サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』。2021年6月21日に実装された育成ウマ娘“ヒシアマゾン”の能力や、競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』におけるヒシアマゾン

公式プロフィール

  • 声:巽 悠衣子
  • 誕生日:3月26日
  • 体重:微増(ノーコメント)
  • スリーサイズ:B92、W59、H89

 何かとタイマンで勝負したがる、熱血肌の姉御。

 野蛮に見られがちだが、相手が勝てば、その強さを称える潔さも持っている。

 美浦の寮長で血の気が多い反面、料理洗濯掃除も大得意。

 あらゆる場面で頼りがいのある存在である。

 雷や幽霊にはからっきし弱い。
出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

【ウマ娘】ヒシアマゾンが育成ウマ娘で実装。ゲームでの能力値や設定、競走馬としてのエピソードを解説

ヒシアマゾンの人となり

 本作におけるヒシアマゾンは、ウマ娘たちが暮らすふたつの寮のうち、美浦寮の寮長というポジション。ちなみに、もうひとつの栗東寮はフジキセキが寮長を務める。

 寮の名前は、中央競馬のトレーニング・センター、通称トレセンから。トレセンは関東と関西にそれぞれひとつずつあり、関東は茨城県の美浦村、関西は滋賀県の栗東市に建てられている。

【ウマ娘】ヒシアマゾンが育成ウマ娘で実装。ゲームでの能力値や設定、競走馬としてのエピソードを解説

 ヒシアマゾンは寮長ということもあり、ビコーペガサスなどほかのウマ娘たちから“ヒシアマ姐さん”と呼ばれ、慕われている。曲がったことが大嫌いという一本気な性格で、事あるごとにタイマンを挑みたがる……という場面はアニメでも描かれていた。

 作中で絡みがあるウマ娘は、ライバルのナリタブライアンや、同じ寮長のフジキセキ、前述のビコーペガサスなど。そのほか、マヤノトップガンのストーリーでは、ナリタブライアンとともにヒシアマゾンが登場する。ナリタブライアンやビコーペガサスは、競走馬としては同年齢であり、世代が近いウマ娘といっしょに行動していることが多いようだ。

【ウマ娘】ヒシアマゾンが育成ウマ娘で実装。ゲームでの能力値や設定、競走馬としてのエピソードを解説

ヒシアマゾンの能力

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 競走馬としてのヒシアマゾンは、阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)とエリザベス女王杯を制した女傑。それゆえ本作のヒシアマゾンも、マイルと中距離の適性がAになっている。加えて、有馬記念でもナリタブライアンの2着に食い込んだため、長距離適性もBと高めだ。

 戦法は直線一気のレースが多かったからか、追込が適性A。固有スキル“タイマン!デッドヒート!”や、覚醒レベルの上昇によって覚えるスキル“疾風怒濤”も、追込に適した能力となっている。
 
 ただ、追込のイメージが強い彼女だが、デビューから数戦は前目のポジションで王道の競馬をしていた。それゆえ、先行の適性がBになっているのだろう。サポートカードのSRヒシアマゾンが先行のコツ○と追込のコツ○の両方をくれるのは、こういった理由があるのだ。

 成長率はパワー+20%、根性+10%となっており、追込ウマ娘として育てやすい。能力的にはマイルよりも中距離に向いているが、継承に頼らずにマイルを走れる追込ウマ娘は貴重なので、マイルで起用するのもアリだ。

競走馬のヒシアマゾン

ヒシアマゾンの生い立ち

1993 阪神3歳牝馬S

 ヒシアマゾンは1991年3月26日にアメリカの牧場で生まれた。黒鹿毛(こげ茶色)の毛色を持つ牝馬(女馬)だ。『ウマ娘』において肌が褐色なのは、この毛色がモチーフなのかも。

 また、『ウマ娘』では耳飾りの位置によって、モデルとなった馬が牡馬(男馬)と牝馬のどちらかが判別できるようになっているが、ヒシアマゾンは左耳についており、牝馬ということがわかる。

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ヒシアマゾンやエアグルーヴなど牝馬がモデルのウマ娘は、短パンではなくブルマを履いている。

 父のシアトリカル (Theatrical)は、競馬先進国のひとつアイルランドをおもな拠点とし、ブリーダーズカップ・ターフを始めGIレースを6勝した名馬。種牡馬としても活躍し、数々のGI勝ち馬を輩出した。

 母のケイティーズ(Katies)も同じアイルランド産で、桜花賞にあたるアイルランド1000ギニーと、3歳牝馬のマイル王者決定戦であるコロネーションステークスで優勝した名牝。じつはヒシアマゾンは、とっても良血なエリートなのだ。

 ケイティーズは引退後、イギリスで繁殖生活を送っていたが、セリに出されたところで日本人オーナーが購入し、アメリカの牧場へ。以後、アメリカで生まれた子が日本へと移動し、日本でデビューするようになった。

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競馬の血統表はこのように表される。青色で表示されているのが牡馬、赤色で表示されているのが牝馬。
たとえば、ヒシアマゾンの父Theatricalは、ヌレイエフ(Nureyev)とツリーオブノレッジのあいだに生まれたとわかる。
競馬はブラッドスポーツと呼ばれるほど血統が重要なので、血統表も大きな意味を持つ。

 ヒシアマゾンはケイティーズの5番目の仔。『ウマ娘』の作中において、アマゾンの母がウマ娘として活躍していたことや、アマゾンが帰国子女で英語を得意としていることなどは、こういったエピソードに由来する。

 ちなみに、“ヒシ”というのは冠名(かんむりめい・かんめい)である。冠名というのは、特定の馬主が自分の所有馬に対して付ける名前のことで、メジロ、ナリタ、テイエムなどもそれに該当する。

 その他のヒシ軍団としては、『ウマ娘』にも登場するスプリンターのヒシアケボノや、宝塚記念で“ミラクルおじさん”に約2億円をゲットさせたヒシミラクルなどがいる。

ヒシアマゾンの競走成績

 ヒシアマゾンは、1993年9月19日のダート新馬戦を勝利で飾り、競走馬生活をスタートさせた。『ウマ娘』でダート適性がEになっているのは、ここでの勝利によるものだろう。

 主戦は、おもに福島などのローカル競馬場(※)での逃げ切りを得意としていた中舘英二騎手(現、調教師)。以後、ほとんどのレースを彼とともに戦った。

※競馬において、東京、中山、阪神、京都以外の競馬場をローカル競馬場と呼ぶことがある。

 余談ではあるが、中館騎手はこの日、新馬戦の数時間後に行われたメインレースのオールカマーにも勝利している。そのときの相棒は、ご存知ツインターボ。ターボ師匠が「これが、諦めないってことだーーー!」とヘロヘロになりながら走っていたのと同じころに、ヒシアマ姐さんがデビューしていた……と考えると、なかなかにエモい展開だ(※)。

※ちなみに筆者は、テレビアニメでターボ師匠の逃げ切りシーンを観て、涙がとめどなく溢れた。

【ウマ娘】ヒシアマゾンが育成ウマ娘で実装。ゲームでの能力値や設定、競走馬としてのエピソードを解説
ダブルジェット……じゃなくてツインターボ師匠。

 さて、この年の暮れに阪神3歳牝馬ステークスを勝利し、世代のトップに躍り出たヒシアマゾンだったが、明けた1994年、彼女は桜花賞などのクラシックレースではなく、裏街道で走っていた。なぜなら、ヒシアマゾンがアメリカ生まれだったからだ。

 当時はクラシックレースの出走規定が現在と異なり、外国産馬は出走できないという決まりがあった。それゆえ、そういった馬たちはダービーやオークスなどの表舞台に立つことが許されず、もっぱら短距離やマイルなど別路線に歩みを進めていたのである。

 1996年には“外国産馬のダービー”と呼ばれたNHKマイルカップが創設され、エルコンドルパサーなどの有力外国産馬はそちらを目標とするようになったが、ヒシアマゾンのころはNHKマイルカップが存在しなかった。そのため、彼女が再びGIの舞台に姿を表すのは秋のこととなる。

 『ウマ娘』においては、桜花賞やオークスといったクラシックレースが目標に設定されているが、それは「もしヒシアマゾンが現在のレースプログラムで走っていたら」という“if”の展開なのだ。

※外国産馬については以下の記事も参照のこと。

追込馬として開眼

 この1994年の春はヒシアマゾンにとって、生まれによる制限を受けた残念なシーズンとなったが、じつはこのときに走ったレースが、ヒシアマゾンのベストバウトのひとつと目されている。それが1994年4月16日に行われた芝1200メートルのGIII戦、クリスタルカップだ。

 それまでのヒシアマゾンは先行でのレースが主であり、ビコーペガサスの2着に敗れた京成杯でも差し戦法を取っていた。このレースでもヒシアマゾンは中団後方につけて差しの競馬をすることになるわけだが、最後の200メートルでとてつもない豪脚を見せたことにより、道中は差しや追込のポジションで脚を溜め、最後に爆発させるという戦法が定着することとなった。

【ウマ娘】ヒシアマゾンが育成ウマ娘で実装。ゲームでの能力値や設定、競走馬としてのエピソードを解説
ヒシアマゾンとビコーペガサス。

 レースはタイキウルフ(タイキシャトルと同じタイキ軍団)が逃げる展開。直線に入ってタイキウルフは差を広げ、残り170メートルの段階で2番手ヒシアマゾンとの差は3~4馬身程度。通常であれば絶望的なほどの差だ。

 しかし、そこからエンジンをかけたヒシアマゾンはぐんぐんと伸びてタイキウルフを交わすと、逆に1馬身の差をつけて完勝。このレースは競馬ファンに大きなインパクトを与え、“競馬の伝説のレース”と言えばいまでも名前が上がるほどに語り継がれている。

牝馬戦線を統一

 そして迎えた1994年秋。破竹の快進撃を続けていたヒシアマゾン陣営は、つぎなる戦いとして11月のエリザベス女王杯を選んだ。当時は秋華賞が存在しなかったため、牝馬はこのレースを秋の大目標に設定することが多かったのだ。

 この年のエリザベス女王杯には、同い年のライバルも出走してきていた。オークス馬のチョウカイキャロルと、桜花賞馬オグリローマン(オグリキャップの妹)である。そんななかでヒシアマゾンは、単勝1.8倍の1番人気に推された。2番人気のチョウカイキャロルは単勝7.2倍と大きく離れており、ヒシアマゾンの力が抜けているという見かたが有力だった。

 レースは、後方につけたヒシアマゾンが途中で前に持ち出し、好位で4コーナーを回る展開に。最後の直線では、そのまま伸びるヒシアマゾンに、中央から馬群を割って出てきたチョウカイキャロルと4番人気アグネスパレードが競りかける。どの馬が勝ってもおかしくない三つ巴の争いは、アグネスパレードが力尽き、さらにヒシアマゾンがチョウカイキャロルを鼻差で交わしたところでゴールとなった。

 大接戦ではあったものの、この大一番を制したヒシアマゾンは、これ以後、牡馬との戦いに挑むこととなる。

1994 エリザベス女王杯

ナリタブライアンとの激闘

 当時を知る競馬ファンにとってヒシアマゾンは、“男勝りの女傑”というイメージだろう。競馬において、牝馬は体格やパワーが牡馬よりも劣ると言われていたり、フケ(発情)によって一時的に能力が落ちたりと、一般的には不利とされる。とくに中距離や長距離の路線では、強い牝馬が出にくかった。

 近年はウオッカやダイワスカーレットといった名馬たちの登場によって、牝馬の活躍は珍しくなくなっている。いまや芝GIの歴代最多勝利9勝を誇るのは、牝馬アーモンドアイだ。こうなった背景には、調教の方法やフケのコントロールなど、技術の発達が大きいだろう。

 そんな牝馬の歴史にあって、ヒシアマゾンがなぜ特別な存在なのかというと、まだ技術が発展途上だったあの時代に、強い牡馬と渡り合えていたことが大きい(同じことはイクノディクタスにも言える)。

 彼女がその力をもっとも発揮したのが、1994年の有馬記念だ。この年の1番人気はナリタブライアン。ヒシアマゾンと同じ年の生まれにして、史上5頭目の三冠馬に輝いた平成の怪物だ。単勝はなんと1.2倍。競馬場にいるほとんどのファンが、ブライアンの勝利を信じて疑わなかったといっても過言ではない。

 何しろ3歳時のブライアンと言えば、いまだに史上最強馬に挙げる人がいるほど。そのパフォーマンスは桁外れだった。

【ウマ娘】ヒシアマゾンが育成ウマ娘で実装。ゲームでの能力値や設定、競走馬としてのエピソードを解説

 このレースでヒシアマゾンは6番人気。連勝を重ねているスターとはいえ、まだ成長過程の3歳、しかも牝馬となれば、当時の競馬ファンが軽視してもしかたがなかっただろう。

 しかし中館騎手は、チャンスはあると思っていたようだ。中館騎手によると、それまでのヒシアマゾンは人気を背負うことが多く、勝たなくてはいけない立場だったため、安全策としてブロックされにくい大外を回っていた。だが、有馬記念での立場はあくまでも挑戦者。それゆえ、プレッシャーを感じずに折り合いをつけながら行けば、ブライアンにも勝てる見込みはあると考えていたという。

1994 有馬記念

 果たしてレースは、田中勝春騎手が手綱を取るツインターボが大逃げを打ち、ハイペースの展開に。ブライアンは前目につけ、ヘロヘロになったツインターボを4コーナーで交わし、悠々と先頭に立つ。

 ブライアンの勝ちパターンと思われた中、中団から上がってきて大外につけたのがヒシアマゾンだった。手応えはよく、「ブライアン危うし!?」と観客たちも色めき立った。

 しかし、ここからのブライアンの伸びは、まさに“全身全霊”。直線の入り口でギアを上げると、瞬く間にヒシアマゾン以下を突き放す。

 だが、女傑の見せ場はここからだった。ブライアンに食らいつくようにスピードを上げると、追走するライスシャワーやアイルトンシンボリを寄せ付けず、最後まで諦めずに走る。結果は2着に敗れるものの、牝馬による有馬記念の連対(2着までに入ること)は16年ぶりとなる偉業だった。このレースでヒシアマゾンは、女傑の地位を確固たるものとした。

 ちなみに、ヒシアマゾンがナリタブライアンといっしょに走ったのはこれを含めて3回しかなく、両者のワンツーフィニッシュで決まったのはこの1回きり。にもかかわらず、ヒシアマゾンの最大のライバルはナリタブライアンである、というイメージが競馬ファンの心に残っているのは、全盛期の怪物を相手にあわやのレースをくり広げた、この有馬記念の衝撃が大きかったからだろう。

重賞戦線での活躍、そして引退

 1995年に入っても、ヒシアマゾンは牡馬との戦いを続ける。7月の高松宮杯(※)では、「えい、えい、むん!」のマチカネタンホイザに敗れるものの、オールカマーと京都大賞典を連勝。そして迎えたジャパンカップでは2番人気に推され、戴冠の期待も高まったが、ヨーロッパから遠征してきたドイツダービー馬のランドに惜しくも敗れ、優勝はならなかった。

※高松宮記念の前身レース。当時は、夏に2000メートルで行われており、有力馬が集まるGIIレースだった。 

 その後もレースを続けたヒシアマゾンは、マヤノトップガンらの台頭を見届けた後、1996年末に引退。アメリカに帰って7頭の仔を残した。通算成績は20戦10勝。GIは2勝、重賞は9勝。一時代を築いた名牝ヒシアマゾンの名は、いまも競馬ファンの心に深く刻まれている。

【ウマ娘】ヒシアマゾンが育成ウマ娘で実装。ゲームでの能力値や設定、競走馬としてのエピソードを解説

著者近況:北口徒歩2分

 『ダビスタ』ブームに乗っかって競馬を見始め、現在まで何となく情報を追い続ける。『ウマ娘』のアニメは2期まで視聴済みで、ゲームは配信初日からプレイ。アニメで死ぬほど泣いた。

 課金額は2021年6月現在で23000円、チームランクはA3。ガチャはサポートカードばかり引いているため、SRサポートカードの完凸(上限解放4回)は多め。育成ウマ娘の星3キャラクターが毎日のお得ガチャで出たりもしていて、ガチャ運はいいのかも。

 いまは生まれたばかりのリアル娘の面倒を見つつ、ウマ娘の育成に励む日々を送る。ジェミニ杯・グレードリーグAグループは決勝で惜しくも2着。泣いた。

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