サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』。2021年7月20日に実装された育成ウマ娘“ゴールドシチー”の、競走馬としてのエピソードを紹介する。

※前回実装されたフジキセキの元ネタなどを探る記事はこちら

『ウマ箱2』第4コーナー アニメ『ウマ娘 プリティーダービー Season 2』トレーナーズBOX(Blu-ray)の購入はこちら (Amazon.co.jp) 『ウマ箱2』第3コーナー アニメ『ウマ娘 プリティーダービー Season 2』トレーナーズBOX) [Blu-ray]の購入はこちら (Amazon.co.jp) 『ウマ箱2』第2コーナー アニメ『ウマ娘 プリティーダービー Season 2』トレーナーズBOX) [Blu-ray]の購入はこちら (Amazon.co.jp)

『ウマ娘』におけるゴールドシチー

公式プロフィール

  • 声:香坂さき
  • 誕生日:4月16日
  • 体重:計測場に現れず
  • スリーサイズ:B85、W58、H82

100年に1人クラスの美少女ギャル。ずっとモデルをしており、望まれるままの自分を演じていた。がある日、走りこそ自分の本懐と目覚める。それ以来、容姿ではなく中身で評価される日を目指して、ひた走るように。
裏表なく接するトーセンジョーダンと仲良し。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

02

ゴールドシチーの人となり

 栗東寮所属の、圧倒的な美貌を誇るギャル系ウマ娘。レースだけではなく、モデルとしての仕事もこなしている(アニメではさらに美容室を開いている)。雰囲気もオトナっぽく、ユキノビジンやマヤノトップガンなど、そんな彼女を慕うウマ娘も多い。

【ウマ娘】ゴールドシチーはリアルでも超美形で遅刻魔だった。史実での破天荒エピソードやゲームの元ネタを紹介
1コマ

 同部屋は風紀委員長のバンブーメモリーで、ゴールドシチーが多忙なモデル業の陰で努力を重ねていることを知っているからか、たび重なる遅刻や門限破りをフォローしてあげたりすることもあるようだ。また、史実でも3度にわたって対決をくり広げたタマモクロスとはライバル関係にある。

 性格はなかなか難しく、あまり他者に心を開きたがらないようだ。同じギャル系のトーセンジョーダンとは仲がいいようだが……。見た目と本当の自分とのギャップ、それをわかってもらえないもどかしさ。それらを抱えた彼女の複雑な心の内は、育成ウマ娘のストーリーでも描かれていた。彼女の気持ちは、キャラクターソング『素顔のココロ』を聴くと少しは理解できるかもしれない(ダイレクトマーケティング)。

『素顔のココロ』のダウンロードはこちら (Amazon music)

 ちなみに、ゴールドシチーは2014年に同名の競走馬が中央でデビューしているのだが、この馬は後に岩手県の盛岡競馬場や水沢競馬場で走った。ユキノビジンも盛岡でデビューしているので、もしかするとゴールドシチーとユキノビジンが仲がいいのは、そんなところに理由があるのかも。

ゴールドシチーの能力

 ゴールドシチーはマイルで大きな実績を残したほか、重賞では中距離や長距離のレースも走った。そのためマイル適性がA、中距離と長距離の適性がそれぞれBとなっている。成長率はパワー+10%と根性+20%だ。

 戦法は先行と差しがそれぞれAだが、固有スキルなどを見ると、もっとも実力を発揮できるのは差しだろう。固有スキルの“KEEP IT REAL.”は、レース後半に少しずつ加速力を上げるという効果を持つ。いまチャンピオンズミーティングの育成で注目されている“乗り換え上手”や“差し切り体勢”を持っている点にも注目だ。

image_123986672 (5)

 ちなみに、ゴールドシチーはもともと“[RUN(my)way]ゴールドシチー”というSSRサポートカードが実装されていた。そのときのイラストは以下の通りで、現在の育成ウマ娘の勝負服とはデザインが異なる。

ゴールドシチー_サポカ

競走馬のゴールドシチー

ゴールドシチーの生い立ち

 1984年4月16日、北海道の門別で生まれたゴールドシチー。生まれながらに均整の取れた馬体と、栗毛の中でもで金色のたてがみとしっぽを持つ、美しい馬の代名詞“尾花栗毛”のグッドルッキングホースである。“ゴールド”シチーの名は、その金髪からつけられたらしい

 それだけではない。4本の脚の先が白く、頭にも流星の模様が入っている“四白流星”と呼ばれる、美しさの象徴とも言える特徴も持っていた。まさに100年に1頭クラスの美形だったのだ。競走馬として成功するかはわからないが、うまくいかなくても某夢の国で乗馬としてやっていけると言われるほどだった。

01

 父はカナダ生まれのスーパーホース、ヴァイスリーガル。2歳でカナダの年度代表馬になるなど、9戦8勝の良績を残し、その後種牡馬としても3年連続リーディングを獲得していた期待の輸入種牡馬だった。が、産駒はいずれも気性の悪さばかりが遺伝し、活躍できない者が多かった。

 ちなみに、ヴァイスリーガルの弟ヴァイスリージェントは、現役時代は兄のようには活躍できなかったが、その後種牡馬としてカナダで11年連続リーディングなど大成功を収めており、そのひ孫には日本で活躍したクロフネ(カレンチャンの父)などがいる。

 母はイタリアンシチー。名前はイタリアンだが、とくにイタリアは関係のない、ごくごくふつうの国産牝馬である。その3代母(ゴールドシチーの4代母)には1955年のオークス馬ヒロイチがいて、その父は天皇賞(春)の前身である帝室御賞典(春)を1944年に勝ったヒロサクラ。さらにその父は交流重賞の名前でも有名なダイオライト、母は第1回東京優駿大競走(後の日本ダービー)にも出走した朝桜と、母系をさかのぼっていくとなかなか味わい深い血筋となっている。

【ウマ娘】ゴールドシチーはリアルでも超美形で遅刻魔だった。史実での破天荒エピソードやゲームの元ネタを紹介
父方の祖父には世界的名種牡馬ノーザンダンサーがいる。母方の祖父テスコボーイの産駒からは、トウショウボーイ(ミスターシービーなどの父)、サクラユタカオー(サクラバクシンオーの父)などが活躍した。

 とはいえ、当時としてはそれほど珍しい血統でもなく、活躍するようになってからもその希有なビジュアルで注目されることのほうが多かったようだ。ウマ娘のプロフィールにも、そのあたりの事情が反映されているのだろう。

ゴールドシチーの競走成績

1986 阪神3歳S

 デビューは3歳(現表記で2歳)の1986年6月15日と、かなり早めだったゴールドシチー。札幌競馬場のダート1000メートルで3番人気5着、という結果が残っている。

 ダートで使い続けて3戦目に初勝利を挙げたゴールドシチーはその後、当時1200メートルで行われていた札幌3歳ステークスで2着に入ってオープン入りを果たすと、函館1700メートルのコスモス賞(当時)で勝利し2勝目をマーク。これは芝での初勝利ともなった。

 そして陣営が次戦に選んだのは、年末のGI・阪神3歳ステークス(現・阪神ジュベナイルフィリーズ。1991年から牝馬限定戦となった)。ここで2番手から押し切る横綱相撲を見せ、見事関西のジュニアチャンピオンに輝いた。

 ちなみに初勝利は逃げ、コスモス賞は差し、このレースは先行と、自在な脚質を披露しているが、このころから先頭に立つとソラを使う(サボる)クセが出てきたので、控える作戦(差し)がメインとなっていく。

【ウマ娘】ゴールドシチーはリアルでも超美形で遅刻魔だった。史実での破天荒エピソードやゲームの元ネタを紹介

 ここまでは順風満帆な競走馬生活を送ってきたように見えるゴールドシチーだが、じつはそうでもなかった。父ヴァイスリーガル譲りの気性難が随所に出てきていたのである。

 有名なのが“馬なのに早起きが苦手”だったこと。調教は基本的に早朝から行われるのだが、朝起こそうとすると暴れて手が付けられず、ようやく起きてきたと思ったらもう10時……というありさま。条件馬(『ウマ娘』のPre-open)のレースは午前中に行われることが多いので、もし早めにオープン馬になれていなかったらどうなっていたのだろうか……? 遅刻と門限破りの常習犯という設定は、間違いなくここから来ているはず。

【ウマ娘】ゴールドシチーはリアルでも超美形で遅刻魔だった。史実での破天荒エピソードやゲームの元ネタを紹介

 では、おもにオープン馬のレースが行われる午後になったら機嫌がいいのかというと、さにあらず。4歳(現表記で3歳、『ウマ娘』でのクラシック級)初戦となったスプリングステークスでは、パドックで大暴れして出走前からバテバテに。そんな状態で勝てるわけもなく、6着に終わる。

 続く皐月賞では疝痛(腹イタ)を起こす。そのせいかパドックでもおとなしかったが、「さすがに勝ち負けにはならないだろ……」とファンの評価を落として11番人気に。それでも後方から怒濤の追い込みで2着に食い込んでくるのだから、競馬はわからない。

 日本ダービーは陣営のがんばりもあって絶好調でレースへ向かい、2番人気に支持される。しかし今度は最後必死に追い込むも、優勝争いをすることもなく4着となった(それでもすごい成績なのだが)。勝ったのは、前年に朝日杯3歳ステークスを制し、関東のジュニアチャンピオンとなっていたメリーナイスだった。

 余談ではあるが、メリーナイスは映画『優駿』にて、オラシオン号のモデルとなった馬。その手綱を取っていたのは根本ジョッキーで、現在女性ジョッキーとして活躍する藤田菜七子騎手の師匠、根本康広調教師その人である。

03

 さて、秋になって休養が明けたゴールドシチーは、神戸新聞杯で始動。ここで3着に入ると、続いては秋に行われていた京都新聞杯に出走し、3着に入線する。残念ながら、スタート直後に落馬事故を起こしていたため失格処分になってしまったものの、仕上がっているところはファンにも伝わっており、本番の菊花賞では2番人気となった。

 ここで武豊騎手の先輩でもある名手、河内洋騎手を背に会心のレースをするのだが、惜しくも届かず2着に。なお、勝ったのは皐月賞馬サクラスターオー。杉本清アナウンサーの「菊の季節にサクラが満開!」の名フレーズで有名となったレースである。

 その後はタマモクロス(対戦成績0勝3敗)やオグリキャップ(同0勝1敗)、ヤエノムテキ(同0勝1敗)、イナリワン(同0勝2敗)といった『ウマ娘』でもおなじみのスターホースたちの台頭の前に勝利から見放され、1989年の宝塚記念10着を最後に引退を迎えることになる。

 皐月賞以後に出走したレースはいずれも2000メートル以上の中長距離で、最高着順は1988年の京都大賞典(芝2400メートル)と1989年の大阪杯(芝2000メートル)の3着。3200メートルの天皇賞(春)には2回出走して、いずれも敗れている。最高のデキで2着に終わった菊花賞のこともあり、どうやら長距離は向いていなかったのかもしれない。けっきょく阪神3歳ステークス以降は1勝もできず、生涯成績は20戦3勝(うち重賞1勝、GI1勝)だった。

引退後の悲劇

 引退後は種牡馬になれなかったが、現役時代のすぐれた実績を買われ乗馬(馬術競技)としての訓練を受けていた。しかし、どうしてもほかの馬たちとなじむことができなかったようで、毎日ケンカばかりしていたようだ。

 そして引退の翌年、牧場で重度の骨折をしているところを発見され、その場で予後不良と診断。ケンカしたのか、癇癪を起こして柵でも蹴ってしまったのか、真相は不明である。

 本コラムでは今後も頻出単語となるであろう“気性難”だが、じつは悪いことばかりではない。気性難=勝負根性がある、ということでもあり、それがいいほうに出た馬たちは皆活躍しているのだ。ゴールドシチーも類いまれな競り合いの強さがあった馬なので、いいほうに出たと言えるだろう。

 ちなみに、ゴールドシチーを始めとした美形馬の代名詞でもある“尾花栗毛”だが、菊花賞馬のトーホウジャッカルを始め、スペシャルウィーク産駒には非常に多いと言われている。さすがスペちゃん、そんなところでも主人公力を発揮しているのね……。

著者近況:ギャルソン屋城

 リアル競馬&競馬ゲームファンでもある、週刊ファミ通『ウマ娘』担当ライター。課金は月1回のデイリージュエルパックだけだが、JRAには毎月もっと課金している(無償の愛)。今年はとくに負けすぎて夏は放牧されることに! 助けて!!

 この夏は新シナリオの実装を心待ちにしております……。

『ウマ娘』注目記事