サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』。2021年8月11日に実装された育成ウマ娘“メイショウドトウ”の能力や、競走馬としてのエピソードを紹介する。
『ウマ娘』におけるメイショウドトウ
公式プロフィール
- 声:和多田美咲
- 誕生日:3月25日
- 体重:一部微増
- スリーサイズ:B99、W61、H89
自分に自信がまったく持てない、弱気な垂れ耳ウマ娘。典型的なドジっ子で、何をやってもうまくいかず、それでもどこかで「自分を変えたい」「諦めたくない」と願い、未来が上向きになるきっかけを探している。
テイエムオペラオーの過剰な自信に憧れている。
メイショウドトウの人となり
「救いはないのですか~?」
栗東寮きってのネガティブウマ娘。とても弱気で控えめな性分で、いつもテイエムオペラオーに振り回されている。『ウマ娘』の各作品(ゲーム、アニメ、コミック等)では、そのテイエムオペラオーやマチカネフクキタル、寮で同室のエアシャカールなどといっしょにいることが多い。
テレビアニメSeason2でチームカノープスの悪事の巻き添えを食らうなど、『ウマ娘』では不憫なキャラクターとしての地位を確立しているメイショウドトウ。じつは、同じテレビアニメSeason2では、マチカネフクキタルの占いの助手として、けっこう辛らつなことを言っていたりする(「救いは~」は、その際によく口にしていた相づち)。
また、『ウマ娘』の育成シナリオ中ではほぼ困り眉で登場しているメイショウドトウだが、パドックではやる気によって眉毛逆ハの字のキリッとした表情を見せてくれる。なお、絶好調まで行くと、いきなりつまずくアクションをする。ドジっ子の面目躍如である。
メイショウドトウの能力
史実のメイショウドトウはおもに中距離から長距離で活躍したので、『ウマ娘』でも中距離と長距離の適性がAになっている。走ったのは芝のレースが多い。デビューから数戦はダートも経験しているが、さすがに下位条件のレースばかりということもあってか、ダート適性はEだ。
また、戦法はデビューから初期が差し多め、結果を残すようになってからは先行が多かったということで、差しがB、先行がAとなっている。
固有スキルの“I Never Goof Up!”は、「私は決してドジはしない!」というような意味。スキルにはスピードスター(覚醒が必要)や中距離コーナー○など、先行・中距離向けのものが揃っている。非根幹距離○は、2200メートルの宝塚記念を勝利しているからだろう。
なお、成長率はスタミナ+20%、根性+10%となる。
競走馬のメイショウドトウ
メイショウドトウの競走成績
大型馬でもあることから、やや仕上がりは遅かったメイショウドトウ。デビューは4歳(現3歳)の1999年1月6日に京都競馬場で迎えることに。血統背景と、溢れるパワーからデビューから5戦はダートで走っていた。外国産馬であるため、クラシックレースへの出走権がなかったということもあり、比較的ゆったりとしたペースで出走。
札幌に遠征した6戦目からは芝に転向し、9戦目で芝の初勝利を飾る。デビュー当時は控える(差し)競馬をしていたが、このあたりから前目につける先行作戦を採るようになった。さらに連勝してオープン入り。同期の皐月賞馬テイエムオペラオーやダービー馬アドマイヤベガ、菊花賞馬ナリタトップロードの“3強”からはだいぶ出遅れたが、ようやく明るい未来が見えてきた。
しかし「これはイケるんちゃう?」と思われた矢先、有馬記念のわずか数分後に阪神競馬場で開催されたオープン特別、六甲ステークスでは芝のレースで初めての1番人気に支持されるも、まさかの最下位に……。
翌2000年は1月の日経新春杯から始動。ここで2着に入り賞金(『ウマ娘』におけるファン数)を加算すると、3月の中京記念(現在は7月開催)では見事にコースレコードで重賞初勝利を飾った。
これで勢いづいた陣営は、天皇賞(春)の出走権を獲得すべく日経賞へと歩を進める。当時の規定では、外国産馬は直前の日経賞もしくは阪神大賞典での勝利が必要だったからだ。しかし、道中で絶妙なペースコントロールを見せた逃げ馬レオリュウホウを捕らえきれずに3着。菊沢隆徳騎手(現調教師)にしてやられてしまい、6着に沈んだグラスワンダーともども出走権を逃す結果となった。
敗戦は痛恨だったが、気を取り直してメトロポリタンステークス、金鯱賞(当時は5月末開催)と連勝。ついにGIの舞台、宝塚記念へと出走する。ところが、ここで主戦の安田康彦騎手が騎乗停止という不運に見舞われ、さらに古馬(シニア級)になって本格的に覚醒し、まさに“世紀末覇王”の強さを見せていたテイエムオペラオーが立ちはだかる。最後の直線で猛追するも、オペラオー得意の“僅差なのに力の差を見せつけて圧勝”を食らって2着。これがこの後も続いていく、オペラオーとの因縁の始まりだった。
なお、このレースにはグラスワンダー(6着)やマチカネフクキタル(8着)なども出走していた。『ウマ娘』にてマチカネフクキタルと仲がいいのは、これが理由なのかも?
秋は天皇賞(秋)を目指してオールカマーから始動。ここを楽勝すると、本番ではテイエムオペラオーに次ぐ2番人気に支持される。しかし、ここでも宝塚記念の再現VTRを観ていたかのような展開となり、先に抜け出されて追いつけずに2着(2馬身半差)。ジャパンカップ(クビ差)も、有馬記念(ハナ差)も、騎手を変え、作戦を差しに変えても同じ結果に……。とくに有馬記念は、オペラオーより先に抜け出して「これは勝ちやろ!」と皆が握り拳を固めたところでちょろっと差されるという、悪魔のごとき非情な勝ちかたをされたのであった。
2001年、この年から馬齢表記が変更になったため、2度目の5歳を迎えたメイショウドトウは悲願のGI制覇に向け、日経賞から始動。この年もまだ、天皇賞(春)への出走は日経賞勝利が必須条件であったが、ここを単勝1.1倍の圧倒的な人気で勝利し、いざテイエムオペラオーとの5度目の対決に臨む。
ナリタトップロードを含めた“3強”の壮絶な叩き合いとなったこのレースは、直前に降り出した雨の影響もあって、またしてもオペラオーと半馬身差の2着惜敗。3着にナリタトップロード、8着にエアシャカール、12着にセイウンスカイがそれぞれ入った。
ということで、ここまでに1着テイエムオペラオー、2着メイショウドトウというレースは以下の5つもあった。ドトウにとって、いかにオペラオーが強力なライバルだったのかがわかるだろう。『ウマ娘』でのドトウが不憫キャラなのは、このあたりから来ているのかもしれない。
- 2000年 宝塚記念 1着テイエムオペラオー、2着メイショウドトウ
- 2000年 天皇賞(秋) 1着テイエムオペラオー、2着メイショウドトウ
- 2000年 ジャパンカップ 1着テイエムオペラオー、2着メイショウドトウ
- 2000年 有馬記念 1着テイエムオペラオー、2着メイショウドトウ
- 2001年 天皇賞(春) 1着テイエムオペラオー、2着メイショウドトウ
GIでは負け続けていたが、じつは獲得賞金額はもうすでにとんでもない数字になり、競馬ファンにも広く知られるようになっていたメイショウドトウ。2001年の宝塚記念は文句なくファン投票で選出され、いよいよ6度目の対決へ。
ライバルのテイエムオペラオーは天皇賞(春)を勝利したとはいえ、その前哨戦となる産経大阪杯(当時GII)では4着に敗れて連勝がストップしており、勢いは確実に弱まっていた。そして、宝塚記念では距離が2200メートルに短縮されるのも、ドトウにとっては好材料だった。
そして迎えた本番では、内枠を利して先行し、早めに仕掛けてつねに最高のコース取りを取ることで追撃をしのぐ、という作戦に出る。これがハマり、ついに宝塚記念でGI初勝利! 救いは、あったのだ……!
ちなみに、このレースには栗東寮でドトウのルームメイトであるエアシャカールも出走し、5着となっている。メイショウドトウの宝塚記念については、以下の記事も参照してほしい。
これでついにメイショウドトウの時代が来た……と思われたが、オペラオーと同じくドトウのピークも過ぎていたようで、この後は天皇賞(秋)でアグネスデジタルの強襲に屈して3着、ジャパンカップはジャングルポケットの前に5着、有馬記念はマンハッタンカフェの前に4着と新世代の台頭を許し、この年限りで引退する。通算27戦10勝、獲得賞金9億2133万円という堂々たる成績だった。
なお、アグネスデジタルの活躍は、以下の記事を参照してほしい。
直接対決で苦杯をなめさせられ続けたテイエムオペラオーがいなかったら、ドトウはどれだけ勝っていたのだろうか……。もっとも、強いライバルがいたからこその成績だったかもしれないし、タラレバを言えばきりがない。
ちなみに、メイショウドトウの全27戦中23戦で騎乗した主戦の安田康彦騎手だが、メイショウドトウの初GI宝塚記念は直前の騎乗停止で河内洋騎手に乗り替わり、さらに同年のオールカマー、天皇賞(秋)も騎乗停止となって的場均騎手に乗り替わっている。肝心なところでドジを踏む、メイショウドトウのドジっ子キャラはここに由来しているのだろうか……?
メイショウドトウの生い立ち
メイショウドトウは1996年3月25日、アイルランドで生を受けた。ラグビーやサッカーで知られる国だが、競馬もとても盛ん。ジャパンカップでスペシャルウィークに敗れるも、その直前の凱旋門賞ではエルコンドルパサーを退けた名馬モンジュー(テレビアニメ版のブロワイエのモデル馬)もアイルランドが生んだ名馬だ。
ドトウは額の大きな“流星”という模様と、欧州産馬らしい筋肉質な馬体が特徴で、それらはウマ娘のデザインにもよく反映されている。現役時はレースではメンコ(馬の覆面のこと。音に驚いたり、砂を被るのを嫌がる馬に使われている)を被っていたので、当時の競馬ファンでも、ドトウに流星があることを知らない人はいたようだ。
『ウマ娘』でのドトウの勝負服も、競馬ファンならニヤリとするグッドデザイン。メイショウ軍団の勝負服は、胴が青、タスキ(胴の模様)と袖がピンクというデザインで、『ウマ娘』でもそのカラーリングが反映されている。
血統も見てみよう。父はアイルランド生まれ、フランス育ちのBigstone(ビッグストーン)。現役時代はマイルを中心に17戦6勝、GI4勝と活躍したが、種牡馬としてはパッとしなかった。母のプリンセスリーマはアメリカ生まれで競走馬としては未出走、メイショウドトウ以前の産駒も目立った活躍はなかった。
そんなメイショウドトウのお値段は約500万円(輸入に掛かる諸経費は含まず)。超良血馬たちが億超えの価格でバンバン取引されているニュースを目にすると、かなりお買い得価格に見える。実際のところ、日本の中央競馬の全競走馬の半数以上は500万円以下で購入されているので、500万円はそこそこの価格ではあるのだが、それでもデビュー前の評価のほどがわかるだろう。
なお、同期の永遠のライバル、テイエムオペラオーの価格は約1000万円。ここでも後塵を拝していると見るか、馬主孝行では勝ったと見るか……。ひとつ言えるのは、テイエムオペラオーもメイショウドトウもすごい馬だったし、彼らを見出した馬主や調教師たちの相場眼もとんでもなかったということである。
メイショウドトウの引退後
メイショウドトウの引退式は、2002年1月13日、京都競馬場で行われた。そこから遡ること2年前の出世レース、日経新春杯(2着だったが)が行われる日の第5レースの後である。
この式はなんと、ライバルだったテイエムオペラオーと合同での開催となった。メイショウドトウは宝塚記念を勝った時のゼッケン3番を、テイエムオペラオーは天皇賞(春)時のゼッケン1番をつけてパドックに登場し、2頭揃って最後の本馬場入場、ラストランを披露している。
その後も、テイエムオペラオーとともに同じイーストスタッドで種牡馬生活を過ごしたメイショウドトウ。現役時代は火花を散らした2頭だが、けっきょく10年以上同じ牧場でともに仲よく過ごすことになったのだ。もっとも、牧場ではそれぞれマイペースで我関せず、といった様子だったようだ。残念ながらテイエムオペラオーは2018年に亡くなってしまったが、メイショウドトウは健康そのもので、現在もなお健在である。相変わらずおっとり、のんびりとした性格で動かないので、“映える”写真の撮影には向いていないらしい(笑)。
迫り来るドトウ。慌てて逃げるメト️(´▽`)
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2021-08-04 05:44:38
2017年に種牡馬を引退した後は、ナイスネイチャなどで知られる引退馬協会から乞われてフォスターホースに。現在は日高のヴェルサイユファームから、タイキシャトルとともに新冠のノーザンレイクに移っている(現在は新型コロナウイルス感染防止拡大の観点から見学は行われていない)。近況は認定NPO法人引退馬協会のサイトで知ることができ、支援も受け付けているので、興味のある方はぜひ。
メイショウドトウ25歳、まだまだ元気です。
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2021-08-07 04:10:13
著者近況:ギャルソン屋城
リアル競馬&競馬ゲームファンでもある、週刊ファミ通『ウマ娘』担当ライター。誕生日:9月5日、身長:168センチ、体重:微増(アイス食べすぎ)。『馬なり1ハロン劇場』、『ありゃ馬こりゃ馬』、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』、『優駿の門』など、競馬マンガも大好き。