機体限界を超えたビッグゲーム化がPC-8801の世界でも始まっていて、最新モデルの利用者であればともかく、88時代の殆どのゲームが一応は対応していたPC-8801mkIISRあたりを所有しているホビーユーザにとっては、CPU速度などの制約がゲームをプレイする際に大きなストレスとなっていた。

 『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』で、原作者の若木民喜氏とともにメインストーリーを担当しているシナリオライターの髙橋龍也氏も、最初に持っていたPC-8801mkIIFR(CPUクロック4MHz)で『ソーサリアン』を遊んでいたところ、あまりにも重いのでPC-8801FA(8MHz)に乗り換えたということである。

多彩な互換機の登場

 1987年3月には、KONAMIの人気アーケードゲーム『グラディウス』が本体に付属するという、ゲームユーザの魂を揺さぶる衝撃的なデビューを果たしたSHARP X68000の登場もあり、おもにゲーム目的でパソコンを使用していた少なからぬユーザの脳裏に、“16bit機への乗り換え”がちらつき始めることになる。まさにそのようなタイミングで登場したのがエプソンの98互換機で、1987年4月のことだった。

Win95登場前夜、「国民機」と呼ばれていた“PC-98”シリーズを紹介(前編)【アニメ『16bitセンセーションANOTHER LAYER』連動コラム第3回】
『グラディウス』(C)Konami Digital Entertainment ※画像は『アーケードアーカイブス グラディウス』のもの。

 エプソンは、かつては他社と同じく独自仕様のパソコンを販売し、1982年には世界最初のハンドヘルドパソコンHC-20のようなヒット製品も生み出していたものの、デスクトップ機はいまひとつ振るわなかった。

 しかし、1985年に北米向けに発売したIBM PC互換機のEquityシリーズが予想以上に好調だったことを受けて、このやりかたで日本国内における捲土重来を図ったのだ。幸い、NEC自身が積極的に技術情報を公開していたので、開発自体はそれほど難しいことではなかった。

 発表後にNECから訴えられ、ROMに組み込んでいるBIOSについては独自に開発せねばならなくなったが、PC-286は当初予定より数週間の遅れはありつつも、何とか4月中に発売された。当初はROM BASIC単体動作させられないなど互換性の面で不安があったが、このあたりはやがて改善された。

 1987年10月発売のPC-286Vのスタンダードモデル(ハードディスクなし)の本体価格は29万8000円。少し早い1987年6月に発売された、性能的にほぼ同等のPC-9801VX21が43万3000円で、じつに10万円以上の差があった。

 結果から見れば、エプソンの互換機の市場は本家NECのシェアを脅かすほど大きなものにはならず、Windows95の発売を待たずして1995年の頭に撤退し、以後はDOS/V機(PC/AT互換機)に注力していくことになるのだが、NECが低価格モデルを発売し始める以前の時期に“安い98”を送り出したことで、ゲーム目的の98ユーザを増やす原動力のひとつにはなったようである。

 1992年当時を思い起こすと、筆者の周囲の98ユーザには、まずはエプソンの互換機から入ったという人間が多かった。たぶん、アルコールソフトの社内にも、映像には描かれていないあたりに互換機があることだろう。

Win95登場前夜、「国民機」と呼ばれていた“PC-98”シリーズを紹介(前編)【アニメ『16bitセンセーションANOTHER LAYER』連動コラム第3回】

当時の価格相場

 なお、参考資料として、1991年3月時点の某有名中古ショップにおける98ならびに98互換機の販売価格リスト(一部)を提示しておこう。

  • PC名:定価(販売価格)
  • NEC PC-9801RA2(32ビット):
    49万8000円(27万8000円)
  • NEC PC-9801RX21:
    33万8000円(19万8000円)
  • NEC PC-9801VM21:
    39万円(17万5000円)
  • NEC PC-9801VX21:
    43万3000円(19万5000円)
  • NEC PC-9801VX41(HDD搭載):
    63万円(21万円)
  • NEC PC-9801UX21:
    34万8000円(17万5000円)
  • NEC PC-9801N(初代98ノート):
    24万8000円(13万9000円)
  • EPSON PC-286V-STD:
    29万8000円(14万5000円)
  • EPSON PC-286V-D20(HDD搭載):
    43万3000円(18万5000円)
  • EPSON PC-386M-STD(32ビット):
    32万8000円(21万8000円)

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