“セガフェス2019”で行われた“セガサターン25週年大感謝祭”のリポートをお届けする。

当時のサターン市場を売る側と伝える側が振り返る

 2019年3月30日と31日にベルサール秋葉原にて行われた、グループ横断のファンフェス“セガフェス2019”。30日の最後を飾ったのは、“セガサターン25周年大感謝祭ステージ”となった。セガが1994年に発売し、ライバルハードとしのぎを削った当時の出来事を関係者たちが振り返り、さらにはスペシャルゲストの登場で大いに盛り上がった、その模様をリポートする。

 ステージ前半では、当時メディアとしてサターンを盛り上げた人物として、元週刊ファミ通編集長のバカタール加藤こと加藤克明氏、元ゲーマガ編集長のウメこと梅田浩二氏が登場。さらに、サターンを売った側のゲストとして、元サターン事業部長にして現セガホールディングス代表取締役社長COOの岡村秀樹氏、当時のPR責任者で現在はトムス・エンタテインメント常務取締役(※2019年4月1日付けで社長に就任)の竹崎忠氏が登壇。当時の出来事をまとめた年表や、CM映像とともに1994年~1997年までを振り返っていった。

当時のメディア代表としてステージに経った加藤克明氏(右)と梅田氏。思い出のタイトルは『Jリーグ プロサッカークラブをつくろう!』と『街』だと語った。
サターン拡販の陣頭指揮を取っていた岡村氏(左)。竹崎氏はセガをPRするために、毎週水曜日にファミ通編集部に足を運んでいたとか。

 サターンが発売された25年前を、「次世代ゲーム戦争と呼ばれ、フィーバーぶりは一般マスコミにまで波及した」(加藤氏)、「3DOやプレイステーションなど、家電メーカーまでがゲームに参入してきた時代」(梅田氏)と説明。ゲームを遊ぶユーザー人口が一気に広がった時期だとまとめた。

 そんな中で登場したサターンについて加藤氏は、「家庭用ゲーム機では任天堂の後塵を拝していたセガだったけど、『バーチャファイター』など強力なアーケード移植タイトルがあって、“これ、いけるんじゃないの?”という空気があった」と解説。一方、売る側の岡村氏は「新商品は性能を伝えるのもさることながら、どれだけインパクトで勝負できるかが大事」だと語り、その結果がとんがり頭の土星人が登場するCMとなったのだと振り返った。

1994年~1995年のおもな出来事。開発コードネームが商品名になった珍しい事例であることや、コストダウンのために本体カラーをシャンパンゴールドからグレーにしたといった貴重な証言も。

 「日本のCM界隈では、禁断の園に足を踏み入れてしまった」と岡村氏が笑いながら振り返ったのは、セガールとアンソニーの比較広告。2匹の猿がどちらのゲームに夢中になるかという話題性たっぷりのCMであったが「ギリギリの節度を保つのに苦心した」(岡村氏)のだそう。プレイステーション陣営の“いくぜ、100万台”に対抗して“ありがとう100万台”キャンペーンを急遽行ったという、ライバル関係をうかがわせるエピソードも飛び出した。

 “5000円キャッシュバックキャンペーン”が展開された1995年の12月には、当時ゲームセンターで大ヒットを飛ばしていた『バーチャファイター2』が発売。当時AM2研の広報だった梅田氏は、「(ハード性能の違いから)ホントに移植できるのか? という心配はセガ社員にもあった」と当時の気持ちを告白。しかし、開発陣の努力もあって、セガで初めてミリオンヒットを記録したタイトルとなったのだと振り返った。

 価格を20000円へと大きく下げた新型サターンが発売された1996年。同年には『NiGHTS into dreams...』や『サクラ大戦』といった、サターンを代表するタイトルが発売されたが、ひときわ盛り上がったのはワープの『エネミーゼロ』。プレイステーションEXPOにてサターンへの“電撃移籍”を発表したことを「行儀悪さの極致」(岡村氏)と苦笑いしつつも、開発者である故・飯野賢治氏の独創的な発想を、ステージ上の全員が讃えていた。

 印象に残ったライセンシー作品という質問には、ゲームアーツの『グランディア』、チュンソフトの『街』、バンダイ(当時)の『機動戦士ガンダム ギレンの野望』といった名前が上がる中、いまではセガグループの一員であるアトラスの『真・女神転生デビルサマナー』は、「ぜんぜんすんなり作ってもらえなかったよ!」(岡村氏)と当時の苦労話を口にする一幕もあった。

1996年~1997年のおもな出来事。「搭載チップをシュリンクしたことで価格を下げられた」とは岡村氏。

 プレイステーションで『ファイナルファンタジー VII』が発売され、“次世代ゲーム機戦争”に決着がついた空気が蔓延していた1997年。しかし、当時セガサターンマガジンの編集者となった梅田氏は、「意気消沈するんじゃなく、サターンを持っていることに誇りを持て!」と、専門誌ならではの熱意でユーザーを鼓舞していたと振り返る。年末になるとセガは、実際のサーカスとゲーム体験会をミックスした“デジタルサーカス”を実施。「平日に仕事をしてから毎週末にイベント巡業をしていたので休みがなかった」(竹崎氏)と苦労話を披露。とくに横浜会場では、暴風雨に見舞われた中でなんとかイベントを開催したことを懐かしみ、来場者へ改めて感謝していた。

一番右の写真には、メガホン片手に来場者にデジタルサーカスの事情説明をする竹崎氏の姿が。

 ステージ前半の最後には岡村氏は、「セガサターンは業界に(爪痕ではなく)足跡を残した。僕は“同盟なき提携”と言っているが、時代を競合メーカーとともに盛り上げていったという意味では、これ以降、全世代にゲームが身近になった1番最初の時期だったと思っています。ファンの皆さんに応援いただいてやれたプロジェクトだった。これからもセガのソフトで楽しんでいただきたい」とコメント。

 竹崎氏は「セガのハードが好きだったので、ハードから撤退したのは残念でした。『メガドライブ ミニ』を作ることで熱く盛り上がっているから、応援してほしい。『メガドライブ』が大好きで28歳の時にセガに入って、そこからいっしょに仕事をしてきた人たち、会場に来てくれたファンの人たちみんなと、25周年を祝うことができて嬉しく思っています」と語り、ステージをあとにした。

せがた三四郎、22年の時を経て宇宙より帰還!

 ステージ後半には、スペシャルゲストとして1997年末からサターンのCMキャラクター“せがた三四郎”を演じた藤岡弘、氏が「とぉりゃーーー!」の気合いとともに登場。「22年の時を経て、宇宙から戻ってまいりました。今日は思い出を楽しみながら、楽しみましょう」と発言すると、会場からは大きな拍手が贈られた。

柔道着に身を包み、当時と変わらぬ体躯で登場した藤岡弘、氏。

 せがた三四郎役を引き受けたきっかけについて藤岡さんは、「博報堂のスタッフが持ってきた絵コンテを見たら、私の顔が描いてある」と、当て書きされた絵コンテに描かれていた真剣さ、熱さに胸を打たれて引き受けたと振り返る。

 初登場時のせがたはゲームをしない巷の人々を投げ飛ばす荒くれ者であったが、これに対して藤岡さんは「私も虐待になるのか気になった(笑)。でも、父親に武道教育で鍛えられたこともあって、真剣に、愛をもってやってやればわかってくれるんじゃないか」と、どちらに転ぶか関係者といっしょになって賭けてみようと思ったと告白。「いい加減にやったら駄目だと心に誓った」と振り返るその姿には、聞き手を務めた加藤、梅田両氏は「藤岡さん以外のキャスティングは無理!」と感動しきりな様子であった。

紅白歌合戦に出演して「白組を応援、シロ!」と叫んだエピソードも振り返っていた。

 続いては、全19タイプが作られたテレビCMから修行編、ボンバー編、氷上対決編、せがた打法編を上映。あまりの突き抜けぶりと、過酷な撮影エピソードの数々に、会場は笑いと拍手の渦に。収録時の貴重な裏話が明かされた、博報堂クリエイティブディレクター・安藤宏治氏からのコメントもあり、場内の熱気はさらに高まっていった。

“修行編”では40kgもの木製巨大サターンを担いて裸足で砂利道を走ったこと、コントローラーへの正拳突き連打で拳が血に染まったことなどの過剰エピソードが語られた。
爆弾投げを開発する“ボンバー編”は、採掘場で撮影。仮面ライダーの撮影を思い出したと微笑んだ藤岡さんだが、爆風が必要以上にものすごかったと苦笑いしながら振り返った。
スピードスケーターと裸足で対決する“氷上対決編”。撮影は本物のスケートリンクを使っての一発撮りだったそうで、最後にストーブで足を温めるのは演技ではなくリアル!
バッティングセンターの球を回し蹴りで打ち返す“せがた打法編”。奇想天外な発想とロケ地の暖かな陽光とから、思わず出た満面の笑みが印象的なラストカットとなったそう。

 そして最終回となる“真剣遊戯編”。ドリームキャストの発売を控えたセガに謎の組織が打ち込んだミサイルをビルからの決死のダイブで防ぎ、ミサイルとともに宇宙に散るという感動の展開。安藤氏からのコメントは「考えてみたらミサイルを防がなければ、セガサターンやせがた三四郎はもっと延命できたのでは。しかし自分やセガサターンを追いやってしまう新ハードの登場であっても、ユーザーのゲーム愛と正義のために自らを犠牲にする。最高にかっこいい最終回ですよね」。

 それを受けて藤岡さんも、「撮影現場では、これで楽しみながら真剣に取り組んできたスタッフともお別れかと思うと本当の涙がこぼれていた」と告白。「スタッフの気持ちに劣らぬよい映像を作ろうと、ビルから落ちるスタントを命がけでやった。これほど感動した仕事にはなかなか巡り会えない。何事においても真剣に燃えて生き抜け、挑戦しろ、試練に立ち向かえというメッセージが込められている。俳優としてせがた三四郎を演じてきてよかったなと思えた瞬間でした」と語ると、その言葉の重みに目頭を熱くする人の姿も見られた。

 最後に、藤岡さんにとってせがた三四郎はどういう存在だったか、何を伝えたかったのかを問われて「人生は一回こっきり。アンコールもリハーサルもない。もう1分後には歴史になってしまう。一瞬一瞬に命をかけて真剣に熱く熱く燃えて生きる。これが人生だ、というのを教えられました。それを体現したのがせがた三四郎。このメッセージを、全国の若者たちに伝えられたのは光栄な一時でした。その心の持ちかた、生き様は変わっていません。時を大事にしながら、時を刻む。時を失うなと。多くの教訓はいまだに、当時の子どもたちの胸の中にには残っているのではないかと、誇りに思っています。これを作った当時のスタッフの皆さんはやっぱり素晴らしい。この国の未来に貢献したと思っている。民族の未来はひとつの大きなメッセージによって心が動く。それを作られたスタッフの皆さん、クライアント、携わった皆さんは、その誇りを大事にしてほしい。私はそれくらい、皆さんを尊敬しています」と語った。

 トークを終えたステージには、セガ・インタラクティブのサウンドクリエイターである光吉猛修氏が合流。藤岡さんが歌う“せがた三四郎のテーマソング”はいつしか来場者との大合唱となり、感動の中でイベントを締めくくった。

『シェンムー』で藤岡さんと接点のある光吉氏も加わって、せがた三四郎のテーマソング“セガサターン、シロ!”をみんなで合唱。ソニックも登場!
最後は来場者と一緒に記念撮影。ひとりひとりと握手をしながらステージを後にする藤岡さんの真剣な姿は、まさにせがた三四郎そのものであった。