コミコン初参戦の須田氏のセッションにファンが殺到

 現地時間2015年7月9日~12日、アメリカ・サンディエゴのコンベンションセンターにて、Comic-Con International 2015(通称:コミコン)が開催。その最終日となる12日、グラスホッパー・マニファクチュア 代表/ゲームデザイナーの須田剛一氏がパネルセッションを行った。

 本パネルセッションは、これまでの須田氏が手掛けてきた作品を振り返る内容となった。

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『NO MORE HEROES』舞台のモデルとなったサンディエゴで須田剛一氏がパネルセッションを開催【SDCC 2015】_03
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▲「ガラガラだったらどうしよう」と心配したという須田氏。だが、会場は立ち見が出るほどの大盛況。

葬儀屋からゲーム業界に! 作る作品も異色なら、経歴も異色!

 ゲーム業界に入る前の10ヵ月間は葬儀屋の仕事という、まったく畑違いの仕事をしていたという須田氏。その須田氏がゲーム業界に入るキッカケになったのはセガの『バーチャレーシング』なのだとか。

 葬儀屋になる前にグラフィックデザインの仕事をしていた関係で、「たまたまセガの会社案内を作る仕事がきたんです。その会社案内とともに『バーチャレーシング』のゲーメストに載せる広告の依頼も受けました」(須田氏)。その広告を作る際、ゲームを開発するAM2研の鈴木裕氏(現YS NET代表取締役社長)から、「広告デザイナーの人にゲームを遊んで、体験したインスピレーションを広告に落とし込んでほしい」という要望があったという。

 当時、ゲームというものは「白衣を着た博士が作っているものとばかり思っていました」という須田氏。だが、実際、AM2研を訪れてみると、須田氏と同世代の若者がカジュアルな恰好でヘッドフォンで音楽を聴きながらをしながら仕事に励んでいる様子を見て、「ひょっとしたら、自分もここで仕事ができるんじゃないか」と思ったことがこの業界で仕事をしたい、と思うキッカケになったいう。

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 そして「プログラミングできない、絵も描けない。だがプロレスが詳しいだけでこの業界に入った」という須田氏は、ヒューマンに入社し、『スーパーファイヤープロレスリングIII FINALBOUT』を手掛け、会社からの上々の評価を受ける。続いて任されたのは『スーパーファイヤープロレスリングSPECIAL』。この作品では、会社から自由に作っていいと言われ、そこでプロレスに対する自分なりの解釈をゲームに込めたい、と思いから、いままで入っていなかったストーリーモードの導入を決め、スミスモリオという主人公の物語をみずから執筆。当初は、ハッピーエンドとバッドエンドのふたつのエンディングを用意していたというが、マスターアップのギリギリになって、「人生がふたつあるのはおかしい。人生はひとつだ。トップに上り詰めた人間は神の領域に近づいて、死を迎える。これこそカリスマだ。死ぬしかないでしょう」と思い立ち、主人公が死ぬエンディングだけにしたという。

 3作目に手掛けたのは幽霊をモチーフとしたホラーアドベンチャー『トワイライトシンドローム』。この作品は最初、別のディレクターが開発を進めていたが、途中でそのディレクターが降板。そこでサポートとして入り、ディレクターとプロデューサーの両方の仕事をこなし、発売までこぎつけたのがこの作品なのだとか。続く『ムーンライトシンドローム』は、いちばん怖いのは幽霊ではなく、じつは人間だという思いから、人間をテーマに狂気の作品を完成させる。だが、「幽霊も怖くて苦手」(須田氏)。

グラスホッパー・マニファクチュアの社名の由来

 『ムーンライトシンドローム』を最後に、ヒューマンを退社し、グラスホッパー・マニファクチュアを立ち上げた須田氏。それまで在籍したヒューマンを退社した理由は「ボーナスが低かったから(笑)」(須田氏)と述べると会場も爆笑。「半分冗談で半分本気です(笑)」。グラスホッパーの社名の由来は、バンドRIDEの曲『Grasshopper』。『スーパーファイヤープロレスリングIII FINALBOUT』の開発時、デビュー作であったため、根を詰めて仕事し、朝から終電まで働き詰め。夕方の休憩時間は晩飯も食べず、ヘッドホンで音楽を聴きながら仮眠をとり、終電までのパワーにしていたという。そこでよく聴いていた音楽が『Grasshopper』だった。初心を忘れないように、そして自分のエネルギーとなった曲、ということで社名にも採り入れたという。

 グラスホッパー・マニファクチュアの記念すべきファーストタイトルとなった『シルバー事件』は、須田氏にとっては初めての完全オリジナルタイトルともなった。テーマにしたのは、既存のテキストアドベンチャーとは違う、まったく新しいタイプのアドベンチャーゲームを作ること。須田氏が考える犯罪像、正義と悪を描いた作品だ。ここで司会者から「ニンテンドーDS版のリリースがまだだが?」との突っ込みが。じつは、数年前のGDCの講演で須田氏が公約したのだが、「聴講者が盛り上げてくれて、調子に乗ってニンテンドーDS版の移植を宣言してしまったのですが、そのうちニンテンドー3DSが出てしまい……。どうしようと思っているところです」と苦笑い。だが、「グラスホッパー・マニファクチュアのデビュー作が遊んでもらえないのは残念なので、何らかの形で遊んでもらいたいと思っています」(須田氏)。

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 『シルバー事件』の開発が終わり、開発スタッフは20人に近くになったことで、3Dポリゴンのグラフィックに挑戦したのがグラスホッパー・マニファクチュア第2弾となる『花と太陽と雨と』。続く『michigan』は紆余曲折があって、制作には苦労したという。

転機となった『killer7』

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 そしてグラスホッパー・マニファクチュア作品の第4弾『killer7』は須田氏にとって、ひとつの転機となる。じつは『killer7』を作る2年前、初めてアメリカに行き、E3を視察。そこで、アメリカの広大さを感じ、E3で世界のゲームが集まっている中、自分のゲームがない、という歯がゆさ。自分自身の実力のなさ、そして自身の存在の小ささを痛感したことがあった。アメリカに行ったことで「早くこの場所でみんなに遊んでもらえるゲームを作ってみたい、というのが夢になりました」(須田氏)。
 
 そんなタイミングで話がやってきたのが『killer7』。カプコンがパブリッシャーとなっていた同作は、製作総指揮を務めた三上真司氏(現Tango Gameworks代表)から、「須田さんのクリエイティブの100%、いやそれ以上を出して、世界へ向けたゲームを自由に作ってくれ」と激励を受け、すべてを任されたという。デベロッパーは、クライアントであるパブリッシャーやそのプロデューサーからの意向により、方針を変えざるを得ない場合もある。しかも、商業的には成功が求められる。そんな中での三上氏の“すべてを任せる”という提案は、異例のことだった。 

 その後、須田氏は『NO MORE HEROES』や『Shadows of the Damned』など、海外にも熱狂的なファンを獲得するタイトルを連発。とくに、『NO MORE HEROES』の舞台となるサンタデストロイはサンディエゴがモデルということもあって、満員の会場を見渡し「僕自身、今回、サンディエゴに初めて来ることができてうれしい」と感慨の面持ち。

 『Shadows of the Damned』はカフカの『城』という小説を須田氏なりに解釈して、当初は裸の男が街で夜だけ出てくる敵と肉弾戦で戦う……というものだったらしいが、開発がスタートすると、海外パブリッシャーから「アメリカは銃社会だ!」という理由で、銃を使うことになったというエピソードが披露された。

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 『killer7』や『NO MORE HEROES』、『Shadows of the Damned』と並んで大きな歓声があがったのは『ロリポップチェーンソー』、そして『KILLER IS DEAD』。『killer7』からここ10年、須田氏がアメリカのゲーマーの心を鷲づかみにしてきたことがよくわかる観覧者の反応となった。

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 そんな観覧者の期待は、プレイステーション4向けにフリーミアムソフトとして制作中の新作『LET IT DIE』。同作はハック&スラッシュタイプのゲーム。「お待たせしていますが、皆さん楽しみにしていてください」(須田氏)。

 初めて訪れたコミコンで、ファンに向けて各タイトルの背景や開発秘話が語られた須田氏のパネルセッション。もっと詳しい開発秘話は、発売されたばかりの『アート オブ グラスホッパー・マニファクチュア』で知ることができるので、興味が沸いた方はぜひ。

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※一部要素を削除しました。(14日3時45分)

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▲セッション終了後もファンからサインや写真撮影を頼まれまくりの須田氏。
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▲ビーム・カタナにサイン!
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