2020年6月3日に設立60周年を迎えたセガ。

 このたび、セガ60周年記念企画としてセガをよく知る人々に、セガはどんな会社なのか、セガをセガたらしめているもの、セガへの愛着について尋ねたインタビューを実施した。

 本稿ではセガ取締役CCO・名越稔洋氏のインタビューをお届けする。

セガ設立60周年特設サイト

名越稔洋氏が語るこれまでのセガとこれから

 アーケードゲーム全盛期の1989年にデザイナーとして入社した名越氏。

 そこからおよそ30年間、ヒット作を手掛けるエースクリエイターとして、さらに経営者として活躍を続けてきた。そんなセガとともに生き、セガを知り尽くした氏が、60周年を迎えたセガに対する想い、そして将来の展望を語った。

名越稔洋 氏(なごし としひろ)

『デイトナUSA』や『龍が如く』シリーズなど、セガの歴史を彩るヒット作を手掛けてきた立役者。現在はゲームクリエイターと経営者という、二足のわらじを履いて活躍する。(文中は名越)

60年間変わらなかったのはそこで働く人たちのピュアさ

――名越さんはセガ60年の歴史のうち、約半分の時代をともにされてきた方です。長らくセガで働いてきた身として、60周年を迎えた率直な感想を教えていただけますか。

名越まず「そんなになるんだなあ」というのが正直な気持ちですね。俺にとっては、あっという間の30年でしたけど、会社は大きく変わりました。俺が入ったころですら、最初にジュークボックスなどを輸入して代行販売していた方たちにしてみれば、想像できないと思いますからね。セガの60年というのは、大きなパラダイムシフトのくり返しで積み上げられた歴史でしたし。そういう意味では感慨深いです、本当に。

――会社としての変化はありましたが、そのなかで変わらなかったことはありますか?

名越よく「セガはどういう会社ですか」と聞かれるんですけれど、やはり“挑戦をする会社”だと思います。それはたぶん変わっていない。ただ、挑戦というのは過程でしかなくて。本当に変わらないものは、ほかにあるんです。ある意味、挑戦することの原点になるんですけれど。

――それはどんなものでしょう?

名越セガで働いている人たちは、いつだってピュアな人が多いんです。これが、いちばん変わらない部分だと思います。

――そのピュアさとはいったい? それが60年の歴史を支えているわけですね?

名越まあ、決して順風満帆ではない60年間でしたし、存続が危ぶまれるような大失敗をした時代もありました(苦笑)。そういう時代を作ってしまったことも含め、それらはピュアさが招いたものだと思うんです。「こういうモノがあったら世の中はびっくりして喜ぶよね?」みたいな夢を描いたら、みんなそれに猪突猛進しちゃう。

――ああ、わかります。

名越たとえば、「体感ゲームが人気だから、筐体を1回転させちゃおうよ(※1)」とか、ネット環境がないころに「オンラインを中心としたハード作ろうよ(※2)」とか……ねえ?(笑)

――アハハハハ(笑)。よく言われる「セガは10年早い」というアレですね?

名越そうそう。「失敗したら倒産しない?」という議論はありつつも、「出せたらスゴいし、成功したらもっとスゴい!」という気持ちのほうが強くて、突き進んでしまうという。

――つまり、挑戦することが目的ではなく、ピュアさゆえに挑戦せざるを得ないという?

名越そうです。俺からすれば、当時ヒット作を出していた中裕司(※3)さんや鈴木裕(※4)さん、小口久雄(※5)さんといった先輩たちも、“天才的な発明をした人たち”というよりは、“夢を現実にするためにピュアな気持ちで猪突猛進した人たち”という印象のほうが強いんですよ。子どもっぽいというか(笑)。彼らが同じ会社にいて、そういうスタイルでモノを作っていたので、必然的にそれが教科書になって……知らず知らず、俺自身も影響されたと思いますね。

セガ60周年スペシャルインタビュー。名越稔洋氏が影響を受けたセガタイトルや“セガらしさ”について語る_08
※1【筐体を1回転させちゃう】R360筐体のこと。着座式の可動筐体で、ゲーム内容と連動して座席が360度回転する。
セガ60周年スペシャルインタビュー。名越稔洋氏が影響を受けたセガタイトルや“セガらしさ”について語る_09
※2:【オンラインを中心としたハード】ドリームキャストのこと。アナログモデムが標準搭載されており、オンラインで楽しめるゲームを視野に入れた設計になっていた。

※3【中裕司氏】……『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』シリーズや『ファンタシースターオンライン』シリーズの生みの親。天才的なプログラマーとしても名を馳せた。
※4【鈴木裕氏】……『ハングオン』や『スペースハリアー』などを手掛け、体感ゲームのブームを牽引したクリエイター。さらに『バーチャファイター』を制作し、セガの黄金期に貢献した。
※5【小口久雄氏】……『ダービーオーナーズクラブ』や『DARTSLIVE』などを手掛けたクリエイター。2004年から2007年まではセガの代表取締役も務めている。

安易に口にする”セガらしさ”は、挑戦とは真逆を向いている

――個人的に「これは本当に10年早かったかも?」と思う挑戦はありますか。

名越いろいろありますが、技術的なものなら、フラットリーダー(※6)を使った遊びですね。これは早かったと思うし、成功していまでも残っていますよね。また、ゲームセンターで満足できず、ジョイポリスのような施設を全国に作ったことも10年早かったと思います。これはビジネスとして成功したとは言えませんでしたけれど、そのエッセンスがいまのVR施設のようなものになっている。「10年早かったな」としみじみ思いますね。

――言われてみれば、確かにジョイポリスはそれらの原型のような施設ですね。そういった挑戦の歴史がある中で、いまセガの最前線で働いている方たちにも、そういうチャレンジ精神は受け継いでいってほしいと思われますか?

名越そうですね。どの時代にも“挑戦に値する余地”というものは必ず存在していますが、インフラもよくなり、世の中がデジタル化したことで、俺たちの時代よりも“余地”を探すことが難しくなっていると思います。とは言え、いまでも「それ本気かよ?」というような企画が、平気でテーブルに上がる会社ではありますね(笑)。逆にまた、「本気かよ?」と思うようなものほど、おもしろそうだなと思ってしまったりして。

――「本気かよ?」と思うようなものだからこそ、成立すればお客さんに驚きを与える何かになるわけですよね。

名越そうなんです。そういう意味では、ピュアさやチャレンジ精神といったものは、いま現役の世代にも受け継がれていると思います。

――現在の名越さんは、いちクリエイターとして現場の方々への理解を持ちつつも、経営者としてビジネス的な根拠や裏付けを求めざるを得ない立場だと思います。そのある種の二律背反に対する判断基準のようなものはありますか?

名越もちろん会社なので、常識でわかる範囲のマーケティングはします。ただ、完璧にデータが揃ったアイデアは、たぶんどこかの何かに似たものでしかない気がするんですよ。個人的には「それをセガで出す意味はあるのかな?」と思います。

――確かにそうですね。

名越とは言え、売るための根拠がなさすぎても納得できない。ただ、“売れる根拠のないアイデアにこそ夢があり、新規性があるのではないか”とも思っています。

――それは、若いころに多くの挑戦をしてきたからこその感覚なのでしょうか?

名越いや、当時の俺はあまりにも根拠がなさすぎたと思いますよ。あちこちで言っていますが、『龍が如く』(※7)の企画も、俺がとにかく引かなすぎて承認されたもの。でも振り返れば、根拠がないのはいい兆候でもあることを、そのときに学びました。かなり前向きな意味でですが(笑)。

――かなり前向き(笑)。でも、結果的に承認されたわけですから……。

名越いや、もう本当にしかたなくという感じでしたよ。『龍が如く』を作った当時の俺は、セガに入って15年くらい経ってこなれていたので、安定した利益の出る企画をやることもできたんです。でも、ハードから撤退したセガが新しい価値観が作れるかどうかを問われている時代でもあったので、安易な選択はできなかった。そういう意味で『龍が如く』は、当時のセガブランドを完全に無視したタイトルだったと思います。まあ、“無視する”という選択をできたこと自体が、セガらしさに通じるかもしれませんが。

――なるほど。

名越ただ、いまの俺は社内で「セガらしい」という言葉を安易に使うことを嫌っています。その言葉が出てきたら、「何をもってセガらしいと言ってるの?」と、定義を聞くんです。そして、その内容が過去のものを引用していたりすると「違うよ」と。逆にそれはセガっぽくない。

――確かに、“○○らしさ”と“挑戦”は方向性が真逆かもしれないですね。

名越そうです。そして世の中は、そんなものをセガに期待していないと思うんですよ。

セガ60周年スペシャルインタビュー。名越稔洋氏が影響を受けたセガタイトルや“セガらしさ”について語る_07
※6【フラットリーダー】……卓上でカード情報や位置情報を読み取れる装置。『WORLD CLUB Champion Football』や『三国志大戦』などに活用された。
セガ60周年スペシャルインタビュー。名越稔洋氏が影響を受けたセガタイトルや“セガらしさ”について語る_03
※7『龍が如く』……2005年に発売された、裏社会の人間ドラマが描かれるアクションアドベンチャー。日本の成人男性をターゲットに開発され、当時のセガとしては珍しく対象年齢が18歳以上のみ(現在は17歳以上対象)だった(写真は『龍が如く 極』)。

花形だったアーケードがいま存在価値を問われるものに

――セガという会社が現在にいたるまでには、重要な分岐点がいくつかあったと思います。名越さんの在籍されていた約30年のあいだで、とくに印象に残っていることは何でしょう?

名越いちばんは、ハード事業からの撤退です。あのときのテンションの下がりかたはハンパじゃなかった……。それはつまり、セガのハードを選択してくれたユーザーの信頼を裏切ったことと同義ですから。それはものすごく辛かったし、本当に申し訳ないと思いました。一方で、いちソフトハウスとして、ほかのハードでソフトを出せるということに対して、喜びを感じていた人もいましたね。

――名越さんも、当時はある種の希望を抱いていたのですか?

名越けっきょくはハードの戦いで負けたのだから、ソフトハウスとしていきなりいい状態に転換できるとは思えなかったですよ。個人的には、まさにお先真っ暗といった状態でした。いまはようやく笑い話になりましたけど。

――そうだったんですか。ちなみに、それが笑い話になり始めたのはいつごろですか?

名越わりと最近ですよ(苦笑)。家庭用で『龍が如く』などのIPがヒットしてくれて、スマホ事業でも利益が出るようになってきて。それでやっと「過去が笑えるようになったな」と。もちろん高笑いではなくて、せいぜい「当時はツラかったねぇ、フフッ」程度なんですが。

――20年程度はかかったわけですね。

名越そのくらいかもしれません。また、新型コロナ後に対する考えかたも、ひとつの分岐点になっていくと思います。

――具体的にはどのような?

名越アーケードゲームの役割が改めて問われていると思うんです。俺が入社したころの花形はアーケードだったし、当時はアーケードあってのセガでした。当時はそれがずっと続くと思っていましたが、皮肉にも30年後にもっとも存在価値を問われるものになってしまった。「この先も同じ形でいいのか?」という問題は、つぎのステップへの大きな課題です。歓迎された話ではありませんが、新型コロナが本当に必要なものをあぶり出している気がします。

――その時代の変化を乗り越えるために、変えなければいけないものは何でしょうか?

名越これから常識がだいぶ変わるんじゃないかという予感はしていて。個人的には、リアルのファンコミュニティーを充実させていきたいという想いがありますね。

――コミュニティーのリアルイベントなどは、ある意味、新型コロナ対策と相反しがちです。いまの状況では挑戦が難しいのではないですか?

名越そうなんです。ただ、やはりリアル世界は大切だと思っていて。コミュニティーがネットだけで完結できるかと言えば、そうではない。ネットの世界が何で楽しいかと言うと、実世界があるからだと思うんですよ。

――それは確かに。

名越人間は固有の名前を持つ固有の存在です。だからこそ匿名の世界で楽しめるという側面があるわけで。あくまでも、ベースにあるのはリアルな世界だし、リアル世界の楽しみの象徴はやっぱりアーケードだと思うんですよ。この状態をきっかけに衰退してほしくはないので、リアルなファンコミュニティーを充実させ、どうにかして死守したいと思っています。

名越氏に影響を与えているセガが出した3本のソフト

――続いては名越さんに影響を与えた、セガハードで出たゲームをうかがいたいのですが。

名越最初に挙げるなら、『バーチャレーシング』(※8)と『バーチャファイター』(※9)のワンセットですね。この2本のリリース順から学べたことは大きかったです。『バーチャレーシング』の後に『バーチャファイター』がリリースされたわけですが、じつは基礎技術は同じだったので、『バーチャファイター』を先に出すこともできました。当時の俺は「『バーチャファイター』のほうがおもしろいんだから、こっちを先に出せばいいのに!」と思っていたんですよ。

――ところが?

名越ええ。結果的には「セガはおもしろい体感ゲームを出すブランドとして世間に認知されているから、まずは『バーチャレーシング』を出す」と決まったのですが、それがひとつの気づきになりました。「ビジネスを考えたとき、いいものをすぐに出すことが必ずしも正解ではないんだ」と。その判断は正しくて『バーチャファイター』はヒットしましたが、順序が逆なら世に埋もれていたかもしれなかったですからね。

――その2本はビジネスとしての気づきを与えてくれたわけですね。では、遊び手として名越さんの琴線に触れるものはありましたか?

名越シーマン』(※10)は大好きでしたね。「そもそもゲームなのか?」と言われたらそれはわからないけれど(笑)。『シーマン』からヒントを得てクリエイターになった人は山ほどいると思いますよ。

――確かに斬新な作品でした。

名越いま思えばAIにつながる考えかたなんですが、あの作品が出るまではそれを遊べるものにしようなんて考えもしなかったわけで。売りかたや、それをゲーム機で遊べるようにしたことも含め、前向きな意味で「何でもアリなんだな」という気持ちにさせてもらえた1本です。

※8:【バーチャレーシング】1992年にアーケードで稼働した、フォーミュラカーモチーフのレースゲーム。セガ初のフルポリゴンで表現されたゲームでもある。当時としては画期的だったプレイ中の視点変更機能も搭載している。

セガ60周年スペシャルインタビュー。名越稔洋氏が影響を受けたセガタイトルや“セガらしさ”について語る_04
※8『バーチャレーシング』……1992年にアーケードで稼働した、フォーミュラカーモチーフのレースゲーム。セガ初のフルポリゴンで表現されたゲームでもある。当時としては画期的だったプレイ中の視点変更機能も搭載している。

※9:【バーチャファイター】3Dポリゴンで表現された世界初の対戦格闘ゲーム。1993年の稼働開始後から徐々にその人気を高め、1994年の『バーチャファイター2』リリース後には対戦格闘ゲームの流行が社会現象になった。

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※9『バーチャファイター』……3Dポリゴンで表現された世界初の対戦格闘ゲーム。1993年の稼動開始後から徐々にその人気を高め、1994年の『バーチャファイター2』リリース後には対戦格闘ゲームの流行が社会現象になった。

※10:【シーマン】1999年に発売された『シーマン 〜禁断のペット〜』のこと。マイクデバイスを使用して人語を話す謎のペット・シーマンとのコミュニケーションを図りながら、育成していくシミュレーションゲーム。

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※10『シーマン』……1999年に発売された『シーマン 〜禁断のペット〜』のこと。マイクデバイスを使用して人語を話す謎のペット・シーマンとのコミュニケーションを図りながら、育成していくシミュレーションゲーム。

100周年を迎えるためにセガが目指すべきこと

――最後に、今後についておうかがいしたいと思います。セガが100周年を迎えるために、会社としてすべきことはどんなことでしょう?

名越100周年ですか、難しいですね(笑)。世の中が進化して、デバイスや技術が変わったとしても「モノを作って純粋に人を喜ばせようとする。そして喜んでもらえた結果を受けて、クリエイターとして、人間として喜べる」というルーティーンは絶対に変わりようがないと思います。ただ、それをひとりで達成することは難しいので、チームや会社という単位で実現していく。そのすばらしさを大事にしていきたいですね。

――重要ですね。

名越いまはどんどん個の時代になっていますし、若い子は優秀でいきなり会社で通用することも多いんです。けれど個のスキルが高いと、人間関係が若干希薄になるという側面もある。それを危ういとまでは思わないものの、時代に合わせて先輩から後輩が学ぶ機会は作っていく必要があると思います。俺は30年間セガにいましたが、S、E、G、Aという4文字に、やっぱり俺は恩を感じるし、責任もある。もちろん全部がいい思い出だったかと言えばそんなことはなくて、「会社に火をつけてやろうか」と思うほど腹が立ったことも山ほどあったんですけど(笑)。

――山ほど(笑)。

名越そういう気持ちもありながら、けっきょく俺はセガに居続けた。この結果が、魅力のある会社だというひとつの証明だと思うんです。今後も俺のように、セガに魅力を感じられる人が集まる会社であり続けてほしいと思いますね

――そういう人たちが居続ければ、2060年にセガ100周年を祝える、と

名越はい。間違いなく祝えると思います。

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