Nintendo Switch用ソフト『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』の非公式オープン大会『ウメブラ SP10』が、東京都大田区にて2024年1月6日~1月8日に開催された。
今大会でウメブラは初開催から10周年の節目を迎えた。ウメブラは『大乱闘スマッシュブラザーズ』(以下、スマブラ)勢が運営する非公式・コミュニティ大会。筆者は第1回開催時からのスタッフであり、いまも運営団体で理事を務めている。
“eスポーツ元年”と言われる2018年をまたいだこの10年は、コミュニティ大会の世界からすると大きな変動があった。長くシーンを見続けてきた視点からこのイベントを振り返ることで、『スマブラ』シリーズを横断して継承された『スマブラ』勢の精神に触れたい。
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年始気分が街に漂う1月6日の寒い朝、大田区産業プラザPioの外には長い列が形成されていた。3日間を通して累計3000名ほどの入場チケットが売れた。
そのうち競技者として登録したプレイヤーは約1300名。誰でも参加できる大会であるため、プロゲーマーであろうとなかろうと、同じドアをくぐって受付へ至る。『スマブラ』勢による有志スタッフが並ぶ受付で本人確認を行い、会場案内のパンフレットを受け取って各自の予選へと向かう。
3日間にわたる戦いの末、この中から1名の王者が誕生する。
受付を終えた競技者たちは140台のモニターが並ぶ会場へと入る。10年をかけて買い足してきた機材たちだ。彼らが向かう先では、ウメブラの歴史や積み重ねが待ち構えている。
今大会の見どころはいくつもある。昨年を象徴したあcola選手とミーヤー選手のライバル関係の行方。Glutonny選手(フランス)をはじめとした海外勢の動向。そしてもちろん、もっとも重要なのは、出場するあらゆるプレイヤーの新年を占う勝敗の吉凶である。
朝から並ぶ者はすべて競技者。全員に背景があり、鍛錬の積み重ねがあり、その手にはコントローラーが握られており、そして今日の試合がある。
大田区産業プラザPio 大展示ホールの広さは約1600m²。東京都内としてはかなり大きなホールだ。試合はこの会場全域で行われる。そのため、いたるところでガッツポーズが踊り、落胆のため息も聞こえる。
また、応援団は各有名選手を追いかけるため、ところどころに群衆ができる。『スマブラ』のオフライン大会ではスタッフはあまり「これをせよ」とは指示しない。楽しみ方は参加者自身が見つけなければならない。
会場奥のステージ上で行う試合はライブ配信される。トーナメント表は準備されているものの、オープントーナメントなので対戦カードがどうなるかは不明であり、大まかなスケジュール表はあるが詳細な香盤表まではない。スタッフと選手が対話をして、ライブ配信するカードをその場その場で選んでいく。
ステージを管理するスタッフももちろん『スマブラ』勢の仲間であり、参加者と入り混じっての一体感がある。試合を実況/解説するキャスターは基本的には現地での挙手制だ。
こうして多細胞生物的に大会が進行しながらも、全体としては王者を決定するひとつのプロセスが実行される。
この景色は、昨今の“eスポーツ”のように企業的・興行的なイベント体制が盛んな現代からすると、不自然にも映るだろう。まるで個人の趣味的なイベント。ビジネスチャンスを最適化できていないように見える。仮に大きな現金スポンサーをつければ、より拡大できそうでもある。
しかし、ウメブラは敢えてその手を選ばなかった。なぜこのような形態を採り続けているのか、その歴史的な経緯を辿りたい。
ウメブラ、10年の歩み
そもそもウメブラとは、『スマブラ』シリーズを扱う非公式大会である。10年前、東京を縄張りにする先行のオフライン大会があり、その主催者がうめき氏に交代するタイミングでウメブラと名前を替えた。私を含むスタッフやノウハウは引き継がれている。
我々が活動を続ける2014-2024年という期間は、さまざまなゲームタイトルから見える風景が変わった時代だ。ウメブラはその中で形を変えながらも、昔から伝わる大事な精神を守っている。
2014年1月12日に開催された初回ウメブラの参加者は47名。現在と比較すると小さな集会である。
スポンサーもなく、ライブ配信もない。ただ単にゲーマーが「戦って勝敗をつけたい」もしくは「オフの場でみんなと会いたい」という精神に大会の発端がある。
当時の競技タイトルは『大乱闘スマッシュブラザーズ X』(Wii)だ。みんなでブラウン管テレビを運び、参加者がゲーム機を持参する方式だった。スタッフの多くもまだ学生であり、主催のうめき氏は持っていた遊戯王カードを売って運営資金に充てる状態だった。
楽しいだけでなく相応の苦難がありながらも、その後も長らく毎月ペースでウメブラは開催される。
開催を重ねるにつれ、技術的な改革が行われた。大会会場からのライブ配信やオンライントーナメントサービスを導入。その結果、生で大会を楽しむエクスペリエンスが生まれ、徐々に盛り上がりの渦が広がりを見せる。コミュニティの外側からは見えにくかった『スマブラ』界隈の様子が、映像で可視化されるようになったことの意味は大きい。
2018年からはフォトグラファーが来て勝手に写真を撮って公開できる体制が整った。大会現地の様子はより確実に広まるようになる。こうして参加者各自が現地から自身のエクスペリエンスをネットで発信する、現代のZ世代的イベントが形成された。
これは古い職人的『スマブラ』勢から、新時代の趣味コミュニティへ脱皮する行程と言える。
世間の変化
ウメブラは大改革を行った。一方、その内容以上に、世間全体のゲーム事情に変化が生じた。
いわゆる“eスポーツ元年”が日本に訪れ、プロゲーマーが一般化。LJL(リーグ・オブ・レジェンド ジャパンリーグ)やRAGEのように大規模な競技的ゲームイベントが開催され、興行的、あるいはビジネス的なゲーム競技が主流となる。
壇上でプレイするプロはプロとして、観客は観客として、またスタッフはスタッフとして各自の役割を求められ、イベントとして完成されたものが増加したように思う。
参加者とスタッフが混在する趣味的・コミュニティ的な大会は、クオリティが低く邪道なものとしてとらえられるようになったかもしれない。このまま独自の道を行くには覚悟が必要だ。とくに視聴者・参加者の目が肥えたためか、大会後のアンケートでもRAGEや他公式大会と比較されて意見をいただくことが増えた。
ウメブラ SP10のかたち
そんな状況にありながら、ウメブラは時代に逆行することを選んだ。ゲーマーに伝わる古き良き精神を意図的に残して運営した。
たとえば進行について。今回は80名のスタッフ(ライブ配信団体を除く)で運営したが、それだけでは成立しない。予選は1ブロックに10名ほどの選手が配置され、各ブロックの進行を仕切るのはその第1シード選手というならわしがある。彼らの多くはスポンサーを受けたプロゲーマーである。
また、大会2~3日目には参加者によるブースが出展された。制作物の展示や研究発表といった王道なものから、amiibo対戦会や英会話など、思い思いのアイデアが揃う。中にはメンタルケアブースといった変則的なものまで登場した。
イベントの規模が大きくなると、どんなに丁寧に対応しても“運営 vs. 参加者”の二項対立になってしまう。ゲームに限った話ではなく、両者の立場が違う以上、もう“そういうもの”としか言えないのだろう。
ウメブラは少し違う。プレイヤーとスタッフの差異が小さいため、規模が大きくなっても対立が生まれにくい。参加者同士が大会を進め、現地で交流する。これこそ10年前から変わらない古き良き精神である。
結果として、イベントは長続きできている。参加者とスタッフが混在していることで、参加者も運営に協力的であり、建設的なフィードバックがスタッフに届きやすい。
また、こうした土壌から次世代のスタッフも育ち始めている。筆者である私も上の世代からノウハウを引き継いだ側であるし、さらにいまは私よりも下の世代、現役大学生くらいの層が運営の主戦力。これは企業イベントではなかなか得られない体系だろう。
イベントの予算や規模もつねに等身大。資金面も現実的だ。現金スポンサーがついていないため、心理的には“無借金経営”に近い。また、参加者も運営面に理解があるため、参加費を払うことにも文化的同意が得られやすいのではないかと思う。
上記のような“古い精神”が残っていることで、もうひとつ得られる固有のメリットがある。それは“勝負”を最優先できる体制だ。
企業的・興行的な視点が強いと、どうしてもイベントを“成功”させねばならず、つねに視聴者数や参加者数を意識しなければならない。たとえば公正な勝負を続けるだけでは盛り上がらないかもしれない。場合によってはゲストを呼んだり、有名人による招待制大会を企画するなど、選手の勝敗とは別レイヤーの取り組みが必要なときもある(筆者も仕事でこうしたイベントと関わってきたため、その息遣いはわかっているつもりである)。
一方でウメブラのようにスタッフと参加者の距離が近く、予算も現実的な大会であると、成功については後回しでいい。つねに自分たちのコミュニティで最強を決定することを優先して、公正でいつも通りなトーナメントを運営することに専念できる。
趣味的・個人的な運営とは、何も運営の縛りプレイなのではない。勝負の純粋さに関して言えば、このように企業による大規模イベントを凌ぐこともあるのである。
大会最終日
大会最終日である3日目は、10周年の鏡開きから幕を開けた。樽を割るのは主催のうめき氏。現役の競技者である。
この時点で競技者は16名まで絞られ、うめき氏もその中に生存していた。10年以上前のゲーマーコミュニティならば主催者が強豪であるケースは多々見られたが、現代でもその影を残す文化圏は珍しいだろう。
応援を力に
#ウメブラ https://t.co/b905TiPUrs
— ウメブラ/関東スマブラオフ大会 (@UMBRHP)
2024-01-08 18:02:52
やがて大会も大詰め。最後はGlutonny、ミーヤー、あcolaという象徴的な3名が残り、集まった観客はサイリウムを振ってこれから始まる激闘に花を添える。
混沌という表現が相応しい大会だった。ダブルエリミネーション形式のため、会場では3日間で2500試合ほどが行われた計算となる。それほど名の知られていない強豪も潜んでおり、有名選手が早々に敗退する姿も見られた。それでも最後は話題のスタープレイヤーが残るのだから、勝負というものの不思議さを実感せずにはいられない。
こうして長い戦いはフィナーレを迎えた。最後に残ったのはあcola選手だった。
あcola選手は、前回開催されたウメブラ SP9からの連覇であった。17歳でのウメブラ連覇はもちろん最年少記録である。
パクられる大会を目指して
以上がウメブラ SP10のレビューである。今回は3日間開催に挑戦し、我々スタッフ一同はさまざまな教訓を得た。
古き良きおもしろさを残すウメブラではあるが、柔軟に変化を受け入れる部分もある。オンライン決済やブース出展も昨年から積極的に導入。加えて、2023年10月に任天堂より発表された“ゲーム大会における任天堂の著作物の利用に関するガイドライン”にも対応している。
じつは今大会は許諾番号制度が施行され始めた初期のスマブラ大会でもあったのだ。さまざまな手続きがあり、運営も初めてのことで手間取ったが、参加者にはいわゆる “いつもの”体験を提供できたと感じている。
今後もウメブラはゲーマーの古い精神を残しながらも、時代に応じた挑戦を続けたい。ひと言で表すならば、他地域の非公式大会から模倣されるような大会でありたい。『スマブラ』勢はいまも北海道から沖縄まで各地でオフライン大会を開いているため、そうした大会にパクられることが目的だ。
ウメブラは有志大会ながらこの10年でさまざまな策を打って来た。たとえばスタッフが海外大会に赴いて日本招待を直談判したり、赤字前提で年1の大規模大会を開催したり、他タイトルのオフ大会と話をつけて合同で大会を開いたりと、いまではコミュニティ内で常識となりつつある策を開拓してきた。こうした模倣できる取り組みを続けたいと思っている。
どうか、こうした古いゲーマーの精神が今後10年も、『スマブラ』に限らず多くのタイトルで残っていますように。それが筆者の願いである。