プロデューサーとディレクターは二人三脚

 2017年5月20日、21日に京都市勧業館 みやこめっせにてインディーゲームの一大祭典“A 5th of BitSummit”が開催。会期中に、プラチナゲームズの稲葉敦志氏にインタビューをする機会を得た。

稲葉敦志氏に聞く 豊富なディレクターを擁するプラチナゲームズが、開発タイトルで個性を出し得ている理由【A 5th of BitSummit】_04

 稲葉氏と言えば、昨年のBitSummitでは“形のないIP”をテーマに講演を行い、聴講者に大きな刺激を与えたのは記憶に新しいところ。今年はどんなことを話してくれるのか……ということで、記者も大いに期待していたところ、開幕直後のキーノート(基調講演)に登壇し、“『Seeds』・新企画の立ち上げへの考え方”とのタイトルで講演を行った。そこで語られたのは、“インディーゲームにおけるディレクターの必要性”。詳細はリポート記事をご参照いただくとして、今回の講演もインディーゲームの未来と方向性を示唆するエキサイティングな内容となった。

 インタビューは、そのキーノートを受けてのもので、講演でテーマになった“ディレクターの必要性”を取り掛かりに、稲葉氏の考えるディレクター論やプロデューサー論、いまのインディーシーンの感想などをうかがった。

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なぜ、神谷英樹氏はキチガイ型で、橋本祐介氏は天才型で、田浦氏は悪人型なのか?

――昨年の“形のないIP”に続いて、今年も刺激的な講演でした。もしかして、稲葉さんがBitSummitで講演を続けるのは、ご自身がインディーゲーム業界に対して思うところがあって、導いていきたいというか、アドバイスしたいという思いから発しているのですか?

稲葉敦志氏に聞く 豊富なディレクターを擁するプラチナゲームズが、開発タイトルで個性を出し得ている理由【A 5th of BitSummit】_01

稲葉 それはありますね。キーノート(基調講演)と言いつつ、あれはいいのか、とは思いましたが(笑)。キーノートの直後にファミ通さんのニコ生に出させていただいてそこでも言ったのですが、僕はBitSummitのスピーカーとして、「絶対に言わないでおこう」と決めていることがひとつあるんです。告知と宣伝はしないということです。PRのために来ているわけではないので。もっとぜんぜん違うテーマで話したいなと。

――3年連続の講演となりますが、それだけインディーに対してシンパシーを感じていらっしゃるのですね?

稲葉 そうです。当然のことながら、講演をすることで短期的なメリットがプラチナゲームズにあるわけではないのですが、この場所が好きですし、インディーゲームクリエイターが大好きだし、そこに対して何かひとつでも分けられるものがあったら……という、ものすごく素直な気持ちから毎年足を運んでいます。

――昨年の7月に開催されたBitSummit 4thから10ヵ月経ちますが、インディーシーンの変化みたいなものは実感されますか?

稲葉敦志氏に聞く 豊富なディレクターを擁するプラチナゲームズが、開発タイトルで個性を出し得ている理由【A 5th of BitSummit】_02

稲葉 会場がめっちゃ大きくなっていますよね(笑)。新しいアイデアが生まれる速度は、より速くなっていっていることは実感します。アイデアを生みだした段階で発表されるじゃないですか。バンバン出てきて、チェックするのもたいへんなんですけど、「すげえな、このアイデア」というのもありますし、「これ、ゲームになるのかな?」というのもあります。そういうのを見ているだけでも楽しいですね。でも、今回ざっと回ってみて思ったのですが、変にレベルが均一化されているような気はします。ちょっとだけ、おもしろくなくなっているなと。たぶん、ツールであるとか、ライブラリーであるとか、インディーでも作りやすい環境がいろいろと構築されてきたのに加えて、参考になるゲームもたくさんあるので、作りやすくなっているんでしょうね。そういうものの塊みたいな作品がちょこちょこと見受けられて、「それって、インディーでやることなのかな」とか思ったりしました。

――こじんまりとしている?

稲葉 たとえば、「どうしてもこういうグラフィックスタイルでやりたいんだ」とか、「どうしてもこのゲーム性でやりたいんだ」という熱い気持ちだけが先行しているような、いい意味で歪なものが少なくなった。わりと小奇麗になってしまったなあと。

――それってつまり、とんがっているものがなくなってきたということですか?

稲葉 なんなんでしょうね。さっき言ったツールであるとか、いろいろな環境が整備されることで、すごく作りやすくなったことは間違いないです。ですが、そのツールの範囲でのモノが作りやすくなるので、どうしてもいろいろなところが似てきてしまう。シェーディングがどうとか、モノの動きがどうとか……。「(インディーゲームの魅力は)本来はそういうところじゃないのになあ……」という思いがあったりはします。

――開発環境が整備されることにも、良し悪しがあるということですかね……。

稲葉 まあ、これも贅沢な話ですけども。情熱だけがあって、クソミソに触り心地の悪いものだったら、楽しいと思うかというと、それはきびしいですからね。まあ、会場を見ていると、総じて海外ゲームに勢いがあって、日本のインディーゲームデベロッパーも、もう少し出てきてもいいのに……とは思いますね。

――これからでしょうか……。

稲葉 うーん、これから出てくるんですかねえ……。これは前にお話ししたかもしれませんが、海外ではデベロッパーという存在が一般的じゃないですか。パブリッシャーとデベロッパーがいて、ゲームの開発者=デベロッパーという位置づけなのですが、日本でゲームクリエイターを目指すといったら、大手パブリッシャーに入りたいという道を選ぶしか無くて、そこが入り口になってしまう。そして、それが叶わなかったら、「ゲームを作らない」みたいな。そういう、0か1かの極端な姿になってしまっているのは、不幸と言えば不幸ですよね。そのあいだが、まだまだあると思うのですが。

――その状況を打開する方法は考えていたりするのですか?

稲葉 今日の講演でも言いましたが、いろいろなインディーシーンの手助けをしたいというのは、それが目的でもあります。国内海外を問わず、新しいディレクターが出てきてないと思っているんです。それにはいろいろな事情があります。海外だと、ゲームの名前が大きく取り上げられるのはAAAタイトルがメインストリームになっていますが、超ビッグタイトルのディレクターは誰か? というのは、もはや言えない状態にある。開発スタッフが500人もいたら、大勢のスタッフそれぞれの平均値がコンテンツの最終形になってゆくわけで、突出した誰かというのは出てこない。すばらしいタイトルは出ますけど。日本は日本で、講演で言ったように受け皿が少ないからそもそも人が出てきにくい。僕はステージでも言いましたが、カラー(個性)だと思っているんです。カラー(個性)と遊びがつながっているのが、エンターテインメントコンテンツなので、そういう色を出せる人がいっぱいいてほしいなというのが、まずあります。ですので、プロデューサーがいてそれを助けることができるのならば、「手助けしますよ」ということです。

――プラチナゲームズとしても、その手助けをしていきたい?

稲葉 ぜんぜん何も決めていないのですが、たとえばプラチナゲームズと組むことによって、いろいろとビジネスが早く進むことも、もしかしたらあるかもしれない。そういう手助けをすることも方向性としてはあるかもしれませんし、いろいろなことをやっていきたいですね。

――ところで、500人も開発スタッフがいて……となると、ディレクターも調整能力が問われそうですね。

稲葉 いや、調整役というよりも、たとえば400人、500人いるプロジェクトって、もはや隅々までディレクションはできないはずなんですよ。もう、コンセプトを投げて、あとは下で勝手にやってもらうしかないはずなんですね。ひとりの下に10人くらいいて、その10人の下にさらに何十人がいて……というくり返しになっていて、ディレクターが直接何かを指示するというのは、もう絶対に不可能だと思います。海外の超大手だと、ひとつのゲームを作るのも1000人単位の開発体制になっているわけじゃないですか。そんなところに、ディレクターがどうこうなんて、誰も知りませんよ。たぶん、どこかの片隅でスタッフが勝手に作っているものがいっぱいあるはずなんです。それがディレクターの色かというと、それは違うわけで……。でも、全体を見て、「こういうカラーの作品だね」というのは、最初になんとなく合意したものに沿って、みんなが“自分の思い描く何か”ということで作っているとは思うんです。そういうところって、調整型とか牽引型とかいう以前に、そもそもディレクターというもの自体があまり存在しえないんじゃないかなと。どちらかというと、クリエイティビティのまあまあ強い、プロジェクトマネージャーみたいな存在になってしまうのではないかという気はします。まあ、実際にそういう体制での開発現場を見ていないので、あくまで推測ですが。でも、もしカラーをはっきり出せる人がいるんだったら、そういう人はもっと出てきているはずだろうなとは思います。

――いま、ディレクターは不幸な時代だということは言えるということですか? 自分の思い通りのものを作れないという点において。

稲葉 ひとつの形としては、うちみたいな、人数を絞ってやるという方法論があります。AAAでも何百人も稼動できないわけですから。たとえば、ほかの会社が200人でやるところを50人でやりましょう、100人でやるところを30人でやりましょうという感じでやっていますが、それだったらカラーは出せます。だから、うちのゲームって、“神谷が作ったゲーム”、“橋本が作ったゲーム”というのがきっちり出やすいです。スタッフひとりひとりと対話できる範囲でやっていますから。

――「自分が直接見られるのは150人くらいまでだから、会社の規模はそれ以上は大きくしない」とおっしゃっている社長さんもいらっしゃいますが、ゲームのプロジェクトもいっしょで、ディレクターが見られるスタッフには限りがあるということなのですね?

稲葉 そうですね。

――プラチナゲームズは、ディレクターのカラーを出せるようにするために、開発スタッフの数をディレクターが直接見られる範囲に絞っているということなのですね?

稲葉 それもあります。が、苦肉の策でもあります(笑)。だって、何百人にもなったらたいへんじゃないですか、スタジオを運営するのが。

――それで、ちゃんとしたクオリティーを保つのは、個々のスタッフのスキルが相当高いということですよね。

稲葉 みんな命削ってやっています。スタッフの負担はかなり大きくなりますからね。それが、「いろいろなことをいっぱいやれて楽しい」とか、「きっちりカラーの出ていることをやれて楽しい」と思う人と、「こんなしんどい作りかたは嫌だ」という人と、そこは極端に分かれてしまいますね。

――なるほど……。今日の講演を聞いて思ったのですが、ディレクターには資質があって、誰でもなれるものではないですよね? 稲葉さんが思うディレクターの資質って何ですか?

稲葉 それは、さっきも言ったとおり、色がはっきりしていることです。自分の表現したいことがものすごく明確にある人間。だから、必ずしもゲームデザイナーの進化系だとは捉えていないです。ゲーム開発には、企画、デザイナー、プログラマー、キャラクターモデラー、背景アーティストなど、いろいろなセクションがあって、だいたい企画の修業を積んでその先にディレクターがあるというイメージがありますが、僕はディレクターへの道はどこからでもあると思っていて、実際にそういう抜擢をすることも非常に多いです。「自分の作りたいものはこれだ!」、「自分の表現したいおもしろさはこれだ!」と、まずはっきりと言えること。そしてそれがブレないことというのが第一条件ですね。もちろん、それだけではダメなんですよ。当然、そのアイデアがおもしろいかどうかというのはありますけれど、やっぱり(色を)出せる人と出せない人というのははっきりと分かれます。

――それは、才能やセンスとはまた少し違った資質なのですか?

稲葉 ある種の才能ですかね……。100メートル9秒で走れるといったような、身も蓋もない話ではないですが。モノづくりにおいて、開発者ってだいたい3タイプに分かれるんです。まずは、“まったく作りたいものがない人”。つまり、スカスカの人。こういう人は、追い詰めると鬱になってしまいます。だって、何もないんですよ。ない人に対して、「お前、何か出せよ」ということほど、残酷なものはありません。その対極にいるのが、“きっちりとした信念をもって、自分自身で表現できる人”。たとえば、神谷はそういうタイプですね。あいだに、“持っているんだけど、それを出すのが下手くそな人”あるいは“うまくそれを表現できない人”がいるんですよ。それは、訓練やサポートする人間で変えられるわけですね。そういうときに、本人が訓練をしてよくなろうという人間と、プロデューサーがついて、それを通訳してやろうというふたつの方法がある。だからプロデューサーという役割が必要なんです。エキセントリックな言動に聞こえる人とか、「なにを言っているんだ、こいつ!?」とびっくりさせられるようなタイプのディレクターがけっこう多いですから。でも、そうではなくて、「この人の言いたいことはこうで、本当はこれが大事なんだよ」と通訳してあげれば、「なるほど、そういうことか!」と納得してくれる。その役割が必要ですね。

――講演での神谷さんがキチガイ型で、橋本さんは天才型、田浦さんが悪人型という分類がおもしろかったです。

稲葉 あれは単にプラチナゲームズにはいろいろな人材がいるという話なだけで、3タイプに分類したというわけではありません。神谷がキチガイというのは、あれは情熱の話ですね。どこまでも妥協を許さない。妥協をした箇所があったとしたら、彼は気持ち悪くてしょうがないんです。狂気にも似た作り込み。ぎりぎりまでのブラッシュアップを求める狂気にも似たこだわり。それを、たとえば「現実の都合でできない」みたいな妥協を提案されると、烈火の如く怒ったりするわけですが、そういうところを指してキチガイと言っているわけです。橋本の天才型というのは、あれは本当の意味で、「こういうのいいよね」と、ポンと浮かび上がるんですね。それはまさに才能の話。ただ、彼の場合はポンと浮かび上がる発想を、ちゃんと言語化してくれるサポーターがいないと、天才の持ち腐れになってしまう。

――天才の持ち腐れ(笑)。それはもったいない。

稲葉 田浦の悪人型というのは、本当は思っていることがもっといっぱいあるんだけど、それをあんまり表に出さないタイプです。それは、いいところと悪いところがあります。いいところは、「田浦さんって、なんかやさしそう」とか、「田浦さんっていい人に見える」と思って、人がついてきてくれる。悪いところは、自分のクリエイティブでこだわるところとこだわってないところが、人には伝わりづらいところですね。自分の黒いところを隠すタイプの悪人型なんですけど、この先どうなるかは、本人次第。彼がディレクターとして作品を作るときにどういうスタイルを取るのか、これから先の楽しみですね。

――いまの日本のプロデューサーは、クリエイティブにも踏み込む人が多いと思うのですが、その点はどう思われますか?

稲葉 メディアに出てくるプロデューサーの方々で、実際にクリエイティブに深く関わっている人は少ないと思います。メッセンジャーとして、メッセージを発する役割かと。

――それは、わきまえているということですか?

稲葉 いろいろな人がいるんじゃないですか? ディレクターが口下手でメッセージが伝わらないから、自分がスポークスマンとしてやっているとか、いろいろとあると思います。僕自身の場合は、最初の立ち上げに関しては、クリエイティビティをディレクターといっしょにものすごく磨きます。というのも、ゲームプロデュースにおいては、クリエイティブを磨くための、審美眼が必要になってくるからです。目利きをして、「これはいい」、「これはダメ」というのをきちんと言ってあげる。そうしないと、とんでもない方向に進むことがあるんですよ。作っているあいだにわからなくなるとかいう以前の段階で、いいものがあるのに、「何を作ったらいいかよくわからない」みたいな人がいる。「そうじゃない、これがいちばん高値だから」、「これはクズだからいらない」という、きちんとした審美眼でプロデュースをする。作っている過程でできあがってきたものが、もともとのコンセプトに合って、いいものになっているか、審美眼をもって良し悪しを判断します。足りなければ、「ゲームデザインとしてこれが足りない」と説明して、「具体的にどうするかは、自分たちできちんと考えてくれ」という指示を出します。でも自分が1から10までアイデアを出して、クリエイティブを担当しているわけでは、もちろんないです。それはディレクターをはじめとする、現場の仕事。ただ、理解をすることと審美眼を持つことと、適切なクリエイティビティを持ったアドバイスをすることは、自分がプロデュースする際には必要なことだと思っています。

――それが、プロデューサーに求められる資質の一部なわけですね。

稲葉 いまプロデューサーと呼ばれている人が、どういうことをしているかも、何が正解なのかも、よくわかりません。ただ、自分で言うのもなんですが、僕は僕で特殊な部分があると思うので、自分がやっていることをほかの人が全部やれるのが正解だとも思っていません。なので、自分の持っている能力をいくつかに分解して、人に渡す、後進を育てることはできるかなと思っていて、それがいっぱい集まって、たとえばインディーシーンの助けになったり、ゲーム業界の助けになったりできたらいいなというのが、昨年とか一昨年の話でした。

――いまプロデューサーの育成とおっしゃいましたが、ディレクターの育成と同じくらいプロデューサーの育成も必要なのですか?

稲葉 必要だと思っています。メジャーシーンよりもいろいろな人たちがいますから、そこをちゃんと拾い上げる目も必要ですし、育て上げるということも必要だし。やっぱりどんなパートナーと組むかで、ディレクターの一生ってものすごく左右されると思っているんです。能力が高いプロデューサーもそうなのですが、パートナーとして、ちゃんとハマる関係。それはいろいろなものがあると思います。人間性だったり、センスだったり、いろいろなところが噛み合うかどうか。だから、ある日僕が突然知らないインディーの人と組んでうまくいくかどうかというのは、わからないです。やってみないと。でも、そういう存在は絶対に必要です。

“形のないIP”のプロジェクトも着々と進行中

――昨年“形のないIP”をテーマに話をされて、メディアには「わかりにくい」と言われたそうで。僕は非常に刺激的だったのですが、“形のないIP”は何か進捗が?

稲葉 進んでいます。

――おお? どういうふうにですか?

稲葉 それが言えないんですよね……。なぜ言えないかというと、新しいプロジェクトの新しい考えかたのところにがっつり絡んでいるから、ちょっと言えないんです。でも、おかげさまでゲーム業界の中で、「こういう形で協力してやっていこうよ」という会社さんもいくつか出てきましたし、ゲーム業界とまったく関係のないところからもお話をいただいています。

――ゲーム業界とはまったく関係のないところですか?

稲葉 それは想像してください(笑)。答えを導き出すのは、そんなに難しいことではないと思いますが、そういうつながりもできています。

――昨年の講演で、“形のないIP”と発信したことによって、いろいろとオファーがあったんですね。

稲葉 進んだことはあります。何でも言ってみるもんだなと(笑)。

――最後に、いままでの流れとはまったく関係ないのですが、Nintendo Switchについて聞かせてください。インディーデベロッパーもNintendo Switchには積極的に見えるのですが、稲葉さんはNintendo Switchについてどう判断していますか?

稲葉 Nintendo Switchは、いろいろなすばらしい機能を持ったハードですが、やっぱり自由に持ち運べるというシームレス感はすばらしいと思います。ずっと家で夢中で『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』を遊んでいて、きりが悪いから外でも遊ぶという、気持ちのシームレス感ってすごいです。部屋に釘付けではないので、どこでも気軽に遊べるし、一方で、じっくり遊べもするという、すごくいいプラットフォームになっていますね。ハードに、ちょっとしたアイデアのライトな遊びも受け入れてくれる空気感があるじゃないですか。「ちょっと遊ぼうぜ」みたいな。わいわいできそうな、ひとネタでも持ち寄って遊べる。でも、重たいAAAタイトルも腰を据えて遊べる。インディーシーンとの相性もいいですし、これから先のゲームシーンとの相性もいいんじゃないかなと。

――プラチナゲームズとの相性はどうですか?

稲葉敦志氏に聞く 豊富なディレクターを擁するプラチナゲームズが、開発タイトルで個性を出し得ている理由【A 5th of BitSummit】_03

稲葉 いいと思いますよ。すでに参入表明はしていますし。Nintendo Switchの発表会のときに、密かにプラチナゲームズのロゴは出ていますので。

――なにか動いているのですか?

稲葉 作っていますよ。おもしろくなると思います。

――期待しています。来年の講演も楽しみにしています!

【A 5th of BitSummitインタビュー】
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