33年ぶりのシリーズ続編を祝うイベント
2016年11月10日、ピグミースタジオはプレイステーション4/Xbox One用シミュレーションRPG『ボコスカウォーズII』のダウンロード販売を開始。それを記念したイベント “『ボコスカウォーズII』発売記念イベント in カルカル”が、同日、お台場(東京都江東区)のイベントスペースの東京カルチャーカルチャーにて行われた。
33年ぶりのシリーズ続編の完成を迎えての開発スタッフの万感の思いと、リリースの時を静かに待ったファンへの感謝を込めて、ピグミースタジオが企画した、今回の発売記念イベント。会場の東京カルチャーカルチャーには、業界関係者をはじめ、事前抽選で招待された多くのファンが詰めかけた。イベントは、『ボコスカウォーズII』監督のラショウ氏とゆかりのあるラジオ番組“ラジバタ2”のパーソナリティ・中村隆之氏と西村華菜穂氏のMCのもと、始終くつろいだムードで進行した。なお、当日の模様は、Ustreamの東京カルチャーカルチャーの公式チャンネルで生放送された。
X1版『ボコスカウォーズ』(1983年)の開発者であり、『ボコスカウォーズII』では原案・アートデザイン・監督を務める。現在はピグミースタジオとの合同会社ニッポンイタチョコシステムジャパンの代表として、“表現物としてのゲーム”のありかたを追求する。『ボコスカウォーズII』のたび重なるリリース時期の延期に関しては、「本当はだいぶ前にできあがっていたのですが、工場長(ピグミースタジオ小清水氏)がそのつど出す無茶ぶりに応えていたら、開発期間がどんどん延びまして……」との若干の恨み節も。
ゲームの受注開発から、インディー精神溢れるタイトルのコンシューマープラットフォーム向けの企画・開発・販売を行っている、ピグミースタジオの代表。愛称は“夢工場長”。『ボコスカウォーズII』ではプロデューサーとして、本作を“親子二世代にわたって遊べるゲーム”と位置づけ、 X1版をイメージしたレトロ調のグラフィックモードを追加するなどの判断等を行った。国内最大級の独立系ゲームのイベント『BitSummit』の主催、日本インディペンデント・ゲーム協会のファウンダーで理事を務める。
業界の著名人からガチの恩人まで集まった“ボコスカウォーズ授賞式”
本イベントのメインは、『ボコスカウォーズII』の発売に影響を与えた人物をラショウ氏、小清水氏が独断で指名し表彰していく“ボコスカウォーズ授賞式”。受賞者には、ラショウ氏直筆の書面による賞状と、トロフィーがわりのマグカップほか多数のオリジナルグッズが授与された。
■ボコスカ伝承賞:RYU-TMRさん
レトロゲームを紹介する雑誌連載漫画をまとめた著書『レゲー解体劇場』(2013年)の第1話で『ボコスカウォーズ』を題材に採り上げたことにラショウ氏が恩義に感じ、現代の『ボコスカウォーズ』の語り部としての授賞となった。なぜ初期の回(※連載時は第2話)で『ボコスカウォーズ』を取り上げたのか、という問いには「(連載誌の出版社が、当時『ボコスカウォーズ』のライセンスを管理していたエンターブレインだったため)いろいろラクそうだったので……」と身も蓋もなく答えたが、ソフトは自前で購入し、じっくりプレイした上で執筆したとのこと。
■ボコスカ飛翔賞:橋本澄彦さん
『ボコスカウォーズ』が世に出るきっかけとなったプログラムコンテスト“第1回アスキーソフトウェアコンテスト”(1983年)開催時に、主催企業であるアスキー(現KADOKAWA)の事務局に在籍していた、橋本さん。応募作に触れる機会があったとき、当時のほとんどの横スクロールゲームが右方向にスクロールするのに対し、左へと進んでいく『ボコスカウォーズ』に、新しさと変わっているという印象を抱いたとのこと。
■ボコスカ継承賞:高橋ピョン太さん
アスキーが発行していたPCゲーム雑誌『ログイン』の歴代編集長のひとりとして、年季の入ったゲーマーにおなじみの高橋さん。授賞式後のトークで、アスキーでのキャリアスタートが、『ボコスカウォーズ』 のPC-8801版の移植を担当するプログラマーだったことを明かした。ラショウ氏は当時、PC-8801への移植は、処理速度の問題から無理だと思っていたそうだが、どうしたら速く動かせるかに徹底的に取り組んだ高橋さんの功績により、実現したのだという。その後『ボコスカウォーズ』は、PC-6001、MSX、FM-7……など当時のあらゆる主要パソコン用に移植され、多くのプレイヤーの記憶に残る作品となった。
■ボコスカ拡散賞:バイク川崎バイクさん
よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑いピン芸人。小清水氏がTwitter経由でコンタクトを取るようになり、今回のイベント参加が決まったとのこと。きっかけについて小清水氏は、 「BKBの文字を使ったバイクさんのトレードロゴマークが、『ボコスカウォーズ』のイメージに近かったから」とコメント。実質上、『ボコスカウォーズ』とのゆかりはほとんどないが、「9万人いるTwitterのフォロワーに、ゲームの情報を拡散していきます!」と力強く宣言した。
■ボコスカファン賞:須田剛一氏
ラショウ氏が1990年代に運営していたソフトハウス、イタチョコシステムの吉祥寺直営店に、客のひとりとして通っていたという、グラスホッパー・マニュファクチュアの須田氏。当時は、ヒューマンに在籍するゲームクリエイターとして、ラショウ氏をリスペクトしていたという。イタチョコシステム時代のゲームでは『野犬ロデム』や『あの素晴らしい弁当を2度3度』が好きだったと語る須田氏のハイテンションぶりは、まさに、憧れの人物との対面のひとときを楽しむ、いちファンの姿。最後にはラショウ氏の今後のさらなる活躍を期待しつつ、自社の新作『シルバー事件』HDリマスターPC版のアピールを忘れなかった。
■ボコスカ普及賞:鈴木孝司さん
プロデューサーとして、2000年代に『ボコスカウォーズ』の携帯電話アプリ版や、Wiiのバーチャルコンソールを手がけてきた鈴木さん。ラショウ氏は、「発売当時からヘンなゲームと言われていた『ボコスカウォーズ』が、いまの人たちにどう受け取られるんだろうと思っていました」と、鈴木氏の働きかけに興味を示していたことをかたった。実際のところ売り上げはどうだったのか? との質問に対しては、「(リリースして)話題にはなりました!」とコメントするにとどまった。
■ボコスカ歌唱賞:桃井はるこさん
2007年リリースのアルバム『ファミソン8BIT STAGE2』で、『ボコスカウォーズ』のBGMにラショウ氏の作詞を乗せたテーマ曲“すすめボコスカ”を収録。当時はライブイベントで、ラショウ氏とステージ共演したアーティスト・桃井さんが、ラショウ氏の情熱的(?)なメッセージとともに、表彰された。彼女の歌声は、プレイ中のBGMのひとつとして、『ボコスカウォーズII』でも聴ける。しかも今作のための新緑バージョンということで、ファンにとっても注目度の高いものになっている。トークの後には、“すすめボコスカ”の生歌を披露。ゲーム中では特定条件下でしか聴けない、6番の歌詞も含めて、情感たっぷりに歌い上げた。
■ボコスカ音楽賞:サカモト教授
小清水氏との交友関係から、今回のイベントに参加することとなった、チップチューン・ミュージシャン。トークでは、キーボードの実演奏を交えながら、『ボコスカウォーズ』のBGMの魅力を解説した。独自の分析により「ある意味バッハ(※“音楽の父”と称される18世紀の音楽)的であり、ハービー・ハンコック(※ジャズの第一人者と称されるピアニスト)的」とするサカモト教授の音楽評に対し、“作曲者”のラショウ氏は、「戦いのゲームだから勇ましい曲にするべきだが……という葛藤とともに、私なりの協和音を求めた結果、このような曲になりました」と、当時の心境を語った。
■ボコスカ最優秀賞:熊本裕子さん
最優秀賞として表彰されたのは、アスキー、エンターブレイン、KADOKAWAと、『ボコスカウォーズ』の版権を保有する企業のライセンス管理部で勤務し続けた熊本さん(※現在は退職)。『ボコスカウォーズ』の市販ソフト化の時から一貫して管理を担当してきた、いわばラショウ氏の交渉パートナー的存在で、『ボコスカウォーズII』リリースの際も、彼女が2015年時点で現役だったからこそ、交渉がスムーズに行われたのだという。ラショウ氏は、 “『ボコスカウォーズ』を長年守ってきた存在”である熊本さんに対して「感謝しかありません」と、神妙にコメントした。これを受けて熊本さんは「世界に羽ばたいてください」と、温かいエールを送った。
■ボコスカベストプレイ賞:MCU
KICK THE CAN CREWなどでMCを担当するミュージシャン。ファミコン版リリース当時にクリアーしたという筋金入り(?)の“ボコスカ愛”を見込まれ、イベント期間中に『ボコスカウォーズII』のクリアー(※移動距離が1000メートルに達し、オゴレスを倒す)を目指すゲームプレイ実況を担当した。時にサカモト教授の協力プレイを受けつつ、何度ゲームオーバーになっても黙々とプレイし続け、イベント終盤には自己最高の800メートル超えを達成するなど、ここ一番での勝負強さを見せた。
先人が受け継いだバトンを手に、『ボコスカウォーズ』はさらに走り続ける!
授賞式後には、『ボコスカウォーズII』最新情報として、新規グラフィックを実装したスキンを、今後無料でリリースしていくことが発表された。今回画面が公開されたのは、和風テイストのグラフィックが新鮮な“源平合戦”のスキン。グラフィックだけでなく、ゲームバランスも再調整が施されているとのことで、スタンダード・バージョンを遊び尽くしても、新鮮にプレイできそうだ。“源平合戦”以外のスキンについては公表されなかったが、「西へ西へと進んでいくゲームなので、ブタやカッパがお供になるお話をモデルにしたものもあるかもしれません」(ラショウ氏)と、かなり踏み込んだ内容のヒントが提供された。
最後は、出演者全員がステージに上がり、“すすめボコスカ”を5番まで合唱して、イベントは締めくくられた。1980年代に若き日のラショウ氏がひとりで作り上げ、やがてさまざまなプラットフォームに移植され、多くのプレイヤーの記憶に残るとともに、以降のゲームクリエイターに多大なる影響を与えてきた『ボコスカウォーズ』。「多くの皆さんが『ボコスカウォーズ』のバトンをつないできたから、いまがあるんです」という小清水氏のコメントを受けて、ラショウ氏は、「渡されたバトンの重みを感じます」と、しみじみと語った。