タイトーサウンド開発部の重厚な歴史を振り返り! ZUNTATA30周年記念ライブ&トークで盛り上がった“REAL ZUNTATA NIGHT3”をリポート

2017年11月11日、タイトーステーション溝の口店内MEGARAGEにて開催されれた“REAL ZUNTATA NIGHT3 ~ZUNTATA30周年記念祭~”。DJプレイあり、振り返りトークありで大いに盛り上がったその模様をお届けする。

 2017年11月11日、タイトーステーション溝の口店内MEGARAGEにて開催されれた“REAL ZUNTATA NIGHT3 ~ZUNTATA30周年記念祭~”。イベント名ですでにおわかりかと思うが、タイトーのサウンド開発部門であるZUNTATAが生まれてから30周年、そしてCDアルバム『reZonance world ~ZUNTATA 30th ANNIVERSARY~』の発売を記念して行われたイベントだ。DJプレイあり、振り返りトークありで大いに盛り上がったその模様をお届けする。

MEGARAGEはゲームセンター内にあるライブバーということで、ZUNTATAの30周年を祝うのにはピッタリな空間。当日から30周年グッズも発売され、常設のグッズと合わせて人気を博していた。

 前半のDJパートでは、ともに元ZUNTATAのCOSIO氏と、渡部恭久〔Yack.〕氏が登場。COSIO氏は記念CDに収録されるアレンジ楽曲から『クレオパトラフォーチュン』から“SHININ' QUEEN”、『パズルボブル』から“パオパオ島へ行こう”などをプレイしてハッピーな空間を形成。最後は『ナイトストライカー』のエンディング曲“シ・メール”で締めた。あっ、ダジャレだ!

 対する渡部氏は、1980~90年台のアーケードタイトルを中心としたナンバーをプレイ。『ワイバーン F-0』や『スクランブルフォーメーション』といったZUNTATA以前の楽曲は、ゲームおじさんの筆者としてはシビれまくりであったが、いまの若者がついてこられたのかは不明。『グルーヴコースター』収録の自身の楽曲“Sign of “10.5km”のプレイもあったが、曲に聞き入っていて繋ぎを忘れていたのはご愛嬌(笑)。

 なお、12月21日発売の『reZonance world ~ZUNTATA 30th ANNIVERSARY~』は、Amazon/エビテンにて好評予約受付中。追加ディスクやトートバッグがセットになったエビテン限定の『reZonance world~ZUNTATA 30th ANNIVERSARY~ファミ通DXパック』はこちらから予約可能だ。

 後半は豪華ゲストを招いてのトークパートを実施。MCのZUNTATAリーダーの石川勝久(ばび~)氏が、元ZUNTATAのOGRこと小倉久佳音画制作所(代表作『ダライアス』『ニンジャウォーリアーズ』ほか)、同じくMar.こと高木正彦氏(代表作『フルスロットル』『ナイトストライカー』ほか)、そしてアルファレコード、サイトロン・レーベルにてゲームミュージックサントラをヒットさせた立役者である元プロデューサー・大野善寛氏を招いて、30年を振り返る濃密なトークがくり広げられた。

(左から)大野善寛氏、高木正彦氏、小倉久佳音画制作所、石川勝久氏。

 ZUNTATA結成時を知る顔ぶれだけに、トーク序盤は必然的にその話題に。ZUNTATA初のサントラレコード『G.M.O. タイトー・ゲーム・ミュージック』はタイトーの女性社員が当時アルファレコード在籍だった大野氏への直談判によって実現したこと、サイトロン時代にリリースした『ダライアスII G.S.M.タイトー 4 』はオリコン50位以内にランクインする大ヒットとなったことなどが、貴重な当時の資料とともに明かされていった。

アルバムごとの制作秘話がつぎつぎと語られていった。小倉氏によると『ダライアス』が収録された“TAITO GAME MUSIC Vol.2”はゲームサントラとしては異例の48000枚を売り上げたのだとか!

 両アルバムの制作を担当した大野氏は「ZUNTATAさんにはいろいろ無茶を言われました」と苦笑いしつつも、『ダライアス外伝/TAITO ZUNTATA』では、小倉氏からCDジャケットをセル画のような透明仕様にする提案を受けたと振り返り、アルバム制作にかけるこだわりぶりを証言していた。

ほかとは違うものにしたいというこだわりから透明ジャケットとなった『ダライアス外伝』のアルバム。「こだわりが一番強くて、自分たちからこうでなきゃ嫌だという緊張感があり、結果的にいいものができた」と大野氏は振り返る。

 当時の制作現場については、高木氏は「いい機材は小倉さんが独占していて、自分は仮眠室だった和室に小さなキーボードひとつで『フルスロットル』作曲をしていた」と笑わせつつも、「ほかの人の曲を気にしつつも自分にプレッシャーをかけていて、いい緊張感があった」と振り返る。これには小倉氏も「みんなが仲よしこよしではなくて、内心では“かかってこいコノヤロー!”の意識はあった」とコメント。こうしたいい意味でのライバル関係が、すばらしいタイトーサウンドを生み出すひとつの要因であったと言えるだろう。

自社レーベル“ZUNTATA RECORDS”立ち上げ時には、CDの実制作やライブの準備などまで自分たちで手掛けることになり、いろいろと苦労があったとも。

 ゲームサウンドの制作はもちろん、CDアルバムの制作、ライブ出演と幅広い活動を続けてきたZUNTATA。小倉氏は「ZUNTATAはバンドじゃなくて音楽ブランドとして社内外に周知したかったし、それによってサウンドの中の人間の意識が上がって欲しかった」と説明。石川氏も「それによっていまのZUNTATAブランドがある」と、30年という長きに渡っての活動を続けてこられた理由を再確認していた。

1990年代は会社員バンドとしては異例なほど頻繁にライブ活動を行っていたZUNTATA。余談だが、ゲームミュージックフェスティバル'90で演劇テイストを加えたのは「視覚的な要素が欲しかったから」という小倉氏の発案であったこと、そしてその脚本・演出は後にゲーマデリックとして活躍するデータイーストのMr.Kこと木内達也氏であったという貴重な証言がなされた。

 貴重な証言の数々がなされたこの日のイベント。以下からアーカイブが視聴できるので、気になる人はぜひ全編をご覧いただきたい。