これまで中央競馬では、数多くのスーパーホースが生まれてきた。しかし、群衆の熱狂度という意味では、オグリキャップを超える馬は今後現れないのではないか。

 地方競馬から成り上がり、連勝を続ける芦毛の怪物。それだけでも話題性は十分だが、世代でも1、2を争う力を持っていながら、当時の規定でクラシックに出走できなかったという悲劇や、裏街道を経ての重賞6連勝。そしてタマモクロスやスーパークリークを始めとするライバルたちとの激闘などによって、ファンの注目度が加熱。オヤジたちの鉄火場だった競馬場に若い女性が押し寄せ、道を走るクルマの多くにはオグリキャップのぬいぐるみが飾られていた。

【ウマ娘:マイルCS】死闘を演じたオグリキャップとバンブーメモリー。そして翌週に生まれた“2分22秒2”の伝説

 これが、第二次競馬ブームの一端を担った“オグリフィーバー”である。もちろん、その前にも競馬人気が高まった時期はあり、第一次競馬ブームとなったハイセイコーの時代には、主戦の増沢末夫騎手が歌った『さらばハイセイコー』のレコードが約45万枚も売れたという。けれど、それらをリアルタイムに経験していない筆者のようなアラフォー競馬ファンにとっては、オグリキャップが競馬の源流、という人も多いのではないだろうか。

 本記事では中央競馬でマイルチャンピオンシップが開催されるということで、同レースにまつわるオグリキャップの活躍を紹介しよう。

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天皇賞(秋)での敗戦、そしてマイルCSへ

 オグリキャップがマイルチャンピオンシップに挑戦したのは1989年、いまの馬齢表記で言う4歳のころだ。

 前年の春に地方の笠松競馬から移籍してきたオグリは、クラシックこそ規定で出走できなかったものの、そのうっぷんを晴らすかのように重賞6連勝を記録。絶対的ベビーフェイスだったタマモクロスのライバルとしてみなされるようになる。

 天皇賞(秋)とジャパンカップではタマモクロスの後塵を拝したオグリだったが、有馬記念でついにリベンジに成功。みずからの手で世代交代を成し遂げるとともに、ベビーフェイスの座も受け継いだ。しかし、“好事魔多し”とは言ったもので、その後のケガによって4歳春のシーズンを棒に振り、復帰は秋のオールカマーからとなった。

 ここを勝ち、毎日王冠でもイナリワンやメジロアルダンを大接戦の末に下して重賞2連勝を飾るが、大目標とした天皇賞(秋)ではスーパークリークの2着に敗れてしまう。

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 これが陣営にとっては大きな誤算。敗戦を受けて、当初予定になかったマイルチャンピオンシップを使い、連闘でジャパンカップに挑むというプランを組んだ。オグリは中央への移籍などに際して馬主が何度か変わっているのだが、この前代未聞のローテーションは当時の馬主を始め、陣営の思惑が深く絡んだものだと言われている。

 オグリの参戦で、マイルチャンピオンシップを取り巻く状況は一変した。もともとこのレースは、バンブーメモリーの圧勝と見られていた。バンブーは遅咲きの短距離馬で、この年の6月までは一介のオープン馬にすぎなかったが、安田記念を制したことで本格化。マイルチャンピオンシップのステップとなるスワンステークスも勝っており、絶対視されていた。しかし、そこにオグリキャップが加わったことで、“オグリにバンブーがどう迫るか”という構図に変わったのだ。

【ウマ娘:マイルCS】死闘を演じたオグリキャップとバンブーメモリー。そして翌週に生まれた“2分22秒2”の伝説

 オグリとバンブーが抜けているという見かたはオッズにも現れており、オグリは単勝1.3倍、バンブーが単勝4.0倍、3番人気のホクトヘリオスは、そこから離れた15.9倍となっていた。

 オグリキャップの鞍上は南井克巳。宿敵タマモクロスの主戦だった南井は、9月のオールカマーで約1年半ぶりにオグリに騎乗して以来、継続して手綱を取っていた。対するバンブーに跨るのは、当時弱冠20歳の“天才”武豊。彼はこの翌年に『笑っていいとも!』に出演し、「何を考えているかがわからないからオグリは嫌い」という旨の発言をする。もちろんリップサービスもあるだろうが、武はスーパークリークやバンブーなどオグリのライバルに多数騎乗していたため、そう答えるのも無理はなかったのかもしれない。

 こうして2強ムードとなったマイルチャンピオンシップは、天皇賞(秋)と同じく、南井と武の対決でもあった。

 オグリは中団を進み、バンブーはそれをぴったりとマークするように、すぐ後ろにつける。4コーナーの手前でオグリが仕掛けるが、この秋で4戦目となる連戦の疲れからか、南井が追ってもなかなか前に出られない。

 対するバンブーは好調そのもので、武の指示に従って楽な手応えのままでスッと外に持ち出し、直線でスパート。オグリに約3馬身の差をつけて、一気に先頭に躍り出た。

 その瞬間、誰もがバンブーの勝ちを確信した。短い距離での3馬身は絶望的な差だ。だが、南井克巳とオグリキャップだけは、まだ諦めてはいなかった。

【ウマ娘:マイルCS】死闘を演じたオグリキャップとバンブーメモリー。そして翌週に生まれた“2分22秒2”の伝説

 最内を突いたオグリは、残り200メートルに差し掛かったところでついにエンジン点火。猛然と進撃を開始する。一方のバンブーも脚色は衰えず、2頭のマッチレースとなった。オグリは執念を振り絞り、一歩ずつバンブーを追い詰める。「負けられない南井克巳と譲れない武豊」と関西テレビの杉本清アナが称した通り、鞍上ふたりのプライドが激しく交錯する中、オグリとバンブーの差がだんだんと縮まり、ついには2頭が体を合わせてゴール。長い写真判定の末、ハナ差でオグリキャップが1着となった。

 このレースでのオグリキャップの爆発的な追い上げは、とにかく尋常ではなかった。『ウマ娘』におけるオグリキャップの固有スキル“勝利の鼓動”(残り200メートル地点で前のほうにいると、道を開いてすごく抜け出しやすくなる)の元ネタは、このマイルチャンピオンシップなのではないかと思わせるほどだ。また、ゴール前できっちりと差し切るその姿から、「オグリはゴール板の位置を知っているでのはないか」とささやかれたりもした。

【ウマ娘:マイルCS】死闘を演じたオグリキャップとバンブーメモリー。そして翌週に生まれた“2分22秒2”の伝説
SSRサポートカードの“[Head-onfight!]バンブーメモリー”のイラストは、このマイルCSがモデルと言われてる。

 勝った南井は、レース後のインタビューで声を詰まらせていた。天皇賞(秋)でスーパークリークに負けたことを受け、期するものがあったようで、「オグリには、借りをまだ半分しか返していない。来週のジャパンカップで倍にして返したいと思います」と、強い決意をにじませた。

【マイルチャンピオンシップ 1989】オグリキャップvsバンブーメモリー「負けられない南井克巳、譲れない武豊」《マイル王をかけた名勝負》

世界レコードで決着したジャパンカップ

 ジャパンカップは、この秋のオグリにとって5戦目のレース。秋は天皇賞(秋)と有馬記念の2戦で終わり、というような現代の常識に当てはめると、考えられないローテーションである。しかも、マイルチャンピオンシップからジャパンカップへの連闘がそこに含まれているとすれば、なおさらだろう。

 『ウマ娘』では現実の2週間が1ターンになっているため、同じ年にマイルチャンピオンシップとジャパンカップに続けて出走することはできない。“オグリローテ”の再現は不可能なのだ。

 この過酷なローテーションは、当時であっても走りすぎと見られており、ジャパンカップの出走にはさまざまな意見があった。ただ、オグリキャップがどう思っていたのかはわからないが、少なくとも元気ではあったようだ。

 というのも、ふつうの競走馬は人間のアスリートと同じように、連戦になると体重が落ちるもの。しかし、オグリはこの秋のレースすべてを、ほぼ496キロで迎えているのだ。“オグリと言えばご飯好き”というのはトレーナー諸氏にはよく知られているところだが、このときも食欲は変わらなかったのだろう。

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 迎えた当日。オグリは2番人気となり、1番人気をスーパークリークに譲った。天皇賞(秋)ではクリークが勝っていたし、5連戦というローテを考えれば妥当なものだろう。

 レースは、イギリスのイブンベイが壮絶な逃げを見せ、当時の12ハロン(約2414メートル)の世界記録を保持していたホークスターがそれを追いかける。イブンベイが記録した1800メートルの通過タイムは、1分45秒8。当時の日本レコードを上回る早さだった。この異常なペースに引っ張られる形で集団全体が動いたことから、ハイペースの消耗戦という、競走馬にとって、もっともきつい展開となった。

 4コーナーを回り、イブンベイとホークスターが力尽きて脱落したところで、内からスッと抜け出してきた芦毛の馬がいた。3番手につけていた、ニュージーランドのホーリックスである。9番人気の伏兵だった彼女は、力強い走りで府中の坂を駆け上がると先頭に立った。

 そしてもう1頭、外からも芦毛が来た。オグリキャップである。しかし残り200メートルの時点で、ホーリックスとオグリの差は2馬身ほど。マイルチャンピオンシップのときに似た、絶体絶命のピンチだった。

 だが、オグリはやはり諦めない。南井の右ムチに応えるように1完歩ずつホーリックスを追い詰めると、最後は並んでゴール。クビ差で敗れはしたものの、連闘という悪条件を考えれば大健闘であり、東京競馬場に詰めかけた観客を驚かせるには十分な内容だった。

1989年 ジャパンカップ(GⅠ) | ホーリックス | JRA公式

 しかしレース後、電光掲示板に表示されたタイムを見た観衆は、再び驚くことになる。そこに表示されたのは“2分22秒2”という圧倒的なレコードタイムだった。何しろ、それまでの中央競馬における2400メートルの最速記録は、1987年のジャパンカップでルグロリューが記録した2分24秒9。そこから、じつに2秒以上を縮めたのである。

 惜しくも敗れはしたものの、オグリが作り出した伝説に、競馬ファンはまたも熱狂したのだった。

 ちなみに、ホーリックスとオグリについてはこんな逸話がある。東京競馬場でオグリがむしゃむしゃと飼い葉を食べていると、ホーリックスが近くを通った。するとオグリは飼い葉桶の中から顔を上げて、ホーリックスを目で追っていたという。ホーリックスが見えるたびにそんな仕草をしていたので、「オグリキャップはホーリックスに恋をしていたのでは?」と言われているのだ。本当のところはオグリにしかわからないが、微笑ましいエピソードだ。

【ウマ娘:マイルCS】死闘を演じたオグリキャップとバンブーメモリー。そして翌週に生まれた“2分22秒2”の伝説

 もうひとつ余談を。このレースをマイルチャンピオンシップからの連闘で臨んだのは、オグリキャップだけではない。じつはバンブーメモリーも同じ挑戦をしていたのだ。結果は13着と大敗したが、やはり距離に泣いたのだろう。とはいえ、2000メートルの高松宮杯(当時GII)を勝利していたり、天皇賞(秋)でもヤエノムテキとメジロアルダンに次ぐ3着に入ったりと、中距離でも力があるところはしっかりと見せていた。

まだまだ続くオグリ伝説

 オグリはこの後、有馬記念に挑戦。しかし、さすがに疲労が溜まったのか、いいところなく5着に敗れた。

 1年後の1990年冬、「オグリはもう終わった」と言われ、結果が出ないレースが続く。春には安田記念をレコードタイムで勝ったというのに、その勢いはなりを潜め、ついには初の2桁着順にまで落ち込んでいた。

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 そんな中、かつてのライバルだった武豊を背にして“奇跡”を起こすのだから、やっぱりあの馬は稀代のアイドルホースだったのだろう。このエピソードについても、いずれ当サイトでご紹介したいと思う。

【ウマ娘:マイルCS】死闘を演じたオグリキャップとバンブーメモリー。そして翌週に生まれた“2分22秒2”の伝説

著者近況:北口徒歩2分

 『ダビスタ』ブームに乗っかって競馬を見始め、現在まで何となく情報を追い続ける。『ウマ娘』のアニメは2期まで視聴済みで、ゲームは配信初日からプレイ。アニメで死ぬほど泣いた。

 課金額は2021年11月現在で約80000円、チームランクはS。微課金勢と言い張っている。いまは生まれたばかりのリアル娘の面倒を見つつ、ウマ娘の育成に励む日々を送る。

 今回の記事は、光栄(現コーエーテクモゲームス)から1995年に発行された『名馬列伝~オグリキャップ~』を参考にした。めちゃくちゃいい本だから再販されてほしいと思うが、いろいろあって難しいのだろうなあ……。

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