セガのハードについて話すとき、なぜかみんな熱っぽくなる。

 いや、あれはいいハードだった。あのハードにはあんなゲームがあった。セガハードにしかない先進性があった……。

 どのハードも、語りたくなる何かを持っている。

 そんなセガハードの歴史を一冊にまとめた本、『セガハード戦記』(白夜書房・刊)が2023年7月に上梓された。さらに発売前重版がかかり、2刷目も売れ行きよく、あっという間に3刷となった。

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 昔ドラマのタイトルにもなった“重版出来”(じゅうはんしゅったい)というやつで、それはつまり、この本が当初の見込みを大きく超えてそれだけ売れているということで、出版社的に言うと羨ましいわけだ。

 著者は奥成洋輔氏。近年ではメガドライブミニ、メガドライブミニ2、ゲームギアミクロなどミニハードの開発を主導した現役のセガ社員だ。

 言ってみれば、ガチ社員かつガチのセガファンの手によるセガハードガチ史というわけだ。

(ちなみに、記者は本書を読みながら「これは“読む『セガガガ』”だ!」という感想が思い浮かびページの端にメモした。これがどこまで通じる表現なのかわからないけども)

 本稿では著者の奥成氏に執筆の経緯やさらなる秘話を直撃。セガヒストリーインタビュー、じっくりとご覧あれ。

奥成洋輔 氏(おくなり ようすけ)

1971年生。1994年セガ・エンタープライゼス(当時)入社。プレイステーション2向け『セガエイジス2500』シリーズやニンテンドー3DSセガ3D復刻プロジェクトなどを手掛ける。クラシックハードを復刻したプロデューサー。(文中は奥成)

いい本が売れることはいいことだ

――奥成さん、『セガハード戦記』読みましたよ! 1970年代のセガがハード事業を始める以前のゲーム業界の歴史に始まり、

  • SG-1000(1983年)
  • セガ・マークIII(1985年)
  • マスターシステム(1986年)
  • メガドライブ(1988年)
  • ゲームギア(1990年)
  • セガサターン(1994年)
  • ドリームキャスト(1998年)

 と、歴代セガハードについて詳しく書かれていて、“セガハードの通史”とも言えるまとまった内容なのがとてもよかったです。

奥成ありがとうございます。

――メガドライブが『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』とともに海外市場で飛躍したことや、セガサターンがプレイステーションよりも台数で先行していたけれども『ファイナルファンタジーVII』(『FF7』)の発表ですべてがひっくり返った一夜、そしてドリームキャストでのハード事業からの撤退など、最後までおもしろく拝読しました。

奥成ありがとうございます(笑)。

――売れ行きもいいそうじゃないですか!

奥成まぁ……(笑)。

――そんないい本を、なんで弊社(KADOKAWA Game Linkage)じゃなくて他社から出しちゃうんですか!

奥成御社が僕にそういうオファー出さないからでしょ!(笑)

セガ本『セガハード戦記』売れ行き絶好調!「セガハードは日本の一時代、チャレンジ精神の体現だった」著者・奥成洋輔が語り尽くす思い出

――というわけで、今日は『セガハード戦記』とセガハードについて、いろいろお伺いしていきます。執筆の切っ掛けとしては白夜書房から奥成さんに依頼があったということで?

奥成最初は本が書けるなんて思ってなくて、ひとまず白夜書房さんのサイトで5回のWeb連載としてもらったんですよ。最初だったので自分がいちばんよく知っているセガサターンの部分を書いてみたんですね。そこそこ反響がありまして、やはり本にしたいと。では真面目に考えてみますかと書き始めることになり、そのあいだにメガドライブミニ2の発売に合わせてメガドライブ編をWebで連載しました。

 そしてサターンとメガドライブ以外の部分は本でという形にして、いよいよ書籍になったという感じですね。

セガの名機 メガドライブの軌跡(ミライのアイデア)
セガサターンとふり返るあの時代(ミライのアイデア)

――それにしても発売1ヵ月で3刷目というのは、かなりいい売れ行きなのでは?

白夜書房担当そうですね、発売前重版というのもいまのご時世なかなかないことなので、社内がザワつきました(笑)。当初の見込みが甘かったという反省点もありますが、刊行を発表してから反響があったのは確かですね。

※発売前重版……読んで字のごとく発売前に重版が掛かること。前評判がよく予約数が多かったりして、営業サイドが「これはもっと売れるぞ!」と判断すると行われることが多い。つまり発売前から当初の予想を超える売上が確定したわけで、出版社としてはうれしい響き。

――(うらやましい)。執筆自体はスムーズに行きました?

奥成本を出すには最低でも10万字必要だと言われていて、Web連載部分で5万字あったわけだから「残りのハードについてあと5万字書けばなんとかなるだろう」と思って書き始めてみたら、最終的に16万字になっちゃいまして……。

――だいぶん増えましたね。

※16万字……400字詰め原稿用紙で400枚ぶん。小説だとしてもなかなかの大作。ちなみにこの記事は約1万5000字。

奥成予定よりもページ数を増やしてもらったのですが、それでも溢れるので調整を重ねました(笑)。

――ところで『セガハード戦記』の執筆・制作というのはセガ社員の本業としての扱いで?

奥成いえ、あくまで個人の活動です。セガには副業制度がありまして、当時の上司である宮崎(浩幸氏)にも相談して、その制度を使って作業を行いました。

 当初は会社からは黙認みたいな形で考えていたんですけど、タイトルを決める際に『セガハード戦記』がいいなという話になり、そのあたりで「これは公式ライセンス本にしたほうがいい」と、改めてセガと白夜書房で契約をかわし、ライセンス本になりました。

 だからこれは副業で書いたんですけど、セガの公式ライセンスも取っているという不思議な形になっています(笑)。内容は僕の文章で個人の視点ではあるんですけど、公式ライセンスを取ったことでオフィシャル感が増したのはよかったかなと思います。

――出版後、周囲からの反応はいかがでしたか?

奥成おかげさまで予想以上の反響ですね。発売前に重版が掛かったというのもまさしくそうなんですけど、1冊の本として情報をまとめるいうことがだんだんと減ってきている時代に、こういった本に注目していただいたというのはすごくありがたいですね。

 SNSももれなくチェックしているんですけど、非常にいい反響をいただけているのがうれしいです。

――読者からはどのような声が?

奥成トータル的な感想にはなりますが、「当時のいろいろな思い出が蘇った」と。それは僕にとってすごくうれしい感想なんですね。

 というのも、僕は20年前くらいに『セガエイジス2500』シリーズを手掛けて以来、セガタイトルの復刻シリーズをたくさん作ってきたのですが、当初からずっと「ただゲームを提供するんじゃなくて、当時プレイしたときの横にいた友人の顔やお店に通ったときの思い出も蘇るような復刻をしたい」と思っていたんです。

 「昔のゲームが遊べて楽しい」というだけではなく、何をプラスしたら当時の記憶を呼び起こせるのかというのをずっと考えてきました。

 『セガエイジス2500』のときは当時のチラシの画像なんかを収録したり、『スペースハリアー』だったらアーケード版だけではなくてあえてセガ・マークIII版も含めたシリーズを全部入れちゃうだとか。3DSだと筐体が動いているときのモーター音が思い出じゃないかとか、そういうチャレンジをいろいろとやっていましたね。

 最終的にはメガドライブミニみたいに物理的にそのまま出そうとか、そういうところに至るんですけど。

 で、この本に関しても、ただ歴史を語るだけではなくて、何に注目したらみんなの記憶を呼び起こせるのかと考えて、ライバルハードの動向、当時の人気タイトルが何だったかとか、事件の起きた順番などを丁寧に書いたところ、たくさんの人が「当時の思い出が蘇ってきた」、「友だちと遊んだこと、学生時代のことを思い出した」ということをコメントしてくれてうれしかったですね。

 読んで歴史を知るだけではなく、それと同時に、そのとき読者の方々が当時何をしていてどう思ったのかということを思い出すところまで加わって最終的に本が完成すると思っていたので、その想いが伝わったのは本当によかったなと思います。

セガ本『セガハード戦記』売れ行き絶好調!「セガハードは日本の一時代、チャレンジ精神の体現だった」著者・奥成洋輔が語り尽くす思い出

――情報だけでなく情緒も呼び起こそうとされたわけですよね。前書きでは「研究書と自分史の中間くらいのテイストを目指した」とありますが、その狙いというのは?

奥成テレビゲームの歴史っていたるところで触れられていて、ハード戦争の話などはよく語られているし、この本に書かれている事実は、それなりに上の世代だったらみんな知っているとは思うんです。だけど、そのあたりがきちんとまとめられた書籍というのが意外とないんですよね。

  まったくないわけではないんですが、学術書的なものは値段が高かったりして読みづらかったり、逆に個人の視点で思い入れたっぷりに書かれているものは、その作者の感情的なところが大部分で、話題もその人の視点、狭い範囲がメインとなるので、歴史の資料という意味としては弱い。そこで本書では両者の中間を目指したということなんです。

 なるべく自分の気持ちは一歩引いた形で、「時代背景としてゲーム業界が、日本がこういう時代だったときに、セガのハードはこうだった」ということを客観的に説明したかったんですよ。

 プラス、せっかく自分で書くのだからそのときの思い出というか、僕じゃないと書けないことも入れていこうと。それが最初のWeb連載のときにセガサターンを題材に選んだひとつの理由ではあるんですけど。

 この本の中でもある意味クライマックスが『FF7』の発表というところになるんですけど、ファンにとってもそこのショックがいちばん大きいので、執筆順としては起承転結の“転”の部分を最初に書いたということになりますね。1本のドラマとしてそこをクライマックスに設定し、それをセガサターンの章のみならずより大きなスケールにしたものが1冊の本になったと。

――文章全体のテイストとしては担当編集の方から提案はあったのでしょうか。

白夜書房担当こういう話になったときにNHKの時代劇の話をしていて、「ただ歴史をなぞるんじゃなくて違った視点があるといいよね」という話はしました。セガを愛しているセガ社員の奥成さんが書いたとわかるようにしてほしいと。

――帯の「失敗と敗北ではない、挑戦の歴史がここにある」という文言もいいですよねえ。ちなみにこれは編集の方がお考えに?

白夜書房担当いえ、奥成さんの原稿から抜き出しました。

奥成いい切り取りでしたよね。「本当に僕が書いたんだっけ?」と思うくらい(笑)。

セガ本『セガハード戦記』売れ行き絶好調!「セガハードは日本の一時代、チャレンジ精神の体現だった」著者・奥成洋輔が語り尽くす思い出

――最近では“ゲームの歴史”、またその書きかたに注目が集まっていますよね。本書執筆の際には“セガハードの歴史”ということに関してどのように描こうとしたのでしょう。

奥成シンプルな歴史という形にすると最初から勝ち負けがわかっているんですよね。

 だけど、これは本のなかにも書いたんですけど、「セガは負けました」という事実はあるんだけど、結果ありきの説明のしかたに違和感があったんです。

 結論としては最後に敗れたんだけど、ずっと負け続けてきたわけではなくて、会社としてはここはよかったけどここはよくなかった、じつはこの部分では成功してたとか、そういうことをきちんと書きたかった。それを説明するにはグローバルな話もしないといけないので、アメリカとかヨーロッパの話とかも混ざってくるんですけど。

 そういう部分で、なんとなくわかっていたんだけど、事実をきちんと理論立てて説明するためにいろいろな文献からデータを探して載せました。数字などは社内のデータは参照せず世に出ている資料での公称の数字で統一しています。決算の数字とかプレスリリースとか、雑誌のインタビューで語られた数字とかですね。

――現役社員だからこそ見られるようなデータは使用していないのですか?

奥成使いませんでした。これは副業なので、それを使ったらまずい(笑)。

――(笑)。そのぶん文献や資料などに丁寧に当たったと。

奥成性格の問題もあると思うんですけど、「正しいことを伝えたい」という思いがあったのでそのためには事実・数字関係はとくに大事にしました。ただ、ゲームにまつわる自分史的な本、個人的な話がダメだということではなくて、今回はセガハードの通史にしているということで根拠に関しては丁寧に用意しました。

――本書では、メガドライブ以前の初期セガハードについても詳しく書かれています。奥成さんとしても入社前だと思うのですが、そのあたりを書くための資料集めはどのように行ったのですか?

奥成ハードを作った人の話というのはあまり社内でも聞く機会がなかったので、僕が復刻の仕事を20年やって来た中でいろいろと調べたことや経験したことが反映されているという感じです。

 M2さん(※)とずっと仕事をしていますが、彼らと会話をするためには知識が必要になるんですよ(笑)。それ以外のハードでも自分自身の知識としてもっと学ばないといけないと思って、それでしだいに詳しくなっていきましたね。

――ああそれは……知識が深まりそうですね。

※M2……有限会社エムツー。家庭用ゲーム、アーケードゲーム問わず多くの過去タイトルを移植・リマスターしまくっている精鋭たちが集う開発会社。開発資料が残っていなくても解析したり“目コピ”したりして移植を成し遂げてしまう。

奥成ゲームってどうしても、ソフトを作ったクリエイターに注目が行きがちで、意外とハードの開発者ってスポットライトが当たらないですよね。ファミリーコンピュータですら開発者の上村雅之さんは本を出すまでは、世間的にはやはり注目度は高くなかったですから。

 僕も以前から「ハード開発者にもっとスポットライトを当てたい」と思っていたんですよ。以前、2016年にお台場の日本科学未来館で “GAME ON”という海外を巡業しているイベントがあって、そこで僕に講演をやってくれという依頼がきたんですね。

 最初の依頼ではどなたかゲームソフトの開発者をお呼びしていっしょにしゃべるのはどうかと提案されたんですが、せっかくこんなアカデミックなイベントをやっているのだから「ソフトよりもハードに注目させてほしい」とお願いしました。

 それでセガのハードを作った代表的な開発者の方を3人招いて、1時間半くらいのトークイベントをやったんですよ。200人くらいの観衆の前でセガのアーケードのスタートのところから2000年越えたあたりまで、作った人にコメントをもらいながら時代を追っていく。そういったことをやって知識を得ていきました。

――これまでの仕事の経歴が活きたわけですね。

奥成ちょっと話は脱線しちゃいますが、“セガハード”と言ったときにSG-1000からドリームキャストまでとはなるのですが……そして僕がこんな本の題名をつけておいてなんなんですが、セガハードの話をするときは、本当はアーケード基板の話が入っていないといけなくて。

 セガの家庭用ハードってじつはアーケードの基板をダウンサイジングして作っていくものでもあるので、そういう部分が、アーケードの説明なしに語るのはなかなか難しい。なので未来科学館の講演では、アーケードの話があって、その進化の過程で生まれたのがメガドライブです、また、セガサターンです……みたいな話をやったんですよね。

――ドリームキャストとNAOMI基板の関係性とか、読みたいですねえ。本書を読んでいて、セガのアーケード方面の歴史が書かれた『セガ アーケード戦記』なんて本も読んでみたいと思ったのですが、次回作はAM方面についてというのはいかがですか?

※AM……アミューズメントの略。セガは大きくCS(コンシューマー。家庭用ゲーム機)開発とAM(アミューズメント。アーケードゲーム機)開発に分かれていた。『バーチャファイター』の“AM2研”などが有名。

奥成いやあ……この本を書く際に、アーケードの話を入れることも考えはしたんだけど、絶対に1冊では終わらないよね(笑)。

――16万字どころか32万字くらいになっちゃうかもしれませんね。

奥成ある程度の、そこそこの内容でまとめたとしても、薄味になって小学校の歴史教科書みたいになっちゃうだろうから、やっぱり内容を充実させるんだったら書くことは絞らなきゃいけない。

 そうなるとやっぱり誰でも知っているCSがいいだろうと。それでCSハードに絞らせてもらったんですね。僕がずっとCS部門に所属していたというのもありますが、アーケードの歴史を紐解くならセガができた約60年前まで遡ったところから始めないといけないっていうのがありまして。

 ピンボールとかスロットマシーンとか、ジュークボックスを輸入していたところからなのか、エレメカのところからなのか、そこまでいくと作った人にももう連絡が取れない状況だったりするので……。

――それはもはやセガの社史!

奥成ダイナマイト刑事』をプレイステーション2に移植した2007年のときに、エレメカの『ペリスコープ』っていうのをオマケで移植するという作業をやったんですけど、そのときもハード自体が日本に現存していなくて、見られないのにハードを作るの? と苦労したこともあって、そこを深掘りするとたいへんなんですよ(笑)。

 だから個人的には掘り下げてみたいという気持ちはあるんですけど、たぶんすごくたいへんだろうなという予感はします。

――60年ぶんありますもんね。

奥成でも紐解くとおもしろいですよね、会社の歴史。週刊ファミ通でたまにメーカー特集をやられてたじゃないですか。あのときに「へぇ、そうだったんだ」と社員が初めて知る事実もあると思うんですよね。とくにおもしろかったのは、2011年のセガ特集ですね。東日本大震災直後でちょうど紙がなくて困っていたときに出て、表紙の紙がいつもと違うと思った記憶があるんですが。

 ああいう特集をまた作ってくれるとうれしいですね、社史的な特集。

セガ本『セガハード戦記』売れ行き絶好調!「セガハードは日本の一時代、チャレンジ精神の体現だった」著者・奥成洋輔が語り尽くす思い出
週刊ファミ通2011年5月12日・19日合併号(No.1170)

――各メーカーさんにご協力いただけるならぜひ……ただ、最近「会社の引っ越しのときに倉庫のもの全部捨てちゃったんだよね~」とか言われることも多くて。セガも大鳥居から現在の大崎へ引っ越すときに相当な文化的資料が逸失したとか。

奥成文化的資料か本当にゴミだったかどうかはその後10年くらい経たないとわからないんですけど、僕はよくそれを愚痴ってますけどね(笑)。

※大鳥居……かつてセガの本社があった最寄り駅。羽田空港にほど近く、都心からはやや遠い。ファミ通編集部で「大鳥居に行く」と言えば「セガに取材に行く」という意味だった。

――大鳥居時代の思い出などはありますか?

奥成長かったのでいろいろありますよ。最初に衝撃を受けたのは新人のころ、1994年の入社式で、ホールに新人たちが集められていろいろな講義を聴くんですよね。

 その時にメガドライブのゲーム開発者の人たちが5人くらいやってきて、そのうちひとりが『スターフォックス』のTシャツを着ていたんですよね。衝撃的でしたね。僕なんかメガドライブとかで『バーチャレーシング』買ったぞとか、セガサターンで負けないぞとか思っているところで、先輩スタッフが任天堂の、アメリカでしか売っていなさそうなTシャツを着て登場したときは、「あ、それアリなんだ!」と……衝撃でした。

――セガファンがセガに入社したならではの衝撃が。

奥成視野は広く持たなきゃいけないなと。その後、ゲーセンミカドの池田稔さんと大鳥居で初めてお会いした時に、僕が『魔界村』のレッドアリーマーのTシャツ着てたことに驚いた、って話を後で聞かされました(笑)。

――(笑)。他社への対抗心という話題では、セガ社員が多く使用する駅にプレイステーションソフトの広告が大きく出されていたという逸話も書いてありましたね。

 中でもセガの開発子会社であった株式会社ソニックのスタッフが社内分家して作ったRPG『ビヨンド ザ ビヨンド』は、セガに衝撃を与えた。

 なおソニーはこのタイトルの広告を、当時セガの本社へ行く際に必ず乗り換える必要があった京急蒲田駅の空港線プラットフォームの看板へわざわざ展開したことも忘れられない思い出である。

出典:セガサターンとふり返るあの時代2 セガサターンの躍進

奥成当時、大鳥居に行くためにはどうしてもそこで乗り換えなきゃいけなくて、乗り換えに便利な車両はここだから、と乗り降りするところの目の前に『ビヨンド ザ ビヨンド』の広告がバーンと。キャッチコピーも京急蒲田専用のものになっていて。あのころはめちゃくちゃにやり合っていましたからねえ、露骨でしたね(笑)。

セガサターン

――セガサターン時代、とくに読んでほしいところというのはどこになるでしょう。

奥成さっきしゃべっちゃいましたけど、サターンでいちばん印象が強いのが1995年の年末商戦でセガサターンが次世代機のNo.1になった瞬間ですかね。『バーチャファイター2』が12月1日に発売され、12月29日には『セガラリーチャンピオンシップ』もあって、セガサターンが滅茶苦茶売れたんですよ。

 僕もまだ入社2年目とかで若く、年末商戦で「我が軍の大勝利だ!」というのを体験できた印象が強くて。その前からセガファンだったわけですから。

 まぁ実際にはスーパーファミコンのソフトのほうが売れていたじゃんっていうのは置いといても。

 『バーチャファイター2』あたりまでが、“アーケードゲームが移植されて家庭用ゲーム機で好きなだけ遊べる”ということに需要があった時代のピークで、それがあの1995年なんですよね。

――いろいろなアーケードゲームタイトルが家庭で遊べるという長所のあるセガサターンが、そのころ次世代機では優勢で。

奥成次世代機で天下を取るという目標の中、年末商戦で勝てたというところは大いなる喜びでしたね。あのときにセガサターンとプレイステーションどっちにしようかと迷ったセガサターンを買ったお客さんもあの年の印象はとても強いと思うんですよね。「サターンを選んでよかった!」っていう。

 と、思っていたら“『ファイナルファンタジーVII』、始動。1996年12月、発売予定。プレイステーション”というCMが流れて……。

――あっ。

奥成その後、ご存知の通り逆転されてしまうわけですが、あれはびっくりしましたね。

――覚えています。衝撃的でしたね。

奥成社内でも誰も予想していなかったと思います。いちばん上の人たちはわからないですけど、トップシークレットだったと思いますし。セガもスクウェアさんとエニックスさんには何度も交渉をしていたと思いますし、ぜひ次回作はセガサターンでっていう。たぶん年末商戦のギリギリまで営業にも行っていたんじゃないかなと思います。

――セガサターンと同時代に展開することになったメガドライブのスーパー32Xについても、開発経緯が丁寧に説明されていて理解できました。

奥成“戦記”という流れで言うと、最終的に敗戦へ向かうためのターニングポイントがここにあるのは間違いないので。じゃあなぜこういう判断をしたのかっていうのは説明しないといけないわけなので。僕もいちユーザーとして――まぁ当時は社員になっていましたけど――なぜふたつあるんだろうっていう疑問はありましたし、そう思いながらふたつ買いましたけど。

 本にも書きましたが、32Xこそこっちがおもしろいと思っていたつもりだったので。なのでそういう疑問はみんな持っているんだから、ちゃんと納得する形で説明をしたかったというところではあります。

ドリームキャスト

――ドリームキャストの逸話としては、PR映像として堤幸彦監督で“仁義ある戦い”という映像を作られたというくだりがありましたが、それもすごい話ですね。

奥成出演者は、全員当時の社員・役員という形でやった映像なんですよね。映画『仁義なき戦い』のパロディーで。

 あれはまず、秋元康さんがドリームキャストのプロモーション全般を手掛けていて、そのなかひとつではありますね。

 セガサターンを破ったプレイステーションがトップであるということが誰から見てもわかりきっている状態で、新たにドリームキャストを旗揚げしていくという中での決起集会として何かおもしろいものを、と思って作られたものなんです。

 ……なんですけど、できたものがあまりにもクセが強かった(笑)。

 完成後に「これは公開しないほうがいい」という判断が上層部から出まして、直前でなくなってそのままお蔵入りしてたんですけど、いろいろあって2002年のゲームジャムというイベントでこっそり上映したという幻の作品なんですけど。

――映像としては社内に残されているんですか?

奥成そのはずですが、厳重に保管されているので私もどこにあるのか知りません。

――奥成さん自身はご覧にはなっているんですよね。

奥成はい。

――じゃあ「ちょっと手が滑った!」って言いながらYouTubeにアップされればみんなが観られると。

奥成いやいや!(笑) 当時はまだビデオテープですし。

 作品自体は湯川専務のCMとかああいう流れの一貫なんですよ。この1本だけが特別なのではなくて、何をしたらみんなが喜んでくれて、ビックリしてくれるかというのを秋元康さんがいろいろと考えて、あらゆる手を使ってプロモーションを考えてくださった、という手のひとつ。

――それで堤幸彦監督を持ってくるのがさすがというか、なんというか。

奥成あのときはまだ『金田一少年の事件簿』があったくらいの時期なのかな。だから『TRICK』とかよりずっと前なんですよ。

――本のなかにはサラッと書いてありますけど、ドリームキャスト事業に関しては、当時セガの親会社であったところのCSKの大川功会長が私財を500億円なげうって、そのあとさらに850億円補填してというのも、すごい話ですよね。

奥成これはリリース的にも公開されていることですし客観的なものとして書いていますけど、改めてその数字を見るとすごいですよね。ドリームキャストのコンセプトを考えたのは大川さんであるということもあるでしょうが。

 そのコンセプトとは通信、コミュニケーション、であるという。

 でもみんな言っていたのは「モデムをつけると値段がすごく上がるので、これをすべての本体に内蔵して、しかもインターネットにつなげるためにはプロバイダーもいるし、契約して維持費もかかる、そんなお金を投資するのはふつうだと考えられない」と。

 ですけど、大川さんは「これからはネットワークでコミュニケーションを取っていく時代になる」と考えられていて、つぎのハードはそのコンセプトでやる、だからモデムもプロバイダーも絶対必要、そこの負担、費用は自分が出す……という形でやったのがドリームキャストです。

 そういう意味では大川さんのコンセプトがそのまま反映されているハードがドリームキャストなんですよね。それがいい形として実現されたのが、2000年末に出た『ファンタシースターオンライン』(『PSO』)でしたが、1998年にハードが発売されてから登場までに2年もかかってしまったんですよね。このコンセプトの理想形が実現されるまで。だから間に合わなかったという部分はあるんですけど。

 最終的にはそのビジョンが『PSO』というソフト自体に受け継がれて、ドリームキャスト自体は最後残念な結果になりましたけど、そこがきちんと芽吹いたのはよかったなという感じがします。

――プロバイダーのisao.net、加入してました。

奥成セガプロバイダーは月額無料でしたからね。無料ってことはつまりぜんぶ会社負担ってことなんですけど。

――すごい話ですよ。

奥成すごいスケールの話ですね。

セガファンを支えた『Beep』から『ドリマガ』まで

――話はすこしゲームから離れますが、本書のなかで“2.5章”と特別な章立てでゲーム雑誌『Beep』に触れていたのが印象的でした。

奥成セガファンにはあるじゃないですか。セガファンはとにかく熱いとか、暑苦しいとか(笑)。マンガ『異世界おじさん』のおじさんみたいな方の、そういうものの原点ってどこだろうと考えたときに『Beep』なんじゃないかと思っていて、そういうのをなにかしらこの本の中でフォローしたくて。

 この部分は主観的に強くなるのでゲーム雑誌というくくりで『Beep』というものを中心にセガファンを紹介していこうというイメージで書いたところ、これを3章にしたら変だよねとなりまして、じゃあ2.5章にしようと。

 なかでもセガ・マークIIIの時代のセガファンというのは特殊で、ファミコンなどのライバルに比べて圧倒的に普及していないんだけれども、すごく少数精鋭というか、熱さというのがありました。それがセガファンというものにつながっていくと思うんです。

 そこで「なんで『Beep』ってセガをこんなに応援してたの?」というところを説明したくて、そうするとBeepはセガを応援するしかなかったみたいなことと、応援するべきセガの特徴、というか個性ですね、セガの個性がうまくマッチングしたんだろうなと。その流れで『ドリームキャストマガジン』、『ドリマガ』まで続くわけですからね。

 セガハードであるマスターシステムやメガドライブがあたかもファミコンと互角のライバルであるかのように紹介し続けた『Beep』は、いつしかセガの情報に飢えているファンのよりどころとなったのだ。

引用元『セガハード戦記』2.5章

奥成情報誌として新情報が載っているというのとはちょっと違って、これは『Beep』に限らず1980年代中盤くらいに生まれていた雑誌に共通するところがあると思うのですが、そこってまだ“サブカル”って言葉がない時代の情報誌だったんですよね。

 たぶんそのノリっていまだと『週刊プレイボーイ』とか『SPA!』とかにちょっと残っているのかなと思いますが、いまのサブカルにつながっていく、ライターの主観的なものが記事なり特集なり文章なりに反映されていく時代だったんですよね。

 その色をもっとも消していたのが『ファミマガ』で、いちばん売れるんですけど、それは対象年齢が低かったからなんですよね。だけど当時のサブカル的なゲーム雑誌っていうのは上の年齢で、20歳とか学生から上くらいをターゲットにしていたので、もっと読ませる文章みたいなところがあったんですよね。

 そこがそのあとの雑誌とは違うところ。僕が言うのもなんですけど、もちろん記事にメーカーチェックなど入らないし、ゲーム業界的にも紹介してくれることがうれしくて、雑誌に自分のソフトの紹介が載ること自体がうれしかった時代でもありますから。

 黎明期の混沌さがそこにあったのと、似たような時代の、『週刊ファミ通』の創刊から3号くらいっていまブックウォーカーとかで読めるじゃないですか。あれを読むとやっぱりいまのファミ通とはまったく違うわけで、なんというか……フラフラした本ですよね。

――がはは! とにかく変な記事が多くて、意味もなく編集者が脱いでいたり。

奥成あのフニャフニャした感じはいまだとまったく受け入れられない「なんだこれは」って感じだと思うんですけど、僕らはあれを読んで育っていたので、これこそが当時のゲーム雑誌という感じはします。

――作る側も楽しいんですけどね、ああいうの(笑)。

奥成時代ですよね。精神的な余裕というか。あとそういうノリって、SNSとか身近なところで手に入れられる時代なので、雑誌を有料で買い求めていくところでは、有料なりのちゃんとした情報が欲しいとか、そういう気持ちがあるんでしょうね。

みさいル小野からの質問

――ところで、この本を読んだクラシックゲーム大好き編集者みさいル小野から質問を預かってきておりまして。

奥成ああ、はい、小野さん。

――セガトイズからの発売だったので詳細はわからないのかもしれませんが、“メガドライブ プレイTV”シリーズの詳細が知りたかったのですが触れられておらず、このハードの開発の経緯やハードスペック、どのくらい売れたのかなど、『セガハード戦記』の補足になるようなお話が聞けるとうれしいです、とのことです。

※メガドライブ プレイTV……2004~2005年に発売されたゲーム機。本体価格は4000円程度で、テレビにつなぐと内蔵されたメガドライブのソフトが数種類遊べた。日本ではセガトイズより販売。

奥成今回は意図的にセガトイズからの発売商品についてはセガハードではないっていうことで、そこは切り離してやっているので、あれはセガハードであってもセガハードではないということで書きませんでした。

 プレイTVに関しては、あれはもともと海外で“プラグインプレイ”というジャンルのおもちゃが流行していたときに作られたもので、そのコンセプトのなかで作られた亜種という感じですね。もとはアメリカの会社がセガのライセンスを受けて作ったおもちゃで、それをセガトイズが日本で輸入販売したものです。なのでゲームも海外版のままなんですよね。

 あのときはほかにも『ストリートファイターII ダッシュプラス』が遊べる、コントローラー2個つきのメガドライブミニと言うべきか、コントローラーがふたつテレビにつながるといういろんなものとかいろいろなものが出ていたんですね。セガだけじゃなくてアーケードでも、『パックマン』などナムコのゲームがたくさんできるやつとか。

 だから、その後のミニハードとは異なり「あのハードを作ろう」というコンセプトではなく、海外で売っているものを日本でも出してみようっていう考えだったかなと思いますね。

セガ本『セガハード戦記』売れ行き絶好調!「セガハードは日本の一時代、チャレンジ精神の体現だった」著者・奥成洋輔が語り尽くす思い出
週刊ファミ通2004年10月8日号

――セガトイズ関連で言いますと、同社から発売された知育玩具“キッズコンピュータ・ピコ”の中身がじつはメガドライブだったというお話も触れられていましたね。

奥成テレビにつながるタブレットみたいな。テレビに画面が共有されて、手もとには画面じゃなくて紙があって、その紙にタッチペンで触ると画面に反映されて見ることができるという。

 いまお子さんがいる方はiPadなんかのタブレットを子どもにわたして、タッチさせて遊んだりしてますけど、ああいうものがないときはピコだったんですよね。

 だからピコも最初はセガのトイ事業部で発売したんですけど、出てからまもなくセガトイズとして子会社化して、ピコとゲームギアはセガトイズに預けたんです。

――へええ。ということは、世の中にはメガドライブに触ったという自覚はなくピコに触れて育った子どもたち……隠れメガドラキッズがたくさんいることになりますね。

奥成まあ、あそこはおもしろく書いた部分なのでアレですけど、メガドライブのアーキテクチャ(構成)を活用しているわけですから、魂は受け継がれているのかな(笑)。

 マークIIIが小型化してゲームギアになってみたいな、アーキテクチャをそのまま活かしていくっていうのをセガは得意としていたので同様の流れですよね。

 メガドライブという完成したものを活用したわけですよ。「こういうものを作りたい」というアイデアが出たときに「それならメガドライブでできるんじゃない?」って。だからプリント倶楽部も、すでにあったアーケード基板のST-Vで動くんじゃない? となったりとか。

 すでにあるものを活用するほうが量産的なコストを削減できますし、作るときに設計に反映できるってこともありますから。そういうハードウェアをずっとやってきたなかで生まれたものですね。

――セガカラの中身はセガサターンだったみたいな……。あああ、だから本当に、セガという会社のハード事業はアーケード(基板)開発とも密接に関係していたし、また家庭用ハードもその他の事業に活用されていたし、それは相互的なもので、本来はCSとAMも不可分のものであるという、先程の話にもつながるわけですよね。

※セガカラ……セガが行っていた通信カラオケ事業。カラオケの機械にセガサターンのアーキテクチャが利用されていた。

まとめ

――本書はセガのハードについて振り返って総覧できるような1冊となっておりますが、改めて本書を執筆して、セガハードの共通する魅力というのはどんなところにあると感じたでしょうか。

奥成書いていて、セガハードの数々は、ある意味、20世紀の日本を象徴する一部分だったなと思いました。

 というのは、1980年代のバブル時代、日本の景気のピークと言ったらアレですけど、日本がいちばんはじけてたっていうのがそのころにあって、そこを山として考えたときに、やっぱり日本はずっとチャレンジ精神があったんですよね。

 そしてセガはチャレンジして即実行! みたいな、「創造は命」という言葉を社是としていたくらいで、そこに世界の最先端の技術というものをとにかく手に入れてきて、それをやってみようというのがセガの社風ですから。

 引いては日本の風潮としてそれが1970年代に始まり、1980年代を頂点として1990年代まであったので、そういう時代の熱さみたいなものをゲームハードという形で体現していたのがセガハードだったのではないかと思います。

 『下町ロケット』風に言えば羽田の町工場の一角で育った会社が世界にグローバル企業として羽ばたいていく、そしてライバルはもっと大きな電子コングロマリット的な巨大企業と最終的に戦っていく……そんなロマンみたいな構図が、セガサターン対プレイステーションにはあったんですよね。

 そういうライバルに立ち向かっていくところが、爽快なお話としておもしろくて、それがセガの魅力であり、この本の魅力になっていくんじゃないかなと思います。

――なるほど、『下町ロケット』的な!

※『下町ロケット』……池井戸潤原作テレビドラマ。TBS日曜劇場で2015年ドラマ化。阿部寛主演。下町の工場が卓越した技術力で無理難題を言う大企業にひと泡吹かせる。ちなみに主人公の佃航平が務める佃製作所の社屋としてロケに使用されたのは、当時のセガと同じく東京都大田区にある会社。

奥成セガのハードは1980年代~ちょうど2000年くらいの20年間にわりときれいにまとまっているので、お話としてぎゅっと凝縮している感じもいいんですよね。

 『セガハード戦記』は僕の視点で書いたのでセガハードをテーマにしているんですけど、ほかのハードでもできると思うので、だれかぜひそういうのも書いてほしいですね。ファミリーコンピュータはまだ書籍がありますが、語られることの少ないPCエンジンの歴史とかネオジオの歴史とかも絶対におもしろいんですよね。

 機会があれば僕が書きたいくらいではあるんですけど(笑)。さすがにもっと適任者がいると思いますから。この本が話題になっていると思ったらぜひ便乗していただいて。

――いろいろなハードの“戦記”読んでみたいですね。本日はありがとうございました。

セガ本『セガハード戦記』売れ行き絶好調!「セガハードは日本の一時代、チャレンジ精神の体現だった」著者・奥成洋輔が語り尽くす思い出
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