日本ゲーム大賞 アマチュア部門を受賞した方はいま何をしているのか……。その第2弾をお届け。

 日本ゲーム大賞 アマチュア部門で賞を獲得することは自身の将来のキャリアにどのくらい役に立つのだろうか……。毎年日本ゲーム大賞 アマチュア部門の取材をしている記者の素朴な疑問から始まった本企画。今回お話しを聞いたのは、日本ゲーム大賞 2013 アマチュア部門で大賞を受賞した『Toy Revo(トイレボ)』を開発したHAL大阪(当時)Team Toy Revoの坂井良輔さんと黒岩美希さんのおふたり。

 HAL大阪を卒業後、坂井さんはカプコンに、黒岩さんはユークスにと、それぞれ念願のゲーム業界への就職を果たしたわけだが、一方で2018年にめでたくご結婚もされており、聞けばまさに日本ゲーム大賞 アマチュア部門が取り持つ縁でもあったようなのだ。何ともそんなこともあるものなのだなあ……とほっこりしつつ、おふたりに取材させていただいた。

 ここでは、取材させていただいた順番どおりに、ユークス・黒岩美希さん、カプコン・坂井良輔さん、最後におふたりで……の3本でお届けする。

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黒岩美希氏(くろいわみき)

ユークス プランナー

坂井良輔氏(さかいりょうすけ)

カプコン プログラマー

Chapter01 ユークス 黒岩美希氏

悔しさをバネに

 まずは、黒岩美希氏へのインタビューからお届けしよう。現在ユークスでプランナーを担当する黒岩さんは、『WWE』などを担当している。インタビューでも触れているとおり、披露宴の入場曲はシンスケ・ナカムラの入場曲だったとの、微笑ましいエピソードも。当日は受賞作の『Toy Revo(トイレボ)』をお持ちいただいており、黒岩さんにとって同作は、大きな支えとなっているようだ。

みんなが何でも気兼ねなく言い合える環境を作ることが大事だった

――6年前のことになりますが、日本ゲーム大賞 アマチュア部門で大賞を受賞したときの率直なご感想をお聞かせください。

黒岩 マチュア部門に選出されてから、佳作、優秀賞、大賞のどの賞をいただけるかは、東京ゲームショウで行われる授賞式まではわからないんですね。ただ、チームメンバーのみんなとしては、アマチュア部門に選出されただけでも「よくやったな!」という雰囲気でした。ほかに選出されたのも軒並みクオリティーが高い作品ばかりで、「佳作だよね」と話していたんです。東京に行けるだけでもうれしかった。それが優秀賞に選ばれて「おおっ!」という感じだったのに、さらには大賞で自分たちの作品をもらえたときは、単純にびっくりしました。

――あまり自信がなかったのですか?

黒岩 その年、HAL大阪からは何作かアマチュア部門に選出されて、2作品がPC向けだったんですよね。私たちも企画的やゲームのおもしろさでは負けていないという自信はあったのですが、私たちの作品はニンテンドーDS向けだったので、ビジュアルのクオリティーは、そちらのほうがぜんぜん上だったんです。

日本ゲーム大賞 2013 アマチュア部門 授賞式の模様から。

――学生さんがプラットフォームにコンソールを選ぶというのも、チャレンジングですよね。

黒岩 2年生のときの授業のカリキュラムが、ニンテンドーDSで楽しめるゲームを制作するというものだったんです(笑)。そのため、ニンテンドーDSに見合ったゲーム性を……ということで、タッチペンを使ったものを考えました。同時期にアマチュア部門に残ったほかの2作品も、当初はニンテンドーDS向けに制作していたのですが、別にニンテンドーDSじゃなくてPCでもゲーム性は変わらないとなったので、グラフィックのクオリティーアップのためにPCに移行したようです。

――ああ、なるほど。ニンテンドーDSならではのポイントにこだわったのが、最終的に高い評価を獲得した要因になったのかしら。

黒岩 タッチペン操作の気持ちよさは注力したポイントですね。タッチペン操作って、誰でもツボにハマる気持ちよさがあると思うのですが、私にとってそれは、タッチペンで円を描いてそのさきにキャラクターを飛ばすというものだったんですね。それを実現したいというのが最初にありましたね。

――ああ、今日は大賞を受賞したタイトルをお持ちいただいたんですね。それだけこのタイトルを大切にしていらっしゃるんだなあ。

黒岩 そうですね。私にとっては、最初にチーム制作でみんなといっしょに作ったゲームなので、だいぶ思い入れはあります。

――いまでも遊んだりしますか?

黒岩 たまに遊んだりします。

――仕事でちょっと袋小路にハマったときとかに、『Toy Revo(トイレボ)』をプレイしてリフレッシュしたり? と、想像を膨らませますが(笑)。

黒岩 はい(笑)。

――いい話ですね。で、話の腰を折ってしまいましたが、気持ちよさを重視した?

黒岩 ボックスを操作してキャラクターを飛ばすという気持ちよさをいちばん重要視しました。開発に取り掛かった当初は、具体的な方向性は決まっていなくて、みんなでアイデアを出し合っていたんですよ。でも、なかなかいい感じにならなかったんです。そんなとき私が、「キャラクターを絵から絵へ移動させるのはどうだろう?」って思いついたんですね。そうしたら、「それって何がおもしろいの?」という意見が出まして。いまだったら『ゴロゴア』のように、絵から絵に人物を移動させるゲームもありますが、当時はあまりなかったので、イメージを結びづらかったようなんですね。最終的には、「額縁のついた絵をペンで回転させて、キャラクターがポンと飛び出したら絵から絵へと移動できるようにしたら気持ちがいい動きを実現できる」と説得したんです。ほとんどのメンバーが、「こいつは何を言っているんだろう?」という顔をしていましたけれども(笑)。

――言葉で説明してもわかりづらいですものね。

黒岩 でも、そこからが早くて。つぎからつぎへとアイデアが出てきて、けっきょく1日くらいでゲームの大筋ができたんです。それまでは、ひと月、ふた月かけでもアイデアがぜんぜん出なかったんですけどね。そこから、飛ばすというアイデアをもとに、ルートを見つけ出していくおもしろさを加味して、これをふたつの軸にして、徐々にブラッシュアップしていったんです。

――ちなみに、何人くらいで作っていたのですか?

黒岩 最初のメンバーは、5人くらいでしたね。そもそも『Toy Revo(トイレボ)』は、1年間の成果を見せ合うといった趣旨の授業があるのですが、それに合わせて作ったゲームだったんです。それで、できあがった作品は最終的にランク分けされるんですね。

――なかなかにきびしいですね。

黒岩 そうなんです。優秀な作品には、金賞・銀賞・銅賞という3つの賞があるのですが、私たちのチームは、そこからは漏れて技術賞でした。

――敢闘賞みたいなものかしら。

黒岩 そうです。それがとても悔しくて。私たちの作品の何がいけなかったのかを自己分析したんです。そこで至った結論は、「ゲームの説明をちゃんとしないのがいけないのでは?」ということだったんですね。そもそもこのゲームって、ちゃんと説明しないとわからないゲームなのですが、チュートリアルもなかったんです。日本ゲーム大賞の応募に向けて、そのプロトタイプをもとにブラッシュアップしていく過程で、“どうやってこのゲームの遊びかたをユーザーにわかってもらって、楽しいと思ってもらえるまでに持っていけるか”に全神経を注ぎました。実際のところ、『Toy Revo(トイレボ)』の最終版のゲーム自体のコンセプトは、技術賞だったプロトタイプから一切変えていないんですよね。

――おもしろさをしっかりと伝えることがいかに大切か、ということですね。技術賞だったプロトタイプから実際に完成するまでのあいだ、メンバーは変わらずだったのですか?

黒岩 技術賞のあとで、メンバーを何人か追加しました。デザイナーがひとりしかいなかったので、ドット絵を描けるデザイナーさんを、リーダーの坂井さんがスカウトしてきてくれたんですよね。あとは、ゲームのBGM用のプログラマーさんとか。その人は、ほかのチームのプロジェクトがあったのですが、プログラムの腕がすごかったので、「いっしょにやりませんか? 絶対にうちのゲームのほうが楽しいからいっしょにやったらいいと思う」と(笑)。

――ああ。“おもしろいゲームを作ろう”というだけではダメで、おもしろさを伝える方法論だったり、足りない人材を補うためのマネジメントだったりと、いろいろと考えないといけないのですね。

黒岩 最終的には、締め切りのぎりぎりまで、デバッグをしておかしなところがないかチェックしていましたね。あとは、パズルゲームなので、ステージで極力詰まないようにということで、ギリギリまで調整しました。

――そういうユーザーさんに対するやさしい姿勢が、評価されたのかしら。

黒岩 そうかもしれません。担当の先生は左利きの方だったんですけど、このゲームは右利きでも左利きでもプレイできるんですよ。そんなところも、ユーザーさんの便宜を考えて加えた要素ですね。

――なんか、とても楽しそうにご自身の作品のことを語りますね。『Toy Revo(トイレボ)』に対して思い入れがあるということがふつふつと伝わってきます。思い入れを持てるタイトルを作れたというのは、うらやましいです。ところで、仲間たちとの開発の日々はどんなだったのですか?

黒岩 最初にチームを結成して、みんなでお茶をしにいったんですよ。そこで、メンバーみんなで何でも言い合えるような環境を作りました。どれだけおもしろいゲームを作りたいと心の中で感じていても、「これは言うのをやめておこう」という状況を作ってしまったらダメだと思って。みんなが何でも気兼ねなく言い合える環境を作ることは大事にしました。実際のところ、開発中はしんどいこともたくさんあったんですよ。アイデアはなかなか出ないし、納期も迫っているしで……。でも、「たいへん」「しんどい」って弱音を吐いてもしかたがないので、「みんなであきらめずにがんばろう」という気持ちでいるようにしました。

――チームワークはよかったようですね。

黒岩 よかったです。雰囲気もよかったです。

亡くなる前に、お父さんに大賞受賞を伝えられたのはいい想い出

――『Toy Revo(トイレボ)』を開発した日々は、とても充実したものだったことがうかがえます。そんな日々は、その後のご自身のゲーム作りにどのような糧となったのでしょうか?

黒岩 就職活動で「ゲーム業界に入りたい」となったら、大学生と戦わないといけなくて、専門学生には即戦力が求められると思います。そういう意味では、「チームでゲームを1本作りました」となったら、大きなアピールポイントになったと思います。かつ、賞を受賞しているという実績があるので、採用担当さんの反応はよかったかもしれません。ゲームを作り切ることができたのと、作りきったものがしっかりと評価されたというには、大きかったかと。

――まあ、そうですよね。

黒岩 あと、ゲームを作っていると、アピールするポイントというのが出てくるんですよね。『Toy Revo(トイレボ)』に関しては、“試行錯誤してチュートリアルを充実させることでいいものを作れました”、という成果をアピールすると、“ゲームを1本作ることでこれだけ成長できるんだ”ということを、採用担当の方にわかってもらえる。アマチュア部門に応募するだけでも意義はあるのかなと思っています。

――ちなみに、大賞を取ったあとで、ご自身を巡る環境は変化しましたか? ちょっと意地悪な質問ですが……。ちやほやされたりとか。

黒岩 ちやほやとかはぜんぜんなくて、クラスメイトは変わらないです。私、一旦大学を卒業してからHAL大阪に入ったんですよ。それで、HAL大阪に行きますとなったときに、母は応援してくれたのですが、父や周りの家族には反対されたんです。「それで本当にゲームクリエイターになれるのか?」と。私も、「何とか認めてもらいたい」という気持ちはあって、大賞を受賞したときには、認めてもらえた感じはしました。

――もともとゲームクリエイターになりたかったのですか?

黒岩 違います。大学には4年間通って、就職活動もしたのですが、「私のしたいことって何だろう」ってずっと考えていました。もっと早いうちから決められていたらよかったのですが。で、大学3年生のときに就職フェアみたいなものがあって、大手開発会社さんのブースを見つけたんですね。そこで、「そういえば、私ゲームが好きだった」と思って、「ゲームクリエイターになりたいんですけど」って、就職担当の方とお話したんです。そうしたら、「大学生でもゲームクリエイターになれますよ」というお返事をいただいたんです。それまでゲームクリエイターに対して何の知識もなかったので、「なれるようなものじゃない」と私は思っていたのですが、「なれる」と言われて身近なものに感じられたんです。それで、「挑戦してみようかな」ということで、できれば技術を学びたいと思っていろいろと専門学校を調べたんです。

――ゲームクリエイターになりたくて専門学校に行って、そこで大賞を取って、最終的にゲームメーカーさんで働いて……と、まさに1本の道筋がある感じですね。しっかりと意思を持って夢を実現したという。ところで、当初専門学校に行くことを反対していたお父さんは、いまは認めてくれているのですか?

黒岩 父は亡くなってしまったんです。私が専門学校に通っているあいだに病気がどんどん悪くなってしまって……。最初「ゲームクリエイターになるねん」と言ったときには、「そんなん、なるわけないやん」と言われたんですけども。亡くなる前に、「大賞獲ったよ」と報告できたのでよかったなと。それは想い出です。

――日本ゲーム大賞アマチュア部門 大賞を受賞していたからこそ乗り越えられた壁なんてあったりします?

黒岩 ありますよ。ぎりぎりまであきらめないこと。そして、何とか改善点を見つけること。いまはダメでも改善していけば、おもしろいと思ってもらえるものが必ず作れる。あきらめずに上を目指そうという気持ちになれました。

――もしかして、黒岩さんに“ギリギリまで取り組む”というメンタリティーがあるからこそ、逆に大賞を取れたというのが、あるかもしれないですね。

黒岩 それはあるかもしれないです。

――もしものお話となりますが、日本ゲーム大賞アマチュア部門を受賞していなければなければ、どうなっていたと想像しますか?

黒岩 就職活動でどうなっていたかはわからないですね。企画職って、募集人数が少ないですから。プログラマーはけっこう募集人数も多いですし、ゲームがダメでもスキルは他業種で活かせますからね。ゲームの企画となったら、ゲーム会社以外で雇ってもらえるのか……という心配はありますね。

――いわゆる、つぶしが利かないということですね。

黒岩 ゲームの企画になりたいというのは、ギャンブル的なところもあるといえばあります。大賞を受賞していなかったら、ユークスじゃなかったかもしれないです。HAL大阪では、就職活動展を3年生の3月に行うんです。卒業生のアピールの意味合いもあるのですが、大賞を受賞したことで、そこでユークスに声をかけてもらったというのはありますね。

――いずれにせよ、ゲーム業界以外の選択肢はなかったのですね?

黒岩 ないです。それは、考えられなかったですね。

日本ゲーム大賞はプロへの登竜門

――大賞を受賞した黒岩さんから見て、日本ゲーム大賞 アマチュア部門の意義というのは、どんなふうに考えていますか?

黒岩 プロへの登竜門だと思います。

――端的ですね(笑)。さきほどもおっしゃっていましたが、大賞を取ったから入口が開けたということですね。「プロへの登竜門なので、応募してみてください」という感じかしら。

黒岩 はい。もちろん、受賞するに越したことはないと思いますが、作品をひとつチームで作り切って応募するというだけでも、就職活動に対する自分のアピールポイントは出てくると思います。絶対に問題は起きるので、それをどうやって解決したかというのをアピールするといいのではないかと。実際のところ、履歴書を送るときに「何を書けばいいんだろう?」と悩むと思うんですね。そのときに、日本ゲーム大賞に応募したときの経験が大きな糧になるはずです。

――お話をうかがっていると、ゲームを1本作り切るというのは相当大変なことのようですね。

黒岩 作ると自信になりますね。私はプロになってから『WWE』のゲームを毎年作っていた時期もあったのですが、期間が決まっているなかで、毎年限られた時間の中で作るというのは大変です。「ユーザーさんにおもしろいものを提供したい」「クオリティーの高いものをお届けしないといけない」ということでプレッシャーも半端ではないのですが、“1本作りきった”というのは糧になります。プロになると、本当にたいへんなんですよ(笑)。

――まあ、そうですよね……。

黒岩 ゲーム会社は、技術面はもちろんあるのですが、“最後まであきらめないでゲーム開発を続けてくれるか”というのを、すごく見ていると思います。ひとつの基準として、ゲームを1本でも作った人のほうが、印象はよくなるのではないかと。

――タイトルを手掛けることによって、メンタルも鍛えられて、開発の勘所も把握できそうですね。

黒岩 そうですね。メンタルはかなり鍛えられると思います(笑)。

――実際に就職されてから、学生時代との違いは何ですか? さきほど『WWE』を1年ごとにリリースする重圧みたいなことを語っていらっしゃいましたが、やはりプレッシャーはありますか?

黒岩 はい。プレッシャーはつねにありますね。あとは、開発に取り組んでいる時間かな。学生時代だと、寝る間も惜しんでそれこそ徹夜もできるんですけど、会社だと就業時間が決まっているので、その決められた時間のあいだに終わらせないといけない。それがたいへんです。

――ああ、仕事のお持ち帰りなんてできませんものね……。やりたいことがどんどん膨らんでくると思うのですが、そうなると、時間との勝負ですね。

黒岩 そうですね。やりたいことはたくさんあるけども、できる時間も限られているので、効率をどうやって上げていくのかというのが、私がいま仕事上で直面している課題です。

――見習いたい(笑)。では、将来どのような作品を作っていきたいのか、お聞かせください。

黒岩 ユークスは、いままでプロレスゲームを手掛けてきた実績があるのですが、ファンの方以外にもプロレスゲームを遊んでいただけるようなゲームを作れたらいいなと思っています。間口をさらに広げるような取り組みですね。

――ところで、黒岩さんのような方が『WWE』を手掛けていらっしゃるということで、ちょっぴり意外だったのですが、もともとプロレスがお好きだったのですか?

黒岩 ユークスに入社してから、ゲームを作っていく過程でどんどん好きになっていった……という感じでしょうか。いまは、興業などもけっこう観に行っています。

――今回のインタビューからするとまったくの蛇足ですが、とくにお好きなレスラーの方なんています?

黒岩 私が好きなのは、フィン・ベイラーですね。もともと新日本プロレスに所属していて、日本で活躍していらっしゃったレスラーさんなんです。日本がバックボーンにあるというのもあって、感情移入してしまいますね。

――イケメンのレスラーですよね。

黒岩 覚醒すると、悪魔の“デーモン”のメイクをするんですよ。そのメイクも格好よくて、そういう二面性があるのがいいんです。あと、シンスケ・ナカムラもすごく好きです。じつは、シンスケ・ナカムラの入場曲を結婚披露宴の入場曲にしました。

――あら! 旦那さんよくOKしてくれましたね。

黒岩 「すごくいい曲だね」と言ってくれました(笑)。

――なんか、ほっこりするエピソードですね(笑)。

黒岩 ゲーム会社に入ったら、いろいろなゲームの担当になるんですよね。最初はぜんぜん知らない分野のゲームでも担当してほしいと言われることも多いと思うんですけど、作っていくうちにどんどん好きになっていくケースもあるのではないかと。私も、最初はプロレスのことがよくわからなかったのですが、作っているものに対する愛は、大事だと思います。

――たしかに、愛があるのとないのとでは違いますよね。

黒岩 与えられたプロジェクトは仕事だけれども、仕事外でもどんどん広がっていくんですよね。

――最後に、少し大きなご質問になりますが、日本のゲーム業界を、“こうしていきたい”もしくは“どうすべきか”というお考えなどありましたら。

黒岩 難しいですね(笑)。プレイステーション4のCMにもありますが、“できないことができるって楽しい”というのが、ゲームの魅力だと私は思うんです。いままで経験できなかったことができるところに感動がある。私としては、暇つぶしなのではなくて、時間を取って遊んでもらえるようなゲームを作りたいです。「家に帰ってこのゲームするんだ」と思いながら仕事ができるような……。仕事が終わったあとで、家に帰ってゲームをするという。「1日がんばって仕事をしたぞ」とか、「学校少したいへんだったけど、家に帰ってみんなと遊ぼう」という気持ちになれるゲームを作っていきたいです。

――なるほど。いまおっしゃったのが、黒岩さんのゲーム観のような感じですね。

黒岩 少しでもがんばっていきたいです。