愛するゲームの思い出を持ち寄り語っていただく紳士淑女の社交場。
その名も、ゲームの思い出談話室“Hello, my friend”。
この談話室にお越しいただくお客様は、“ゲームに関わるお仕事をされている人や著名人”のみ。
ゲーム業界人や著名人様は、“どんなゲームが好きで、どんな想いを抱いているのか?”
そのゲームは、その人の“いま”にどんな影響を与えたのか?
思い出深いゲームについて思う存分に語っていただく、シンプル&ゲームラヴな談話室となっております。
本日、第2夜で語っていただくのは“ナムコ”。
数多の名作を世に送り出した赤いロゴ。ナムコのゲームについて語っていただきます。
ゲームにラジオにロボットに……。あのころの僕らのステキを一手に担っていたナムコ
堀井さんこんにちは! ナムコ愛を語りにきたワシと並木さんです!!
――お待ちしておりました。ご予約の堀井直樹さま、並木学さまでございますね。
並木さんはい、よろしくお願いします。
常連さんやや! エムツーの堀井さんと、『バトルガレッガ』を始め数々のゲームミュージックを手掛けたコンポーザーの並木さんとでナムコトーク! これはたまらん! 俺も話に混ぜてください!(お酒片手に素早く席を移動)
――あーっ常連さん、困ります! また強引にそんな……。失礼いたします、堀井さま、並木さま。こちら当店の常連さんでゲームミュージックがたいへんお好きな人でして……。もしよかったら、ご同席させていただいてもよろしいでしょうか?
堀井さんぜひ!!
堀井直樹氏
往年のレトロゲームの移植を行う開発会社エムツーの代表取締役。セガの名作を復刻するNintendo Switch『SEGA AGES』シリーズ、さらに『メガドライブミニ』やKONAMIより発売された“PCエンジン mini”の収録タイトルの移植や内部ソフトウェアの開発を手掛けた。また、2020年6月に配信が開始されたバンダイナムコエンターテインメント『ナムコットコレクション』の開発も担当している。なお、堀井氏ご本人の好物はカレーと餃子と八つ橋。
並木学氏
『バトルガレッガ』や『怒首領蜂最大往生』などシューティングゲームを始め、多数のゲーム作品の楽曲を手掛けてきたコンポーザー。NMK、ライジング(現エイティング)を経て、2002年に崎元仁氏、岩田匡治氏とともにベイシスケイプを設立。のちに同社を退社後にエムツーへ入社。2017年1月にエムツーを退社して、現在はグリッドに所属している。
ゲームミュージック好きな常連さん
ゲーム業界の第一線で活躍すること約30年。ゲームミュージックに熱い情熱と深い知見を持ち、酒を片手に語り始めると止まらなくなる当店の常連さん。好きなナムコ作品は初めて基板を買ったゲームでもある『アサルト』(当時12万円ぐらいだったとか)。好きなゲームの曲を雑音なしに家で聴きたい……そうだ基板を買おう! テッテレー! 当時はそんなでした。その正体は……ナイショ。
――まずは、みなさまとナムコ作品の出会いはどのようなものだったのでしょう?
堀井さん最初に遊んだというと『ギャクラシアン』とか『パックマン』とかになるのですが……そのころの僕はまだ子どもで、ナムコというゲーム会社を意識してなかったんですよね。そこから数年してから「あれも! これも! 僕の好きなゲームはナムコだったんだ!」って気づいた、みたいな。
並木さんたしかに。ゲーム会社でいちばん最初に意識したのはナムコでしたね。
堀井さんワシもー! 我々の世代はそういう人が多そうですよね。
並木さんタイミングとしてはやっぱり『パックマン』ですよね。とにかく衝撃的で、当時にあんなにポップで、カラフルで、ファンシーなデザインのゲームはなかったから。当時のドット絵のゲームは、まだ曲面を表現しているものが少なかったんですよね。パックマンの黄色い丸いキャラクターは斬新でした。
堀井さん当時のゲーセンの画面に映っているものは、どれもカクカクしてましたよね。でも『パックマン』はパックマンも丸いし、モンスターもヒラヒラしていて。そういうデザインが独特だった。
並木さんすっごく目を引いて、「あ、コンピューターの画像って曲面も表現できるんだ!」って思いつつ『パックマン』のアドバタイズデモを眺めていて、そこにナムコのロゴがあったのを覚えていますよ。
堀井さんそんなにハッキリ覚えているのはすごいなー。
並木さんじつは同じぐらいの時期に“ナムコのロボット”も好きだったんですよ。
常連さんナムコのロボット! 迷路を走っていって学習して脱出する“マイクロマウス”! 自律型迷路脱出ロボットのマッピー!!
並木さんそうそう!
常連さん高島屋でやっていたイベントで見た!
並木さん1982年8月の日本橋高島屋の“未来の仲間 大ロボット博”! 僕もそこで見たんですよ!
堀井さんふたりとも同じ会場に行っていたのかヨ!
全員(笑)。
ナムコが1981年に開催された第2回全日本マイクロマウス大会へ参加したとき出場ロボットが“迷路脱出ロボット『マッピー』”だった(いっしょにニャームコもいた)。ゲームの『マッピー』は2年後の1983年にリリースされる。なお、名称は『R4 -RIDGE RACER TYPE 4』のチームのひとつ、“RCマイクロマウスマッピー(MMM)”としても登場する
※画像は『~ナムコ創立50周年記念・読者参加企画~アナタとワタシのナムコ伝』より
並木さんあのころに、ビデオゲームのナムコと、かわいらしいロボットのナムコが同じ会社なんだっていうのが結びついたんですよねー。ナボット(ナムコのロボット)を知ったとき、私はまだ小学4年生ぐらいだったので、1981年のことですね。ナムコはコンピューターを使ったおもしろい会社なんだっていうのを意識したんですよ。
堀井さんそうかー、2方向からナムコの魅力がきていたから、認識するの早かったんですなー。
並木さんうん。ほかにもイベント会場でナムコのスタンプを押すロボットもあったりして。あのころってYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のブームもあって、ロボットやテクノロジーの盛り上がりがあったんですよね。デパートの入り口にも謎のロボットがいたりして(笑)。
堀井さんあったあった!
並木さん1980年代前半はマイコンブームもありましたし、いまの僕らを形成しているいろいろなものが世の中に出始めたころだったんだよね。
堀井さん我々の世代だと「MSX買って、とりあえずライディーンの音符を打ち込んでました」みたいな人は石を投げれば誰かにわりと当たる的にいるよね。
並木さん同時多発的に未来的なカルチャーが出てきたなかで、ナムコも輝いていたんだよね。
――なるほど。ちなみに1980年代前半だとおふたりは小学生だったということですが、どのあたりで遊んでいたのですか?
堀井さん僕も並木さんも千葉ですね。僕は天王台、我孫子、柏あたりです。
並木さん僕は松戸でした。
堀井さん同年代だし、絶対にどこかでニアミスしてますよね。
並木さん“マルチカ”でしょー。
――“マルチカ”?
並木さん千葉の柏駅にある丸井の地下街には、ゲーセンがいっぱいあるんですよ(笑)。
――あー、丸井の地下だからマルチカ(笑)。
常連さんエムツーさんが移植したメガドライブ版の『ガントレット』のエンディングクレジットにもスペシャルサンクスで“柏 丸地下”って入っているんだよね。
堀井さんそうなんです! 『ガントレット』移植を実現するための目利きが育まれたのがマルチカだったんですよ。
並木さんマルチカは当時ゲームセンターが4~5軒あって、新作ゲームの入荷が早いし、大型筐体もあって、ロケテストもよく行われていたので周辺のゲーム好きはみんな集まってましたよね。
堀井さんいろいろな系列のゲームセンターが集まってるから、タイトルに偏りもなくてよかったですよね。
並木さんスコアラーさんも多かったし、のちにゲーム業界で働いていく人もいたし、千葉のゲーム好きにとってのホットスポットだったんですよね。
――ナムコ作品もそのマルチカで遊びこんだ、と。
並木さん僕は津田沼のサンペデックという建物にあった“ナムコランド”というところにも電車に30分ぐらいかけて行ってました。そこは1フロア丸ごとナムコ尽くしのゲームセンターでグッズも売っていたんですよ。『ドルアーガの塔』のポスターを買いに行ったり、“NG”(※)をもらいにいったり。楽しかったんですよ。
※“NG”は、ナムコ直営のゲームセンター等で配布されていたフリーマガジン。
常連さん直営店は1プレイ100円だったりするから近場の50円ゲーセンより高いんだけど、そのぶんメンテがよかったり、筐体もピカピカだったりして。ふだん以上に引き締まる気持ちでプレイしたよねー。
堀井さん襟を正してってやつですなー。
“NG”は、ナムコが1983年~1993年まで発行していた広報誌。ナムコ直営のゲームセンター等で無料で配布されていた
※画像は『~ナムコ創立50周年記念・読者参加企画~アナタとワタシのナムコ伝』より
――ゲーセンにビデオゲームにロボットまで、ナムコに毎日の楽しいが彩られていたんですね。
並木さんもうひとつ“ラジオはアメリカン”という欠かせないキーワードがあるんですよ!
堀井さん“ラジアメ”!(※)
※“ラジオはアメリカン”は1981年4月12日から1996年6月30日までTBSラジオで放送されていた、ナムコ提供の深夜ラジオ番組。番組中にはナムコのゲームミュージックが使われることが多かった
並木さん僕の叔母がラジオの深夜放送が好きで、夜にラジオをつけていたら『ラリーX』の曲が流れてきたらしいっていう話を従兄弟から聞いたんですよ。それがロボットとビデオゲームのナムコが繋がってから少しあとのことで、1981年か1982年ぐらいのことで。『ラリーX』の曲が家で聴けるなんて言われたら、聴きたいじゃないですか(笑)。
堀井さん聴きたい!
並木さん“ラジアメ”は深夜の0時30分からの放送だったんですけど、まだ小学生なんで起きていられないんですよね。そこで21時ぐらいに寝て、目覚ましをかけて0時過ぎに起きて、こっそりTBSラジオを聴いていたんですよ。
――小学生~中学生ぐらいでラジオを親に隠れてこっそり聴き始めるのって、ありますよね。
並木さん80年代って、ラジオのブームもあって、ニッポン放送のオールナイトニッポンなんかもみんな聴いていましたし。で、ラジアメだと、ナムコ提供だからCMもやっていたんですよね。
堀井さんまだリリース前の新作のCMもあってね! 新しい音がそこで聴けたんですよ。重要な情報源だったんですよー。
並木さん親がくれた使い古しのカセットテープに“ラジアメ”から流れてきた『ラリーX』の音を録音してくり返し聴いて。CMで『ポールポジション』っていうゲームが出るって知って、どんなゲームなんだろうって想像してワクワクしたりしていましたね。
――小学生の並木さんにナムコがどんどんすりこまれていったわけですね。
並木さんやっぱりナムコのゲームって音がよかったんですよね。音の品質がほかよりも何ランクか上だった。幼いながらも「このナムコっていう会社のゲームの音はレベルが高い!」って、知識もなにもないのに思っていましたね。
堀井さん当時のゲーセンでも音が目立っていたよね。
常連さん『ラリーX』を始めとして、ナムコのゲームは頭に残るメロディーがインパクト強かったよねー。
並木さんもちろんほかにもいろいろなメーカーさんがいて、続々とビデオゲームがリリースされている時代だから、好きなものはいっぱいあるんですよ。でも、「やっぱりナムコがいちばんだなー」って思っていて。たまにおびやかされるときはありましたけどね(笑)。
堀井さんおびやかされる!
並木さんセガの『ペンゴ』っていうゲームが、音もゲーム内容もとてもよかったんですよね。ただ、のちに知るんですけど『ペンゴ』の基板って、『パックマン』とサウンド周りの仕組みがほぼ同じなんですよね。
堀井さん『パックマン』の基板を参考にして作ったんだろうなと感じる基板ですね。
並木さんグラフィックスの色が似ているのと、音色も似ている。当時の僕は「この音が出せるのはナムコだけのはずなのに……? いったい……?」って思っていました。
常連さんたしかに『ペンゴ』はナムコの音ですよね(笑)。
並木さん『クラッシュローラー』っていうゲームも『パックマン』基板を応用したような基板で、音がナムコチックだったんですよ。
――やっぱりすごいですね。小学生のころから音に注目していて、そういうところにも気づいて、そこからのちにゲームミュージックのコンポーザーになられるわけですから。
並木さんいやいや、そんな。なんか音に敏感というか、性格なのかもしれないですけど、違いとかにこだわっちゃうんですよね。でもそれも、ナムコのサウンドを好きになったからというのがありますし、ナムコはいろいろな方面におもしろいことをやっていて、ファンサービス的なこともたくさんやっていたから、そのおかげだと思うんですよね。
――なるほど。同世代の人で、いろいろなきっかけや入り口からナムコを好きになっていった人は多そうですね。
※『ペンゴ』1982年にリリースされたセガのアーケード用アクションパズルゲーム。画像は、『祝、Xbox 360版『ゲーセンラブ。~プラス ペンゴ!』移植決定! 藤野社長×石井ぜんじ特別対談!』より
ナムコが魅せる発明のシャワーを浴びて、幼かった僕は未来を夢見た!!
――堀井さんは同じころ、どんな毎日だったのでしょう?
堀井さん基本的に同じ地域だったので並木さんと似ていますよね。子どものころは、コーラとかの空き瓶を酒屋さんに持っていくと回収のお手伝いとして1本あたり30円ぐらいのお小遣いがもらえたので、工事現場で働くおじさんたちから瓶をもらって。そのお金でゲームをやっていたりしましたね。
――いいお話ですね。それこそ1プレイを大事にして遊んでいたんでしょうね。
堀井さんですね。尊かった。それで、お小遣いがちょっと貯まったら高田馬場の“ゲームブティック 高田馬場店”に行っていたんですよ。ナムコの直営店ですね。直営店は1プレイ100円だけど、やっぱりメンテがいいしキレイだし。ピカピカの筐体で『グロブダー』や『パックランド』が待ってくれていたから!
堀井さんそれに、朝の開店直後にはウェルカムクレジットが入っていたんですよね。それ目当てに朝一で行って、ウェルカムクレジットで1~2プレイさせてもらって、そこからは節約しつつちょこちょこプレイして楽しんでいましたね。
当時の高田馬場って、ゲームセンターがたくさんあって、あらゆるメーカーのゲームが遊べたわけですけど、それでもナムコのゲームをたくさん遊んでいたなっていう思い出がありますね。ナムコとATARIのゲームをよくプレイしていたなって思います。
並木さん“ゲームブティック 高田馬場店”行ったねー。さかえ通りに入って左にあったゲームセンターですよね?
堀井さんそうそう!『オホーツクに消ゆ』なら、ルブランがあるところ。
並木さんその向かいにタイトーのお店もあってね。
堀井さん僕が初めて高田馬場に行ったとき、そのタイトーでは“ギャプラス1億点チャレンジ中!”って書いてあって。あとでベーマガ(マイコンBASICマガジン)を読んだら、そういう企画の挑戦中だったんですよね。当時はゲームセンターが24時間営業だったので、交代で数日かけてやっていたそうで。
並木さんありましたね。それにしても“ゲームブティック”っていう店名がもうすごいですよね。ゲームのブティック。流行の先端のものだけを厳選して入れているっていう感じで。
堀井さん海外タイトルも多く置いていたよね。
――いまで言うセレクトショップみたいな。
並木さんそうそう。
堀井さん『マーブルマッドネス』があってビックリしたんですよねー。
並木さん当時の流行の最先端のゲーセンが“ゲームブティック”だったなって思いますね。ベーマガのハイスコア集計を読むとトップクラスの人は“ゲームブティック”にいるんだってわかったしね。
堀井さんじつは、僕が初めて『ガントレット』を見たのもゲームブティックだったんですよ。そのときもすごくうまい人がウィザードを使って16面ぐらいまでいっていて。
あとから知ったんですけど、その人はベーマガにハイスコアを載せていた古田秀人さんという人で、古田さんは『ドルアーガの塔』を最初にクリアーした人で、のちに『イシターの復活』では開発者になった人なんですよね。
並木さん僕も古田さんが『ロードランナー』をプレイしているのを見たことがありますよ!
堀井さんあの人のプレイすごいよねー!
並木さんいま思うと、自分が100円払ってプレイしにいくというよりは、ハイスコアラーさんのプレイをギャラリーしに行っていたところもありましたね。“ゲームブティック”はいろんな思い出がありますね。
――なるほど。堀井さんは「そのころによくプレイしていたなー」というタイトルはどんなものがありますか?
堀井さんあのころはひととおりのナムコものはやっていましたね。『パックランド』をものすごく遊んだし、『ドラゴンバスター』も大好きでしたし、『ゼビウス』なんて言わずもがな。
『パックマン』のころはまだお小遣いに限度があったので、それほどたくさん遊べなかったのですが、さっきのコーラの瓶回収でプレイ料金を稼ぐようになってからは、つぎ込むようになっていったんですよね。『グロブダー』も相当やりましたね。
――『パックランド』の名前がまず挙がるんですね。
堀井さんそうですね。『パックランド』は僕が初めて“画面が横スクロールしていくアクションゲームがあるんだ!”って認識したゲームなんですよ。世間的にあの時代に横スクロールアクションという地平を切り拓いたゲームって、『スーパーマリオブラザーズ』と言われがちですけど、僕は『スーパーマリオブラザーズ』よりも先に『パックランド』があったからこそ、『スーパーマリオブラザーズ』というゲームが実現したのでは……と思っているぐらいなんです。あくまで僕はという話ですが。
並木さん『パックランド』は僕もかなりハマりましたね。
常連さん曲もいいんですよね、アップテンポなノリで。ゲームセンターにあの音が響いていた。
堀井さんそうそう、キンキンした音がめっちゃ響くんですよねー。『パックランド』があるゲーセンは筐体が奥にあっても『パックランド』があるんだなってわかる感じだった。そういう思い出込みで印象に残っていますね。
――ココロに刺さっていたんですねー。
堀井さん当時のナムコのゲームにおおよそ当てはまる話だと思うのですが、「このゲームはどういうゲームなのか?」というのを学んでからが本番というか、どの作品も新規性がすごかったんですよ。『パックランド』の操作も独特だったし、『ドラゴンバスター』もレバーとボタンの組み合わせで多彩なアクションができていたりで、どの作品にも毎回驚かされたんですよね!
――ほかにはない新しさがあったのですね。
堀井さんおそらくナムコの開発者さんって「ほかと同じようなシステムを下敷きにしたゲームを出すのなんて恥だ」という意識があったんじゃないと思うんですよ! 「つねに新しいものを考案していきたい!」という心意気があったのではないだろうか!
並木さんナムコのゲームはいつも発明レベルだったんですよね。
堀井さんそうそうそうそう! それ! それ! 発明! 発明!
並木さんそれまでのゲームって、何かしらヒットしたゲームの模倣なことが多くて、「撃つゲームならあれを参考に……」みたいなことがけっこうありましたね。
堀井さんだってナムコは『インベーダー』の模倣をしていないからネ!
――あーっ! お客様! 困ります! それ以上は……!
全員(笑)。
堀井さんそういうことではないかなと個人的に、勝手に思っている!
並木さん当時のナムコの方々がインタビューなどでそういう意識でこだわっていたと実際に話されていますよね。本当にひとつひとつのゲームが発明で。『パックランド』は移動したりジャンプしたりをレバーなしで遊べるようにしていたり、『リブルラブル』ならレバー2本で操作できるようにしていたり、『ゼビウス』も空中と地上の撃ち分けがあったり。どの作品ものちに影響を与えるレベルの発明をしていたんですよね。
堀井さんナムコのゲームはどれもゼロベースから考えているんだなと感じさせるものがあって、そこが光り輝く赤いロゴを僕が崇拝していく理由だったというわけで。そのうえで、“ゲームブティック”みたいな直営店では『マーブルマッドネス』みたいなセンスあるゲームを海外から輸入してくる会社でもあったし。文句なし!
――当時の堀井少年もがっつりナムコのシャワーを浴びたわけですね。
堀井さんですねー。浴びた。たっぷり浴びた。最高だった!
ナムコサウンドが僕らをワクワクさせて、YMOに揺さぶられて、そうして僕らは大人になった
堀井さんそういえば、昔のナムコのアーケードゲームってAY-3-8910系のPSG(※)をほとんど使ってないですよね?
※PSG音源(プログラマブル・サウンド・ジェネレーター)は、アメリカのゼネラル・インスツルメンツ社による音源チップ。矩形波を主として発音する音源で、ファミコンなどにも搭載された。
並木さんあー、アーケードでは1個も使ってないんじゃない?
堀井さんもしかしたら、エレメカやメダルゲーム機で使っている可能性もあるかもしれなくて、それはわからないんだけれども。ただ、ナムコはビデオゲームではいきなり波形メモリの音で差をつけていたから、PSGをあまり使わなかったんじゃないかなと。
以前、『プロ野球ワールドスタジアム』を作った天内潤さんがテンゲンにいらして、僕らが移植したメガドライブ版『ガントレット』を見ていただいたことがあったんですよ。
それで、そのときに「『プロ野球ワールドスタジアム』ではFM音源をあえて禁止にしたんだ。ゲーセンでいちばん響いて目立つ音がWSGだったから波形メモリでやってもらったんだよ」って教えてくれたんですよね。実際に『ワースタ』の音ってゲーセン内でもすんごいよく聞こえましたよね。
常連さん聞こえた! テレレーン♪テレレーン♪テン テンテンテン♪ってねー(笑)。
堀井さんそうそう! あれと『パックランド』の音がすんごい響いていたのを覚えているなー。
並木さんFM音源を積んだ基板が増えてからはやっぱりFM音源を鳴らすゲームが多かったですしね。『プロ野球ワールドスタジアム』は、そこを逆手に取ったというわけですよね。
堀井さん取れていた! 逆手! 取れまくり!
並木さんSYSTEM I基板(※)のラインアップで印象に残っているというと、『ナムコクエスター』なんかもありますね。
※SYSTEM I(システムワン)は、1987年にナムコが開発したアーケードゲーム基板
堀井さんあー『ナムコクエスター』かー。
並木さん『ナムコクエスター』って、オープニングでFM音源のファンファーレのうしろで、ギュインギュインとした波形メモリの音を鳴らしているんですよね。あれがすごく衝撃的で。
堀井さん鳴っていた、鳴っていた。
並木さん……すごくマニアックな話をしていますが、この調子で大丈夫かしら?(笑)
堀井さんはたして、どれだけの人がついてきてくれるのか!
――(笑)。
常連さんやっぱり波形メモリでの効果音がナムコの特色だよね。音階で効果音を作っているわけですけど、ナムコの効果音がどのゲームのものも秀逸で、「なんで音階でこういう効果音になるの?」って不思議に思うぐらい。
堀井さんほんとそれ!『オールアバウトナムコ』に載っている効果音の譜面を見て悶絶するっていうことを、人生で一度ぐらい送っておくべき!
並木さんやっぱり自分がナムコのサウンドに惹かれたのも、音楽というより効果音とかその音色だったかなって思いますね。
堀井さんパックマンのクッキー(ドット)を食べる音とかね!
並木さんそうそう、やっぱりその辺に子ども心をガッと掴まれたんだと思うんですよ。
堀井さんパックマンが進みながらクッキーを食べていく音が、連続して鳴っていくのがインタラクションとして気持ちいいんですよね。
並木さんたぶん、ほかの会社さんであのクッキーを食べる音をつけると、おそらくは1種類だけで済ませてしまうと思うんですよね。ユニバーサルの『レディバグ』っていうパックマンクローン的なゲームがあったんですけど、それがドットを食べるときの音って“ゾリッ”っていう、1種類の音だけなんです。
でも『パックマン』はクッキーを食べる“パク”っていう音を思わせるために、音程が上がる音と音程が下がる音の2種類にしているんですよね。よくパックマンがクッキーを食べる音って“ワカワカワカ”って表現されるんですけど、クッキー1個食べると“ワ”で音程が上がって、もう1個食べると“カ”で下がる。
クッキーを連続して食べていくと、ワカワカワカって鳴っていく。食べている感じが出るし、そこにリズムができて、グルーヴが生まれる。ほかの会社だとそういう発想にはならなかっただろうなと思えて。
――効果音でも発明という。
並木さんそうなんですよ、発明。僕はナムコのそういう音作りやアイデアの光っぷりに惹かれたんだと思うんですよね。
――そんな並木さんがのちに『バトルガレッガ』の楽曲を始め、多数のゲームミュージックを作っていくわけで。いい話だ、これ。
並木さんでも『パックマン』の音って、いろいろな人にとって衝撃的だったと思うんですよね。YMOの『BGM』っていうアルバムに収録されている『Rap Phenomena』という曲があるんですけど、その曲の途中に「ウォゥウォゥウォゥウォゥ」、「バカバカバカバカ」っていうパックマンの口まねを思わせる声が入っているんですよ。細野晴臣さんの遊びだったのかもしれないですし、本当に『パックマン』のマネなのかはわからないんですけど、少なくとも当時の僕には「こんなところにも『パックマン』が!」って思えて、YMOが遊びで曲の中にマネを入れたくなるぐらい魅力的なものと認識したんですよね。
堀井さんその細野晴臣さんはその後に日本初のゲームミュージックのサウンドトラックをプロデュースしたわけですからおもしろいですよね。
並木さんそうそう。細野さんは『ゼビウス』が大好きだったという話ですから、やっぱり『パックマン』のころからナムコのゲームを気に入っていたんだと思うんですよね。もし細野さんが1984年に『ビデオ・ゲーム・ミュージック』を発表していなかったら、ゲームミュージックがちゃんと音楽作品として周知されるのは『スーパーマリオブラザーズ』くらいまで待つことになったかもしれないですよね。
YMOのリーダー・プロデューサーである細野晴臣氏がプロデュースし、1984年に発売された、日本初のゲームミュージックのサウンドトラックアルバム。
――なるほど。ゲームミュージックが世間に広まるチャンスが『スーパーマリオブラザーズ』まで遅れていたかも、と。
並木さんそうなんです。そこはやはり細野さんの先見性というか、おもしろいものを見つける力がすごいなと。細野さんはミュージシャンであり文化人であり、そんな人がナムコのゲームミュージックを気に入って、これでアルバムを出してみようと思ったわけで。その全部がすごいですよね。
堀井さんほんとそうだよねー。
常連さんゲーム業界でサウンド関係で長くやっている人はYMOに影響を受けた人は多いよね。
並木さんそうですね。YMOのブームって1980年ころで、そこでハマった人は、いまは50代だと思うんですけど、僕らはそのちょっと下ぐらいですよね。YMOのころはまだ小学生だったでしょ?
堀井さん運動会で鳴っていた! ライディーン!
並木さん僕は小学校の放送委員だったので、YMOのアルバムをかけていたりしましたね。
――並木さんは小学校低学年くらいから完全に音楽の人になりつつあったんですね(笑)。
堀井さんナムコやYMOで芽吹いている感じするよねー(笑)。
並木さんどの時代のナムコ作品の曲も好きなんですけど、やはり『マッピー』をはじめとしたあの時代のサウンドは特別に思いますね。
堀井さんそうだねー。我々は世代だしね。
並木さん大野木宜幸さんのサウンドですよね、やっぱり。すぎやまこういち先生がゲームミュージックに興味をもたれたのも『マッピー』だったというエピソードもありましたよね。
堀井さん『マッピー』で初めて「ゲームで音楽が鳴っている!」って認識されたというお話ですよね。それに任天堂の宮本茂さんもナムコ作品が好きで、のちに『パックマンvs.』を作られましたからね。あれがまためちゃくちゃおもしろいんですよ!
[関連サイト」任天堂『パックマンvs.』紹介ページ
並木さんあのころのナムコのサウンドはやっぱり偉大。どれも僕らにとって特別ですよ。
堀井さんそうだよねー(しみじみ)。
常連さん……いやー、今日もいい話をたっぷり聞いたわー! やっぱりゲームミュージックの話をしながら飲む酒の味は最高だネ! これぞまさに“俺たちのスペシャルフラッグ”だヨ! マスター! スペシャルフラッグのおかわりちょうだい!
全員(笑)。
――はい、おかわりどうぞ。
常連さん昔はさー、音源のチャンネル数も限られていたからか、音のひとつひとつが凄く立っていてさ! 『ニューラリーX』なんて当時小学生だったんだけど、学校で鬼ごっこして走り回りながら唄っていたよ! 昭和っぽいだろう?
それから『マッピー』と言えばさ、伸ばす音をタイで結ばず刻んで鳴らしているところとか、すっごくバンジョーっぽく聞こえていいんだよね!! 昔さー、自作着メロをガラケーに打ち込んでいたとき、あのころはまだ3~4CHしか鳴らせなくて1曲で打ち込める音符の数も制限があったから、『マッピー』みたいに刻まれるとアッという間に音符数オーバーしちゃって苦労したんだよー! それにさー……(以降、ひたすらいろいろなゲームのサウンド話が続く)
――あー、常連さんがエンドレス酔い語りモードに入っちゃいましたネ……。それでは最後に、おふたりが愛する“赤いロゴ”について。お聞かせいただけますか。
堀井さんナムコは毎回新しいことをやっていることがとにかくすごくて。それを10代の多感なころにたっぷり浴びた僕は、「ゲームって可能性の塊で、ここから先もどんどんおもしろくなっていくんだ!」って信じて、それをいまも信じていて、それがあるからいまはこんな風になっちゃったんですよね。こじらせた! だから……恩しか感じてないですよ。
赤いロゴのナムコが自分を形作ってくれたんです。僕と同じような人は僕らと同世代の人にはいっぱいいると思うんですけど。ゲームメーカーであり、ゲーム制作集団であり、超発想集団。それが僕にとってのナムコですね。
並木さん自分はたまたまナムコというブランドを意識するきっかけが早くて10歳とかでしたから、三つ子の魂百までと言うか、自分の人格形成に大きな影響を与えたのは間違いないですね。ものすごい威力だったんです。
未来っていうとロボットだったりテクノロジーだったりしますが、僕らの時代にそれをすごく楽しく、エンタメとして、サプライズたっぷりに魅せてくれたのがナムコだったんです。ほかの会社がやらなかったことをやっていて、いろんな人たちに影響を与えて、そのフォロワーな人は僕らを含めてたくさんいろいろな分野にいらっしゃるはず。とても大きな存在です。
堀井さんナムコのミームのほんの一部だよね、我々。
並木さんうん。ナムコは文化だよ。
――ありがとうございました。またのご来店、お待ちしております。
本日語られたゲームはこのハードでプレイできます!
・家庭用ブランド、ナムコットシリーズが遊べるNintendo Switch『ナムコットコレクション』発売中!
『ナムコットコレクション』(機種名)の購入はこちら (Amazon.co.jp)・Nintendo Switch『ナムコミュージアム』ダウンロード販売中!
・PlayStation Storeではナムコの名作『ARCADE GAME SERIES』を配信中!
※2020/07/21(火)までセール実施中!
・PS アーカイブス『ナムコミュージアム』シリーズも充実!
(プレイステーション3、プレイステーションVita、プレイステーション・ポータブルでプレイ可能)
・ニンテンドー3DSバーチャルコンソールでファミコン版ナムコタイトル多数配信中!
最後に、本日お話を聞かせて頂きましたエムツー堀井さま、コンポーザー並木さまより告知です
【エムツー堀井さまより】
アーケードゲームに続いて、ご家庭用ゲーム機でもワシのお小遣いを大いに吸い上げたナムコットのゲーム群をひとまとめにコレクションできるタイトルが、この度バンダイナムコさんからリリースされました。ありがたいことにナムコットの新作を作るなどの許可も下り、勢いに乗って『パックマンCE』なども追加され、レトロゲームコレクションのはずがなぜか新作入りになり…等々ありましたが、輝ける赤いロゴとともにお仕事ができる光栄素敵タイムを過ごした上に吸い上げられたお小遣いも取りもど(以下強制切断)
【コンポーザー並木さまより】
exA-Arcadia というアーケードゲーム基板でリリース予定の『ギミック!EXACT☆MIX』で、アレンジ楽曲を担当しました。もとはファミコンの知る人ぞ知る超名作アクションゲームで、僕もこの世で最も好きなゲームですので、そのアーケード化に関われて本当に光栄でした。ゲームセンターにリリースされたら、ぜひプレイしていただきたいです!
「あのゲームの話をしたい!」という方を募集中!
ゲームの思い出談話室“Hello, my friend”では、「あのゲームの話をしたい!(ついでに宣伝もしたい!)」という、“ゲーム業界で活躍されている人や著名人様”のご出演をお待ちしております。ご希望の方はぜひ、山村智美(@PommTomo)にお気軽にご連絡・ご相談ください。