1年間に発売されたゲームソフトの中から“その年を代表する1本”を選出する日本ゲーム大賞 2019。その一般投票が2019年7月19日まで受付中だ。令和の時代となった今年だが、投票作品の対象期間が昨年の4月1日から今年の3月末までとなるため、今回がまさに、“平成最後の日本ゲーム大賞”となる。

※日本ゲーム大賞公式サイト

 そこで、これを記念して『ドラゴンクエスト』シリーズ(以下、『DQ』)の生みの親である堀井雄二氏と、『妖怪ウォッチ』や『イナズマイレブン』などで知られ、かつて『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』と『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』の開発を手がけたレベルファイブの日野晃博氏に、平成という時代のゲームシーンについて、さらには“令和“時代への抱負や展望、これからのゲームへの期待や可能性を語っていただいた。(聞き手・週刊ファミ通編集長 林克彦)

堀井雄二氏

ゲームデザイナー(写真左)

日野晃博氏

レベルファイブ 代表取締役社長/CEO(写真右)

『ドラゴンクエスト』では、つねに新しいチャレンジをしている

――昭和から平成に変わったのは西暦で言うと1989年でした。堀井さんと日野さんはその年に、どこで何をされていましたか?

堀井DQIV』を作っていましたね。『DQIII』が社会現象になるほどの人気になったので、続編はどうしようかとすごく悩みました。考えた結果、『DQIV』では構成を章立てにして、1~4章で仲間たちの人生を描き、5章では主人公とその仲間たちが導かれるように集い、世界を救うストーリーにしました。
 ですが、それまでのシリーズだとひとつの町の出番は1回だけだったのに、『DQIV』は章立てなので、仲間がそれぞれに訪れたことのある町に最後の5章でまた訪れることになって。町の人のセリフやイベントも5章あるために別に用意しなければいけないんですよね。ですので、シナリオをいつもの2倍ぐらい書くことになって、それが終わらなくて大変でした(笑)。

――『DQIII』までは約1年ごとにシリーズ作が発売されていましたが、『DQIII』から『DQIV』は2年ほど空いたんですよね。

堀井そうなんですよ。『DQIV』はすごく大変だった記憶がありますね。

――そのころ、堀井さんは35歳ですよね?

日野あのころで35歳! ということは、堀井さんはいま65歳?

堀井そう、65歳。いつのまにか年を取ってしまって(笑)。

日野いや、ぜんぜんお年を感じさせないですよ。

――30年前のそのころの働きぶりというのは振り返るといかがですか?

堀井いやー、働いていましたねー!(笑) だって、最初の『DQ』から『DQIII』までは、ほぼ2年で作っているんですよね。すごく早いスピードで、言われるままに作っていましたね。

――堀井さんはそのころから、いまもですけど、楽しんでゲームを作っていらっしゃるような印象があります。

堀井それはそうですね、作るのは楽しいです。ただ、アイデアを考えるのは楽しいんですけど、それをちゃんと形にするのは辛いですね。『DQIV』では初めてAIを入れたのですが、そのときは“たとえ仲間でも思い通りには動かないもの”というポリシーを持っていたので、そのときの作戦には“めいれいさせろ”を入れなかったんですよね。でもそれが不評で(笑)。

――(笑)。

堀井「クリフトがザキばっかり唱えるんだけど!」って言われました(笑)。

――ありましたね(笑)。そのころ、日野さんは何をされていましたか?

日野『DQIV』発売の前ですよね? それこそ、その発売を心待ちにしていました。

堀井いくつぐらい?

日野20歳ですね。まだ学生でした。僕はよく「『DQIII』を遊んでゲーム業界に入りたいと思った」という話をインタビューなどでするのですが、まさにそのころです。『DQIV』の発売を楽しみにしつつ就職活動をしていたという時期ですね。

堀井最初の就職活動からゲーム業界を目指していたの?

日野いえ、ゲーム業界に入りたかったんですけど、ゲームを作る人になれるとは思っていなかったです。システムエンジニアの国家試験を受けて、最初はシステム開発をするいわゆるSEになるつもりだったんですよ。

堀井小学校のころからパソコンは触っていたんだよね?

日野プログラムはやっていたので、プログラマーになろうとは思っていたのですが、自分がゲームのプログラマーになるというのは、どうにもイメージできなかったんですよね。でも『DQIII』を遊んだら「やっぱりゲームの仕事がいい!」となって。すでに内定をもらっていた会社ふたつを辞退して、ゲーム会社に入ったんです。

――日野さんは“ゲームを作りたい”ということが夢だったわけですね。

日野そうですね。30年前の平成よりさらに前の話になってしまいますが、当時、エニックス主催の“ゲーム・ホビープログラムコンテスト”という、のちに『ドラゴンクエスト』のプログラムを担当された中村光一さんが『ドアドア』で受賞されたコンテストがありまして。僕も、堀井さんが作った『ポートピア連続殺人事件』や『ラブマッチテニス』を遊んでいて、そこに作品を出してみたいと思ったんですよ。

堀井あのプログラムコンテストのころだと中学生ぐらいじゃないの?

日野そうですね、小学生か中学生ぐらいでした。

堀井すごいね!

日野ちゃんと出したいから、エニックスに電話して「こういう応募でも大丈夫なんですか?」って応募要項をいろいろと聞いた記憶がありますね(笑)。

――BASIC(※)でゲームを作っている時代ですよね。

※初期のプログラミング言語のひとつ。

日野BASICとマシン語(※)を組み合わせてというころですね。

※コンピューターのプロセッサが直接解釈実行することが可能な一連の命令群のデータのこと。

堀井BASICは楽しかったよね。でも、遅いからすぐにマシン語に走っちゃう(笑)。

――そのころは、堀井さんはすでに現役バリバリで『DQ』シリーズを開発していらしたわけですが、そのころの堀井さんの夢や、やりたいことはなんだったのか、覚えていらっしゃいますか?

堀井いまもあまり変わっていないのですが、人生にとって一番の遊びは“別の人生を体験すること”だと思うんです。そういう意味では映画も小説もマンガもそうで、主人公に感情移入して楽しむわけですが、とくにゲームはインタラクティブ性があるので感情移入しやすいのではないかと思うんですよね。僕はもともと漫画家になりたかったのですが、マンガの紙からコンピューターのゲームへと場所を置き換えて、そこに誰かの人生を体験できるような物語を描いていきたいなと思っていました。

――そのころからずっと続いているわけですね。物語を描きつつ、堀井さんは『DQ』でつねに新しいチャレンジをしていきましたよね。先ほどのAIの話もそうですし、物語を章立てにしたり、ニンテンドーDSのすれちがい通信を活用したり、オンラインにしたり。

堀井“どうやって楽しんでもらおうか”ということをいつも考えているんです。『DQIV』では章立てにしましたけど、『DQV』では人生そのものを体験してもらおうと親子3代の物語にしました。モンスターを仲間にできるようにもしてね。
 『DQVI』では、多くのゲームで物語の中盤から終盤にかけて別の大陸が登場するという展開があったので、逆に、別の大陸を物語の最初から登場させて、行ったり来たりをさせようと考えて。当時は“自分探し”というキーワードも流行っていたので、ふたつの世界で本当の自分を探すという物語にしましたね。
 それで、『DQVII』はメディアが容量の多いCD-ROMになったので、それまでよりも広い世界を作れるようになったんですよね。そこを逆に“1個の小さな島”から始めて、世界をどんどん広げていくという構成にしたんです。
 ただ……、『DQVIII』はすごく悩んだんですよ。「つぎはどうしよう……」となってしまって。そのときに日野さんと出会ったんです。それで「世界のすべてを3Dグラフィックスにするのはどうでしょう?」という話になって、「それで行こう!」となったんです。

堀井氏と日野氏を結びつけた『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』は、2004年11月27日に発売された。

堀井氏は“超一般人感覚”の持ち主?

――悩んでいるときに日野さんとの出会いがあったのですね。日野さんは『DQ』を始めとした堀井さんの作品に強く影響を受けていると以前から公言されていますが、堀井さんの作品のどこに一番影響されたと思いますか?

日野一番という意味だと、堀井さんと『DQVIII』をいっしょに作ったときに、堀井さんがいろいろな指示を出している姿を見たことが印象的で。それがいまの自分に一番影響を与えているなと思いますね。それ以前の『DQ』シリーズ自体は、いちユーザーとして純粋に楽しんだというところが強くて、そこから何かを勉強しようとしてはいなかったんですよね。でも『DQVIII』では、“堀井さんのゲーム作りの技”を見せていただいたという感じでした。

――“堀井さんのゲーム作りの技”! とても気になるのですが、どんなことがあったのでしょう?

日野堀井さんのディレクションはすごく独特で、どう形容していいか悩んでしまうのですが、ふつうにゲームデザイナーとしていろいろなアイデアを出される人であると同時に、“超一般人”でもあるんですよ。世間一般の方々よりもさらに一般の方の気持ちが分かる人。そのディレクションが『DQ』にとって、ものすごく大事なんです。ゲームデザイナーって世の中にはものすごくたくさんいて、10人にゲームシステムの提案をお願いすれば10人それぞれが作ってくるとは思います。でも、堀井さんはそういう人たちにない“超一般人感覚”で作るんですよ。

――超一般人感覚(笑)。

日野僕は『DQVIII』のときに、堀井さんがその感覚で「これは省きましょう」とか「これはこうしましょう」っていう判断を次々にしていくのを目の前で見て、「すごいなっ!」って思ったんです。その経験がなかったら、僕は『レイトン教授』も『妖怪ウォッチ』も作ることはできなかったですね。

堀井なんか恥ずかしいです、いろいろ(笑)。

――(笑)。

堀井たしかに僕は超ユーザーなんですよ。ちょっとでも“分かりにくい”って思ったら、すぐに「ここ分からないな」って言います。僕の特異な才能は、“分かりにくいところを分かりやすくする方法を思いつく”ということではないかなと思うんです。ふつうだったら「これ分かりにくいなー」って思うだけで終わってしまうかもしれませんが、僕はどうしたら分かりやすくなるか考えるのが得意なんですよ。

――考えること自体がお好きなんですね。

堀井いつも思っているのは、たとえば100のシステムがあるとして、その100を最初から伝えようとしたら、プレイしている人はしんどくてしょうがないですよね? ですので、5個ぐらいを分かりやすく伝えて、その5個で全部を理解できた気分にさせるんです。そこが重要なところなんですよ。あとは、プレイしているうちに残りの95個を理解できるようにすればいい。

――堀井さんは、そのようにある意味で計算をしてアイデアを考えられているのですか?

堀井いえ、計算というよりは単純にプレイしてみてですね。「しんどいな」と感じたときに「でも、これってこの中の5個だけ覚えればいいんだよね」って考えたりしています。僕は、BASICを覚えたときもそうだったんですよ。コマンドを4個だけ覚えたんです。BASICの本って分厚いのがあったけど、あれに載っているコマンドを全部覚えようとしたら挫折するんですよ。そこで僕が覚えたのは、“INPUT”と“PRINT”と“if GO THEN”と、あとは“RETURN”。この4コマンドで『ポートピア連続殺人事件』はできているんですよ!!

日野いや、そんなことはないですよ(笑)。

堀井ほぼ、できているっていうことでね(笑)。

日野いまの話で言うと、堀井さんは作ってあるものを容赦なく捨てられるんですよ。たとえばシステムを10個作ったとして、「でもこれ、3つぐらいしかいらないんじゃない? あとはいらない」って捨ててしまう。作る側って、なかなか捨てられないんですよね。せっかく作ったものを捨てるのがもったいないから。でも、堀井さんは多いなって思ったものをスパッと捨てて、しかもその中から残すものや数も絶妙なんですよ。

堀井日野さんってアイデアマンなので、考えたものを全部入れようとしていたんですよね。当時は。

日野そうなんです。僕は入れ込み型だったんですよね。でも、堀井さんは取捨選択のセンスがすごくて、そこがゲームデザイナーとしてのセンスになっている。それを学んだんです。

堀井いまも、日野さんの作るゲームは丁寧ですよね。『妖怪ウォッチ4』をプレイしたのですが、初めてプレイした人でもぜんぜん悩まないし、つぎに行くべき場所もすぐに分かるし、だからついつい遊び続けちゃう。ゲームプレイでいちばん辛いのって、「つぎに何をしたらいいのか分からない」っていうことなんですよね。そのあたりの丁寧さって大事ですよ。

平成30年間で印象に残るゲーム業界の出来事は……

――平成30年を振り返ってみると、おふたりにとってどのような30年でしたか? また、ゲーム業界全体での印象に残っているトピックはなんでしょうか?

堀井『DQ』はいま33年目なんですよね。

日野では、平成が始まる3年前から『DQ』が始まって、そこから丸々ずっと続いているわけですね。

堀井その中で一番大きな出来事と言えば、やはりスクウェアとエニックスの合併(※)でしたね。

日野あれは衝撃的でしたね。

堀井僕としては、『ファイナルファンタジー』は一種のライバル的な存在だったのに、「あれ? 同じ会社になっちゃったよ!」っていう感じでしたね(笑)。

日野ですよね。あのころはちょうど『DQVIII』を作っていたので、「え、どうなっちゃうんだろう?」って思いましたよ。

堀井さすがに「おぉっ……!」ってなりましたね(笑)。

2003年4月1日にエニックスとスクウェアが合併してスクウェア・エニックスとなった。とにかく衝撃的なニュースだった。

――日野さんにとっての平成30年はいかがでしたか? レベルファイブの立ち上げなどもあったわけですが。

日野僕は、この30年が“ゲーム業界で働くプロ”になってからの丸々の期間なんですよね。激動の人生だったなと思いますし、あっという間だったような、長かったような……。いろんな人たちと出会って、いろいろと勉強させていただいて、幸せな30年間でしたね。

――ご自身がゲーム業界を志すきっかけになるほど大好きだった『DQ』を作ることになったわけで、そのときはいかがでしたか?

日野作ることが決まったつぎの日の朝は、「昨日あったことは本当に現実かな? 夢かな?」と思うくらいの出来事でしたね。

――2005年の第9回CESA GAME AWARDS(いまの日本ゲーム大賞)では、大賞作品が『DQVIII』で、日野さんはそのときに涙ぐんでいましたよね。

日野よく覚えています。あのときは、なんか泣けたんですよね。嬉しかった思い出とか、大変だった思い出とか、いろいろと思い出したんですよ。

2005年の第9回CESA GAME AWARDSでは、日野氏が感激のあまり涙ぐみ、来場者を感動させた。

――感無量だったわけですね。30年を振り返るということでは、ゲームの30年の進化も振り返りたいところですが、いまのようにゲームが進化していくことを昔に想像されたりしたのでしょうか?

堀井いや、当時はもうガムシャラにゲームを作っていて、それどころではなかったです。でも、あれよあれよとつぎつぎにゲームハードが登場して、どんどん進化して。やれることが増えていきましたよね。

――堀井さんにとって、ハードが進化してやれることが増えるというのは嬉しいことだったのでしょうか?

堀井楽しいこともありますが、難しくもなったところもあるんですよね。何でもできるようになったから、ちょっとやそっとのことではプレイヤーさんが驚いてくれなくなったから。それこそ最初に『DQ』を作ったときには、主人公に自分の名前をつけると王様が「おぉ、○○よ!」って話してくれて、それだけで、「ゲームが俺の名前を言ってくれている!」って感激してくれた人もいたわけですけど、いまはそんなことで誰も驚かないですからね(笑)。

――確かにあのころはすべてが新鮮でしたよね。

堀井そうなんです。いまもですけど、つぎはどうやって驚かせようかっていうことに悩みますね。

――いまも昔も変わらず、驚かせたいと考え続けているわけですよね。

堀井そうです、それがやっぱり楽しくって。僕はもともとイタズラ好きなんですよ(笑)。

――なるほど。日野さんは、ゲームの進化についてはどのように思われていますか?

日野少しずつ変化していくのを見てきたので、一気に変わったという感じではないんですけど、スマートフォンの普及に関しては「ここまで変わるんだ」って感じましたね。コンシューマーゲームの売り上げすらも凌駕するほど大きな市場になっていったわけで、そこは正直に言うと意外でした。

――スマートフォンと言えば、『DQ』ではスマートフォンで遊ぶ『ドラゴンクエストウォーク』も先日発表されました。

堀井DQIX』で、すれちがい通信で地図をもらうためにたくさんの人がニンテンドーDSを持って秋葉原に集まったりしていましたよね。バーチャルがリアルを侵食して、それすごく楽しくて、またそういうのを作りたいなと思っていたのですが、先に『ポケモンGO』が出てきて「うわ、やられた!」って思ったんですよね(笑)。

――やられたって思ったんですね(笑)。

堀井思いましたね。それからいろいろと考え始めて、やっと『ドラゴンクエストウォーク』を発表できたんです。『DQIX』のときは「外に行くときはDSを持っていってね!」って言っていたんですけど、スマートフォンはもう持っているのが当然で、それも言わなくてもいいですものね(笑)。でも、スマートフォンって一種のコンピューターで、ひとり1台がコンピューターを持って出かけているっていう未来は、昔にはまったく想像できなかったですよ。

――たしかに。いまではパソコンは触ったことがないけどスマートフォンは欠かせないという人も多いですからね。

堀井ある程度ならパソコンが必要なくなってしまいましたよね。カメラもついているし、撮った写真をすぐにシェアできちゃう。すごいですよ。

――ところで、おふたりはゲームのアイデアは思いついたものをつねにストックされているのでしょうか? それこそスマートフォンに、とか。

堀井なんとなく頭の中に。僕はずぼらなのでメモとか取らないんですよね(笑)。

――どういうときに企画やアイデアが思い浮かぶのですか?

堀井いろんなものを見るようにしていますね。ネットも見ていますし、テレビドラマも毎クールのほとんどを観ているんですよ。いまなら『あなたの番です』とか『仮面同窓会』とかを観ています。

日野あ、僕もどちらも観ています。

堀井お、観ていますか。『あなたの番です』は、○○が○○○○○うのがすごくショックで……。

日野!? それはネタバレかも!

堀井え、まだ観ていない!?

日野僕はHuluでちょっと遅れて観ているので、最新話だけ観てなかったんですよ。やられたー!(笑)

堀井そうかー、すいません!

――(笑)。

日野まさかこんなところでネタバレが出るとは(笑)。Huluだと『あなたの番です』の番外編も配信しているんで、それも見ているんですよ。

堀井あれいいよね。『扉の向こう』っていうオリジナルの番外編ドラマを配信していて、「部屋の中はこうなっていたのか」っというのが楽しめるんです。おもしろい試みですよね。

――そういうふうにいろんなところからインプットしていって、それがゲームのアイデアなどにつながっていったりするのですね。

堀井そうそう。「そういえばこういうものがあったな」って思ったり。もちろん、そのままではなくて、いろいろと手を加えてみてね。発想のヒントになっています。

――つねにそういう意識を持って、いろいろなものを見ているんですね。日野さんの企画やアイデアの考えかたはいかがでしょうか?

日野うーん、どうでしょう。メモとかは僕も取らないんですよね。思いついたらすぐに実行しようとするタイプなんです。ですので、『妖怪ウォッチ』のときも『イナズマイレブン』のときも、思いついたらすぐに企画書にまとめて、即座に制作プロセスへ入れていました。そういうときに社長であることの優位性が発揮されますね(笑)。

――すぐにラインを動かせると(笑)。

日野自分の気持ちが熱いうちにすぐ作るプロセスへ入れますね。ただ、以前はそういうやりかたができましたが、最近はひとつ作るのにものすごく時間や費用が掛かるので、「この企画内容でいいのか?」とか「この体制で最後まで作りきれるか?」などを、より深く考えないといけなくなってはいますね。

堀井ちなみに僕は、『妖怪ウォッチ』を最初に見たときにも「やられた!」って思ったんですよ。というのもね、『DQ』のファンはだんだんと年齢層が上がっていくわけで、子どもの人気を取りたいなと思っていたんです。そんなときに『妖怪ウォッチ』が現われて、子どもたちはすっかり夢中になってしまって(笑)。「やりかたがうまいなあ」って思いましたよ、妖怪ってとっつきやすくて好きになりますよね。

賞をもらうことで、「認められた」という気持ちになれた

――おふたりにとって“平成を代表するゲーム作品を1本だけ挙げる”とすればどれでしょうか? ご自身の作品でも構いませんが。

日野何ですかね……。

堀井自分の作品はさすがに挙げにくいので……。僕が好きなのは『ゼルダの伝説』ですね。

日野うん、『ゼルダの伝説』はそうですよね。

堀井ゼルダの伝説 時のオカリナ』に『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』。

日野『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』は記憶に新しいところですが、あれはすごいですよね。

堀井僕はゲームでズルをするのが好きなんですけど、『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』は、「あそこまで行けるかなー?」と思いながら高いところから飛んでいって、いかにショートカットを見つけるかという遊びかたをしました。すごく楽しかったですね。

――日野さんもやはり『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』が一番?

日野もちろん『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』もそうなのですが、堀井さんがいるから言うわけじゃないですけど、『DQ』シリーズは平成のゲーム史の財産だと思うんですよ。『DQIV』以降はすべて平成のうちに発売されていますよね? 『DQ』がなかったら、いまのゲーム業界はなかったと思います。

――そうですね。少なくともいまの形ではなかったかもしれません。

日野そういう意味では、いまのゲームの姿や形は『DQ』が作ったものなのかもしれないわけで。平成を代表する作品にぜひ入れておきたいです。

――なるほど。『DQ』シリーズでは、いろんなプロデューサーやディレクターさんがいて、堀井さんは若い人とも組んで作られていますが、堀井さんは若い人を育てているという感覚で接しているのでしょうか?

堀井いえ、そういう気持ちはないですね。僕はけっこう、誰とでもうまくやっていけるんですよ(笑)。

日野いや、でもね、堀井さんは本能的には人を選んでいると思いますね。決して悪気はなくて、自分のクリエイティブをうまくやっていくために周りに置く人たちを本能的に選んでいらっしゃるのではないかと思います。

――と、言われていますが?

堀井そうかもしれないね(笑)。

――おふたりとも、経済産業大臣賞も受賞されています。堀井さんは2010年、日野さんは2014年ですね。そのときの感想をお聞かせいただけますか?

堀井ゲームって昔から社会の目の仇にされてきたんですよね。取材に来る人もみんな年上の人ばかりであれこれいろいろ言われました。そういう虐げられてきた歴史だったんですけど、それが政府から表彰されたのだから、「やっと認められた!」っていう気持ちになりましたね。

――事件などがあるとすぐにやり玉に挙げられたり。

堀井そうそう。でも、いつでも新しい娯楽は否定されるものなんですよね。マンガもそうでしたし、昔は大学生がマンガを読んでいたら問題視されていました。テレビだって出てきたときには“一億総白痴化”なんて言われたわけで。でも、そういうのを乗り越えてテレビもマンガも当たり前のものになったよね。

――平成のあいだに価値観が変わっていったところと感じますね。日野さんは受賞されたときはいかがでしたか?

日野正直に言うと、2014年に受賞したときには、よく分かっていなかったというか。あのころはいくつかの賞を連続していただいていた時期だったので、ありがたいっていう気持ちがありつつも、それぞれの賞の価値をちゃんと認識できていなくて、ピンと来ないところもあったんです。堀井さんも受賞された賞なんですと聞いて、「そうなんだ!」と思っていたのですが、それでもそのときには価値をちゃんとわかっていなかったと思います。いま思えば、本当にありがたい賞をいただいたんだなと感じているのですが。

――忙しすぎたのでは(笑)。

日野たしかに忙しかったんですよね。いただいた賞の価値や、その賞の背景を噛みしめる余裕もなかったので、思い返すともったいないことをしたなって思うんですよね。こうやって取材の席で話すと、堀井さんが取った賞を4年後に僕ももらったということに、改めて光栄だなと感じますね。

――賞をもらって認められることは、やはりおふたりとも嬉しいと感じますか?

堀井いやあ、嬉しいですよ。

日野もちろんですよ。僕の場合、その中でも日本ゲーム大賞が一番嬉しかったですね。2014年に『妖怪ウォッチ』で日本ゲーム大賞をいただいたときが本当に嬉しくて。僕はそれまではゲーム業界から少し疎外感を感じていたんですよ。

――えーっ!?  それはまたなぜ?

日野『レイトン教授』や『イナズマイレブン』を作っても、どこかこう「子どもたちを相手に少し違う土壌でがんばればいいんじゃない?」っていう空気を感じて、ちゃんと見てもらえていないような感覚があったんです。

――うーん、そんなことはないと思いますが……。

日野いやあ、いろいろあったんですよ。でも、『妖怪ウォッチ』がヒットしたおかげで、やっとゲーム業界から目を向けてもらえたみたいなところがあって。やっとゲームの世界の人たちが、「よくやった」って言ってくれたような気がしたんです。

――そんなお気持ちが。ちなみに堀井さんにとって日野さんは新しい世代のクリエイターだと思うのですが、当時どのように思ってらっしゃったのですか?

堀井本当に才能のある人だと思っていました。ユーザーのことをちゃんと考えていて。それに、すごく働き者なんですよね。社長をやりながらゲームを作るのはすごく大変だと思うんです。それをうまくやっている。

日野たくさん褒められている。今日は嬉しいなぁ(笑)。

堀井社長なのに小回りがすごく利くんですよね。「これをやろう」を決めたらすぐにやっちゃう。

――レベルファイブを立ち上げてからずっとそのスタンスで動き続けていますよね。

日野そうですね。働いてないと不安になるんでしょうね。

――息抜きはどうされているのですか?

日野ゲームです。

――(笑)。

日野マジです。ゲームを作るストレスを、ゲームを遊んで解消しています。

堀井それは何となく分かります。すごく忙しいときって頭が興奮しているので。僕も昔は寝る前には『ファミコンウォーズ』をプレイして、クールダウンして寝ていたんですよ。

日野『ファミコンウォーズ』は名作ですよね。

堀井うん、名作だね。

日野データさえ消えなければいいんですけどね(笑)。15面ぐらいがラストなんですけど、当時のバッテリーバックアップがね、15面のあたりで消えたことが2回ぐらいあって……。あれさえなければ……(笑)。

――ファミコン時代のバッテリーバックアップあるあるですね。堀井さんは先ほども『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』を遊ばれていた話もありましたし、すごくゲームを遊んでいますよね。最近もなにかプレイされていますか?

堀井最近は『Toon Blast』っていうスマホのパズルゲームをやっていますね。以前は『キャンディクラッシュ』とか、『LINEポコポコ』をやっていたんですけど、だんだん難しくなってしまったので、もっと簡単なものに乗り換えて、いまは『Toon Blast』なんですよ。

日野堀井さんがそのあたりのゲームをされるのはちょっと意外ですね。

――仕事のためというわけではないのですか?

堀井いや、ぜんぜんそういうことはなくて。本当に息抜きですね。

日野……ちなみに『妖怪ウォッチ ぷにぷに』というものもあるのですが(笑)。

堀井(笑)。僕は時間制限があるのはダメで、自分でじっくり考えられるものが好きなんですよ。

日野リアルタイムじゃないほうがいいんですね。そっちかー……。

――(笑)。

人をどうやってびっくりさせようかと考えている

――日野さんからみて、いまの堀井さんはどのような存在ですか?

日野最近は仕事で直接お話する機会がなかったので、ゲームを遊んで堀井さんを感じるしかなかったのですが、『DQXI』を遊んだり、インタビューを読んだりすると、深くは分からないものの、どこかこう明るくなられたというか。『DQVIII』のころよりも楽しそうというか。年々、明るくなっているように感じますね。

堀井それはね、スタッフが育ってきたので任せられるようになったからじゃないかなと思いますよ。前は本当にひとりで抱え込んでいましたから。

日野では、『DQVIII』での僕らのときはダメだったんだ(笑)。まあ、あのころは確かにまだまだでしたからね(笑)。

堀井いやいや。でもいまはみんなが作ってきたものに「これはこうしよう」とか話すことが仕事のメインになってきたので、気分的に楽になったんだよね。

日野なるほど。だからライトになったというか。クリーンな精神状態で取り組まれているのをすごく感じるんですよね。

――昔の堀井さんはきびしかったですか?

日野いや、昔も楽しそうにやられていたんですけど、いまは昔以上に殻を破っているというか。楽しさに満ちている感じがしますね。

堀井だってもう年なんでね。この先の人生はどうやったら楽しくなるかっていうことを考えていますよ(笑)。

日野でもいまだに堀井さんって、なんというかこう“失っていない”ですよね。炎というか、ゲーム作りへの意気込みというか。

――たしかに、堀井さんを筆頭に、ゲーム創世記のころから取り組まれている人はみんなお元気ですよね。

堀井そうですよね。宮本さんにしてもそうですし、坂口さんもいろいろ作っていますしね。

日野これからももっと作って欲しいですよね。遊びたい。とくに『DQXII』は先に遊ばせて欲しいんですよね。それで……意見を言いたいです(笑)。

堀井(笑)。

――仕事の取り組みかたは変わってきたということですが、堀井さんのモノ作りへの意欲自体はいまも変わらないですか?

堀井変わらないですね。やはりイタズラ心なんです。人をどうやってびっくりさせようかって考えています。僕は関西で言う“いちびり”なんですよ。

日野いちびり?

堀井“ふざける”とか“茶化す”とか、イタズラ好きという意味ですね。子どものころからいちびりでした(笑)。

――なるほど。日野さんのモノ作りへの意欲も変わっていないですか?

日野変わっていませんね。でも一番の興味の対象はつねに移り変わってはいるかもしれません。たとえば、ゲームのシリーズでも同じように作っているようで、自分の一番の興味は、違う方向に向いていたりすることはありますね。

――シリーズとしてやることをやっているけど、じつは気持ちは新しいことに向いている?

日野もちろん僕のモチベーションはキープされていますし、うちのスタッフもモチベーションを高くよいものを作ってくれているのですけどね。ただ、自分自身だけのことで言うと、興味の移り変わりは制御不能ですね(笑)。

――新しいものが好きだから?

日野ひと言で言うとそうだと思いますね。新しいものがやっぱり好きです。

――新しいことと言ってもいろんなジャンルのものがあると思うのですが、やはりIT系のテクノロジーに興味がいきますか?

日野そうですね。ゲームの仕掛けにも繋がっていくようなテクノロジーの分野にはいつも注目していますね。

堀井さんのつぎの野望は“勇者の墓”!? アドベンチャーゲームもいつか作りたい

――おふたりが注目しているテクノロジーというお話ですといかがでしょう?「これからはこれを使うとおもしろそうだよね」と思っているような。

堀井VRもおもしろいとは思うのですが、僕は逆に、『DQ』の町やお城を現実に作ってみたいと思っているんですよね。それで、その先には“お墓”も作りたいんです。

――お墓?

堀井そう、お墓。“勇者の墓”というのを作って、『DQ』が好きなみんなで入るの。生涯独身の人が増えたから、わざわざお墓を作るのは面倒くさいでしょう? だから、どこかに土地を買って『DQ』のようなお城を建てて、お墓を作って、生前に予約をしておいて、死んだら、そこにみんなで入るの……。“勇者の墓”。

日野……なんの話をしているんですか!?

堀井それでね、お墓には「しんでしまうとはなにごとだ」って彫るんだよ(笑)。

――(笑)。

日野それがやりたいだけなんじゃ(笑)。

堀井誰でも入れるお墓だよね。『DQ』のお城にたくさんの人がお参りにきてさ、それなら死んだ後も寂しくないでしょう。いいんじゃないかなと思って。自分も入りたいし(笑)。

――霊園ビジネスですね(笑)。

堀井ある意味では、現実をゲームにしてしまうみたいな感じですよね。

日野これ、クラウドファンディングで「“勇者の墓”を作ろう!」みたいにやったら、やばいですよね(笑)。

堀井けっこう、集まりそうだよね。墓に入るのを予約してもらってね。

――『DQ』を遊んで育って、最後は“勇者の墓”の勇者として眠る……。その発想はちょっとすご過ぎますね(笑)。

堀井ゲームを発端にもっといろんなことができると思うんですよ。

――ゲームからリアルへの波及ですね。

堀井いまは、ゲームを遊んできた世代が老人になっても、老人っぽいことはあんまりやらないと思うんですよね。老人ホームとかでもみんなでゲームを遊んでいるとかね。そういう世界が来ると思う。

――昔はおじいちゃんになったらゲームはやらないのだろうと思いましたけど、いまはそういう気持ちがなくなって、ずっとゲームしてそうだなって思えます。

堀井でしょう。体が不自由になっても、ゲームの世界の中では走り回れるでしょう。ボケないし、いいと思いますよ。

――その延長でお墓へ。

堀井そうそう(笑)。

――なるほど。日野さんは興味を持たれているテクノロジーはいかがでしょうか。

日野定番の話題になってしまいますが、AIの世界には興味があって。東京大学の先生にも会ったりしているんです。“存在しない人と話す”ってすごくないですか?

堀井AIと会話するということ?

日野そうです。ゲームの中にしか存在しない人と会話ができるというのが、ひとつの究極だなと思うんですよね。日常会話を自分だけの世界でできる。ただ、それも実現される日が近づいていると思うので、それが可能になったときにゲームにどう利用するのがいいか、利用方法を考えたくなるんですよね。

――もうすでに何か考えているのですか?

日野いや、考えようとしていますね。そういうことを本気で考えてみたいなと思っている段階です。

堀井AIの進歩はすごいけど、物事は作れるけど、●●を評価するということが難しいんじゃないかと思いますね。どれが美しいとか、どれがおもしろいとか。

日野人間らしい感じかたということですよね。

堀井感情や感性ですね。それを持たせるのは難しいとは思うんだけど、それができたらすばらしいですよね。“感情を持っているように見せる”ことはできると思うんですけど、本物の感情を作りだすことはすごく難しいんじゃないかなと。

――堀井さんもAIについていろいろと興味を持たれているんですね。

堀井ありますね。AIと話す、AIの友だちができるということが実現したら、すごいなと思いますね。

――おふたりともいろいろなことに興味を持たれているわけですけど、やりたいことをやっていく優先順位というのはどうされているのですか?

堀井とりあえず目先のことをやっていますよね。いまは次回作ですし、そのつぎに“勇者の墓”かな(笑)。

日野(笑)。でも、堀井さんの域になると優先順位を自分では決められないですよね、きっと。スクウェア・エニックスさんが決めているでしょうし。

堀井まあ、いろんな人が『DQ』で食べていますからね(笑)。

日野堀井さんが考えるもので動くビジネスの大きさが、すごいですからね。なかなか「いまから麻雀ゲームを作りたいんだけど」って言っても、「いやいやいや……」ってなるでしょうしね。

――たしかに。その一方で、堀井さんはぜんぜん違うジャンルのゲームを作ってみたいというお気持ちがあったりはするのでしょうか?

堀井ボードゲームでは、昔に『いただきストリート』を作りましたが、別に何かやりたいとは思いますよね。あとはアドベンチャー。『ポートピア連続殺人事件 II』を作りたいです。これもうずっと言い続けているんですけど(笑)。

日野軽井沢誘拐案内』に『オホーツクに消ゆ』もありますよ!

――そうですよね。堀井さんの作ったアドベンチャーをまた遊びたいという人も多いと思います。

堀井『ポートピア連続殺人事件 II』ではサブタイトルを“犯人はヤス”にしてね(笑)。ヤスが10~20人ぐらい、いっぱい出てくるんですよ。

日野犯人はいったいどのヤスなのか!

――そのへんの発想がやはり“イタズラっ子”ですよね(笑)。

堀井ハッシュタグ“#犯人はヤス”からヒントを見つけてください、みたいなのとかね(笑)。

――SNSを使ったヤス探し!(笑)。ぜひ遊んでみたいですが、ちなみに『DQVIII』のようにおふたりでまたいっしょに何かのプロジェクトに取り組まれる可能性はあるのでしょうか?

日野それはもう! 僕は飲みに行くたびに堀井さんに言っているんですよ。でも、なかなかね。

堀井作るとして、何を作るの? RPG? アドベンチャー?

日野いや、もうなんでも。堀井さんが作るというのなら、なんでも付き合いますよ!

――なんでも(笑)。

日野堀井さんから「これをゲームにしよう」とシナリオをいただければ僕はもう、なんでも全力で進めますよ。クリエイターとしてサポートします。堀井さんのゲームデザイナーとしての技をまた見たいんですよね。

堀井でも、お互いに背負っているものが大きいからね。なかなかそのへんが難しいよね。

日野そうなんですよね。だから逆に、お遊び感覚なものをやるのがいいのかもしれないですよ。

――ふたりでインディーゲームを作ったり?

日野そうそう。とか言いつつ、数十億かけたインディーゲームになったりして(笑)。

――どんなインディーゲームですか(笑)。でも、なんらかの形でおふたりのセッションは見たいですね。

――今年の日本ゲーム大賞 年間作品部門は、平成最後の年間作品部門になります。これから投票するユーザーの皆さんに向けて、メッセージをお願いいたします。

日野いろんな人たちから支持されることはすごく嬉しいんです。とくに、「ユーザーの皆様の投票で選ばれました」っていうことが最高です。ですので、たくさんの人に自分の好きなゲームへ投票していただいて、その上で“真のよいゲーム”を決めて欲しいですね。ゲーム業界にとって意義のあるゲームが審査員の皆さんによって選ばれるというのも、それはそれで必要と思うのですが、ユーザーの皆様が一番楽しんだゲームが真の大賞だと思います。それを決める大事な一票になりますので、ぜひ投票してもらいたいです。

堀井皆がおもしろいとか言っているゲームに投票するとかカッチョ悪い、なんてハスに構えないで、純粋に自分が楽しんだゲームに投票してもらいたいですね。ゲームを作るのって本当に大変で、アイデアを考えて、それを形にするのも大変。でも、ユーザーさんがそれを楽しんでくれて、こういう賞に選ばれたら本当に嬉しくて、つぎにゲームを作るための励みになるんです。みなさんにぜひ投票してもらいたいです。素直な気持ちで投票してください。

歴代日本ゲーム大賞受賞作

(受賞年/作品名/メーカー/ハード)
1997 サクラ大戦(セガゲームス)SS
1998 ファイナルファンタジーVII(スクウェア・エニックス)PS
1999 ゼルダの伝説 時のオカリナ(任天堂)DC
2000 どこでもいっしょ(SIE)PS2
2001 ファンタシースターオンライン(セガゲームス)PS2
2002 ファイナルファンタジーX(スクウェア・エニックス)PS2
2003 太鼓の達人 タタコンでドドンがドン(バンダイナムコエンターテインメント)PS2
 ファイナルファンタジーXI(スクウェア・エニックス)PS2、PC
2004 モンスターハンター(カプコン)PS2
2005 ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君(スクウェア・エニックス)PS2
2006 東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング(任天堂)DS
 ファイナルファンタジーXII(スクウェア・エニックス)PS2
2007 Wii Sports(任天堂)Wii
 モンスターハンターポータブル 2nd(カプコン)PSP
2008 Wii Fit(任天堂)Wii
 モンスターハンターポータブル 2nd G(カプコン)PSP
2009 マリオカートWii(任天堂)Wii
 メタルギアソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット(KONAMI)PS3
2010 New スーパーマリオブラザーズ Wii(任天堂)Wii
2011 モンスターハンター ポータブル 3rd(カプコン)PSP
2012 GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において彼女の内宇宙に生じた摂動(SIE)PS Vita
2013 とびだせ どうぶつの森(任天堂)3DS
2014 モンスターハンター 4(カプコン)3DS
 妖怪ウォッチ(レベルファイブ)3DS
2015 妖怪ウォッチ2 元祖/本家/真打(レベルファイブ)3DS
2016 スプラトゥーン(任天堂)Wii U
2017 ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド(任天堂)Wii U、Switch
2018 モンスターハンター:ワールド(カプコン)PS4

東京ゲームショウ2018で行われた授賞式の模様から。