SAPPORO CEDECのトリを飾るは、遠藤雅伸氏による基調講演
2014年11月21日(金)、22日(土)の両日、TKP 札幌カンファレンスセンターにて、SAPPORO CEDEC 2014が開催。ファミ通.comでは、ここまで縷々セッションのリポート記事をお届けしてきたわけであるが、ここではトリを飾るべく2日目の最後に行われた遠藤雅伸氏による基調講演の模様をお届けしよう。講演名はずばり“ゲームとは何か?”。まさにド直球なこの講演は、CEDEC初の地方開催ということもあり、北海道のゲーム開発者に、改めて“ゲームとは何か?”を問いかけるべく意図された講演であるとも思われた。
遠藤氏が分析する、ゲームのおもしろさとは?
【講演名】ゲームとは何か?
【講演者】東京工芸大学 芸術学部ゲーム学科教授 遠藤雅伸氏
遠藤氏の講演は問いかけから始まった。「人が生きるうえで、最低限のことしか保証されない場所はどこか?」。答えは(受講者の中に正解を言い当てた人もいたが)ずばり“刑務所”。刑務所でできることは、“呼吸”、“排泄”、“食事”、“睡眠”……(そのほかに、衛生上の兼ね合いから“入浴”などがあるようだが)。さらに制限つきで許されることに、少し意外だが、“手紙の発信”があるという。“手紙の発信”は、人が生きるうえで、“最低限の保証”のつぎにくるくらいに大切なものであるということだ。ここから導かれるのは、“人はコミュニケーションを求める”ということ。
そして、刑務所において規範的な受刑者が許されることがある。“娯楽”だ。模範囚は、“集会”や“慰問”、“運動会”などの娯楽が許されるという。つまり、“人は遊びを求める”生き物だということだ。
遊びは人間にとって欠かせない欲求だ。では、遊びとは何だろうか? 遠藤氏は、オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガが1938年に提唱した“遊び(Play)”の定義を紐解いてみせる。具体的には以下の6項目だ。
★自由な行為
★命令されてする遊びはもはや遊びではない
★“必要”や“欲望”の直接的満足という過程の外にある
★日常生活から“場と持続時間”によって区別されている
★固有の“絶対的秩序”が支配する遊びは秩序を作り 秩序そのものである
★美しくなろうとする傾向がある
何か、わかるようなわからないような……という感じだが、それから20年経ってもう少しわかりやすく“遊びとは?”を定義した学者がいる。フランスの社会学者、ロジェ・カイヨワだ。彼は、1958年に著した書物『遊びと人間』において、有名な“遊びの4要素”を提案する。それが以下の4つだ。この4つは、いまだに引用されるエンターテインメントの基本になっているという。
★“アゴン”競争
相手との優劣をつけるということ。本能的な遊び。
★“アレア”偶然
競争には技術が介在する。競争にはもともとの性能の差がある。それでは勝負にならないが、偶然の要素があれば、勝つことができるかもしれない。競争に対するアンチテーゼになるかも……。
★“ミミクリ”模倣
“●●ごっこ”がそれに相当。模倣は本能的なものでもある。子どもは、親がやっていることを真似ることで、いろいろと学習する。生存のための勉強でもある。行動としての演劇もここに入る。
★“イリンクス”眩暈
わけのわからない状態を人は楽しむ傾向がある。絶叫系など、アクティビティでもエクストリーム系に人は惹かれる。身の安全が確保されている前提で楽しめるが、人によっては不快感を抱く人もいる。
さて、“遊び”の定義はできたとして、では、肝心のゲームとは何だろうか? 遠藤氏によると、“ゲーム(Game)”の本来の意味は、“競技”、“試合”を指すという。オリンピックは、“Olympic Games”だ。スポーツはルールを持ち、互いに競い合うものなので、「ゲームは、絶対的な秩序(ルール)に従った“競争(アゴン)”になるのでは?」と遠藤氏。一方で、「ゲームとは何か?」ということで、カイヨワはくだんの『遊びと人間』の中で6つの定義をしているという。それは以下の通り。
★自由な活動であって遊戯者が制限されない
自主的な行動であるということだが、いまでは行動が制限されることがゲームになる場合もけっこうあると遠藤氏。たとえば、“縛りプレイ”が楽しめるケースもある。
★隔離された活動 時間と空間の範囲内に制限される
ゲームは独立した時間と場所を持つ。ただし、いまは、実際の空間の中でゲームを行う“代替現実ゲーム”みたいなものもあり得ると遠藤氏は分析する。
★未確定の活動であり先に結果がわからない
偶然性の関与や番狂わせの発生がある。とはいえ、遠藤氏によると、結果がわかっているものの途中経過もいまではゲームと考えているとのこと。攻略本を買ってから楽しむRPGみたいに、その過程を楽しむこともある。
★非生産的活動でありいかなる新要素も作り出さない
ゲームは純粋にゲームとして行われるということ。ゲームを利用して活動を活性化する、ゲーミフィケーションのようなものも出てきているらしい。
★規則のある活動であり約束事に従う
ルールがあることがゲームの特徴であることは否めない。現代では、そもそもルールがないのに遊んでいるという状態もあり得るようだ。
★虚構の活動 日常生活ではない非現実
“所詮ゲームだから……”というのは大事。ゲームで起こったことを現実に持ち込まないのは、大人のお約束。
そしてそれから20年後……。カイヨワの定義からさらに進化が起こったという。現代ゲームへのパラダイムシフトとしての、コンピュータの利用だ。これは、これまでのゲームとはまったく異なる考えかたとなる。ゲームが“知的遊び”だとするならば、それを拡張するような変革がもたらされたのだ。
コンピュータがゲームに与えた影響としては、まずはプレイヤーの代わりをする“ゲームAI”の誕生がある。これにより、プレイヤーはひとりでゲームが遊べるようになった。さらには、面倒な手順を代替してくれる“数値計算”。シミュレーションゲームやボードゲームのように、本来は複雑な計算を要するものが、容易に遊べるようになった。現実にはあり得ない法則を“論理エンジン”としてコンピュータが組み込むことも可能になったのも、コンピュータの恩恵と言えるだろう。擬似アルゴリズムにより、独自のルールに則った、プレイフィールドの提供がもたらされたのだ。コンピュータが生み出した新しい方向性とは、詰まるところ“デジタルゲーム”だ。
そして、それからさらに30年が経った。改めてゲームというものの本質を考えると「インタラクティブ(双方向性)というものが非常に大事になっているように思います」と遠藤氏は指摘する。そして、もうひとつが“おもしろい”ということだ。「いまは、インタラクティブでおもしろければ、ゲームなのではないか? ということで、定義が広がっているのでは」と遠藤氏。ならば、デジタルゲームの出現後、人は何をおもしろいと感じているのか。それは3つあると遠藤氏は言う。
★競争
どんなに技術が進歩しても普遍の要素として楽しめるのが“競争”。遠藤氏は子どもたちが背の高さを比べることを例として挙げ、「他を抜きん出ることは本能的に求められているのかなと考えています」とのこと。人は比較して価値が高いものにポイントを与えるが、「そのほうが生存確率が上がるから」という感覚で見ているのではないかという。つまり“競争”は、本能の命ずる行為なのだ。一方で、遠藤氏は牛乳瓶の蓋をコレクションしている人を例に挙げ「競争の尺度は多様性があり、物理性以外の競争の可能性がある。“こんなものに対して競争が成立してしまう”というところが、いままでとはまったく違う、競争のおもしろさになっている」と語る。競争は、本質的な遊びのおもしろさではあるが、本能とリンクしない競争にも適応されるようになっているというのだ。「本能に寄らない概念が競争を作るというのが、いまのゲームデザインの考えかたでもあります」と遠藤氏。
★トレース
“トレース”は、なぞるという意味。遠藤氏は、カイヨワが提唱した“ミミクリ”が拡張した概念だという。“トレース”は、提示された通りに実行することで大きな達成感が得られることがおもしろさにあたる。言ってみれば、解きかたをわかっているパズルを解く楽しさだ。その傍らで、人は自分がイメージした形の通りに、何かを行うことで“おもしろい”と感じることもある。イメージ通りに実行することで、大きな達成感が得られるのだ。“トレース”のおもしろさはイメージと現実の一致が大事になる。そこには、自己採点的な満足感がある。遠藤氏は、「あらゆるアクションが(トレースの)おもしろさの対象になってくるのかなと思います」と語る。
★非日常
遠藤氏は、「日常と異なることに対して、人はおもしろいと思うのではないか」と分析する。人は、“起こって当たり前”のことが起こるから楽しいのではなくて、“確率的に稀なことが起こる”からおもしろい。これが“非日常”に置き換えられるというのだ。偶然自体が起こりえないことに対する期待であり、それが“日常ではない”ということ、つまり“非日常”のおもしろさになる。さらに、遠藤氏は「自分とは無関係であって、自分に被害が及ばないのであれば、残念ながら、人はそれをおもしろいと思ってしまう傾向があります」と続ける。これはどうしようもないことで、理不尽や異常な事態を人は求めてしまう傾向にある。人は、常識との不整合や規則破りの興味みたいなものにおもしろさを感じてしまう生き物のようだ。内に秘めた欲求が、“新しい何か”や“ふだんやらない何か”をやらせる。それは、“刺激を求めている”というふうに言えるかもしれないが、「これは生存本能的な部分にも関わっていて、可能性を試して成功したときに、その先により大きな繁栄がある、ということを遺伝子が持っているからかもしれません」と遠藤氏は語る。“危ないことの先”に、よりよいものが待っていることを、遺伝子は試させようとしているというのだ。
“競争”、“トレース”、“非日常”と、おもしろさを定義した遠藤氏は、議論をさらに先に進める。ゲームがおもしろいとして、通常おもしろい経験は1度すれば満足するはずなのに、よいゲームは何度でも遊びたくなってしまう。それはなぜなのか? 遠藤氏はゲームをプレイするモチベーションを3つ挙げる。
★自己満足
「これがゲームをプレイする本質になります!」と遠藤氏。自己満足のモチベーションは、与えられた課題を達成することが基本となる。80年代のゲームは、ほぼこれに該当する。プレイスキルが向上することによって、高得点が得られる。いまは、自分で決めた課題を達成するというのがある。遠藤氏いわく、これはとくに日本人において特徴的だそうだが、一種の“道”のようなものであると考えているという。“道”は柔道や華道などと同じ、段級位制が存在するもの。自分になかで「ここまで達成する」ということで満足感が得られる。これが自己満足につながっていくというのだ。
★自己表現
ゲームをプレイすることが自己表現の手段となる。自己表現のモチベーションはパフォーマンスとしてのプレイであり、わかりやすいところではアーケードゲームがそれにあたる。家庭用ゲームも、プレイ動画をアップすることなどによって“魅せるプレイ”が可能になってきた。また、もうひとつのモチベーションとしては、“他人との違いがステータス”という点が挙げられる。目立ちたい欲求が人間にはある。レアリティーや価格の高いコンテンツが精神的な満足にもつながるし、自己表現にもなり得る。これはブランドモノを持っているのと同じ感覚と言えるかもしれない。自己表現のモチベーションは、他人の目に触れる場所を提供しなければいけないという課題がある。さらに、異なる尺度による価値の多元化が必要になる。
★探求
コンテンツを遊び倒そうという流れ。コンテンツ愛から来るやり込み。アルゴリズムやパラメーターの特定もこれにあたる。重要なのは、探求に耐えられる完成度の高いコンテンツを作ることだと遠藤氏は言う。
最後に遠藤氏は、来場者に問いかける。「よい、ゲームとは何か?」と。それに対し遠藤氏は、「プレイすることによっておもしろい満足感が得られ、再びプレイしたくなるコンテンツの総称です」と、自身の考えを披瀝して、講演の幕を閉じた……。
と、これにて基調講演は終了……となるはずだったのだが、「もう少しネタを用意してあるんですが、いかがですか?」との遠藤氏の言葉に会場は大いに湧き上がり、基調講演は期せずして延長戦へ……。話は、遠藤氏が日本のことを強く意識するきっかけになったときからスタートする。それは、CEDEC 2013のフランスセッションのときだったそう。そのときにピックアップされた、フランスのゲームファンが“日本に期待するキーワード”に触れ、遠藤氏は「日本のことをわかってくれているなあ」との思いを抱いたことを語りつつ、さらにフランスのゲームファンからのメッセージを会場で披露。その中でも、「日本のゲームは“クレージー”でいい」という主旨のコメントに、とくに感銘を受けたと語る。そこで遠藤氏は、もはや“ジャパンクール”ではない、“ジャパンクレージー”というのを提唱しているのだという。では、“ジャパンクレージー”とは何かといったときに……遠藤氏はそのヒントとなるべく、いくつかの“ジャパンクレージーらしさ”をピックアップした。
まずは、“見立てとお約束”。“見立て”は、RPGで露出度の高い服を着ているのに、日本人なら“防御力が高い”と説明すればそれで納得してしまうようなメンタリティーのこと。“お約束”は、たとえば『メタルギア ソリッド』シリーズのように、超リアルなグラフィックなのに、驚いた状態になると、頭上にビックリマークが出るような状態を指す。
続いては、“日本ならではの美術センス”。遠藤氏は具体例として、『大神』や『GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において、彼女の内宇宙に生じた摂動』を挙げ、「こういった美術センスは世界的に評価されています」と説明した。
そして“振り切れたコンセプト”。ピックアップされたタイトルは『BAYONETTA(ベヨネッタ)』と『塊魂』。どこが振りきれているかは……言わずもがなだろう。
さらに、“おもてなしの心”。例示されたタイトルは『ドラゴンクエストX』と『パズル&ドラゴンズ』。“おもてなしの心”は、ゲームを古くから作っている人たちのあいだでは、ものすごく言われていることだそうで、「プレイヤーがどう考えるか、プレイヤーの立場になって考える。迷ったときはプレイヤーに有利になるほうを取れという場合もあります」と遠藤氏。『パズル&ドラゴンズ』は、クリエイターの山本大介氏が、奥さんに自分の作ったゲームを「おもしろい!」と言ってもらいたくて、奥さんの反応を見ながらゲーム内容を直していったゲーム……というエピソードを披露してくれた。『ドラゴンクエストX』に関しては、MMORPGでありながらも、従来の『ドラゴンクエスト』のUIで、どう快適に楽しんでもらえるか……に気を使っている点に感銘を受けたのだという。
最後は“特異な世界観とナラティブ”。“ナラティブ”というのは、“必要な情報だけを与えて、その情報をプレイヤーが自分の感情の中に構築していって、自分なりのストーリーを作る”ことを指す。順番にストーリーが展開されるわけではないので、その人の中で展開される物語は違ったものになる。ナラティブの感覚は、より“自分がプレイしている”という没入感を生みやすいと遠藤氏。ピックアップされたタイトルは『どうぶつの森』シリーズと『ワンダと巨像』。
最後に遠藤氏は、「皆さんに言いたいことは、恐れることなく“新しいゲーム”を作りましょうということです」と、北海道のクリエイターにエールを送って講演を締めくくった。
[SAPPORO CEDCEC 2014リポート記事]
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