長いことゲームをプレイしていると、10年や20年に1本くらいは、終わった後もずっとそのことを考え続けてしまうゲームがある。人によってそれが何かはそれぞれだけど、『ファイナルファンタジーX』(以下、『X』)は、かなりの人たちにとってその1本になっているんじゃないだろうか。
『X』は、プラットフォームがプレイステーション2、すなわちDVD-ROMに移行して初めての『FF』シリーズだ。豊潤なディスク容量による援護を受け、シリーズとして初めてフルボイスを導入。これにより、キャラクターだけでなく背景まで3D化し、カメラワークが自在になることで、より感情移入を誘う映画的な演出が自然にできるようになった。これは現在楽しまれているさまざまなゲームのある種の源流と言えるだろう。その結果、販売本数はオリジナル版だけでも国内320万本を記録し、プレイステーション2用タイトルとして歴代2位の数を誇っている。
またそうした技術的な見地ばかりでなく、『X』はシリーズ屈指のストーリーとの称賛を受けることが多い。これはどういうことか。
タイトルによってさまざまなテーマが描かれる『FF』シリーズの中でも、『X』は極めて重いムードが全体を支配する。それは『X』が死地へと赴く旅を描くためだ。物語は、たどり着いたその地で、それまでの旅の回想として始まる。回想の中では、舞台となる世界“スピラ”について何も知らない主人公ティーダが世界を知っていく過程が描かれ、ともに学んできたプレイヤーは、数十時間のプレイの果て、彼とともに冒頭のシーンへと回帰する。そのころには、プレイヤーはヒロインであるユウナやティーダの覚悟、彼らを取り巻く人々の心情を理解し、それぞれの物語に相当な力で没入しているのだ。
さらにフルボイスなどの向上した演出のもと、プレイヤーは覚悟を決めた者と見守る者たちのあいだの張り詰めた空気や、不器用でぎこちない親子のやりとりの向こうにある機微に触れ、人々がそれぞれの物語をまっとうすることの美しさや、傷つきながらも互いを思いやることの愛おしさを知る。そんな生きることや愛することの普遍性が深く心を刺し、きっと『X』を忘れられなくさせるのだ。
発売から20年経ったいま、そうやってずっと考え続けていたことをプレイヤー、開発者、それぞれが語る特集を週刊ファミ通で掲載したところ、それはあながち間違いではなかったようで、読者からそれなりに大きな反響をいただいた。
ここではその特集の一部──20年前に、そしてそれ以降に、北瀬佳範氏、鳥山求氏、野村哲也氏、野島一成氏ら開発スタッフが『X』に対して何を思っていたのか──を伺ったパートをあらためて掲載しよう。当時すでに『ファイナルファンタジーVII』、『ファイナルファンタジーVIII』など大ヒット作を世に放っていた彼らにとって、『X』とは何だったのか、開発当時をふり返ってもらいながら、なぜここまでファンに愛される作品になったのかを紐解いていければと、いろいろ尋ねた。
『X』の源流をたどる
――『X』は、野島さんがテーマを“旅”と決めたところからスタートしたそうですね。
野島その前に手掛けた『VIII』が行き来するのに比較的便利な世界だったので、きちんと旅をする必要のある、不便な世界にしようと考えたのが最初です。当時の僕はネットをよく見ていて、『VII』や『VIII』に対するご意見を見かけてはたくさん反省していましたので、『X』はまったく違うものにしなければと思ったんですね。でも、人の意見を気にしすぎると作品の芯がブレてしまうので、『X』からはあまり評判を気にせずに反省しています。
――過去作の反省が起点だったと。“水”をモチーフにすることも相当早い段階で決めていたとのことですが、なぜ“水”だったのでしょう。
北瀬水を描くのは開発の工数が増えてたいへんなので避けがちなのですが、あえてそれをやりたいという思いがあったと思います。
野島登場人物を水に入らせるため、企画の初期には、ティーダが水中配管工だという設定の時期もありましたね。
――世界のテイストが全体的にオリエンタルなのは、水や旅のイメージからきているのでしょうか。
野島その前後にたまたま訪ねた沖縄のイメージが強く残っていたんですね。そこでティーダやユウナという言葉を覚えて帰ってきて。
北瀬『VII』と『VIII』がスチームパンクやSFなどに寄ったファンタジーでしたので、『X』がオリエンタルなテイストなら、シリーズに広がりを持たせられるなという思いもありましたね。
キャラクター誕生の経緯
――野村さんは当時、どのようにキャラクターをデザインしていましたか?
野村『VIII』くらいまでは、自分が先行して絵を描いて、ゲームのどこで使うかを決めたりすることもありましたが、『X』は先に設定があり、それを踏まえてデザインしていましたね。でも、後から設定がどんどん膨らんでいくということもよくあるのです。先ほどの、ティーダが配管工という設定も、描いている途中でブリッツボールの選手に変わったりなどして。
――(笑)。配管工の名残りはありますか?
野村オーバーオールがそうですね。作業服のような感じで描き始めていましたが、最終的にスポーツ選手に着地させるため、いろいろとスポーティーなデザインになっていきました。
――それにしてもかなり大きな変更ですが、どんな事情があったのでしょうか。
北瀬スポーツ選手にしようと言ったのは、確か僕ですね。某SF映画シリーズで、レースなどのスポーツ要素が取り入れられていたのが好きでして。スポーツの要素は、それまでの『FF』シリーズにはあまりありませんでしたから、新たな挑戦になると思ったのです。ティーダがもしスポーツ選手なら、シリーズにおいても、ひときわ異色の主人公になります。そこで野島さんと相談して、水の中の配管工から、水の中で活躍するスポーツ選手となっていきました。
―― 一方のユウナですが、清楚でありつつ色気も兼ね備える、素敵なデザインだと思います。こちらはどういう着想だったのでしょうか。
野村自分が着手する前に、直良(直良有祐氏。『X』アートディレクター。現、IZM designworks代表)が仮で描いたイメージイラストがあって、その中のユウナが南国風だったんですね。オリエンタルテイストということで、スタッフの多くはいわゆる南国のアジアをイメージしていたようでしたが、自分はアジアとして和のテイストも盛り込みたかったんです。
野島ティーダとユウナのキャラクター像は、配役が森田成一さん(その後声優として活躍の幅を広げ、『BLEACH』黒崎一護や『TIGER&BUNNY』バーナビー・ブルックスJr.などを演じている)と青木まゆこさん(シリーズで数々のヒロインのモーションアクターや声優を務めた)に決まってからどんどん出来上がっていきましたよね。
鳥山おふたりには『VIII』から引き続きモーションアクターとして参加いただいていたんです。当時はまだ駆け出しで声優も『X』が初挑戦でしたし、我々も手探りで演出をしていましたから、あらかじめ用意された設定を説明して演じてもらうというよりは、イチからいっしょに作り上げていくような感覚はありましたね。
北瀬いまは役者さんごとに分けて収録をするのがふつうですが、当時は集団で掛け合いをしながら収録していましたよ。
――演技指導は鳥山さんがされたのですか?
鳥山そうですね。モーションキャプチャーの収録もボイスの収録も僕が担当しています。当時はすべての収録現場に立ち会っていましたが、無茶すぎていまはもうできません(笑)。
――(笑)。ちなみに、ティーダの「ッス」という口調も、鳥山さんの演出なのでしょうか。
野島それは僕です。主人公にそういう口調をさせたことがなかったからという単純な理由です。あとは森田さんに寄せたんじゃないかな。
鳥山いや、実際の森田さんはそんな風にはしゃべりませんよ(笑)。当時の森田さんの溌剌としたイメージに寄せた感じですよね。
――そうなると、ユウナの口調には青木さんのイメージが重ねられているのでしょうか。
野島基本的にはそうですね。ユウナはもともといまとは違うしゃべりかたを想定していましたが、青木さんに初めてセリフを読んでもらったときに、丁寧なしゃべりかたのほうがしっくりくるなと感じて変更しました。
鳥山シナリオがある程度出来上がってから、ボイス収録用の台本として練り直すのですが、その過程でセリフは洗練されていきました。
――セリフから主語を積極的に落としたというお話を過去にされていましたが、海外版の翻訳では「I(私)」が入っていたそうですね。
野島そうなんです。海外版を日本で『ファイナルファンタジーX インターナショナル』(2002年1月31日発売。すべてのセリフが英語となり、日本語の字幕が表示される)として発売するときに、それに沿うように字幕を書き直しました。いま思えば、北瀬さんがよく手間を許してくれたなあと思っています。
――ちなみに『ファイナルファンタジーX HD リマスター』(2013年12月26日発売。ボイスを日本語に戻している)の字幕はオリジナル準拠ですよね。
北瀬そうです。
――すると、違いを確認するためには『インターナショナル』をプレイする必要があると。
野島海外版では機械(マシーン)がマキナと訳されていて。それがカッコよかったので、全部マキナに変えていたりもしますよ。
――キャラクターにお話を戻します。ジェクトは独特な父親像ですが、どこから発想を?
野島モデルはいません。ジェクトは顔を含めて全身に傷があるデザインが先にあって、そこから発想を膨らませていったように思います。
野村ジェクトは、伝説のブリッツボール選手ということと、物語上重要な位置付けにあるキャラクターだという設定でしたので、そこから豪快な親父をイメージしてデザインしました。
野島20年前は自分に子どもはいませんでしたが、もし自分が父親になっていたら、ジェクトをもう少しいい人にしていたかもしれません。
――いい人じゃないですか、ハイタッチひとつで全部解決しています(笑)。キャラクターデザインで、ご苦労されたことはありましたか?
野村苦労はありませんでしたが、描き始めた後でもアーロンの年齢がなかなか決まらなかったことが印象に残っています。年齢設定が変わることはよくあることなんですが、この人はいったい何歳なんだろう? と。結果的に年齢以上の風貌になってしまいましたが。
野島キャラクターの年齢を決めるときに、野村さんが決めていたことに、僕らは慣れすぎていたんだと思います。そこでズレが出た(笑)。
――そのアーロンが、今回の特集にあたって実施した読者アンケートでも、かなり上位に入る人気キャラクターになりました。
野島アーロンはもともと無口という設定だったのですが、導く立場から、最終的にはティーダのつぎぐらいにセリフが多くなって(笑)。
野村そうなんですよ。キャラクターって制作の中で生き物のようにどんどん変わるんです。
――ちなみにアーロンの年齢は、当時の野島さんと同じ35歳とのことですね。そういうキャラクターのセリフを考えるときには、自分に引き寄せてイメージしたりするものなのでしょうか。
野島どうでしょう……。どちらかと言うと、“そうありたい自分”から来るほうが強いように思います。「こんなカッコイイことを言いたい」という。アーロンだけでなく、『X』のキャラクターは必要に迫られて説明セリフが多くなってしまっているので、そこは反省しています。
象徴的なシーンができるまで
――『X』の象徴的なシーンとして、ティーダとユウナの聖なる泉での逢瀬がありますが、あのシーンの演出は、相当こだわりが見えます。
鳥山あのシーンは、ユウナの旅のクライマックスですよね。命を懸けて立ち向かわざるを得ない戦いが見えていて、張り詰めた気持ちを表現するために、あのようなシーンになりました。
――水中でのキスは、とても印象的です。シナリオの段階ですでにあったものですか?
野島もともとは、ティーダがどれほど前向きな話をしても、「でも、でも……」と言うユウナの唇をティーダが唇でふさいでしまうというニュアンスだったのですが、あのあたりのシーンは大祐くん(渡辺大祐氏。『X』シナリオ補佐)がシナリオに落とし込んでくれました。僕が考えていた当初のものとは違うものになりましたが、ご存知の通り演出も凝りに凝ったものになり、純粋によかったなあと。
鳥山世にいろいろなキスシーンがあるなかで、まだ見たことがないものを作るという意気込みで、水中で回転するような表現を入れています。
――ほかに野島さんご自身がこだわったポイントには、どんなものがあったのでしょうか。
野島たくさんありますが、たとえばティーダのセリフですね。彼が初めてビサイド島に着いたときに、人を見て「ひとーーっ!!」と叫ぶんですよね。これには、ふつうはそんなことは言わないとあちこちから言われたものですが、そういうふつうじゃないところこそ、主人公らしさにつながると考えていたので、絶対に変えませんでした。
野島あとは、シパーフの上でユウナが声を出さずに「ありがとう」と言うシーンは、字幕なしでもそれがプレイヤーに伝わることを想定して書いたのですが、最終的に字幕が付き、抗議をした憶えがあります(笑)。
北瀬そんなことありましたっけ?
野島ありましたよ! 結局、ここだけ字幕がないのはバグだと思われるという消極的な理由で僕の抗議は退けられました。心残りです……。
北瀬ひとこと言ってくれていたら、『HDリマスター』では直すこともできたのに(笑)。
鳥山またバグだと思われたりしますよ(笑)。
――同様に、鳥山さんが演出でとくにこだわったシーンはどんなところでしょうか?
鳥山やっぱりオープニングですかね。
――オープニングといえば、植松さん(植松伸夫氏。『X』サウンドコンポーザー。現、ドッグイヤー・レコーズ代表&スマイルプリーズ代表)が手掛けた『ザナルカンドにて』があそこで流れるようにしたのは鳥山さんだと伺いました。
鳥山そうです。考えてみれば、ゲーム全体をプレイしながら、後から曲を充てていくようなことをやり始めたのも『X』からでしたね。
――シーンに合わせてサウンドチームに曲を発注するのではなく、出来上がっている曲をシーンに合わせていくやりかただったのでしょうか。
鳥山当然シーンに合わせて発注もしています。ただ、『ザナルカンドにて』の場合は、僕がオープニングシーンを自分で組んでいるときに、その時点で完成していた曲を充ててみたところ、このうえなく雰囲気がしっくりきたんです。
北瀬開発中盤にもなってくると、曲のストックが増えてきて。オープニングのために発注したものではないけれど、ストックからいろいろ選ぶこともできたんですよ。
――あそこはご自身でも会心のシーンだと。
鳥山そうですね。曲に合わせてカット割りなども後からかなり調整しています。植松さんの曲ありきで完成した名シーンだと思います。
北瀬オープニングにうまくハマったことから、おそらくそれを植松さんが見て、エンディングの曲を作曲するときにさらにアイデアを膨らませていったのだろうと思います。
――そうしたお互いが呼応して情感が増幅するようなケースも、けっこうありそうですね。
北瀬そうですね。一方、植松さんを始め、サウンドチームのスタッフは、開発の後半になるとテストプレイをし始めるのですが、そこで初めて、ゲームデザイナーたちがどこに何の曲を充てているのかを知ることもあります。
野島このお話を聞いて思い出すのは、僕が密かに大事にしていた、僕の担当シーンに使おうと決めていた曲を奪われたことですね(笑)。開発期間中に何ヵ月も親しんだ曲なのに、ある日突然「こっちで使うことにしよう」と……。
北瀬(笑)。音楽はどこで最初に使ったかも大事ですからね。そういうこともあります。
野島こういう悲劇は『X』に限らず、つねに開発終盤に起こります。だからもう、あまり曲を好きにならないようにしています(笑)。
鳥山各シーンの担当がそれぞれ自分の好きな曲を充てていると、どうしても偏りは出ます。だから最後に整合性を取ることになるんです。
――異界送りなどで流れる『祈りの歌』には、歌詞を縦読みすると、「祈れよエボン=ジュ、夢見よ祈り子、果てなく栄え給え」となる暗号のような仕掛けがありますが、あれはどのようにして生まれたものだったのでしょうか。
野島アルベド語を構築するときに、ちゃんとした言語体系ができるようにと考え、当時はいろいろな暗号の本なども読んでいたんですね。最終的にはゲームシステムとの兼ね合いがあり、想定していたよりも単純な置き換えに落ち着きましたが、歌はその野望の名残りです。
――なぜ言葉まで作り込まれようと?
野島『FF』という作品自体がいろいろな神話やファンタジーの要素を取り入れて形作られている中で、単独で成り立つ世界をスピラとしてきっちりと作れないかと考えたのです。おなじみのバハムートも、スピラでは別の名前で呼ばれているなど。最初はそういう意気込みだったのですが、設定をどれだけ厚くしても、プレイヤーの皆さんに見ていただける量には限界があり、現状の規模に収まりました。
――現状でも相当な長さの話ですからね。続いて物語について。若いふたりのロマンスや親子の確執など、『X』には複数の重要な要素があります。最初にあった核は何だったのでしょうか。
野島ユウナのように、自分が犠牲になるとわかっていても強い意志で行く人たちと、何も知らずについて歩いていくティーダのような人の対比が物語の基本になっています。……これはあまり人に話したことはないのですが、『X』が始まったころに特攻隊員や家族の方々が残した手記を何冊か読んだんです。その中に家族が隊員を駅まで送る話がありまして。家族は彼が死にに行くとわかっているのに、怪我をしたりしないよう気遣うんです。そういう覚悟や諦めが『X』の物語の核になっています。ティーダはプレイヤーが自分を投影する器でもあってほしかったので、彼はつねに何も知らない人として描く必要がありました。『X』の世界にはその世界なりにうれしいことも悲しいこともあり、それを見ているティーダがどんどん核心に迫っていき、最後には世界を変えてしまうという構図は、けっこう初期から考えていたと思います。
――特攻隊は膝を打ちました。では、親子の確執の物語などは、後から決まっていったと。
鳥山そうです。最初にユウナの召喚士の物語があり、そこから“シン”によってスピラの歴史がくり返されているということで、親の世代の話が形作られたという感じです。
――スピラのもとになった言葉は“スパイラル”ということですから、なるほどとうなずけます。
鳥山歴史や事象が螺旋でつながっているようなイメージですね。
ロジカルなバトルシステム設計
――召喚獣に、ほかの『FF』シリーズにはないようなものが起用されていたり置き換わったりしているのは、どういう理由からでしょうか。
鳥山野島さんの言う“オリジナルの世界観”というところを踏まえ、バハムートのような定番の召喚獣以外は新規に登場させるという判断になったと記憶しています。
北瀬召喚獣の数などについては、バトルチームの設計でそうなっていますね。
野島余談ですが、アニマ(シーモアの究極召喚獣)のデザインを見たときに僕はその造形に感動しまして。「うおおおーっ」と心の中で叫びました(笑)。
――アニマは当時、図抜けて衝撃的でした(笑)。召喚獣やスフィア盤でのキャラクター育成など、『X』のゲームシステムは従来のシリーズに比べ、意図通りにオリジナリティーが強いです。
北瀬そうですね。『FF』としてもATBを採用していませんし。『フロントミッション』などを手掛けてきた土田さん(土田俊郎氏。『X』バトルディレクター)がシステムを構築したので、新しい風が吹いたと言いますか、自然とそれまでとは違うものになりましたね。
――旅の仲間になる7人と、バトルに参加する3人というバランスはどのように決まったのでしょう。ガードたちがあの人数になったことを含め、シナリオの都合だったのでしょうか。
野島3人でバトルをするのは、土田さんが決めたのだと思います。ガードの人数も土田さんなどバトルチームだったと思います。というのも「最低何人が必要」ということを土田さんに言われ、その最低の人数にした記憶があるので。土田さんといっしょにバトルシステムを担当していた中澤さん(中澤孝継氏。『X』バトルシステムプランナー)のエクセルに、そっけなく“槍”とか“なんとか男”と書かれていて、たいへん興味深かったです(笑)。
――それはつまり、使用武器をベースにしてキャラクターなどを決めているということですね。
北瀬土田さんはかなりロジックな設計をしていましたね。マップなどもそうですが、「何メートル歩くと1回バトルするから、このマップは長さ何メートルになる」というように、何事も数字から決まっていくところがありました。
野島我々にとっては文化大革命でしたね。
北瀬それまでは、どちらかというとシナリオやビジュアルを優先し、ストーリーに準じてゲーム設計することのほうが多かったものですから。たとえば、直良くんが背景を自由に描いたうえで、それをどのようにしてゲームに落とし込むのかを考えていくという感じで。土田さんはまず数字ありきで、そこからシナリオやキャラクターの数を決めていくという。
野島敵の種類について、コモンなのかレアなのか(ザコ敵かボス敵か)とよく聞かれましたね。
『X』以前と以降で変わったこと
――皆さんは、それぞれのキャリアの中で、『X』という作品をどう捉えているのでしょうか。
北瀬『VII』でCGに踏み込んで、それ以前のドット絵の時代から映像表現のスイッチが切り替わりました。それが『X』ではボイスが付き、カメラも3Dになり、リアルな映画作品により近いドラマを作るための完成形が見えたんです。もちろん『VII』のときにも、10年先、20年先に行きつく表現方法は想像できましたが、何しろローポリゴンでしたので。『X』で進化の行く先がより明確化されたという観点から、ターニングポイントになった作品だと言えます。
――『VII』の発売が1997年で、そのわずか4年後の2001年に、『X』のような映像表現ができるようになったわけですから、ゲームの表現技術の進歩の早さにも驚きます。
鳥山『X』までは、『VII』の開発くらいから使っているスクリプト言語のようなもので、プランナーが自分でデータを直接いじることができました。ですが『X』以降、たとえば『ファイナルファンタジーXIII』の開発では、スクリプト言語よりも独自にあつらえたツールを使うことが多くなっていきます。それを扱える専用のデザイナーに発注する形で作業を進めるようになっていくんですね。ですから、プランナー自身が直接データに触れられる、手作り感みたいなものが感じられる作品は、『X』が最後になったのかなと思います。
北瀬『X』までは僕自身も直接モーションを調整したりしていたんですよ。
鳥山ブリッツボールなどはほとんど北瀬さんがご自分で作っていましたよね(笑)。
北瀬プランナーの仕事が、どちらかと言うと企画書や発注書を書くことがメインになっていったのは『X』より後。『X』以前と以後では大きく変わったように思います。
――野島さんはいかがですか?
野島『VII』や『VIII』では、キャラクターはゲームの中でプレイヤーの気持ちを投影する容れ物でしたので、僕はそこをとても意識して作っていました。それが『X』ではキャラクターを立たせながら、プレイヤーがきちんと感情移入できるようにすることに意識が向いたと言いますか……。じつはこれは『ファイナルファンタジーVII リメイク』のいまでも引きずっている僕の悩みです。キャラクターとしてきちんと立たせながら、プレイヤーの器でもあってほしい。そのためにはどうすればいいかを考え始めたのが『X』です。
――20年でさらに映像表現は進化しましたが、いまなお答えは出ていないと。
野島むしろ、映像がリアルに近づけば近づくほどわからなくなっています。ゲーム内のキャラクターはこう思っているけれど、プレイヤーはどうなのか。キャラクターとのシンクロ具合といいますか、そこはすごく気になりますね。
――そのシンクロの率を高めるために、どのような工夫をされているのでしょうか。
野島たとえば、ザナルカンドでの焚火シーンを冒頭に持ってきて、ずっと回想のような形で話を進めていくというのがそのひとつです。そこからザナルカンドに至るまでの過程をプレイヤーがティーダとともに歩んでいくことにより、それぞれのキャラクターがどのような思いで焚火のまわりに集まっているのか、到達した瞬間にじんわりと沁み出してきますので。
――回想は効果がありますね。2度目のシーンではキャラクターの感情が増幅して届きました。
野島じつは『VII』の発売後に、ネットに「回想シーンを使うのは下の下だ」などと書き込まれまれていたのを気にして、『VIII』ではほとんどやらなかったんです。その反動か、『X』に回想シーンが多くなったということもあります。
――スフィアを通していろいろな過去に起きたことなどのイメージを観るのも、回想と同様、ゲーム内の時間の編集ですよね。
野島時間もそうですが、回想させたり、スフィアを使ったりは、謎が解けるところの表現として、とても使いやすいんです。これをどう見せるかが重要でしたね。
――スフィアは、ある種の発明ですね。それから、『X』の幻光虫と『VII』のライフストリームは同じエネルギー体だというお話を耳にしたことがあります。両作のつながりは、『VII』のころから構想にあったのでしょうか。
野島ないですね。むしろ僕は一所懸命そこから離れようとしたつもりでしたが、ぐるりと1周回ってどんどん寄ってきてしまったという。
――(笑)。やはり、同じ方がシナリオを書かれていますから、根っこで構造や思想がつながるということがあるんですね。
野島そうですね。『X』が皆さんに好評だったので、ちょっと自分に自信が持てたと言いますか、いろいろな意見に左右されず、自分がおもしろいと思うもの、感動できるものを素直に作品に落とし込むことが、たぶん正しいのだろうと考えられるようになったんですね。それと、『VII』、『VIII』と作って、『X』で『FF』シリーズに携わるのは最後なのだろうと思っていたこともあり、あちこちに“お別れ感”を散りばめています。実際にはその後も作っていますが(笑)。
――そういう気分が全体を支配しているわけですね。野村さんにとっての『X』はいかがですか?
野村ちょうど同じ時期に、『キングダム ハーツ』の開発にメインで関わるようになったこともあり、先ほどの通り、『VII』や『VIII』では先行してキャラクターを描いたりもしていましたが、『X』から自分の携わりかたのスタンスが変わっていったように思います。
誰にでも伝わる作品を
――『VIII』を経て『X』を作るときには、どういう思いで臨んでいたのでしょうか。
北瀬野島さんもお話されていましたが、あの時代はインターネット文化が世間に浸透してきたころでした。もちろん僕たちも書き込みを読んでは一喜一憂しましたし、その影響を多分に受けて、次回作の構想を練ったりもしました。たとえば「なぜモンスターを倒すとお金が手に入るのか」という、RPGのお約束みたいな部分にご意見があれば、『VIII』では給料制を導入してみたり。『X』がオリエンタルのテイストなのは、まず野島さんの発想があったからですが、『VII』や『VIII』へのご意見に「SF路線ではなくてファンタジーがいい」というものがあったことも影響しています。ですからシリーズとしても前作の反響をいちばん受けた時期ですね。
――北瀬さんは『X』を作り終えた後のインタビューで、これ以上のものは作れないのではないかと手応えを語っていましたが、その手応えって何だったのでしょう?
北瀬その当時よく言っていたのが、“ゲームを知らない人にも伝わるものを作りたい”ということでしたね。自分がプライベートでゲームを遊んでいたとき、それを横で覗いていた親に、「何が起きているのかわからない」と言われたことがあったんですね。我々がゲームの文法として当たり前のように理解していることが、ゲームを遊ばない人には理解できないわけです。それで映画やドラマを観るように、何の説明もなく素直に感動を受け取れるようなゲームを作りたいという気持ちをずっと持っていました。ですから『X』のセリフのウインドウすらない画面を見たときに、ふだんゲームを遊ばない人が映画やドラマを観るときのような、初見でもスッと感動できる感覚にやっと映像表現が追いついた、と満足感を憶えたわけです。
――シンボリックだった青いウインドウを変えたのはその一環だったわけですね。
北瀬そこまで考えていませんでしたけどね(笑)。でもテキストという呪縛から逃れ、音声でキャラクターの言葉や感情が伝わるというのは大きなことでした。ゲームを遊ぶ我々ならテキストで表現されているだけでも感動できますが、ゲームに慣れていない人はそうではないというギャップをとにかく埋めたかったので。『X』はその到達点になったと思っています。
――それが手応えだったと。
北瀬『VII』でその1歩は踏み出していましたが、やはりボイスがないせいで、ゲーム独自の文法を押しつけているところがあるという悩みはありましたからね。過去に何度かお話したことがありますが、とくにそのジレンマを感じたのが『VIII』のワンシーンです。スコールが魔女の魔法で肩を貫かれて落ちていくところで、画面ではリノアが叫んでいるのですが、ボイスがないために、ものすごく違和感があったんですね。そういう未成立だった部分が、ようやく『X』で完成に至ったなと。
――鳥山さんはそれまでの作品を超えるために何を考えられていましたか?
鳥山当時足りないと思っていたものを全部入れたら『X』はきっと新しい作品になる、という意気込みで、すべて入れましたね。あとは、キャラクターに生きた動きをつけること。『VIII』から一部にモーションキャプチャーを採用しましたが、基本的にはコンピューター上で作った動きのほうが多かったんです。それが『X』で役者さんの演技や声をそのまま取り込めるようになり、いわゆる“中の人”がとても重要なポジションになりました。僕自身、役者さんに直接演技を指導する仕事に初めて挑みましたので、その印象が強いです。生身の人の演出は新しい経験でした。作業量が尋常でなく、いっぱいいっぱいでしたが、すべてやり切ったときには感無量でしたね。
続編の可能性は……
――あらためて考えると、『FF』シリーズのひとつのナンバリングタイトルに、『ファイナルファンタジーX-2』(2003年3月13日発売。『X』の物語から約2年あまり後の話)のような続編が作られた、というのも画期的でしたね。
鳥山『X』までは、『FF』は1作品で完結するというのがふつうでしたから、僕たち自身も続編を作るという構想はまったく頭にありませんでした。ですが開発のリソースを流用して、もう少し世界を広げ、楽しめるような作品が作れないか、というようなところからですね。
北瀬これにはプラットフォームがプレイステーションからプレイステーション2になり、ゲームもフル3D、フルボイスとなったため、開発の規模やコストが大きくなったことがかなり影響しています。作品を新たに構築するときに、1作で終わらせず、その世界を広げていこうという考えが出始めたころです。
鳥山そういうことから、どうせやるなら大胆に刷新しようということで、『X-2』が作られた記憶があります。
――今回この取材のために、小説『ファイナルファンタジーX-2.5 ~永遠の代償~』と、ボイスドラマ『ファイナルファンタジーX -will-』をあらためて拝読拝聴しましたが、個人的にはどちらも完全に途中で終わっていると思いました。未完ゆえ、意図されている結末が描かれておらず、誤解を受けているようなこともあると思います。物語を締めくくる、未知の展開が今後まだあると期待してもいいものでしょうか。
野島小説がそういう形で出版されたことについては、いろいろな経緯があります。過去に、もしかしたら『FFX-3』を作るかもしれないという気配が漂った時期があって……。
北瀬そういう気運が少しありましたね。
野島そこで小説化の話があったので『X-3』につながるプロットを書きましたが、それが小説ではなく、諸事情で『will』というボイスドラマとして世に出ています。その結果『will』の登場キャラクターは小説には出せなくなりましたので、それと同じ世界であらためて小説用に書き下ろしたものに『2.5』という数字がついて出版されたという経緯です。
――事実、『X-3』を期待する声は大きいのですが、実現する可能性はあるのでしょうか。
野村もしも『X-3』があるならこんな感じという、野島さんが書いたあらすじがいちおうありますよ。『2.5』も『will』もそれに基づいて書かれたものです。いまは眠った状態になっていますが、構想自体はあるということです。
鳥山可能性はゼロではありませんが、まずは我々が『VIIリメイク』の制作を終わらせないと、まだお話できる段階ではありませんよね。
いまなお愛される理由
――前述の読者アンケートに非常に多くの声が届いたことで、『X』は読者にとっても相当思い入れの強い作品だと再確認できました。『X』がここまで愛される理由は何だと思われますか?
野村まずとにかく、ストーリーがとてもよかったんだと思います。なかでも、ユウナがいろいろな意味で魅力的ですよね。やっぱり彼女はけっこう愛されていると感じています。
野島いろいろありますが、結局、男の子と女の子の青春の物語という、普遍的なテーマだったのがよかったのではないかと思います。さまざまな困難に翻弄されながらも、あのふたりが真っ向勝負しているというところが。
鳥山そういう意味で、僕はユウナの旅の事情をいかにわからせないかにこだわって作っていました。だけどユウナ自身はわかっているので、後から彼女の表情や言葉を追うと、「ああ、このときはこうだったんだ」と想像できて理解が深まると言いますか。……いまはSNSやYouTubeにまとめ動画が上がったり、誰でも手軽に話の骨子を知ることができる世の中ですが、20年前は時間をかけて自分でプレイして、初めてユウナの使命を知るのが当たり前でした。時間や手間をかけてみずから得た体験だからこそ、大きな感動として記憶され続けているのかなと思います。
北瀬僕も皆と同じで、『X』はキャラクターやストーリーがよかったのと、フルボイスでできたことが大きかったのだと思います。それまでの『FF』は我々ゲーム開発者がパソコン上だけで作っていましたが、『X』ではナマの役者さんと作り上げました。役者さんが我々とはまったく異なる思考でそれぞれのキャラクターを作り上げてくださったことで、プレイヤーの皆さんにも生の感動を伝えることができたのだと思います。とくに僕としては、ティーダとユウナよりも、ティーダとジェクトという親子の物語のほうが心に響きまして。自分のゲーム制作では、後にも先にもないことですが、テストプレイをしていて、初めて泣いてしまったんですね。シナリオがすごくよかったのと同時に、役者さんの演技に心が震えたことを覚えています。
彼や彼女の旅は続いている
――最後に、『X』のことをいまも愛し続けているファンの皆さんに、開発者としての想いを伝えるなら、何を伝えますか?
鳥山『X』はありがたいことに、『FF』シリーズの中でも非常に人気のある作品になったと思います。ぜひこれからも愛していただけるとうれしいですね。最近はリュック役の松本まりかさんなど、『X』に参加してくださった皆さんの露出もあらためて多くなってきています。そんなご活躍を見るたびに、『X』のことも「時々でいいから……思い出して」いただければと。
野島一時期、「『VII』をプレイしてゲーム業界に入りました」という人といっしょに仕事をする機会がしばしばありました。いまはそのフェーズが移り、今度は『X』をプレイして業界に入ったという方々とごいっしょするようになっています。その方たちが、あのセリフが好きなどと話をしてくれるんですけれど、何と言うか、ときどき畏れおののきますよね。うれしい反面、人の人生に影響を与えているわけですから、少し怖くなります。……だけどやっぱり、素直にありがたいです。これからも末永く、「時々でいいから……思い出してください」と(笑)。
鳥山そうすれば、いつかは『X-3』を出せる日が来るかもしれませんからね(笑)。
北瀬最初に『X』をプレイしたのが『HDリマスター』だというファンの方もいらっしゃると思いますが、非常に支持してくださっている方の多くは、20年前にプレイしてファンになってくださった方たちだと思います。20年も経つと、当時少年少女だった皆さんが親になっていたりもしますよね。『X』は親子の話でもありますので、いまプレイすると視点が変わると思うんです。そういう意味でも『HDリマスター』という形でさまざまな現行ハードで楽しむことができますので、またプレイしていただいて、以前と違う気づきを得てもらえるとうれしいですね。
――『HDリマスター』の発売は2013年ですから、もう8年も経っているんですね。
北瀬そうなんです。けっこう前になってしまいました。それなのにいまでも売れ続けているんです。そこからも、本当に皆さんに愛されている作品なんだなあと実感しています。
――野村さんはいかがですか?
野村『X』もすでに20年が経過し、過去の作品となっていますが、それをいまでもずっと大切に思い続けてくださる方がいらっしゃるというのは、本当にありがたいことだと、こういう企画があるたびに思います。自分は、作り終えて世に放った作品については、基本的にあまり振り返らないんです。ですから、開発当時の詳しいことを思い出せないこともよくあって。ですが『X』については、作っていたときに、ふと、「このキャラクターたちは、ゲームを終えた後はどうなっていくんだろう?」と思ったんですね。そういう気持ちが起きたのは『X』が初めてでした。『X』の関連作品はすでにいくつも世の中に出ていますから、その後の軌跡だってたどることができるのですが、でも、まだまだ彼や彼女たちの描かれていないその後の人生は続いているはずですよね。そういうものを見たいという方もいるでしょうし、あの物語はあそこまででいいという方もいるでしょう。自分たちとしては、それらの声を真摯に受け止めて、ファンの皆さんに喜んでいただける最高の着地点を引き続き考えていかなくてはいけないなと思っています。