ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)の家庭用ゲーム機プレイステーション4が、2014年2月22日の国内発売から5週年を迎えた。ここでは、その5周年を記念して、SIE 取締役 副社長 伊藤雅康氏へのインタビューをお届けする。プレイステーション4の設計を担当した、まさに“生みの親”とでも呼ぶべき伊藤氏が振り返る、プレイステーション4の5年間とは?
伊藤雅康(いとうまさやす)
SIE 取締役 副社長。2000年にソニーからソニー・コンピュータエンタテインメント(当時)に異動。以降、一貫してプレイステーションプラットフォームのハードウェアの設計に関わる。プレイステーション4ではシステムソフトウェアからハードまですべてを担当している。
プレイステーション4では従来からのアプローチを変えた
――まずは、伊藤さんがこれまでにどのようなことをされてきたのかを教えてください。
伊藤2000年に、ソニーから当時のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)に移りました。ちょうどプレイステーション2が発売になるころですね。ですので、プレイステーション2そのものの設計には関わっていないのですが、ネットワークアダプターなどの周辺機器の設計を担当していました。そのあともPS one専用液晶モニターなどを作っていたのですが、プレイステーション・ポータブル(PSP)のときに、当時の社長だった久夛良木(久夛良木健氏)さんから「やってみろ」というお話をいただきまして。
――それでPSPの設計を担当されたのですね。
伊藤はい。私はメカ担当でしたので、外側と中身、両方の設計部分を担当しました。
――当時のSCEさんにとって、PSPは初めての携帯機でした。据え置き機から携帯機に移るにあたって、設計の面で難しかったことはありましたか?
伊藤弊社の商品は、やはり画質にこだわっていますから、どうしても熱が問題になるんです。据え置き機であれば、まだ多少の熱は許容できるのですが、携帯機は熱いと持てなくなってしまいますので、据え置き機でも気を使っている部分ではありますが、発熱を抑えるのに非常に苦労しました。
――PSPはその後も何代か登場し、PSP goも登場しました。これらの設計にはすべて関わられたのでしょうか?
伊藤PSP goには携わっていないですね。途中でプレイステーション3の開発が始まったころに、また久夛良木さんから呼ばれまして「プレイステーション3をやってみろ」と。携帯機をやっていたんですけどね(笑)。
――プレイステーション3やプレイステーション4は初期から設計を行われたのですか?
伊藤はい。プレイステーション3はメカ部分だけでなく設計全体を見るようになりました。プレイステーション4では、システムソフトウェアからハードまで含めて、すべてを担当しました。
――プレイステーション4の国内販売から5年が経過しました。ハードを作られている立場からすると、この5年間はどのような時間だったのでしょうか?
伊藤先日、全世界での累計実売台数が9160万台を越えました。ここまで支持していただけるというのは、すごくうれしいですね。
――この数字にいくまでは、もっと年月がかかるという風に考えられていましたか?
伊藤プレイステーション4の開発が始まった当初は、具体的な数字だけを追いかけるというより、初代プレイステーションやプレイステーション2のころの勢いをどうやって取り戻すかという思いだけでやっていました。ですので、こうして多くの方に支持をいただけたのは本当にうれしいですね。
――プレイステーション4がここまで数字を伸ばすことができた要因は何だと思われますか?
伊藤プレイステーション3までと比べて、アプローチをまったく変えているんですよ。プレイステーション4では、ユーザーの皆さんにとって使いやすく、欲しいと思ってもらえるもの、そしてクリエイターの皆さんがゲームを作りやすくするためにはどういうものがいいのか、という視点で作っていました。それまでとは手法がまったく違うんですね。そういった部分でクリエイターの皆さんから支持を受けて、その結果いいタイトルがどんどん出るようになり、ユーザーの皆さんにも支持されているのかな、という思いがあります。
――具体的にはプレイステーション4のどのような仕様がポイントになったのでしょうか?
伊藤ユーザー視点では、たとえばSHAREボタンですね。プレイステーション3のころでも、コアな方々はPCに動画を保存したり、それを公開されていたと思います。ただ、当時は録画も簡単ではありませんでしたよね。それがボタンひとつで簡単に録画からアップロードまでできてしまう。それはユーザーの皆さんにもすごく便利だろう、ということで取り入れて、実際に受け入れられた部分だと思います。
クリエイターに気持ちよく作ってもらわないと、いいソフトはできない
――『クラッシュ・バンディクー』シリーズや『ジャック×ダクスター』シリーズなどを手掛けたマーク・サーニーさんもPS4の開発に携わられたとのことですが、最初の段階からクリエイターの意見を取り入れられたのは、プレイステーション4の開発にとって大きかったでしょうか?
伊藤そうですね。彼とは古くからの知り合いですので、本当に開発のいちばん最初からふたりで話し合いをして、クリエイターの視点からいろいろなアイデアをもらっていました。
――マークさんもそうですが、ほかのソフトウェアメーカーの方々にも、開発中のプレイステーション4を触っていただく機会があったかと思います。そういった場でいただいたフィードバックを参考にしたりもしたのでしょうか?
伊藤しましたね。最初は、メモリの容量は8GBではなかったんですよ。でも、多くのクリエイターの皆さんから、はっきり「足りない」と言われてしまいまして(笑)。それ以上増やすのはコスト的にきびしかったのですが、いろいろなところから、「8GBは欲しい」という声が聞こえてきたので、それならばと腹をくくりました。
――クリエイター側の作りやすさを重視されたわけですね。
伊藤やはりクリエイターの皆さんに気持ちよく作っていただかないと、いいタイトルはできないなということで、ほかの部分でコストを下げることで8GBを実現したという経緯があります。
――そのほかには、どのような部分が支持されていると思われますか?
伊藤それまでのプレイステーションは、全部独自のチップ、独自のシステムアーキテクチャを使っていて、クリエイターの皆さんからゲームを作るのが難しいという声が出ていました。そこで、プレイステーション4では、PCと同じアーキテクチャを採用しました。クリエイターの皆さんは基本的にPCでゲームを作られていますから、親和性がすごく高くて、これはとても歓迎されましたね。
――一方で、デザイン面はいかがだったのでしょうか?
伊藤じつは、初代のプレイステーションからそうなのですが、デザインはCEOが決めるんですよ。昔は久夛良木さんが決めて、プレイステーション4のときはいくつかの候補の中からアンディ(アンドリュー・ハウス氏)が決めました。
――そうなんですね。デザイン面での苦労はあまりなかったですか?
伊藤設計で問題になったのは、大きさをどうするか、という部分ですね。ご存じの通り、プレイステーション3は最初大きくて重かったので、あれよりも高性能だけれども、ハード自体は小さくしたいという思いがありました。ですので、冷却システムをどう入れるか、など中身の部分では工夫をしましたね。