コアな『ゾンビ』ファンが大集結! この日、新宿は地獄と化した!
公開から半世紀近くが経ってなお輝きを失わない、ホラー映画の金字塔『ゾンビ』! その偉大すぎる作品のファンイベント“ゾンフェスVol.01”が、2019年11月30日に東京都・新宿区にあるKDX東新宿ビルにて開催された! 本記事では、『ゾンビ』出演俳優や国内ゲストを招いて大いに盛り上がったイベントの模様を大ボリュームでお届けしていく。
リポートに入る前に、まずは『ゾンビ』に関するここ最近の熱狂ぶりやイベントの概要を軽く紹介しておこう。
『ゾンビ』と言えば、“米国劇場公開版”や“ディレクターズカット版”、“ダリオ・アルジェント監修版”といった複数のバージョンが存在するのが特徴のひとつ。日本では、1979年の劇場公開時に配給の日本ヘラルド映画がオリジナル版にはないシーンを追加し、独自の編集を施したバージョンを上映している。そして、『ゾンビ』の日本公開40周年を迎えた2019年、その“日本初公開版”を復元して劇場公開するためのクラウドファンディングが実施され、見事目標を達成。さらなる目標も達成して『ゾンビ』出演俳優のケン・フォリーとゲイラン・ロスが登壇するイベント上映の開催が決まり、『ゾンビ』界隈はすさまじい盛り上がりを見せた。なお、現在この『ゾンビ』劇場初公開復元版は劇場公開中だ。クラウドファンディングのリターン以外にソフト化の予定はないので、ぜひ劇場に足を運んで鑑賞してみてほしい。
そしてこれを絶好の機会と見て、来日する2名の『ゾンビ』出演俳優をゲストに招いたファンイベント、ゾンフェスVol.01が開催されることとなった。イベント内容はケンとゲイランのトークを間近で聞け、フォトセッションやサイン会に参加しつつ交流できるというファン垂涎のもの。開催の告知を見たファンは歓喜したことだろう。
このゾンフェスはファンが主体となって開催されるイベントでありながら、そのクリティーはひたすら高く、どこまでもディープだ。『ゾンビ』研究家であり、監督のジョージ・A・ロメロを愛してやまないノーマン・イングランドが監修を務め、『ゾンビ』にこだわりを持つ国内ゲストが多数招かれるなど、並々ならぬ熱意が込められている点にも注目してほしい。
<ゾンフェスvol.01 ゲスト>
ケン・フォリー(ピーター・ワシントン役)
ゲイラン・ロス(フランシーン・パーカー役)
清水崇(映画監督)
田野辺尚人(『別冊映画秘宝』編集長)
山崎圭司(ライター)
藤原カクセイ(特殊メイクアーティスト/デザイナー)
岡本敦史(ライター)
丸1日『ゾンビ』尽くしの濃密すぎるイベントが幕を開ける!
イベント当日、会場のKDX東新宿ビルには多くの来場者が集結。40年間もの歴史を持つ『ゾンビ』のイベントということで、長らくこの作品を愛し、鑑賞し続けてきた筋金入りのファンが多いのだろう、静かな熱気をビンビンに発している。そして、その誰もが憧れの『ゾンビ』俳優に会えるとあって、心躍らせながらイベントの開始を待ち詫びているようだった。
主催のマクラウド代表・白石知聖とイベントの監修やMCを務めるノーマン・イングランドの挨拶でゾンフェスVol.01は開幕。ここでのノーマンの「ゾンフェスは人生においての夢のイベントで、こういった『ゾンビ』だけのイベントを日本で開催できるとは思わなかった」というコメントが、じつに感慨深げだ。50年近くにわたって『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』からなるジョージ・A・ロメロのゾンビ作品群に魅了され続けてきたというのだから、その思いもひとしおだろう。
白石とノーマンの挨拶の後に、ケン・フォリーとゲイラン・ロスが登場。盛大な拍手に迎えられたふたりがステージに登る。今回が初来日だというゲイランは「皆さんに会えてとても光栄です。映画公開から40年経ったいまでも支えてくださることに驚きと感謝を隠しきれません。この来日をサポートしてくださった皆さんに改めて感謝を申し上げます。ありがとうございます!」と詰めかけたファンに感謝の言葉を送る。ケンも「来日は2度目ですが、今回は前回以上にすばらしい。このように映画を通して皆さんにお会いできることをたいへんうれしく思います」と続けた。
ステージでは、そのままケンとゲイランによるトークショーがスタート。オーディションや撮影時の印象に残ったエピソードなど、『ゾンビ』にまつわる貴重なトークを披露してくれた。なお、ファンとゲストがいっしょに映り込むような写真の撮影は有料となるが、ステージやブースにいる彼らを撮影することは許可されている。そのため、多くの参加者が『ゾンビ』俳優の雄姿をカメラに収めていた。
まず、どのようにオーディションを受けて『ゾンビ』の主役に抜擢されたかを聞かれると、ケンは「当時勤めていたシアタープロダクションの人に勧められてオーディションを受けたんだ。そこでまずジョージ(監督のジョージ・A・ロメロ)に会いに行った。その1週間後にゲイラン、スコット(ロジャー役のスコット・H・ライニガー)、デビッド(スティーブン役のデビッド・エンゲ)と初めて会い、いっしょにオーディションを受けたんだ」と、ロメロやほかの俳優陣たちとの出会いを交えつつ回答。ケンはその後、第2次オーディションを受け、後日ロメロから直々にオファーがあったと当時を思い出しながら話してくれた。
一方のゲイランは、「『ゾンビ』が役者として初めての仕事だったから、それがバレないようにジョージの前では振る舞っていたのよ(笑)」と告白。『ゾンビ』公開の10年後にその事実を知ったロメロは、ひどく驚いていたそうだ。
ちなみに、ケンとゲイランはどちらが先に採用されたというのはなく、オーディションで俳優どうしのマッチングを試行錯誤した結果、同時進行的に採用が決まったそうだ。また、ケンは自身の背が高すぎることが懸念点で、相棒役のスコットとの身長差のせいで画がアンバランスになるのではないかと思っていた。しかし実際には、そのダイナミックな身長差が逆にいい視覚効果を生み、それが採用の要因になったのではないかと推測している。
いよいよ話題は『ゾンビ』の撮影へと移る。ゲイランの撮影初日は、ショッピングモールに入ろうとするゾンビをトラックで阻止しようとしているシーン。屋上でいきなりライフルを渡された彼女に与えられた指示は「とにかく撃て」だったという。続く指示の中に「カメラに向かって撃て」というものがあり、その通りに演技をしていたら突然カメラマンが叫びを上げて転げ回り、撮影が中断してしまったと大笑いするゲイラン。ライフルには空包が入っており、それがカメラマンを直撃していたというのだ。ゲイランはロメロに「カメラマンじゃなくてゾンビを撃ってくれ」と言われたと笑い混じりに話してくれた。
ケンの撮影初日は、アパートの地下でゾンビを撃つシーンだったという。撮影当時はグロテスクなシーンのある映画が少なく、ケンはそれがもっとも不安を煽る、刺激が強いシーンだったと語る。また、その撮影で初めてゾンビの特殊メイクを施された役者を見て、「非現実的ではあるけれど、逆にすごく現実を感じて、記憶に鮮明に残る撮影になった」と当時を振り返る。しかしここで、ゲイランが「ケンには悪いけど、ゾンビ役の人たちは1日に1ドルしかもらってないのよ! それなのに生肉なんかを食べさせられて……ゾンビがかわいそう(笑)」と口を挟み、会場は笑いに包まれた。
なお、アパートではゲイランのダミーヘッドが使用されたシーンがある。ゲイラン曰く、もともとピーターとフラニーは死ぬ予定で、特殊効果担当のトム・サヴィーニが作成したダミーヘッドを用いた、ヘリのプロペラで首を切られるシーンがあったという。しかし、さすがにふたりとも亡くなると悲し過ぎるエンディングになってしまうということで、結局そのシーンは使われず、ストーリーは変更された。ただ、ダミーヘッドはせっかく作ったのだから別で使おうということで、アパートの住民が銃撃される場面で活用されることになったそうだ。
ゾンビ役はかなり過酷だったようで、演じた人たちはショッピングモールが閉まっている夜中や早朝に撮影を行って、そのまま仕事に出なければならない場合もあった。ときには、ゾンビメイクを落とす暇もないまま仕事に出かけていく人もいたらしい。氷点下での撮影の際には、ケンがショッピングモールの駐車場にいる巨体の水着ゾンビを見かけ、建物の中に入るよう呼びかけたことがあったという。しかし、そのゾンビは青くなりながらも「それで役をなくすかもしれないから入れないよ。ゾンビでいるのは大好きだから」と、断ってしまったそうだ。また、ケンは、ゾンビを演じる年配の方や心臓の弱い人たちが、モールが開く前の朝早くに来なければならないことが心配だったと語る。さらに、「彼らは準備運動にそこらを歩き回るんだけど、散歩をしている一般の方が曲がり角なんかでゾンビと出くわして心臓麻痺を起すんじゃないかと怖かったよ」とも話した。撮影終了後にゾンビがまだ散歩をしていることがあったが、一般人とゾンビの見分けがつかないゲイランは一般人のほうに「もう終わったから帰っていいんだよ!」と伝えたこともあったそうだ。
ケンはそんな撮影の日々を「毎日が興味深くて、新しくて、そして興奮するようなできごとがたくさんあった。どうやったら思っていることをうまく実現できるかという挑戦も毎日あったが、それも含めてとにかく楽しかった。僕もとても若かったしね」と思い返す。ゲイランも「すばらしい経験だったのが、撮影中の誰もいないモールがまさに自分たちだけのもののように感じられたことね」と当時を懐かしみつつ話した。
ここでゲイランは思い出したように、真夜中にロメロが突然「アイススケートできるよね?」と言ってきたことがあったと語る。思い返してみると、たしかに履歴書にはそう書いた記憶がある。で、話が進み、1時間後に撮影クルーを連れて近くにあったスケートリンクで彼女が滑る姿を撮ることになってしまった。そこで彼女は急いで先にリンクに行き、施設の人間に「1時間以内にスケートの滑りかたを教えて!」と頼み込んだという。劇中の映像ではBGMのおかげで音声は入っていないが、撮影現場では施設の人が「ちゃんと前見て! 下見るな、下見るな!」とずっと指示を出していたそうだ。
このエピソードを聞いたケンは改めて「僕らはとても若かったからね(笑)」とコメント。本来ならスタントマンがやるべきアクションも、予算がなくて俳優自身がやるしかなかった。ロメロからの「走って、ダイブして、3回くらい回転してベンチのところから銃を撃ってくれ」という指示にも「もちろんやります!」と即答したとケンは明かす。その理由はもちろん「若かったから」で、いま同じ指示を出されたら意地でもやらないつもりだと微笑んで見せた。
イベントの後半ではゲイランとケン、それぞれ単独でのトークショーも実施。各人の撮影中のエピソードについて、より深い話をしてもらった。
ゲイランは、まずフランのキャラクター作りについて話し始める。撮影当時は『ターミネーター』や『エイリアン』が公開されていて、女性も戦うというイメージを出し始めた時期だった。そこで、ゲイランもフラニーを演じるにあたってロメロに、「単に助けてもらうだけでなく自分も戦いたい」、「泣き叫んだりはしたくない」と伝えると承諾してくれたという。たしかに撮影ではそういったシーンはなかったが、劇中の空港のシーンではフラニーの叫び声が挿入されていた。どうやら編集で後から追加されたものらしく、しかもそれはゲイランの声でもなかったらしい。
撮影中にゲイランが女性の強さをもっと表現したいとロメロに直談判すると、脚本を書き直してくれたという。そして生まれたのが、朝食を作れないからヘリの操縦と銃の扱いかたを教えてほしいとフラニーが頼むシーンなのだそうだ。
ケンの単独トークショーでは、楽しかったと語っていた撮影の苦労話も披露してくれた。深夜や早朝の撮影のために生活時間を変えなければならなかったことや、予算がないのでモール内のものを壊さないように気を配る必要があったこと……とくにモール内をクルマで走るシーンは、クルマも販売店からの借りものだったために、絶対に傷をつけられない恐怖と戦っていたそうだ。
ケンは撮影時、ほかの俳優のパフォーマンスに毎回驚かされたそうだ。それは単に彼らの演技がうまかったわけではなく、『ゾンビ』では俳優から制作陣、撮影内容、撮影時期まで、すべての歯車がうまく噛み合っていたのだという。そして、それが作品の成功の理由だろうとも語っている。
『ゾンビ』ファン必見の催しや展示が用意された会場をチェック!
トークの後に行われたケンとゲイランとのフォトセッションやサイン会も大盛況で、ファンたちがふたりと交流するために長蛇の列を作っていた。なお、ケンとゲイランはサインをしているあいだなどのちょっとした時間にも、積極的にファンたちと会話を交わし、触れ合いを楽しんでいた。
会場には、集まったファンたちを楽しませる催しや展示もふんだんに用意されていた。まず目に入ってくるのは『ゾンビ』やホラー映画関連のアイテムが販売されている物販ブース。シビれるデザインのゾンフェスTシャツから劇中に登場した段ボールのレプリカまで、ファン心をくすぐるアイテムがズラリと並んでいた。
会場内にはノーマン所蔵の貴重な『ゾンビ』コレクションも展示されていた。各国のソフトや関連グッズはもちろん、ノーマン自身が記事を書いている『ファンゴリア』誌、モンローヴィル・モールの建物の一部(!?)など、多種多様なアイテムが陳列され、来場者が食い入るように眺めていた。
フォトセッションやサイン会が行われているあいだは、ノーマンがステージで『ゾンビ』撮影の地であり、ファンのあいだでは聖地として崇められているペンシルヴァニア州のモンローヴィル・モールについて熱弁。現地の写真などを投影しながら、さまざまな話をしてくれた。入っている店舗や生えている木々についてなど、話は非常にコアな内容にまで及ぶこともあったが、集まっているのは骨の髄まで『ゾンビ』に染まったファンたち。誰もが興味深げに話に聞き入っていた。
ちなみに、『ゾンビ』の撮影に使われたのがモンローヴィル・モールだというのを世界で最初に突き止めたのはノーマンなのだとか。つくづく怖しい男だ。
ノーマンは1986年に弟とともにモールで撮影したという映像も公開してくれた。ロケ現場をめぐり、買い物客の視線にさらされながら彼らが劇中のアクションを再現する姿には思わず笑みがこぼれてしまう。その中でも印象的だったのは、エレベーターでの場面。客がいないのを幸いにと天井をいじっていると買い物客が入ってきて、やむなく中断。お客になぜ撮影をしているのかと聞かれると、伝家の宝刀“大学の研究”と答えて切り抜けていた。
このほか、ノーマンは2018年にトム・サヴィーニの家を訪れた際の映像も見せてくれた。モンスター尽くしのサヴィーニ邸探訪の様子はじつに楽しそうで、心の底から羨ましかった。
ステージでは、白石とノーマンによるクイズ大会も実施された。入場時に来場者に配られた問題用紙には、ノーマン渾身の『ゾンビ』にまつわるクイズが20問書かれており、その正解率の高い者は豪華賞品をゲットできる。しかしクイズは、ほとんどがただ『ゾンビ』を鑑賞しただけではわからない難問揃い。4択といえども、正解率はかなり低そうだが……。
クイズの正解は1問目から順にD、B、A、D、A、B、A、C、A、D、A、B、D、B、A、B、B、A、C、D。難問のオンパレードにも関わらず、10問以上正解した強者がかなりいたため、賞品争奪のためのジャンケン大会が催された。
ステージでは、例の段ボール箱の開封の儀も開催。来場者が見守るなか箱を開けると、クラッカーの詰まった一斗缶のような容器がふたつ出現する。しかし、この容器の開封がにかなり苦戦。来場者から利用できそうな道具を持つ人を募るも、手こずりまくる。その後、工具を駆使して無理矢理こじ開けることに成功し、伝説のクラッカーが57年の時を経て『ゾンビ』ファンたちの前に姿を現した!
『ゾンビ』への想いが炸裂! 国内ゲスト・トークショー
イベントには『ゾンビ』にこだわりを持つ国内ゲストも招かれており、ステージでトークを披露して来場者を楽しませてくれた。
ホラー映画監督が語る日本でゾンビ映画を撮る難しさ
まずは、『呪怨』シリーズなどで知られる映画監督の清水崇と、『別冊映画秘宝』編集長の田野辺尚人が登場。ふたりとも『ゾンビ』に限らず、ホラー作品に造詣に深く、非常に興味深いトークが展開した。
トークは、“日本でゾンビ映画を撮るのは難しい”という話題から幕を開ける。田野辺は西村喜廣が撮った『ヘルドライバー』や鶴田法男の『Z-ゼット-果てなき希望』を例に挙げ、社会に対する警告も込めて作られているが、“日本の”ゾンビ作品として迫ってくるところがあまりなく、興業的にも苦戦したと口火を切る。そして、ここ数年もアイドルを使った作品、アニメがベースの作品など、さまざまゾンビ映画が出てきたが、それらはザック・スナイダーの『ドーン・オブ・ザ・デッド』的なものばかり。「ロメロ的なアプローチは、なぜできないのか」と疑問を口にする。
清水は何度もゾンビ作品のオファーをもらっているが、どれも決定にはいたらなかったと告白。その理由は、自身の中で『ゾンビ』が神格化されていて、その呪縛から抜けきれないことにあり、「『ゾンビ』と張り合うつもりはないが、それ以上の名作を観たこともないし、自分に撮れるとも思わない」と語る。しかし、それでも自分なりの新しさと日本ならでは要素を入れたゾンビ映画を撮ってみたいと思い構想を練ってきたという清水は「新宿や渋谷に出ると、皆スマホやゲームをいじっていて“ゾンビじゃん”と思えてしまう。で、家に帰っても妻はスマホでネットニュースを見ていて、子どもはゲームをしている……もうすでに崩壊しているんじゃないか」と、現実ではすでに人々のゾンビ化が始まっていると語る。それをあえてメッセージ性を込めて自分なりの世界観に昇華させるのが難しく、いまだに答えが見出せないままにいると苦悩を吐露した。
この日、スマホの地図を見ながら会場に来たという田野辺は、世間を席巻する携帯電話(スマホ)の危うさにいち早く焦点を当てた作品として、映画化もされたスティーブン・キングの小説『セル』に言及。現状、スマホから毒電波のようなものが放出されたら我々は簡単にゾンビ化し、大規模なWi-Fi障害が起きるだけでも生きる屍と化してしまうと警鐘を鳴らす。
また、清水は『ゾンビ』に込められた消費社会などに対するメッセージを、いまだに通用する内容だと賞賛。田野辺は、アメリカに昔からあった商店街がショッピングモールの台頭でなくなっていくなどの“時代の転換”にロメロは敏感だったと話す。そして、それを踏まえて劇中の弱い者が何なのか、暴走族たちゾンビを狩る者はどういった人間なのかといった、複合的な見方ができる点も『ゾンビ』が古びず、この先も愛され続ける理由ではないかと話を結んだ。
ちなみに清水は、羽田圭介の小説『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』の映画化の話を持ちかけられたことがあると明かし、「現代日本でゾンビものを描くならコレだろうと思うけど、どうもゾンビものとして捉えられていない節がある」と語った。この話はいつの間にか立ち消えになったというが、清水の撮るゾンビ映画の第1作になっていた可能性もあっただけに非常に残念だ。
余談だが、清水はゾンビが登場するホラーゲームを題材にしたCG映画『バイオハザード:ヴェンデッタ』に、エグゼクティブ・プロデューサーとして関わったこともある。その当時行われた制作陣の座談会では清水がゾンビの魅力に言及していたりもするので、気になる方は下記の記事に目を通してみるといいだろう。
プロが見る『ゾンビ』でのトム・サヴィーニの仕事
続いては、特殊メイクアーティスト/デザイナーの藤原カクセイ、ライターの山崎圭司と岡本敦史が登壇。ここでのトークテーマは、『ゾンビ』の特殊効果を担当したトム・サヴィーニの仕事ぶりについて。カクセイは数々の映画で特殊メイクを担当しており、最近では映画版『アイアムアヒーロー』にも関わっていたという人物。『ゾンビ』の特殊効果を語るには最適の人間だろう。なお、ここで『アイアムアヒーロー』をゾンビ作品と捉えるノーマンと微妙に認めたがらないカクセイのあいだでちょっとした口論が起きたが、ゾンビ好きのあいだではよくある類の話だ。なかなか微笑ましい光景だった。
壇上にはカクセイが手掛けたバブも登場。製作時は『死霊のえじき』の資料がなかなか手に入らず、劇中のバブにあまりに似ていないと申し訳なさそうに語るが、かなりのデキだ。なお、映画のメイキング写真でトム・サヴィーニがバブに綿棒を使っているものがあるが、プロからすると「そこは綿棒いらないだろう」という場面らしく、写真用のサービスではないかと推測していた。
カクセイは現代の目線から『ゾンビ』を見ると、おそらくそのころのサヴィーニはまだ技術があまり高くなく、ゾンビの肌に塗り残しもあるし、人工皮膚の使用も少ないと話す。しかし、そういった粗い部分が気にならないとも言っており、ゾンビが犠牲者の首に噛みつくシーンは内部まで着色できておらずに白い部分が見えているがインパクトは絶大だと絶賛。照明のせいで本来灰色に着色したゾンビの肌が青っぽく見える点も、逆にいい効果が出ていると語っている。
そして、話はより専門的な部分へも及ぶ。カクセイは銃で撃たれて頭部から血が噴き出す場面を、チューブを使って撮影していると推測。後にサヴィーニは、血糊を入れたビニールを錠剤よりも小さい火薬で破裂させる技術を開発していったそうだが、このときはチューブのおかげで血が水芸のように景気よく噴き出しているらしい。さらに、ゾンビと化したスコットには“エイジャー”という加齢処理が施されている……はずだが、ちょっとやりすぎてマスク並にシワが浮き出ているとも述べた。
カクセイは序盤のアパートに登場する脚のないゾンビを賞賛するが、山崎はこのゾンビの後に片足の神父が出くるオープニング部分がショックで、子ども時代はそこで映画を観るのをやめてしまったと話す。こういった鑑賞時のエピソードも聞き応えがあり、カクセイは通称ヘリゾンビについて「最初に見たときは“こいつ、頭長いな!”と思ったが、まさかスパッといくとは……」と、初見時の衝撃を振り返り、会場の笑いを誘っていた。
なお、サヴィーニは『ゾンビ』以降さまざまな技術がレベルアップしていき、とくに人体弾着技術が『死霊のえじき』で“決定版”というレベルにまで高まったという。トークはかなり専門的な部分にまで言及されたが、わかりやすい解説と愉快な話しぶりのおかげで、会場は大いに盛り上がっていた。
『ゾンビ』日本初公開版を生んだ男
田野辺、山崎、岡本の『映画秘宝』メンバーで送るトークでは、1979年の『ゾンビ』公開時、日本未公開だった『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を観たという人間の捜索からスタート。これは田野辺と山崎が追いかけ続けているネタで、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の上映がフィルムコレクターのあいだなどで行われていたという情報だけは得ており、今回の会場にその生き証人がいるのではないかと捜してみたそうだ。しかし、『ゾンビ』ファンが集う会場にも該当者はおらず、噂の立証は果たされないままとなった。
そして、話題は“日本ヘラルド映画はなぜ『ゾンビ』に独自の編集をしたのか”という方向にシフトしていく。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』未公開のために情報の捕捉目的でシーンを追加した、レイティングを下げるためにゴア表現を抑える編集を施したなどと一般的には言われているが、田野辺は独自の切り口でその理由を解説し始める。
田野辺曰く、日本初公開版ができた原因は、ホラー映画『悪魔のはらわた』に“美女のはらわたにFUCKする!”というコピーをつけたことでも知られる、日本ヘラルド映画・宣伝の原正人にあるのだという。
『エクソシスト』劇中の“Fuck me!”というセリフから「これからはFUCKだ!」と思った、“FUCK(という言葉)好き”の原は、『悪魔のはらわた』に件のコピーをつけて売り出す。しかし、残酷描写のために成人指定を受けてしまい結果は思ったほど振るわず。この後、原は東宝がホラー映画『処女の生血』をヒットさせるのを横目に見つつ、『グレートハンティング』を成功させたり、かつて受けた成人指定を逆手にとって『エマニュエル夫人』でブームを作ったりする。なお、この『エマニュエル夫人』は『ゾンビ』の比ではないレベルで編集や修正が施されていたそうだ。
しかし、ホラー映画では依然パッとしない結果が続いていた。そんな中、1977年に東宝東和が『サスペリア』を大ヒットさせる。そこから70年代ホラーの流れができて、ダリオ・アルジェントを怖くもカッコいい作品を撮る監督だと認識した原は、アルジェントが関わる『ゾンビ』(ダリオ・アルジェント監修版)の権利を購入するのだが……。
『ゾンビ』は、いまの大型シネコンすら話にならない規模を誇る大劇場・有楽座で上映されることになっていた。大量の客を入れねばならず、もし映倫が文句を言ってきたら大変なことになる。そこで、原の会社員的決済回路が働いた結果、文句を言われないような編集が施されたというのだ。
また、原は『ゾンビ』の成功の後で有楽座で『地獄の黙示録』のプレミア上映を行い、マスコミに極秘資料を配ったが、そこには“我々は『地獄の黙示録』をFUCKする!”と書かれていたという。田野辺は、このような原の“FUCK人生”のおかげで『ゾンビ』の日本独自のバージョンが生まれたと断言するが、山崎や岡本を含めた多くの聴衆は首をかしげていた。
ゾンフェスを満喫し、彼方へ消えるピーターとフラニー
大熱狂のゾンフェスVol.01も、いよいよ閉幕を迎える。ゲイランは「この数日間はとてもすばらしいものになりました。そして、今日も本当にすばらしい1日でした。いろいろな方と写真を撮ったり、サインをさせてもらったりと、とても楽しい時間を過ごせました。あまりに楽しかったので『ゾンビ』50周年を待たずに、来年またイベントをやりましょう!」とノリノリで感謝の言葉を伝える。続くケンは、なんと日本語で「私は滞在中、とてもエンジョイしました」と挨拶。「皆さん、また会える日まで」と締めると、会場には盛大な拍手が鳴り響いた。
つねに笑顔を絶やさないキュートなゲイランと、気配りを忘れないスマートなケン。彼らの惜しみないファンサービスもあって、イベントは大盛況のまま幕を閉じた。来場者たちの中では、『ゾンビ』はこれまで以上に特別な作品として輝き続けるだろう。
最後にイベントの監修のみならず、MCや解説などで丸1日奮闘していたノーマン・イングランドにゾンフェスVol.01を終えての感想を語ってもらった。
僕は日本に来て約25年になりますが、ずっと家でひとりで『ゾンビ』を観たり、『ゾンビ』のことを考えたりしていて、何か『ゾンビ』愛を表現できることがしたいと思っていました。
そして、ケンとゲイランが僕の呼びかけに応えてくれて、いろいろな『ゾンビ』ファンがいてくれて、皆が僕の下手な日本語を許してくれて、心からすばらしいと思えるイベントを開催できた。これはすごいことだと思います。
この前、『【決定版】ゾンビ究極読本』という本を作ったんですが、アメリカだとそういった本は出せませんし、ゾンフェスのようなイベントも開催できなかっただろうと思います。本当に日本のおかげでこのイベントが開催できたと思うので、感謝しています。ありがとうございました!