2005年にアーケードで稼動した名作対戦格闘ゲーム『ザ・ランブルフィッシュ2』が、2022年冬、3gooの手によりついに家庭用ゲーム機およびPC向けに初移植される(Nintendo Switch、プレイステーション5、プレイステーション4、Xbox Series X|S、Xbox One、Steam)。今回は、移植発表に際して、当時開発に携わったディンプスのおふたり、河野浩行氏と田中義幸氏にお話をうかがった。なお、河野氏と田中氏には動画でも『ザ・ランブルフィッシュ』に対する思いをうかがっているので、チェックされたし。
あわせて、ディンプス 代表取締役 西山隆志氏に『ザ・ランブルフィッシュ2』移植にあたっての抱負をメールインタビューという形でお聞きしたので、ご紹介する。
河野浩行氏(かわのひろゆき/写真・右)
ディンプス
執行役員
業務推進本部長
開発推進部/開発支援部 部長
『ザ・ランブルフィッシュ』開発当時は、担当役員としてプロジェクトの監修を行う。
田中義幸氏(たなかよしゆき/写真・左)
ディンプス
第二制作本部 技術制作部 次長
『ザ・ランブルフィッシュ』開発当時は、メインプログラマーとしてゲーム全体のフローをつかさどるメインシステムやS.M.A.(Smooth Model Animation)を担当。
デジタルでいろいろなことが表現できるものにチャレンジしたいとの思いから2000年にディンプスを設立
――『ザ・ランブルフィッシュ』開発当時の背景を知るうえで、まずはディンプス立ち上げの経緯や当時の時代背景について教えていただけますでしょうか?
河野ディンプスの設立は2000年3月で、最初はアーケードゲームを昔から開発してきたメンバーを中心に数名程度で立ち上げました。2000年当時は、アーケードゲーム市場がまだしっかりとあったのですが、プレイステーション2の登場により家庭用ゲーム市場の勢いが増してきた時期でした。
そういうタイミングでもありましたので、我々ディンプスとしてまず取り組むべきは家庭用ゲーム機。そこでデベロッパーとしてのブランドをしっかり作っていきたいという想いがありました。
――立ち上げ当初は数名程度とのことですが、どういった役割の方が集まっていたのでしょうか?
河野代表の西山(西山隆志氏)を中心に、プロデューサー、マネージャーなどのメンバーでした。後に我々の目指すところに賛同してくれた各職制のスタッフが集まってきてくれたという流れです。
――前職ではどんなジャンルのゲームを手掛けることが多かったのですか?
河野SNKさんやカプコンさん出身のスタッフが多かったので、アーケードゲームのウェイトが高いメンバーでした。ですから、ディンプスを立ち上げてから初めてコンシューマーゲーム開発に携わるというスタッフも多かったと思います。
――2000年ころのアーケードというと、NAOMI基板(※)が元気だったころですよね?
※1998年に登場したセガのアーケードゲームの主力基板。ドリームキャストとの互換性があり、アーケード用と家庭用で連動を行うタイトルもあった。
河野NAOMI基板は多くの対応タイトルが登場して元気がよかったですね。3D表現が進化してきて、ジャンルを問わず本格的な3Dゲームが出てきたころだと記憶しています。
――そういった時代にディンプスを立ち上げるに至った経緯をお聞かせいただけますか?
河野新しいチャレンジと言いますか、プラットフォームにとらわれず、デジタルコンテンツとしていろいろな表現や、その可能性にチャレンジしたいというところが大きかったかなと思います。
――アーケードゲーム中心だったので、家庭用ゲームなど新しいプラットフォームで挑戦したかったのですね。
河野そうですね。デジタルコンテンツそのものにこだわるというところで、いろいろなプラットフォームで高品質なソフトを開発できるようになるというのが、目標のひとつでした。
――では、立ち上げ当初はどのようなゲームを手掛けていたのでしょうか?
河野立ち上げ当時で言いますと、プレイステーション2やワンダースワン、ゲームボーイアドバンス向けのアクションゲームですね。それがディンプスを立ち上げてから最初の仕事でした。家庭用ゲーム機向けのゲーム開発は新鮮でしたね。いずれのタイトルも対戦格闘ゲームではありませんでしたが、アクションゲームということでそれまでのノウハウを活かすことはできました。
――なるほど。ディンプス立ち上げ当初はアクションゲームを中心に手掛けていったのですね。
河野はい。我々はデベロッパーなのでお仕事をいただく立場なのですが、クライアント様も「ディンプスと言えばアクションゲームだろう」という気持ちがあったようで、我々としてもそこに対してはそれなりの自負がありました。
「対戦格闘の新作を作りたい!」ということで、満を持して立ち上げた『ザ・ランブルフィッシュ』
――家庭用のアクションゲーム開発でディンプスというブランドを固めていき、立ち上げ4年後の2004年にオリジナルタイトルである『ザ・ランブルフィッシュ』をアーケードで稼動させたわけですが、どういった経緯から開発に着手したのでしょうか?
河野ATOMISWAVE(アトミスウェイブ)(※)というアーケードゲーム基板のお話があったのがきっかけです。当時、当社はサミーさんのグループ会社としてお仕事させていただいていたこともあり、サミーさんが開発したアーケード基板ATOMISWAVEをいかに普及させるかという使命がありました。
※2003年にサミーが開発した業務用のシステム基板。ドリームキャストと同じ描画チップと構造を持つ。
そうしたところで、「ディンプスがやるのであれば、やっぱり対戦格闘ゲームだよね」というところと、我々自身も家庭用ゲーム機からアーケードにまた戻ってきたという雰囲気があり、「ぜひ対戦格闘ゲームでチャレンジしたい!」と。
――立ち上げ当初は数人とおっしゃっていましたが、『ザ・ランブルフィッシュ』の開発時にはどのくらいの規模になっていたのですか?
田中おそらく会社の規模としては、100名くらいになっていて、『ザ・ランブルフィッシュ』の開発はおそらく30名程度で行っていたと記憶しています。
河野ディンプスを立ち上げてからは、他社様のIPをお預かりして開発するケースがほとんどでしたので、『ザ・ランブルフィッシュ』はオリジナル、かつ新しいプラットフォームということもあって、非常に力を入れて立ち上げたタイトルだったと記憶しています。もう20年近く前の話なんですよね(笑)。
――やはり自分たちのオリジナルタイトルということで、思い入れも強いのですね。
河野そうですね。版権ものの場合は原作のイメージを損なわないようにという難しさがありますが、オリジナルの場合は新たに生み出す苦労とともに思い入れはありますね。
――新しい基板ということで苦労もあったのではないでしょうか?
河野『ザ・ランブルフィッシュ』はアトミスウェイブ2作目だったのと、じつは並行して開発しているタイトルがあったのでノウハウはありました。
田中私自身も並行して動いていたタイトルに関わっていましたし、社内的にもノウハウが溜まってきたタイミングというところでの『ザ・ランブルフィッシュ』でした。
チャレンジ精神から生まれたS.M.Aというシステム
――当時の格闘ゲームを振り返ると、『ザ・ランブルフィッシュ』が登場した2004年は、『ハイパーストリートファイターII』、『バーチャファイター4 ファイナルショウダウン』など、90年代から続く人気シリーズが集大成的な段階に入ってきたころかと思います。そういった状況に参入するということについてはいかがでしたか?
河野当時は2D、3Dそれぞれがかなり進化していた時代でした。さきほどもお話した通り、新しいチャレンジをしたいというのがありましたので、どちらのジャンルにも属さない新しい対戦格闘ゲームを作ろうという意気込みがあったので、それが2Dと3Dの技術を融合したS.M.A(※)を使った対戦格闘ゲームというものにつながりました。
※S.M.A(スムースモデルアニメーション)=キャラクターを腕、胴体、脚など部位ごとのパーツを組み合わせて動かす多関節技術をベースにして開発された独自の描画方法。
田中当時のディンプスは、2D対戦格闘ゲームを前職で経験しているスタッフが多くディンプス創業後には家庭用の3Dアクションゲームも経験していたので、双方の経験をアトミスウェイブという新基板で最大限にやろうというのが目標でした。
――なるほど。それで2Dと3Dのノウハウが詰まったS.M.Aの実現につながったのですね。
田中そうですね。そうしたところに「倒れて傷ついても、なお闘い続ける格闘家たちの強さや美しさを描きたい」という想いもあり、それをアトミスウェイブでどうやって実現させようと考えていたものが、S.M.Aです。
河野S.M.Aは、腕、胴体、脚など複数のパーツに分けてキャラクターを作成するので、本当にたいへんだったんですよ。じつは、企画段階ではこんなに苦労するとはわかっていなかったんです。僕はデザイナーではなかったので口で言っているだけですが、工数や予算を管理していた立場からすると、1体作るだけでも相当だなと(笑)。
――一般的な2D対戦格闘ゲームのモーションパターンを作るのと、そこまで工数が変わってくるのですか?
田中S.M.A.に関して言うと、一般的な2D対戦格闘ゲームのパターン作成に加えて、さらにパーツごとのモーションをつけているんです。
本当に細かい話になりますが、多関節を用いたアニメーションを作る開発ツールは、当時市販されているもので格闘ゲームに使えるものはなかったんです。ですから、2Dと3Dのモーションデータ作成のノウハウを踏襲して、自分たちでイチから専用のツールを作りました。
――新しいものにチャレンジするとなると、そういった部分でも苦労されるのですね。
河野ただ、各パーツがクラッシュして破けたり、傷を負ったりと変化させているのですが、2Dだとそのすべてのパターンを描かないといけないんです。しかし、S.M.Aではパーツを3Dで作成しているので、1枚1枚モーションパターンを描く必要がないんです。その点で言えば2Dで作るよりはいいですね。
――なるほど。3Dなら破けたパーツをひとつ作れば、それを動かすだけでモーションパターンができるんですね。対して2Dの場合は全パターンを描き直さないといけないと。とはいえ、複数パーツを作成するのはものすごい工数になってしまうんですね(笑)。
プレイヤーの選択肢を増やすゲームシステム
――『ザ・ランブルフィッシュ』は、どういった思想でゲームシステムを構築していったのでしょうか?
田中まずゲームシステムについては、当時の格闘ゲームの主流だったものを踏襲しつつ、ユーザーさんが入りやすいようにといったところを大前提として構築しました。そういった中で、当時の2D対戦格闘ゲームは、わりと攻めを重視するタイプのゲームが多かったので、『ザ・ランブルフィッシュ』についても攻撃を起点としたシステムの作りかたをしていました。そして、攻撃的なシステムに対して切り返せるようにと、“インパクトブレイク”という防御システムを追加していったという流れですね。
――ゲージ関連で言うと、システムを活用するためのゲージがオフェンシブとディフェンシブとふたつに分かれています。これは現在の対戦格闘ゲームを見ても珍しいシステムだと思うのですが、どのようにして生まれたのでしょうか?
田中ひとつしかゲージがないと攻撃で使い切ってしまった場合、そのあと防御で何もすることができなくなってしまうんです。そのぶん、攻撃と防御のトレードオフというおもしろさもあるのですが、我々は違うアプローチを考えました。防御システムで相手の攻撃を切り返したあとも、攻撃システムを使って大ダメージを狙えるといったことができるようにしたんです。
トレードオフのおもしろさよりも選択肢の広がりを重視した形です。あとは、ふたつのゲージが溜まれば超大ダメージが与えられる“クリティカルアーツ”が狙えるという楽しみも入れてあります。
――ここ数年の対戦格闘ゲームは、できるだけシンプルにというトレンドがあったと思うのですが、『ザ・ランブルフィッシュ』の選択肢の多さや広がりを見ると、当時対戦格闘ゲームがドンドン成熟していった時代背景を思い出しますね。
田中やはり当時は成熟したユーザーさんが多かった時代だったので、各状況に置ける選択肢を増やすためのシステムをいくつも準備しました。ゲージがふたつあるのをいま見ると難しく見えてしまいますが、じつは対戦するのに必要なものは多くなく、基礎的な動きさえ覚えてもらえれば楽しめるんですよ。ゲームに慣れてきたらほかのシステムを覚えていけば、より奥深い駆け引きができるようになっています。
S.M.Aの実装は想定を上回る過酷さだった
――稼動から15年以上が経って、いまだから話せる開発秘話のようなものはありますか?
田中くり返しになりますが、やはりS.M.Aは本当に苦労しました。デザイナーにとっては非常にたいへんな作業になってしまったんです……。
――「なってしまった」というのは、企画段階では予想できなかったということですか? 作り始めてみたら意外に多いんだけどみたいな?(笑)。
田中はい(笑)。どこまでこだわるかによって工数が大きく変わるので……。カッコいいモーションを作るとなると、やはりデザイナーさんのこだわりはものすごく、予想していたよりかなり作り込みをされています。
――開発全体でモーション作成に費やした時間はどのくらいの割合だったのですか?
河野当然さまざまな作業を並行して行っていましたが、やはりデザイン部分がいちばんボリュームがありました。
田中当時スケジュールを立てるときは、まずキャラクター担当のデザイナーさんにスケジュールを引いてもらって、プランナーやエンジニアはそのスケジュールに合わせて開発を進めるというほかのプロジェクトではなかなか見られない形になっていました(笑)。
――デザイナー中心の開発スケジュールになっていたと聞くと、本当にS.M.Aはたいへんだったんですね。
田中さらに言うと、S.M.A.を作るデザイナーさん用のツールは、『2』の開発のときに全部作り直しているんですよ。『3』、『4』を開発するときにも使えるようにと『1』を作ったときのツールの反省点を活かして。
――続編は作業の効率化が進むことが多いですが、そんなことが(笑)。
田中あとは、ちょっとわかりにくいのですが、キャラクターの各パーツ自体に当たり判定をつけていたのですが、途中でそれをすべて作り直しています(笑)。
――え、パーツ自体に判定をつけたらいけないのですか?
田中パーツ自体に当たり判定をつけると、たとえばしゃがんでいる相手に対して打点の高い技がヒットしなくなったり、ジャンプ攻撃を当てて相手が大きくのけぞったら、上段攻撃が届かないといったことになってしまうんです。それは、リアルですが2D対戦格闘ゲームのプレイ感覚としてはとてもおかしなことになってしまうんです。ほかのゲームとの差別化は図っていましたが、さすがにそこは2D対戦格闘ゲームとして守らなければならない部分なので、プランナーさんにすべての判定をつけ直してもらいました。たしかひと晩で……。
――ひと晩……。それはプランナーさんにとっては地獄でしたね……。
家庭用初移植に対する想い
――『ザ・ランブルフィッシュ2』は今回初移植となりますが、これまでなぜ移植が実現しなかったのでしょうか?
河野さまざまなプロジェクトが隙間なく稼動していましたので、開発着手のタイミングがなかったのもありますね。それに加えて、我々は設立以来ずっとデベロッパーとしてやっていたので、自社パブリッシングのノウハウがなかったのも大きいです。しかし今回、ワールドワイドでパブリッシングのノウハウを持つ3gooさんから移植したいというオファーをもらったうえに、とても思い入れを持ってご提案いただいたことで実現にいたりました。
――移植に関して、ディンプスさんはどんな立ち位置で関わっているのでしょうか?
河野移植については3gooさんにお任せしているので、ソースの提供であったり監修であったり、必要に応じてアドバイスをさせていただく形です。
田中デザインなどの監修は当社で担当させていただいていて、開発そのものは、基本的にお任せしているという感じです。3gooさんからのご提案で、トレーニングモードやロールバックシステム付きのオンラインモード、ギャラリーモードなどを追加するそうです。
――稼動から15年あまり経過したいま初移植されるということで、どんな人たちに手にとってもらいたいですか?
河野まずは、国内はもちろん、海外を含めてアーケードで遊んでいただいたファンの皆様に手に取っていただきたいです。あとは、15年以上経過しており、格闘ゲームは好きだけど本作を知らない人も多いかと思いますので、そういった方々にもぜひ遊んでいただきたいです。
――最近は若い格闘ゲーマーも増えて来ましたので、どんな反応をするか楽しみですね。
河野そうですね。現在のトレンドとは違うテイストのゲームかもしれませんが、そういうのは逆に一周まわって斬新に感じる面もあるのかなと思います。
――ちなみに、ディンプスとして『ザ・ランブルフィッシュ3』を出したいといった思いはありますか?
河野我々『ザ・ランブルフィッシュ』に関わっていたメンバーとしては、「ぜひチャレンジしてみたい!」という思いはあります。今回の話をきっかけにしてというわけではありませんが、当時は試行錯誤を重ねて開発した思い入れの強いオリジナルタイトルではありますので。また対戦格闘ゲームというジャンルには、まだまだやれる事がいっぱいあり、可能性もあると思っていますので、『ザ・ランブルフィッシュ3』に限らず、ディンプスとしては、“新しい格闘技”に今後もチャレンジしていきたいという目標はありますね。
――それでは最後に、初移植を楽しみにしているファンにメッセージをいただければと思います。
田中家庭用の『ザ・ランブルフィッシュ2』を待っていただいた方に関しましては、本当にたいへんお待たせいたしました。今回3goo様のおかげでたいへん素晴らしいものに仕上がっています。私自身もすごく楽しみにしておりますので、皆さんといっしょに遊べたらと思います。
河野タイトルを知っている方には懐かしく、また知らない方には新鮮な気持ちで遊んでいただけるのではないかと思っています。私自身も早く手に取って遊んでみたい気持ちでいっぱいです。みなさまもぜひ楽しみにしていてください!
【動画】河野氏、田中氏に家庭用ゲーム機向け初移植の思いを聞く
【西山隆志氏メールインタビュー】「対戦格闘ゲームはまだまだ進化の途上にある」
――ディンプスはどのような思いで作られたのでしょうか。
西山ディンプスの創業メンバーはカプコンやSNKといったゲーム会社出身者が中心となって2000年に設立されました。ディンプス(Dimps)の社名の由来はdigital multiple platformsですが、ご覧のようにgameという言葉が含まれません。21世紀のデジタルエンターテインメントを語るとき、我々のバックグランドであるゲームというジャンルを超越する多様性が求められると感じたからです。この考えにご賛同いただき、設立に際し、サミー、セガ、バンダイ、ソニーといった業界のビックネームの皆様からのご支援で今日にいたることができました。
――ディンプスが成功した秘訣は?
西山ディンプスは創業22年を迎えましたが、正直、開発会社として成功したという実感はありません。たしかにアクション系や格闘ゲームのジャンルにおいて、それなりの成果は出したと思っていますが、同時にたくさんの失敗も経験しています。この業界に40年以上身を置いていると飛躍的な技術革新や社会環境の変化による栄枯盛衰を目の当たりにしてきました。むしろ、これからの10年でディンプスの真価を問われることになります。失敗や成功を重ねて時代の変化に順応できる真の実力を身に着けたいですね。
――格闘ゲームはどのように進化すると考えますか?
西山対戦格闘ゲームはまだまだ進化の途上です。それは人間の複雑な動きをゲーム上で1割も表現できていないからです。ざまざまな格闘技が人々を魅了するのは人間の持つ複雑で多様な動きと、それに伴う超人的な力の可能性です。もちろんゲーム上の演出として表現することはできますが、実感としてプレイヤーの操作感に結びついていません。
今後、デバイスやコントローラーの進化によって、より複雑な動きとプレイ感覚とがリーズナブルに直結するゲーム環境が生まれるでしょう。そのことによりゲームクリエーターやゲームプレイヤーを刺激し、さまざまな表現方法や演出が実現できるようになると思います。もともとeスポーツと親和性の高い対戦格闘ゲームが本領を発揮するのはこれからだと思います。