クラウドファンディング、2.5Dスタイルでの開発……。

 近年、インディーゲームイベント“ビットサミット”などに始まり、急速に盛り上がりを見せつつあるインディーゲームシーン。その2014年12月時点での記録を残しておきたいと思い、複数のインディーゲーム開発者にお願いしてインタビューを行った。個人開発者、独立系スタジオ経営者、ゲームメーカー出身、学生開発者、マルチメディアアーティスト……バックグラウンドも違えば置かれている事情もまったく異なるが、それぞれに話を聞くことで、そこから何かが見えてくるんじゃないだろうか?

 というわけでお届けするインタビューの第2弾は、NIGOROの楢村匠氏と鮫島朋龍氏が登場。現在鋭意開発中の新作アクションゲーム『LA-MULANA 2』の発端から現在までを聞いた2万字超えのロングインタビューでお届けします。

『LA-MULANA 2』の発端から、KickStarterのその後までをNIGOROに聞く、2万字超えロングインタビュー【インディーの肖像 Vol.2】_07

幻のシューティング企画と『LA-MULANA 2』

――今日は『LA-MULANA EX』の発売日ですけど、2の話を聞こうということで、よろしくお願いします。楢村さんに最初にインタビューしたのはGDC 2013で、その時は2の話はまだ出ていなくて、「シューティングのタイトルを考えているけど、変えるかもしれない」というお話でした。
楢村 GDCの頃は本当にシューティングを作る気満々だったんです。それでGDCでいろいろ見てカルチャーショックを受けたこともあるし、なかなか「こういう形にしよう」というのがピンと来なかったというのもあって(そちらには行かなかった)。ただ『LA-MULANA 2』をいずれやろうという考えはずっとあったんですよ。

『LA-MULANA 2』の発端から、KickStarterのその後までをNIGOROに聞く、2万字超えロングインタビュー【インディーの肖像 Vol.2】_01
▲GDC 2013で講演を行う楢村氏。

――繰り上がった形だったんですね。
楢村 Wiiウェア版の話が元々は「オリジナル版をそのまま移植して、シナリオセットを別につけたらどうだろう」という形だったので、それで「じゃあ2はこうしよう」という構想自体はあったんです。ただWiiウェア版は結果としてオリジナル版の完全リメイクになりましたから、その時は2にあたるシナリオは入れないで、いずれ作る時のために取っておくことにして。というのも、そこでWiiウェア版に続けて2を作ってしまうと“ラ・ムラーナ専用開発者”という色が付きかねないので、それで間にシューティングゲームを作ろうという話になっていたんです。

――それがどうひっくり返っていったんでしょう。
楢村 Wiiウェア版が日本で出る頃になったら日本での市場がほとんど死んでいて、海外版の方はごたごたして発売されずに、別の会社に拾ってもらったけど売上もそんなになく。その後もPC版、Steam版とリリースが小分けに続いていて、まとまったお金がドンと入らなくて、必死な思いをして移植して、出しては使って、また移植して……という感じで、腰を落ち着ける次のゲームを作ろうというほどの資金がなかったんですよね。

――ああ、リリースが長い期間に分散してしまったことで、まとまってやるだけの資金的余裕が生まれなかったと。それがクラウドファンディングにも繋がってくるわけですね。
楢村 そこで前々から目を付けていたKickStarterはどうだということになって、Playismと打ち合わせしまして。KickStarterをやるためにはあそこの力、アメリカに会社名義の口座がいりますし、海外のバッカー(出資者)とのやり取りをするための翻訳者も必要ですから。向こうもクラウドファンディングをやるテストケースを必要としていたし、ウチは大体Playismの実験台になってますから。

――新しい土地があったら「NIGORO動かしておこうか」みたいな(笑)。
楢村 Steamに出すのも僕らGreenlight通して大変だったのに、いまPlayismはポンポンSteamに出してるじゃないですか。ああいう感じで、KickStarter一発目ということで。それは「シューティングでやろう」という話だったんですけど、調べれば調べるほど“あまり知名度がないと成功率が低い”といったことがわかってきて、それなら知名度が高いものをやるのが得策ということで『LA-MULANA 2』が先になったんです。

――先ほど仰っていた“ラ・ムラーナという色が付きかねない”という点についてはどう克服、あるいは納得されたんでしょうか。
楢村 それはもう(クラウドファンディングを)やるならしょうがないということで忘れることにしました。まぁ結局はKickStarterをやる以前も今も『LA-MULANA』のイメージはあるんで。かろうじて『薔薇と椿』があるし、違うものも作れるというイメージはあるだろうから、よしとしようかと(笑)。

――誤解される可能性とかよりも、次のものをKickStarterなりなんなりで作れるという方を取ったわけですね。
楢村 そう。継続できるかできないかぐらいになっていたので。海外の方がファンが多いというのもありましたし。銀行に借りるのも何かと不便がありますし、じゃあパブリッシャーやプラットフォーマーにお金を出してもらうかと言うと、「独占で」とか「この機能絶対使って」という縛りがつくのも嫌だったので、やっぱり自己調達がいいだろうなと。あの頃だとKickStarter以外のシェアも全然低かったですからね。

――まぁ正確なシェアはわかりませんが、少なくともあそこのビデオゲーム部門が一番伸びた時期ではありましたからね。
楢村 ちょっと追加分の開発費を……というのではなくて、ウチのように「開発費全部を募集」って規模でやるとなると、選択肢はKickStarter以外ありえなかったと思います。

――逆に今だと開発費全部だとキツかったかもしれませんね。大物も通らなかったりしてるじゃないですか。『FTL』みたいに「最後にワンプッシュ足したいからこれだけください」みたいなケースならまだしも。
楢村 それぐらいが今は現実的ですね。
鮫島 物がないのに金払っていいのかみたいな感じのものもありますしね。

――ロクなプロトタイプ画像もなしに「こういうジャンルで~」とか説明されて「うーん、そうですかー」以上のことが言えないという事はよくあります(笑)。
楢村 そうですね、KickStarterをやっていて「ウチもやってるんだ、お互いにリンク貼ろうぜ」という感じにいろいろ知り合ったんですが、やっぱり通らない所は画像もモックも出せないような状態だったりして、それは集客力に限界があるんじゃないか、みたいなのはありましたね。ウチはかろうじて前作の中身を変えて見せることができたので。それでも1ヶ月、毎日アップデートしていく内にネタに困りましたからね。語るよりもゲームは動くものを見てもらうのが一番わかりやすいので、もしまたクラウドファンディングをするとしたら、α版ぐらいまでは作ってからやった方が間違いはないでしょうね。

クラウドファンディング大作戦

――『LA-MULANA 2』でKickStarterをやろう、ということになってから、実際にキャンペーンをスタートさせるまではどれぐらいかかったんですか?
楢村 半年以上かかっていたはずです。僕らも準備に時間がかかっていましたけど、Playismも苦戦していました。例えばアメリカに口座を用意するにしても、彼らが外人ばかりとはいえ、向こうにいま住んでいるわけではないですから、やり取りの面でロスがあって口座が用意できていなかったり、それが済んで次に進もうとすると別の書類が出てきたとか。本当は10月にやろうとか、東京ゲームショウ終わったらすぐにやろうとか言ってたんですけど、それがズルズル伸びて1月半ばになった。
 ただ最後は年末にやろうと言っていたのが1ヶ月以上伸びたので、割とその間に素材が準備できて、そのおかげで(開催期間中の)1ヶ月持ったというのもあります。

――募集用のページやキャンペーンサイトもかなり作りこんでましたよね。
楢村 作りこみました。あれはPlayismの水谷(俊次)さんが徹底的に事例を集めてきて「こういうリワード(出資者への見返り)は必須だ」とか、開始1週間で20%超えていないところは大体失敗するとか分析してくれていたんで、それに即して。僕も何回も大阪に行って。週1ぐらいで打ち合わせをしていた気がしますね。

――簡単ではないだろうとは思っていましたが、結構な大作戦ですね。
楢村 大作戦ですね。終了間際にはPlayismで生放送をやったり。取れる手段は全部取ったという感じです。KickStarterのビデオも、東京ゲームショウに行く前に撮ってたんですよ。忙しくなる前にやってしまおうと9月頭に2日かけて弾丸ツアーで撮影してもらいました。
鮫島 だから冬場に上がってる動画にしては暑そうな格好をしている(笑)。背景、海だし。

――あのビデオ、かなりメッセージ性が強い感じに作っていましたが。
楢村 それもやはりPlayismの人がいろいろビデオを調べていて、ゲームの画面をただ流すだけじゃなくて、作者が出てきて情熱を語るほうがウケが良いみたいだという分析があって。出るのはあんまり嫌だけど、じゃあ本人が語ることにするかということで一旦決まったんですが、稲船(敬二)さんが『Mighty No.9』を語るビデオをお金をかけて作ったじゃないですか。あれと同じことをやってもダメだということで、笑いの方にシフトしたんですよ。

――語ったり砂丘を転がったりというあの内容は、笑いとメッセージの融合だったんですね。
楢村 まじめに語ったらあんなセンスがいいのに勝てるわけがないので。「こいつらおかしいぞ」という路線で行くしかねぇやと。つまりいつものウチらの方向になっただけですが。

――稲船さんとかが出てきたプレッシャーってありましたか?
楢村 プレッシャーというよりも、億集めるようなプロジェクトと聞いて、これと同時期にぶつかったら(出資を取られてしまって)ダメだと思ってずらしたりもしたんですよ。ただ初めてのKickStarterで不安な中で、可能性を示してくれたとも言えるし。東京ゲームショウで行われたインディーズゲームフェスで稲船さんと登壇することになって、稲船さんの記憶に残ったら『Mighty No.9』のページからリンク貼ってもらって勝てるんじゃないかと思ったんで、熱血的な言葉ばっかり喋っていたら、終わったあと「頑張ろうね!」と言って頂いて、「ヨシッ」と。

――それ結局、リンクは貼って貰えたんですか?
楢村 そうそう。Indie Streamのパーティーでも、同じように稲船さんと僕と東江さんと由良さん(由良浩明氏/Project Phoenix)で上がって、KickStarter期間中に由良さんのお家にお邪魔して、うまい交わし方とか人脈とか紹介して貰ったり、そうやって借りた力も総動員して成功させたというのが本当の所ですね。数字見ていると『Mighty No.9』とか『Project Phoneix』とかは元々の知名度があるんで、なだらかに集客して達成しているんですけど、ウチの場合は2日目で自分たちが持っているファンが一斉にドンと来た後はピュイ―っと(低空飛行を続けた)。それで稲船さんの応援ビデオが出てクイッと上がったり、そんなこんなで最終的には自分たちの目標よりちょっと多いぐらい。本当は倍額欲しかったんですけどね。
鮫島 盤石にやるぐらいにはそれぐらいが必要だったんですけど、それじゃあ達成も無理だろうなと。いつも通りギリギリで頑張るしかないのかなと。
楢村 ビットサミットで稲船さんに会ったら「億行かなかったねー」って、「行くかよ!」と(笑)。

――余裕ではないけど、まぁまぁやっていくぐらいは集まったと。金額で言うと、失敗したプロジェクトが出直す時に顕著ですが、本当に必要な金額よりかなり低めを言っておいて、「まだ5%かよ。成立しなさそうだからやめとこう」の逆の「達成しそうだから出しておくか」という心理を狙う手があるじゃないですか。そういうのは考えなかったんですか?
楢村 Wiiウェア版の時もそうだったんですけど、開発しながら資金が尽きたら外部から仕事を受けるとか、そういうのをやっているとズルズル完成が伸びるだけなので、それを避けるための頭となる資金は絶対に必要でした。「KickStarterがダメならIndiegogoはどうだ」と手を変え品を変え行く予定だったし、失敗しても『LA-MULANA 2』を作るということはゆるがないことでしたが。
鮫島 KickStarterを失敗していたとしたら、こういう2にはなっていなかったでしょうね。
楢村 まぁね。1のシステムをあまり弄らず。
鮫島 この前もウチの蛯原(もうひとりのプログラマであるDuplex氏)と話していたんですけど、「あれ、これ全部やり直しじゃない?」って。