キュー・ゲームスが、創業20周年を迎えた。2001年9月に京都の地で設立されて以降、『スターフォックス コマンド』や『スターフォックス64 3D』、『PixelJunk』シリーズなど、数々のタイトルを手掛けてきたキュー・ゲームス。その高い開発力は、業界でも知られているところで、任天堂やソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)のタイトルにも関わってきた。プレイステーション3の起動画面の開発を担当したのはおなじみだ。
国内最大級のインディーゲームのイベントBitSummitの立ち上げに大きな役割を果たしたスタジオとしても知られている。
先日、同社が開発を担当した『The Tomorrow Children(トゥモロー チルドレン)』の権利譲渡契約をパブリッシャーだったSIEと交わし、再リリースに向けて始動したことを発表して話題になったばかり。そこで、キュー・ゲームスのキーパーソンに、創業20周年を迎えての抱負や、『トゥモロー チルドレン』の権利譲渡の経緯などを聞いた。
ディラン・カスバート氏
キュー・ゲームス CEO&創業者
(文中はディラン・写真左)
西川龍司氏(にしかわりゅうじ)
キュー・ゲームス CCO
(文中は西川・写真右)
前田和志氏(まえたかずし)
キュー・ゲームス クリエイティブディレクター
(文中は前田・写真中央)
前のめりにやってきておもしろいゲームを作れた20年
――キュー・ゲームス創業20周年おめでとうございます! まずは、20周年を迎えてのいまのお気持ちを教えてください。
ディランおもしろいゲームを作ることができた20年でした。ゲーム会社としては、いちばん苦労するのはオリジナルのゲームを作ることだと思うのですが、自分勝手にいろいろと作ってこられました。オリジナルゲームを作ることはキュー・ゲームスのポリシーでもあるのですが、振り返ると「意外とできるものなんだな」というのが素直な感想です(笑)。
――そもそもキュー・ゲームスを設立したのは、“好きなオリジナルのゲームを作りたい”というのが大きな理由だったのですね。
ディランそうです。当時いっしょに仕事をしていたスタッフと、「京都の気持ちのいい環境で自分たちのゲームを作ろう!」ということで、設立しました。会社を設立したのは2001年ですが、1990年代前半は京都で仕事をしていたんですよ。
――キュー・ゲームスさんを語るうえで、“京都”というのは欠かせないポイントだと思うのですが、20年間やってきて、「京都だからこんなことができた」といまにして思うところがありますか?
ディランたぶん、京都じゃなかったら、キュー・ゲームスは生き残っていないかなと思っています(笑)。
――あら(笑)。
ディラン京都は、ビジネスとプライベートなところのバランスがすごくいいんですね。ソーシャルな関係を築きやすい。
前田海外の優秀なゲーム開発者が日本に来るとなったときに、京都への憧れもあって、「キュー・ゲームスは京都にあるから」という理由で来てくれる人も多いです。それもいいところですね。
ディラン創業当時は家賃もかなり安かったので、固定費などをがんばって削減しながら会社をやっていけたというのもあるよね。まあ、いまは京都もけっこう家賃は上がっていますが……。
西川私は創業時にディランといっしょに京都に引っ越してきたのですが、京都では自転車通勤になったのがすごくうれしかったですね。自転車で会社に行けて、帰るときも当然自転車。体に優しいです(笑)。
――(笑)。実際のところ、キュー・ゲームスが20年間続けられた理由はどこにあると自己分析していますか?
ディランそれは、僕が頑固だからですね(笑)。負けない気持ちを持ってゲームを作り続けてこられたからだと思います。「もうやめよう」と思うときもありましたが、もっとオリジナルゲームを出したいということで、いい方法を模索して続けてきました。
西川あきらめない姿勢というのはあるかもしれません。たとえば『トゥモロー チルドレン』も、開発当初はアクションアドベンチャーとして作っていたんです。一時期プロジェクト自体がピンチになったときもあったのですが、そこであきらめず、それまで作ってきたものを活かしながらも、アイデア自体を取り換えてプロジェクトとして継続しました。最終的にサービスを開始できのは、我々の頑固さのひとつの現れかなと思います。
ディランおもしろいものを作るのがいちばん好きというのはありますね。人があまり遊んだことのないものを作りたい。必ずしも毎回それができるわけではないですが、どこか“あまり遊んだことのないポイント”を探して、それをベースにしてゲームを作っています。
――おもしろいものを作るためには妥協しないということが、キュー・ゲームスの文化であり、みなさんのなかに根付いているのですね。
前田考え続けるといいますか……。『トゥモロー チルドレン』の、みんなで地形やアイテムをシェアするアイデアは、開発当初に一度提案していたのですが、“技術的にきびしい”となったんですね。ところがディランはそれをずっと考え続けていて、「プレイヤーキャラクターが行動したことだけをシェアするのであれば、技術的にも可能だね」と思いついたんです。そこから一気に開発が動いたということもありました。
西川20年間ずっとがんばってきたということは言えるかもしれないです。あと、20年会社が続けられた理由は、ひとつにはディラン自身がいろいろなところから仕事を持ってくる力が強いからだと、端から見ていて思います。
ディランそれはさっき思ったんだけど、キュー・ゲームスはチャレンジする会社なんです。“仕事をいただいている“というよりは、“チャレンジをする”ことで対価を得ている感じですね。
西川そして引き受けた仕事で積極的な“成果”を残せているのでつぎの話もきますし、前のめりにやってきた20年だと思います。
前田受けた仕事に対して手を抜くということは一切なかったですね。「つぎもキュー・ゲームスさんで」というお話がいただけるのも、その姿勢が理由かもしれません。
ディランそもそも僕は営業はうまくないし(笑)。ハングリーにやりたいことをやってきただけです。あとは、チームの人たちの能力やスキルも高いです。やはり、それのおかげでもありますね。
――それは鍛えられるということですか? それとも能力の高い人たちが集まる傾向があるのですか?
ディラン優秀な人材が集まってきてくれますが、基本的に僕はきびしく見ているということはあるかもしれません。もともと僕はプログラマーで、いまも動きだした『トゥモロー チルドレン』のプログラミングもしているのですが、とにもかくにもプログラマーの能力をきびしく見ています。ゲームのメインはだいたいプログラマーが担っていますから。
――ディランさんは、プログラマーがゲームのキモであると考えているんですね。
ディランそうですね。自分の出自がプログラマーだからというのもあるかもしれませんが、ゲームのコアを作るのはプログラマーであるという思いはありますね。
――なるほど。そのへんがキュー・ゲームスの文化として根付いているのかもしれないですね。ところで、この20年でとくに印象的な出来事は?
ディラン『トゥモロー チルドレン』のサービスが終了したときは辛かったです。かなり時間をかけて作ったタイトルだったので、いろいろな思いも入っていて……。好きな方はけっこうたくさんいてくれたのですが。僕の息子も『トゥモロー チルドレン』を毎日遊んでいて、「お父さん、これ遊べなくなるの?」と言われたのが辛かったです。
――なるほど。『トゥモロー チルドレン』の権利譲渡契約にはアツい思いがありそうですね。西川さんは、これまでを振り返ってみて思い出に残る出来事は?
西川いちばん思い出に残っているのは、自分も『トゥモロー チルドレン』関係ですね。キュー・ゲームスでは常時複数の開発ラインが走っているのですが、あのときはみんながひとつのプロジェクトに集中していたという印象がありましたし、どんどんアップデートをくり返したり、ユーザーさんのリアクションを見たりと、ライブ感覚でやれていたのが印象に残っています。
あと、個人的には、『スターフォックス コマンド』(2006年)を開発しているときに停電したことですね。
――なんです、それ?
ディランああ! あれはたいへんだったね。7月の真夏にエアコンが止まってしまって。大きい扇風機を買ってやりくりしていたのですが、コンピューターの熱でみんな死にそうになりながら仕事をしていました。人によってはほとんど裸で作業をしていましたね(笑)。
西川あれはしんどかったですね。けっきょく数日そのままで仕事をしていましたね。
――京都の夏は暑いといいますからねえ……。前田さんはどうですか?
前田僕は『スターフォックス64 3D』(2011年)でしょうか。そのときはまだほとんどの会社がニンテンドー3DSの情報も知らないときに、社内の半分にパーテーションをかけて、シークレットで開発を進めましたね。あとは、プレイステーション4の説明を秘密裏に受けて、作業を進めたこともありますね。そういったことは印象に残りやすいです(笑)。
ディランいち早く最新情報に接することができると、たしかに気持ちはいいかもしれません(笑)。
――なんとなくわかります(笑)。キュー・ゲームスは、ゲーム業界の最新の動向を、いち早く知ることができる立場にあるということですね。ちなみに、ふとした好奇心から聞いてしまうのですが、ディランさんがいちばん好きなハードって何になるのですか?
ディランこの20年間だとPSPです。プログラマー目線ですけど、PSPのプログラムがすごく楽しくて、パワーもあって。
西川PSPを最初に見たときはけっこうインパクトがありましたね。
ディランそう! PSPの中には、ベクトル演算用のVFPUというチップが入っているのですが、そのチップがすごくよくできているんです。プレイステーション3にもSPUがあったのですが、それよりも使いやすくて楽しいチップでした。プレイステーションとプレイステーション2のいいところをうまくまとめて携帯ゲーム機にしたという感じで、メモリー容量は少なかったのですが、キレイなマシンでしたね。
――ディランさんはコンソールにこだわりたいと思っているのですか?
ディランPCゲームもときどき遊びますが、メインはコンソールになります。プレイステーション5も半年くらい前にやっと手に入れて、いまはプレイステーション5をけっこう遊んでいますね。
――コンソールがお好きなのですね。どこに心惹かれるのですか?
ディラン繋がりやすさですね。家でテレビにプラグを挿すだけで、さっと繋げて遊べますし。PCだと少し手間がかかりますよね。あとは、PCはマシン自体も大きくて、オシャレ感が足りないかな(笑)。
『トゥモロー チルドレン』はレガシー。どうしても復活させたかった
――ここからは、『トゥモロー チルドレン』についてお聞きします。先日同作の再リリース計画が発表されましたが、率直な感想は?
ディランほっとしています。2017年にサービスが終了したときは、本当に辛かったです。先ほどもお話したように、かなり時間をかけて作ったタイトルだったのですが、フリー・トゥ・プレイということもあり、マネタイズがきびしいということで、サービスインから1年あまりで終了することになってしまい……。サービスが終了した後はしばらく落ち込んでいました。
――権利譲渡を受けることは、いつごろから考えていたのですか?
ディランサービスが終わった日から、「僕たちのレガシーだから復活させたい」とはずっと言い続けていました。あきらめかけたときもあったのですが、ファンの方から応援していただいたことが大きな支えになりました。
前田熱心なファンの皆さんは、サービスが終了しても、ずっと『トゥモロー チルドレン』のことを話題にしてくれていましたね。制作側としてもサービス終了が決まったときに、「なんとかオフライン版を出せないか」といった話を社内で検討したりしたくらいです。
ディランそれで、地道に交渉を続けて、ようやく権利譲渡の運びとなりました。発表以降、世界中のファンから連絡が入ってきていて、盛り上がっています。
西川『トゥモロー チルドレン』は、自分もゲームプログラマーとしてけっこう関わっていたので、復活すると聞いたときの喜びは大きかったです。
ディランいま僕は毎日『トゥモロー チルドレン』のプログラミング作業をしているのですが、それを見て西川がやりたくなっているようで。いま西川はほかのプロジェクトに関わっているのですが、「少し時間を作って参加したい」みたいなことは言われています(笑)。
――前田さんは前回ディレクターでいらっしゃって、今回もディレクターを担当されているのですか?
前田僕も別のプロジェクトをやりながら、毎週『トゥモロー チルドレン』のテストプレイに参加して、ブレインストーミングやミーティングで「つぎはこれをやっていきましょうか」という感じです。今回は、ディランが中心となってやっている感じです。
ディランいまは趣味プロジェクトみたいになっていますね。毎週集まってブレインストーミングをして、いろいろな機能を実装してみて、テストプレイをして、またブレインストーミング……みたいな感じで、楽しくやっています。
西川端から見ていると、ディランは本当に楽しそうです(笑)。
ディラン楽しいです! 一度できあがって、QAEなどが全部済んだゲームを5年後に復活させて、さらにいじれるというのはあまりない経験なので、新しい感覚で楽しいです。
――位置づけとしてはディレクターズカット版みたいな感じなのですか?
ディランネーミングは決めてないですが、そんな感じになると思います。
――今後『トゥモロー チルドレン』はどのように復活していくのですか?
ディランいまは実験をくり返しながら、わかりにくい部分などを調整したシステムに変えようとしています。いま言えることとしては、サーバーはなくなります。ピアツーピアで簡単にマッチングができるようにするつもりです。フリー・トゥ・プレイにする必要もないので、これも変えるつもりです。
西川『トゥモロー チルドレン』にはもともといろいろな機能がありますが、私はもっと増やしたいと思っています。機能が増えることで、それぞれの相乗効果でさらにいろいろなことができるようになると思うので。
ディラン当時も、最初はそのつもりだったよね。ローンチしてからずっといじっていくつもりでした。
――ということは、リリースした後も機能を追加していくのですか?
ディランコスト面もあるので、まずはユーザーの反応を見てからになるとは思うのですが、少なくとも趣味として追加していきたいです(笑)。
――気になる発売時期はいつごろになりそうですか?
ディラン絶賛いじっている最中です。2022年中には出したいです。
――思いのほか早そうですね。プラットフォームはどうなるのですか?
ディランいま言えるのは、プレイステーション4でリリースすることは決定していて、ほかのハードは検討しています。前作を遊んだ方は、同じプラットフォームで遊べるわけです。また、キャラクターの成長や進捗、ゲームのシステムをさらに楽しくしているので、フレッシュな感覚で遊べると思います。
『トゥモロー チルドレン』は人生に含まれている。いつかは続編も……
――『トゥモロー チルドレン』というIPの、古びない魅力はどんなところにあると思っていますか?
西川題材選びがすごくよかったです。社会主義国家という、すこし古い題材で作ったので、いま見てもスタイルができあがっていると思います。ゲームとしては抽象的な世界ですが、ああいった曖昧さが古びない雰囲気を作ったんだろうなと思います。
ディランそうだね。あとはゲームプレイ自体がほかのゲームの真似をしていないので、古くならないんだと思います。『トゥモロー チルドレン』自体も真似されていないですし、ほかにはないゲームというか。
西川『トゥモロー チルドレン』には、当時一般的なゲームだと実装されていないような要素が盛り込まれていると思います。
ディランとても実験的なゲームで、出すのが少し早かったかもしれないです。いまからリリースすれば、割とゲームのテーマをわかってくれるかもしれません。
――リリース当時、『トゥモロー チルドレン』にはどのような思いが込められていたのですか?
ディランまずは、人があまり見たいことのない世界観を、というのが前提としてありました。で、ふたつの立場があって、双方の考えかたのどちらがいいとか悪いとかではなくて、両方のメリットとデメリットをひとつに含めて描く。当時はセンシティブな感じもありましたが、ここ1、2年は新型コロナウイルスなど、世界的にいろいろなことがありましたし、いまはその辺の理解度は上がってきたと思います。
一方で、『トゥモロー チルドレン』はシリアスな話ではなくて、みんなが協力しながら街を守るとか、協力しながらものを取って運んだりするゲームなのですが、当時はそういったテーマのゲームがほとんどありませんでした。逆に、石とか金属を取って置いておいたら、ほかのプレイヤーが勝手に取っていったりして、「なぜ取っていくんだろう?」と最初はそれにショックを受けると思うんです。でも、そう思った気持ちを変えられる人がゲームにハマっていって、「勝手に取られたのではなくて、その人が街に運んできてくれるのだ」という気持ちに途中から変わっていくんです。
いまは、そういったゲームが増えてきています。そういったゲームを皆さんが理解してくれてきたのかと、少し期待しています。
――改めてのご質問となりますが、皆さんにとって『トゥモロー チルドレン』とはどんな存在ですか?
ディラン僕にとっては、ひとつのライフワークになるかなと思っています。それくらい時間をかけていて、子どものころの思い出や気になっていたテーマもたくさん盛り込まれています。まあ、“ひとつのライフワーク”と言っていますが、僕は複数のライフワークがありますけども。ちなみに、複数あるライフワークのうちのひとつは『スターフォックス』です。
――ライフワークということは、リリースしたあとも『トゥモロー チルドレン』の仕事は継続していくということですね。
ディランそうですね。これはリリースしたあとの反響次第になるかとは思うのですが、リリース後も新機能を追加していきたいとは思っています。そもそも最初に企画したときはそういう構想だったんですよ。まあ、いずれにせよ、趣味としてでも追加はしていきたいです(笑)。『トゥモロー チルドレン』は、僕たちの人生に含まれています。
――人生に含まれているとは、すごいですね。
ディランさらに言えば、いつかは『トゥモロー チルドレン』の続編も考えたいです。同じ世界観ではないかもしれないですが、おもしろい方向に持っていきたいです。
――西川さんにとっては『トゥモロー チルドレン』はどのような存在ですか?
西川僕にとっては、自分のいちばんの代表作です。サービスが終了したときは、世の中からなくなってしまうのかと悲しくなりましたし、それが、こういう形でもう一度出せるので、本当に嬉しいです。
前田自分の中では、いままで作ってきたゲームの中で、いちばんの実験作だと思っています。とても新しいコンセプトだったので、その分作るのも難しくて……。当時小学校に入学した子どもが卒業するくらいまで関わっていたんですよ。
――そんなに長かったのですか。
前田サービス期間中も含めるとそれくらいになります。その当時どうしてもできなかった仕様やバランス調整で後悔しているところもあったので、それを調整できて再度出せるのは嬉しいことです。『トゥモロー チルドレン』のファンになってくれた方で、会社を辞めてインディーゲーム開発者になった方もいらっしゃいまして、そういう人たちがいてくれることが、サービスは終了したものの、気持ち的に助かっていたりもしました。
先日復活を発表したときに、「待っています!」と言ってくださる方が多くて、お待ちになってくださっていた皆さんにお届けできるのは、とてもうれしいです。
――最後に、21年目以降に向けての決意をお聞かせください。
ディランキュー・ゲームス創業から20年のあいだに、いろいろなゲームを作ってきて、全部がヒットしたわけではないものの、ポテンシャルのあるゲームはいくつもあったと思っています。そのひとつが『トゥモロー チルドレン』なのですが、21年目は『トゥモロー チルドレン』などのプロジェクトをやりながら、新しいIPを実験して作っていければいいなと思っています。実験の中から、新しい技術と新しいゲームプレイを見つけたいですし、最後の最後までこだわり抜いて、いいゲームにしていきたいです。
西川キュー・ゲームスはおもしろいゲームをたくさん作っていると自負しているのですが、これからも引き続きその気持ちを忘れずに、いろいろなゲームにチャレンジして、たくさん出していければいいなと思っています。
前田自分は、守りに入らずに攻めたゲームを発信していきたいと思っています。多くの人に届きやすいように敷居は低くしたいですが、そのうえで新しい経験ができるゲームを出したいと考えて、日々開発に励んでいます。21年目以降のキュー・ゲームスにもご期待ください!