『Owlboy』完成までの苦難の道のりとは?

 2017年2月27日~3月3日(現地時間)、アメリカ・サンフランシスコ モスコーニセンターにて、ゲームクリエイターの技術交流を目的とした世界最大規模のセッション、GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)2017が開催。開催初日の2月28日、“Independent Games Summit”のひとつとして、D-Pad StudioのCEO・Jo-Remi Madsen氏(以下、マドセン氏)と、アートディレクター・Simon Stafsnes Andersen氏(以下、アンダーセン氏)による『Owlboy』に関するセッション“'Owlboy'': The Evolving Art of a 10 Year Project”が行われた。

 『Owlboy』を改めて説明すると、同作は2007年から開発がスタートし、2016年11月にSteam向けに発売が開始されたインディーゲーム。タイトルの完成に漕ぎつけるまで、およそ10年におよぶ開発期間を経たわけだが、精密に描き込まれたドット絵やキャラクターのアニメーション、謎解き要素のあるスクロールアクション、RPG的なストーリーテリングなどがユーザーから高い評価を得て、数々のインディーアワードを受賞している。

 このセッションでは、前述の通り10年近い歳月を掛けた『Owlboy』が誕生する課程にはどのような困難があったのか、開発の当事者たちの口から語られた。10年というと、ひとつの家庭用ゲーム機の平均的な世代交代までの期間を上回ってしまうわけだが、そうした中でゲームのクオリティを適切に保つ(ゲームが発売される時代にふさわしい品質のものにする)ためには、どのような注意点があるのだろうか。以下では、D-Pad Studioが長期にわたる『Owlboy』開発期間中に乗り越えなければならなかったという難題の実体験について、要点をまとめて紹介していく。

ゲーム開発を救ったのは“捨てる勇気”! 名作インディー『Owlboy』が完成するまでの10年間【GDC 2017】_06
▲SIMON STAFSNES ANDERSEN氏(写真左)と、JO-REMI MADSEN氏(写真右)。

ゲーム開発期間中に大統領が3人も!

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 セッションの冒頭、彼らが自嘲気味に語ったのは、『Owlboy』の開発に着手したのは、ジョージ・w・ブッシュ氏が大統領の時代だったということ。以降、アメリカはバラク・オバマ氏が8年にわたって大統領職にあったわけだが、ゲームがリリースされた2016年11月というと、かのドナルド・トランプ氏が大統領選で勝利を収めたころ。ともかくゲームの完成までには、長い長い時間が必要だったというわけだ。ちなみに、『Owlboy』は当初、Xbox 360向けに開発されていたという。そんな『Owlboy』が、XNA(2014年までMicrosoftが提供していたXbox 360向け開発環境。Xbox 360をインディーへ開放する際に公開された)よりも長生きすることになるとは、D-Pad Studioの面々は考えもしなかったそうだ。

 商業的なゲームプロジェクトの経験がなかった彼らのタイトルは、リリース前ながらGDCのインディー部門賞にノミネートされて世間の注目を集めることに。それをきっかけに、さまざまなインディーイベントに参加し、多くの知己からの声を得て、それらのフィードバックを集めながら、ノート1冊分のアイデアや、殴り描きイラストを溜めていったという。当時は、現在のように成長したインディーシーンはまだ存在せず、いまのような優れたゲームエンジンもなく、オンラインのゲーム制作学習サイトもない時代。彼らは、本当にイチからすべてを作る必要があったのだ。

 ともかくちゃんと動くものを作ろうと、最初のデモができあがったのは、開発着手から約4年後の2011年。ただし、このときのデモは非常にデキが悪く、攻撃のための弾もまともに連射できないほどだったとのこと。この時点ではカッチリとしたチュートリアルがあったとのことだが、最終的には削除し、プレイしながら操作を把握していけるような設計になるなど、完成形とはかなり異なる設計となっていた。

 さらに、難航する開発に追い打ちを掛ける問題が発生する。液晶モニターのワイドスクリーンの液晶モニターの急速な普及だった。それまで作っていたものをワイドスクリーンに対応させると、どうしても表示がおかしくなってしまう。2Dのドット絵と解像度を、うまくワイドスクリーンに対応させるためには、いろいろと技術的にクリアすべき問題があり、これを解決するためには多くの手間暇を要したとのこと。これによって、『Owlboy』はプログラム全体の組み直しを迫られたのだ。

 また、開発途中のものを見た周囲の人たちからの反応も、タイトルのスケールを不用意に拡大させてしまう方向に作用してしまう。そうした人たちからは、「いいね!」という声と同時に、「こういう感じのゲームってことは、●●要素も当然あるよね?」というような声が。D-Pad Studioの面々は、「それは作らないと!」という具合に周囲の声を真に受けてしまい、何度となく仕様を変えていく理由になったそうだ。しかも、そうした後づけで作った要素のほとんどは、人々が求めるクオリティとは程遠いものに。思い悩んだ開発スタッフがつぎに取り掛かったのは、“すでに存在している要素を磨き上げる”ことだったいう。結果、当初は静止画だった背景(たとえば雲など)は、アニメーションするように変更。また、生命感と浮遊感が出るように、枝や浮遊石のような小物もふわふわ動くようになった。ゲームに入れるものは、何らかの形でプレイヤーや環境と相互作用(風で揺れる・触れられる)するようにする、ということが“すでに存在している要素を磨き上げる”うえでのポリシーだったとのこと。

 さら、そのままだとカクカクした感じになってしまうドット絵のアニメーションを改善。これは、テクニカルプログラマーがアルゴリズムを書いて修正したのだが、実現するのはかなり難度が高く、『Owlboy』における“ある種の技術的達成”と胸を張る。その後も、キャラクターのアニメーションがカクカクしているというフィードバックを受けて、細かなアニメーションを追加したり、ステージに“命を吹き込む”ために風を加えたりといった洗練を継続的に実施。アートディレクターのアンダーセン氏は、「スーパーファミコン時代には、カラーパレットをずらすことで揺らすように見せるメモリ節約テクニックがあったが、我々はそれと似たアプローチで、ゲーム内のものには複数のテクスチャーを持たせられるようにして、さらにテクスチャーはアニメーション中でも外部からの干渉を受けられるようにしてある」と語った。これのおかげで、茂みが風を受けてなびいたり、プレイヤーが踏み込んだときに揺れたり、物が投げ込まれたときに揺れて、さらにパーティクルを出したりできるようになったという。

どんどん進化していく“現在の基準”

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 もともと『Owlboy』は、“ドット絵に再び人々の注目を集め、現在の基準を満たす素敵なゲームにする”ことを大きなテーマとしていた。つまり、ドット絵という昔ながらの表現手法を取りつつも、ゲームファンの最新の期待に答えることを追いかけ続ける側面を持つプロジェクトだったのだ。この点で問題になるのは、ゲーム業界におけるテクノロジーもドット絵技術の進化だ。10年近い開発期間の中では、“現在の基準”そのものがどんどん変わってしまう。

 これについては、ある時期から、品質を追い求める上で、やりすぎを避けることも考えざるを得なくなったという。開発が進むに連れ、アーティストのドット絵の腕前が上がったことから、「やり直そう」という話も出たようだが、この案をTwitterに投稿したところ、ソフトの発売を期待する多数のファンに止められたという。これについてアンダーセン氏は、「それってつまり、何もかも作り直しになってしまうということだから……。そりゃそうなんですよね。あのときに作り直す判断をしていたら、800のアニメーションがやり直しになるところでした」と、当時の賢明な判断(?)を振り返っていた。

 また、マドセン氏は、「だから最終的には、ある程度のところで手を打ったところもある。一部は差し替えたけれど、とても全部は無理でした。そしてボクらは、8年モノのスプライトとアニメーションをやり繰りしていったわけです。だから『Owlboy』を遊んでもらうと、序盤と終盤ではクオリティがぜんぜん違うところがあると思います(笑)」と、同作についての正直な想いを告白。『Owlboy』のような長期プロジェクトにおいて、すべての要素を最新の“スタンダード”まで引き上げることの困難さを解説していた。

『Owlboy』の作風には困難だった制作現場の状況が反映されている

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 開発期間の後半には、チームメンバーは体力的にも精神的にもギリギリの状態になっており、マドセン氏とアンダーセン氏は、「何とかまとめないと」という気持ちでいっぱいだったという。このころには、開発プロジェクトの終わりが見えてきてはいたものの、ここでゲームの雰囲気が大きく変わったという話はとても興味深い。とにかく心身ともに必死で、また、私生活でも色々な出来事が続き、それがゲームの雰囲気に影響を与えたというのだ。

 『Owlboy』の開発難航がいろいろな人たちを失望させてしまったという気持ちから主要スタッフが精神を患ってしまったり、ほかのスタッフもまだ30代だった親友を心臓発作で亡くしたりと、気落ちするような状況が連続。ある仕様のカットには、「もしかしたら、僕自身の人生が壊されてしまったと感じたことが影響したのかもしれない」と語られるほどだ。そういう暗いところが、本作のトーンを変化させていった。

 だが、この暗い時代がそれまで散漫だったストーリーをまとめていくことに繋がったというのだから、人生は何が幸いするのかわからないもの。『Owlboy』のストーリーは、暗い雰囲気を持ちつつも“友情”というテーマを描く、洗練されたものとなっていく。マドセン氏は、「陳腐に聞こえるかもしれないけれど、開発自体もそれが原動力になっている部分もあったので、“友情”は感情移入しやすいテーマだったと言えるかもしれない。たとえば最初は、相棒のギャビーも“主人公を知らない他人”だったものが、最後の最後でストーリーを変えて、“何があっても一緒にいる親友”になった。イントロの部分が暗く落ち込んだ雰囲気になっているも、“ずっと延期を続けて人々を裏切り続けてきた”という気持ちがあり、それを示すためだった」と語った。

ゲームの完成度を決めたのは“捨てる勇気”

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 さて、上記のような苦しい状況が続くなか、高いクオリティのゲームをリリースするに至った最後のパーツは何なのだろうか。そのためにもっとも重要で、もっとも悩んだというのが、いろいろな要素をカットし、ゲーム全体をシェイプすること。じつは、前述の通り、かなり前の段階で不要な要素はカットしたものの、それでもまだ入れ込みたい要素はたくさんあったという。

 そうした中から不要な部分をキッパリと諦め、シェイプしていく判断基準としたのは、“その要素がストーリーを語るうえで必要かどうか”という部分。そのために、アニメーションまで完成させていたキャラクターを不採用にし、ゲームの大きな彩りであるボス戦のいくつかもカット。このボス戦は、改めてほかの人に見せると「なんで完成版に入れなかったの?」と、驚かれるほどデキのよかったものばかりだというから惜しい気もするが、それを入れてしまうとストーリーを成立させるのが困難になったり、ストーリーがつまらなくなってしまうので、ゲーム全体のクオリティを高めるためには必要な処置だったという。

 そのほか、開発終盤でカットされたものは、ダンジョンまるごとや、ストーリーの一部、4人目のガンナーキャラクターなどにも及び(このキャラクターは、武器のロケットランチャーが強すぎてゲームバランスが取れなかったとのこと。ちなみに、ゲームの最後にロケットを作る役として登場)、仕事量にして、なんと1年半分がカットされたというのだから大胆だ。

 恐ろしいのは、ソフトのリリース2週間前の段階でも、追加ダンジョンを入れ込もうとしていたということ。ダンジョンの中に入り口があり、ほかのエリアとつながっている“メガダンジョン”のアイデアがあったそうだが、さすがにこれを完成させるのは現実的ではないという判断でボツに。ただ、その代わりに「いろいろな事情で使わなくなったギミックを継ぎ合わせてここで使おう!」という話になり、比較的空きのあったエリアに入れ込んだところ、「メチャクチャおもしろくなった」という。

 長期間におよぶ紆余曲折を経て「100%とはいえないけど、すごくいいものになった」と、ふたりの開発者みずからが語る『Owlboy』。その完成に至るまでの手探り感、暗中模索ぶり、現場の憔悴ぶりは想像を絶するものだが、何よりも恐れ入るのは、商業ベースでのゲーム制作の経験がまったくないにも関わらず、10年近くにわたってゲームを完成まで持ってくる熱意だ。自分たちの裁量で初めて本格的なゲームを作ろうとする場合、“大傑作”を生み出したいがために、あれこれと要素を詰め込もうとする発想は、誰もがイメージしやすいところだろう。だが、彼らがゲーム作りから得た教訓を聞くに、“その作品にとってもっとも大事な部分は何か”を見定めてそれを磨き上げ、おもしろさと関係が薄い部分は勇気をもってカットしていくことが、開発をスムーズにし、引き締まった魅力ある内容にしていくポイントと言えるだろう。

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▲約10年にわたる開発が終わりを迎えた瞬間。まさに男泣き!