2021年5月25に公開されたパッチ5.55をもってストーリーの完結を迎えた『ファイナルファンタジーXIV』(以下、『FFXIV』)の拡張パッケージ『漆黒のヴィランズ』。その感動の理由やプレイヤーを引き付けた謎を解き明かすべく行った、プロデューサー兼ディレクターの吉田氏にインタビュー。

 前編では『漆黒のヴィランズ』のメインストーリーを軸にさまざまな言葉を引き出したが、後編ではメインシナリオ以外のコンテンツやバトルを中心にうかがっていく。なお、後半もストーリー関連のネタバレが満載なので、まだ各コンテンツの物語を最後まで体験していない方は細心の注意を払いつつ読み進めてほしい。

※インタビュー前編はこちら

吉田直樹(よしだ なおき)

スクウェア・エニックス 取締役執行役員 第三開発事業本部長。『ドラゴンクエスト』シリーズ初のアーケードタイトルである『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』シリーズのゲームデザインとディレクションを担当。2010年12月に『ファイナルファンタジーXIV』のプロデューサー兼ディレクターに就任。現在、『ファイナルファンタジーXVI』のプロデューサーも兼任している。

ガレマール帝国をめぐるサブストーリーをふたつ用意した狙い

──5.xシリーズでは、ウェルリト戦役をはじめとするサブストーリーも、メインシナリオに細かく関係してきます。これらはメインシナリオと同時進行する、もうひとつの本編とも言える作りだと思うのですが、この方向性は当初の段階から決まっていたことなのですか?

吉田暁月のフィナーレ』でガレマール帝国について語るのか、あるいは一足飛びにハイデリン・ゾディアーク編を完結させるのかという問題は、『漆黒のヴィランズ』の開発終盤くらいから考え始めていました。べつに悩んでいたという感じでもなく、僕はその時期からつぎの展開を決めておかなければならない立場なので、自然と頭がそちらの方向に向かった感じです。いずれにせよ、ガレマール帝国だけで拡張パッケージを1本作るのはしんどいだろうなと。

──その結果、後者を選択されたと。

吉田とはいえ、プレイヤーになじみが薄い世界を唐突に舞台とするのも、あまりよくなかったりします。一方で、「ガレマール帝国はもういいよ」的な空気が実際にあるのも事実なので……。かつての「アシエンはもうおなか一杯!」みたいな流れと同じですね。だからこそ、5.0である『漆黒のヴィランズ』リリース後に姿を現す大きなふたつの流れのうち、片方はあえてガレマール帝国でもいいのかなと思い、“ウェルリト戦役”の企画を許可しました。じつはほかの案も存在したのですが、いわゆる“メカもの”はガレマール帝国を使わなければ成立しないはずなので、「それならいいよ」とゴーサインを出した感じです。

 一方、もうひとつの大きな流れである“セイブ・ザ・クイーン”に関しては、ギリギリまで松野さん(松野泰己氏。“セイブ・ザ・クイーン”の脚本を担当)とお話をさせていただきました。じつは当初、解放戦線にあたるという面で、現在の物語とはまた違った展開になる可能性もあったのです。

 結果として、ガレマール帝国をふたつの側面(“ウェルリト戦役”と“セイブ・ザ・クイーン”)で描くことになったのですが、これはこれでよかったなと。今回のふたつの大きなストーリーを通じて、帝国が瓦解してく様子がわかっていただけたかと思いますし、そのベースがあるからこそ、今回の『暁月のフィナーレ』に出てくる帝国編のシナリオを、壮大なドラマとして描ける面もあります。

──物語の本編には直接関係しなくても、“ウェルリト戦役”や“セイブ・ザ・クイーン”をプレイしていれば『暁月のフィナーレ』がより深く楽しめると。

吉田双方をプレイすることが、お話を理解する条件になる、という意味ではありません。いまのガレマール帝国の状態を知ることで、そこで暮らす人々の考えや、それに巻き込まれる市民の気持ちがプレイヤーの中にも感情として芽生えているはずなので、そうしたところが大きいのかなと。

 たとえば“英雄”として皇都ガレマルドを訪れる際、現地の惨状を目の当たりにしたときに“漆黒編”のふたつのストーリーを体験していることで、より強く感情移入できる部分は確実にあると思います。

──“セイブ・ザ・クイーン”には、戦果帳というテキスト主体の新しい試みも取り入れられていましたが、これは松野さんのアイデアだったのですか?

吉田はい、そうです。パッチ5.35に向けて、松野さんから”南方ボズヤ戦線戦果手帳”という、ほぼ仕様書になっている企画案をいただきまして、UIレイアウトは少々異なりますが、ほぼそのまま実装させていただきました。ものすごくキレイに仕様化していただきましたので、ほとんどそのままです。

──そんな経緯があったとは……。

吉田僕自身もそうした読み物を集めて自分で「この人とこの人はじつは!」みたいに設定を探っていくのが好きなタイプなので、とてもありがたかったですね。

──獣使いのララフェル族の戦果帳はすごくおもしろかったです。

吉田パガガですね。パガガチャレンジが開催されていて、笑いながら拝見しています(笑)。

──つぎに“YoRHa: Dark Apocalypse”に関しては、ヨコオさん(ヨコオタロウ氏。『ニーア』シリーズディレクター)にお聞きしたほうがいいかとは思うのですが、パッチ5.55で公開されたラストシーンがすごく衝撃的でした。いまの段階で、このあたりをお聞きするのは時期尚早ですか?

吉田僕には僕なりの解釈があるので……それとなく「ヨコオさんはすごいことをするな」と思いました。あの結末を、『ニーア』のファンの方々はどう解釈するのか楽しみではあります。

──アノッグとコノッグの調査比率がもし変わっていたら、エンディングもまた別の形になったのでしょうか?

吉田エンディングが変化することはないと思います。あれが一体何なのか……詳しくは秘密ですが、ひとつ言えるのは数字の問題ではないだろうな、と。

──数字ではない……。

吉田これ以上、僕の口からは言えないです!

【FF14】ネタバレ全開の『漆黒のヴィランズ』秘話を吉田P/Dが赤裸々に語る(後編)。“希望の園エデン”は作りながら結末の展開を決めた!?
“YoRHa: Dark Apocalypse”のフィナーレが公開された直後に、話題を呼んだシーンがこれ。なぜこの局面で挿入されたのか、いまなお謎は残ったままだ。

ガイアは完全な敵として現れる可能性もあった

──メインシナリオ以外のコンテンツとしては“希望の園エデン”もありますが、第一世界のその後をこちらで描こうと最初から決めておられたのですか?

吉田尺の長さの問題もあり、『漆黒のヴィランズ』の中では、リーンという個人を確立するまでが描かれています。そのうえで、個人として目覚めた後のリーンの成長といいますか、彼女の個性や人間性みたいなところを“希望の園エデン”で描いてあげたいなと。

 英雄や暁のメンバーは、第一世界をいずれ去らなければならないので、リーンという少女にこれから先ひとりで生きていけるようになるためのきっかけになる冒険を用意。それをやりきることで、サンクレッドを含めた暁の血盟が原初世界に帰ったとしても、「寂しいけれど、私は大丈夫」と言えるところまでが、希望の園エデンの物語と考えています。

──ガイアの存在感もピカイチでした。

吉田ガイアのデザインを哲さん(野村哲也氏。ガイアのキャラクターデザインを担当)にお願いした時点では、リーンとの関係性はいまの結末までは詰めきれていませんでした。光の巫女と闇の巫女、ふたりを絡ませるところは確定していましたが、それをどれくらいまで近づけるか、リーンとガイアの立ち位置がどこに収まるのか、という結末までは決めきっていなかったのです。

──開発を進めていくなかで形作られていったと。

吉田5.0の“希望の園エデン:覚醒編”の時点では、まだまだ序章で、開発の初期段階ということもあって、ガイアのモデリングも制作中だったのです。鎧を着て初登場しているのは、そういった理由でもあるのです(苦笑)。

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“希望の園エデン:覚醒編”の2層でガイアは初登場を果たす。漆黒の鎧で全身を覆っており、この時点ではガイアであることがわからなかった。

──まさかの事実が(笑)。

吉田コンテンツを制作している時点で、デザインは決まったけれど、モデルがない、ということで2層のコンテンツ担当である中川(中川誠貴氏。リードバトルコンテンツデザイナー)が”闇の意思によって制御されていて、鎧をまとわされている”と設定してくれました。

 これをシナリオに反映しつつ、バトル面ではディレイスペルという概念が生み出され、これもまたガイアというキャラクター形成に生かされたと思います。ギミック的にも発明でしたね。

 もちろん、ガイアもリーンもその関係性も、”希望の園エデン:共鳴編”までには固まりましたが、少なくとも“希望の園エデン:覚醒編”は、それで押し切るしかない状況でした。僕たちは日々のスケジュールとも戦っているので、結構な綱渡りになることもあります。ガイアは“希望の園エデン:共鳴編”で本格的に姿を現してからすごく人気が出てきたので、ほっとしてます。

──物語がふたりのアシエンに帰着する流れも、まったく想像がつきませんでした。

吉田ガイアのこの設定は、当初からの予定通りです。

──設定としては存在したと。

吉田そうです。それがリーンと仲良くなるのか、敵として分かれるのか、生存できるのかどうかなど、そういったところが詰まってなかった、ということです。

ミーシィヤの処分を決める選択肢の真相

──“セイブ・ザ・クイーン”では、物語の大枠には影響を及ぼさないものの、重要な選択肢が幾度か現れました。このような仕掛けは4.xシリーズの“禁断の地 エウレカ”にもありましたが、これはやはり選択肢の重みをプレイヤーに感じてもらうのが狙いですか?

吉田“禁断の地 エウレカ”のときとはまったく違います。今回の“セイブ・ザ・クイーン”は、『漆黒のヴィランズ』が指し示したファンタジーの王道に対して、ド直球で攻めたコンテンツです。何がいいとか何が悪いとかではなく、せっかくのエンターテインメントなのだから、スカッとした気持ちになれたほうがいい……そう思う人が、いまの時代は多いのも確かな事実です。

 『鬼滅の刃』が大ヒットしていますが、すごくスピーディーに物語が進むあの気持ちよさは、『漆黒のヴィランズ』でも似たところがあるのかもしれないな、と思うことがあります。敵を徹底して憐れむ、などもですね。あまり言うとファンの方に怒られそうですが……。

──エピソードが詰め込まれているクライマックスをどんどん駆け抜けていく感じが、確かにちょっと似ているかもしれません

吉田このあたりは松野さんとの話で話題になるところですが、世界にはキレイごとでは済まされない部分があるからこそ、キレイで気持ちのいい側面を見た時、「イイ!」と感じられるところもあるわけです。要は戦争、解放、裏切りが満ちあふれる世界に、そんなにいい人ばかりがいるのだろうか、と。この2年近く、松野さんとはよくこのテーマでお話しさせていただきました。

──おふたりでどのような議論が交わされたのですか?

吉田ここで僕だけがお話しするのは違うかな、と思いますので、ぜひ松野さんもお呼びいただいて、ぜひ別途インタビューの機会を作っていただけると……(笑)。とても深く、面白いお話を聞かせていただけるのではないかなと思います。

──いつかぜひお願いします!

吉田選択肢のお話に戻りますが、「戦争の始末、氾濫の始末」はどうつけるのか。つまり古風に言えば民衆や兵士に対しての”オトシマエ”をどこで着けるのか、というのが根底にあります。『紅蓮のリベレーター』をリリースしたころ、松野さんとお食事をした際に、「フォルドラはどうなるの?」という会話をしたことがあり、じつは悩んでいたことをお話ししました。

 僕は現実路線派なので、通常なら極刑でも致し方なしと考えていましたが、シナリオチームとしては、ツラくても生かして誰かのために戦う人生を用意したい、と。実際、ここはリリースをした後、プレイヤーのみなさんのあいだでも、賛否が分かれていました。「生かすのかよ」というお声もあれば、「救われてほしい」というお声もあり。しかし、ガレマール帝国の圧政を打ち破ったとはいえ、苦難を強いられてきた民衆は、そう簡単に怒りを鎮めたりできないのが現実です。

 ですので、その怒りのはけ口、言わば”オトシマエ”が必要で、ラウバーンが聡明な政治家ならば、本来は極刑にするとも考えられるのです。「人ひとりの命で多くの民が納得し、平和への道が近くなるのなら、自らの手を汚して業を背負う」というのが、これまでの歴史のリアルではないかと。そのリアルの選択肢が今回に当たると感じています。

──確かに、ゲーム内で実際にその選択肢を突き付けられると、「そういえば光の戦士って、能動的に人を殺したことがあったかな……?」と考え込んでしまいます。

吉田そうです。先ほども少しお話しましたが、光の戦士はまさしく自分自身として完全に定着しています。だからこそ、あのシーンでの選択にものすごく迷うわけです。

──光の戦士は人殺しなのかどうかを問われている気がして、すごく印象的でした。

吉田バイシャーエンの人間臭さ、頭のよさ、あえての狡猾さなど、僕も相当考えさせられたストーリーですので、いろいろ語りたいところは山盛りなのですが、続きは松野さんも交えてぜひどこかで機会を……。

──『漆黒のヴィランズ』のメインストーリーの裏側として、本編とは異なるアプローチが楽しめたのですごく興味深かったです。

吉田現在世の中で評価されるものは何なのか(を追究するの)と同時に、僕たちが『FFXIV』として世の中に伝えていきたいものとは何なのかを、この2年のあいだ議論してきた結果です。『漆黒のヴィランズ』のメインシナリオと共に、“セイブ・ザ・クイーン”も”ウェルリト戦役”も示す方向が違うからこそ、読み口も切り口も異なり、大きな作品になっているのかなと感じています。

クエストインスタンスバトルはより精緻なクエストインスタンスコンテンツに進化を遂げた

──シナリオ以外の部分でこれまでの拡張パッケージから大きく変わったと感じたのは、やはりクエストインスタンスバトル(以下、QIB)です。以前までとは異なり、完全にひとつのバトルコンテンツとして成立していると感じました。こちらに関してどのような作りかたの変更が行われたのですか?

吉田これもやはり積み重ねの産物です。ご存知の通り『漆黒のヴィランズ』の前にも、たとえば『紅蓮のリベレーター』で登場した“終節の合戦”に代表される、ものすごくデキのいいQIBが存在しました。

 もともとQIBは、ゲームデザイナーがスクリプトと、ほんの少しのプログラム・コーディングで作っていたのですが、『漆黒のヴィランズ』以降、その方式をほとんどやめました。いま我々の中ではQIC(クエストインスタンスコンテンツ)と呼んでおり、プログラマー主導で作る流れに変更しています。

 具体的には、ゲームデザイナーはバトルをデザインし、各キャラクターの動きやタイムラインを設計することに集中。プログラマーがすぐ脇に貼り付いてそれを組み上げていくやりかたです。実際にプランナーだけで作っていては、あれほど手の込んだ形にはなりません。『紅蓮のリベレーター』をリリースした後、“終節の合戦”のようなハイクオリティーなQIBに対する皆さんの反響が大きかったので、今後はこちらにシフトしたほうがいいと考えた結果、作りかたを変えることになりました。

 ちなみに、QICが英語的に正しいかどうかはわかりません。正しくない気がします(笑)。なにせ、「QIBのB、バトルからの進化系だから、単なるバトルの枠を超えている……つまりコンテンツだよね」。「QIBのBがコンテンツのCに変わる、つまりB→Cで進化っぽいもんねw」的なノリで付けた開発呼称です……。

 裏話はさておき、加えて、開発スタッフ……とくに新規加入者たちのモチベーションの高さも貢献したと思います。『紅蓮のリベレーター』のパッチが進行していたあたりで入社してきたメンバーの多くは、『FFXIV』をプレイしたうえで本作の開発に名乗りを上げてくれた人たちです。

 新規加入と言っても、彼らは前の会社ではソーシャルゲームを作っていたり、システムエンジニア的な仕事をしていたりと、ゼロキャリアではない人が多いのです。先輩たちが作ってきたものを超えたい、という彼らの思いに加えて、プロットを読むだけでわかる『漆黒のヴィランズ』のすごさにもモチベーションを揺さぶられて、自身が担当するQICを徹底的に作り込んでいました。

──吉田さんも、そうした方たちから熱いものを感じたと。

吉田彼らが提出してくる概要書を読めば、やる気に満ちていることがすぐにわかるのですが、逆に「これを実現できるのかな?」と不安に思うこともたびたびありました。たとえば5人のNPCを同時に動かすのはかなり難度の高い作業になるので、彼らを指導する先輩スタッフたちに、「風呂敷を広げるのはいいけれど、畳めなくなったら目も当てられない状況になるので、抑えどころを見極めるようにね」と伝えたこともあります。しかしそれは杞憂に終わり、先輩も後輩も力を合わせ、スタッフたちはすごくていねいに仕上げてくれました。QICに関しては、たぶんモチベーションの高さがいちばん大きかったと思います。

──イメージ的には、もはや通常バトルの範疇ではないような気がします。

吉田そうですね。確かに、もうほとんどコンテンツ的な作りかたです。

──フキダシによるセリフの中身と、それが出るタイミングも秀逸でした。

吉田ゲームデザイナーが、その場面に特化した演出プランをこだわって作った結果です。そのこだわりをプログラマーが真正面から受け止めて、場合によってはフルスクラッチで対応してくれました。

“なりきりNPC”のバトルが生まれた経緯は?

──プレイヤーキャラクター以外を操作するタイプのイベントバトルも、『漆黒のヴィランズ』で一気に増えました。こちらも、スタッフの方々のモチベーションの高さと経験の積み重ねから生み出されたのですか?

吉田あれは『漆黒のヴィランズ』に向けた準備の過程で、織田のほうから「暁の血盟をプレイヤー自身の仲間だと思ってもらうためには、“一方そのころ”に代表されるカットシーンによる演出だけでは限界がある」という報告が上がってきました。

 その解決策として、「NPCになりきる形での戦闘が実現できないものかとバトル班にアイデアを提案しているのですが、前に進めてもいいですか?」と聞かれたので、「過去の『FF』にもそういう仕掛けが存在したので問題はないよ」と伝えました。そうして生まれたのが、アルフィノの“なりきりNPC”です。

──パッチ4.3でしたでしょうか、“紅蓮編”のラストあたりで登場したあのバトルですね。

吉田あれがいちばん最初で、いわばテストケースとして作りました。無理やり開発したので、じつはあのアルフィノの中身は思いっきり光の戦士だったりします……。

──何と。

吉田あのときは最初のテストケースでもあり、時間がなかったこともあって、試験的に外見をアルフィノに変えただけなのです。開発当時、バフやデバフのステータスがおかしなことになっていました。光の戦士にデバフがついた状態でバトルに突入すると、そのアイコンがアルフィノにも付与されるという(苦笑)。

 これはマズいと思って初期化などの処理を無理やり入れ込んではみたのですが、それでもなかなかうまくいかず。最後は「FCアクションのバフがどうしても消せない!」となり、表示だけ消して、効果はじつは発揮されている、みたいな形になりました……。

 その後スタッフのほうから、「幸い評判もいいですし、この方式を多用するのであればシステムとしてキッチリ作りましょう」と提案してくれたので、いまは対応するプログラムを呼び出せばキレイに初期化が行われて、当該NPCとプレイヤーがスムーズに置き換わるようになっています。

【FF14】ネタバレ全開の『漆黒のヴィランズ』秘話を吉田P/Dが赤裸々に語る(後編)。“希望の園エデン”は作りながら結末の展開を決めた!?
アルフィノを操作して帝国軍と戦う展開に、新たな興奮を感じたプレイヤーも多いはず。

──サンクレッドとランジート将軍の一騎打ちを“なりきりNPC”で体験できていなかったら、その後の感動もきっと違ったものになったはずです。

吉田織田が前廣(前廣和豊氏。シナリオセクション:マネージャー)とともに『蒼天のイシュガルド』を作っていた当時、クラシックな『FF』のよさである“仲間と一緒に旅をしている感覚”を大切にしていました。おそらくそのころから“なりきりNPC”は実現したかったことのひとつだったはずです。

──当時から、NPCを一時的に操作するようなことを考えられていたと。

吉田プレイヤーの皆さんに、”暁の血盟を本当の仲間であると思ってもらう”なら、“なりきりNPC”は必要だろうなと。これを実現できれば、たとえばアルフィノの苦労をその身で体感できるので、もうワンランク上のゲーム体験をプレイヤーにお渡しすることができるはず。そうした意味も含めて、ファインプレイだったと思います。

──バトルのバランスをどう取るのかという部分にも、難しい面があったのではないでしょうか? たとえば、ヒーラーしか触ったことのない人が、いきなり近接攻撃が主体のサンクレッドを操作することになるので、そのあたりも考慮に入れなければならないはずです。

吉田そのためにもPvP向けに作っていた、コンボがオートマチックで繋がる仕組みをまとめて貼り付けて、ひとつのボタンを連打するだけで近接攻撃をくり出せるようにしました。またヒーラー系のNPCの操作についても、これとこれを押していればオーケーみたいな作りになっています。そうしたところを想定して、フェイスを実装する際も”参加するNPCたちをできるだけ既存のジョブとは異なる扱いにする”と決めてもいますね。

──既存ジョブでないのであれば、独自のアクションを使えるということですね。

吉田たとえばアルフィノを学者ではなく学士にしておけば、既存ジョブが扱えない攻撃魔法を操れたとしても「彼は学士なので」と……。仮にアルフィノを学者のままにしておくと、「特別な技が使えてずるい!」という話になってしまいますし、そのあたりも踏まえて、あえてジョブを既存のものから変えました。

──逆に竜騎士でプレイしている人からすると、エスティニアンのすごさがものすごく伝わってきます。ついつい「自分にはこんな技使えないよ!」と思ってしまって(笑)。

吉田あれは魔槍ニーズヘッグを持っているからです(苦笑)。

──でもそのおかげで、エスティニアンはとんでもなく強い人物であることが十分に感じ取れました。

吉田エスティニアンは、あえてオーバー気味に作ってもらっていますね。

──そうだったのですね。ほかには、こちらも一種の“なりきりNPC”かと思いますが、ウェルリト戦役でGウォリアーに搭乗して戦うシーンは、意外と難度が高めに設定されているという印象を受けました。

吉田あのシーンも“なりきりNPC”の仕組みで作られているので、ご想像の通り中身は光の戦士です。ひとつのエリアにつき、操作可能なキャラクターをひとりまでしか置けないのでどうしてもそうなってしまいます。よりコンテンツとして楽しんでいただくために、Gウォリアーをちゃんと操作して戦うことを意識して作りました。あそこまでアクションが違うと、ほとんど新ジョブを作っているようなものですね。これも最近成長著しいスタッフが担当してくれています。

【FF14】ネタバレ全開の『漆黒のヴィランズ』秘話を吉田P/Dが赤裸々に語る(後編)。“希望の園エデン”は作りながら結末の展開を決めた!?
高速で移動できるブーストモードや、敵の攻撃から身を守るエーテルバリアなどを状況に応じて使い分けつつ、サファイアウェポンを攻撃していく。まるでロボットアニメの主人公になった気分で楽しめたバトルだ。

──Gウォリアーで戦うシーンを体験して、「NPCの操作がついにここまできたか」と驚愕しました。

吉田MMORPGでありながら、いろいろなロールプレイの幅を広げていけるようになったシステムでもあると思います。

──プレイヤーの側もNPCを操作することに慣れてきているはずなので、今後にも期待が持てそうです。

吉田いままで以上にすんなりと遊んでもらえるのではないかと思っていますし、それに合わせて難度も抑え気味にしています。そうすれば、たとえば「ウリエンジェはじつはこんな苦労をしているのか」みたいな形で、ストーリー体験をより手軽に楽しんでいただけるはずです。

バトルコンテンツに物語性を盛り込むことの難しさ

──先日のデジタルファンフェスティバル2021の開発パネルで、いわゆる“絶”コンテンツの開発にも物語性が根付いていることがすごくよくわかりました。『FFXIV』はストーリーとコンテンツが密接に関わっていますが、そうした魅力が『漆黒のヴィランズ』で数段進化したように感じています。今回のメインシナリオが、そうしたバトルコンテンツに及ぼした影響について吉田さんはいかがお考えですか?

吉田 じつは、そこは結構難しい部分なのです。大輔(中川大輔氏。バトルコンテンツデザイナー)が先日の開発パネルで語っていた通り、バトルにストーリー性は必須かと問われれば、僕も「そうではない」と思います。僕も大輔と同じ意見で、たとえば“絶アルテマウェポン破壊作戦”は、ストーリー自体はバトルと関係ありません。

 しかし、3体の蛮神を覚醒させる必要があるうえにリミットブレイクも3回使わなければならないといったように、コンテンツの中にドラマが存在します。先日の開発パネルでも大輔が打ち明けていた通り、じつは“絶アレキサンダー討滅戦”も当初、コンテンツ自体にドラマ性が感じられるコンテンツにしようと思ったようですが、「どうもうまくいかない」という話になって一度暗礁に乗り上げた。そこで改めてストーリーを掘り返したところ、シャノアという存在を発見。結果として物語との連動が感じられる作りになったという経緯があります。

──そうだったのですね。

吉田この部分は良し悪しだと思っているので、プロデューサーとしてもディレクターとしても、「必ずストーリーを入れなさい」と指示したことは一度もありません。必要性があって入れるのは構わないのですが、それをやりすぎて”重く”なってしまうのが、僕自身ものすごくキライなので……。

 なぜなら「ほら、物語性がこんなに感じられてすごいでしょう!」といったように、作り手の自己満足が見えてしまうからです。僕はそういう作りを見ると、その制作の熱意やかけてきたコストに敬意は払うものの、「バッサリ落としてほしい」とお願いしてしまったりしますし。

──バトルそのものが快適でなくなる危険性があると。

吉田そうです。バトルに物語性を織り交ぜるというこの流れは、パッチ4.3でリリースした“ツクヨミ討滅戦”で一度仕上がったと思っています。あのコンテンツが世界中で好評だったことを受けて、多くのスタッフが“ツクヨミ討滅戦”をベースに作ろうとするようになりました。当然ですが「もっとやりたい」みたいな形で物語性を盛るのですが、あの戦いは極限のスマートさで仕上がっているので、そこよりもさらに激しくすると、今度は冗長に感じられてしまいます。

  “ツクヨミ討滅戦”以降、開発チーム内にその傾向が強くなってきたかなと感じることもあり、ディレクションをするたびに、「意図はわかるけどやめて!」と言う機会がやや増えました。”ウェポンシリーズ”のバトルも長めですし、 “ウォーリア・オブ・ライト討滅戦”も僕のチェック段階では、もう少し長かったのです。

【FF14】ネタバレ全開の『漆黒のヴィランズ』秘話を吉田P/Dが赤裸々に語る(後編)。“希望の園エデン”は作りながら結末の展開を決めた!?
“ツクヨミ討滅戦”では、バトルの快適さを維持したまま、ヨツユのせつなくも悲しい心象があますことなく描かれている。ゴウセツの幻影が「ツユよ、生きるのだ! 生きねば償いも、恩返しもできぬのだから!」と叫ぶ姿に、戦いながらも目頭が熱くなった人は多いはず。

──それに対して吉田さんは何と?

吉田バトルコンテンツとしてはまず単独のアイデアを考え出したうえで、後から物語性を盛り込むのが基本だとは思うのですが、その一方でシナリオを作る側としても「この戦いでこれを伝えたい!」という気持ちが高まるのはすごくよくわかります。ですが、それらのいいところをすべて入れようとすると、さきほどお話した重たい状態になってしまうのです。だから、初回バトルのいい思い出が、くり返すことで長すぎて嫌になっていく、というのを避けましょう、と。

──仮にオフラインゲームの1回限りの戦闘であれば、そうした重い状態でも問題ないケースがあるかもしれませんね。

吉田1回だけであればいいと思います。ですがその場合であっても、全滅してリトライしたときのことを思うと、それなりの重さを感じるはずです。いくら最高のシーンでも2回、3回と見せられると冷めてしまいますよね。

──またここか、みたいな気分になりそうです。

吉田ストーリーとバトルをいかにしてひとつの体験にまとめ上げるのかは、これからも常に永遠の課題です。これは永遠に到達できないゴールのようなもので、だからゲーム開発は面白いとも思うのです。いい意味でゲーム体験としてのクオリティーを高められる余地が、まだまだ残されているはずですし、スタッフの成長も本当に頼もしい。開発チームのみんなも、それに向かって突き進む人ばかりなので、これからも努力を続けます。

これから先もプレイヤーと手を携えて『FFXIV』を作り上げていく

──最後に、吉田さんが5.xシリーズの開発過程で得た確信、あるいは開発のなかでもっともうれしかった点をお聞かせください。

吉田『FFXIV』というゲームは、本当に世界中のファンの皆さんとメディアの方々にサポートしていただきながらここまで来ることができました。おカネを支払っていただいているのでそれに見合うサービスを提供するのは当然ですが、「このゲームをずっとプレイしてきてよかった」と自分のことのように思っていただいた方々に対して、『漆黒のヴィランズ』では少しだけ恩返しができたのかなと感じています。

──ある意味、安堵されたと。

吉田僕たちは、ゲーム体験で恩返しをするのが本筋です。ご自身が遊んできたゲームが世界中から高評価を得たこと自体にうれしさを感じてもらえたはずですし、プレイヤー数の規模がさらに拡大していることにも充足感を得てもらえたと思います。

 ときにはフラついた時期もありましたし、綱渡りをしてきた部分もありましたが、まずはいったん、皆さんに「応援しながら遊んできてよかった」と思っていただけたかなと。ほんのちょっとだけですが、肩の荷が下りたといいますか、10年間突っ走ってきたなかでホッとしたところはあります。しかし、それはそれ、つぎの『暁月のフィナーレ』に向けて、いまも全力疾走中ですので、ぜひご期待ください!

──今後の期待も高まります。

吉田いつも最高の作品にするつもりで作ってはいるのですが、『漆黒のヴィランズ』はとくにいいゲームとして皆さんにお届けできてよかった……ちょっとだけ、そんな気持ちがあります。とはいえ『FFXIV』はまだ終わるわけではないので、ぜひ今後の展開にも引き続きご期待いただきたいです。

 ちなみに、最近「吉田は『FFXVI』の制作で忙しいせいで、この件にはノータッチなんだろう」というご意見をたまにSNSなどで見かけるのですが……そんなことはないんです。死に物狂いでやってますので、これからもよろしくおねがいします(苦笑)。

一同 (笑)。

──インタビューさせていただいている側からすると、そのあたりはすごく肌で感じます。ちゃんと開発に携わっていなければ、ここまで詳しくお話するのは不可能ですよね。

吉田やはり人間がやることなので、いつまで経っても運営と開発の双方でミスが生じることはあります。それに対し、「吉田が見ていないからこうなるんだ」といった投稿を目にするたびに、「見ていてもミスは起きてしまう、僕はその程度なんだ。ゴメン! でも、だからこそがんばります!」と心の中で思っています。いずれにしても、『FFXIV』と『FFXVI』、どちらもキッチリと仕上げていきますので、今後ともよろしくお願いいたします!!

※インタビュー前編はこちら

【FF14】ネタバレ全開の『漆黒のヴィランズ』秘話を吉田P/Dが赤裸々に語る(後編)。“希望の園エデン”は作りながら結末の展開を決めた!?

[2021年9月7日14時8分修正]
記事中の一部表記について誤りがあったため、該当の文章を修正いたしました。読者並びに関係者の皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。