GDC アワードでパイオニア賞を受賞したセガ・ゲームス小玉理恵子氏にインタビューを実施。その足跡を振り返る。

 先日アメリカ・サンフランシスコで開催された世界最大のゲーム開発者会議、GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス) 2019。その会期中、ゲーム業界の発展に貢献した開発者に贈られるGame Developers Choice Awards(以下、GDCアワード)のパイオニア賞に、セガゲームスの小玉理恵子氏が選ばれた。

 同賞の受賞を記念して、ファミ通.comでは小玉理恵子氏にインタビューを実施した。1984年にセガ・エンタープライゼス(当時)に入社してからグラフィックデザイナー、ディレクター、プロデューサーとしてキャリアを重ね、数々のゲーム開発の現場で手腕を奮ってきた小玉氏。セガの家庭用ゲーム機創世記から現在までをともに歩み続けてきた中での印象的なエピソードと、その時々の想いをじっくりと語っていただいた。

小玉理恵子(こだまりえこ)

神奈川県出身。A型。1984年にセガ・エンタープライゼス入社。グラフィックデザイナーとして『チャンピオンボクシング』や『アレックスキッドのミラクルワールド』などに参加。『ファンタシースター』ではキャラクターデザインも務め、続くシリーズにも深く関わっている。以後はディレクション、プロデュース職へと進み、『魔法騎士レイアース』や『エターナルアルカディア』、『セブンスドラゴン』シリーズといったRPGタイトルをヒットに導く。現在は“SEGA AGES”シリーズのプロデューサー兼ディレクターとして活躍中。

セガを選んだきっかけはモノを作る仕事をしたくて

――GDCアワードパイオニア賞の受賞おめでとうございます。まずは、受賞を聞いたときのお気持ちをきかせください。

小玉受賞はSOA(セガ・オブ・アメリカ)からメールで知らされたんですけど、最初はそれに気づいていなくて、下村(一誠氏。“SEGA AGES”シニアプロデューサー)から「おめでたいことがあるので、メールを見てください!」と言われて気が付きました(笑)。 GDCさんからのコメントでは「何十年ものあいだゲーム開発者として、ジェンダーや時間の制約を乗り越え、ゲームの制作に携わり続けてきました」とあるので、そこを評価していただいたのならありがたいことです。

――日本人では『パラッパラッパー』の松浦雅也氏、『バーチャファイター』の鈴木裕氏に次いで、3人目の受賞となりました。

小玉すでにセガはお辞めになられていますけど、先輩の裕さんに続いての受賞となったのはすごく嬉しいです。

――学生時代から年代を追ってお聞きしたいのですが、入社前からビデオゲームに対して興味はあったのでしょうか。

小玉それほど深い興味はなかったんですけど、実家が喫茶店を経営していたこともあって、高校生くらいからビデオゲームにはなじみがあったんです。店を閉めてから『スペースインベーダー』や『ギャラクシアン』といったタイトルを遊んでいましたし、両親もゲームには理解がありました。

――では、ゲーム会社に入社しようと思ったきっかけは?

小玉専門学校で広告向けのグラフィックデザインの勉強をしていたのですが、それとは違う自分で何かモノを作る会社に入りたいという気持ちからです。それと、ゲームの会社って何をやっているかわからないですよね。

――入社された1980年代ですと、いま以上に何をやっているのかわからなかったでしょうね。

小玉ええ(笑)。学校の先輩がセガに入社していたのも理由のひとつでしたが、家庭用ゲーム機はSG-1000が発売されたころだったので、広告デザインといってもそんなに幅広い仕事があるわけではありませんでした。アーケードゲームなら店内貼りのポスターくらいでしたし。なので、入社したときは、「自分に何ができるんだろう」という気持ちでした。

――入社後の仕事は想像通りでしたか?

小玉学生時代はタイポグラフィーなどを学んでいて、キャラクターデザインの知識があったわけではなかったので、最初はちょっと戸惑いましたね。絵は学生時代から描いていたんですけど、そこまで熱心ではなくて。ゲームの世界だとキャラクターのデザインに加えて、それをアニメーションさせなければいけない。部署の先輩が、どうすればそれっぽく、かつ容量を使わずに動くかのコツを教えてくれたので、実地で学んでいきました。ブラウン管のテレビに映ったときに“いい感じに”見えるテクニックですとか(笑)。

――デザイン作業はどのように行っていたのでしょう。

小玉私の世代だと最初からデジタルでした。デジタイザーという専用のツールがあって、まずはそれの使いかたを学ぶところからですね。モニターが2台並んでいて、片方のモニターにライトペンをコツコツと当てると、隣のモニターにゲーム機上と同じドット絵が表示されるので、それをROMに焼いてプログラマーに手渡しする……そんな作業でした。先輩デザイナーからは、専用の方眼紙に色鉛筆で色を塗ってキャラクターを描いていた(アナログ時代の)資料を見せてもらいましたね。

――デビュー作の『チャンピオンボクシング』では鈴木裕氏がプロジェクトリーダーでしたが、記憶に残っていることはありますか?

小玉あります。私はまだ入社して半年くらいのド新人だったので、裕さんが私の隣に座って、いろいろレクチャーしてもらって作り始めました。しかし、個性あるキャラが作れず四苦八苦しました。そこに裕さんや、企画を担当していた石井洋児さん(『ファンタジーゾーン』のプランナー)、先輩デザイナーの川崎吉喜さん(『フリッキー』のグラフィックデザイナー)から、アドバイスをいただいて、ボクシングゲームなのに、頭身の低いキャラをメインにしたコミカルな方向性が決まっていきました。プレイヤーキャラクターは川崎さんが、敵のキャラクターと背景を私が担当した記憶と覚えています。

『チャンピオンボクシング』(1984年発売)

――鈴木裕さんからは以前「ゴングを丸く描けなくて小玉さんが悩んでいた」というエピソードを聞いたことがあります(以下の記事を参照のこと)。

小玉そんなこともあったかな(苦笑)。でも不思議なもので、川崎さんが描くと鳥は鳥っぽく、ネコはネコっぽく四角いドットが丸くかわいく仕上がる。そういったドット絵の描きかたを教わっていましたね。

――『ファンタシースター』や『ファンタシースターII 還らざる時の終わりに』を経て、最後にグラフィックデザインの仕事をされたのは『ファンタシースター 千年紀の終りに』(以下、『千年紀』)でしょうか?

小玉じつはサターンの『魔法騎士レイアース』でもドット打ちをやっていました。肩書はディレクターだったのですが、締め切りに間に合わなくてちょっとしたイベントアニメーションを描いた記憶があります(笑)。

――サターン時代の開発現場だとすでに分業化が進んでいたかと思うのですが、監督が打席に立たないといけない状況だったと(笑)。

小玉ええ、分業はかなり進んでいましたね。メガドライブ時代だと、グラフィックデザイナーはひとつのプロジェクトに関わっている期間が短いんです。プランナーやプログラマーは最後のデバッグまでやるけれど、デザイナーは絵がある程度まで完成したらつぎのプロジェクトに移る。多いときには、年間6タイトルくらいに関わっていた時代がありました。

――それがディレクターとなると、年間に1タイトル以上のペースに。

小玉そうですね、1~2年くらいの期間は。私はとくに、RPGを多く作っていたので、余計に長くなってしまう。『千年紀』のときは、肩書としてのディレクターは当時課長だった林田(浩太郎氏。『ファンタシースター』シナリオ担当)さんですが、チームリーダーは私で。たしか『千年紀』が終わったタイミングで、企画課に異動したんじゃなかったかな。

『千年紀』の経験から“ゲームの全体を見る仕事”に

――ディレクションの仕事をしようと思ったきっかけは?

小玉『千年紀』の開発を経たことですね。あれの開発チームはプランナーが存在しなくて、デザイナーの小玉と吉田徹さん、津川一吉さん、西山彰則さんの4人で企画立案をしようというところから始まっていて、シナリオは吉田さんが、スクリプトは西山さん、エネミーの設定やパラメーターは津川さんがと、ゲームの根幹はこの4人で作り上げたんです。しかも、プログラマーやサウンド担当者も、我々のチームと同じ部屋で作業をするというイレギュラーなチーム編成で。開発中はそうは思っていなかったけれど、振り返ってみるとそこで“ゲームの全体を見る仕事”をやりたいなという気持ちが強まって、転向したんだと思います。あまりはっきりとは覚えてませんけど(笑)。

『ファンタシースター 千年紀の終りに』(1993年12月17日)

――ディレクターに転向したことで、ゲーム作りに対するアプローチは変わりましたか?

小玉アプローチは変わらなかったと思います。“ゲームをどうおもしろくするか”と“それをどうやって宣伝して売るか”を考えていました。最初にディレクターとして手掛けた『魔法騎士レイアース』はCLAMP先生が原作の少女漫画でしたから、女性に担当してもらうのがいいんじゃないの、と任された部分もあったと思うんです。 CLAMP先生は何作も拝読していましたし、初ディレクションという意味では幸運な出会いでした。

――『レイアース』は原作やアニメファンからの評価が高かったですね。

小玉原作者CLAMP先生ご自身のイベントにも呼んでいただいて、ゲームの説明をさせていただきましたね。その後はちょっとだけ開発現場を離れて、奥成(洋輔氏。“SEGA AGES”シリーズスーパーバイザー)の隣で仕事をしていたのですが、当時の上司の大場(規勝)さんに「手伝ってほしいタイトルがある」とおしゃっていただき現場に戻ったのが『DEEP FEAR』でした。プロデューサー的な立ち位置での仕事でした。

――そこでもゲーム開発に対するアプローチに変化が?

小玉『千年紀』や『魔法騎士レイアース』のころから、“どう売るか”ということに片足を突っ込んでいたので、「今日からプロデューサーだ!」と身構えるような、大きな変化はなかったと思います。ただ『DEEP FEAR』のときは、外部の開発会社さんや著名なクリエイターの方々とお仕事させていただいたのと、映画館でのシネアドなど変わった宣伝手段をしたことが刺激的で、より広い世界を学ばせてもらって、それが次のステップに繋がりましたね。

『DEEP FEAR』(1998年7月16日発売)

――新しい世界、新しい刺激に目が向いていくのは、ご自身のパーソナリティーとも共通している部分なのでしょうか。

小玉ほかのプロデューサーの方に比べたら小さい世界だと思いますけどね(笑)。でも、仕事の上で周囲の方々が何かしら持っているモノを見せていただいたりすることに興味が向いている部分はあるかもしれません。

「サターン時代は容量が莫大になってゲーム開発がたいへんになった」と当時を振り返るひとことも。

プロデューサーとなり感じた異文化交流の刺激

――ドリームキャストの時代では、『エターナルアルカディア』のプロデューサーを務められました。

小玉プロデューサーとはいうものの、考えかたとしてはやはり“ゲームをどうおもしろくするか”と“それをいかに人々に届けるか”に力点があったかと思いますね。

――とはいえ、役職としてはディレクターよりもひとまわり大きな力を持つことになりました。

小玉そうですね。ディレクターやプランナーが考えてきたアイデアに対してイエス・ノーの判断をしてゲームの最終的な方向性を極めるのはプロデューサーの役割。そういった部分は、それまでにやってきた仕事での経験が活きていたと思います。

――プロデューサー時代に感じたことは?

小玉ゲームの規模が大きくなり、制作スタッフの人数が増えたことですね。あくまでイメージですけど、メガドライブ時代が数人、サターン時代が十数人、ドリームキャスト時代が数十人とスタッフの数が増えていった印象です。オーケストラ収録や声優のキャスティングといった専門的な分野が増えていきました。内部と外部に大人数のスタッフを抱え、どうやったらスタッフのみんなの仕事がしやすくなるかの環境作りを意識するようになりましたね。

――『エターナルアルカディア』は、どんなことを念頭に開発を?

小玉ハードメーカーとしてはゲーム機の機能を活かさなければなならないのですが、使い切るというのはけっこうたいへんなことでした。ゲーム本編以外にも、ビジュアルメモリーのミニゲームまでと、あらゆる部分を作っていましたからね。正直、いま思えばあれはやりすぎだったと自分では思っているんです。一度に全部詰め込まないで、つぎに残しておいてもよかったんじゃないかと(苦笑)。ただ、私たちの矜持としては、「あらゆる手を尽くしてすべてがおもしろかった」といってもらえるモノを作ることでしたので(そこは手が抜けなかった)。そうじゃなければ、通常戦闘と砲撃戦、2種類の戦闘を作ろうなんて思わないですよ(笑)。でも、それを作ることで世界観をちゃんと表現できたと思っています。

『エターナルアルカディア』(2000年10月5日発売)

――『エターナルアルカディア』には思い入れがありそうですね。

小玉もちろん関わったタイトルのそれぞれに思い入れはありますけど、『エターナルアルカディア』のときはすでにプロデューサーだったので、みんなが作りたいものをなるべく実現することに意識が向いていました。どちらかと言えば『魔法騎士レイアース』のほうが、自分のやりたいようにはやっていたかも。『セブンスドラゴン』の苦労は一番記憶に新しいです(笑)。

「関わってきたどのタイトルにも苦労や楽しさやある」と振り返る。

――その『セブンスドラゴン』シリーズでは、外部のクリエイターとのタッグを組みました。

小玉『エターナルアルカディア』が終わったときには気力・体力的な面から「もうそろそろRPGはいいかな」という気持ちがあったし、周囲も「別のことをやったら?」という空気でした。そのときに、「新納一哉さんがディレクションされる新作RPGのプレゼンがあったのでプロデュースしてみないか」と当時部長だった川越隆幸(サミーネットワークス代表取締役社長 )さん経由で持ちかけられたんですけど、前述のようにお断りしかけたら「何いってんだ、まだまだデキるやろ!」と発破をかけていただきました(笑)。

――(笑)。『セブンスドラゴン』の開発で印象的な出来事は?

小玉RPGを社外のスタッフと作るのは初めての経験でしたし、最初は考えかたの違いに面くらいました。新納さんはもともとアトラスで『超執刀 カドゥケウス』や『世界樹の迷宮』を手掛けられていた方ですし、開発のイメージエポックさんもさまざまな会社から集まってきた方々で構成されていて、“文化”が全部違ったんですね。そのため、用語も違えば手法も違うとあって、それが原因でトラブルになることもあったのですが、作っているときはおもしろかったですね。セガ社内でも「毛色の違うタイトルを作っているな」という空気で見られていて、気分は異文化交流でした。

『セブンスドラゴン』(2009年3月5日発売)

――新納さんは当時どんなやり取りを?

小玉新納さんはディレクターでありつつもプロデュース能力に優れた方で、「こういうふうに宣伝をして広めていきたい」といったアイデアをすごく出してくれたので、私たちプロデュース側は、いかにそれを実現していくかに注力しました。それもあって、『セブンスドラゴン』はすごくディレクターの色が濃く出た作品になったと思います。新納さんは「自分がユーザーだったらこういうRPGを遊びたいんだ!」というのをぶつけてこられる方だったので、セガではチョイスしないであろうシナリオやキャラクターデザインのスタッフ起用をするんですね。セガの内作とはまた違う考えや手法に触れられたのは、いい刺激でした。

毎回最後のつもり で開発現場と向き合っている

――そして現在では“SEGA AGES”のプロデューサー兼ディレクターとして活躍されています。冒頭でお話いただいた過去作品にもう一度触れるのは、どんなお気持ちでしょうか。

小玉自分が手掛けてきたタイトルをリメイクするということは、これまで考えたことがないんです。かつて奥成から『ファンタシースター』のキャラクターイラストを『ファンタシースター コンプリート コレクション』に収録したいと言われてときには、「そんな古い絵は絶対にイヤ!」と断りましたし。なので、いまでは開き直った部分はありますね(笑)。

『SEGA AGES ファンタシースター』(2018年10月1日発売)

――過去はあまり振り返らない?

小玉私自身としてはリメイクって、その当時にプレイした方々が感じた思いをぶつけて作っていただくのがいいのかな、と思っています。それぞれのタイトルを手掛けたときは、当時の自分なりの100%の全力を尽くしているので、「これをやっとけばよかった」みたいな後悔はないんです。(しばらく考えてから)こういうとみんなから怒られちゃうけど、毎回が遺作になってもいいつもりで作っているんですよ。

――遺作ですか!

小玉本当にそれくらいじゃないと気持ちのこもったものは作れないので、毎回「これが最後だ」というつもりで作っていました。

――では、ゲーム開発からリタイアしようと思ったことも……?

小玉プロジェクトが終わるごとに「もう辞めよう」と思っています(笑)。というのも、開発期間中の1~2年は人との関わる密度がすごく高まるんですけど、終わったときには、毎回ひとりきりになりたくなるんです。でも、しばらくして新しいプロジェクトが少人数からスタートすると、新たなモチベーションが湧いてくる。それのくり返しな気がしますね。

――ゲームを作りたい気持ちが戻ってくる理由はどこにあるのでしょうか。

小玉自分のタイプとしては多くの人たちと関わってモノを作り上げていくのが楽しいからじゃないかと思います。女性だからといってスポイルされることもなかったので、嫌気が刺すこともありませんでしたし(笑)。

――女性開発者であることを不利に感じたことはない?

小玉ええ。昔からのセガの社風なのか、女性だからといって不利を感じたことはありませんでした。かれこれ、30年以上開発職にいますが、入社当初から男女の区別なく、仕事をしてこられていました。

デザイン部署はもともと女性スタッフが多かったため、肩身が狭い思いをすることはなかったそう。

――では最後に、これからのご自身の展望をお聞かせいただいて、締めとさせていただければ。

小玉うーん、いまのところまだ“SEGA AGES”が道半ばなので先のことが考えられないというのもあるんですどね……。

――世話のやける息子が(笑)。

小玉(笑)。毎月のようにリリースをしているので、夏くらいになったらなにか思いつくかもしれません。そういえば、7~8年前までは「女性向けのゲームを作りたい」と、事あるごとに言っていましたね。

――ほう!

小玉女性をターゲットにしたRPGやアドベンチャーゲームを作りたいと思っていましたね。当時はまだ、スマートフォン向けアプリゲームの人気が高まる前で、コンシューマー向けでもニッチなままの状況でした。それが現在ではスマホというすでに持っているデバイスでゲームが楽しめること、作品がアニメ化されることでの相乗効果などもあって、多くの女性がゲームを楽しむ時代がやってきました。ですので、機会があれば、ゲーム以外のメディアを巻き込んで、女性に受けるモノを作りたいと思っていましたね。これまでは男性ターゲットのタイトルを作り続けてきたので(笑)。

――では、仕事と関係なくやってみたいことは?

小玉自分が若いころにやりたくてできなかったことをやってみたいですね。もともと史学が好きで、それを突き詰めたいという思いがどこか残っているんです。それはゲーム開発をリタイアしたら始めようと思っています。

――ありがとうございました。ますますのご活躍を期待しています!

小玉理恵子氏開発タイトルリスト

チャンピオンボクシング(デザイナー)
忍者プリンセス(デザイナー)
カルテット(デザイナー)
アレックスキッドのミラクルワールド(デザイナー)
ダブルターゲット シンシアの眠り(デザイナー)
ファンタジーゾーンII オパオパの涙(デザイナー)
ファンタシースター(デザイナー)
獣王記(デザイナー)
アレックスキッド 天空魔城(デザイナー)
ファンタシースターII 還らざる時の終わりに(デザイナー)
シャドー・ダンサー ザ・シークレット・オブ・シノビ(デザイナー)
ソニック・ザ・ヘッジホッグ(デザイナー)
ファンタシースター 千年紀の終りに(デザイナー兼チームリーダー)
魔法騎士レイアース(ディレクター)
DEEP FEAR(プロデューサー)
エターナルアルカディア(プロデューサー)
エターナルアルカディア レジェンド(プロデューサー)
獣王記 -PROJECT ALTERED BEAST-(プロデューサー)
ソニーコンピュータサイエンス研究所 茂木健一郎博士監修 脳に快感 アハ体験!(プロデューサー)
ソニーコンピュータサイエンス研究所 茂木健一郎博士監修 脳に快感 みんなでアハ体験!(プロデューサー)
齋藤孝のDSで読む三色ボールペン名作塾(プロデューサー)
セブンスドラゴン(プロデューサー)
セブンスドラゴン2020(プロデューサー)
セブンスドラゴン2020-II(プロデューサー)
SEGA AGES(Nintendo Switch版リードプロデューサー兼ディレクター)
など多数