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劇薬 -エンターテインメントという薬の真実- 第5章 光に向かって

2017年に出版されたサイバーコネクトツー松山社長のノンフィクション著作、『エンターテインメントという薬 -光を失う少年にゲームクリエイターが届けたもの-』。出版1周年を記念して、登場人物である少年がみずから半生をふり返った手記を公開!

公開日時:2018-11-01 19:00:00

ロゴ決定稿

はじめに
第1章 母の戦い
第2章 再発
第3章 全盲生活
第4章 視力障害センター
第5章 光に向かって

第5章 ■1. 東日本大震災

2011年3月。

室蘭の実家に帰ってきて、就職活動に勤しんでいた。まだ国家試験の合否は出ていないが、目が見えなくなったばかりのころに夢見ていた自立が目の前に迫っていることに対し、いてもたってもいられなかった。 
しかし、現実は無情なもので、函館や札幌といった大都市ならまだしも、地元で仕事を探すのは困難だった。自分がやろうとしているのはもちろん、マッサージ関係の仕事である。と言うより、全盲者にはほぼそれしか選択肢がないと言っても過言ではない。
そして、そのたったひとつの選択肢は、地元の室蘭では皆無。求人はたったのひとつもなかったのだった。
それならば、ひたすらマッサージ関係の病院や施設に直接電話してみるか、はたまたいっそ大都市で自立生活のスタートを切るか、と思案していたころだった。

2011年3月11日。
実家でのんびりしていたら、身体が大きく揺れた。大きくと言っても転倒するほどではないし、物が落ちて家具が倒れるほどでもない。軽い地震だな、程度の認識だった。
しかし、震源地や震度を確認しようとテレビを見て、驚愕することとなる。テレビではアナウンサーが焦ったように早口で、現状の確認と被害場所を伝えている。そこには、先日帰省した幸恵さんのいる宮城の名も告げられていた。
急いで安否確認のために電話してみた。すると、何事もなく幸恵さんは電話に出てくれた。何でもかなり揺れて驚いたらしいが、家族みんな自宅にいて無事だと言う。安心したと同時に、それならば今後、停電等も考えられるので、充電節約のため早々に電話を終わらせた。
それからしばらくして、テレビでは巨大な津波と大規模な火災、さらには原子力発電所の危険が報じられた。その時には幸恵さんと連絡は取れなくなっていた。
この時はとにかく泣きそうになりながら、テレビ・ラジオ・インターネットなどを駆使して、幸恵さんのいる場所の状況を調べて回っていた。ほとんど食事も取らず、30時間くらい寝ずにテレビとラジオにかぶりついていた。
怖かった。幸恵さんを思うと、どうにかなってしまいそうなくらい恐かった。函館で別れた時は、もうふたりの関係は自然消滅かな、なんて軽く考えていたのに、本当の意味で失ってしまうかもしれないといまになってやっと気がついた。もうふたりはそんな簡単な関係ではなかったのだと。
依然、幸恵さんの安否情報は得られず、日を重ねる度に被害の深刻さが増していく。
ひたすら電話してみたり、何度もメールを送ってみたりもした。電波障害で繋がらないのはわかっているのに、何度もくり返していた。パニックになっていてあまり覚えていないのだが、この時送った幸恵さんへのメールがまるでプロポーズのようだったらしい。
悔しい。傍にいて守りたい。ずっと傍にいてもう離れたくない。こんな時になぜ離れているのか。悔しさと、謝罪と、とにかく無事でいてくれという内容が、かなりの数・長文で送られていた。

そして、地震から7日経った3月18日。ついにどんな方法を使ってでも宮城に向かおうと思い始めたころだった。
やっと電波が復旧して、無事だった幸恵さんからの電話でまず伝えられたのは、恥ずかしい内容のメールに対しての感謝だった。無我夢中で書いたものだが、本当に真っ直ぐで素直な気持ちがうれしかったらしい。
この時に電話で涙を流しながら誓った。幸恵さんと生涯をともにしようと。
想像を絶するほどたくさんの被害があった東日本大震災。幸恵さんのところは住居に少し被害があったくらいで、家族は皆無事であった。
停電・断水・寒さ・食糧問題等も、自宅の備蓄や知恵で乗り越えていたらしい。幸恵さんも心細かったが、家族皆で集まっていたから安心できたと言う。ただ、ずっと身体を洗えなかったのがいちばん苦痛だったと、後になって苦笑いしていた。

数日が経ち、日本中が大震災の復旧に奔走する中、国家試験の合否が発表された。
結果は、自分も幸恵さんも合格。合否発表を見る前に視力障害センターの担任から電話が来て、おめでとうと言われてしまったので事前に知ってしまったのであるが、復旧からほぼ毎日連絡を取り合っていた幸恵さんとはお互いを称えて喜び合った。
さらにそれから1ヵ月後、あれほどなかったマッサージ関係の求人が地元で見つかり、運よく就職も決まった。
そこで、幸恵さんにこちらへ来ていっしょに住まないかと提案した。まだまだ宮城で生活するには不便なことも多いし、余震が続く中、心配も尽きない。何よりいっしょにいたかったと言うのが本音だ。
これに対して、幸恵さん本人も家族も了承し、アパートを借りての全盲どうしでのふたり暮らしが始まる運びとなったのだった。

第5章 ■2. 母

2011年4月。

同棲を開始して、まったく見えない者だけでの生活に苦戦する中、母の様態は悪くなる一方だった。
実家での寝たきりは変わらず、急に叫び出したり泣き出したり、嘔吐をくり返して食事もままならない。いっしょに暮らす弟も、そんな母に疲労を蓄積させている。
母は以前、自分に漏らしていた。寂しいと。自分を大切にしてくれる人といっしょにいたいと。
それは自分や弟とはまた違う。誰かに愛されていたいと。誰かに必要とされて、ずっとすぐ傍にいてほしいと。
異性からの愛情に異常に執着している。そんな感じがした。
自分が自立への一歩を踏み出し、手がかからなくなり、さらに恋愛をしているところを見ていて、その気持ちが強くなりすぎてしまったのかもしれない。
最初の父親、弟の父親、生活していくためだけの旦那。その他にも、自分が学生のころに何人か家に連れてきて交際していた。そのすべては母を裏切って、生涯をともにしてくれる人はいなかった。
鬱病という病気のせいなのかもしれない。凄惨な過去で溜まったものが爆発しているのかもしれない。しかし、いまの母はこれまで乏しかった愛情に飢えて、子どものように泣きじゃくっている毎日だった。

いまいちばん何を望むのかを尋ねたら、母は言った。
現在、沖縄にいる自分を大切にしてくれる人の元に行きたい。初めはインターネットでの出会いだが、話していく内に自分を大切にしてくれる人だと感じたらしい。
でも、目の見えない自分と、まだ高校を卒業したばかりの弟が心配で行けない。だから毎日が辛いと。死んでしまいたいくらい辛いと。
この願いに、ただ自分自身を卑下することしかできなかった。
生まれてから母は幸せと感じたことがなかったらしい。粗暴な父親の元に生まれて、苦しい生活だった。後に義理の父となった人ともうまくいかずに辛い毎日だった。
祖母はいつも泣いているだけだった。そして、家から逃げ出すように結婚したら、生まれた子どもは病気で、旦那にも逃げられた。
その後も、我が子とともに幸せを探してがむしゃらに生きてきた。しかし、何もかもうまくいかず、唯一信頼していた母の弟も若くして事故で亡くなってしまった。
母はいつ幸せになれるのだろう。母の安心できる場所は、いつになったら見つかるのだろう。
ただの我儘とか子どものように駄々をこねているだけ、と言う人もいる。でも、母の人生を知ってるからこそ、何とかしたいという気持ちが強かった。
だから決心して、母を遠い沖縄へ見送ることを決めた。自分はもう大丈夫だからこれからは自分自身の幸せのために生きてほしいと伝えた。
そして、沖縄の相手の方とも真剣に話し合った。
母の病気や容態のことをしっかり理解しているのか。いま一度、これまでにあったことをすべて隠さず話して、本当にいっしょにいたいと願うのか。介護する覚悟はあるのか。まるで娘を嫁に出す父親のように、話を進めた。
そして、すべて理解した上だし、母の過去の話をすべて知った上で母を支えてあげたいのだ、と相手は告げた。
その言葉を信じて、母を任せることを決めた。どうか新しい地で幸せな暮らしを過ごせますように、と願いを込めて。

その判断が母の幸せを遠ざける結果に終わったのは、すぐ先のことだった。

第5章 ■3. 宮城へ

母を沖縄に見送ってから、幸恵さんとの全盲どうしでの暮らしを続けていた。
地元の室蘭の隣町である登別にアパートを借りて、市のサポートを受けて何とかやっている。と言っても、サービスは週に1度の同行援護を頼んで買い物するくらいで、その他のことは自分たちだけでやっている。
弟は、高校を卒業してからは運転免許を取得して、アルバイトしながら職を探していた。
自分も幸恵さんも、自立訓練や宮城での短期同棲の経験から家のことで不自由することはあまりなかった。幸恵さんはさらに、家事能力向上のために再度視力障害センターで短期の訓練も受けてきていた。
しかし、それでも困難なことはあり、郵便物が来てもわからない。冷凍していたお肉のパックが何肉なのかわからない。気づかぬ間に水場がカビついていた。いつの間にか落ちていた生ごみに虫がたかっていた。
たまに来てくれていた弟にいろいろ助けてもらって、乗り越えていた。眼が見えないと絶対にできないことは少なからずあり、やはり多少は他人の力を借りながらでなければ生活は難しい。
それでも幸恵さんとともに、笑顔で楽しく過ごしていた。沖縄に行ってから母が少し落ち着いてくれたのが幸いだったのもある。

登別の生活が1年近く続いたころ、ふたりは結婚のことについて話し合っていた。
籍を入れるのは簡単だが、実際に幸恵さんの母に真剣な話をしたことはない。同棲していることから結婚のことを頭に入れてくれているのは間違いないが、果たしてどう応えてくれるのか。幸恵さんの母も、病気のことや家族のことを受け入れてくれるのか。最初、幸恵さんと話した時のことを思い出して少し不安になってしまった。
不安になっていると、幸恵さんは「きっと大丈夫だよ」と背中を押してくれて、わざわざ幸恵さんの母に函館まで来てもらって話し合うことが決定した。
さらに、その話を聞いた自分の母も話し合いに参加するために沖縄からわざわざ訪れ、自分と幸恵さん、そしてふたりの母の4人での話し合いとなったのだった。

結果的に言うと、幸恵さんの母は驚くほど呆気なく歓迎してくれた。覚悟を決めて緊張していたのに、逆に茫然としてしまうほどだ。
とはいえ、病気のことや将来の話も真剣に聞いてくれていて、時には疑問もぶつけてくれていたので、何も考えず簡単に首を縦に振ったのではないとわかる。そして、できればこれから暮らしていくなら宮城に来てくれたら安心なんだけど、と話してくれた。
自分にとってはまったく知らない地である宮城。知人友人などもちろんいないし、土地勘もまったくない。不安は拭いきれなかった。でも、幸恵さんの母もきっと心配で仕方ないんだと思う。目が見えない大事な愛娘が傍にいてほしいのは痛いほどよくわかる。何より幸恵さんにとっていちばんの選択だと思った。
そしてその場で、宮城で暮らしていくことにすると伝えて、自分は引っ越す準備のため、幸恵さんは住居を探すため、一度それぞれの地元へと戻ったのだった。

しかし、決めてからがまた時間がかかってしまった。東日本大震災の影響で、まだまだ仮設住宅などで暮らさなければいけない人がたくさんいるので、手ごろな住居がなかなか見つからなかったのだ。
それでも幸恵さんの母が協力してくれて、新住居を見つけてくれた。そこは幸恵さんの実家から車で15分程度の場所で、まだまだ開拓地ということで周りにはお店はまったくなく、畑や田んぼだらけの土地だった。 
いちばん近いコンビニまでも全盲者が歩いて行くには大変な場所。ここで本当にやっていけるのかと不安も感じたが、新生活を待ち望んで高揚している幸恵さんの姿に不安な気持ちは和らいでいた。

しかし、住居も決まり、荷物整理のため、幸恵さんも一度こちらへ戻ってきたところで、問題は起きてしまった。
弟はどうするか。地元に留まるか、いっしょについて来るか、弟自身に決めてもらおうと、判断を仰いだ時だった。その時の弟の状況を見て、唖然としてしまった。 
弟はアルバイトを辞めて、遊びまわっていた。預金通帳を見てみると、祖母に卒業祝いでもらった大金も母からの仕送りもほとんど残っていない。
冗談抜きで、今月の家賃や光熱費すら払えない状態に、ただただ情けなくて言葉が出なかった。
それでもたまに心配して様子を見に来てくれていたし、暴風暴雪で大停電になった時はいち早く自分の元へ駆けつけてくれていた弟。そんな弟を見捨てられるはずがないと、いっしょに連れて行くことを決めた。

事件はこれだけで終わらなかった。
引っ越し業者にも予約し、ついに宮城へ、というところで幸恵さんの財布からお金がなくなっていた。それも万単位の大金だ。
最初は違う場所に置いたか勘違いかとも思ったが、朝確認した時にはあって、お昼になったいまのいままで財布には触れていなかったらしい。
嫌な予感が身体を震わせた。それまでにここに訪れたのは、母と弟のみ。悲しいことに犯人はほとんど決まっているようなものだった。
すぐに母と弟を呼び戻した。問いただすと、ふたりとも知らないとシラを切り続ける。しまいには、母と弟で罪をなすりつけあって見るに堪えない状態となってしまった。
こんな醜い状況は見せられないと、幸恵さんだけを一度別室に移してから必死に訴えた。

「なぜこれから楽しく幸せに暮らしていこうって時にこんなことをするんだ? なぜ家族を不幸にしようとするんだ!?」

涙を流しながら、必死に叫んだ。何度も叫んだ。それでも黙っているふたりに、ついには土下座をしながら泣き声で訴えた。

「お願いです。幸せを奪わないで。やっとこれからなのに、俺からすべてを奪おうとしないで」

もう必死だった。悲しくて悲しくて、幸恵さんに申し訳なくて。やっと見つけた光がまた暗闇に包まれていくような恐怖に襲われた。

そして、少し無音の時間が流れてから、母は自分がやったと認めた。
もちろんお金は返してもらい、幸恵さんにも何度も謝った。でも、きっとこのことはこれから先ずっと、幸恵さんの心から消えはしないと考えると、悔しい思いだけが残った。母は引っ越し後には沖縄に帰るのが不幸中の幸いなのかもしれない。
今回の事件で、母は鬱病に併発して無意識に物を取ってしまう病気もあると告白した。しかし、病気だとしてもこれだけは決して受け入れられなかった。

こうして問題が続き、あまり気分が優れないまま宮城へと向かうことになったのだった。

第5章 ■4. 宮城での生活

2013年9月。

実際に新住居に来てみると、本当に何もない土地だった。いい言葉で表すならば、のどかな場所だった。
でも、開拓地というだけあって、周りには建築中の建物がちらほらと確認できる。もしかしたらこれから徐々に、便利な街並みになるのかもしれない。
最初はとにかく荷物の整理が大変だった。弟が実家から必要な物からゴミまで持ってきてしまったのだから当たり前だ。
ある程度の整理を終えたら、自分と弟は早速、仕事を探さなければならなかった。
しかしながら、やはり宮城に来ても求人がない。仙台などの大都市ならば多いのだろうが、震災の復興真っ只中の場所で探すのは困難かと思われた。と思いきや、ちょうどマッサージ師のオープンスタッフ募集が目についた。もう選んでいられる立場ではないので、縋る思いで面接を希望した。
数日後にわざわざ自宅まで送迎に来てくれて、面接と実技試験を行った。結果は見事、合格だった。しかし、これから新しく店を構えることとなるため、実際に働き始めるのは数ヵ月後になるらしかった。それでも、内定をもらえた安心感で沈んでいた気分もいくらかは救われたようだった。

そして、再び問題はふりかかる。
何度くり返すのだろう? なぜこうもうまくいかないのだろう? 自分は幸せになってはいけないのだろうか。

沖縄に帰る予定だった母は、旦那に捨てられていた。
結局、母の状態に嫌気をさした旦那は、帰って来るなと連絡してきたのだ。鍵も変えるし、帰って来るつもりなら引っ越して、その新住所も教えない、と言い出した。
自分と弟が何を言っても聞く耳持たず、まったく話にならない状態だった。結婚前との豹変ぶりにただ怒りを感じられずにはいられなかった。
とにかく離婚は決定事項だった。ひどい仕打ちを受けているのだから裁判で戦うべきだ、という意見もあったが、すでに母はその気力すらなく、再び狂い始めていた。また居場所をなくした母は子どものようにただ泣いて、叫んで、倒れてをくり返していた。
この時、どうするのが正解だったのかわからない。ただ、自分は母を突き放した。幸恵さんのことだけを考えて、すべてを決めた。母とはいっしょに住めない。
その判断に母は暴れまわって抵抗し、また自害すると家を飛び出したが、弟が何とか抑えてくれた。泣きじゃくる母が落ち着いてから、じっくりと話をして、何とかいまはいっしょに住めないということだけは理解してもらった。
そして、今後どうするのかはわからないが、とりあえず母は一度、理解のある友人の元へ身を寄せることとなったのだった。

幸恵さんの母は早くに旦那を亡くし、4人の子を女手ひとつで育ててきた。
長男と長女はそれぞれ家庭を持ち、いずれも3人の子どもと明るい家庭を築いている。家族みんなで集まれば、たくさんの子どもたちのおかげで本当に賑やかだ。
次男はダウン症として生まれてきて、ずっとついていなければならないが、とてもお茶目で、いつもみんなを和やかにしてくれるムードメーカーだ。
そして、全盲である幸恵さん。末っ子で甘えん坊なところはあるが、いつも明るく元気に家族を照らしてくれている。
きっとたくさんの苦労と困難を乗り越えて、いまの明るい家族があるのだろうと思う。そんな幸恵さん家族が、本当に輝いて見えて羨ましかった。
幸恵さんは母のことが大好きだ。幸恵さんの母も幸恵さんの幸せを本当に願って、いろいろ助けてくれている。
だからこそ、自分の母のことを理解してもらいたかった。ほとんど嫌な姿しか見せていなくて、いまは嫌われて当たり前だと思う。でも、母もいろんな苦労をしながら、ずっと自分を支えてくれていた存在なのだ。やっぱり何があっても自分の母親なのだ。
幸恵さんなら絶対にいつかわかってくれるはずだ。母もきっといつか変わってくれるはずだ。
いつかみんなで笑い合って暮らしていけるように。そう信じてまたひとつ、あることを決心したのだった。


2013年11月22日。
誕生日となるこの日に、幸恵さんと籍を入れた。いま考えても辛いことばかりだったのに、幸恵さんは自分との結婚を本当に喜んでくれていた。義母となった幸恵さんの母も祝福してくれた。
こちらこそ、いままで幸恵さんの前向きで明るい姿に助けられてばかりだったのに。これからは、いやこれからも、彼女をしっかり支えて守っていかなければと再び決心する日となった。

翌年、新しい仕事に四苦八苦している時期だった。
宮城での生活も慣れてきて、友人の元にいる母も何とか落ち着いているようだ。そんなころ、幸恵さんが不調を訴えた。
吐き気や倦怠感。まさかと思い、すぐに産婦人科を受診すると、医者から「おめでとうございます」と言われた。
幸恵さんは妊娠していた。
喜びと同時に、これから覚悟して我が子を迎え入れなければならない。どうか元気で健康に生まれてきてくれますように。どうか遺伝だけはしてませんように。
幸恵さんのお腹を撫でながら、毎日のように祈る日々が始まった。

それからお腹の子は順調に成長していき、幸恵さんの体調も問題なく時が流れた。
そして、そろそろ話すべきかと思い、幸恵さんに母のことを切り出した。
全盲のふたりだけで育児をしていくのは心配なことだらけなので、母に来てもらおうと思っていた。弟も義母さんも仕事のため、無理はさせられない。誰か家族がつねに傍にいてくれたほうが安心だ。
そして、これから生まれる孫の存在から影響を受けて、母が元気な姿に戻ってくれるのを願っていた。母を必要とする居場所があるということで、昔の頼りになる姿に戻ってほしかった。
正直、これまでのことを考えたら幸恵さんも悩んだことだろう。だからこそ、幸恵さんに決定を委ねた。もちろん、どんな答えであろうと自分は幸恵さんとともに乗り越える覚悟を持って。
最後に母を信じたかった。これからは生まれてくる我が子を中心に、みんな笑顔で暮らしていけることを。
それは幸恵さんも本心では同じで、最後には母を迎え入れることを決心してくれたのだった。

これが本当に正解だったのかはわからない。どんな仕打ちを受けようと、母を嫌いになれなかった。それはいままでのすべての母を知っているからこそなんだと思う。
恨んでは許して、怒っては許して、苦しめられては許して。そんなくり返しの中、いっそ本当に心から突き放すことができたなら、これからどんなに楽だっただろう。
でも、やっぱり自分にとってはたったひとりの母親だから。

そうして、出産予定日の少し前から母も同居することとなったのだった。

第5章 ■5. 娘の誕生と遺伝

2015年2月12日。

久しぶりに外食を楽しんだ日の深夜だった。
急に幸恵さんが飛び起きて、隣で寝ていた自分もまた驚いて状況を確認した。幸恵さんの布団はおもらししてしまったかのように濡れていた。予定日は3月3日のはずと思いながらも、すぐに病院に連絡して母を叩き起こした。
仕事があるため自分は自宅に残り、幸恵さんと母ですぐに病院に向かった。とにかく無事に生まれてと、ずっと心の中でくり返していた。
翌朝、陣痛が始まったと報告を受け、落ち着かない心持でその時を待った。そして、母から無事生まれたよと報告を受けたのは、出勤後すぐのことだった。
焦る気持ちを無理やり押し込めて、その日の仕事を終えてからすぐに病院に向かった。病室には、少し疲れたような幸恵さんと母の姿のみ。
急に不安感に襲われたが、すぐに看護師さんが来て「娘ちゃんに会いに行きましょうか」と言ってくれた。
どうやら予定日より約1ヵ月早く生まれたため体重もまだ十分ではなく、正常な状態になるまでは完全無菌室で過ごさなければならないらしかった。もちろん幸恵さん自身、娘に会えるのは何度かのミルクの時間のみらしい。
専用の帽子にマスクにエプロンを着用し、念入りに手洗いを済ませてからやっと、我が子の姿を見ることができた。
初対面。まだ小さな姿の我が子は不思議そうな眼を向けていた。手を握ると、まだ自分の指すら掴めないほど小さい。
何だか涙が出てきた。抱っこさせてもらうと、本当に軽くてか細くて、そしてとても温かかった。
「ありがとう。生まれてきてくれてありがとう。これからよろしくね」
いつまでも我が子を胸に抱きながら、温もりを感じて何度も感謝した。

これから娘の状態が落ち着くまでは完全看護となり、その後は幸恵さんと同じ病室で、全盲でのおっぱいやおむつ替えの練習をしばらくしてから退院することになった。入院中は母もいっしょに泊まり込みでいてくれる。
あっという間に面会時間が終わってしまい、義母さんが自宅まで送ってくれることとなった。
何だか娘に「またね」と言うだけでまた泣きそうになった。娘はみんながいる間は泣くことはなく、ずっと家族を見渡していた。
帰りの車中。義母さんはしみじみと語ってくれた。
幸恵さんが全盲になった時から、子どもはおろか結婚なんて無理かと思っていた。それどころか、一生親がつきっ切りで面倒を見ていかなければと覚悟もしていた。
それがいま、自立して家庭を持って、母親となった。本当にうれしくて言葉にならない。
いつも気丈な義母さんから初めて聞いた胸の内だった。
義母さんの言葉で、ずっと幸恵さんに苦労をかけて申し訳なさいっぱいだった自分にとって、本当に幸恵さんと結婚してよかったと思えた瞬間となった。

後日、出生届を出して、娘の名前は「結愛」と正式に決定した。たくさんの人から愛情を結んでもらえるような子になってほしい、と夫婦で考えた名前だ。
あれから仕事帰りには毎日、結愛に会いに行く日々。会う度にいろんな結愛を見せてくれて幸せだった。まだ弱々しい泣き声も、必死に触ってこようとする小さな手もすべてが愛おしい。
もしいま、ひとつだけ願いが叶うならば、1度だけでいいから結愛の姿を見たかった。

暗闇の中にある確かな光。それは決して見えないけれど、確かにそこにあった。手を伸ばせば確かにそこにある。
幸恵さんと結愛は、暗闇の中をいつも笑顔で照らしてくれる。
だから、これからはずっと生涯をかけて、自分が光となってふたりが笑顔でいられるように、負けるわけにはいかない。
あの日、東京の星を見た時が鮮明に思い出された。
母のことだって、どんなにくじけようが立ち上がって、結愛の遺伝のことだって決してくじけることなく乗り越えてみせる。
ずっと暗闇の中に星空が咲いているように。暗闇を照らし続ける星があるように。


約1週間の時が流れた。
娘はやっと体重も正常に近づき、身体の状態も問題がないため退院が許された。
これからは遺伝の心配のため、生まれて間もないというのに、定期的に眼科を受診しなければならない。無理やり眼底検査を受けさせる度に結愛の泣きはらした顔に涙してしまう。母にとっても、この光景は昔をフラッシュバックしてしまって見ているのが辛いようだ。
自宅では家族みんなで協力して、結愛をお世話した。幸恵さんも必死に、お風呂やおっぱいの練習を続けている。
見えなくて上手く誘導できないために、なかなか乳首に吸いついてくれない。何度もチャレンジしていると、そのうちに結愛は嫌がって泣き出してしまい、よけいに吸いついてくれなくなってしまう。必死に結愛の顔と胸の位置を考えながら試行錯誤していた。
お風呂も、位置や手の感覚だけで耳に水が入らないように、洗い残しがないように注意する。やはり恐る恐るやっているのがわかるのか、結愛も怖がって暴れてしまっていた。できるだけスムーズに、歌を歌いながら結愛の気を紛らわせていた。
おむつ替えでも、便の処理など大変どころではなかった。慎重にやっているつもりでもお尻がまだ便だらけで、床が汚くなってしまう。最初は新聞紙の上で何度も練習していた。
離乳食になると、スプーンを口に運ぶ感覚が難しくて、なかなか満足に食事をさせてあげられなかった。片手でスプーンを持って、もう片方で結愛の口の端を触りながらゆっくり運んでいた。

幸恵さんは母親としてくじけずに、何度も何度もくり返してがんばっていた。見えないから何だ、という気迫が伝わってくるようだった。
結愛を抱っこしてあやしている時に、壁にぶつけてしまったこともあった。床に結愛が寝ているのがわからなくて、蹴飛ばしてしまいそうなこともあった。哺乳瓶を口ではなく鼻にあててしまっていたこともあった。気づいたら、床が便まみれなこともあった。
見えないことで何度も続いてしまう失敗を経て、ふたりでいろんなことを学んでいった。
少し動くようになってくると、いま結愛がどこにいるのか気をつけなければいけなかった。腕に鈴の音が鳴る玩具をつけて、蹴ってしまわないように注意していた。
たまに訪問看護しに来てもらい、いろいろなことを相談し合って、何をどうしたらいいのか決めていた。
見えなくてもこうすればいい。こうしたらうまくできる。結愛とともに、また成長させられる日々だった。
時に幸恵さんも気を張りすぎて倒れてしまったこともある。母もそんな幸恵さんをしっかり支えてくれていた。
自分も仕事をしながらも、夜泣きの度に結愛を見ていた。義母さんも弟も、仕事の合間にできる限り協力してくれていた。
どんなに大変でも、いま結愛を中心に家族がひとつとなってがんばっている。だから、本当に幸せだった。目の前に結愛の笑顔があるだけで本当に幸せだった。

そんな大変ながらも幸せな育児生活の中、突然、読売新聞からの取材依頼が舞い込んできた。どうやら全盲夫婦が子どもを育てている姿を特集にしたいというのだ。
もちろん快く引き受けて、これからしばらく結愛はカメラを向けられる生活となった。これがきっかけで、0歳児にも関わらずカメラを向けられたらすっかりお澄まし顔を見せるようになったのは皆で笑っていた。

第5章 ■6. 決して負けない強さを

結愛を中心に幸せを噛みしめる日々。待ち望んだ幸せ。暗闇の中の笑顔。
しかし、そんな結愛の成長とともに悪夢もくり返す。

母はがんばってくれていた。全盲の両親だけでは難しいことも、結愛のために毎日支えてくれていた。
しかし、その裏では病気に抗えない衝動が自分を苦しめる。
結愛が生まれてからも何度も、家の現金や衣類などを盗ってしまう。何度注意しても、何度泣きながら訴えても、くり返された。
盗んだことに気がついて追及しても、嘘をついてしらばっくれる。さらにそれを責めると、体調を崩してしまう。ついには警察沙汰になってしまったこともあった。
何度も何度もくり返し、ついに母はまた動けなくなってきていた。さらに、精神的ストレスで暴飲暴食も始まり、また吐き気にも悩まされている。
車を運転しても何度事故を起こしたか覚えていないほど。ついに軽い人身事故を起こしてしまった時は、もう無理やりにでも運転を禁じた。
鬱病で通院して、薬に頼る寝たきりに近い毎日。
母の行動で落ちていきそうになる精神を必死に耐えながら、家族の笑顔を守ることに必死だった。とにかく幸恵さんによけいな不安を与えないように。母を嫌いになってしまわないように。
とにかく自分が何とかしなければと、自宅の私室には鍵をつけて、つねに母の動向に耳を傾ける毎日。情けなさと申し訳なさで押しつぶされそうになりながらも、自分が負けたら終わりだと奮い立たせていた。
幸恵さんも悲しみをくり返しながらも、母を理解しようとがんばってくれていた。母の過去を知った上で、我慢をしなければいけないこともあると言ってくれていた。それどころか、苦しむ自分を本当に傍にいて支え続けてくれている。
幸恵さんも、みんな笑顔でいてほしいから、母も含めて楽しい生活を送っていきたいから、と強く望んでいた。

しかし、さらに弟までもが悲しみを生み出していた。
散々母の行動を嫌悪していたにも関わらず、今度は弟が家庭のお金に手を出していた。はっきり言って、お金に対してだらしないことは知っていた。せっかくがんばって働いているのに、借金をくり返している状況だ。
家の中では、全盲者が困ることをくり返している。床に物は散らかしている。使ったものは元あった場所に戻さずにいる。部屋には食べかすや使用済みの食器を放置し、ゴミの山が築かれていた。
それでも、いざとなったら助けてくれる弟だからこそ、すべて許していた。
しかし、それが起こったのは、彼女ができたと報告を受けてからすぐのことだった。
何度か自宅に遊びに来ていたがひと言も挨拶されたことはなく、しまいには夜中に家で弟と彼女が騒いでいた。
さすがに結愛が寝ていることもあり、弟に厳重に注意した。まだ夜泣きをしてしまうほどの子どもがすぐ近くの部屋で寝ているのに、なんて非常識なんだと怒りを露わにした。
そして、注意したばかりの翌日の夜中、弟と彼女の笑い声に結愛が目を覚ましてぐずってしまった。時刻は午前2時。
それに対して怒りを抑えきれず、直接ふたりに注意することになった。静かになってからやっと、結愛を再び寝かしつけて眠ることができた。
これで反省してくれたらいいなと思ったのもつかの間、逆に弟は自分へと怒りをぶつけてきたのだった。
「彼女を泣かせてどういうつもりだ。絶対に許さない」と。

その日、弟を家から追い出した。
悲しみと怒り、そして全盲であるが故の恐怖。衝動的だったにしても、こんな理不尽に怒りをぶつけてきた弟を家にいさせてはいけない。
幸恵さんと結愛のために、弟はいっしょにいることはできないと、何年も苦労をともにした弟を追い出したのだった。
どんなにお金にだらしなくても、どんなに不潔にしていても、結局はいつも助けてくれていた弟。そんな弟が好きだった。どんなに子どものようにふるまっても家族として好きだった。
だからこそ、母と同じく弟を見捨てられない。大好きな家族を見捨てられない。

弟が涙を流しながら助けてと帰ってきたのは、ほんの数ヵ月後だった。
追い出された弟は彼女の自宅に転がり込んだのだが、彼女はとてもヒステリックで何かあればすぐ暴力を振るい、自由な時間もろくに与えられず、疲れ切っているという。
さらには、彼女を妊娠させてしまっているという衝撃の事実も伝えられた。
すべてを話し終えた弟は、それでも子どもの責任は果たさなきゃと籍を入れると言っている。限界がきて逃げ出してきたのにも関わらず、子どもを産ませて家庭を持つと。
もちろん、何度もしつこいくらい反対した。そんな状態でうまくいくはずがない。自分の責任という言葉を言い訳にして、生まれてくる子どもを不幸にするつもりかと。
それでも弟は聞く耳持たずに籍を入れてしまった。
これまで何度も彼女の愚痴を聞かされ、何度も自分の元に逃げ帰ってくる日々をくり返した。そんな状況にただただ生まれてくる子どものことが心配だった。
そして、弟の子どもは無事に産まれた。
最初はかわいくて幸せだと言っていた弟は、我が子を初めて抱いて2ヵ月も経たずに離婚した。彼女はもちろん、子どもにも一生会わないという誓約のもとに。
たくさんの覚悟を乗り越えて結愛とともに歩む自分と幸恵さんにとって、このことだけは許せない。自分たちが経験しているからこそ、しっかり子どもにとっての父親でいてほしかった。例え夫婦が決別してしまったとしても、我が子だけは見捨てないでほしかった。
そして、以前叱った腹いせなのか、弟の愚痴を聞いてあげていたことに対しての嫌がらせなのか、弟の元彼女関係から携帯電話に「死ね」などの悪戯電話がされるようになった。これに関しては、電話番号を警察に提出して相談実績を残すことで様子を見ることにした。
もちろん弟からは土下座をされるくらい謝罪されたが、それよりもこんな心ない人に子どもが育てられてしまうのかと、ただただ悲しかった。

母と弟の行動に、何度も精神的におかしくなりそうになった。時には心労で倒れて、救急車を呼ばれることもあった。吐血してしまったこともあった。
その度に結愛を抱きしめて勇気をもらった。幸恵さんを抱きしめて勇気をもらった。
笑っていられるように。家族で笑い合っていけるように。結愛という小さな光が大きく成長していくために。
負けてはいけない。何度もまとわりつく暗闇に負けてはいけない。
もう目の前で輝く笑顔を見失うわけにはいけない。
せっかくいままでたくさんの人に希望をもらって、いまここにいるのだから。

くじけず笑った。
母と弟が不手際を犯してしまったら本気で叱って、その後にはたくさん笑った。
この暗闇の向こうには笑顔がなければいけないから。
たくさんの人にもらった笑顔になる薬のおかげで毎日笑っていた。
ほら、そうしたらみんな笑ってくれた。
幸恵さんも結愛も笑ってくれた。

第5章 ■7. 暗闇の中に笑顔を

2017年。
結愛は保育所に通い始めた。あまり外に遊びに連れて歩けない分、たくさんの友だちと楽しく過ごしてほしかった。
運動会にお遊戯会に参観日に、段々と成長する結愛に毎回涙が止まらない。
他の子どもより成長が遅いため、2歳と半年を過ぎてやっと歩いてくれた時は年甲斐もなくはしゃいでしまった。こうやって少しずつ大きくなっていく。
パパと呼んでくれる度に幸せで満たされる。
現在は、保育所の送り迎えや病院に連れて行くことが自分たちでできないため、いろいろな方法を模索しながら悩んでいる。今後も外に出る必要がある度に壁となってしまう問題だ。

幸恵さんは仕事を始めて、仕事に育児に疲れてしまう時もあるけど、毎日結愛と触れ合い幸せだと笑って過ごしている。
出勤のために盲導犬の申請をしたので、そのうち新しい家族が増えるねと楽しみにしている。
弱音を吐いたことなんてなく、いまでも明るくしっかり太陽のようにみんなを照らしてくれている。
いつもみんなで笑っていたいと、この生活を嫌がったことなどない。母も弟も大事な家族だと言ってくれた。
いまこうやっていっしょにいるのが幸恵さんだからこそ、自分は踏ん張ってがんばれているんだと思う。

あれから弟は心を入れ替えて、養育費のために必死に働いている。たとえ会えなくても、子どものためにがんばるんだと。
転勤となったため、同じ宮城県内だがひとり暮らしをして、日々多忙な仕事をがんばっている。
仕事をしながら自分たちを気にかけ、駆けつけてくれることもある。やはり何があったとしても、たったひとりの兄弟なんだ。

母は体力が落ちてしまい、思ったように動けない状態だが、いまはやっと精神的に落ち着いている。
何より結愛をかわいがってくれる姿は、自分をずっと支え続けてきた母の姿と同じだ。
いまはお互い心の整理のために離れた地で暮らすことになってしまったのだが、結愛はいつも母が遊びに来るのを楽しみにしている。

きっとこうやって、少しずつ幸せに向かっていけるんだと思う。
どんなに悪夢に悩まされようが、自分がくじけない限り、また何度でも踏み出せばいい。
強く信じていればきっと、みんな答えてくれる。きっと思いは伝わる。
全盲での生活に子育て。母や弟のこと。
まだまだ問題は山積みで、うまくいかないことも多いけれど、大切な家族がある限りまた何度でも暗闇を歩いていける気がする。


2017年。

きっかけというのは不思議なもので、連絡が取れなくなっていたサイバーコネクトツーの松山社長から会いたいと電話がかかってきた。眼球摘出前に大変お世話になった方だ。
暗闇を歩む勇気をくれたゲーム『.hack//G.U.』の続編のことをわざわざ伝えてくれるとともに、あの時の逸話を本にしたいという。
過去を思い出すことで、全盲となる勇気が湧き出した源にはたくさんの人たちの存在があったことを改めて知ることとなった。ひとつのゲームがたくさんの人を動かし、たったひとりの少年を救った。
完成した本を読むと、涙が流れる。自分を導いてくれたんだと考えると、感謝のひと言しかない。
暗闇の中へ踏み出す一歩をくれたゲーム。そこからいくつもの物語へと繋がったのだった。

2018年。

松山社長が出版した本『エンターテインメントという薬』をきっかけに、今度はフジテレビ系列「奇跡体験アンビリバボー」という番組で取り上げられることになった。
番組を観てくれたみんなは口を揃えて言ってくれる。
「幸せそうな家族だね」と。
いくつもの困難を乗り越えて、くり返して、やっと辿りついた姿。
この姿は、全盲夫婦とその愛娘の本当の姿。自分たちのいまの本当の笑顔。

暗闇の道中にはたくさんの出会いがあり、それがたくさんの光となっている。
母や弟・地元の友人知人・闘病をともにした戦友たち・ゲームを通じて勇気をくれた方々・視力障害センターのみんな・幸恵さんの家族・生活をサポートしてくれているたくさんの人たち・他にも少しでも関わってくれた人たち。
そして、幸恵さんと結愛。
辛いこともたくさんあって、その光が見えなくなってしまいそうにもなるけど、歩みを止めないでいる限り、光は決してなくなることはない。
これからもずっと、暗闇を進める強さをたくさんの人にもらいながら歩き続ける。

以前、幸恵さんと結愛と3人で公園を散歩する夢を見た。
3人で笑っていた。見たことがないはずのふたりの顔は、はっきりと笑っていた。
これがまさしく、暗闇の向こうに求めたものなんだと思った。
こんな笑顔に出会えたいまなら思える。
目が見えなくなった暗闇の世界も悪くないと。




藤原 洋

はじめに
第1章 母の戦い
第2章 再発
第3章 全盲生活
第4章 視力障害センター
第5章 光に向かって

『エンターテインメントという薬 -光を失う少年にゲームクリエイターが届けたもの-』特設サイトはこちら

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