2018年5月12日、13日に京都で開催されたインディーゲームの一大祭典BitSummit Volume 6にて取材させてもらった、クリエイターさんへのインタビューをお届けする。
今回お届けするのは、エンハンス・ゲームズの水口哲也氏。BitSummit Volume 6では、1日目のオープニングセレモニーのあとの1発目(!)のステージイベントに登壇した水口哲也氏は、セガ(当時)時代の同僚だったというブレインストーム代表 中村隆之氏とNintendo Switch版『ルミネス リマスター』などをテーマに語り合った。BitSummitの常連とも言える水口哲也氏だが、ファミ通ドットコムが会期に合わせてインタビューをするのはおそらく初めて。ビジョンあふれる言葉で僕たちを喜ばせてくれる水口哲也氏だが、今回はどんなお話が聞けますか……。
表現したいものが表現できるという喜びと、さらに表現したいという欲求と
――なんとなく、手ぶらで来てしまいましたが、水口さんのいまの関心領域はどこですか?
水口 いろいろあるのですが、“共感覚的な体験を作る”ということがいまいちばんの大きなテーマです。今日も『ルミネス リマスター』をご紹介させていただきましたが、『ルミネス』は2004年にPSPで最初に出して、そのあといろいろなバージョンが出ました。パズル要素と『Rez』のような音楽を演奏する感覚を融合させて、誰でも簡単に遊べることを目指してリリースしたのが1作目の『ルミネス』。PSPという、いつでもどこでも、どんなスタイルでも遊べるという、言ってみれば“インタラクティブ・ウォークマン”のようなハード特性にインスピレーションを受けて誕生したタイトルでもあります。
『ルミネス』はけっこうファンが多くて、グローバルで100万本以上売れたタイトルなので、ユーザーさんからの要望が途切れずに来続けていたんですよ。それは何かというと、「PSPが壊れて遊べない」とか、「早く新しいプラットフォームで遊べるようにしてくれ」とか……。だけど、(クリエイターたるもの)やっぱり新しいことをやりたいじゃないですか、いつも。だから、特別な理由がないとリマスターはできないなとは思っていたんです。
で、Nintendo Switchが出たときに、僕がいちばん「これはいいぞ!」と思ったのが、HD振動なんです。いろいろな音の触感を感じられる。「これはおもしろいな」と。僕はやっぱり触覚にすごく興味があって、プレイステーション2版『Rez』のときも、初回限定生産版にはトランスバイブレーターを同梱したし、『Rez Infinite』ではシナスタジア・スーツを作りました。だから、これはやる意味があるなと思って、それで『ルミネス』をNintendo Switchでリマスターすることにしたんです。かつてのバージョンを遊んだことがない人も含めて、「多くの人が喜んでくれるのではないか」と思ったのが最初でした。
一方で、プレイステーション4やXbox Oneで遊びたいという方もいらっしゃるので、4K対応の高解像度のリマスターにして、Nintendo Switchに加えて、プレイステーション4、Xbox One、Steamでも遊べるようにしたのが、今回の『ルミネス リマスター』なんですよ。
だから、最初の話に戻りますが、僕の興味は“共感覚的にどこまで体験を拡張できるか”というところにあります。
6月26日にNintendo Switch、プレイステーション4、Xbox One、PC向けに配信された『ルミネス リマスター』。
――そのことは、水口さんのゲーム開発において、一貫して共通しているようですね。
水口 変わらないですね。
――ということは、なぜ共感覚に惹かれるのですか?
水口 ゲームって、もっとも共感覚なメディアだと思うんですよね。オーディオがあってビジュアルがあって、振動も付けられるし、多くの人とつなげることもできるわけで……。いまは、解像度がどんどん上がってきているという歴史ですよね。さらに、VRで仮想現実の世界にも対応した(※『ルミネス リマスター』はVR対応ではありません)。まさに、“音楽を見る”ような経験もできるわけです。僕からすると、永遠に終わらない。何よりももっとも進んだ世界なんですよね。
――なるほど。
水口 体験をパブリッシュできるのはゲームだけなんですよ。映画などを始めとするほかのメディアって、体験というよりも情報ですよね。僕は、ゲームは唯一体験できるメディアだと思っていて、その体験の解像度が上がってきているという現実がある。「こんなすばらしい世界はないな」と思っていて、新しいテクノロジーを待ち続けながらモノ作りをしている状態ですね。
でも、もっとほしいんです。この先テクノロジーはもっともっと進化してもらわないと、頭の中のイメージが実現できないので、最新のテクノロジーを活用しながら、つぎのテクノロジーを待っているという状況が続いているのだけれど……。
――ゲームは体験のメディアであるがゆえに、ダイレクトに体験を感じられる触覚に心惹かれるのですね? 視覚や聴覚よりも。
水口 僕からすると全部必要です。視覚や聴覚、触覚を通した体験だったらいままでよりも絶対に感動できるし、もっと気持ちいいと思うんです。だから、どれかひとつだけというわけでもないし、全部が統合してできたところに、いままでとは違う感情が沸き起こってくる。そこに、クリエイターとしてのカタルシスを感じ続けているんですよね。
――視覚や聴覚、触覚などを統合して一度に体験する“共感覚”というのは、体験の究極なのかもしれないですね。
水口 どう統合して、どうやってそれを、ゲームを始めとするエンターテインメントのおもしろさにデザインできるかというところが、僕の興味ですね。
――そういう意味では、たとえばゲームというメディアが、かつては視覚と聴覚だけだったものが、触覚がきたりして、だんだん水口さんが理想とするところに近づきつつあるというのが、ゲームの歴史という話ですか?
水口 僕を中心に考えたら、そういうことになるのかもしれないんだけど……。
配信中のVR対応タイトル『Rez Infinite』。
――ところで、共感覚がもたらすものって何ですか?
水口 共感覚に関しては、僕は“シナスタジア”という言いかたを好んでしています。シナスタジアというのは、100年ぐらい前のアーティストたちが好んで使っていた言葉なんですけど、アーティストたちがいろんな実験をしていたわけですよね。たとえば、音楽は本来は耳で聴くものだけど、目で見るような表現や体験をアートに変えたりとか……。あるいは、色と音楽を組み合わせるとどんな気分がするんだろう……って。これって、100年前と言わず、いろいろなアーティストやクリエイターたちが何百年も、下手をしたらギリシャ、ローマ時代からずっと実験し続けていることなんです。ときにはこれが、アートになったり、エンターテイメントになったり、広告になったりして。
一例を挙げると、ただ音楽を聴くだけの世界から、音楽と映像が結びついてミュージックビデオというカテゴリーが生まれましたよね。そうすることによって、音楽を聴くだけだった世界に(ミュージックビデオなどで描かれることで)ストーリーが入ってきて、もっと別の感情が動かされる。そして、そういうふうに結びついたことによって、体験がよりパワフルになるんです。より強い体験になるという経験を、僕らはしてきた。
ゲームも同じで、昔の8ビットでディープサウンドの時代は、ゲームを遊んで泣くという経験は、おそらくなかった。だけど、だんだん解像度が上がることで、ゲームをプレイして泣くという人が、すごく増えたじゃないですか。
――はい。
水口 ほとんどの人が、ゲームをプレイして泣いた経験があると思うんです。昔といまのゲームで、メカニズムとしては同じだとしても、何が違うかというと、その表現力ですよね。表現力がインタラクティブな経験と結びついて、自分の感情をより刺激すようになった。これがたぶん、力なんですよね、表現の。その表現をどうやってゲームデザインと絡ませて、さらなる高次の体験にもっていくか……。これはすごくやりがいがあるところです。
――ああ! 人間に対して刺激を与えたりするといったところは、やっぱり人間の本質的な衝動というか……。つまり、共感覚によって人間はより喜びがもたらされるので、共感覚を追い求めるということですか?
水口 そうですね。やっぱりすごく幸せな気分になると思うんです。そういう体験を通じて。だから、ゲームがもっと違うものに変わっていくとすれば……、まあ僕の中ではある程度答えは出ているんですけどね。20年前のゲームで僕は泣けなかったけど、いまのゲームでは泣けるものがたくさんある。ということは、ぜんぜん昔とは違うんですよ。ゲームというメディアに対する向き合いかたと得られるものが。これって、クリエイティブサイドから言うと、昔のような考えかたで作っていてもダメということで、もっとより高いレベルで、高次元でいろいろな要素を絡ませるためにはどうすればいいのかということを、みんないろいろな角度から考え始めたということなんです。それを含めての進化なんですね。
――なるほど……。20年前は泣けなくて、いまは泣けてと……。では、20年先はいったいどういう世界に到達するんでしょうか? ゲームのために死ねるみたいなことになるのかしら。
水口 僕はあまりネガティブなことは考えたくない人なんだけど、ゲームで本当に幸せな気分になるとか、ゲームによって人生がもっと大きく変わるとか……。映画を見たり本を読んだりして人生が変わって人はたくさんいると思うんですよね。ゲームをプレイして人生が変わる人が、今後たくさん出てくると思う。
――いまでも人生が変わったような人もいるような気もしますけど。
水口 その力がもっと強くなるんでしょうね。もっと強い体験というか、もっと大きな体験をみんな経験するようになると思うんです。それは、ゲームクリエイターやデザイナーがいろいろ考えては試して、いろいろな実験をみんなでしていきながら作り上げていくものだと思うのですが、その先にあるのは、ゲーム自体がもっとすごいメディアになるということだと思う。
で、そのときに深い洞察力を持っていないと、やはりそこには行き当らないんです。だから、おもしろいゲームを作ろうと思ったら人間の欲求とか本能をより深く知らなければいけないし、人間が感動する理由って何なのかということを、深く掘り下げていかないといけない。それがどんどんクリエイターの経験値として深く堆積していって、年を取れば取るほど、もっといいものが作れるようになると思うんですね。
――そう考えると、クリエイターさんに要求されるものって、どんどん高くなっていく感じですね。
水口 という言いかたもできるけど、逆に言うとクリエイターが無理して作っているというわけではなくて、多くの人は、自分たちが作りたいものを作っている状態だと思うんですよね。そういう意味では、自分たちが実現したいことや試したいことが、より実現できるようになるというほうが正しい言いかたなのかなと。
――それは喜びしかないということですかね。
水口 喜びしかないですよ。僕は楽しくてしょうがないです。昔よりもいまのほうが、ぜんぜん楽しいですよ。どんどんストレスが消えていく。
――(笑)。
水口 本当なんですって! 昔はこういうふうにしたいからものができるまで「すみません。1週間時間をください」って言われたことが、いまは10分でできてしまったりするので、本当にストレスがなくなってきたんです。
――なるほど。テクノロジー面にフォーカスさせていただくと、テクノロジーが進化してやりたいことがどんどん実現できてきているとおっしゃっていますけど、いま「とくにここが変わってほしい」と期待するところってどこですか?
水口 じつはまだまだたくさんあります。
――あら、そんなに。ある程度は望みに達しているわけではないんですね。
水口 ぜんぜんないですね!
――(笑)。なかなか貪欲でいらっしゃるというか……。満足度のパーセンテージでいうと、どのくらいですか?
水口 まだ50%もいってないと思う。
――ええ!?
水口 ハードウェアの進化はまだまだ必要で、いまのジェネレーションのマシンももちろんそれぞれみんなすごいんだけど、もっと表現力が欲しい。
――表現力はまだ足りないですか?
水口 ぜんぜん足りないですね。
――個人的には、もう十分かな……とも、少しは思うんですけど。
水口 “リアルなものをリアルに表現する”という点ではとてもいいんですけど、そこから先なんですよね。リアルじゃないというか、リアルを超えたというか……。抽象的なものも含めて、人間の想像力から生まれてくるような、現実では見たことがないものを作ろうとすると、まだぜんぜんダメなんです。あと、VRやARの未来を考えたときに、まだぜんぜんパワーが足りない。
――『Rez Infinite』で、水口さんがやりたいことはある程度実現したのかなと思っていたんですけど、そういうわけでもないんですね。
水口 いまの段階のテクノロジーで実現できることに対する満足感はありましたが、やっぱり足りないんです。もう少し正確に言うと、『Rez Infinite』が終わってから、「あれがしたい」、「これもしたい」という思いがどんどん出てきた。そういう意味では、ぜんぜん足りないです。
――足りないというのは、おもに表現力の領域が大きいのですか? 視覚とか聴覚とか触覚とか……。
水口 そうなんですけどね。僕はもっとみんなが見たことがないようなものとか、体験したことがないような経験を作りたいんです。それをやるにはまだ非力なんですよね、コンピュータが。
――頭の中にビジョンがあるけど、それをアウトプットする術がない状態みたいな?
水口 頭の中のビジョンをアウトプットする術はあるのですが、それはすごいお化けみたいなすごいマシンじゃないとできなくて、それをコンソールで実現しようとなると、まだちょっと無理があるということはありますね。
――なるほど……。まあ満足度が50%だと、水口さんにとってはまだまだ道半ばっていうところですね。まあ、僕たちにとっては楽しみが増えました。
ところで……。インタビュー後、6月にアメリカ・ロサンゼルスで開催されたE3 2018にて、水口哲也氏の最新作『TETRIS EFFECT』が発表された。
残念ながら記者は未プレイなのだが、試遊したスタッフからは軒並み、「すごい!」、「びっくりした」との声が聞かれた。水口氏の“共感覚的な体験を作る”ことを求めての、新たな旅路はスタートしているようだ。