『ミズ・パックマン』の想い出を語る クローンゲームはいかにして本家に認められたか【GDC 2016】

GDC名物のクラシックゲームポストモーテムより、“Classic Game Postmortem: 'Ms. Pac-Man'”をお届け。

●北米で本家を凌ぐ人気を見せたゲームはこのように誕生した

  2016年3月14日~18日(現地時間)、アメリカ・サンフランシスコ モスコーニセンターにて、ゲームクリエイターの技術交流を目的とした世界最大規模のセッション、GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)2016が開催。ここでは、開催3日目にあたる3月16日に行われた“Classic Game Postmortem: 'Ms. Pac-Man'”の模様をお届けしよう。

 ““Classic Game Postmortem(クラシックゲームポストモーテム)”とは、往年の名作をクリエイター自身が振り返るという、GDCの名物企画。本講演では、スティーブ・ゴルソン氏が登壇し、自身が関わった『ミズ・パックマン』についてアツく語った。

▲スティーブ・ゴルソン氏。

 『ミズ・パックマン』とは、1981年にアメリカでリリースされたアーケードゲーム。もともとは、『パックマン』のコンセプトやルールなどを流用して作られた、いわゆる“クローンゲーム”にあたり、あまりのデキのよさからアメリカの『パックマン』の権利元であるミッドウェイから承認を受け、本家をも凌ぐほどの人気も博することになる。その人気にナムコも公認を与え、『ナムコミュージアム』などにも収録され……と、ユニークな経緯を持つ。

 話は、1978年にマサチューセッツ工科大学(MIT)の学生だったケビン・カラン氏とダグ・マクレー氏がふたりで作ったピンボールのビデオゲームを寮に設置し、そこからビジネス展開を考え始めるところからスタートする。当時、ゲームセンターではゲーム機を導入すると最初は売上が上がるが、プレイヤーが上手になるにつれ、徐々に売上げが下がる傾向があった。そこで、“スピードアップキット”と呼ばれる、ハードウェアを改造することで処理速度を上げる製品が作られ、人気を博していたという。ゲームセンターのオーナーからすれば売上が上がり、プレイヤーからすればより手応えのあるゲームを楽しめるためだ。

 『ギャラクシアン』や『パックマン』など、当時人気のあったアーケードゲームには軒並み複数の改造キットが出回っていたという。そんななか、なかなか改造キットが作れなかったのがアタリの『Missile Command(ミサイルコマンド)』。理由はドット単位でのビットマップでの描画だったため、ROMの中キャラクターが入っておらず、改造できなかったためだ。そこで改造キットを求める人が「MITに行こう!」ということになったのだという。1981年、ケビン・カラン氏とダグ・マクレー氏によりゼネラルコンピュータ社(GCC)が設立されたのは、そんな経緯による。創業メンバーは、前述したふたりのほかに、ゴルソン氏ら合計6人のMITの学生たち。彼らは、『Missile Command(ミサイルコマンド)』の改造キットである『Super Missile Attack』を作り上げることになる。

 そこで何をしたのか? 基本的な手法は “リバースエンジニアリング”(製品の構造を分析し、製造方法などの仕様やソースコードを調査すること)。マイクロプロセッサエミュレータでコードを逆アセンブルしてゲームの仕組みを把握し、変更したい箇所を変えていく作業だったという。ただ、逆アセンブルするといっても画面に出力してくれるだけなので、画面に出たコードを手動で打ち直す必要があった。   

 せっかく作り上げた改造キットということで、容易にコピーされてはたまらない。というわけでコピー防止機能なども組み込んだという。そうしてできた、改造キットは、ゲームスタンドの内側に差し込むチップにして、ゲームセンターに売りまくったという。内訳は、12Kバイトの『Missile Command(ミサイルコマンド)』のコードと、4Kバイトの『Super Missile Attack』のコード。

 当時は5月11日に雑誌広告を掲載、5月12日に電話注文が入り、5月17日にゲームが完成……と、相当スケジュールがひどいものだったらしいが、2カ月で1000ユニットを販売し、売上は25万ドルにも及んだという。とにかく「すごく売れた!」のだ。

 さすがにそこまで目立つと版元のアタリに気づかれ、1500万ドルの訴訟を起こされることに! 「いまとなっては想像しにくいかもしれないが、当時にアタリといったら、いまのGoogleとアップル、マイクロソフトとソニーと、このフロアにいる皆さんの企業の半分くらいを足したくらいの……とにかくハイテク企業の代名詞だった」というゴルソン氏の話しぶりもおもしろいが、とにかくすごい企業だったのだろう。訴訟になり、新聞にも載ったという。

 で、どうなったかというと、最終的にアタリは議論が面倒になったのか、GCCのスタッフを雇用することにしたのだという。
アタリ「で、お前ら何がしたんだよ?」
GCC「ゲームが作りたいんだって!」
アタリ「だったら、もうウチで作れよ!」

 という具合だったらしい。「当時アタリは、GCCのスタッフはお金を受け取ったら逃げるだろうと思っていたみたいだけど、そんなことはない。なぜなら私たちはゲームを作りたかったんだから」とゴルソン氏。「アタリが最後まで裁判を続けたがらなかった理由は、これで敗訴となったら、“エンドユーザーは自由にゲームを改造してよい”という前例を作ってしまうからだったんだろうね。当時はゲームの保護にまつわる法整備はぜんぜん進んでいなかったから」(ゴルソン氏)という。

 さて、そんなアタリとの訴訟のさなかでも、GCCのスタッフは新しいゲームを作っていた。「たくさん売れているゲームなら改造チップも多く売れるから……」ということで選んだのが『パックマン』。「予測可能な覚えゲーだったので、そこを変えよう!」という話になったのだという。そして、1981年7月初旬にプロジェクトがスタートする。

 Z-80 エミュレーターとラインプリンター、さらにはゲームセンターのオーナーに修理用に提供されていた回路図を入手と、着々と準備を整えたGCCのスタッフは、改造に着手。グラフィックROMもどうエンコードされていたか、手書きで解析したという。アドレスマップも書き、逆アセンブルしたコードは、180ページ分にも及んだ。

 ゲームの逆アセンブルに取り組み過程で、ゴラソン氏らは、『パックマン』の秘密を発見する。パックマンが角を曲がるときに横滑りするのだ。マップをすべて消したモードも存在した。それで、ゴーストの敵がどう動くのかも理解できたという。

 では、何を変えるのか? まずはひとつしかなかったマップを4つにした。そして各種ランダム要素の追加。まずはモンスターのアルゴリズムの変化。Z-80にはDRAMリフレッシュ用にカウンターがあり、ソフトウェアからアクセスできたので、それをモンスターが向かう先の指定に使ったのだとか。さらに、『パックマン』のハードウェアでは、動かせるのは6キャラだけだったので、余っていた1枠でフルーツを動かすことにしたという。そのうえで、グラフィックスROMに爆発キャラクターがあったので、フルーツが爆発するようにしたらしい。また、オリジナルではボーナスの数字が汚かったので、手前に描画されるように調整。「もちろん、知的財産権の問題を避けるために。キャラクターの名前と姿を変えたよ」とゴラソン氏。『クレイジー・オットー』の誕生だ。

 ちなみにキャラクターのデザインに関しては、当初は方眼紙に書いて、それをコード化、実機にて確認というプロセスが必要だったので、とにかく時間がかかった。それで、“Lite Brite”という発光ダイオードのおもちゃでキャラクターを作って試したのだという。

 そこで、完成した『クレイジー・オットー』をどうしたのかというと、GCCがアタリと契約したことは世間には知られていなかったので、ケビン・カランは当時アメリカで『パックマン』のライセンスを持っていたミッドウェイのデイヴ・マロフスキ氏とコンタクトを取ったのだという。

ケビン「もう聞いたかもしれないですが、アタリは『Missile Command(ミサイルコマンド)』の件で、訴訟を取り下げました。御社にも同じことをしようかと……」
デイヴ「待ってくれ!」

 えらいハッタリもあったものである。数週間後、GCCはバリー・ミッドウェイに『クレイジー・オットー』の販売権を提供する契約を結ぶこととなる。

 その後、ミッドウェイのスタン・ジャロキィ氏から連絡が入る。「主人公を女性にしよう!」というのだ。「それだと男の子が引かないかな?」、「いやいや、『パックマン』は女性に人気なんだって」などというやり取りのあと、『Miss Pack Man(ミス・パックマン)』に着手することを決意。ただし、子どもがいるのでミスではまずい……ということになり、『Pac Woman』に決まりかけ、けっきょく最終的に『Ms Pac Man(ミズ・パックマン)』に落ち着いたという。この間1週間だったとか。

 ちなみに、『ミズ・パックマン』の存在については、ナムコ(当時)は最初から知っていたという。実際のところ、当時の社長である中村雅哉氏に「赤い髪の毛の案は好きではない」と言われたのが、現在のキャラクターデザインに落ち着いた理由なのだとか。

 以下、ゴルソン氏による『ミズ・パックマン』こぼれ話。

(その1)
 当初は自衛策として組み込んだコピー防止策だが、このおかげで『ミズ・パックマン』は6カ月間コピーされなかった。その期間でミッドウェイはかなりの収益を上げた。このコピー防止策についても特許を取得したのだとか。

(その2)
 イースターエッグ(隠し要素)として、“Made by Namco”というメッセージがある。さらに、コード内には、“Hello Nakamura”を残したとのこと。

(その3)
 「255面まで行くと、ゲームがおかしくなるバグがあるよ!」とよく言われていた。でも、「そこまで行くのに何時間かかる? そんなに遊んでいること自体がバグだよ(笑)」って、話しをしていた。

 その後……ゴルソン氏らはハッキングが得意だったことを活かして技術会社GCC Technologiesに。Macをハッキングして内蔵ハードディスクを作ったりと、GCC出身者は各方面で大活躍してこれで終わりかと思いきや……。2002年6月、たまたまケビン・カランが『ミズ・パックマン』がゲームに収録されているのを知り、「俺のロイヤリティは?」と言い出したのだという。結果、ロイヤリティが支払われることに……。ゴルソン氏によると、自分のコードが使われていることを証明するためにリバースエンジニアリングを行ったところ、くだんの“Hello Nakamura”というメッセージが見つかったという。「いまだにロイヤリティを受け取っています」とゴルソン氏。

 講演を締めくくる形でゴルソン氏は、「最後に『パックマン』の開発に携わったすべての方に感謝します。あの作品がなければ、当然『ミズ・パックマン』は生まれませんでした」とナムコ(当時)の中村雅哉氏や岩谷徹氏らにメッセージを贈った。改造キットが本家を凌ぐほどの人気を見せるというのは、あのころならではの話と言えるだろうが、当時だからこその熱気が感じられる講演だった。それにしても、クリエイターにとっては楽しい時代だったんだろうなあ。

▲GCC設立当初のメンバー6人。