みなさん、『ワンピース・オン・アイス』を観ましたか? 観ましたよね?
語り合いたいですよね?
アニメ『ワンピース』をフィギュアスケートで表現するアイスショーが2023年8月から9月頭にかけて開催された。その名も『ONE PIECE ON ICE ~エピソード・オブ・アラバスタ~』。
琴線に触れた。芯に響いた。心の中の布袋寅泰がギターをかき鳴らした。すでに公開リハーサルの取材リポートを掲載しているのにプライベートでも観覧したら感情を抑えきれなくなって「うわー!」と感想文を書いた。
この気持ちを『ワンピース・オン・アイス』好き同士で分かち合いたい。そして僕の感想文を読んでほしい。どうせなら僕と同じゲーム好きな人がいい。この人はどうだろう。
プロフィギュアスケーターの橋本誠也さんである。ゲーム好きを公言していて、『ワンピース・オン・アイス』愛はおそらくトップクラス。
だってチャカ役で出演しているから。
語り出したら止まらない。
自分からお願いしておいてなんだが、目の前で文章を読まれるのはめちゃくちゃ緊張する。どうしていちばん繊細な部分をさらけ出すのか。
衝動が先走ってしまった。よくわからないままに叫びながら走りたくなる若者と同じだ。おたくは理論を超えた行動を取ることがよくある。
※注1:ここからしばらく『ワンピース・オン・アイス』感想合戦が始まります。ネタバレはあまりありませんが、未見の方はご注意ください。
※注2:未見の方は何を言っているか意味不明かもしれません。それでも僕らは止まらないので大目に見ていただけると助かります。
……わかります。
わかってもらえた。
刑事(ゾロ役の田中刑事さん)のゾロはいいですよね。刀を抜くところから鞘に納めるところまで忠実に再現してるのはすごいと思いましたよ。
ペルが飛ぶシーンもいいんですよ! 実際には飛べないけど表現の仕方で飛んでいるように見える。なるほどなって。滑空しているように見えるのはスケートならでは。トトトトトって走ると飛んでいるようには見えにくいんじゃないかな。
たとえばワイヤーで吊るしたりできるでしょうけど、それだと「飛んでる!」って印象が強すぎる気がするんです。スケートならスピード感もあるし、準備に時間もかからない。スッと頭に入ってくる。人間にはあり得ない動きを表現できるのはおもしろい。
サンジ(演:島田高志郎選手)とボン・クレー(演:本郷理華さん)がこう、蹴りで交錯するところもいいですよね! あの迫力もスケートならではだと思います。
そうなんですよ! ふつうの舞台演劇とは迫力の方向性が違うというか。
プロの役者さんも同じようにできるとは思うんです。ただ、ジャンプの飛距離も高さも、スケートの勢いがあるからこそでしょうし。
本郷理華さんのボン・クレーはどうです? 僕は完璧なキャスティングだと思ったんですけど。
最初の感想は「ほんとに!?」でした。でも、稽古を重ねていくごとに適任に思えて来るんですよ。本人も何かを見つけたんじゃないかな。仕上がりはボン・クレーでしたよね。それを見抜いた(キャスティング担当の)人はすごいです。
ボン・クレーは手足が長くて、おちゃらけてるんですけど、自分の役目を果たそうと仕事に対して真面目な部分もある。それはたしかに本郷理華だなと。(彼女は)たぶん責任感が強いんです。隙あらば練習してました。「ビールマンスピンができるからブッキングされた」みたいな話も聞いたことがあります。
楽しそうでしたよね。殻を破った、みたいな。僕が言うと上から目線になっちゃいますけど。最高でした。
僕もそう思います。やっぱりスケートって軽やかなスポーツですし、表には出さないこともあったかもしれないけど、自分らしさをボン・クレーというキャラに乗せて出せたのはいいことなんじゃないかと思います。
いきなり話が止まらない。おたく同士が話すとたいていこうなる。
僕、コーザ(演:友野一希選手)がすごいと思ったんですよ。なんというか……熱を感じるんです。演技をするというのはこういうことなんだなって。
一希ともいろいろ話しました。(見せ方は)こうだよね、こうしたほうがいいよねって。クロコダイルを引っ張っていくシーンがありますよね。そこはチャカが先頭か、いやいっしょに行かないと変かな、ですとか。
そういった動きはスケーター同士で話し合って決めるものなんですか?
基本的には(演出の)金谷さんと(振り付けの)宮本賢二さんに指導していただきます。最終的な演技の仕方というか自分の出し方は、ヒントをもらって稽古を重ねてでき上がっていきますね。
全部すばらしかったんですけど、ひとつだけ欲を言えば、
「チャカとクロコダイルをあと30秒戦わせてほしかった……」
いや、10秒! 10秒でいいですから!
笑いながら感想を言い合うのはとても楽しい。観返したい。9月3日に名古屋で開催された千秋楽公演はABEMAで有料配信されており、9月17日まで視聴可能なのである。宣伝みたいなことを書いてしまった。
ビビ(演:本田真凜選手)もすごくよかったんだよなー。ビビは憂国の王女。しっとりした仕草から悲しみがにじみ出る。本田真凜選手の演技はテレビ中継などで見たことがあるが、それとは違う芯の強さがあったのだ。
誠也さんの場合、チャカでどんな役作りをしましたか?
まずはアニメを観返して、つぎはエゴサですね。みんながチャカにどんな印象を持っているか知りたかったんですよ。
自分で思い描いている姿と第三者視点があって、どちらかに合わせると偏り過ぎると思ったんですよね。その中間にいたかった。尾田先生のチャカ像も知りたかったし、ずっと調べてました。
最初はハマらなくて、ずっと手探りな感じ。シーンのひとつひとつは数秒単位なんですけど、その中に(自分も含めて)みんなが想像するキャラクターを出すのが難しい。
チャカは『ワンピース』のメインキャラではないとはいえ、アラバスタ編に必要な存在だ。こういう個々の積み重ねが作品の完成度を上げていく。
尾田先生の漫画って、感情を出すときに顔がバーンって前に出ますよね。唾が飛ぶくらい。口なんてあり得ないくらい開いて。真似したら自分のなかでちょっとハマりました。
綿密な調査よりも勢いが大切なことはよくある。
ちなみに、いちばん完成度が高いと思ったのは?
ミス・メリークリスマスです。演じた中野耀司くんはすごいんですよ。僕が思い描いていたメリクリは絶対あれ。
アラバスタ編でメリクリを絶賛する人って珍しいな。
モグラ塚4番交差点はスケートのよさが詰まっていてけっこう好きでした。
❄️ABEMA配信 9/17 まで‼️❄️
#ワンピース・オン・アイス
"ここ見て"ポイント✨
ウソップ役 #織田信成
チョッパー役 #渡辺倫果
ミス・メリークリスマス役 #中野耀司
Mr.4 役 #小沼祐太
あの
『モグラ塚四番交差点』が…⁉️
ABEMA配信は9/17 23:59まで!
https://t.co/ioAeIALmqy… https://t.co/UBv3UlCA35 https://t.co/fObxtvMX3Z
— ワンピース・オン・アイス【公式】 (@onepieceonice)
2023-09-13 22:41:00
四皇、登場
解釈を語り合うと何時間あっても足りないので少し話題をずらす。『ワンピース』好きになったきっかけは?
日曜朝のアニメです。5歳からフィギュアスケートやってるんですけど、お休みが日曜日だけなんですよ。起きて最初に観られるアニメが『ワンピース』だったんじゃないかな。
親の影響もなく、初めて自分でハマったのが、たぶん『ワンピース』。マネージャーから電話があったときはすぐに「やります」って。食い気味に。
そう言えば、どういうきっかけでフィギュアスケートを始めたんですか?
今日はきっかけになった人を呼んでます。
四皇が来てしまった。橋本真司さんだ。
橋本誠也さんは橋本真司さんのご子息なのである。
バンダイ時代はファミコン全盛期。高橋名人や毛利名人と並ぶ“橋本名人”としてゲームの魅力を伝え続け、橋本真司さんモチーフの“ハシモトザウルス”を主人公とするファミコンソフト『ポケットザウルス 十王剣の謎』も発売されている。僕も持ってた。急にクイズが始まるアクションゲーム。
『ワンピース』になぞらえたらまさに四皇のひとり。前に書いた記事で“大名人時代の四皇”という表現を思いついた自分を褒めてあげたい。
たしかに「橋本真司さんにも来てもらえたらおもしろいですよね」と関係者に相談したのは僕だが、まさかほんとに来てくれるとは思わないじゃん。
すごく緊張したが、朗らかにいろいろ話してくださった。人間としての器が大きい。
僕、フィギュアスケートはできないけど、スピードスケートは滑れるんですよ。中学校時代に北海道の釧路に住んでたものだから。寒いからプールがなくて、代わりにスケートのテストがあるんです。400mトラックを何秒で回る、みたいな。
そこからアイスホッケーとスピードスケートに分かれていくんですけど、僕は転校で東京に行くことになって。
へぇー。大人になってお子さんが生まれて、スピードスケートをやらせようとはならなかったんですか?
都内はスピードスケートのレッスンがないんです。ウィンタースポーツは好きだし、フィギュアスケートもいいんじゃないかなと。だいたいの親御さんはリンクに降りれないけど、僕は自分で滑ってサポートできるから。
でも、親から「これをやりなさい」とは言っていませんね。ゲームもそう。環境を与えて、どれに興味を示すかは本人次第。
生まれたときからそういう(ゲームに囲まれた)環境だったので。記憶にあるのは、本棚がポンッてひとつあって、その周りにゲームがいっぱい。あっちの扉を開ければゲーム、こっちを開ければゲームみたいな。
サンジが夢見るオールブルーって橋本さん家のことなんじゃないかな。
誠也さんが子どもの頃というと、25年くらい前だろうか。当時はいまよりもゲームのイメージが錯綜していたように思う。ストレートに“悪いもの”とみなす声もあった。
真司さんは「仕事だったので」と前置きしつつも、子どもに与えて悪いものという意識はなかったそうだ。話を聞く限り、“ゲームはすばらしいものだから子どもに与えたい”という極端な考えもなかったのだと思う。フラットなのがうれしい。
フィギュアスケートは一般的な習い事と同列。ゲームもそこに近い位置にあったのかもしれない。
スケートリンクに行くときはバスでずっとゲームボーイ。単三電池をいっぱい持って。
縦長のでかいやつだ。
液晶が暗いじゃないですか。バスの中はやりやすいんですけど、降りて家に帰るまでは街灯しかないからできないんですよね。
歩きスマホの原風景。やれなくて逆によかった。どんなゲームやってました?
その後が『ポケモン』の赤・緑、『星のカービィ』、ゲームボーイアドバンスが出てから『F-ZERO』(FOR GAMEBOY ADVANCE)、『ロックマンエグゼ』、『ファイナルファンタジータクティクス』、『ドラクエモンスターズ テリーのワンダーランド』……。
名作やってますねー。橋本(真司)さんはスクウェアに務めているころですよね。(誠也さんは)ゲーム業界人を親に持つ子どもとして、お父さんの会社のゲームをやろうって意識はあるんですか?
あ、全然ありますよ。そういう気持ちで最初に遊んだのはなんだろ。『ファイナルファンタジーVII』かな。
フィギュアスケート×ゲーム&アニメの可能性
橋本(真司)さんはふだんはフィギュアスケートはご覧になるんですか?
ええ。誠也が現役のときは観に行ったりもしましたよ。プロになってプリンスさん(プリンスアイスワールド)にお世話になったときなんかも。
橋本真司さんに聞きたいことがあった。長年にわたってゲームのプロモーションに関わっている橋本さんは、『ワンピース・オン・アイス』のみならず、コンテンツとフィギュアスケートの掛け合わせにどういう印象を抱いたのだろう。
一見、フィギュアスケートは華やかな世界だ。スポーツニュースに映る大会映像では観客は大入り。日本には世界トップクラスのスケーターが何人もいる。たとえば、ルフィ役を務めた宇野昌磨選手もそのひとり。
だが、注目されているのはほんのひと握り。スケートリンクに足を運んでみようと思う人はまだまだ少ない。それでも日本はまだいいほうだ。ほかの国に目を向けると、それなりに大きな大会でも観客席がさみしいことはざら。
これはeスポーツを含むほかのスポーツでも言える課題である。素人考えだが、『ワンピース・オン・アイス』には興行的な成功のヒントがあるのではと思ったのだ。
柄にもなく難しいことを書いてしまった。要するに、ゲームやアニメを題材にしたアイスショーを観たいのでもっと増えてほしい。それだけである。
ゲームやアニメと別の文化の組み合わせっておもしろいなーと思うんです。『ワンピース・オン・アイス』で言えば、『ワンピース』ファンがフィギュアスケートのよさに気付いたら最高。
よく“○○と○○の融合”なんて言いますけど、違和感があるときもある。でも、『ワンピース・オン・アイス』は腑に落ちたんです。『新作歌舞伎ファイナルファンタジーX』なんかもそうですね。
古典芸能が進化していく過程が少し見えたと言いますか、歌舞伎界の方と打ち合わせをさせてもらって。古典は古典として、でも新しい進化系のメディアミックスをしながら進んでいくと思うんです。文化というものは、ボーダレスでどんどん進化していく。
ゲームやアニメを別の形にするのは難しいでしょうけど、たとえば権利関係がちゃんと整理されたとして、各国版の『ワンピース・オン・アイス』があったら観てみたい。一般論として、そういう可能性はあると思いますか? それともうひとつ、
「ヨーロッパ版のミス・オールサンデーはカロリーナ・コストナーさんでお願いします」
日本のアニメやゲームの評価が世界で高いという事実はありますから、これはもうプロデューサー次第だと思います。出版社さんと興行主の人たちと、レベニューシェアのやり方は考えないといけないでしょうけど。完全にあり得ない話ではないと思いますよ。
『ファイナルファンタジー・オン・アイス』とかめちゃくちゃ観たいんです。ぜひ古巣(スクウェア・エニックス)の後輩たちに夢を託していただいて……。
可能性はゼロではないという話を聞いて舞い上がり、無茶な希望が口から出てしまった。
フィギュアスケートにしろコンサートにしろ朗読劇にしろ、つなぐ人はけっこうなパワーがいるんです。そこがまだまだ日本に足りないのでは、と。
海外だと違うのでしょうか?
うーん、そうですねぇ……。お金を出してすべてのリターンを取るというやり方、巨大なハリウッド式ではあるんですけど。これを日本ができるかというと難しいかもしれません。日本では海外にライセンスアウトして俯瞰で管理していく方法が多いですね。
誰もがスケートに触れられるイベントを
話は脱線してしまったが、アイスショーにはいろいろな形があると可能性が見えたのはうれしい(越えるべき壁はたくさんあるけど)。では、出演する側の橋本誠也さんにとって、自分が出たいアイスショーとはどういうものなのだろう。
前に“浅田真央サンクスツアー”に出させていただいて、いろいろな人がスケートに触れられる環境がすごくいいと思ったんですよね。
スケートはどうしてもお金がかかります。スケートリンクで貸し靴を借りて滑ろうとすると1000円も2000円もかかっちゃう。それを趣味とか習い事にするのはたいへんです。
でも、やっぱり楽しいんですよ。せめて身近で感じられるような、すごい技を目の前で観られるようなショーが増えてほしい。そういう場に僕も関わりたいです。
スケールの大きな話が出た。
浅田真央さんはフィギュアスケートの普及活動に力を入れていて、僕も観に行ったことがある。明らかにフィギュアスケートの観覧に慣れていない人も楽しんでいるのが印象的だった(観覧慣れしている人は厚着なのですぐわかる)。
ショーの開催には多額の費用がかかる。スポンサー集めもたいへんには違いないが、増えてくれたらいちファンとしてとても喜ばしい。
箱(会場)は大きくなくてもいいんです。大きなイベントの1ブースだけでもいい。6、7年前なんですけど、横浜のみなとみらいの『ポケモン』イベントに出たんです。ピカチュウのパネルを持って(氷ではなく樹脂のスケートリンクを)滑って。
お子さんたちがスケートに触れ合える場がすごくいいなと思ったんです。かわいいピカチュウもいるし、ワイワイわちゃわちゃして。こういうので楽しんでもらうのもうれしいんですよね。
『ファイナルファンタジーXIV』プレイヤー発見
前にゲームとフィギュアスケートの関係についての記事を書かれていましたよね。スケートとゲームの世界につながるピースは、僕の周りにたくさんあったと思います。(宇野)昌磨がゲーム好きというのもそのひとつ。
身近なみんながゲームにハマっているというのは知ってたけど、じゃあ世間的につなげていくものってなんだろうなって思うと、やっぱりその組み合わせってすごい難しかったんです。何だかそれがすっとフェードインしていったような記事だったので、すごく読みやすかったです。これこれ! みたいな。
もっと褒めてくれ……。
そうそう。小松原尊(※)って『ファイナルファンタジー』がめちゃくちゃ好きなんですよ。今年は『ファイナルファンタジーVIII』の曲で滑るらしいですね。
※小松原尊:アイスダンスのカップル・小松原美里/小松原尊組の男性スケーター。アメリカ出身で日本に帰化。旧名はティム・コレト。
よくやり取りしてて、ゲームの話もします。『ファイナルファンタジーXIV』を始めたから、今度いっしょにやろうって誘われました。
『FF14』やってんの!?
父のことも知ってたんですよ(※)。僕からは言ってないんですけど。「お父さんによろしく」って言われました。
※念のためもう一度書いておきますが、橋本真司さんはゲーム業界のすごい人です。
スケート界にもゲーム好きはたくさんいるんですけど、あまり表には出してないんですよね。
タレントじゃないからわざわざアピールする必要がないんでしょうね。日常の一部としてゲームが好きなだけで。
たしかに。ゲームとフィギュアスケートは離れていると思っていたんですけど、それがあの(ファミ通.comに載っていた)記事でいい具合につながった気がしました。
ありがてえ……。
フィギュアスケートファンと『ワンピース』ファンを『ワンピース・オン・アイス』が結んだ。同じように、ファミ通.comの記事がフィギュアスケートファンとゲームファンを結んだのだとしたら、それはすてきなことだ。
ちなみに、橋本誠也さんは『艦隊これくしょん』アイスショーに出た無良崇人さんの影響で『艦これ』を始めてみたそうだ。提督(『艦これ』プレイヤー)のみなさんに教えてもらいながら少しずつ楽しんでいるらしい。
ゲームやアニメとフィギュアスケート。その可能性をもう少し見続けたい。
最後に、橋本誠也さんに読んでもらった感想文を掲載します。お読みください。
『ワンピース・オン・アイス』のちょっとした考察
アイスショー『ワンピース・オン・アイス』が発表されたときは「うわー!」と興奮し、チケットの抽選販売が始まったらすぐに申し込んだ。2023年春のことである。
横浜公演の千秋楽(8月13日)に運よく当選。勝手に記事を書いて気分を盛り上げていたところ、本番前日の公開リハーサルに招待されてしまった。いいのですか。こちとら関係者でもスポーツ系メディアでもない、野良のフィギュアスケート好きなのですけど。
なお、出版業界の“お盆進行”はファミ通.comにも影響するため、8月上旬は忙しい。専門外の長時間取材は業務に差し支えるのに「行ってきていいよ」と送り出された。編集長、サンキューな。
結果、僕は幸運にも2回観覧できることになった。最初は取材用に用意してもらったアリーナ席で迫力を感じ、つぎは自分で取ったスタンド席から全体を俯瞰で観る。取材時は興奮のあまり頭の中がわーわー大騒ぎだったが、2回目は冷静になれた。
基本的なリポートは公開リハーサルの記事に譲るとして、ここでは頭を冷やしたら見えてきたことを少しだけ書く。
取材のときもプライベートのときも始まった瞬間に泣いた。全然冷静になっていない。
アスリートの身体能力で人間離れした動きを再現
『ワンピース・オン・アイス』の正式名称は『ONE PIECE ON ICE ~エピソード・オブ・アラバスタ~』。アニメ『ワンピース』のアラバスタ編をフィギュアスケートで表現する演目だ。
本編はいきなり涙腺を狙い撃ちにする演出から始まる。アラバスタ王国の王女ビビと護衛隊副官ペル、アラバスタを愛する青年コーザ。3人の思い出から本編は幕を開ける。幼いビビに国を守る意義を優しく説くペル。「この国をもっと潤す」とビビに約束するコーザ。
ありていに言ってしまえば、アラバスタ編は“国を守る戦い”のお話だ。ビビとコーザ、ペルはそれぞれのやり方で国を守ろうとする。冒頭でこのやさしい時間にふれるかどうかで、本編の印象が大きく異なる。
印象的なシーンの後、いよいよ麦わらの一味が「ドン!」と登場。ナミ、ウソップ、チョッパー、サンジ、ゾロ、そしてルフィがスケートリンクに現れ、しっとりした空気は一変。観客のテンションが明らかに上がった。アクセルべた踏みである。
ルフィたちを演じるのは、宇野昌磨選手を始めとする実力派スケーターだ。キャラクターの衣装を身に付けた彼らは、場内に流れる声優のセリフに合わせてジャンプやスピンを決め、美しく力強いスケーティングでキャラクターの心情を表現する。
果たして、僕らは思い知ることになる。人間離れしたアニメキャラクターの動きを再現するには、アスリートの身体能力が必要だったのだ。
最近のおたくはいいものを見ると寿命が伸びると言うが、なるほどたしかに健康にいい。ハツラツとした気分になる。
まず宇野昌磨選手がルフィっぽいだけで少しうれしい。ルフィは感情を顔と全身で表現するタイプで、宇野昌磨選手の性格とは異なる。彼は「自分はルフィとは違うと自覚したうえで演技をして、それがスケーターとして糧になっている」らしい(各所のインタビューより)。
“演技をする”スポーツならではの感覚だ。自分をそのまま出すのとは少し違う。見た目が似ていなくてもそのキャラに見えてくるのが演技だが、『ワンピース・オン・アイス』のキャスト陣は見た目も似ているからふしぎである。
『ワンピース』という名の共通言語
ふしぎに思ったことがある。何だか盛り上がりがすごくないか。
僕はフィギュアスケートが好きなので、SNSでフィギュア関連の話題をよく見かける。盛り上がって見えるのは当然なのだが、それを抜きにしても勢いがあった。興奮があふれている。
キャラクターの実写化という意味では2.5次元舞台があるし、『ワンピース』に至っては実写のショー(USJなど)も実写ドラマもある。それらとは何が違うのだろう。
本編終了後のカーテンコールは撮影OKだったこともあり、公演後はSNSに写真がたくさん投稿された。フロアがわいた。
つまり、それだけ語りたくなったということである。わかる。僕もキャラ解釈について語り合いたい。解釈違いを受け入れる準備もできている。
これはやはりフィギュアスケートというスポーツと出会ったことが大きいように思う。
フィギュアスケートに限らず、人は身体の躍動に感動を覚える。アスリートの活躍はなぜか心に響くのだけど、語り合いたくても素人には言語化が難しく、「何かすごい」くらいの抽象的な表現になってしまう。
これがそのスポーツのファン同士なら何も問題はない。フィギュアスケートファンなら“加点の多いダブルアクセル”の重要性がすぐにわかるし、野球ファンなら“3割バッター”の実力を理解している。
でも、それではファン以外には伝わらない。
そこで『ワンピース』だ。「本物のルフィみたいだった」、「サンジの蹴り技がすごかった」と聞けば、頭の中にある人間離れしたアニメキャラの動きと結びつく。フィギュアスケートは『ワンピース』と出会うことで、すごさを伝えるための共通言語を手に入れたのである。
新しい言葉を覚えたばかりの子どものように、SNSには無邪気で全力疾走な感想があふれた。とくに多かったのは「サンジ役の島田高志郎選手の完成度が高い」というポストだったように思う。
すらりとした長い脚はスケート靴のおかげでさらに長く見える。キックで戦うキャラだけに、ジャンプやスピンとの相性は言わずもがな。スケートのスピード感を活かしたボン・クレー(演:本郷理華さん)戦の大立ち回りを、観客は固唾を飲んで見守った。
島田高志郎選手を応援するフィギュアスケートファンは、好きな選手が絶賛される喜びに打ち震える。サンジファンは脳内にいるサンジが目の前に現れたことに動揺を隠せない。仕草もキャラのイメージ通り。アスリートとしての体の強さと演技者としての作り込みに驚いたはず。
島田選手の異常なサンジっぽさには衣装の影響も大きい。ふつうのスーツを着ただけではアニメキャラのようなシルエットにならないので、かなりタイトに作ってあるのだと思う。
キャラっぽさで言えばゾロ役の田中刑事さんにも注目してほしい。小道具を持って滑るのはすごく難しいらしいが、ゾロは両手に持つどころか口にも刀をくわえる。もちろん腰に鞘も差している。それでもふらつくことなくビシッと決めるのは、基礎的なスケーティングスキルの高さゆえだろう。
また、方向音痴なゾロらしくひとりだけ違うところから退場しようとしたり、サンジとにらみ合ったり、細かく取り入れた原作ネタもおもしろかった。
キャラを動きで表現するスケーターが多い中、感情のうねりを描き出す演者が記憶に残っている。コーザ役の友野一希選手とビビ役の本田真凜選手だ。
コーザは豊かなアラバスタを取り戻すために、鬼気迫る表情で激情をほとばしらせる。ビビはたおやかな腕のしなりで悲しみを表現。国を愛する者同士が傷つけあうのは何とつらいことか。
スケーターと観客の距離は離れているので、実際には表情の変化は見えにくい。それでも感情の奔流を感じられたのには、フィギュアスケートというスポーツの性質が関係している。
アイスショー(フィギュアスケート)と演劇の違いはいろいろあるが、中でも大きいのは“1ヵ所に止まっていることが少ない”点だと思う。氷上を縦横無尽に滑走し、体を大きく使って物語を描く。観客は演者を目で追いかけるうちに集中が深まり、ほかのことは意識から外れていく。
小さい子の写真を撮るとき、意識を向けてもらうために手を振ったりするだろう。あれがずっと行われているようなものである。彼らの演技と光の演出によって観客は世界に入り込む。自分のすぐ隣りで血が流れている。そんな迫力を感じ、観客はもはやアラバスタの動乱の当事者だった。
そんな友野コーザは演技が終わると一変。カーテンコールのときは子役スケーターをやさしく見守っていた。すてきなお兄ちゃんだ。
フィギュアスケートには物語をテーマにしたプログラムが多いが、厳密に展開が解説されるわけではない。スケーターは自分の解釈で人物を演じ、観客も自分なりに解釈する。ものすごく漠然とした世界だ。
明確な指標がないからこそ、目の前のスケーティングは観客たちの想像と結びつき、頭の中で冒険譚が紡がれる。ここにフィギュアスケートの本質が宿っているような気がした。
アイスショーについて説明させてほしい
アニメ『ワンピース』のアイスショーが開催。ユニークな施策には間違いなく、ファンじゃなくても「へぇー、すごそうだね」くらいには感じる話だと思う。
原作もの×フィギュアスケートという意味では『ディズニー・オン・アイス』の歴史が長く、唯一無二と思われていた中で2018年に出てきたのが『艦隊これくしょん』アイスショー。それから5年後、今度は海賊王を目指す男・ルフィの冒険が氷上で幕を開けることになった。
ルフィ役は世界選手権2連覇のトップスケーター・宇野昌磨選手。その発表を聞いたフィギュアスケートファンは色めき立った。「あの昌磨くん(※)がルフィ!?」と。
※気合の入ったファンは選手が子どもの頃から応援しているので、ふとしたときに親戚みたいになってしまう。
その後も驚きは続いた。キャスト発表のたびに興奮は大きくなっていく。
敵方のボス・クロコダイル役は無良崇人さん。男の色気がすごそうだ。Mr.2 ボン・クレー役の本郷理華さんで「そう来たか!」といったん笑いを挟み、チョッパー役の渡辺倫果選手で「チョッパーを人間がやんの!?」と驚愕し、ゾロ=田中刑事さん、サンジ=島田高志郎選手の配役に「そりゃあかっこよかろう」と胸を躍らせる。
ひと言で言えば豪華。ただし、フィギュアスケートファンからすると“有名だから豪華”なのとは少し違う。メインキャストの大半が現役選手(もしくは引退から日の浅い若手)だから豪華なのである。
いったん心を落ち着けて、この興奮を解説する。フィギュアスケートは冬のスポーツだ。ざっくり言うと、秋冬に試合が集中し、春夏は準備期間。有力選手は夏頃の大型アイスショーに出演し、試合勘の調整や新プログラム発表をするのが定番となっている。
アイスショーのタイプは大きく分けて2種類。
- ショー全体の物語性やエンタメ性を重視
- 個人の演技を重視
『ディズニー・オン・アイス』などは前者のタイプにあたる。キャスト編成はプロのショースケーター中心で、上位の競技選手がゲスト出演することも。演劇の興行に近いので物語全体の調和が大事なことに加え、スケジュール管理の難しさも影響しているのだと思う。一流アスリートは些細な体調変化が成績に影響する。
一流アスリートは日々の練習も忙しい。大人数が一堂に会するともなればスケジュール管理はたいへんだ。業界全体で大まかなスケジュールが決まっている中で、2023年は『ワンピース・オン・アイス』という異物が入ってきた。それなのに多数の現役選手が出演する。フィギュアスケートファンの興奮はそこにある。
想像してほしい。ゲーム業界でたとえると、6月にはE3やSummer Game Festがあり、夏にはChina Joyやgamescomがあり、9月には東京ゲームショウがあり、11月にはG-starがあり、12月にはThe Game Awardsがある。そんな中で同等クラスのイベントを立ち上げるのがどれほどたいへんなことか。
原作者・尾田栄一郎先生のコメントによると、最初に話を聞いたのは「もう何年も前」。いろいろな意味で「ジョ~~ダンじゃなーーいわよーーう!!!」と一蹴されそうな企画は、数年をかけて冗談ではなくなった。きっと大勢の大人たちが調整に奔走したのだろう。
『ワンピース』の中では、世界を動かしたルフィたちは“最悪の世代”と呼ばれている。『ワンピース・オン・アイス』を実現させた関係者のみなさん、あなたたちは“最高の世代”です。
そして本郷理華さんをボン・クレー役に推した人、飲みに行こうぜ。
※取材協力:ライター 佐藤ポン