桜井政博さんに聞く岩田さんの思い出

 任天堂の元社長・岩田聡さんの発言をまとめた書籍『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』(ほぼ日刊イトイ新聞・著)。ファミ通.comでも何度か紹介してきた本書ですが、この本をきっかけに、ほぼ日刊イトイ新聞が、この方に取材を行いました。

 それは、ゲームデザイナー桜井政博さん。桜井さんはHAL研究所に在籍中、岩田さんとともに『大乱闘スマッシュブラザーズ』を開発するなど、とても縁が深いのですが、ファミ通.comをご覧いただいている方々ならよくご存じでしょう。

 今回、ほぼ日が取材した桜井さんのインタビューを、特別にファミ通.comでも掲載させていただけることになりました。インタビュアーは、週刊ファミ通の元編集者・風のように永田こと、ほぼ日の永田さんです。

 全5回のインタビュー。『岩田さん』を片手に、最後までお付き合いください。

『岩田さん』書籍情報

『スマブラ』とスポーツカーと誠実の怪人。桜井政博さんに聞く岩田さんの思い出。第1回「そのときから笑顔だった」_02
『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』著者:ほぼ日刊イトイ新聞、価格:本体1700円+税 (Kindle版1615円+税)、 ページ数:224ページ、イラスト:100%ORANGE、ブックデザイン:名久井直子

 任天堂元代表取締役社長岩田聡さんのことばを抜粋し、再構成して1冊にまとめました。岩田さんの経歴、経験、価値 観、哲学、経営理念、そしてクリエイティブに対する思いなどが、凝縮されています。

ほぼ日刊イトイ新聞『岩田さん』紹介ページ(ほぼ日ストアでの購入もこちらから) 『岩田さん』Amazon販売ページ 『岩田さん』(Kindle版)Amazon販売ページ

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桜井政博氏(さくらい まさひろ)

ゲームクリエイター。1970年8月3日生まれ。有限会社ソラ代表。『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズや『星のカービィ』シリーズなど、数々の名作ゲームを手掛ける。(文中は桜井)

第1回:そのときから笑顔だった

――桜井さんが岩田さんとはじめて会ったのはいつですか?

桜井いちばん最初からいうと、自分がゲームデザイナーを目指しHAL研究所に入ることを決めて、面接を受けたとき、その面接官のひとりが岩田社長でした。岩田社長というより、そのときは岩田部長ですね。

――桜井さんがおいくつのときですか。

桜井そのとき、私は18だったと思います。はい、未成年です(笑)。そのときの岩田さんのことで、いちばん印象に残っているのは、笑顔なんですよね。

――ああ。

桜井ずっと笑顔で話を聞いていて、ご自分が話すときもつねに笑顔で、
私がなにか答えると、すこし考えて、話したことを、バチバチバチっとメモを取る。「タイピング、速いなぁ……」と、その後、何度も思うことになるんですけど(笑)。

その面接のとき、「おとなって、こんなに笑うものなのか」と思ったんですよ。まだ学生だった私は、会社って、こういう人がいっぱいいるのかと思ったんですね。ま、そんなわけはないんですけど(笑)。

――(笑)。

桜井しかも岩田さんの笑顔というのは、打算的だったり、人と合わせたり、という感じではないんですよね。人と付き合って、心底おもしろくて笑ってるような感じで。

――ああ、そうですね。

桜井初対面の18歳の坊やを前にして、おとながそんなに屈託もなく、おもしろそうに笑うっていうのは、やっぱり、自分にとってはけっこう衝撃的で。とくに、面接という場では、面接官だって多少は緊張すると思うんですよね。言動によっては会社が信用を失ってしまったりすることだってあるだろうし。

だけど、岩田さんは笑顔で、そのころから、やっぱり、岩田さんでしたね。それは、1989年ぐらいですから、30年前? HAL研が10周年だったころです。つまり、『岩田さん』の本に書かれている、西武のコンピュータ売場の仲間たちとHAL研究所を立ち上げてから、10年後ということですね。

――面接のときの会話で、具体的に憶えていることってあります?

桜井私がワープロツールのすごく低性能なものを使っていて、岩田さんがそのワープロで私がつくった企画書を見て、「そのワープロでこの企画書をつくったの?」って、驚いていたのを憶えてますね。私は「え、ふつうじゃん」って思ったんですけど、それはまさに岩田さんが本の中で言ってるように、本人はふつうだと思っていたことが、人にとってはふつうじゃない、ということだったんでしょうね。

――つまり、岩田さんはその場で、この子はこういうのが得意なんだな、と見抜いたというか。

桜井おそらくそうでしょうね。でも、逆にこちらが驚いたのは、岩田さんがそのワープロソフトの仕様をくわしく知っていたことですよ。広く知られているようなものではなかったので。

――そうか、それを知ってるからこそ、「あれでこれができるの?」って驚けるわけですね。

桜井そうです、そうです。そのころから、いろいろ詳しかったのかなぁ、と思ったりもしました。たしかに、当時のHAL研は、ソフト開発だけではなく、周辺機器とかもつくってましたから、知る必要があったのかもしれませんけど。

――18歳だった桜井さんは、HAL研に入って岩田さんとすぐいっしょに仕事をすることになるんですか?

桜井いいえ、というか、岩田さんとちゃんと現場で仕事をしたことというのは、じつは、ほとんどないんです。

――え。

桜井どういうことかというと、岩田さんは、つねに、会社のなかで、トラブルがあるところに行くんです。予定どおり進まなくなったプロジェクトとか、頓挫しそうな企画とか。

――じゃあ、レギュラーな仕事があって、はじまりから終わりまでそれに関わる、というようなことがない?

桜井さらに昔になるとわかりませんが、私のころはそうですね。基本的には、火を消すために飛び回ってる。

――逆にいうと、桜井さんのプロジェクトでは、トラブルが起こらなかったという。

桜井もちろん起こることは起こるんですけど、自分のところは、わりと任せても平気と思ってもらっていたんでしょうね。だから、基本的に放任というか。ゲームの内容についてあれこれ言われたことはないですし、トラブルがあったとしても、順を追って潰していけば自分たちで解決できるものでしたから。

――なるほど。

桜井岩田さんが自分の仕事にジョイントしたときの記憶として残るのは、『スマブラDX』(2001年発売)ですね。

『スマブラ』とスポーツカーと誠実の怪人。桜井政博さんに聞く岩田さんの思い出。第1回「そのときから笑顔だった」_03
『スマブラ』とスポーツカーと誠実の怪人。桜井政博さんに聞く岩田さんの思い出。第1回「そのときから笑顔だった」_01
ゲームキューブ『大乱闘スマッシュブラザーズDX』

――ゲームキューブの『大乱闘スマッシュブラザーズDX』。

桜井はい。よく知られているニンテンドウ 64の最初の『スマブラ』(1999年発売)のテスト版もいっしょにやりましたけど。

――『スマブラDX』のとき、具体的には、岩田さんはどういう作業を?

桜井ちょっと専門的な話になりますけど、『スマブラ』のおおまかな流れとしては、まずプログラム的な仕様を私が書くんですね。各キャラクターの動きや技は、こういうふうな変数を持っていて、こういうふうな原則で動かす、というような。それをプログラムするのは、もちろんプログラマーです。で、その動きを司る数を、最終的に私が調整できるように、パラメーターにしておいてもらうんです。つまり、数字が入る箱をつくっておいてもらって、最後に自分が数字を箱に入れていく。その最終的な調整をぜんぶ自分がやってたんです。

――ひとつひとつの技の強さ、速さ、キャラクターの動き、アイテムの威力、そういったものを桜井さんが最後に決めて、ゲームのバランスを調整する。

桜井そうです。だけど、その箱がちゃんとできてないと、私が数字をいくら変えてもそのとおりにならないんですね。そうするといろんな工程が滞ってしまって、どんどん時間が無駄になっていく。そういうところに岩田さんが飛び込み、ひとつひとつチェックされてました。

具体的にいうと、問題があるプログラマーの横にずーっと貼りついて、プログラムを見て、間違いを見つけて、そのまま指示して修正する。自分が手を動かして直すというよりは、その人のところに行って、いっしょに解決するみたいな感じ。狭いブースにふたりで入ってるのは、ちょっとかわいそうでしたけど(笑)。

――それは、桜井さんが頼んだんですか?

桜井というより、岩田さんが自発的に。

――ご自分で。どういうタイミングで、どういうふうに入ってこられたんですか?

桜井トラブルが頻繁に起こったり、このままでは終わらないかもしれない、というふうに問題が深刻化したときに、「どうして終わらないのか?」というのを岩田さんが考えた結果として入ってくださった感じだと思います。

――つまり、「これはなぜ遅れてるんですか?」というようなリサーチをして、その改善策として自分が入ることにした。

桜井はい、それに近いです。自分が岩田さんに「入ってくれ」なんて、絶対に言えないです。岩田さんがものすごく忙しいことはわかってますし、なによりそれを解決するのが、我々の仕事ですからね。

――でも、岩田さんは、桜井さんのその気持ちを十分にわかったうえで、それこそ『岩田さん』の中に出てくることばでいえば、「その作業に桜井さんの時間を使うよりも私がそれをやったほうが合理的だ」という判断で、現場に入ったんでしょうね。

桜井そうだと思います。もちろん岩田さんは他人のプログラムを見て間違いを直すのも速いですし、現場に入って手伝ってもらうのがいちばん安定する方法だったというのはたしかですけど。でも、自分は申し訳なく思ってました。岩田さんはほかのことでとっても忙しいから。

――そのころって、岩田さんは現場の作業はもうされていないですよね。

桜井基本的には、離れてます。プロジェクトに関わっているときも、クリエイティブな作業ではなくてマネジメントをしている感じでした。

(つづきます)

“『スマブラ』とスポーツカーと誠実の怪人。桜井政博さんに聞く岩田さんの思い出。”連載一覧

第1回「そのときから笑顔だった」
岩田さんと桜井さんがはじめて会ったときの思い出。そして、意外にも、ふだん岩田さんと桜井さんはいっしょに仕事をしてなかった?

第2回「ふたつのプロトタイプ」
桜井さんが企画した『スマブラ』を岩田さんがプログラムしたことは知られていますが、じつはそのとき、もう1本のプロトタイプがつくられていたそうです。

第3回「E3の発表の翌朝に」
その後の『スマブラ』シリーズの流れを決定づけたのが『スマブラX』でした。2005年のE3で岩田さんがくりだしたウルトラCとは。

第4回「誠実の怪人」
岩田さんはどういう人だったのか。任天堂の社長になるまえの岩田さんのこと。桜井さんは「怒った岩田さん」を二度見たことがあるそうです。

第5回「最後のミッション」
岩田さんが亡くなったとき、桜井さんはなにをどう感じたのでしょうか。そして、これからの『スマブラ』シリーズは。