ここ数年、東京ゲームショウの会期中に開催される日本ゲーム大賞 アマチュア部門 発表授賞式に合わせて、発表後に大賞受賞者にインタビューさせてもらっている。喜びいっぱいの学生さんたちにお話をうかがえるのは、幸せのお相伴に預かるような感覚もあり、東京ゲームショウという、1年でもっとも忙しいさなかにあって、癒やしの瞬間だったりする。若者たちの清々しさに触れていると、「おじさんもがんばらなくっちゃ!」と思うのだ。
そんなときに、ふとした弾みから「日本ゲーム大賞 アマチュア部門の受賞者は、卒業後にゲーム業界で働いているのだろうか?」という疑問が兆したのは、おじさんならではのスレた目線だったかもしれない。実際のところ、文学賞で新人賞を取っても埋もれてしまう作家もいるし、ドラフトで上位に指名されても芽が出ない選手もいる。そんな疑問を日本ゲーム大賞を主催するCESA(コンピュータエンターテインメント協会)の担当者にぶつけてみたところ、「追いかけてみましょう!」と、ご快諾。実現したのが本インタビューとなる(全3回くらいを予定)。
まずお届けするのは、藤井トム氏。藤井氏と言えば、“ゲームクリエイターを夢見る少年の手作りRPG”というコンセプトで制作された『RPGタイム! ~ライトの伝説~』が、昨年(2018年)数々の賞を受賞し、話題を集めたインディーゲームクリエイター。アマチュア部門がいまのスタイルになった日本ゲーム大賞2007にて、HAL大阪在学時に『バトルクエスト』というタイトルで大賞に輝いている。ちなみにこの『バトルクエスト』が、後の『RPGタイム! ~ライトの伝説~』となるので、日本ゲーム大賞 アマチュア部門は『RPGタイム! ~ライトの伝説~』を最初に見出した賞という言いかたもできる。というわけで、藤井氏にお話を聞いた。
藤井トム
HAL大阪在学時に『バトルクエスト』にて、日本ゲーム大賞2007 アマチュア部門 大賞を受賞。その後、いくつかのゲーム会社を経ていまはフリーに。『RPGタイム! ~ライトの伝説~』でいまいちばん注目を集めるインディーゲームクリエイター。
日本ゲーム大賞 アマチュア部門 大賞受賞がクリエイターとしての運命を決めた
――12年前を思い出していただいて、まずは当時日本ゲーム大賞アマチュア部門を受賞したときにどんなことを感じたか教えてください。
藤井僕たちが受賞できるとは思っていなかったので、まず優秀賞を受賞したときは、とても驚きました。「東京ゲームショウのビジネスディに参加できる!」ということで、とても興奮したのは覚えています(※)。大阪に住んでいたということもあり、東京ゲームショウには憧れていたのですが、なかなか行く機会がなかったんですね。たまに行った人がいると、「どうだった?」とかいろいろと聞いたり、会場で入手したグッズを見せびらかされたりしていました(笑)。「いつかは行きたいな」とは思っていましたね。それが、機会がないまま学校での4年間を過ごしていたので、諦めかけていたのですが、アマチュア部門で優秀賞に選ばれて行けることになった。しかもビジネスデイ! ということで、「これはカッコいい」ということでテンションが上がりました。
※当時、アマチュア部門の発表授賞式は、ビジネスディ2日目の金曜日に実施されていたため。
――微笑ましい(笑)。日本ゲーム大賞 アマチュア部門は、もともと狙っていたのですか?
藤井もともと『バトルクエスト』は、卒業制作として取り掛かったタイトルだったんです。4年間の集大成として、2~3ヵ月かけて作り上げたもので、作ったあとに先生から「日本ゲーム大賞に応募してみないか?」と言われたんです。いまだと、お題が提示されるかと思うのですが、当時はフリーだったんですね。ただ、先生に言われたときも、「いやいや、日本ゲーム大賞はレベルが高いので出したって無駄ですよ」と始めはお断りしてくらいなんです。それでも先生から強く勧められたので、「じゃあ、一応、出すだけ出してみましょうか」という感じで(笑)。消極的に応募しました。実際のところ、先生に言われていなければ出していなかっただろうと思います。
――それくらい、作った作品にはあまり自信がなかったということですか?
藤井そうですね。贔屓目に見ても、周りのタイトルと比べてグラフィックがいいわけではないし、技術的にすごいことをしているわけでもない。少人数かつ短期間で開発したコンパクトなタイトルです。ほかに比べて見劣りするとは思っていました。
――大賞を受賞できた要因はどこにあると自己分析していますか?
藤井アイデアと作り込みの部分を評価していただけた結果なのかなとは思っていました。技術やグラフィックのすごさは関係なくて、自分たちが思いついたアイデアをしっかりと作り込んで、どうプレイヤーにつなげていくかというのを考えた結果が、いちばん大きな理由だったと考えています。あとは、運が大きかったです。何百も送られてくる応募作品の中から、救い上げてくれた審査員がいてくれたのがラッキーだったなと。
――運不運は、ジャンルを問わず、どの賞においてもありますよね……。
藤井プロになってから新卒の方の作品を見たときに、みんながスルーしたところを、誰かが「ちょっと待てよ。ここはこう見たら、いけるんじゃないか?」と指摘して、評価が一変することがあります。誰かがおもしろさを見つけることで、それを改めて解釈して、それにみんなが同意してくれる。『バトルクエスト』にしても、最初に全員が目につくグラフィックや技術ではなくて、すぐには見つからない部分のおもしろさを発見してくれた人がいなかったら評価されなかった。僕らも、「あれをわかってくれたんだ!」という感じで、賞を取れるとは思っていなかったというのが、実際のところですね。僕らも学生のころは、トップの技術を持った学生に、憧れや劣等感を抱いたりもしましたし。
――逆に言うと、アイデアや作り込みに関しては絶対に負けないという自信をもって、「斬新なゲームを!」という 意気込みでゲームを作っていたということですよね。
藤井そうですね。勝ち負けではないのですが、チームが少し特殊でした。『バトルクエスト』はメインのメンバーが3人だったのですが、本当だったら、プログラマー、グラフィッカー、企画ないしディレクターという構成になると思うんですけど、僕たちは3人全員がプランナーで、企画や遊びを考える人たちだけだったんです。それは、いま開発しているタイトル(『RPGタイム! ~ライトの伝説~』)でも同じようなことなのですけれど、単純にアイデアを考える人が3倍いる、という形になっていました。そこでアイデアや魅せかたが負けてしまったら、企画者の名折れだなというのがあって、プランナーの意地を見せてやりたいという思いがありましたね。
――へえー。おもしろい構成ですね。3人の中では、ライバル意識や喧嘩などはなかったのですか?
藤井(笑)。いまでも、「企画が何人もいたらアイデアでもめたりしませんか? 決定はどうなるのですか?」とよく聞かれますが、不思議とそのあたりはうまく作用していて、誰かが走りすぎていたら止める側に回るし……という感じでした。ひとりひとりの役割が決まっているのではなくて、その場に応じて、役割を変えたり……ということが、自然とできますね。阿吽の呼吸というわけではないのですが、かなり、よりディープなやり取りや考えかたの共有ができるようになってきたなとは思います。
「やはり諦めない人が残っている」
――ところで、アイデアや作りこみの部分が評価されてグラフィックじゃなくてもいけるという気づきが、後々のご自身の「グラフィックじゃなくてもいいんだ」という方向性になったのですか? それとも、もともとグラフィック重視ではない方向は、ご自身の属性だったのですか?
藤井いえ。正直言うとグラフィックはいいに越したことはないので、本当はできればいいものにしたいです(笑)。それに関しては、諦めてはいけないなと思っていて、「アイデアがたくさんあるからグラフィックなんてどうでもいい」とか、「発想がすぐれているから技術的にすごいことをしなくてもいい」ということではなくて、グラフィックや技術もつねに追い求めるべきだし、そういう仲間がいれば、さらにもっといいものができるハズだとは思っています。しかし、ないならないなりに、自分たちにできることで、「アイデア次第でなんとかなる」というような気概は、わりといまでも持っています。
――ああ、『RPGタイム! ~ライトの伝説~』を作っていらっしゃる方の言葉とすると意外な感じもしますが、グラフィックはいいに越したことはないとおもっていらっしゃるのですね?
藤井やはり、いいグラフィックは、アイデアの後押しになります。あと、単純に憧れもありますね。初めてゲームに触れるときに、最初に目を引く要素としては、やはりグラフィックが強いですし、動いたものを見たときに感じるスキルの高さやテクニックのすごさというのも、ドスンと響いてきます。そういうパワーがあれば、正直なところ「自分のアイデアが輝くのに……」と思うこともありますね。
――そうなのですね。もしかして、“パッと見て印象に残る”ことを重視する姿勢がアイデアによって補完されたのが、いまお作りになっている『RPGタイム! ~ライトの伝説~』の方法論なのかもしれないですね。
藤井そうですね。「同じ舞台で戦ったら勝てない」というのはつねづね思っていました。応募した作品を思いつくきっかけとなったのが、授業で習ったばかりの“ニッチ戦略と小さな反骨心”だったというのは、インタビューをお受けするときによく言っています(笑)。僕らの時代の卒業制作は、ゲームのジャンルが偏っていたんです。横スクロールアクション、シューティング、パズルが多い印象でした。それが当時作るのが比較的簡単だったというのと、その3つのジャンルは授業でサンプルを作る機会があったので、それを発展させて卒業制作として完成させるケースが多かったんですよ。でも、もともとシューティングが好きで、技術もすごい人が作ったシューティングは本当にすごいので、そのジャンルでは絶対に勝てない。横スクロールアクションもダメ。パズルもセンスで負けてしまうと。
「じゃあ何を作ろう?」となったときに、「いちばん作っていないジャンルを作ろう!」となったんですよ。これがいわゆるニッチ戦略で、比べようがないからいいところに行けるんだという。それで、調べてみたら卒業制作でRPGがいちばん作られていなかったんです。期間が短いので、卒業作品でRPGを作ろうという人が少なかったんでしょうね(笑)。
――まあ、そうでしょうね(笑)。
藤井でも、僕らはRPGが大好きで、『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』で育ってきた世代なんです。RPGが好きな人が多いはずなのに作っていないなら、「これは挑戦しがいがあるな」と感じてRPGを選びました。それで、まわりまわってうまくいったというのもありますね。日本ゲーム大賞 アマチュア部門の応募作も、RPGはやはり少ないんじゃないかなと。
――お話をうかがっていると、学校では優等生だったような雰囲気ですね(笑)。
藤井真面目でしたね。ただ、今回ファミ通さんからインタビューのお話があって、11年ぶりにHAL大阪の先生からご連絡をいただいたのですが、ちゃんと覚えてもらっていたので、当時は困った学生だったんだろうなと思いました(笑)。ふつうに優等生だったら、たくさんいるので覚えていないと思うんですよね。
――もし僕が先生だったら、「いい学生だな」と思うような気がするけどなあ(笑)。
藤井十数年、社会人をやっているので、丸くなったなとは思います。当時は、少しでも目立とうと思ってファッションを奇抜にしてみたり、ちょっと思い切った発言をしてみたりしていました。
――授業中に、先生に対して「そんなことは知っているから、もっと違うことを教えてください」みたいな発言をしたりとか?
藤井いえいえ、そんなことはしません(笑)。授業は真面目に聞いていたつもりではあるんですけど、そんなに模範的な学生ではなかったです。学校には、すごい学生がたくさんいたので、「同じ土俵では戦えないな」とは思っていましたけどね。PCに対する知識のレベルがぜんぜん違っていて、僕が、「電源ボタンはこれか」みたいなところから始めたのに対して、高専や工業高校に通っていた同級生は、もうレベルが違うんですよ。最初からものすごく差が開いていたんです。何とか食い下がろうと思っていたんですけど、向こうも勉強してさらにすごくなって、よくわからない世界に行ってしまうので、「これは戦えない……」というのは感じていました。
――とはいえしみじみと思うのですが、そんな優秀な同級生でも、第一線で活躍するゲームクリエイターになっている人はそんなに多くはないのでは?
藤井そうですね。在学中に進路を変更する人は、僕が思ったよりいました。
――となると、残れたか残れないかの違いは何だったんでしょうねえ。実力という話になってしまうのかしら。
藤井やっぱり諦めなかった人が残っているという印象です。皆さんけっこう諦めてしまうんです。当時は学科を選択するときに、同じプログラマーでも、ゲーム系学科を選ぶのか、景気がよかったWeb系学科を選ぶのか、というところで一度先生に確認されるんですよ(笑)。
――いまは働きかた改革もあり、状況は相当違うとは思いますが……(苦笑)。
藤井先生からすれば、覚悟を試す意味合いもあったと思うんですよね。僕からしたら、いろいろと武勇伝も聞いていましたし、「そんなこと言われても(ゲーム科に)行きますよ!」という感じだったのですが、けっこうな数の人がゲーム学科へ進むことを断念してしまう。「あれ? あんなにいっしょにゲーム業界に行こうぜと言っていたのに?」という感じでした。それが3、4年生になると、「俺もゲーム学科に行っておけばよかった」と言い出したりする。逆にやる気がある人はWeb科に行っても、ゲームを作ってさらに上に行ったりするので、けっきょく作りたい人は作るんですよ。「諦めずにゲームを作った人は行く」ということです。
――まあ、諦めずにいるというのは大切ですが、諦めなくてもどうにもならないことが多々あるのが人生の残酷なところでして……。諦めずにいて、そして作るということが大事だと言えるかもしれないですね。
藤井技術的にすごいものを持っているけど、ゲームは1本も完成させたことがないという人が意外と就職できなくて、逆にさほどスキルがなくても、5本、10本ゲームを作って持っていったらすぐに受かったとかありますね。なんだかんだで、形にするというのは大きいなと思いますね。
――ちなみにですが、なぜ技術があるのにゲームを完成まで持っていけないんでしょうね。
藤井やはり、完成が遠いんだと思います。ゲームというものは、完成させるまでにすごく手順があって、完成させるまでに必要な行程がとにかくつらいというか、変化があまりないというか……。明確な締切はないし、授業はそれなりにたいへんだし、新しい課題も来るし、遊びたいし……というのがあって、完成というのが難しい。おそらく、日本ゲーム大賞というのが、いまいちばんいい締め切りになっているのではないかと思いますね。
――いい締め切り(笑)! 締め切りはないと仕事をしないのは真理かもしれません。
藤井そうなんですよ。僕らが『バトルクエスト』を完成させられたのも、卒業制作という締め切りがあったからこそなんですよ。