バンダイナムコエンターテインメントとバンダイナムコスタジオによる、優れたインディーゲームを発掘するための取り組み“第1回GYAAR Studio インディーゲームコンテスト”。2022年12月にコンテストへの募集を開始したところ、209作品もの応募があったという反響の大きさを見せた同コンテストだが、2023年3月4日に行われたTOKYO INDIE GAMES SUMMITにて、受賞8作品(プラチナ賞1作品、入賞7作品)が発表された。
選りすぐりの個性派揃いの作品が揃った受賞8作品にて、プラチナ賞を受賞したのはBubble Gumによる『Little Cheese Works』。ネコに見つからないようにチーズをゴールまで運ぶ、協力型ネズミアクションゲームだ。開発を手掛けるBubble Gumは、ディレクター古川貴大氏とプログラマー畑中朗人氏によるチーム。
今回、ファミ通ドットコムでは古川氏と畑中氏にインタビューを実施。『Little Cheese Works』のこだわりポイントや“第1回GYAAR Studio インディーゲームコンテスト”に応募するにいたった経緯などを聞いた。
『Little Cheese Works』が栄冠を勝ち取った理由とは?
古川貴大氏(ふるかわたかお・写真右)
Bubble Gum
最高経営責任者
畑中朗人氏(はたなかあきと・写真左)
Bubble Gum
最高技術責任者
『Little Cheese Works』
開発会社:Bubble Gum
ネコに見つからないようにチーズをゴールまで運ぶ、協力型ネズミアクションゲーム。少しの音で目を覚ましてしまう敏感なネコに見つからぬように、全員で協力して息を合わせて静かにチーズを運ぶ。日夜危険な現場に送り込まれる、ブラック企業務めのネズミ社員たちは、行く手を阻む多彩な障害物を乗り越え、平穏な生活を送ることができるか――。
ゲームを作るべくして生まれてきたふたり
――まずは第1回GYAAR Studioインディーゲームコンテストでプラチナ賞を受賞した率直なご感想を教えてください。
古川めちゃくちゃうれしかったです。 自分たちに才能があるかはわからなかったのですが、やると決めて100%努力してきたので、受賞できて本当によかったです。
いっしょに開発を手掛ける畑中とは、もともといた会社の同僚だったのですが、会社を辞めていっしょに仕事をしたいと伝えたときに、「2年間だけ時間をくれ!」と言ったんですね。その2年でこれ以上はないくらい全力の努力をして、それでダメならあきらめようと思っていたので、今回こうして結果が出せてよかったです。
――受賞に対して、まわりの方の反応はいかがでしたか?
古川親と大学の友だち、開発メンバーくらいにしか伝えていなかったのですが、両親もすごく喜んでくれました。母親に受賞について報告をした後、母親が父親に対し、「ネズミがチーズを運ぶゲームを作ったらしいで」みたいな説明をしていて、よくわかっていない感じではありましたが(笑)。ただ、まだスタート地点に立っただけで、本当に喜べるのは『Little Cheese Works』が世に出てヒットしたときかなと思っています。ヒットさせるのが僕の仕事ですから。
畑中そこは僕も古川と同じ気持ちです。自慢できるのはゲームを世に出したときだと思うので、受賞したことはなるべく広めないようにしようと。ただ、受賞が決まった日は浮かれてお酒を飲みまくって、帰ってからゲーム仲間とのオンラインチャットで自慢しちゃいました(笑)。みんな「すごい」「すごい」と言ってくれて、ずっとニヤニヤしていました。
――おふたりの人となりなども伺っていきたいのですが、まずはゲームとの出会いについて聞かせてください。
畑中僕が初めて遊んだのはニンテンドウ64の『ポケモンスタジアム金銀』でした。カポエラーがベーゴマで戦うミニゲームとかから始まって、そこからずっとゲームは遊んできました。
古川僕も64が最初に接したゲーム機だったのですが、家があまり裕福ではなかったので、クリスマスに64をお願いしたときは本体しか買ってもらえなかったんです。3ヵ月後の誕生日に『マリオパーティ』を買ってもらうまでは、本体しかなかったんです(笑)。
小学生のころは勉強も運動も苦手で、友だちもあまりいなかったので何もおもしろいことがなかったのですが、『マリオパーティ』を初めて遊んだときには電流が走ったような感覚でした。「なんておもしろいものが世の中にはあるんだ!」と。そのときのあこがれいまも残っているような状態です。
――ゲーム業界を目指そうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
畑中ものごころついたときからゲームを作りたいと思っていたので、とくにこれ、という理由はないんです。強いて言うなら、ゲームを遊んでいると「自分だったらこうするのになあ」みたいに思うことがあって、そのフラストレーションを発散できる場所を探していました。ある意味、生まれたときからゲームを作るべき人間だったというか……。
古川カッコいいな。
――カッコいいですね。ちなみに、どんなところでもっとおもしろくできるのに、と感じたのですか?
畑中たとえば、 とあるゲームではレベルアップしたときに印象的な音楽が流れて、気持ちのいい演出が入りますよね。レベルアップって自分が苦しんだ先にあるご褒美なので、そういう気持ちいい演出が入っていないゲームがあると、「もったいないな」と思っていました。先行事例として遊んできた優秀なゲームと照らし合わせて考えることが多かったです。
――畑中さんは早くからプログラミングの勉強を始めていたのですか?
畑中中学生のころからプログラマーになりたいとは思っていたのですが、当時はまだパソコンが高くて、環境が用意できませんでした。そのままズルズルと後回しになって、大学になってようやく学び始めた、という感じでしたね。
――古川さんもやはりご自身でゲームを作りたいという気持ちがあったのですか?
古川その気持ちもありましたし、親が商売人だったこともあって昔から商売が好きだったんですよ。学生時代にもお金を借りて何かを始めては失敗していました。ある美容品を触ったときに、これは自分でも作れるなと思っていろいろと動いたのですが、ぜんぜん売れませんでした(笑)。同じことにアツくなれるような人といっしょに何かができたらと思っていたので、畑中と出会ってそれが叶ったという感じです。
ゲームに対して同じ熱量を持っているふたりは意気投合して独立
――おふたりの出会いはいつごろだったのですか?
畑中前職であるスマートフォン向けゲームの開発会社で会ったのが初めてでした。僕は当時あまり就活をしたくなかったので、ゲームメーカーを5社だけ受けて、その中で決めました。会社自体にこだわりはなくて、「何かしらを作りたいからいったん入社してみよう」くらいの気持ちでした。
古川僕は逆にすごく就活をがんばっていて、100社くらい受けたんですよ。
――100社!
古川じつはバンダイナムコさんも受けていたのですが、最終面接で落ちてしまいました(笑)。ですので、今回こういう形でバンダイナムコさんと関わらせていただけたのは、すごくうれしいんです。
畑中あのときの復讐を(笑)。
古川いやいや(笑)。それでいくつかのゲーム会社さんに内定をもらって、畑中と同じ会社を選んだという感じです。
――会社にいてもゲームを作ることはできたかと思うのですが、なぜ独立しようと思ったのですか?
畑中いわゆるソーシャルゲームを扱う会社だと、運営などが主になってくるぶん、自分で何かをするよりも人や工数を管理することが多いんです。組織の一部として溶け込んで、その中で最大限の力を発揮するというか……。僕はどちらかと言うと好き勝手にやって、結果として何かを作り出すほうが性に合っていました。
「性分に合わないな」と思いながら働いていたら心も身体も壊してしまったんです。「もう限界だな」と古川に相談したときに独立の話をもらって、「じゃあ辞めようか」と。
古川本当にギリギリだったんですよ。当時は入社3年目くらいだったのですが、畑中は出世コースに乗っていて、もうちょっとでマネージャー職に昇格しそうだったんです。僕はいつでも辞められる状態だったのですが、「このままだといっしょにゲームを作ってもらえなくなるぞ」と思って焼肉に誘ったんです。
――本格的に独立を考える以前から、「ふたりでゲームを作りたいね」といったお話はしていたのですか?
古川じつは会社に内緒で作っていたりもしました。とは言えそれだと週1のペースでしか作業できなかったので、もっと本格的に動きたいなという気持ちはずっとありました。
――畑中さんは出世コースに乗っていたということでしたが、そこに後ろ髪を引かれるようなこともなかったのですね。
畑中年収が上がっても自分に喜びがないことはわかっていたので、そこはぜんぜんありませんでした。給料が上がった瞬間はうれしいのですが、つぎの日にはもう暗い顔になっている、みたいな状態だったので(笑)。どちらにせよ、古川といっしょにゲームを作りたいとはずっと思っていました。
――おふたりがお互いのことを知ったきっかけは何だったのですか?
古川新卒で入社した後、チームを作って2ヵ月間くらいでゲームを作る研修があったんです。こういう研修って、何となく雰囲気だけこなす人もいるじゃないですか。畑中とは別のチームだったのですが、「自分と同じような目をしている奴がいるな」と思っていたんです。「何だこいつは?」、みたいな(笑)。そこから仲よくなっていきました。
――ひときわ高い熱量を持っていたことはお互いに認め合っていたということでしょうか。
畑中そうですね。ちょっと話したときからほかの人とは違うというか、フィーリングがすごく合っているなとはずっと感じていました。
古川うれしいな。それもあって「2年間を俺にくれ」みたいなこと言ったわけですからね。
畑中僕は2年と言わず、10年でも20年でも、死なばもろともではありませんが、そんな気持ちでした。
――独立してすぐに今回受賞した『Little Cheese Works』を開発し始めた、というわけではないんですよね。
古川そうですね。最初は食べていくために、スマートフォン向けの脱出ゲームを作っていました。このジャンルは開発経験があまりなくても、なんとかやっていけそうとの判断がありました。ただ、そこから8ヵ月ほどしたタイミングで、「たとえ貧乏になったとしても、作りたいものを作ったほうがいいな」と思ったんです。
――どういった心境の変化があったのですか?
古川「こんなことをするために独立したのかな」という気持ちになりました。自分たちが作りたいものを作るために会社を飛び出したのに、それをだんだんと忘れていたんです。
ちなみに、独立した当初の社名は、昔僕が設立したものをなんとなくでそのままつけていました。でも、独立を決めたときの気持ちを忘れないようにということで、畑中とふたりで話し合って、信念を持てるような名前にしようというので、いまのBubble Gumに変えたんです。ただ、ふたりとも社名を変えるための手続きがわからなくて、お世話になっている知人にお願いしました。まだ、手続きは済んでいないので、正式な社名はBubble Gumではないんですよね……。
――あら……。畑中さんとしては、独立後の8ヵ月間はどうだったのですか?
畑中とにかく会社を存続できるようにということで、そこを支えられるようにがんばろうと思っていました。何もわからない状態から始めて売り上げを出していくとなると、どうしてもストレスが溜まっていきますので。もちろん僕もストレスを感じることはありましたが、自分が冷静になってサポートしないといけないなと考えていました。
古川本当にありがたいです。
「夜中にこそこそするのって楽しいよね」が『Little Cheese Works』のきっかけ
――“第1回GYAAR Studio インディーゲームコンテスト”に応募したきっかけについても伺いたいのですが、コンテストのことを知る前から、『Little Cheese Works』の制作は始めていたのですか?
古川そうですね。僕は最初にリスクを考えるのが苦手で、ただ行動していくようなタイプなんです。ですので、2022年10月くらいに『Little Cheese Works』を作り始めたのですが、着手してひと月くらいで、開発費が1000万円近くかかることがわかりまして。
でもそんなお金もないしどうしよう、というタイミングでコンテストのことを知ったんです。賞金も出るし、パブリッシュの協力もしてもらえると聞いて、これはありがたいなと思って応募を決めた感じです。
――コンテストを知る前は、どのような形でリリースしようと思っていたのですか?
古川まずはSteamで配信して、ゆくゆくはNintendo Switchなどにも移植したいなと思っていたのですが、必要なお金などを計算せずにスタートしてしまったんです。今回はコンテストのおかげで、本当にたまたま帳尻を合わせることができた感じです。
――まさに行動するタイプですね。「自分たちの作りたいものを作ろう」と決めてから、『Little Cheese Works』のコンセプトが生まれるまでには、どのような経緯があったのですか?
畑中8ヵ月間脱出ゲームを作っていたときにも、毎日作業しながらチャットツールで通話をしていて、お互いに毎日けっこうな量のアイデアを出し合っていたんです。「ネコがハードボイルドな探偵になったらおもしろいよね」みたいな感じで。システムやシナリオも含めていろいろと話していたときに、ある日古川が「夜中にこそこそするのって楽しいよね」と言ったのがきっかけでした。
古川アイデアを書いたノートを渡したんだよね。毎日仕事が終わった後に、その日思いついたアイデアをノートに書き込んでいるのですが、その写真を撮って送ったんです。
畑中ノートに書かれているだけでもアイデアがギッチリ詰まっていたので、「これはいけるな」と確信して作り始めました。
――アイデア自体は日々積み重ねていたんですね。
古川そうですね。ほとんど毎日、14時間くらい通話していたので、アイデアのリストはかなり溜まっていました。そこで僕がボソッと言ったものがきっかけとなった感じです。本当にタイミングがたまたまよかったというか……。
――こそこそする楽しさ、というのもおもしろい着眼点ですね。
畑中たぶん原体験としては、修学旅行などで夜に見回りの先生に見つからないように隠れた、みたいなところだと思います。それをうまくゲームに落とし込めないかと思って、最初はいろいろなアイデアを出し合っていました。ダンジョンで悪い奴に見つからないように宝探しをする、というのも考えたのですが、ネズミがネコに見つからないようにするほうがかわいいよね、となっていきました。
古川そのほうが単純にわかりやすいですしね。
畑中デザインとしても作りやすいし、作品の世界もすっと入ってくる。ネズミだったらネコに見つからないように行動するよね、というのも伝わりやすかったので、「これでいこう」となりました。
――作っていく過程で手応えも感じつつ?
古川僕としてはもっとキャッチ―な設定にしたくて、ネズミがブラック企業で働いているということにしました。かわいそうな感じにするとおもしろいと思ったんです。危険な現場に送り込まれて、チーズを回収するときに扉が開くのですが、そこで乗り遅れると現場に取り残されてしまうという(笑)。
畑中最初はバグだったんですよ。竜巻みたいなものがあって、そこに吸い込まれる形だったのですが、ちゃんとついてこないネズミがいたんです。逆に「それがいいよね」となって。ギミックもいろいろと考えました。ロケットパンチみたいなものが飛んできて、ネズミが壁にビターンって貼り付けられたらおもしろいよね、とか。
古川売れるかどうか、みたいな部分はわからないのですが、「自分たちにいまできることはすべて注ぎ込めたな」という実感はすごくありました。
――とくにこれはいけそうだなと手応えがある要素などはありますか?
古川まだ実装はできていないのですが、畑中が、「ボイスチャットを入れてゲーム中に発する声の音量でもネコが起きるようにするのはどうか」というアイデアを出してくれたんですね。これはたぶん、このゲームを作るうえでものすごくコアになる機能だと思います。
コミュニケーションを取ってはいけない場所でコミュニケーションをせざるを得ないギミックを入れることで、修学旅行のひそひそ話や寝ている親を起こさないように動くときのような、こそこそ感が出せるんじゃないかなと期待しています。
――Steamなどのゲームを初めて制作するうえで、いきなりマルチプレイに取り組むのもハードルが高い印象ですが、そのあたりはいかがですか?
畑中確かに難しいことではあるのですが、思いつくアイデアはマルチプレイ系のものが多いので、いずれはやらないといけないことだったんです。ですので、「ぶっつけ本番でやってしまおう」という感じです。マルチプレイ要素が入るとどうしても工数が増えますし、ましてや初めてとなれば余計にすべきことが膨らみますよね。ならばこの作品で……ということで実装を決断しました。
――『Little Cheese Works』でのふたりの立ち位置としては、古川さんが企画、畑中さんがプログラムをそれぞれ担当しているのですね?
古川そうですね。企画部分は僕がメインを考えて、いっしょに話し合いながら作って、プログラムは畑中がやるぶん、それ以外のことは基本的に僕がやるようにしています。デザインなどは僕ひとりではできないので、SNSを使っていろいろな方にお声がけして協力していただいています。
畑中僕はプログラム以外の部分はてんでダメなんです。エンジニアは手に職をつけられるといいますけど、やりたいことをやろうと思ったらひとりではできなかったので、古川が絶対に必要だったんです。彼は彼で技術的な部分はからっきしなので。
古川ぜんぜんわからないですね。ですので、本当にいい出会いだったなと思います。
まずはとりあえず走り始めることが大事
――“第1回GYAAR Studio インディーゲームコンテスト”が実施されるとなって、いちばん心を惹かれたのはどの点でしょうか。やはり賞金でしょうか?
古川正直賞金に惹かれる部分もありましたが、パブリッシュを手伝っていただけるというのがすごくありがたかったです。Steamなどのゲームは初めて制作するので、どうやって世に広めていくのかがぜんぜんわからないんです。そこを相談できるというだけでも、ものすごくありがたいです。
畑中そのノウハウを吸収できるなら、僕らにとってこんなにいいことはないです。そこで得られるものがあれば今後のゲーム作りにもつながっていきますし、僕らの成長のカギになると思います。
――2022年12月にコンテストの開催を知って、応募期間は翌年の1月末までとスケジュールはかなりタイトでした。その短期間である程度プレイできるまでに仕上げるのはたいへんだったのではありませんか?
古川本当に、すごい1ヵ月でした(笑)。2022年11月にもと同僚の結婚式があって、それにはふたりで出席したのですが、それ以降は年末年始も含めて休みなしで稼動していました。気絶するまで仕事をして、起きたらまたパソコンに向かって、まだ気絶するまで仕事をして……、という感じでした。
畑中すごかったです。90日連勤、1日ほぼフル稼動みたいな感じで。ただ、実際たいへんではあったのですが、定時で帰れて有休も取れていた正社員時代より、90日間休みなしで働いて疲れているときのほうが顔色はよかったんです。やはりこちらのほうが向いているなと実感しました。
――働きかた改革が叫ばれているこのご時世ではありますが……(笑)。
畑中まあ、新規性が高いものを作るとなると、やってみないとわからないことがたくさんあるということはあります。工数もわからないですし、必要なものも、そもそも企画自体が本当におもしろいのかどうか、何を足して何を引けばいいかも、実際に遊んでみないとわからない部分が多かったんです。まずはとりあえず走り始めることが大事なんだなとは思います。
――ちなみに、応募までにここまでは持っていこう、みたいな目安はあったのですか?
古川僕らのゲームはタイトル部分とメインのゲーム部分に分かれるのですが、タイトルではこのゲームがキャッチーな見た目で、グラフィック的におもしろいことを伝えて、メインゲームで操作性のおもしろさを伝えよう、と考えていました。すべてのグラフィックをきれいにするのは無理なので、そこは前半だけに集中させようと。当時は忙しすぎて脱出ゲームの開発も止めていたので、本当にお金がなかったです。
――ちなみに、会社を設立して制作していた脱出ゲームはリリースされているのですね。
古川はい。8タイトル くらいリリースしています。とくに人気を博したのが『思い出の台所』という3D脱出ゲームで、少なからず利益も出ていました。ただ、その利益も新しいものを作るためにどんどん使っていたので、手元にはほとんど何も残っていません。脱出ゲームは外部のデザイナーさんと協力しながら、まだ少しずつ作っています。こちらから企画をお渡しして、作っていただいたデザイン素材をこちらで組み立てて、売り上げの一部をお渡しする、みたいな座組です。
畑中『思い出の台所』はリリース2日目くらいでデイリーランキング1位も取っていて、ダウンロード数はかなり伸びてくれました。まだ会社の登記ができていなかったので、会社名が変更前のままなのですが……。
――デイリーランキングで1位を取るといった結果を残していても、やはり作りたいものはまた別のベクトルにあるということですか。
畑中そうですね。僕らは脱出ゲームを作りたくてこの業界に入ったわけでもないので、そこはまた別です。
古川脱出ゲームに関しては、いまは13名くらいのデザイナーさんと協力して制作を進めていて、たぶんこれから月間4本くらいのペースでリリースできるようになっていくと思います。そうなると脱出ゲーム部門だけで大きな売り上げが出てくるので、そこで生まれたお金を使って強いサーバーエンジニアさんを雇ったりできるんですよ。そういう風に、僕らのゲームが少しずつ強くなっていくイメージです。
――会社の経営的な部分もしっかり考えられていますね。
古川これはもう父のおかげです(笑)。
畑中古川はマーケティング的な視点がすごくて、先見の明があるんですよ。脱出ゲームに関しても、これはある程度リーズナブルな予算で作れて、利益もこのくらい上げられるだろう、というので始めて、実際にそれ以上の売り上げが得られています。僕としては、彼についていけば間違いはないだろうな、くらいの気持ちでいます(笑)。
古川めちゃくちゃうれしいですね。
2024年リリースを目指して開発中。SteamとSwitchで
――コンテストに応募する際、とくに心掛けたことはありますか?
古川ゲームに関しては、ただただ自分たちの作りたいものを出して、それを認めていただきたいなと思っていました。クオリティーが足りていない部分があるのは感じていたので、面談ではなるべく熱意を伝えようと意識しました。
――“第1回GYAAR Studio インディーゲームコンテスト”は最終審査として面談があるんでしたね。不眠不休で制作を行ったということですが、応募したあとはさすがにホッとした感じですか?
畑中僕はもう1日動けなくなって、ひたすらぼーっと空を見ていました。ただ、手応えという意味では、「やることはやったな」と思っていました。人事は尽くしたので、あとは天命を待つみたいな感じでした。
古川本当に1年くらい休んでいなかったので、休みの日に何をしたらいいのかわからなかったんですよ。家で豆苗を育てているのですが、その豆苗を見ながらぼーっとしていたら1日が終わりました(笑)。
――面談まで進めるとわかったときのお気持ちはいかがでしたか?
畑中最終選考に残ったというのが最初の連絡でした。それ自体にも驚いてはいたのですが、学生時代に受けたコンテストは最終選考で落ちたので、期待しすぎず平常心を保とうとは思っていました。
古川僕はもう受かったつもりでしたね。浮かれて畑中に「やったね!」みたいに話していたら、その日は畑中の機嫌が悪くなってしまって(笑)。
畑中いやいや(笑)。
――面談はどうでしたか?
畑中僕はあまりしゃべっていなかったのですが、どこで知り合ったのかを聞かれたときに、「僕は人生を捨ててもいいと思って彼に賭けようと思ったんです」と言ったら「捨てちゃダメだけどね」と突っ込まれてしまいました(笑)。
――あはは(笑)。そもそも人生を捨ててもいい、と思えるのがすごいですね。
畑中安定した人生、みたいなものにあまり興味がないんです。
古川それは僕も同じです。自分と同じ熱量を持っていて、かつ自分が持っていないものを持っている人に出会えることは、なかなかないと思うんです。しかも20代の後半で出会えたので、これを逃したらもう同じチャンスはないと思ったんです。
――そんな面談を経てめでたく受賞となりましたが、どんな点が評価されたと自己判断していますか?
古川誇張は抜きにして、「僕にとっても畑中は自分の人生を賭けられる仲間です」とお伝えしたんです。このふたりでゲーム制作に挑めること自体がすごく幸運なことなので、「僕たちにチャンスをください」と説明したので、そこが大きかったのかなと思っています。もちろん企画自体も大事ですが、最終的には最後までやりきれるかという熱量が大事かなと思うので、そこを評価していただけたのではないかなと考えています。
畑中ゲームとしては、タイトルのシークエンスがコミカルで、作品の世界も感じられて、色使いでも楽しそうな雰囲気を出せたのはよかったかなと思っています。古川が絵コンテを描いて、デザイナーさんが仕上げて、僕がライティングなどの調整を行ったのですが、みんなで仕上げた絵で「これはいいぞ」と思えるものを出せたのは、掴みとしてよかったかなと思います。
あとはやはりゲーム性ですね。ゲームオーバーになったときには見つかったネズミに黒丸でギューっとフォーカスが当たって、誰が捕まったかわかるようになっています。そうなると、自然にコミュニケーションが生まれますよね。「お前、いま動いただろう?」みたいな。そういう風にワイワイと楽しめるところがよかったのかなと思います。
――これからさらに制作を続けることになりますが、ある程度のマイルストーンは考えているのでしょうか。
畑中ざっくりと、来年の早い段階くらいには出せればと思っています。まずはSteamでリリースして、そこからNintendo Switchへの移植もできれば、という感じです。
――ゲーム内容もさらにブラッシュアップしていくことになるかと思いますが、そのあたりはどうでしょうか。
畑中いまはギミックのアイデアをまとめていて、なるべくネズミがかわいそうになるとか、物理的な挙動でおもしろくなるように、などを考えてステージを作っています。遊んでいると自然に笑えたり、ハプニングが起きてコミュニケーションが生まれたりするようなゲームにしていきたいです。
古川SNSなどで動画がシェアされるときに、見る人は3秒くらいでゲームがおもしろいかどうか、動画自体を見るかどうかを判断しますよね。だからこそ、その短い時間で恋に落ちてもらう必要があるんです。現状だとグラフィックや演出のクオリティーがまだ足りていないので、そこにお金を使うことになるかと思います。
――支援金の使い道は、クリエイターに委ねられているのですね。
古川そうですね。全部ゲームに突っ込みますので、任せてください!
――今後はバンダイナムコやPhoenixxのクリエイター陣からのアドバイスも受けられますが、そのあたりへの期待はいかがですか?
古川すごく楽しみです。ほかの受賞作品のクリエイターさんとの交流も楽しみで、その時間を増やせるように、畑中ともども開発拠点となる“GYAAR Studio Base”の近くに引っ越そうと思っています。
畑中先ほどお話しした通り、マルチプレイのゲームを作るのも初めてなので、同期の問題や不具合に関するノウハウを受け取れるのは、技術的にはすごくありがたいです。
――それにしても、“GYAAR Studio Base”の近くに引っ越すというのは、不退転の決意のほどが感じられますね。ちなみに、“第2回GYAAR Studio インディーゲームコンテスト”の開催も決定していますが、応募を考えているクリエイターに対してアドバイスなどありましたら、この機会にぜひ。
畑中ゲームを作るときにいちばん大事なのは期日だと思うんです。インディーゲームは期限が決まっていない状態で動くことが多いと思うのですが、それだとだらだら作ってしまいがちです。そういう意味では、期限が決まっていて明確な報酬も用意されているコンテストというのは、すごく貴重な場ですよね。
競争相手がいることで、自分も「がんばらなくては!」というエネルギーも生まれてくるので、機会のあるデベロッパーの方は絶対に参加したほうがいいと思っています。参加者が増えることでコンテスト自体も成長していくと思いますし、それによってインディーゲームを作る人の世界がもっと広がっていってほしいです。
古川先ほどもお伝えした通り、僕らもまだスタート地点に立っただけなので偉そうなことは言えないんのですが、壁にぶつかりながらも、本気の熱量を持ってゲーム作りに挑める人は好きです。そういう風に、いいなと思える仲間が増えてくれるとうれしいので、このコンテストをきっかけにそんな方が増えてくれたらうれしいです。
――最後に、今回の受賞で『Little Cheese Works』に興味を持ってくれた読者に向けてメッセージをお願いします。
畑中このような名誉ある賞をいただけて驚きがありつつも、「これからもっとがんばるぞ!」という気持ちがさらに湧いてきました。“第1回GYAAR Studio インディーゲームコンテスト”の受賞者の皆さんは、競争相手として強い方ばかりだと思うので、そのなかで自分がやっていけるのだろうかと怖くなる部分もありますが、それもエネルギーに変えていかないとクリエイターとしては始まらないのかなと思っています。まずは完成とリリースに向けてがんばっていきます。
古川このようなチャンスはなかなかないので、がんばりたいという気持ちがすごくあります。『Little Cheese Works』は、友だちどうしで遊んでも楽しいですし、ゲーム実況者の方が遊んでいる姿を見ても楽しめるゲームになると思います。自分で遊んだり人が遊ぶのを見たりして、世界中の人が笑顔になれるゲームになるよう、これからも力を入れていきます。僕の仕事はこのゲームをヒットさせることなので、なるべく多くの方に遊んでもらえるよう、この1年間魂を燃やしていきたいと思います。
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