誰も彼もがいなくなったフィンチ家にまつわる連作短編集的作り
日本でもプレイステーション4版の国内配信と、PC版の日本語対応が予定されている、アドベンチャーゲーム『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』(原題:What Remains of Edith Finch)。海外版の発売が4月25日に迫った本作の新たなエピソードを遊んできたので、その模様をお伝えしよう。
まずあらためて『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』について簡単に説明しておくと、本作は基本的に一人称視点で進むアドベンチャーゲーム。主人公エディス・フィンチは、静かな森の中に建っているフィンチ家の屋敷を探索しながら、死んだり失踪してしまったほかのフィンチ家の人々の物語を追っていく。
物語的には、一人称視点アドベンチャーとして展開されるエディスが屋敷を探索する話を中心に、フィンチ家の人々のそれぞれの物語がミニゲームなども交えつつ披露される、一種の連作短編集のような構造になっていて、今回のデモではエディスの兄弟であるルイスの物語がフィーチャーされていた。
みじめな現実を華麗な妄想が侵食していく
デモはまず、エディスがルイスの部屋にいるところから始まった。いろいろとアレなボンクラグッズ(日本では犯罪なブツも含む)で満載の彼の“男の砦”で、エディスがとある手紙を見つけるとルイスパートのスタート。
気がつけばそこは、シャケの加工場。視点はルイスと思われるもので、目の前には加工場のベルトコンベアと、血で汚れたゴム手袋の両手。左から流れてくるシャケを右スティックでつかみ、右端の機械で頭を切り落として、身の部分をベルトコンベアに戻す。その繰り返しのミニゲームが続く。
だが次第に、さえないバイト作業から逃避するように、画面の左側でルイスの考える妄想のファンタジーが始まり、広がっていく。左のスティックを使って妄想世界のルイスを操作するのだが、シャケ解体ミニゲームが終わったわけではない。一人称視点のシャケ解体と、三人称視点の見下ろし型の妄想世界アドベンチャーが画面上でミックスされ、平行して続いていくのだ。
妄想の侵食は画面上だけのことではなく、片方のスティックでシャケの頭を切り落としながら、もう片方のスティックで妄想ルイスを操作するという二重ゲームプレイへと発展。ちなみに今回は海外メディア向けの体験会に参加してのプレイなので、言語表示は英語だったのだが、英語だと“頭で翻訳”という第三の作業が発生するので、慣れていても辛い。これはローカライズがありがたいところだ(ストーリーはボイスと画面上にオーバーレイされるテキストで語られ、PC版では吹き替えなしの日本語字幕対応予定)。
しかし、しょせんボンクラ感高めのルイスの考えることなので、妄想のファンタジーは安っぽく、別に聞き飛ばしてもそこまで問題ないというのが哀しいところ。なんせ妄想ルイスがなんだかスゲー活躍して、スゲー冒険でいろんな街をどんどん傘下に治め、ルイストピアやセントルイスやニュールイスビルとして従えて王国を築く、という程度の話なのだ。ああルイス、きみはバカだなぁ……。
プレイヤーが取ったルートによりナレーションが変化するという仕掛けや、シャケの解体と連動したミニパズル(三人称視点側でシャケが障害になっていたりして、一人称視点側でシャケの首を落とすと進めるようになる)といったギミックなども挟みつつ、妄想の世界はどんどん視界全体を覆うように膨れ上がっていく。
豪奢な宮殿に入城する妄想ルイス。ついに栄華を極めた! そしてエディスとプレイヤーが幻視したのは、薄暗く血や臓物で汚れた加工場にひとり佇むルイスの姿だった。あるいはルイス自身が自らの嘘に気付いたのかもしれない。
気が狂いそうな救いのないみじめな現実から逃れるために生み出した妄想の王国は、今や彼の正気が耐えられないほどの大きさに成長した。そしてルイスは、この王国で王の冠を戴くための道はひとつしかないことに気がつく。
さらば現実よ、我が栄光なき人生よ。それがエディスが発見したルイスの死の理由だった。上田秋成「雨月物語」などからの影響が語られている本作だが、確かにそれは日本向けのサービストークなどではなく、どこか狐につままれたような、さまざまなリアリティやレイヤーのフィクションが混在する構成や、時に哀しかったりおかしかったりする“読後感”は、まさに「雨月物語」のものだった。
本作でディレクターを務めるIan Dallas氏(気に入っているようで日本語版ロゴのTシャツを着ていた)いわく、各エピソードはそれぞれ異なる部屋に、異なるゲームスタイルとともに眠っているという。さて、他の部屋にはどんな理由が隠されているのか……。