
2017年3月11日に福岡で開催された、第10回福岡ゲームコンテスト「GFF AWARD 2017」。同イベントの会場にて、特別ゲストによるスペシャルトークショーが開催された。
登壇したのは、GFFから、レベルファイブ 代表取締役社長/CEO日野晃博氏。そして特別ゲストとして、ソニー・インタラクティブエンタテインメント ワールドワイド・スタジオ プレジデント 吉田修平氏とカドカワ株式会社取締役 浜村弘一ファミ通グループ代表の3人。トークテーマは、“ゲーム業界 これまでの10年と、これからの10年”と題し、浜村代表がコーディネート。PS VRや『妖怪ウォッチ』シリーズで、ゲーム業界の枠を越えて一大ムーブメントを巻き起こした吉田氏と日野氏を交えて激動の10年を振り返るという、10周年を迎えた福岡ゲームコンテストのイベントにふさわしい内容となった。
トークショーは、ゲーム業界の10年を振り返る前半パートと、これからの10年を見据える後半パートの2部構成。本記事では、前半パートにあたる10年を振り返る内容のリポートをお届けする。最後には、世界中で大ヒットしたPS4やPS VRに込められた、意外な設計思想など、このメンツでしか聞けない貴重な秘話も飛び出した!?
10年という期間をキーワードとして、まずは2006年から2016年までのゲーム業界の10年を、年表を見ながら振り返っていく、“これまでの10年”をテーマとしてトークがスタートした。浜村代表は、「ゲームの歴史が30年ある中で、2016年までの10年間は、ものすごい速さで過ぎ去った印象だ」としながら、まずは2006年のゲーム業界での出来事を振り返っていく。
2006年~2007年 ハイエンドゲームとカジュアルゲームの台頭


2006~2007年は、「ハイエンドのゲーム機とカジュアルで体感的ゲーム機という、正反対なハードが登場してきた年」と位置付けた浜村代表。空前のニンテンドーDSブームを生んだ『脳トレ』の発売が2006年だったことも指摘しつつ、レベルファイブの初パブリッシングタイトルとなった『レイトン教授と不思議な町』が、2007年に発売されたことに触れる。「『レイトン』は今年10周年なので、もうあれから10年なのか……」と懐かしんだ日野氏。1998年に開発会社として設立されたレベルファイブは来年の2018年で20周年を迎えるが、パブリッシャーとしてのデビューは、この『レイトン教授と不思議な町』からとなる。いまや大きなゲームメーカーへと成長したレベルファイブだが、2007年は、まさにその歩みを大きく進めたとも言える年だった。
また、奇しくも期を同じくして、いまや世界を代表する作品へと成長した『アンチャーテッド』シリーズの1作目となる『アンチャーテッド エルドラドの秘宝』も2007年に発売。「『アンチャ』も10周年なんですよ」と、吉田氏も感慨深そうな表情を浮かべる。
2008年 スマートフォンとクロスメディアの胎動

年表にはないですが、「この年はiPhone3Gが発売されているんです」、と指摘する浜村代表。まだこの頃は、目立つスマートフォン用ゲームのヒット作はなかった年だったが、じつは、スマホ普及の幕開けとなった年でもあった。
また、2008年にはレベルファイブの人気シリーズとなる『イナズマイレブン』の1作目が発売されている。日野氏はここで、『イナズマイレブン』に関する忘れられない思い出を披露。「サッカーゲームを作ろうと思う、と浜村さんに打ち明けた際に、あらゆるサッカーゲームに関するデータを送ってくださいましたよね」と、10年前に浜村代表との間で交わしたエピソードを披露。まだリリース前の『イナズマイレブン』に対して、サッカーゲームの売れ行きなどで、数字を落としやすい点などへの注意をもらったのだという。浜村代表は「当時、『レイトン』シリーズをヒットさせたレベルファイブが、まったく違う方向へと舵をきったのが、やはり心配だったんです」と、アドバイスをした理由を開かした。
ここで、「違う方向と言えば、『イナズマイレブン』は、途中で宇宙に行きましたよね?」と吉田氏からのツッコミが。それに対して「いや……宇宙には行っていません」と、とっさにウソをつく日野氏。だが、すぐに「すいません、行きました」と白状すると、会場は笑いの渦に。
「すぐに新しいことをしたくなるんです」、と笑いながら語った日野氏だったが、新しい試みに挑み続けている『イナズマイレブン』は、後に『妖怪ウォッチ』で大ヒットを生み出すこととなる“クロスメディアプロジェクト”(アニメや玩具など、ほかのメディアを同時に立ち上げる、レベルファイブ独自のクロスメディアの手法)に挑んだ最初の作品でもある。
2009年~2010年


「2009年から2010年は、一気に、いわゆるソシャゲ、ソーシャルゲームが台頭した年でもありました」と語る浜村代表。
日野氏は「この頃は、プレイヤーがボタンをちょこっとしか押さないような、ソーシャルゲームというジャンルがヒットする作品になるとは、どうしても思えずに疑問だった。自分はコントローラを握ってがっつりゲームを遊ぶゲームファンだったので」と語った。
いっぽう吉田氏も、「プレイヤーが多く課金する、という話もこの頃から耳にするようになりましたね」と、当時の新しいゲームプレイのスタイルへの印象を振り返る。そして、そうした課金というあらたな文化については、おそらくゲームファンの変化というよりも、これまであまりゲームに触れてこなかった、パチンコやパチスロを楽しんでいたユーザーの流入も大きいのではないかと分析。さらに、ガチャの要素は、「いいアイテムを入手して自慢したい」という、ソーシャルな要素の典型的な楽しみだったのでは、と語った。
この10年を振り返るなかで、もっとも大きな業界の転換期ともいうべきスマートフォンの話題が出たことで、「もう少し時代を進めましょうか」と、トークは年表の後半へ。